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午後6時すぎから3時間ほど停電した。 大地震による電力不足を理由に、電力会社が供給を止めたのである。輪番、と称して各地域を順次、停電させていくという。 やむなく闇のなかで酒を呑んでいたのだが、ベランダから光が射していることに気付いた。月光であった。本が読めるのでは(試したがさすがに読めず)と思うほどの明るさである。昼間の強風で大気が澄んだせいもあるのだろう。さっそくベランダのそばに席を移し、月見酒としゃれこむ。呑みながら、ある作家を思い出していた。 松下竜一。2004年6月17日未明に肺出血で死去。享年67歳。 豊前火力発電所の建設差し止めを求めた闘いのなかでかれは『暗闇の思想』を掲げた。朝日新聞社から同題の著書が刊行されている。だが、手元にないため、その続編ともいえる『明神の小さな海岸にて』(1985年社会思想社 教養文庫)から、引用する。(173頁~174頁) 『私たちが豊前火力阻止闘争の中で訴え続けてきた<暗闇の思想>は、そのいささか大げさな意匠をとり払えば、要するに限りなく貪欲な物質文化の抑制を説いているに過ぎない。このまま発電所増設を認め続けるならば、物質生産は限りなく、それは必然として資源を喰いつぶし自然環境を浄化不能なまでに破壊し人間性を脆弱にし、ついには自滅への道をころがっていくだろうことは眼にみえている ここらで踏みとどまって、発電所のこれ以上の新増設を停止し、今ある電力で可能な程度の生活を築こうと、私たちは主張し続けてきた。否、今ある電力をもっと抑制しても可能な生活に戻ろう、といい続けてきたのだ。誘惑されやすい私たちの欲望につけこんで次々と買い込まされてきた製品をそのような眼で点検するとき、多くの物は家庭から追放されることになろう。 ーーー そのことにより物質的繁栄から後退していくとも、やっとそのとき私たちは<非人間化されたもの>を取り返せるのであり、私たちを<疎外したもの>を問いつめうるのだと考える・・』(引用ここまで) 精確である。 だが、<我が家だけの安泰>をもとめて買いだめに狂奔する人たちや、不急のガソリンを求めて大渋滞をひきおこす人たちなど見ていると、この国ではムツカシイだろうな、と思う。わたしにしたところで、たとえば夏の盛りにエアコンを使わずにすますのは無理だろう。 ただ、いざとなれば暗闇を選びとる覚悟だけはもっていたい。いざとなれば。そう。たとえば電力会社が、原発をとるのか、輪番停電か、と居直るとき、わたしは暗闇を選びたいと思うのである。 いま、松下竜一が読まれるべきだろう。 以下は主要(とわたしが考え、未読も含んだ)著書の一覧である。『豆腐屋の四季』(講談社 1969)『風成の女たち』(朝日新聞社 1972)『5000匹のホタル』(理論社 1972)『暗闇の思想を』(朝日新聞社 1974)『檜の山のうたびと』(筑摩書房 1974)『明神の小さな海岸にて』(朝日新聞社 1975)『環境権ってなんだ』(ダイヤモンド社 1975)『五分の虫 一寸の魂』(筑摩書房 1977)『砦に拠る』(筑摩書房 1978)『あしたの海』(理論社 1979)『豊前環境権裁判』(日本評論社 1980)『海を守るたたかい』(筑摩書房 1981)『いのちきしてます』(三一書房 1981)『ルイズ 父に貰いし名は』(講談社 1983)『小さな手の哀しみ』(径書房 1985)『狼煙を見よ』(河出書房新社 1987)『母よ 生きるべし』(講談社 1990)『底ぬけビンボー暮らし』(筑摩書房 1996)『本日もビンボーなり』(筑摩書房 1998) 他 多数。
2011.03.22
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薄紅葉常盤御前に墓三つ
2006.10.14
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【鹿】の兼題を終える。 時といふ緊密よ鹿激突す 茫茫 時がくれば、牡鹿は雌を獲得するために闘う。人に喜怒哀楽があり、その発端は偶然のようにみえる。けれどもじっさいには、すべてのできごとには「その時」という必然が用意されているのではあんめえか。時というのはたいしたもんだべなァと考えていたら、ふっと一句が成った。 最初はつまらん観念句だと思ったが、なんども口にのせるうち、コレはひょっとしたら名句ではアルマイカ、と思えてきたから不思議である。というか、たいした親ば鹿ぶりである。 こんなことやりながら、これであと仕事と税金さえなけりゃこの世も捨てたものではないのだがね。 これからが丸儲けぞよ娑婆遊び 一茶
2006.10.12
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ちかごろ5,7,5をひねるのに余念がない。これには休日がとれぬせいもある。わたしは一週間後の同時刻に自分がなにをやっているか想像できる。つまり、いまと同じことをやっているのである。これでは散文を書くのはむつかしい。だが17文字ならなんとかなるような気がする。子規も病臥にあって作句したではないか(オイ)。 それにうまくすると「俳人」などと呼ばれてモテたりするかもしれんのである。 八月、インターネット上に「PC俳句」なる集団をさがしだし、入会した。三年間で1000円という会費を徴収するという。一ヶ月あたり28円。なんとかモトをとりたいと思う。 自由句3句、兼題4句が毎月の稽古である。自由句については、公開された全句のなかから各自5句を選句し、締切まえにメール投票する。大量得票する句があり、零票という句もとうぜんでてくる。ただし、だれにも選ばれなかった句が駄句とは限らない。逆もまたおなじである。選を終えて行われる会員相互の句の鑑賞、また自句自解を読んで、とりそこねた句の多さに臍をかんだりする。だがそこがおもしろいし、勉強にもなるのだな。 兼題句は題の提出者(おおむねベテラン)が上位句を選出する。 九月、わたしは自由句部門に最初の投句をした。一句がかろうじて選を集めて面目をほどこす(なんの面目かね)。今月は自由句とともに兼題にも挑戦する。十月の兼題は【落鮎】【鴫(しぎ)】【鹿】【草の花】の四題。近年にないムツカシイ兼題という噂である。 【落鮎】 落鮎や信濃に古ぶ里言葉 【鴫】 磯鴫の佐渡へと歩む駆け戻る の二句をひりだし、すでに投句をすませた。【草の花】もなんとかなるだろう。問題は【鹿】だな。鹿はおおむかし、奈良で眼にしたことがある。人間にお辞儀しては煎餅をせしめていたな。 古の某歌人が 奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき とうたった。かれの居住地は奈良ではなかったのだろう。もっともわたしなぞは実際に鹿が鳴くことを、歳時記を繰ってはじめて知ったのだが。 【鹿】 鹿斃るおんながまた綺麗になる どうせダメならこんな前衛もどきを投句してみようかしらんと考えたりする。あなたなら選句します?これ。 俳句関係のある本に、以下のごとき鑑賞があった。 『古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉 この「蛙」はじつは遊女の名前なのである。したがって一句は入水自殺の句 なのだ。そこを勘違いしている人が多いようである…。』 どうです。俳句をやってみませんか、アナタも。
2006.10.05
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曼珠沙華女人に秘密多かりき
2006.09.30
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秋の蝉落ちひと掃きに掃かれけり
2006.09.27
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秋風や街には知らぬ人ばかり
2006.09.15
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今日9月13日は義姉の一周忌 息をひきとった時刻に黙祷、すこしだけ泣く。 昨夜、近所の家が燃えた。 今朝、地震があった。 午後、店の停電。 風邪でもないのにわたしの扁桃腺は腫れあがり、固形物をとれないのはまだしも、酒が呑めぬ。 ふふ。 荒ぶっておられる。 …それにしたっちゃアンタ、酒くらい呑ませてくれてもよかろうがね。
2006.09.13
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地に昏き眼(まなこ)のありていわし雲 30年来、開高健を読んできた。 その間、写真でしか知らぬ開高を夢に見たこともある。 先夜、ひょんなことから、新宿で開高の色紙を入手した。 クラクラした。 そのことを書こうと思いながら一週間が過ぎた。 一週間が過ぎてみると書く気が失せていた。 ある、ということ。 それだけでいい。 ちなみに色紙にはこう書かれて、ある。 明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える 開高健
2006.09.10
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月 日 残暑。例によってひさしぶりの休日である。省くわけにもいかぬ諸方への支払い。郵便局員の対応が「民間」なみ也。帰り際『またオネガイシマス』だと。驚いた。その他雑用を済まして午後帰宅。シャワー。 大音響でモーツァルトを流しつつビール。駅ビル地下で入手した豆腐から揚げ、鮪赤身。呑むほどに人恋しくなる。酔って普段の如し。午後6時前。Sはまだ仕事だろう。さて。と…。 涼風ぬける新宿ゴールデン街。「M」で呑むコンタン。K氏に案内されていちど顔を出したきりになっていた。きょう顔をだしておかないと次はいつになるかワカラヌ。などと。呑む理由ならいくらでもデッチあげるのである。番小屋にいる悪相の公営暴力団員(交番の警官、ともいう)に5番街の場所を訊いたりなどしてようやく「M」にたどりついた。店を開けたところらしい。 新涼や開けてすぐ来る馴染客 久闊を叙し、「二階堂」。茗荷に小ねぎの奴。1年半ぶりにお会いするマダムK子氏。あいかわらず洒脱なお人柄で魅力的なご婦人也。おもいだして、持参したちあきなおみのCDをかけていただく。おもったとおりこの店にちあき嬢はよく似合う。しみじみした話など。K氏に電話。ちかごろK氏には急な連絡ばかりである。が、なに、酔ったが勝ち、と。K氏来。やがて常連さんたちもそろいはじめる。 酔。K氏の煙草を頂戴して喫う。煙草は30年ぶりくらいか。くらくらする。 ママに似た客ばかりいて野分かな 二百十日猫背で呑んでる病みあがり(未完)
2006.09.03
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背なの子のふれてはゆるる秋桜
2006.08.27
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店を3週間ちかく休まない。31日になればアルバイト氏が来てくれることになっているのだが。 昨夜は店の帰りにタクシーの運転手と口論になった。どちらも運転しながらの怒鳴りあいである。一車線の道を右折するために、わたしのバイクがタクシーを右側から追い越したことが原因だった。業腹ではあったが、久しぶりに大声をだしたから、やや、気分が晴れた。その点、タクシー氏にもうしわけないような気もする。じつはかれの側もそうだったのかもしれないが。 人間は休まずにいると愚かになります、と言った人がある。至言だろう。ちかごろ、わたしはバカである。正確を期して言えば、いっそうバカになっている。バカ中枢を乗馬靴の金具で蹴られているのだな。 ものごとを針小棒大に考える。あるいは棒を針であるかのごとく扱い、あとで慌てたりする。ヒトというものは存外にちいさなことを密かな拠りどころとして生きているものだが、わたしは目先にとらわれ、それが見えないのである。視野狭窄。まあ、やはり疲れているのだろう。リポビタンDは一時的に疲労感を軽減するが、バカは解消できないようだ。 先日、テレビで久しぶりに寅さんをみかけた。例の、葛飾柴又にときどき住んでた人。そのときに気づいたのだけれども、寅さんのいわゆるドタバタシーンにはチャップリンの影響があるな。 『よっ!労働者諸君!あいかわらずバカか?』 …どうしてるのかね、カレ。
2006.08.24
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開高健がどこかに書いていたと思うのだが、ダイヤモンドを砕く方法である。それぞれのダイヤには「眼」ともいうべき一点があるという。そこに衝撃を与えれば、いかなダイヤモンドも玄武岩のごとく砕ける。 こぶし大の原石をおもむろにとりあげた名人はこれを掌にころがしながら、凝視する。動きがとまる。原石をテーブルにそっと置く。ポンチの先端を原石のある一点にあてた名人は、やにわにトンカチをふりおろすのである。 クロスワードパズルにも似たところがある。どうしても解けなかった欄を埋めたとたん、すべての空白が満たされてしまうというような、一語…。 昨夜、そのような体験をした。もやもやしていたものが、あることばを眼にしたとき、瞬時にはっきりしたのである。互いに関わっているはずだのにバラバラであった事象がひとつになった。断片はようやく全体を構成したのである。 そうしてわたしはどうなったか。砕かれたのだ。大気がしぼんだ。雲は痩せた。どうやら秋がくるのである。 知らないほうが幸福なこともある。しばしば、ある。なまじ知ってしまったがために覚える哀しみを「知恵の哀しみ」というのである。 モヤモヤした書きようで申し訳ない。わたしはまだ、これを砕く「眼」を発見できずにいる。 だが、わたしの手中に残されたものの輪郭ははっきりとみえている。であれば、砕けずとも、あの深遠な無である青空に放り上げて背を向けることもできようというものだ。いずれ。 秋風や模様のちがふ皿二つ 原 石鼎(せきてい) 暑気に炙られ、エアコンに嬲られて体はたいてい憮然としているはずなのに、痩せないのはどうしたわけか。さらに憂きことのみぞ多かりしというのに。 ふむ。ま、よろしかろ。わたしは立っている。わたしは案山子である。もとより藁束なのである。
2006.08.22
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雹うって眼(まなこ)の近き駅舎かな 炎天の大駐車場コピーさる 忽ちに低きへ流る夕立かな 絵日記の父の似顔や夏果てぬ パソコンはあいかわらず不調。この機械が売り出されてどれほどの年月がたつのか知らないが、依然、玩具の域をでていない。煙草には危険表示ともいうべきものが印刷されるようになった。パソコンにも適用すべきであろう。「この玩具は数年で必ず壊れます。そのことをあらかじめ覚悟しておけば、あんたの健康にさほどの害は与えないでしょう…」。
2006.08.17
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昼顔や隣の町は海の町
2006.08.07
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『米牛肉輸入再開、国の説明会に批判続々』どうもやつらの考えることはよくわからんね。だってハワイの住民が俺たちのつくった牛肉を拒否するなんてことはないぜ。 ―米畜産農家『日本の父が子供と一緒の時間は3,1時間で6カ国中5番目』うちは30分。これでも長すぎるんだけど、幼稚園の送り迎えにはどうしても30分かかるの。 ―母
2006.08.02
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組合活動をやっていた時期がある。御用組合である第一組合に比較すればその一割ほどの組合員しかいなかったが、そのぶん、関係の密度は濃かったように思う。そのことの良し悪しはまた別の問題であるのだけれども。 ある日、定例の会合がもたれ、まず各人の自己紹介からはじめた。数名の新しいメンバーがいたのである。活動を始めて一年ほどのある若い組合員は、つぎのように自分を紹介した。―○○です。まだ未熟者ですが、わたしは組合に入ってから変わりました。たしかに変わったんです わたしはかれに言った。―ふん。そういえばすこし身長が伸びたか? ちかごろ、わたしも変わったようだ。体重が増加したというようなことではない。まあ、増加しましたがね。 先日、パソコンが、こんどこそ完全に壊れた。電源をいれることができなくなったのである。データ、ソフト、すべてが使えなくなり、わたしのデスクトップパソコンはただの箱よりも始末に困る物体となりはてた。ただの箱であればものをいれることくらいできるのである。以前のわたしならこのようなときには金槌をさがしただろう。パソコンを破壊するために。だがいまは、壊れたか、ああそうか、というくらいのものだ(ちなみにこのテキストは、カシオペアという10年ほど前のCE機で書いている。さすがに使いにくい)。 重いカメラをすべて手放した。いまつかっているのはズームレンズをつけた入門用AFカメラ。ボディ重量は300グラムほどでしかない。それにMF機一台である。こうなってみればこれで十分であることに気づく。 これまでもときどき5,7,5をひりだしていたのだが、おおむこうを唸らせようという意識があってモノにならなかった。だがちかごろ、ようやく対象に自然体でむかえるようになってきた気がする。自分でそう思い込んでいるだけだけであるにしても。 肩の力がぬけてきたようだ。どうしたというのだろう、わたしは。 ううむ。もしや片足を一畳に満たぬ桶に突っ込んだか。それでもかまわないようなものだけれども。フム。それにしたって…
2006.07.21
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野仏のちいさき里や旱梅雨
2006.07.06
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生きてあればひとりで植ゆるひとりの田
2006.06.28
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ふとん 炬燵 畳 寝袋 草っ原 風呂 折りたたみ椅子 ビニールチェア ダンボール ブルーシート トラックの荷台 海辺 …おおむね、うえのようなところで眠ってきた。さまざまな夢をみた。街角に新聞紙をひろげて横たわったことはまだ、ない。男はどんな夢をみているのだろうか。
2006.06.18
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ある方に、これまで食べてうまかったのは、と訊ねられた。 雨は眠気のみならず食欲もさそうのである。むかし、まるごとかじっていた魚肉ソーセージ福岡脇田海岸にあった蒲鉾店の薩摩揚北九州小倉競輪場ちかくにあるラーメン店のとんこつラーメン八幡製鉄独身寮売店のドーナツ八幡中央町ではじめて食べたサーロイン・ステーキ京都駅ちかくのレストランで食べたチキン・ソテー京都南区のニンニク餃子住み込みで働いていた店(京都)の家庭料理すべて、ことに三枚肉水炊き、湯豆腐大阪阪急東通り商店街で食べた天麩羅ウドン大阪梅田「多幸梅」の牡蠣フライ兵庫西宮、武庫川畔にあった居酒屋のどて焼き(牛スジの味噌煮込)大阪難波「たこ梅」の関東煮下関唐津の居酒屋で食べた牡蠣鍋東京新宿「桂花」のターロー麺長野「幸楽苑」のワンタン麺東京阿佐ヶ谷「だいこん屋」の煮豆腐遊びにいくたび義姉がつくってくれた鯖立田揚 思いつくままにあげてみた。書き落としているものがあるだろう。廃業その他の理由から、ふたたび食すことができないものもある。いずれにしても「蟹は甲羅に似せて、」とつぶやきたくなるな。…魚肉ソーセージ、ね。それにしても。
2006.06.09
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古い写真がでてきた。これまで6台のオートバイを乗り継いできたのだが、最初に乗ったバイクが写真のブロスである。 ある年の夏、わたしは会社を辞め、二輪免許を取得した。近所のバイク店のオヤジはわたしにホンダ・ブロスを勧めた。―狭角ツィンエンジン。理論上は振動がゼロになるように設計されてる。だからライダーへの負担がすくない。遠乗りにむいてるってわけだ。それに…速いよ、こいつは。俗受けしないバイクだがね そのブロスは店の隅で埃をかぶっていた。わたしはブロスをひきとり、丁寧に磨き上げた。翌朝、日の出前にエンジンに火を入れ、街を出た。目的地は四国、高知県。わたしはそこで農民になるつもりだったのである。
2006.06.01
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夢をみているのであるなつかしい夢を
2006.05.26
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午睡の夢は破られた。不規則な波動が水中に満ちて、眠っていた女の神経をそよがせたのである。半身を起した女の耳に、くぐもった声が聞えた。地上でヒトが泣いているらしい。女は顔をしかめた。―またか みまわすと、はたして5メートルほどさきの湖底に、鉄片を泥に突っ込んだ斧があった。その柄が水蛇のように揺れている。湖畔の樫木を伐っていた樵が手を滑らせたのである。 ほうっておくわけにはいかなかった。そうしたら湖に飛び込んできた樵がいたのだ。女はのろのろと寝台を離れ、斧を引き抜いた。黄金の斧も持った。黄金でこしらえた斧を与えた樵が二度と森に現れないことを、女は経験で知っていたのである。二丁の斧を持って女は水上に出た。水辺に初老の男が座り込んでいた。とつぜんあらわれた女を、口をあけてみあげている。苔むしたようなその舌が、女には未知の生き物に見えた。―なにを嘆いておいでじゃ 声をかけられて男はわれにかえった。―斧、命より大切な斧を落しちまっただよ―それはこの斧かえ 女は黄金の斧をみせた。すると意外なことに、男は首を振るのである。―うんにゃ、そりゃおらの斧じゃねえ 女はちいさく舌打ちした。―じゃあ、これかい 鉄の斧をだすと男は狂喜した。―それだ!それですだよ!ああ、かみさま 斧を受け取った男は繰り返し頭をさげ、昼飯にもってきた握り飯を女におしつけて、なにやらうなづきながらひきあげるのである。男は明日からもここへ来る気に違いなかった。 女は握り飯を湖に投げ込んだ。無数の小魚で水面がひとしきりざわついた。 まったくのところ、素朴ってやつほど始末に困るものはないね。寝台にもどると、女はひとりごちた。 湖ではさまざまな事件がおこった。ときに身投げするヒトもある。女はこれを助けない。死体は黒いおたまじゃくしに変えた。そうすれば水が汚れることはないし、やがて蛙になって出ていくのである。 湖底の女がことさらに冷酷だったわけではない。女は、地上では自分が曲がった釘ほどにも役に立たないことを知っていたし、また、ヒトが水中に長くはとどまれないことも理解していたのである。諦念というものはしばしば、冷酷な外観を装うものだ。 湖のそばに、森を貫いてちいさな道があった。樵や、町への近道として森を抜けるヒトがつけた道である。月に一度、重い荷を背にしてこの道を往復する驢馬がいた。かれはいつも渇いていた。湖には水があることを知っていたが、立ち寄ることなど考えもしなかった。かれは自分を、足と尻尾のついた荷物のように思いなしていたのである。 わたしはいずれ倒れるだろう。そのときもヒトは、わたしが来ないとは考えず、荷物が届かないと首を傾げるに違いないのだ。だがそれでいい…。 ある日のこと。歩きながら、驢馬はいつになく自分を軽やかなものに感じた。翼をもつという天馬に、自分がなったように思えた。じつはその日はかれの背に荷物がなかっただけなのであったが。 湖がちかづいた。かれは渇きを意識した。 湖の水を飲んでみよう。わたしはところを得なかった天馬である。水を飲むのは権利というものだ。いや、義務ですらある。 かれは湖のほとりに立った。湖は深い藍色にしずんでいる。前脚をひろげてふんばり、湖面に顔をちかづけた。湖面に自分の顔が映った瞬間、かれはぎゃっとのけぞった。ついでに足をすべらせ、尻から湖に落ちた。ようやく岸に這い上がった驢馬の口からおたまじゃくしがとびだした。 女は湖底に眠っている。
2006.05.18
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ストアの花売り場を、とりどりの色彩にラッピングされた鉢植が飾りはじめて一週間になる。きょう14日が母の日だった。 朝のことである。 開店してすぐに、ひとりのおんなの子が花売り場に立った。小学2,3年生だろうか。短いスカートの下に小枝のような足がのびている。頬を赤くそめ、やがて思慮深げに鉢植を選びはじめた。ビーズを縫いこんだちいさながま口をにぎりしめている。 上段におかれた大きな鉢をみた。それは数千円の値がつけられているのである。中段、そして下の棚…。おんなの子はちいさくため息をついた。 花売り場のすぐ前がストアの入り口である。そこにもカーネションの鉢が並べられていた。どれも両掌にのるほどの大きさである。そのなかのひとつをかの女はえらびだした。短くカットされた赤いカーネションの周囲にマーガレットに似た白い花をあしらった鉢だった。なかに陶製の立て札がさしてある。札には『おかあさん いつもありがとう』と書かれているのである。おんなの子はしばらくみつめていたが、意を決して値札をみた。その顔が輝いた。 レジをさがすかの女に、わたしは声をかけた。―あそこのサービスコーナーできれいに包んでくれるからね かの女はちいさくうなずいて、カーネーションをそっと胸にかかえた。 母に贈りものをするために、あの子はどれくらいのあいだお小遣いをため続けたのだろう。そう考えて胸がつまった。 芥川龍之介に『蜜柑』という短編がある。 龍之介は帰京の汽車で、あかぎれに手を腫らした少女と相席になる。汽車があるトンネルにはいってまもなく、少女がいきなり窓をあげた。車内に煙が満ち、龍之介は不快をかくさない。トンネルを出てまもないところに踏切があった。そこに幾人かの(3人だったか)おとこの子が立っていた。どの子も灰色の空に射竦められたようにちいさい。汽車が近づくとかれらはいっせいに手をふり、声にならない歓声をあげた。そのとき、少女がやにわに窓から上半身をのりだしたのである。そして両の手で、空へなにかを投げた。蜜柑であった。刹那、龍之介はいっさいを了解する。都会へ奉公に出る姉をはるばると見送りにきた弟たちの労に報いるために、少女は蜜柑を与えたのだった。 原点ということばは好きじゃないけれども、ここが原点なのだ。なにもむつかしいことはない。究竟、社会や政治というのは、上のようなこどもたちを幸福にするために、そのためにのみ存在するのである。
2006.05.14
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女性のジーンズが細くなっているのではないか。以前に、下半身をかくすための土管という趣のデニムが流行したことがあった。いまのジーンズは体の線をむしろ強調するようにつくられている。だからわたしなどは目のやり場に迷うことがない(オイ)。ただちょっといまいましいのは、かの女らの足の長さである。ジーンズの女性と並ぶと、その足の付け根がわたしの臍のあたりにくるような気がする。そのころテキの臍はわたしの肩の附近にあって、しきりに茶を沸かしているのにちがいない。しゃくだから、3歩さがって影もふまない。 おもえば、畳に正座して飯を食ってきたのだ、われわれは。学校でよく受けた罰も廊下での正座だった。あれもこれも、成長期に足まで栄養がまわらなかった原因となったのである。もうとりかえしがつかない。バスは出たあとだ。くやしいね。 年若の友人に中学の卒業アルバムをみせたことがある。―どの人が好きだったんですか 頁を繰って指し示した。10人ほど。―へえ、茫茫さんは外見にはこだわらない人なんですね ……。 かの女らは当時の我が校のベストテンだった。 では、足のみならず、頭部、ことに鼻とか目のあたりにも栄養が行き届いてなかったのであるか。 話はそれるが、この友人の美の基準もじつはすこしヘンなのだな。たとえば、浜崎あゆみなんて女性を綺麗だという。美人かね、あのひと。おぞましいとまでは言わぬけれども(浜崎さんゴメンナサイ)。 小学校は給食がでたが、中学にはいると弁当持参になる。いまもそうなのだろうか。 わたしの弁当はご飯に開きの鰯が一枚という組み合わせが多かった。これを蓋でかくしながら大急ぎで食べる。級友の、赤いウィンナーに玉子焼き、とりどりの野菜という弁当がうらやましくてしかたがなかった。 向田邦子に、小学校の遠足先で弁当を開いたとたんに泣きだした女の子を書いた一文がある。見るとその弁当にはご飯のほかに魚肉ソーセージが丸ごと1本、ごろりとはいっているきりだった、というような話だったと思う。この子の気持ちがいたいほどわかった。それにしてもひどい親がいたもんだが。 むかし、兄の中学の体育祭に弁当を届けたことがあった。わたしのと二人分である。体操着の兄は運動場の隅にわたしを連れて行き、おかずを点検した。折には、赤いウィンナーに玉子焼き、ほうれん草のおひたし、千切りキャベツ、白菜の漬物、それに甘い金時豆まで詰められていた。 兄は―おれはおかずだけでいい。飯はおまえにやるからどこかで食え と、二人分のおかずを持って走り去るのである。兄というより鬼だな。もっとも、ふだんのかれは、おかずは一品のみという弁当を隠れるように食べていたに違いない。後年のわたしのように。 ご飯の折り詰めをかかえてわたしは途方にくれた。空腹だったが、ご飯だけを食べる気にはなれない。けっきょく、どぶ川に捨てたのだが、これをおとなが見咎めた。―米を粗末にすると罰があたるぞ とわたしをにらむのである。これにどう答えたか記憶にない。いまのわたしならそうするように―よけいなお世話というものだ。なにも知らないくせに今朝の日めくりから拾ってきたような科白をはくもんじゃないぜ、きみ と鼻を鳴らしてみせたとも思えないのだが。 その気になれば、いまはたいていのものを口にできる。あのころの敵討ちのように食べる。だが、わたしにとっての最大のごちそうは、むかし運動場の隅でちらりと目にしただけでついに口にできなかった、あのおかずだったような気がする。食い物の恨みと栄養は尾を引くのである。
2006.05.10
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四月を青くなってすごした。やむを得ぬ事情から、ひと月を米櫃に一日分の米だけというありさまですごしたのである。貧乏も極まると赤色になるという。わたしのは赤とまではいかない。だが、鈍色くらいにはなっていたと思われる。 仕事場の背後を入間川が流れている。川にはカワセミが飛来する。カワセミは「体の上面は暗緑青色、背、腰は美しい空色で、空飛ぶ宝石とも称される」(広辞苑)鳥である。こぶし大の翡翠(ひすい)が川面をかすめるさまを、わたしもなんどか目にした。撮りたいと思う。だが四月のわたしは、撮るか、呑むかという状態だった。むろん呑むのであるが。 NHKに「クローズアップ現代」という番組がある。いま、中高年のあいだで楽器、とりわけ、ギターが流行っているらしい。還暦をすぎてなお歌い続ける吉田拓郎が40年の時を経て、ふたたびかれらのスターになっていた。流行は繰り返すのである。 60年代に学生運動の闘士であった男は、『イメージの詩』の 闘い続けるひとのこころを誰もがわかってたら 闘い続けるひとのこころはあんなには燃えないだろう という箇所にひかれるという。 わたしは闘わなかった。だから、わたしが好んだ拓郎の歌はたとえば『蒼い夏』である。 蒼い夏がすぎてゆく きみは夏蜜柑むきながら はやくこどもがほしいなって わざと言って ためいき ひとつ 夏蜜柑は初夏の季語だが、陰暦で初夏といえば四月をさすのである。 昨日29日はみどりの日だった。この日から世間は黄金色の週にはいり、なかには9連休なんてトコもあるらしい。ク○でも食したまえ。 それでも五月になれば、わたしの頬にもすこしは赤味がさすことだろう。
2006.04.30
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山村の棚田のわきの地蔵さま
2006.04.24
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月 日 休日。10時起床、熱いコーヒー。以前はドリップ式だったが、インスタントも慣れればわるくない。立ち食いソバみたいなもんだ。 午前のうちに、所用をかたづける。月に2度の休日では朝から出るわけにもいかない。 昼より呑む。缶ビール(500ml)を3本空けたあたりで人こいしくなり、K氏に電話。K氏は在京の先輩で、忙しい方でもあり、本来、いきなり呼びつけるなどということをしてはならぬ人だ。それをあろうことか、食糧の買出までついでにお願いする。 K氏、食糧とともに来。冷で「秩父 辛口」。その後、スナック『R』。このときわたしは毒喰らわば皿まで、という心境になっている。わたしバーボン、K氏は…失念。Rのご主人はもと日大全共闘の闘士である。やはり闘争経験があるらしいK氏に紹介したいと思っていた。過去の、いわば負債にどうオトシマエをつけたのか、つけなかったのか。おふたりの話をうかがいたかったが酩酊、Rでの記憶なし。なにやってんだか。 翌日はさすがに呑めず。K氏にお礼とお詫びのメール。 月 日 平岡正明評論集『地獄系24』(70年 芳賀書店)。このとき平岡30歳。元気である。 「陵辱が、根源的な、かつ形而上学的な悪業であるのは、暴力をもって女をてごめにし、処女や貞操をうばい、家族制度に攻撃を加えるからではない。暴力をもって欲望をときはなち、自己を解放するからである。権力にとって、権力の許可をえずに自己を解放する自由ほど憎らしいものはない」 (陵辱にかんするテーゼ) 以前、お○○○の四文字に代表される放送禁止用語は天皇制に直結していると書いたのは、わたしだ。 「なんのために学校に入ってきたのかって?きまっているではないか。大学とは学生運動をやるために存在するのだ」 「現在の大学制度は理想的である。…数千ないし数万の闘士をうむ工場がほかにあるかね」 (新入生のための紙上教養講座) あはは。 59年から60年にかけて、三井三池炭鉱で労働者とともに人員整理反対闘争を闘った谷川雁は、後にテックという会社の重役におさまった。やがてテックに組合ができ、谷川が会社側の交渉担当役員となる。その喜劇性もさることながら、当時の組合書記長が平岡だったとは知らなんだ。さぞ迫力のある団体交渉が展開されたろう。 スト権確立後、廊下での「私的」会話。 「処女がこのへんで一発やりたいというわけかね」と会社側。 「おお、そのとおり!大股をひらいてみせるぞ」と組合側。 「処女を相手じゃこちらはやりごこちはよくないだろうよ」 「フン、せいぜいよくしまってみせる。ついでにドッと出血してやらあ」 (殺人論) かつてのわが組合を想起し、うなだれたね。比較すると、ごっこ、だなありゃ。 「雁さん、あなたは惜しかったな!」(原点は快傑とともに) この強烈な批評(批判にあらず)。自負。 夢野久作、国枝史郎を読むこと。そしてフランツ・ファノン。7年ほど前に叩き売ってしまったあのファノンをもういちどだ。 …合間には仕事もせにゃな、キミ。 月 日 けさのネットに藤原新也が銭湯について書いていた。銭湯ということばとそのイメージをひさしぶりにおもいだす。電話帳で調べてみると、わが市に銭湯は2軒しかないのである。 藤原新也はマンションのちいさな浴槽がイヤで銭湯にいくという。かれの実家は旅館を営んでいた。だが、わたしは狭い風呂がそれほど苦にならない。体温にちかいぬるま湯にひざをかかえてひたっていると、なにやら妙に懐かしいのである。早桶で土葬された死体になったような気も、ときにしないではないけれども。
2006.04.20
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画像連結ソフト「パノラマくん」を使ってみました。 2枚の組み写真というところでしょうか。題して『不安』 。胸騒ぎ、しませんか。春闌けて。
2006.04.18
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かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、まつしぐらに竹が生え、凍れる節節りんりんと、青空のもとに竹が生え、 荻原朔太郎『月に吠える』から「竹」抄
2006.04.12
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金沢・兼六園。夏。庭園より人。
2006.04.07
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<万愚報> 『経団連の奥田会長は1日、経団連本部でひらかれた記者会見で、自分がマルキストであることを正式に表明した。奥田会長によれば、トヨタ自動車のトップにたち経団連会長に就任したのは、経団連加盟の大企業を利用して資本主義体制の矛盾をすみやかかつ鋭角的に顕在化させることで、日本人民の社会主義革命の気運を高めるためだったという。 そのために政界をだきこんで現在のような人間使い捨てのムチャクチャな体制をつくりあげたのか、という記者団の質問に「もちろんです」と胸を張って答えたあと、「夜明けはちかい!万国の労働者よ、団結せよ!」と結んだ。今後の政財界の対応が注目される。』 『首相などと称して米のイラク侵略を支え、長期にわたって日本の市民を愚弄する政策を実施してきた小泉純一郎容疑者が1日、詐欺などの容疑で警視庁特捜部に逮捕された。特捜部の調べによると、小泉容疑者は実は米国籍の日系人(本名ジョニー)で、米のある筋からの指令で日本経済の破綻、日本市民に米の衛兵としての役割を担わせるための憲法改正などを目的とする任務にあたっていたという。ただ、小泉容疑者は重度の誇大妄想にかかっているだけのもと炭焼き職人にすぎないという情報もあり、特捜部は両面から捜査していく考えだ。いずれにせよ、野党から自民・公明両党の責任追及の声があがるのは必至だろう。』 『朱鷺に待望のあかちゃん誕生 人が近寄らず安全という理由で新潟県佐渡島から福井県の敦賀原子力発電所構内に移され飼育されていた朱鷺の「キン」に1日、待望のあかちゃんが生まれた。あかちゃんは放射能をはくなどして元気だという。女のこだったことから「ジョセイキン」と名づけられ、はやくも地元住民の話題になっている。』 丸の内界隈四月馬鹿の日や ―村山古郷
2006.04.01
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駝鳥をうたった詩がある。日本の動物園でなんだって駝鳥なんぞを飼うのだ、羽根も抜け薄汚れた、これは一個の襤褸じゃないかというような内容だったと思う。 田島の使っている英和辞書は、いわばこの駝鳥のごときありさまだった。表紙は色あせ、反りかえり、索引があるはずの箇所は黒ずんでアルファベットを判読できない。そうしてどの頁も、端が三日月の形にすりきれているのだった。その辞書は、身なりをかまわぬ田島の、体の一部とさえみえなくもなかったのである。 田島の学力は英語において群を抜いた。それはときに教員をたじろかせるほどだった。 わたしは古武士を髣髴させるかれの辞書の前に恥じて、いつまでも白いままのわが辞書の頁を、ひそかに土くれで汚したものだ。 「辞書をひく母の姿はうつくしい」と向田邦子は書いた。この辞書は大言海などではあるまい。開けばちょうど両の掌におさまるほどの寸法。どの頁もセピア色に褪せている。夫は仕事に出、子も学校へ行った。白い割烹着に姉さんかぶり(古いねえ)で掃除をしていた母が、ふと棚の国語辞書に気づく。かの女には調べたいことばがあったのだった。辞書を手に取り、立ったまま一心にことばをさがす。そのまなざし。これが、向田の小説『あ うん』の民子であれば、目撃した門倉が「雷に打たれたように立ちつくし」、―いいなア。いい。 とつぶやくところだろう。 そういえば読書するご婦人を描いた絵もあった。こちらは黒田清輝だったか。黒田も書を読む女性のうつくしさに気づいていたのに違いない。そのてん、男が本を読んでる図なんてのはつまらんね。契約書とか就業規則に目を通しているときとおなじ顔で読んでるからね、男は。 さて、辞書を購入した。これは電子辞書である。はがき大、重量240グラムの機械に、広辞苑をはじめ6冊の辞書の総項目が収められている。これを手元におき、本を読む。調べたいことばがでてきたらすかさずそれをキーでうちこむのである。するとその謂いがたちどころに液晶画面に表示されるから驚くじゃないか。これまでは意味のとれぬ単語があれば読書を中断し、重い(いま量ってみたら広辞苑なんて3キロ超ですぜ)辞書をとりだしていちいち調べるしかなかった。その手続きが面倒で、前後から意味のおおよその見当をつけそのまま読みすすむことが多かったのである。だが、もう安心だ。英単語まで含めれば無慮50万語におよぶことばが240グラムの中に収められており、しかもこれを瞬時に呼び出せるのだから。 仕事場の裏にある河川敷へ出た。ここは公園になっている。ベンチに腰をおろし、電子辞書を開く。春風のなか、単語から単語へとうつって倦まないのである。 ふと気がつくと、男の子がふたり、目の前に立っていた。小学2,3年生だろうか。辞書が気になるようだ。画面をみせてやると―なんだ、字ばっかり と、行ってしまった。 どうも、ゲーム機と間違えたらしいな。 機械の辞書にスイッチをいれ、キーでことばを打ち込む母の姿を見て、向田邦子はやはり、うつくしい、と言っただろうか。すくなくとも、これを描こうという画家はとうぶん現れないことだけは確かだろう。 古代エジプトで、それまで使われていた粘土板がパピルスという紙にとってかわられたようとしたとき、少なからぬエジプト人が、文字を残すのは粘土板に限ると主張したに違いない。紙だと?ふん、いかにも軽すぎるテ…。 だからこのさきどうなるかはわからない。
2006.03.28
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「共謀罪」、「国民投票法案」「個人情報保護法」…おとこニッポンどこへゆく菊の代紋せなにしょい
2006.03.25
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時がふととまる次の瞬間、3人はすれちがいそれぞれの方向へ歩き去るだろう
2006.03.18
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風花の舞った13日、向田邦子脚本のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』をみる。第1話と最終話が再放映されたのである。演出を担当した久世光彦が亡くなり、その追悼ということで実現したらしい。おかげさまで、といえば故人には申し訳ないのだが、ひさしぶりに寺内一家と再会した。ほぼ30年ぶりということになる。 向田邦子の父君がモデルらしい石屋の貫太郎は頑固一徹、明治の男もかくや、という人物である。嫁の里子はそんな貫太郎に振りまわされる毎日だが、どうやら貫太郎、里子の掌上に乗せられている感もある。長男周平は浪人中。長女静子は家業の事務をやっている(のだったと思うが)。もうひとり、樹木希林扮するばあさんがいる。このばあさん、部屋に沢田研二の巨大なポスターを飾り、これをながめては「ジュリー」と身悶えるような一面もあるのだが、なに、ただのばあさんではない。ドラマはこのばあさんを狂言回しとして進行していく。 長女静子は片足をひきずっている。4歳のときに、家にあった石材の下敷きになったのだ。頭に紙袋をかぶせられた猫が走り回っているような寺内一家だが、そこに静子の存在が一抹の影を落としている。貫太郎も里子も口にこそ出さないが、事故から20年たったいまでも、娘の足を不自由にさせてしまったことに負い目を感じているのだった。静子だけは「ちゃんとした」男と所帯をもって幸せになってほしいと願っている。 ある日、その静子が恋人を連れてくる。あろうことか男は離婚経験者で、子連れだった(第一話)…。 筋はむろんだが、動と静、明暗、あるいは剛柔の組み合わせが巧みで、1時間を飽きさせない(たとえば、石屋の貫太郎の弟である貫次郎の家業は豆腐屋である)。 貫太郎をやる小林亜星の演技はいかにも下手なのだが、むしろ下手なことで、寺内貫太郎の頑固で不器用な面をだすことに成功している。向田邦子がどこかに、貫太郎役は亜星さんしかいないと思ったと書いていたように思うが、いま見当たらない。いずれにせよ、CM音楽の世界ですでに大御所だったはずの小林をもってくるあたり、さすがにただものではない。小林は、ただ卓袱台をひっくりかえしてればイイんだから、と口説かれたそうである。 演出にあたった久世は、アドリブを積極的にいれるよう演者に注文をつけたという。役者ものびのびと即興で演じていたようだ。だがそれは、向田の台本が少々のことではゆるがないものであったからこそできたのだろう。この作品以後、向田脚本以外のドラマでも久世は出演者のアドリブを重用したが、しょうじきなところ、それらの大部分がわたしにはつまらなかった。 何話めだったか、左とん平扮するタメさん(石屋の従業員。本名は、榊原為之信だか為麻呂だったか、なにしろ重厚な名前だ)をメインにした話があった。 毎回オロカな言動で馬鹿をやっているタメさんだが、じつはかれは孤児なのだった。寺内一家は、そんなタメさんを家族同様に遇している。貫太郎は長男の周平をぶっとばすのと同じようにタメをはりたおすし、タメさんもそれを知ってて貫太郎にわざと喧嘩を売ることもある。 ある日、タメさんは仕事場で倒れる。風邪で高熱を発していたのだ。寺内家の一室に布団がしかれ、かれはここで数日を過ごすことになる。里子や静子、そしてばあさんら女たちの世話を受けながらタメさんは、オレはこんな形の家庭がほしかったのだなあ、としみじみ思うのだった。何日めかの朝、検温してみると、すでに平熱にもどっていることがわかる。あわてて体温計をパジャマでこするタメさん。そこに静子があらわれ、体温計をみる。―まだ熱があるわねえ。もうさがってもいいころなんだけど。あら、横になってなきゃダメよ、タメさん… わたしもタメさんとおなじような境遇だったから身につまされた。向田邦子はどうしておれたちの気持ちがわかるのだろうと不思議に思ったものだ。 両親はいたけれども、父のあいつぐ転勤のために、かの女は故郷とよべる場所をついにもてなかった。あるいはそのことが、人の、根源的ともいえる孤独を向田に教えたのかもしれない。 再放映を知ったときに録画を考えたのだが、けっきょく、よした。―わたしは書いたものをとっとかない。どんどん捨てちゃう。ドラマはいちどかぎりだからいいのよ 向田邦子のそんなことばを思い出したのである。
2006.03.14
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ことし1月、わが店の売上は最低を記録した。翌2月、この記録があっさりと更新される。3月にどうなるのか興味は尽きない。この件に関しては、小泉クンらの尽力に与かるところ大である。だがすべてを連中のせいにするのは政治屋の買いかぶりが過ぎるというもので、わたしにもいくぶんかは責任があるような気がする。ちなみに、わたしのふだんの働きぶりは以下のようである。 昼までの時間をある資料に目をとおすことに費やす。昨年の秋から続けているのだが、ちかごろ惰性に流されている感もある。初心にかえりたいものだ。ゆっくりと昼食を済ませたあと午後からは読みたい本を読む。いま読んでいるのは『東洋の美 こころとかたち』(長廣敏雄 67年美術出版社)。これが門外漢にはおもしろい。たとえば古代中国の焼物の見かたなど、読んではじめて知るのである。読書に疲れたらかるく体操をこなし、熱いコーヒーをいれる。するうちに日も暮れ、五勺庵(五合庵では畏れ多いからね)と名づけたわが庵にもどれば双脚を等閑に伸ばし、かつ呑みかつ詠ううちに深更におよぶ…そう捨てた人生でもないな、これなら。だが、そうはいかぬ。店にはときどき客がくる。ふしぎなもので、客というのは、もっとも来てほしくないときにやってくる。たとえば昼飯にでようとしたやさき。読書中なら筋が山場にさしかかっているときだ。わたしの表情は険しくなっているに違いない。その証拠に客がしばしば謝るからね。 わたしはついに勉強した記憶がないまま学校を卒業した男であるが、店もこうありたいね。仕事をした覚えもないのにレジには売上がちゃんと収まっている、というふうな。そうなるためには、いますこし修行が必要であるらしい。 小島が家を購入したとき、かれはまだ30代のなかばだった。わたしは同僚だったから、当時の小島の手取額がどれほどのものか、おおよその見当がつく。わたしの場合でいえば、月に一度、給料日に寿司屋で呑むのが唯一の贅沢だった。 小島はもともと酒は呑まない。家を買う決心をした日から肉も絶ち、米と根菜類だけで自炊した。根菜は日持ちするのだそうだ。交際も最小限にとどめた。そうやって5年後、小島は郊外に新築の一戸建てを買ったのである。「めんどうだから」支払いは現金一括払いだったという。 家一軒を呑む、といういいかたがある。家一軒とはいかぬまでも、納屋ひとつぶんくらいならわたしも呑んだろうか。 ある年の忘年会をおもいだす。そのころ小島はまだ、ジャガイモや牛蒡ばかりを食べていたはずである。わずかなビールで赤くなっている小島にみなが歌を強要した。マイクを突きつけられて小島は立ち上がり『柳ケ瀬ブルース』を歌いはじめる。かれはひどい音痴で、全員がそのことを知っているのだった。みなの嘲笑を受けながら、小島は真剣な表情で歌い続ける。 家を呑み潰す男もあれば、酒池を埋め肉林を後にして家を建てる男もある。もとより是非のつけようもないのだが、さいごにわらうのは小島のような人間だという気がする。
2006.03.03
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あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうがわたくしから見えるのはやっぱりきれいな青ぞらとすきとほった風ばかりです。 宮沢賢治 「眼にて云ふ」から
2006.02.27
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日向ぼこわたしのことはほっといて
2006.02.25
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むかし、ある女性に「茫茫さんは野獣じゃないのね」 と言われたことがある。迂闊なことにわたしはながいあいだ、これをほめことばだと解釈していた。 『麻雀放浪記』という映画を観ていると、加賀まりこ扮するママが、ロン!と手牌をたおすシーンがでてくる。このときの表情がじつにイイ。ふふ、高めよ、なんて。放銃者はともかくも、まりこ嬢に待たれていたロン牌は牌冥利につきただろう。 だがわたしは件の女性から、安全牌ね、と言われたのであるな。セーフ。ときめかぬ。草食獣だったのだ、わたしは。 確定申告というのは、自分に向けられるはずの剣の種類を自ら申告するようなもので、あまり愉快なものではない。はっきり言うと不快であるな。朝夕にバイクで市役所の前をとおる。そのたびに呪文をつぶやくようになった。確定申告の用紙が送りつけられて以来のことである。曰く―豪華ナ盗人宿ダベ あるいはたまに税務署の前を通過する。―年貢ノカタニトッタ娘、ケエスダヨ 先日、確定申告にでかけた。心外だがやむをえない。晋の賢人にならって深山に隠遁するというわけにもいかぬ。ただ、役所での自分の言葉遣いに、われながら驚いた。ひごろ唱える呪文の影響もあってのことに違いない。以下のごとくである。「そんなはずねえだろう」「なんだよ。出直せってのかよ」「あんたに言ったってわかんねえだろうがな」 どうです。吉永小百合を密かに慕う不良青年・赤木圭一郎みたいじゃないか。だが担当の職員は、わたしの物言いにすこしも驚いているふうがない。してみれば、わたしの駆使する言語は、わたしの外観に似つかわしいものだったのだろう。 どうということもないのだが、五十をいくつか超えてようやくわたしから月給とりのにおいが消えたらしい。そしていまや野生の気配を漂よわせるおとこになったというのならでかしたものだが。 バイクで駅前の銀行にでかける。駅からやや離れた場所にバイクを置いて歩いた。わたしの髪は肩まで垂れている。後頭部の髪に限るけれども。これを黒のバンダナで覆い、黒の革ジャンにズボンも黒というスタイル。黒づくめといえば様子がよさげだが、なに、有り体に言って小型のゴリラである。すれ違った若い会社員がわたしをみて道をあけた。ボウソウゾク、とその顔に書いてある。銀行にはいるとガードマンが緊張しているのがみてとれた。 ふうむ。…あるいはもしや、野獣というようなものではなく、ただのアブナイおじさんと化しつつあるのだろうか、わたしは。まあ、それでもいいのだけれども。
2006.02.22
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いつもまちがえているのである。つまり、どちらを選ぼうがということなのだが。
2006.02.17
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新宿アルタ前の交差点脇で妙な若者をみた。青い格子柄の上衣に黒ズボンという服装で、街灯にもたれかかっている。もたれかかっていると書いたが、そのつもりなのだろうとこちらで推量するだけで、実のところ、若者は高々とあげた左手で街灯に軽くふれているだけなのである。まあ、左手だけで万歳をしていると思えば間違いない。右の手はズボンのポケットにつっこんでいる。しばらくみていたが(わたしもヒマだね)、かれは交差点を渡ろうとはしない。その格好でただ立っている。やがて事情がのみこめた。つきあげられた左手の白い手首には、新品らしいオメガがはめられていたのである。 小学時代に、Kという生徒がペンシル型顕微鏡と称するものをクラスに持ちこんだ。漫画雑誌の懸賞に当選したらしい。ふだんはシャープペンシルのような顔をして胸ポケットに収まっているのだが、じつは先端に小さな凸レンズがはめこんである。対象物にそのレンズをちかづけ、頭からのぞきこむと、あたかも顕微鏡でみるかのごとくに対象が拡大されてみえる、というのである。ま、虫眼鏡、だな。だが当時はそんなふうに考えない。男子生徒たちがみせろとせがむのだが、Kは頑として拒否した。そして、ときおり取り出しては自分の指紋をのぞきこんで悦に入っていた。 放課後、Kがべそをかいている。例の顕微鏡がないという。担任のSが呼ばれた。このSという教員はふだんから、月謝を納めないわたしを目の敵にしていた。「だれかが盗んだな。徹底的に調べてやろうか」 そう言ってわたしをにらむのである。いやなヤツだね。職務に忠実な男だったのだろうが。 けっきょく、もういちどよくさがすこと、今後そうしたものを学校にもってこないこと、またその覚えのあるものは誰にもわからないように返しておくこと、という結論におちついたのだったが。 この事件でKに同情したものはほとんどいなかった。 いまで言えば藤原紀香というご婦人に似た女友達を持つ男がいた。学生時代のアルバイト仲間である。なまっちろいうりざね顔で、写楽描く役者絵のそれのような鼻梁の下に髭をたくわえ、薄い茶のかかった眼鏡をかけている。ぼんぼんだが、なにごとかがあって仕送りが途絶えているらしかった。『船徳』だね。 この男がかの女をみせびらかすのだな。かれに呼び出され、みなで指定の酒場へおしかけてみると、女が一緒なのである。女も女で、やつが便所を使ってるときに、カレにあまり呑まさないでネ、なんて真顔で言いやがる。だが美貌というのはたいしたもので、腹もたつがそれ以上にかの女と話せることが嬉しいのだな。紹介された者で、女に横恋慕しない男はなかったと思う。 そのうちに、かの女がうりざねを捨てて、その仲間の誰かに鞍替えしたという噂が流れた。ありうることのように思われた。このときにはわたしを疑う者はひとりとしてなかったようだ。…不徳の至りだね。 モノや恋人をみせびらかしているうちはまだかわいいのだけれども、そのうちに、とくに男は、抽象的な事物をひけらかしたくなるものらしい。曰く知識、地位名声、権力、エトセトラ…。 そのてん、ご婦人というのいいもんだ。近所にある酒場のママの自慢は、腕の肉である。―腕、かな、みせびらかしたいといえば。内側なんて六朝の白磁みたいですわよ。お風呂でお湯をはじくとこみてると嬉しくなっちゃう―みせてよ。へえ、ホントだ、すべすべだね。…あのさ、腕と脚の筋肉は同じ種類だって知ってた?骨格筋っていうんだけどね―あら、そうなの?こんど脚の内側もみてみようかな それから、すこし間を置いて―見せませんわよ と言った。けち。
2006.02.08
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わたしの店はたいていヒマなのだが、今年にはいってもかわらない。というよりだんだん拍車がかかってくるらしい。開店休業ということばがあるが、閉店休業の日もそうとおくないと思われる。ケセラ・セラである。すべては風とともに消え去るのだよ。 ヒマなので、エロ小説を書いた。題して『我がヰタ・セクスアリス』。わたしの性遍歴を虚実とりまぜて綴ったのである。ほぼ三日間で書き上げた。わたしの性体験の総量がその程度のものだった、というわけではけっして、ない。ある体験に焦点をしぼったのである。その体験とはどのようなものか。それは言えない。 書きおえた夜は眠れなかった。神経がかなり昂ぶっていたらしい。昂ぶっていたのは神経ばかりではなかったのも事実ですがね。 おこがましいが、小説家の多くは長生きしない理由がわかったように思った。 某夜。酒を呑みながらBSにチャンネルを合わせると、ちあきなおみが歌っている。うまいなあ、と思いながら聞き流していた。だが、『朝日のあたる家』をかの女が歌いはじめたとき、酒を呑む手がとまった。そして、『ねえあんた』。 ねえ どうしたの あんた ねえ あんた なんかとってあげようか おなか すいてるんじゃないの 飲みはじめたら いつだって 全然ものを たべないんだから 胃腸が弱い男はさ 長生きしないって そういうよ ねえ あんた ボタンが一つ とれてるよ 外を歩いて おかしいじゃない 私 針も持てるんだ こっちへおかし つけてあげるよ ダラシがない 男はさ 出世しないって そういうよ ………………… ほんとだよ あたし図画が 得意だったの 田舎の町の 展覧会で 賞品もらった こともあるんだ だから ほら 壁もフスマも 私が選んで 変えたんだ それだけ 借金がかさんだけどね この天井も 毎日 見てると いろんな模様に 見えてくるんだ 羊や船や 首飾り あんたの顔にだって 見えてくるんだ ………………… ねえ あんた 今言ったこと ウソだろう ゴメンてひとこと 言っておくれよ こんな処の女にも 言っちゃいけない ことばがあるんだ そんなこと 言う男はさ ここじゃ帰れって 言われるよ やっぱりあたしは ドブ川暮らし あんたを待ってちゃ いけない女さ そうなんだろう ねえ あんた… ねえ あんた… あんた ちあきなおみ「ねえあんた」(一部歌詞を略) ちあきなおみの一人芝居から収録したものらしい。女郎の衣装をまとい、横座りで語りかけるように歌うかの女の歌を聴きながら、わたしは涙を流してた。 翌日、インターネットでこの曲を収録してあるCDをさがし、とりよせましたよ(『ハンブルグにて』テイチク)。これを部屋で聴き、やっぱりしみじみ泣けました。 「朝日のあたる家」も娼婦の世界をえがいたもので、おおむかし、たしかアニマルズというグループが出した曲である。ちあきなおみはこれをライブでちあき流にアレンジして歌いあげた。それは幻の熱唱としてファンの間に長く語り継がれていたらしい。じつはこれを収録したCDもあって、それがもうじき届くのである。ふふふ。 昂ぶったり、泣いてみたり、ヒマというのもこれであんがいいそがしい。
2006.01.30
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大寅こと味方寅治(あじかたとらじ)は、明治33年生まれの大工で、東京本郷の氷川下に店を構えていた。かれが4寸ガンナで一気に削ると、幅4寸、長さ2間(約13センチ×364センチ)のカンナ屑がでたそうである。それは丸めると手のひらにはいって見えなくなり『あたしゃ惜しくってしばらく取っといた』(大寅) ほどだったという(『職人衆昔ばなし』斉藤隆介)。砥石をみれば道具の見当がつく、道具がだめなら腕もだめというのが当時の職人の見分け方だった(同)。 カンナ屑で大工の腕が知れるとは仄聞していたが、けっきょくは道具であり、さらにはその道具の手入れをする砥石だということなのだな。 真偽のほどは定かじゃないが、左甚五郎が自ら研いだカンナで削った2枚の板は、合わすとピタリとすいついて離れなかったそうである。 研ぎというのはしかしたいへんにムツカシイ。わたしがやるとかえって切れなくなる。のみならず、研いでいる刃物でしばしば指先を負傷するから、砥石が血まみれになってしまう。まな板だな、こうなると。 近所のコンビニに出張してきた研ぎ屋に包丁を依頼したことがあった。数年前とつぜん料理に目覚めた(つもりだった)ときに、すこし無理して購入したゾーリンゲンである。60歳くらいの男がグラインダーで二,三回包丁を往復させて火花をとばし、ハイ500円、という。ゾーリンゲンは傷だらけになり、一週間もたたぬうちに切れなくなった。ま、詐欺にちかいね。 東京で研ぎ師をやっている方を知っている。もう70歳にちかい。かれに上の話をするとハナで哂った。500円ならそんなもんだろうというのである。かれは3種類の砥石を使い分けて研ぐ。板前からの依頼が多いのだが、料金は一桁違うそうだ。 (ちかごろの板前は包丁が研げないのかね、ところで。あるいはかれの腕がよほどいいということなのかもしれないが) そういえば、信州にも名人がいたことを思い出した。こちらは中年の女性である。専門家ではないが得意で、ご近所から鎌や包丁の研ぎを依頼されるという。コツを訊くと、そんなもんないさあカンタンだよあんなもの、と笑っていた。研ぎも才能だと知れる。 「ボディ・ガード」という映画にこんなシーンがあった。ケビン・コスナーのねぐらにしけこんだ女。壁にかけられていた日本刀に気づいてそれを抜き放つ。持ったまま踊ってみたり、ケビンに突きつけてふざけている。ケビンは刀をそっと受け取り、バンダナらしき布を放り上げた。―見てなさい と女に微笑する。 空中で広がったバンダナが日本刀の上にゆっくりと落ちる。そのまま、音もなくすっと左右に切り分けられた。ある激情にかられ、ケビンにむしゃぶりつく女。 これを書いた脚本家はナイフに詳しい人だと思う。むろん、研ぎの名人である。
2006.01.23
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水ばかり飲んでいる。ビールも含めれば日に4リットルは飲んでいるだろう。多量に摂取して水もしたたる男ぶりになったかといえばそんなことはない。頻尿のおじさんと化しただけだ。無念だね。 水は痛風発作を予防するためである。多量の水で、痛みの原因となるプリン体とかいう物質を、血管から押し流しているのだな。万物の霊長などといばってみたところで、ヒトは畢竟、一本の管にすぎぬことがよくわかる。だがおかげで発作は影をひそめた。検査と称してわたしの血を大量に抜き取り、治療という名目ですくなからぬ薬物をわが体内に投与したプロ(医師と呼ばれている)に、そこのところどうなっているのか質したい気がする。 プロフェッショナルというのはしかしたいしたもので、缶を打つ音を聞いただけで中身を当てる、という男をテレビでみたことがある。缶詰の不良品を見分ける専門家だった。フルーツポンチとか鯖を言い当てるだけではない。たとえばご婦人の下着の缶詰がでてくる。かれは短い棒のような道具でおもむろに缶を打ち、首をかしげてみせるのだった。―柔らかいモノですな コン、コン。―布だ、これは。…小さい。パンティですか? あのときは驚いたね。あれはいわば、産婦人科の医者が妊婦のおなかをたたいてみるだだけで胎児の性別を見分けてみせるようなものではあるまいか。ピシャ、ピシャ。ふむ、男の子だな、音がキンゾク的。 音でパンティや性別を当てて、それがなんの役に立つんだと言われても困るのだけれども。 酒を呑むときにも水は欠かせない。痛風と二日酔いの対策なのだが、水はまた酒によく合うのである。酒場のほうも心得て、わたしが日本酒を注文すると、水をはったピッチャーをいっしょに持ってくるようになった。―気がきくな―茫茫さんは水飲みだものね―ついでに出口のほうのメンドーもみてほしいもんだね―あら。お帰りならあちらですわよ カワイクはないね、プロというのは。
2006.01.19
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娼婦やストリップ嬢などという人たちは見上げたもので、金や名声の有無で人を差別したりしない。どちらにも縁のないわたしなどには、まことに菩薩さまのようである。 これが「一般」女性だとそうはいかない。『金色夜叉』のお宮さんなどはむしろ正直なので、ソデにされた貫一クンも、月を涙で曇らせてみせるなどと野暮天丸出しにせず、これを機会に結婚制度についてまじめに研究すればよかったのである。当局の手で夜這いや毛遊び(モーアシビー)が法度とされた事実は、体制内制度としてとりこまれた一夫一妻制とどう関わっているのか。また、リングなどの避妊具は当初なぜ公認されなかったのか。あるいは、産業資本主義と結婚制度との相互補完性について、さらに、天皇制とのかかわりは、etc、etc…。高利貸しなんていうしんどい(と思うのだが)仕事を始めるヒマはなかったぜ、貫ちゃん。 2日にひきこんだ風邪がようやく峠を越えたらしい。ひどいときには熱と悪夢で夜中になんども目が覚めた。額にのせたタオルをとり、枕もとの洗面器に浸して熱を捨て、再び額にもどすということを繰り返す。洗面器の水がひとしきりゆれた。そのかそかな音を感じながら、金子光晴はジャワのむっちりとうるんだ闇の底に横たわって、女が洗面器でほとを洗う音を聞いていたのだ、と思う。それは煮炊きもする洗面器だった。 洗面器のなかの さびしい音よ。 暮れてゆく岬タンジョンの 雨の碇とまり。 ゆれて 傾いて 疲れたこころに いつまでもはなれぬひびきよ。 人の生のつづくかぎり 耳よ。おぬしは聴くべし。 洗面器のなかの 音のさびしさを。 ―洗面器― 詩集『女たちへのエレジー』から 生きているということはじつにさびしいもので、あげくひとりで死ななきゃならない。人はその事実から目をそらすためにジタバタあくせくしてみせているのだろう。未婚既婚には関わりがないことだと思われる。だからたまたま病を得て己とむきあうと、どうにもワビシクてしかたがないね。自分で自分を看病する、なんてのがことにいけない。 こんなとき近所に向田邦子みたいな女友達がいればいいと思うね。かの女なら、茫茫高熱に倒ると聞くや万年筆を放り出し、○○のすっぽんスープをベースにした雑炊なんてのをちゃっちゃっとこさえてくれただろうなあ。酒は薬よなんてさすがにさばけたところをみせて、燗酒の2本もつけてくれたかもしれぬ。ああ。惜しい方を亡くしたものだ。 そのかわりというわけではないが、近所に住んでいるのはSである。Sがわたしのために寄せ鍋をつくってくれたことがあった。むかし、やはりひどい風邪をひいて会社を休んだときである。奥さんに言われたらしい。 できあがると、やつは鶏肉や牡蠣などのたんぱく質をいちはやくたいらげ、やむなく白菜やしらたきをつついているわたしをじっとみている。やがておもむろに―おまいさん、病人のくせによく食うね と言った。 Sのような男でも、生きることはサビシイコトダなんて考えることが、はたしてあるのだろうか。ないと思う。
2006.01.12
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新年から野暮なことを書くが、ことしもロクな年ではない。 ことの始まりは昨年の12月半ばころだ。アルバイト氏から電話があった。母のボケが進行して自分もしばらく動けない、というのである。ご母堂はすでに80歳を超えているらしい。公的介護を受けられそうだが、いずれにせよ週末は母の世話で入店できない。お役所さまが週休二日のせいだな。お大事に、と電話を終える。それ以後元日まで休めなかった。元日には大酒を呑み、炬燵で寝てしまった。2日が仕事始め。朝から悪寒がある。その夜は酒をあきらめ、饂飩を半玉ほど無理にすすりこんで風邪薬をのみ、早々に寝床にはいる。通りで、新年会の2次会に流れるらしい一団の嬌声がした。 大晦日にヤスさんが店に来た。ヤスさんは酒場「T」でよく一緒になる人物である。本名は知らない。たしか朝日新聞の拡張員をしていたはずだ。いやな予感がし、それは的中した。3ヶ月だけでいいから購読してくれ、という。テレビや量販新聞というものをわたしがいかに嫌悪し、不信の念をいだいているかを説明したってわかってはもらえまい。かれにしても年末のノルマが達成できず困っていたのだろう。承諾したが、契約書をみて驚いた。―よ、ヨミウリですと!?―読売じゃだめかい… ヤスさんはいつのまにか朝日の販売店を辞めていた。 こうして、生涯かかわるまいと決めていたあの読売新聞を購読することになってしまった。読売をドクウリと読んではばからぬこのわたしが…。2段重ねの清水の舞台から飛び降りるつもりで契約する、ただし、新聞は配達しないでほしい、読売の2文字を3ヶ月も見続けたら脳溢血だ、わたしは。そう頼んだが、できないという。販売店から不正契約(テンプラ、というそうだ)を疑われるらしい。 新年元日、それが札束なら200万円ほどはありそうな「ドク売」新聞がポストからはみでている。天気予報の欄だけを確認し、捨てた。われながら狭量だと思うが、いたしかたない。血管にはかえられぬ。 3日。背のあたり悪寒の消えぬ青白い顔で店にいると、天童よしみをさらにひとまわり大きくしたようなオバサンがわたしをみて―あら、いい男がいるじゃない と言う。 30年ほど前に某嬢から「桜木健一に似てる」と言われたのを自恃の砦として今日まで生きてきた男だ、わたしは。近所に住むSにその話をしたらSは―…足か とつぶやいた。当時、桜木クンは若き柔道家の役でテレビに出ていた。なんとでも言うがいい。だが、似ていると言われた事実は、これは曲げようがないのである。それ以後、いい男などと言われた記憶が、ない。だからこれはたしかに、より太目の天童めが熱で茫然としているわたしをみて、どうでも、という前置きを「いい男」の前に飲み込んだにちがいないのである。ふん。 午後。若い娘が、表にとめているわたしのオートバイ(元日に磨き上げたのだ)をみて―素敵なバイクですね。 と笑いかけてきた。わかっている。バイクはかっこいいのにアンタときたら、と言いたいのだろう。おじさんのことはそっとしといてくれないか、オネイサン。 よって件の如し。新年早々、ろくなことがない。つぎはなにがおこるのか。わたしは戦々兢々としている。ことしはできるだけ歩かぬに限るらしい。
2006.01.03
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来年は酒をすこし控えようかな。そうつぶやくと―茫茫から酒をとったらなにが残るの と言う。考えこんでいたら、女はようやくわらった。
2005.12.28
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やさしいひとたち美しい日々 ゆるしてくださいどうか わたしのことはあきらめてください 吉原幸子 詩集『オンディーヌ』から
2005.12.25
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