つむじやのlightful HAUS  *帰国後篇*

つむじやのlightful HAUS  *帰国後篇*

わたしケンポー。


わたしケンポー。
[ 遊びながら学ぶ ]
おちゃらけたようで、けっこうマジメ人間な私は、
「自分にいい加減」な「わたしケンポー」を発効することにしました。
わたしにとっていま当たり前のこと。
わたしの基本的条件。
わたしをわたしにしているものを記しておくことにしました。
いつでも好きなときに、よく考えて変更を加えることにします。
それを勝手に祝って、今日ここに発表します。



「わたしケンポー」

わたしは地球のうえに生きている。

わたしは空気をすってはいて、光をあびて、水をのみ、

ほかの生き物を殺して食べて、排泄して生きている。

わたしはいつか必ず死ぬ。

わたしは夜は家で眠る。わたしは朝おきる。

地球は太陽のまわりを、月は地球のまわりをめぐっている。

わたしは生きていることがもっぱら楽しい。



わたしは自分が大切だと思い、自信をもって取り組めることで、

ほかのひとにも喜ばれるようなことを仕事にしたい。

わたしにとって仕事とは、

自分の労働を納得できる対価と交換することであって、

一方的に押し付けたり、押し付けられたりするものではない。

わたしの仕事は楽しくなければならない。



わたしは科学の善悪を信じない。芸術の善し悪しを信じない。

わたしがそれをどう扱うのか、それが重要だと考える。

わたしが科学や芸術に対して、これは善い、これは悪いと判断するとき、

なにか重要なことを見落としている。

これは好き嫌いとは別の問題だ。



わたしがなにかを選ぶときは、そのものごとの背景を知る努力をする。

なるべく事実にもとづいて多方面から知るようにする。

わたしは直感または慎重な検証によって、自由意志で選ぶことを望む。

そのうえで選んだものに私は自己責任を感じる。

直接知ることのできないものについて、判断しなければならないとき、

わたしは注意する。

間違ったら、そこから学ぼうとする。



わたしの考えや価値観は一定ではない。

わたしの身体も心も一定ではない。

そして楽しくも困ったことに、まわりの環境も一定ではない。



それでもなお、いま、ここに、自分の足でしっかり立ち、

満ち足りた存在でいるために、

わたしは、いそがず、いらだたずに自分を間に合わせたい。

わたしは楽しく、美しく、自由に、世界を間に合わせたい。

自分のいのちのリミットに。

地球のいのちのリミットに。





2005年8月15日 終戦記念日

黄色い共振の種の日「気づきを呼び起こす 」



Last updated 2005.08.15 13:08:38

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