文の華

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八章~老人と死についてのメモ~


八章 老人と死についてのメモ


 2年程この町に滞在したと書いた。何故そうなったのか。老人の存在が大きかったのかもしれない。

 やつは一人暮らしをしていた。俺が彼から聞いたところによれば、彼は二十歳になってすぐに幼馴染と結婚したらしい。しかし結婚生活はうまくいかなかった。やつも、想像するにその妻も、我が強すぎたのだろう。結局二人の娘が高校を出るとすぐに離婚をして、奥さんが娘達を引き取ったそうだ。
 そしてやつが40になった頃、15歳年下の女と結婚した。
 それはそれで楽しい生活だったのだろう。俺は散々、その頃の、今はセピア色に変わりつつある思い出の写真を見せ付けられた。

 愛していたのだろう。

 そのアルバムには何百という数の写真が収められていたが、一つとしてその女の写っていない写真はなかった。

 その女との間に子供は出来ず、さらにやつが60になった頃、妻は交通事故で死に、それから10年ほどは一人で生活しているとのことだった。

 何故俺がやつのことをここまで詳しく書いたか。それは、フランスに着いてから2回目の夏、俺がやつの死体を発見することになってしまったからだ。

 俺はやつのところに良く通った。何をするわけでもなく、ただ訪ねていって、タバコを一本貰って吸う。それを吸い終わると帰る。そんなことが良くあった。

 その日彼を訪ねたのもそんな理由だった。

 彼はベッドで寝ていた。起こそうとしたが返事がない。死んでいた。

 それだけのことだった。

 『死』について、俺の考えを書いておこう。
 人間に限らず、世の中にあるものはいつか消えてなくなる。消滅するわけではないが、形を変える。だけど、そんなことはたいしたことではないんだ。なぜなら、もっと俺にとって驚きなのは何かが『誕生する』ことだから。
 例えば人が人として誕生する。いくつもの物質が集まって、何かとして命をもって存在する。なんという偶然だろうか。そう、俺にとって誕生はこの世で至上の偶然に思えた。至上とはいったが、結局命というものは偶然の産物でしかありえない。
 だとすれば、それがもとの『無』、いや『命ではないもの』に戻ることなど、当然ではないか。

 俺は人の死も、栄枯盛衰も、どんな純愛も、英雄の勇姿も、妖艶な美女の姦計も、さらには一国の興亡も、何一つ語って人に聞かせる価値のある話などないと思う。

 そうだろう。

 そんなものは全て偶然の上に立った虚構でしかないのだ。偶然の出来事にわが身を重ねて非力な身の上を慰めるなど、その思いや時代に思いを馳せるなど、時間の浪費というものだ。

 聞かせる価値もある話、そんなものがあるとしたら、それは命の誕生の話かもしれない。誰しもが経験したことのある、誕生。全ての偶然の源であるそれを覚えているやつなんてこの世にはいないのだから。

 さて、彼は確かに死んだ。俺はその死を警察に届け、たったそれだけの状況を詳しく語って聞かせた。

 彼はかなりの財産を残していたがそれは当然、一銭たりともも俺のもとには入らなかった。すべて彼の最初の妻が産んだ二人の娘に相続されたらしい。
 やつはいつも、『俺には残すものがある』と意味のよく分からないことをいっていたし、やつの2人の娘達に頼まれて俺は父を看取った人間として(本当は看取っていないが、そういうことになっていた。)やつのささやかな葬式に出たのだが、その娘達のホクホクとした顔を見れば想像できた。

 死など人に語る価値はないと書いた俺がここにやつの話を書いたのは、やつの娘達がやつのことを何も知らないと思ったからだ。
 偶然、俺がやつの人生を(多少彼自身によって美化されていたとしても)聞くことになった。その偶然を、おれ自身が忘れないようにする為。

 ここに書かれた老人の話はそのためのメモだと思ってくれればいい。


 俺がフランスを出るのはそれからまた半年ほど経った、やはり春のことになる。


九章へ





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