ドラゴン・龍平

ドラゴン・龍平

イタリア、ルネサンス



そもそもルネッサンスとは、過度のキリスト教会の禁欲主義への反発から生まれた。中世のヨーロッパは教会が強大な権力を持ち、個人の自由な想像力を束縛してきた。それを窮屈に感じるようになっていた人々が、キリスト教以前の、ローマ時代の文化に刺激を受けて作り出した流行のようなもの、それがルネサンスなのである。

フィレンツェには、あっちこっちにフィレンツェにルネサンスの輝きをもたらした、大財閥、メディチ家の紋章が見受けられる。1397年にメディチ銀行を創設した人だ。こっからが大切なのである、ご存知だとは思うが、ジョバンニの跡を継いだのが、コジモ・デ・メディチだ。コジモは天才的な指導力によって、メディチ銀行を大財閥へとのし上げただけでなく、実質的なフィレンツェの君子にまで上り詰めたのだ。そのコジモが建てた、メディチ家の宮殿がメディチ・リッカルディ宮殿だな。外見はシンプルで、オレ好みな建造物である。何故シンプルかと言うと、

メディチ家の庭に妬みという雑草を生やしては行けないと言うわけだ。だから外見は地味なんだ。だけどその内側は違う、あらゆる美術品を買いあさり、多くの芸術家に投資して、究極のインテリアを作り上げていたんだ。それがルネサンスに繋がるわけだ。コジモのあと継いだのがロレンツォだ。特に若手芸術家の育成に力を入れたのがロレンツォだ。通称豪華王だ。メディチ家の財源も徐々に圧迫されていたが、その名の通り彼は羽振りが良かったらしい。そうそう、レオナルドもロレンツォに可愛がられた一人だ。ロレンツォはサンマルコ修道院前の庭園にメディチ家の古代彫刻を並べて、若手芸術家達の為の勉強の場とした。その中でもロレンツォに最も可愛がられたのがミケランジェロだ。イタリアでは、絵画のレオナルド、彫刻のミケランジェロと呼ばれていた。彼の彫刻がいかに素晴らしいものであったか、アカデミア美術館で本物を是非ともご覧下さいませ。

例えば、あえて未完成の様式をとっている完成品みたいな作品があるのだが、ミケランジェロはコレをプリ上の囚人と名付けた。ある時、ある人が、ミケランジェロに尋ねた、どうしてあなたはこんなに上手く掘れるんですか?するとミケランジェロが答えた。私は作品を作ろうとしているのではない。石の中に埋まっている人間を助け出そうとしているだけだ。よく見ると、確かに石に閉じこめられた囚人みたいに見えてくるから不思議だ。こんなせりふ男なら一生に1回はほざいてみたいものである。

そして若き天才ミケランジェロが一つの巨大な大理石から、作り上げた最高傑作がダビデ像の素っ裸の彫刻だ。

作品が作れるなら注文主は誰でもかまわない、それが芸術家だ。

フィレンツェで最も巨大な建築物がピッティ(Palazzo Pitti)宮殿だ。そもそもはメディチけのライバルだった銀行家ピッディ家の宮殿だったが、ゴジモ一世が買い取り、メディチ家の自宅としたのだ。しかしコジモ一世の巻き返しはこのままでは終わらない。コジモ一世の活躍の舞台は、ポンテ・ヴェッキオ周辺に点在していた。仕事場であるヴェッキオ宮殿。住まいのピッティ宮殿。そのちょうど真ん中に、ポンテ・ヴェッキオがある。そして、メディチ家の美術コレクションの殆どが集められている、ウフィッツィ美術館だ。世界最高峰の美術館の一つといっても良いだろう。ウフィッツィとはオフィス、事務所のことだ。もともとココは隣のヴェッキオ宮殿の事務所として建てられたんだ。それをのちに美術館にした訳なのである。まったく、コレが自宅だぜ。しかも暗殺を恐れたとかで、なるべく外に出ないように、町中に自宅の廊下を張り巡らしてる訳なのである。ホントやることなすことケタ違いなのである。
DOG

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