ぶちゃママとペコママ

ぶちゃママとペコママ

ポコの誕生



【4回目の妊娠】

ポコは5人目の妊娠で産まれた次女。

ペコの誕生から9年、妊娠が解った。
二度の流産をして、ペコが生まれて
ず~っと出来なかったから、殆ど諦めていた。

妊娠が解ったけれど、前回の事もあるし、
念のため、周りには内緒にしていた。

嫌な予感は当たるものだ、微かな腹痛と
出血がみられた。

ペコには最初から一緒に病院へ行った。
まだ早いかとは思ったが、命の勉強のため。

残念なことに、初期の流産だった。
前回と一緒だった。
違ったのは、手術ではなく、自然に流産してしまっていて、
もう子宮には残っていなかった。

ペコは涙をこらえていた。私が泣いてないから、と。
辛い思いをさせたかもしれないが、
命は簡単なものではないことを解って欲しかった。


【5回目の妊娠】

程なくして、再び妊娠が解った。
今までとは違って、妊娠検査薬の出方から
はっきりと「主張」してきた。
今までは、薄く、疑わしかったが、間違いなかった。

そして、「母子手帳もらってきてください」と
Dr.からの嬉しい言葉だった。

「今度は大丈夫?」と心配そうなペコ。
『癌の検査をしてるから、癌じゃなかったらひとまず大丈夫。
でも、生まれるまでは解らないよ』と答えた。

検査結果が出るまで、ただ、祈ってくれていた。
筋腫があったのだ。

仕事をしていたため、検診は夕方、ペコと必ず行った。
診察室も一緒に入って、エコー検査も見学していた。
モニターに映し出されたポコの小さな姿を
生き生きとした目で眺めていた。

検査の結果は良性。

Dr.からは「10年たってると、経産婦さんとはいえない」と言われた。
ただ、お腹の張りは常にあり、初期の頃からあるのものの
問題無いとの事だった。


【ペコと共にマタニティライフ】

元々沢山お手伝いをしてくれるペコが
更に積極的に家事を手伝ってくれる。

「お母さんがしんどくないように」
「赤ちゃんが無事に生まれてくれるように」
と、小さな心は、心配と期待でいっぱいいっぱいだっただろう。

勤務先は近所だったため、自転車で通っていたが、
お腹の張りが強く、歩けなくなることがしばしば。
自転車に乗ると、痛みが和らいだので、
運動のため、張るまでは歩き、張り出したら乗るという方法をとった。

ペコの時ほど、お腹に向かって話しかける時間は無かったが、
ペコと楽しいおしゃべりを心掛けた。
きっと、私達の声は聞いているに違いないもの。
どんなにか、誕生を心待ちにしているかをよく話した。
楽しい会話は、ポコにも心地よかったに違いない。
ポコポコとよくお腹を蹴っていた。

お腹をポンポンとタッチする遊びも、ペコがしていた。
ぐるんぐるん動く胎動を一緒に楽しんだ。


【ポコの誕生】

ペコの運動会、秋祭りが無事終了し、私も9ヶ月で退職した。
主人の忙しすぎた仕事も一段落し、
「いつ生まれてもおかしくない状態」になった。

以前からお腹は頻繁に張り、出血と子宮口がやや開いてきていた。

夕方から、陣痛らしきものが始まっていた。
それまでも、10分間隔は頻繁だったが、それ以上進むことは無かった。
しかし、その日は、徐々に進んでいた。

日付が替わる頃、8分間隔まで来た。
一進一退を繰り返し、戻らなくなった頃、念のため病院へ電話をいれた。

近所な為、「もう暫くしてからで良い」と看護師さんの言葉だったが、
後にカルテを見て電話が掛かってきた「すぐ来てください」と。

そう、子宮口が開いてきているから。

夜中だったため、ペコは眠っていた。
学校もあるし、置いていく事に。

主人の車で病院まで送ってもらった。
車中、間隔が狭まり、陣痛が来る。
笑い話で気を紛らわせてくれる。


思いの他出産が早まりそうだと、実母へ連絡してくれた。
どうしても出勤しなくてはいけない主人と交代してもらった。

ペコの時同様、吐きながらの陣痛になった。
水分を取ると余計に吐くから、我慢した。

ポコより小さかった為に、あっという間に生まれた。
2,722gの元気な赤ちゃんだった。

大きな大きな元気な泣き声だった。
でも、女の子だな~優しい泣き声だった。


【対面】

「早かったね~、上手に生まれてきたね」
陣痛は長かったけど、自宅だったし、
病院へ着いてからは、1時間位で産まれた。

ポコは、ちっちゃくて赤ちゃんらしかった。
目を瞑ってたので、「お顔をちゃんとみせて」
お姉ちゃんは、はっきりした顔立ちだったから
「可愛そうに」と思っちゃった。

でも指は細くて長くて綺麗な指だった。
爪は短くてパパにそっくりだった。

眉は私に似てるな。

鼻と口はエコーで見た時と一緒で、ペコにそっくりだった。

とにかく元気に良く泣くなと思った。


【母子同室】

基本的に、ママの要望を100%聞いてくれる病院だった。
具合が悪ければ、詰め所に預けることも出来た。

ようやく会えた赤ちゃんだもの、四六時中一緒に居たかった。
もちろん同室で過ごした。

沐浴や授乳指導では、一緒に詰め所まで行った。

おっぱいはまだまだ、下手っぴだけど、飲む力はありそうだった。
相変わらず、陥没乳首。短くて固い乳首に四苦八苦。
何度もメゲそうになった。

ここの助産婦さんは優しくて、万全のバックアップでいてくれた。
マッサージをしてくれながら、「ちゃんと出るおっぱいだから、頑張って」
「辛くなったら、連れてきてね。夜だけでもゆっくりしたら?」と。

ポコはおしっこが解るようだった。
頻繁にふぇふぇとなくので、オムツを開けると
100%濡れている。
オムツ籠には5枚一組で渡される布オムツはすぐに無くなった。
リネン室にしょっちゅう追加を取りに行った。

おっぱいも上手に飲めないけど、私のベッドに添い寝してあげたりした。
泣き続けるなんて無かった。
お腹が空いたら、オムツが濡れたら泣く程度で、良く眠ってくれた。

お産も軽かったし、後も楽だから、とっても元気な産婦さんだった(爆)

しかし、出産直後はやはり貧血が出た。
トイレへ立ったのは良かったのだか、便器から立ち上がったら、眩暈がした。
病室までは、車椅子で移動となった。

病室で横になると程なく元気になったので、
あちらこちらに電話をしようと受話器を持った。
とそこまでは覚えていたのだが、気がつけば、床に寝ていた。
左肘と尾てい骨が痛い。
受話器は外れ、電話機が落ちている。

あ、倒れたんだ。
貧血をおこして、尻餅をついて、左肘から倒れたようだった。
元気なつもりでも、産後は気をつけなくっちゃね。



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