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☆ 大 い な る 野 望 ☆ 山桜が咲きほころぶ三月の暖かい日に 一人で山歩きを楽しむ。。。 野に出でて新しき若草の香りを求めて・・・ 私、春山和志は20歳になり今年が成人。 やっと大人の仲間入りをしたが、人生に対して 特別な夢も希望も抱いていない。 世間知らずで無為な日々を送っている。 高校を出て一端は、菓子問屋の店員として 1年間働いていたが腰痛のため仕事をやめ、 実家に舞い戻って両親とともに暮らしている。 私にとって野山を歩く散歩だけが楽しみであった。 野山に出かけるのもこれといった大きな目的はない。 ただ自然にふれるのが好きなだけだった。 春の季節になると突然地中からかわいい草の芽が 出るのにいつも興味を抱いていた。 冬の暗いイメージをを破ってうす緑の名前も知らない 小さな芽がでてくるのには自分でもおかしいほどの 愛着をもっていた。 野を散策していれば、いろんな草の芽に出会う。 みつけるとそれをいじらしいほど見つめて 長い時間を過すこともたびたびあった。 雑草のやわらかい小さな芽をみると 太陽の光をあびて精一杯生きようとしている 生命(いのち)を感じることができうれしくなった。 20歳の私は、そうすることで一日一日と 自分の中にある何かが成長していくようだった。 青き芽が毎日毎日少しずつ天に向かって 伸びていくことに自分を重ね合わせた。 実家で居候をしている20歳になった自分の 未来はどうなるんだろか。・。・ 私は、不安な心でもがいている人生の 敗北者かも知れないと思うことがあった。 腰痛が長引けば私の人生はこのまま 終わりになってしまうかも知れない。 この身体の中にはか弱い春山和志という 一人ぼっちの人間が住んでいる? そんなことを考えて憂鬱になると野山に 出かける私であった。 私は今日まで山紫水明の大自然に包まれた 紀伊半島の山懐の片田舎で育った。 青く澄んだ空と清い川の流れ、緑あふれる野辺。。。 すべてが幼い私の分身のようだった。 年がたてばたつほど何とも得たいの知れない 感情が綿雲のように心の中に湧いてくる。 それは日増しに強くなって襲ってくるのだった。
2007年01月15日
☆ さ す ら い 人 の 歌 ☆ いつも仕事に熱中し体を動かした。 働くことが人生であり体を酷使してボロボロになるまで 働いて死んでいくことが自分の人生だと思っている。 今年40歳になる土村繁男には35歳の妻と3人の子供が いるが2年前にある事情から協議離婚したのだった。 繁男は今、妻と別れる前に自分だけのために 借りたアパートで一人暮らしの生活である。 6畳の色褪せた畳の部屋が二つ・4畳半の台所・ 風呂とトイレがあって1ヶ月5万円の家賃である。 部屋には、洋服タンス・冷蔵庫・電子レンジ・トースター・ 食事用の折りたたみ机・カラーテレビ・布団・座布団ぐらいで これといって取り上げるような豪華な家財もなく、質素で 平凡な生活をしているのであった。 中学を卒業して働き出してから35年になっても自己の 生活環境が上昇することはなく常に慎ましやかな 小さな暮らしの中にいた。 中学校を卒業してから職業は何度変わっただろうか・・・ 数えられないほどいくつもの職業を転々とし、思えば さすらいの人生だったといえる。 転職した数も人一倍多いが、仕事では誰にも負けなかったと 思っている。 運送会社の長距離トラックの運転手・清掃会社の清掃員・ 警備会社の夜間警備員・道路工事員・塗装工・土建業など いろんな仕事を経験した。 どれもこれも仕事に上と下があるなら下の仕事に従事した。 いわば肉体でもって労働し、汗をかき報酬をもらう仕事ばかり であったといえる。 仕事上の知識はさほどなくとも体をもって誰よりも働いた。 170センチの身長と体重60キロの肉体は、 働くだけの機械のようになってしまっていた。 今まで机に座って働いたことは一度もない。 能力がないことは、自分でよくわかっていた。 デスクワークは最初から自分に向かない。 学歴もなく字はきたない、学力もなく性格的にも 不適であるので不可能な仕事だと思っている。 俺は、働くロボットようになってしまったこの体だけが どんな労苦にも耐えうる半永久的な頑強な機械だ”” 誰にも負けやしない鍛えられた鋼鉄のような肉体がある”” 痩せ気味であっても筋肉がもりあがり、上半身が ガッチリとしていることを喜びとしていた。 繁男は、いつもそう思う時にうすうすと働くことへの 自信が心の中に湧いてくるのを感じていた。 どこにいても仕事を真っ先考え一途に働いた人生だった。 親父もお袋も亡くしているし、気ままな一人の暮らしである。 自分の体は、誰よりも健康で何の不自由もなく働く事に 没頭できるから幸せではないかと思っている。 今のビル解体業の仕事に就いて8年になるが、これといって 病気をするでなく怪我をするでなく元気で働いてきた。 煙草も吸うし酒ものむし、年齢的にもそろそろどこかに ガタがきているのは、自分でもわかっていた。 あまりにも酷使してきた体であるから健康診断を受けたら どこかに病気という悪魔が忍び込んでいるかも知れない。 そんなことを思いながらも健康診断は、この8年間に 一度として受けたことはなかった。 そんなことは蚊帳の外において繁男は働く必要があった。 朝5:30に目を覚ますと自分が持って行く昼の弁当を作り、 7:00前に120ccの黒いバイクで仕事場に行くのであった。 途中でいつもコンビニに立ち寄りサケと昆布とたらこの おにぎり2個、そして147円のお茶のペットボトルを買うのが 朝食の定番コースとなっていた。 まだ誰も出勤していない仕事場の小部屋で 一人で食事をするのがくせになっていた。 こんな食事をしているのが情けなくって時として ふっと別れた妻のことを思い出すことがあった。 5歳の貴美・3歳の美知・2歳の勝樹のことを思うと 俺は75歳まで働かなければならないのだ”” 妻だった由美子と子供のためにも働かなければならない。 その年齢までは働かないと俺は死ぬわけにはいかぬ”” 働いて働いて粉骨砕身、仕事に没頭して生活して いかねばならない、それが妻子に対する元、夫として そして父親だった男の責務だと思う。 毎月給料をもらうと離婚した妻子のために生活費として 20万円を由美子の銀行口座に送金している繁男だった。 朝めしのおにぎり食べお茶を飲む時には、由美子と 3人子供のことが脳裏に浮かんでくる。 今日も頑張って己れに与えられた仕事をきちんとやろう。 窓の外の秋景色を見ながらいつもそう思っている。 由美子とは居酒屋で知りあった飲み友達で繁男とは 6年前の4月に結婚した。繁男34歳・由美子29歳の時だ。 男なんてひょんな勢いで結婚できるものだなあ~と 繁男はその頃の由美子との交際を思い出すことがあった。 「なんであんな男と結婚するん”” 」由美子の一人友達 である大田光江はある日、結婚前の由美子に問うた。 光江は、高校時代の友達で一緒のスナックで働いていた。 光江は、繁男のことは由美子よりもよく知っているし、 ある程度の人物評価も持ち合わせている女性であった。 しかし由美子は、お腹の中にすでに一つの命を 授かっていた。 ハイストップ!! 自分の体力と気力だけでもって仕事をしてきた男の人生は、 これからどうなるのでしょう? 75歳まで働く希望は果たして? 健康診断診断も受けずに肉体労働をもって働いている さすらいの男の人生。 今後のストーリーは、あなたにお任せします。 どうかよろしくお願いしますね <(_ _)>
2006年11月22日
♪愛 す れ ど 悲 し き メ ロ デ ィ ー♪ (続編) 洋子への思い。 それは、気が狂うほどの愛であった。 彼女への思慕は、達也の心に長年あたためてきた ものだけにまさにそれは、激流が堰をきったように 全身にあふれその感情は爆発しそうだった。 達也の思慕は、さらに強くなって 炎のように燃えていた。 愛を常に感じつつ表現できなかった 7年の歳月の心のうちは当然洋子には、 わかるはずもなかった。 達也は、自分の苦しみを酒という魔物で まぎらわし仕事という熱情で忘れようとして 生きてきたように思うのであった。 しかしこうして彼女洋子から電話があろうとは。。。 天が地がひっくりかえったような驚愕であった。 血が逆流し、声にならなかったが電話の声は まさしく愛する人、洋子の声であった。 7年前の彼女の声は、年月を経てもやさしい 響きがあり達也は喜びと驚きのなかで聞いた。 「白戸さんのお宅ですか」 「白戸達也さんいらっしゃいますか」 電話のの声を聞いた時、何も感じなかった 達也だったが。。。 彼女は、不安と期待があったのだろうか。 とぎれたように間をおいて「失礼ですが 7年前になりますが・・・ 洋子です。鹿島洋子ですけど覚えていますか。」 この時はじめて達也は、「えっ””」 と声をだした。 彼女が、達也の顔色を見たら びっくりしたかもしれない。 電話を持つ手は小刻みにふるえ どぎまぎしたような表情は 緊張で普段の達也とはいえなかった。 顔色は、やや青くなり心臓は とまりそうだった。 「彼女が何故?」そう思いながら 「洋子さんですか””お久しぶりです。」 お元気ですか。誰かと思いましたよ””」 達也はいっきにしゃべった。 新たな感情が次から次へと漣のように 押し寄せるのがわかる。 「お久しぶり・・・突然でごめんなさいね”」 「お元気そうですが今どんなお仕事なの?」 「あぁ小さな花屋をやっています。」 学校を卒業してから転々として 今やっと落ち着きました。」 「洋子さんは、何を?」 淡々とした会話だった。お互いに7年という 空白が少し遠慮した他人行儀な言葉使いを しているようだ。 それは、仕方がない。 7年の空白があったのだから・・・ お互いの生活や心情は 変わっていて当然であった。 あの当時の若さあふれるさわやかな 声色はなかった。 お互いに成長し、人生の何たるかを 経験した男女がいまさら若き匂いをした 声色をしている方が不自然である。 しかしお互いの声は、7年前の面影を 残しているのは事実であり懐かしい 気持ちがあふれた。 「懐かしいなぁ~あなたから電話を もらうなんて。・ 最初は誰だか自分でもわからないほどでした。 元気でやっているようですね””」 * 洋子・達也は、仮名です。 これは、2005年8月28日掲載の 文楽小説断片集第18集 「愛すれど悲しきメロディー♪」 の続編というものです。 過去の分もお読み下さい。
2005年12月21日
♪ さ ら ば J A P A N ♪ どこに行けば楽園はあるのだろう。 男はいつも夢のなかで うなされながら目を覚ます。 ああ~今日もまたつまらぬ仕事を しなければならないのか”” 東京本社の単身者アパートの 寝床のなかでそんなことを 思いながらやっと布団から 抜け出すのであった。 もうこんな生活から一日も 早くおさらばしたいよ。 そう思っている夢次であった。 毎日1時間45分ほどバスと電車に のって会社に通勤しているのだが いつもさえない顔をしている。 艶もはりもなくてくすんだ顔色だ。 うつむいて無表情に歩く姿には 淋しさがただよい男としての みなぎるような活力がちっとも 感じられない。 それにはわけがあった。 毎日の暮らしが面白くない。 仕事を休んでどこかに 行きたいと思っている。 夢次の年齢は45歳で妻は40歳、 そして10歳と4歳の子供がいる。 家族構成からは普通の家族のように みえるのだが・・・ 1年前に東京に転勤を命ぜられた時 妻は行かないといって聞かなかった。 転勤するのは絶対に嫌だといって泣いた。 だから夢次はいま妻子を大阪に残して 単身赴任中なのである。 時折、妻から電話やメールがあるだけで 子供二人との対話は一度もない。 単身赴任前の仕事は激務をきわめた。 いつも最終バスになり自宅に着くのは 夜の12時をまわった。 帰れば妻も子供も眠っていて子供の 寝顔を見に帰るだけの暮らしだった。 だから子供たちは、いまでも夢次のことを 父とは思っていないかも知れないのである。 東京から自宅に帰ると4歳の娘はパパとか 父ちゃんとはいわずオジチャン!! が来たといったことがあった。 そんな時には、もうこの仕事を やめようと思うのであった。 時には娘からパパ””とかおとうさん”” とか呼んでもらいたいのだが・・・ 10歳の息子にも父さんと呼んで もらったのは、今までに3回程度だろうか。 それほどまでにコミニュケーション の少ない父と子であった。 こんな情けない父親なんて いないのではないだろうか? 夢次は、いつもそのことに さいなまれている。 単身赴任手当が4万円ほどつくのだが 精神的にも経済的にもとても満足できる ような金額ではない。 二重生活がもたらすデメリットは はかり知れないものがあった。 もっと他にいい仕事はないだろうか。 いまの仕事をやめて家族とゆったり とした時間がもてる生活がしたい。 妻子とともに自己の描く楽園に 行きたいと思っている。 夢の楽園を探して数余年が過ぎた時 夢次のところに課長昇進の話があった。 単身生活3年目になる2月半ばであった。 昇進の噂は噂をよびある同僚からは 「今度、課長に昇進するようだね”” おめでとう!! 次は九州か北海道へ 転勤かも知れない? 大阪だと いいのになぁ 」 「 昇進したら俺が幹事で お祝いの酒でも飲もうやっ 」 同僚はそういった。 それ以来、色々考えていた夢次は 昇進する1か月前に意を決して 「 退職願い 」を提出することにした。 退職願いには、次のように書いた。 「 このたび私は、4月1日付で昇進する ことになっていますが、一身上の都合により 退職させて頂きます。 個人的な万やむをえない事情があり、誠に 勝手ながらここに退職を申し出るものです。 ご迷惑をおかけしますが私の退職願いを ご承認下さるようよろしくお願いします。」 印鑑を押すとこれで日本とも おさらばだなぁと少しシックな 気持ちになった。 これで家族ともゆっくり 対話の時間がもてるのか。・。・。・ いよいよ夢にみた楽園に 旅立つ時がきた。 「 もうこんな日本とおさらばだ!! もっと自由な仕事がしたいんだ。 」 ある日家族は、関西国際空港にいた。 「ああ~家族そろって夢にみていた 楽園に行くのさ” 妻子を連れて南国の楽園へ・・・ 妻がしっかり貯金していてくれた おかげで転勤のない仕事につけるんだ”” 自由に暮らしていける目途がたった からねぇ~ 」 夢次は「 さらばーJAPAN!! 」 そういいながら右手を高くあげて Vサインをした。 ハイストップ!! 夢次は、やっと南国の楽園にいくことになった。 これで自由な人生となるでしょう。 これからの夢次の人生は、あなたが綴って下さい。 よろしくお願いしますね。 <(_ _)>
2005年11月13日
♪ 青 年 の 山 脈 ♪ 疲れた体を横たえて彼は陰湿な 山小屋の片隅でひとり本を読む。 時々、本を体からはなさずに窓を 開けて自然を眺めては新しい精気を 感じ大きな深呼吸をして彼は瞳をとじる。 ああ神よ神よといって彼は祈る。 この世の哀れみに神よ 力を貸して下さいと。 彼は瞑想したままで小さな声をだして祈る。 谷は快い水音を発し風はさわやかなる 陽光のなかで舞っている 眼前に開けた大自然は静かな緑のなかで それぞれに深呼吸をしているように感じた。 古き本の色ぼけた汚れにも彼が手にとると なぜか生き生きとした力強いものを感じる。 なだらかな斜面の粗末な家のなかで 人界からかけ離れたこのような土地で 彼は何を求めて生きようとしているのか。 私には彼の生き方に同情こそすれこれほどの 生活をするとは思ってもみなかった。 自然の大地のなかで彼は少しやつれた ような気がしないでもない。 彼は人間本来の生活を体験しょうと しているのだろうか 人間の将来に絶望し自己を逃避して このような行者めいた生活をして いるのではないだろうか。 市井の人からみれば、まさに その生活は狂人の体であった。 誰がみても人間の生き方にあらず、 不思議な青年としてみられたものだ。 衣は長い着物を着て髪はのび、 眼光は凛として生気をおび求道の 心がみちみちていた。 彼は、朝薄暗きうちに目を覚まし小屋の 斜面をつたって山の頂上に登り毎朝 真っ赤な太陽が昇るのをみるのだった。 一面が朱に染まるような大きな太陽が あらわれし時、彼はまた瞑想する。 私は一度、彼と一緒にその山に 登った時彼に聞いたことがある。 山の頂上付近にきた時、私は聞いた。 「 このような生活をいつまで 続けるつもりなんだ”” 」 彼は、私の方を真剣な表情でみながら 「 僕にもわからない!! 」 「 わからないからもう僕のこと など心配せずに帰れ!! 」 と大きな声で彼はいった。
2005年11月08日
♪ 少 年 ♪ その日はからりと晴れて、青くすみきった 空には真っ白い雲が浮いていた。 正は深く静かに考えていた。 6畳・6畳・3畳・洗面所のわが家の 一室で畳の上に寝転がって考えていた。 古い木造の小さな家は、正の苦悩を生み出して いるようなさびれた3畳の部屋だった。 机の上には、色々な雑誌類が無造作に 積まれ、壁には正の服と帽子がかけてあった。 正は今、自分を責めていた。 そしてまた、現在の矛盾をしみじみと感じていた。 それは、15歳の正にとっては、非常な悔しさと 涙のでる思いであった。 正は、貧しい農家の一人息子として生まれた。 父は、お人よしで技術もなくただ自分の肉体だけを 労働力として毎日田畑に出て働いていた。 母もやはり父とともに田畑に出て働いている。 男勝りであるが本来の気性は、とても優しい 母であった。
2005年11月03日
♪ 長 い 石 段 ♪ 光男は、よく近くの川で江美と遊んだ。 同級生は、山本江美たったひとりだった。 学校は4Kも離れた小さな分校で 生徒は総勢38人だった。 教師は、3名で賑やかな都会の生活から かけはなれた自然のふところに抱かれた 静かな学校だった。 光男と江美は学校の帰りはいつも一緒だった。 ひとりだと山道を帰るのが危険であり、日暮れ ということで自然と帰りは一緒になった。 一緒に帰るといってもふたりの間には、 何の感情もない光生と江美である。 愛や恋を知るには、まだまだ先の ただ単なる少年少女であった。 ところが江美の両親は、一緒に 帰るのをすごく嫌がった。 学校の帰り二人が一緒に歩いて いるのをみつけると江美の母は、 江美の手をとってさっさと急ぎ足で 連れて帰ってしまうのだった。 そんな時、光男の心のなかには 悔しさと憎悪があふれた。 何もしゃべらず無言で一瞥する ようにして江美から光男を 遠ざけようとする江美の母親は 大嫌いだった。 母親は、光男が江美から離れて 歩くことをのぞんでいる。 そのわけは、光男も理解している。 子供心にもわかるのだった。 光男が江美にとって危険人物だから というわけではない。 それは、光男と江美の家柄があまりにも 不釣り合いであったからにほかならない。 田舎の山奥にある小さな村では、誰もが 協力しあって暖かく寄り添いながら 生きているのだったが・・・
2005年10月26日
♪ 少 年 ケ ン 君 ♪ ある日ある時と書いてはだめだろう。 秋の日の午後と書いてもだめだろう。 秋の日差しが、白いビルの壁でさえぎられ その通りだけ日陰になったひっそりとした アスハルトの道であった。 こう書けばいいだろうか・・・ 僕(秋田一男・35歳)が、うどん屋で 昼ごはんを食べ終えて仕事場にもどる途中、 右前方にいた少年にいきなり 「 おっちゃん! 」と声をかけられた。 不意に呼び止められびっくりしていると 少年が少し緊張した面持ちで近づいてきた。 「 これ” おっちゃんが落とした”” 」 といって右手をつきだして指をひろげた。 僕は、一瞬言葉がでなかった。 少年がひろげた手には、1枚の 1円玉があった。 「 あっ”” えっそれ僕が落としたのぅ? 」 「 うん! 落としたよ”” 」 少年はうなずくようにしてつぶやいた。 昼の食事に行く途中、ポケットから 落ちたのだろうか。 この少年は、僕が昼ごはんを食べて もどってくるのを約30分間も この場所で待っていてくれたのだ。 つぶらな目をして僕を見つめているから 「 どうもありがとう!! すみません!! 」 そういうと少年は、どういたしまして”” そう言ってペコリと頭をさげた。 どういたしましてといったんだよ。 僕は、この少年の純真な汚れていない 心に胸がときめいた。 こんな性格なんて今の僕には 持ち合わせていないからよけい この少年が可愛くなった。 なんともいじらしくなってその少年を 僕は、抱きしめたくなった。 頭をなでなでするだけではものたりない この少年を思い切り僕の両手で ぎゅつと抱きしめたい。 そんな気持ちになったのだ。 こんな真昼間に抱きしめたいと 思うなんて・・・ それも少年を抱きたい”” ああ僕は、異状性格者なのか。 いやそうじゃないよ”” そんなことを思いながらはっとして 僕は、「 何年生? 」と聞いていた。 少年は、また右手をだして人差し指で 1年生であることを表現した。 「 ああ一年生かぁ・・・ 名前は? 」 「 ケン”” なかにし・けん!! 」 「 ケン君か” すまなんだねぇ・・ じゃぁ~おいちゃんが帰るまで 待っていてくれたんだね。 」 「 う ん”” 」 そういうと少年はすぐに背中をみせて すたすたと曲がり角を右に曲がって 歩いていった。 「 ケェーン!! ありがとうー 」 僕は、角を曲がって歩いていく ケン君に声をはりあげた。 ケンはこちらを向いて僕に手をふった。 バ~イバイといいながら半身から 背中をみせるとまた歩きはじめた。 「 ケェーン”” またなぁーバ~イ”” 」 僕は、手を振りながら小さくなっていく ケン君の姿を最後までみつめた。
2005年10月25日
♪ 達 人 た ち の 夜 ♪ 今夜はみんな集まってくれるかねぇ。 紋付袴すがたの宗家はそういった。 そうですね””ウエルカムパーティー は7時からですからまだ3時間もあります。 北は北海道から南は沖縄まで 約600名の参加者になります。 海外からも20名参加されます。 カナダから12名・アメリカから 5名・ドイツから3名です。 準備は万端とどこおりなく終わりました。 あとはパーティーの開始を待つばかりです。 それから祝電もすでに300通をこえています。 これもひとえに宗家の居合道発展普及に ご尽力された功績にたいして、また、 そのお人柄・人徳へのお祝辞で あるかと思います。 受付も接待も渉外も案内役もそして 進行役も1時間前になると50名全員 集合しますので宗家から何かお言葉を いただけたらいいのですが。。。。 いや~特別に話すことはない。 それぞれのチームを信頼して いるからね。 あるとすれば国会議員・代議士と 外国からこられた剣士たちの 接遇をきちっとぬかりなく やってほしい!! それだけだよ!! 君にまかせているからよく取り仕切って 是非成功させてほしいものだ。 大変な役をやらせてすまないが しっかりたのむよ。 はい!!宗家大丈夫です・・・ 招待状を出した方で欠席されるのは 5名だけですから今日のパーティーは 盛大になると思います。 そればかりか男性は羽織袴・女性は 着物での参加が条件ですからまさに 今夜は、日本の着物文化のよさを 認識するパーティーになるでしょうね。 スーツすがたの人は10名程度です。 外国からきた剣士たちだけは やむなく武道着のままの参加ですが。。。 それにしても華やかなパーティー になるかと思いますね。 みんな高段者の方ばかりだし 一言でいえば居合道の達人 ばかりの参加ですからね。 みんなどんな根付をつけてどんな 扇子を持ってどんな家紋の羽織袴 すがたで出席するんでしょうか。 それを見るだけでも今夜の パーティーは必見の価値あり だと思います。 宗家””何も心配はいりません!! 今夜は10周年にふさわしいパーティー にするよう私以下全員がんばりますから。 今夜のパーティーの実行役のトップを つとめる大川博は居合道8段で 宗家の愛弟子である。 23歳のとき宗家の門弟として 居合道の道に飛び込んだ男であった。 47歳になるが将来の居合道連盟を 背負ってたつ男である。 居合道の理論的なことはもちろん 技術的な面でも大一人者として 活躍できる逸材であった。 羽織袴での演武はそれはそれは 見事な太刀さばきで見るものを 大いに魅了した。 宗家の大山田要五郎は今年80歳であるが もう誰かに宗家の職をゆずる時期がきたと 思っている。 恰幅のある体格で武道できたえた 威厳ある古武士のような風貌をしている。 羽織袴のすがたは、新日本居合道連盟の そうそうたる剣士たちのなかでも 第一級の日本男児といえるだろう。 このすがたが宗家の宗家たるゆえんだろう。 名人位を拝命して12年・宗家になって 10周年である。 今夜のパーティーは宗家拝命10周年を お祝いするパーティであった。 この道にはいったのは1950年だから 長い期間居合道一筋にやってきて たどりついた武人であるといえる。 米 「新日本居合道連盟は、仮称の連盟です。
2005年10月20日
♪ 父 よ ♪ バスからおりて歩いていくと 川向こうにあるわが家のカワラ 屋根が見えてきた。 彼岸花が9月の景色のなかに 咲いているのが遠くからでも わかった。 秋の草花を見ながら細い道を歩いて いると1年ぶりに父に会えるのが うれしくなり心が躍った。 しかし一末の不安もあった。 松原 明(21歳)は去年9月以来の 帰省であった。2年前に東京のM大学 に入学してから2回目の帰省である。 夏休みはアルバイトに追われて帰省 できないのと彼岸に墓参りをする ことで毎年この時期になっている。 田舎の風景を眺めていると その静かさに愕然とした。 人の姿が見えないからだ。 東京で生活しているとこの静けさ がほしいと思うのだった。 人気ひとつないわが故郷の姿に 少しばかり淋しさを感じた。 「なんという静けさなんだろう””」 歩きながら明はわが故郷の光景を じっくり脳裏に刻んだ。。。 金色の稲穂がゆれるすばらしい田園風景”” 見上げる空は雲ひとつない青空であった。 こういう空を見ると疲れた重い体も 軽くなるような気がした。 だがひとつだけ父が気がかりであった。
2005年10月17日
♪ 夕 子 そ の 愛 ♪ 陽がかたむいて、山影に 消えようとしていた。 夕日が空一面をそめている。 美しい夕焼け空の下に 一人立つ女の姿があった。 夕日をみつめているともう 一度男の愛がほしくなった。 優しい男の愛につつまれて いつも幸せを感じていたい。 これからの人生を愛する人と 身も心も一つになり支えあって 暮らしていきたい。 夕子は今、真剣に そう思っている。 いい男性にめぐりあいたい どこかに私を愛してくれる すてきな人はいないだろうか・・・ 誠実で温厚で決断力があって タバコの吸わない人で・・・ 甘えたいから年下より 年上の男がいい。 最近になってそんな気持ちが 一段と強くなっていた。 夕子は40歳で、身長160cm・ 趣味は、映画・音楽・旅行・料理・ 朗読・パソコン・ドライブである。 夫と死別し、子供が一人。 35歳の時、夫をなくし 早や5年がすぎた。 一人息子の優樹は来年 高校1年生である。 夫の隆が死んだのもこんな 夕焼けの日であった。 隆は交通事故だった。 夕子が事故の連絡をうけ 病院へ駆けつけるときに タクシーの窓から眺めたのも 今日みたいな夕焼け空だった。 夕焼けの色が隆の体からあふれでた 血の色に見えてきて心臓がふるえ、 胸が痛くなったのを夕子は 今でもはっきりと覚えている。
2005年10月14日
♪ 生 者 に 幸 あ れ ♪ みんな死んでいくのか。 私の生きてきた人生において 祖父も祖母もそして父も死んだ。 いずれ母も死をむかえる ことだろう。 人間という長い道程のなかで 苦楽を味わいながら夢と希望を 追いかけても掴めなかった過去の 人生が幻のように思いだされる。 これから先、私の人生にどんな 幸せが待っているだろう。 いや幸せなど私にはありゃしない 絶対に幸せというものはやって 来ることはない。 誰も知らないことだが 私はガン患者なんです。!! もう一度いう私はガン患者だ もっとはっきりいおう。 私は胃ガンだ!! ガンにやられた廃人だ!! 人生の生き方は個人の自由だから 人に迷惑をかけなければどんな 生き方でもいいんだろうが・・・ しかし健康を害して生きることは 最低の生き方ではないだろうか。 祖父は、風呂場で倒れて死んだ。 祖母は、入院中に病院で死んだ。 父は山林の仕事中に事故で死んだ。 そして母は、どんな姿で 死を迎えるのだろうか。 私は母より早く死ぬことになるのか。 私は小高い丘に建つ白い家の二階で わが家系の生死について思いふけった。 私という男は、すでにいない祖父母や 父・生きているが年老いた母、 こういう人達の血脈を受け継ぎ この世に存在している。 そしてまた私は一つの血脈を残して死す。 私の死はいつ訪れることだろう。 残された一人の子供はどうなるの だろうか・・・ 2階の窓から遠くに海が見える。 雲ゆきは悪くなっているのか なまり色の空が重くたちこめて 眼下の街並もくすんでいる。 こりゃ雨になるな”” 強志は、そう思った。
2005年10月13日
♪ 頑 固 な 奴 ♪ 怒りぽっくて頑固で薄情な どうしょうもない男であった。 人の話を聞き入れない男だとは 転勤前の友人からの連絡で知っていた。 「 今度そちらに行く片山という男は とんでもない堅物だからな!! 」 そういった連絡だった。 M大学卒業の38歳の片山鉄治は その名のとおり融通のきかない 頑固一徹な奴であった。 高校を出た温厚な43歳の 吉川良夫とは、対照的な性格である。 鉄治は一度いいだしたら人の意見を 聞きいれない男であった。 大ベテランで上司や同僚からも信頼 されている班員の良夫が親切に・・・ 「 班長こうやった方がいいいですよ!! 」 と切り出しても絶対「はいわかりました」 とは言わないない男であった。 こんな班長とは、いい上下関係を築くことは できないと良夫も半分しらけた気分である。 「今まで長いこと班長と付き合ってきたが こんな不出来の班長は見たことがない!!」 と日頃あまりボヤクことのない良夫でも ボヤクことがあった。 なんであんな性格が生まれたのだろう?? 赤ん坊として生まれた時からあんな 性格ではなかったはずだ。。。 こんな班長の下で働くのは嫌だ・・・ 前の班長は、よかったなぁ~ 部下はみんなそんな思いである。 部屋のムードが鉄治がきてから 暗くなったみたいだ。 情愛もなく人との付き合いも淡白で 中身の濃い男同士の交流もできない 超自己中心主義の性格だった。 班員が残業し、業務に苦しんでいても われ知らず、時間がくればサッサと 帰り支度をして「 帰るぞうー”” 」 といって先に帰るような男であった。 鉄治は,男同士のケンカは今まで いくつもやってきたと自ら吹聴した。 この職場に7名の部下をもつ班長として 着任した2日目に早くも班員と 口ゲンカをしたのである。 「まったくやりにくい班長が来たもんだなぁ~」 部下はそう言ってため息をついた。 髪の毛の短いふっくらした 丸い顔に太い眉毛がのっている。 小さなサバの腐ったような瞳と タラコのような口元。 顔の一つ一つのパーツは 誰が見ても冴えない見苦しい 男であるのだが・・・ 一見すればダルマさんみたいな 顔立ちをしているものだから 早くも部下から「”ダルマの鉄”」 というあだ名をつけられた。 はいストップ!! 「ダルマの鉄”」というあだ名の 片山鉄治は、頑固一徹の男である。 新しい職場での仕事ぶりは はたしてうまくいくのでしょうか? さあ~ここからは、あなたに おまかせしたいと思います。 よろしくお願いします。 m(__)m * この小説に登場する 人物の名前は仮名です。
2005年10月12日
♪ 白 と 黒 の 男 ♪ あの日あの時にバス停であった男は 異様としかいいようがなかった。 今想いだしても不思議な男だった。 不思議というより変な男といって いいだろう。 はじめて会ったのは今年1月の雪の 降る朝、バス停で待っているとビルの 影からフラッ現れたのであった。 色が白くてひ弱そうな歳は20代後半 から30代前半ぐらいの男であった。 黒いブレザー・白いセーター・黒いズボン・ 黒いベルト・黒い革靴・黒い靴下・ 黒いメガネ・肩掛けの黒いカバンなどで 身をまとい8時発のバスに乗ったのであった。 黒いつやのある髪は首までのびている。 なぜこの男に異様で変にかんじたのか。。。 無表情でその男が近くにくると冷たい 空気が周りにただよったからだ。 オーラとかそんないいもんではない。 それはこの男から発光される得体の 知れない怪しげな男の匂いだった。 男も女もその人がかもしだす 温かい人間としての雰囲気が どこかにあるもんだが・・・ この男にはそれがなかった。 清はこの男に興味をもった。 この男にあってから9か月が経過した。 清とこの男は8時発のバスに同乗し ある地点までは一緒だった。 清は、5っ目のバス停で降りるので この男がどこへ行くのかわからなかった。 今年1月はじめてバス停であって以来 9か月の間、この男を見てきたが この男に人間的な温かさとか生活感を 感じることは一度もなかった。 10分前になるとビルの影からフラッと バス停にあらわれ、瞬きひとつせず じっと立ってバスを待つ姿はまるで マネキンかロボットのようだった。 無機質で淡白な性格のロウ人形 みたいな男であった。 それよりもっとも奇妙なことは、 ずっーと白か黒か二つの色の 服装であったことだ。
2005年10月11日
♪ ノ ッ ポ 少 年 の 夢 ♪ 中学2年生だというのに 185cmもある。 どこまで身長がのびるのか 孝夫にはわからない。 もうのびてほしくないと 心から思っている。 けれど自分で止めることが できないこともわかっている。 のびすぎて背の低い仲間たちを 上から見おろすのが嫌だった。 孝夫は、150名いる2年生のなかで 2番目に高い身長だった。 1番高いのは188cmのK君で バスケットの選手をしている。 中学2年だからまだまだのびるだろう。。。 へたすると190cmを超えるかも知れない。 そんなにのびてお前はいったいどうするのだと いつも心のなかで自分を責めている。 身長というのは知らぬ間に あっというほどのびるものである。 中学生になってから20cm 近くものびてしまった。 父も母もたしかに大きい方かも知れない。 48歳の父高井伸夫は、175cm・ 41歳の信子は、167cmである。 孝夫はどちらかといえば母の容貌と 父の体形をそなえた素直な少年だ。 1日に何cmのびるのだろうか? 思春期というものは、肉体的にも 精神的にも急激に成長するものである。 しかしあまり身長が高すぎるのも 良し悪しで孝夫も両親もそれが 心配であった。 2mを超える大男になったらどうしょう。 スポーツも苦手だしこれといった 特技や才能も孝夫には見あたらない。。。 背の低いのも困るが反面185cm にもなるとこれ以上のびないで ほしいと願うのであった。 いつも友達や先生からも「孝くんは 背が高いんやからなんかスポーツを やればいいのに・・」といわれていた。 でも何をやろうかと考えても思いつかない。 「僕のできるようなスポーツはないから」 といって適当に返事をしていた。 ところがひょんなことから自分の やりたいことが見つかるのであった。 叔父貴(母の弟)の家を訪ねたとき 部屋の片隅に置いていた二つの青い ダンベルをみつけたのだった。 そのとき孝夫は、「 これ頂戴!! 」 と叔父貴にいったのである。 「ああ~持っていけよっ!! これで鍛えれば孝くんの体は 逆三角形になるよ””」 「大胸筋をきたえればなぁ・・・」 と叔父貴はそういいながら孝夫の 胸を右手で軽く小突いたのだった。 叔父貴はダンベル体操を やっていたのである。 2kgのそんなに大きくない ダンベルだったから孝夫には 丁度いい重さであった。 その時、よし””叔父貴に負けないように 僕も体を鍛えようと決心するのだった。 僕は、もっとたくましくなってやる!! 孝夫はやっと自分のやりたいスポーツが わかったのだった。 自分のやりたいスポーツが何であるか 今まではわからなかったのに・・・ 自分の体を徹底していじめぬけば、 肉体的に身長にみあう体格に なるだろうと思った。 14歳にして自己の肉体改造 に目覚めた日であった。 叔父貴から「おまえの身長とスタイルと 容貌があれば、将来は男性モデルか 俳優としてやっていけるかも知れないねぇ~」 「顔も小顔で男らしいし、これから もっと身心を磨けば日本いやっ世界で 活躍できる男になるかもなぁ!! 孝くんは、背が高いという いいもんを生かすんだね!!」 叔父貴は、孝夫に優しく そういったのであった。 孝夫は叔父貴の言葉にうなずいて、 「おじいちゃん!! 僕は、いまやっと 自分のやりたいことがみつかったわ!!」 「もっと体を鍛えて逆三角形の体になって・・・ モデルか俳優をめざして頑張るわ!!」 孝夫はそういったのである。 はいストップ!! 孝夫の将来は、モデルか俳優か? 身心を磨くことによってどんどん 成長していくことでしょう。 ここからは、あなたにおまかせ したいと思います。 よろしくお願いします。
2005年10月10日
♪ 夏 の 青 年 ♪ カラン~♪ カラン~♪ カラン~♪ と下駄をはいた友の声が聞こえる。 「正志!! 焼肉でも食べにいかんか?」 夏男からのそんな電話だった。 夏男(27歳)と正志(26歳)は 気心のあうよき友達であり 二人とも独身である。 「ああ~いいよ!! 今からいくわ!!」 そういって受話器をおいた。 八月になって各町では盆踊りが真っ盛り♪ 「夢咲公園」の広場では今夜から5日間 地区の盆踊り大会が開かれるようだ。 その公園をみながらバスで30分かけて 夏男にあうために正志はやってきた。 19時頃、夏男の家を訪ねると 「やあ~元気か”久しぶりやなぁ~ 少し待っていてくれよ!! まあ・・そこの椅子に座っていてくれ。」 細面で筋肉質の夏男はそういった。 玄関の椅子に座ってしばらく待っていると 夏男は浴衣姿であらわれた。 「おおっ これは・・浴衣姿でいいねぇ。 焼肉を食べに行くんじゃなかったの?」 そういうと夏男は、聞いたことにはこたえず 「どうだい似合うかなぁ」といってクルリと モデルのように一回転して男の雄姿を 見せたのだった。 「いや~よく似合うよ””いいよ本当に・・・」 そういうと夏男はうれしそうに微笑んだ。 夏男は黒い鼻緒の桐の下駄をはいて 金魚絵柄のうちわを腰帯にさした。 正志は白いTシャツにクリーム色の 半ズボンそしてゴム草履だった。 「久しぶりに会ったけど今から 夢咲公園での盆踊りを楽しもうや!! 焼肉と冷えたビールはそのあとでなぁ。。。」 夏男はそういうと カラン~♪ コロン~♪ と下駄をならした。 「 焼肉を食べるより盆踊りが先か。 約束がちがうぞぅ””まあいいかぁ~ 」 そういって正志が笑うと夏男は、 申し訳なさそうな顔をして 「ゴメンな!!」と小さな声でいった。 しかたなく夏男のいうとおり盆踊りに ついて行くことにした。 夏の夜空には星がいっぱい輝いている。 「盆踊りなんて忘れていたよ!! 何年ぶりだろう””」 そういうと夏男は「ジャパニーズダンス を今夜はおまえも楽しめよ!!」 と自信ありげな顔をみせた。 夢咲公園にいくと「夢咲町盆踊り大会」 の看板があってにぎやかに盆踊りが 行われていた。 白いテントのなかには長机が並べられ 無料で冷たいお茶がふるまわれていた。 提灯のあかりのなかで浴衣姿の 男女が盆踊りを楽しんでいる。 屋台からは、いい匂いがプーンと 漂って夜の風とまざりあっていた。 紅白幕で囲まれたやぐらの上でドンドンと 太鼓の音がしてマイクをもった音頭とりが 歌をうたいそれにあわせて大勢の人が グルリとやぐらを取り巻くように 踊っている。 人の輪がくずれ一つの踊りが終わった。 しばらくすると「 さあ皆さん~♪ 次は河内音頭で~す~♪ みんな踊りましょう~!!!♪」 マイク放送があるとやぐらの前に また大きな人の輪ができた。 河内音頭が公園広場に響きわると さっそく夏男は踊りの輪のなかに 勇んではいっていった。 男も女も大人も子供もみんな踊りを 楽しんでいる。 やぐらの下の薄明かりのなかで 踊り狂っている夏男の姿があった。 「アイツうまいなぁ~♪」 正志はそう思った。 夏男の踊り上手は町内でも かなり有名らしい。 とにかくリズム感がよくて運動神経が いいから自分独特の踊りを身につけている。 グランドせましと飛び跳ねるような 自分であみだした踊りというべきか。 踊り手のなかでも踊る姿の風変わりさ については町内の語りぐさになっている。 その風変わりな踊りというかダンスには、 見るものをひきつける何かがあった。 河内音頭の音楽がとぎれると夏男は 輪の中をはなれ正志のもとにきた。 「どうだい俺の盆ダンスは?♪」 「いや~すごいよ!! はじめて見せてもらったけど独特の踊りで 最高だったよ!!うまいのでビックリした!!」 正志がいうと「おまえは踊らんのかぁ~??」 そういった。 でも正志は、踊らなかった。 「盆踊りにつきあわせて悪かったなぁ~ さあ~これから焼肉でも食べに行こうか。 今何時だろ? 9時になるんか! 少し歩いてもらわんといかんが今日は おいしい焼肉を食べさせてあげるからなっ」 そういって夏男は正志の肩をたたいた。 「いつも夏がくると盆踊りが 好きでこの公園で踊るんだ!! 浴衣を着て下駄をはいて 歩くのも大好きだし。。。 日本男児ここにありって そんな感じがするんだ!! とても気分がいいんだよ。」 夏男はそういいながら・・・ カラン~♪ カラン~♪ カラン~♪ と下駄を踏み鳴らした。 夜空には満天の星が輝いていた。 はいストップ!! ふたりの青年・夏男と高志の ひと夏の出会いは盆踊り♪ そして焼肉をたべながら ビールで乾杯~♪ この続き「夏の青年」はどんな 展開になるのでしょうか。 さあ~ここからはあなたが 書いてください。 よろしくお願いしますね。 追伸♪ 季節はずれの小説断片で ごめんなさい。 m(__)m
2005年10月09日
♪ 浪 曲 子 守 唄 ♪ 原田浪平は高校3年生である。 来年の春には大学に行くのか それとも就職をするのか・・・ 自分の意思を決めかねていた。 ただひとつだけ進路について考えるとき 大学に行くより一芸で身を立てたいと 思っている。 アルバイトの金で友達を誘い心斎橋の 元ソニータワー近くにあるカラオケ BOXに行った。 部屋番は777であった。 うわ~部屋番がスリーセブンだよん”” なんかいいことおこりそう~ね。 ラッキーついてるぅ~~ いい番号の部屋に案内されたからみんな びっくりするやら喜ぶやら心がウキウキした。 男4名・女2名のクラスメイトと3時間 おおいに歌って食べておしゃべりをして ひとときの青春を精いっぱい楽しんだ。 それから浪平は友達と別れてひとりで 梅田に出て阪急デパートの横にある ケーキ屋に行った。 大阪で一番うまいと評判のドーナツを 父と母への土産に10個買った。 仲間からここで売ってるドーナツは 最高においしいと聞いたからだ。 1個84円でひとつひとつセロハンに くるまれているドーナツだ。 きれいな紙の箱にいれ青い包装紙で 包み十文字にひもをかけてくれた。 そしてお持ち帰り用の紙袋にいれ 店員がありがとうございましたぁ~ と頭をさげて浪平にお礼をいった。 「ただいまぁ~」 「夕食は、友達の家で食べた からいらないわ!! はいこれドーナツ””」 台所にいた母にそういって居間に 行くと父がTVを見ていた。 父の顔を見たときあのことについて 言っておかねばならないと急に 思いついた。 あのこととは浪平の心の中にある 浪曲への思いであった。 いつかは自分の心のうちを話さなければ いけないと思いつつ今まで言えなかった。 今夜はとうちゃんに言わないと。。。 父ちゃん!! ちょっと進路のことで話がしたいんや・・・ あぁ~なんだい浪平、浪平の声で 和室で横になっていた浪太郎(50歳)は ゆっくりと身を起こし、TVを消した。 父ちゃん!! 大学受験の件なんやけど 大学にはいかないから・・・ 僕ぅ浪曲師になりたいんや!! なんやてぇ急にそんなこと言い出して・・・ 父ちゃんも母ちゃんもおまえだけは 大学を卒業して将来は大企業にでも 就職し、いい暮らしをしてもらいたい。 そう思っているんだよ”” 一人息子のお前だけは大卒の 学歴で社会にでてほしいんや”” 大学に行くにはお金がいるが そんなことは心配せんでええょ。 貧乏したって、ドロボウしてでも 父ちゃんはおまえを大学にいかすからなっ。 そう思っているんやから 何をいまさらそんなことをいうんだ”” 何があったんや浪平!! 父ちゃんも母ちゃんもおまえが 大学にすすんでくれるのが 一番嬉しんやから・・・ なぁー考えなおしてくれんか”” 今日カラオケに行って決めたんや。 僕は芸人として生きていきたい!! そりゃ~父ちゃんのいうとおり大学に 行くのが一番いいと思うけれど・・・ 僕の気持ちはかわらへんわ!! カラオケに行って自分の進路決めたって?? どういうことなんやいってみい浪平”” あのなぁ~父ちゃん!! 知らないと思うけどねっ 今高校生の間で人気のある曲? カラオケの選曲で一番人気のある 曲なんやけども・・・ 「浪曲子守唄」という歌なんや!! 父ちゃんやったら歌ったことあるやろ??? カラオケで「浪曲子守唄」をみんなで 一緒に大声でハモルんや” そのあと「高校三年生」を歌って 最後は「松の木小唄」で終わるのが僕ら 高校生の定番カラオケコースなんやで・・・ 「浪曲子守唄」の一節太郎をまねて 声をしぼっってみんなでうなるんや・・・ ♪ 逃げた~女房にゃ~未練はないが~~♪ ♪ お乳ぃ~~ほしがるぅ~~~ この子がかわいぃぃ~~♪ 歌いおわるとみんなハイテンションに なって興奮してしもうて拍手喝さいなんや!! 浪曲は日本のオペラやゆうて大人気だよ。・ だから僕も浪曲をやりたいんや。 へぇ~浪曲子守唄が一番人気とはなぁ 父ちゃんは信じられへんよ”” いまごろの高校生は、みんなそんな歌を カラオケでうたうんかぁ ~ 浪平はそれで浪曲が好きになったんか??? 「浪曲子守唄」も「高校3年生」も 「松ノ木小唄」も古い歌やでなあ~ もっといい歌がいっぱいあるやろう浪平”” あゆとかサザンとかそんな歌はうたわんのか。 うん””あゆの歌は誰もうたわへん!! サザンも「いとしのエリー」ぐらいやし”” M君なんか鳥羽一郎がもち歌なんだよ”” そうかぁ~でも浪平よく聞けよ”” 浪曲の世界は衰退するばかりでなぁ~ 全国で20代の浪曲師なんて2人か 3人いるかいないかじゃないかなぁ? 古めかしくて浪曲なんて忘れられた 存在の芸能だからねぇー 発展することはこれからもないと思うよ。 そればかりじゃないぞぅ浪平”” 血を吐くような苦労がいるんだ。 それに一流の浪曲師なっても収入が いいかどうかは疑問だしなぁ~ 仮に浪曲師になってもまともに メシがくえるかどうかわからんぞ。。。 くえるよ。 父ちゃん!! メシは箸でくえばいいじゃん~”” なんやとぅ浪平!! 箸でくえばいいじゃん~”” だとぅ!! じゃん~なんて親に向かって いう言葉じゃないやろがぁ。・。 えっ もう1回いってみろー おまえは親父をコバカに しやがってぇー。・。・ 違うよぅ父ちゃん!! 何よう騒々しいわねぇ~もう。 二人ともどうしたのよぅ 浪平もあんたも興奮して?? 台所で片付けをしていた母の良子(45歳) が浪平が買ってきたドーナツをもって 和室にはいってきた。 さあ~お茶でも飲んでよ”” あなたこれ浪平が買ってきたお土産で 大阪で一番おいしいドーナツなんだそうよ。。。 おおぅ~浪平が買ってきてくれたのか。 ありがとう浪平!! うっ おみやげを買ってきてくれた 浪平の気持ちが嬉しくて浪太郎は めがしらが熱くなった。 そっと指でめがしらをぬぐった。 浪平どこえいくのう? もう寝るよ母ちゃん!! 今日は疲れたから”” 寝る前に父ちゃんと母ちゃんに いっとくけどやっぱり僕の気持ちは かわらへんわ・・・ 浪曲師になって舞台に立ちたいんや”” 日本のオペラをものにしてみたい。・。・ それが僕の夢やからね。 浪曲の世界にも僕みたいな 若い力が絶対に必要やと思う。 日本の伝統文化が衰退しないよう 僕が立派な浪曲師になってささえたるわ”” じゃぁ~おやすみ”” 父ちゃん母ちゃん先に寝るよ”” 浪平の進路は、浪曲師として舞台に立ち 自分の浪曲をおもいきりうなること。・。・ 浪平はどんな浪曲師に育っていくのでしょうか。 このつづきは、あなたにおまかせします。 浪平をよろしくお願いしますね。
2005年10月07日
♪ 孤 独 の 部 屋 ♪ 部屋のなかのこもっていることが 男にとって必要であった。 誰と会うのも誰と話をするのも嫌だった。 それは文夫の仕事にとり邪魔になる なにものでもなかった。 居留守をつかい電話は留守電にした。 雑念をシャットアウトし、自分のやりたい ことをやる信念にあふれた男にとって 人に会わないこと、それがが鉄則であった。 部屋のなかは本で埋もれ、身動きがとれない。 TVも本の陰にかくれて見えない。 本の匂いが部屋のなかに充満している。 本の背表紙が目のなかに突き刺さる。 そんな部屋の片隅に鋼製の机を置いて 文夫はひとり小説を書いているのだった。 黒いレザーの背もたれ式の椅子に座って 原稿用紙に文章を書いていくのだった。 腹が減っては戦はできぬ”” 文夫は今、3合の米を炊飯器で炊いている。 シュッシュッというかすかな音が聞こえてくる。 あと5分ほどでご飯が炊き上がることだろう。 食事も小説を書く上でのエネルギーだから つとめて毎日定刻にとるようにしている。 ご飯を食べ少しお茶を飲み30分ほど休憩を した頃が一番テンションがあがるようだ。 テンションがハイになったときに 文夫は机に向かうのだった。 鋼製の机の右下にフトンを敷きひろげ 疲れたと思えば32歳・175センチの わが身をゴロリと横たえるのであった。 疲れると眠り、目が覚めると書く。 それが文夫の日常の生活だった。 もう半年が過ぎようとしていたが 文学新人賞に応募するにはあと 2か月はかかるだろう。 テーマがみつかり小説を書きはじめて からは1週間に1回近くのスーパーに 買い物にいくだけだった。 主に1週間分の食料品・米・ジュース などをいっぱい買ってきて冷蔵庫に 詰め込むものだから開けると中の物が あふれだしそうだった。 仕事をやめて小説を書く日々だから 今は完全に社会という窓を閉めきって ひきこもりの状態であった。 TVもみずに新聞も読まず 世間の情報を文夫自らの意思で もって遮断しているのである。 食事・風呂・排泄・眠ることだけが 部屋における文夫の行動である。 あとは書けば休み、休めば書く そんな生活を続けているのだった。 文夫の顔は無精ひげで髪も長くなり いよいよ貧乏書生という姿になってきた。 今日もまた孤独の部屋で小説を書き 疲れたらわが身を横たえる文夫である。 十五夜の輝くような月を見ることもなく 白いマス目をうめながら書くという孤独の なかで今日もひとり暮らすのだった。 はいストップ!! 文夫は、小説家になりたくて仕事をやめた。 小説新人文学賞の応募をめざしている。 孤独の部屋からどんな小説が生まれるの でしょうか・・・ ここからは、あなたが綴って下さい。 文夫が小説家としてデビューできるよう よろしくお願いしますね。
2005年10月06日
♪ 七 人 の 盗 賊 ♪ 今夜は決行の日だ!! 薄暗い部屋の中で7人の男が・・・ いや一人は茶髪の少女のようだ。 リーダーの前に集まって綿密な 打ち合わせをしている。 7人のなかの年長者は、リーダーである 26歳のケンであった。 あとは22歳のノブ・19歳のタカシ・ 高3のアキラ・フリーターのアツシ・ それに不良少女ユキの7人である。 みんなどこかしら暗い表情と冷たい目をして リーダーの話に耳を傾けているのだった。 8畳のリビングに腰をおろした7名全員の それぞれの思いが交錯してピリピリとした 緊張感につつまれている。 部屋の外は夕方から降り出した雨が シトシトといまだに降りつづいて 地面をたっぷりとぬらしていた。 そして午後8時をまわるといよいよ 雨の音を聞くだけとなった。 漆黒の闇となり完全に人通りがなくなった。 いいか今夜は願ってもない雨の夜だ!! 俺たちには成功という二文字しかない。 みんなそのつもりで行動するんだなぁ~ ああ~トシとアツシは、今日が はじめての出番やったなぁ~ だいじょうぶかな!! 今夜一晩だけの辛抱じゃないか・・・ 少しこわいか? うっ・・・ やめるのなら今のうちだ!! 嫌なら嫌とハッキリいってくれよなぁ。・。・ 俺はウジウジしたヤツは大嫌いなんだ!! 何も返事がないということは二人とも いいんだよなぁ~ 最近は、警察の巡回も厳しいから 手際よくやらねばいかんのだよ。 では今夜の行動については、 ノブに説明させるから。 リーダーのケンが話をするとみんな その強面に威嚇されて何も言えなく なるのであった。 みんなもっと近くに集まって・・・ 決行の時間は深夜の2時とする。 それで二つのグループにわけるから・・ 実行グループは、俺とタカシ・アキラの3名・ 見張りのグループはトシ・アツシ・ユキの3名だ。 場所は、昼にみんなで下見をしただろう・・・ 30番のところに駐車しているベンツだ!! 質問はないかい!なんでもいいよ。 みんな黙っているけどいいんだね。 とにかくマニュアルどおりやってくれ!! 説明はこれで終わる・・・ 細面でやせた男ノブの説明が終わった。 よしわかった!! もうくだらん説明はいらないや。 今まで何回も打ち合わせを しているんだからなぁ~ 自分の任務だけは忘れないでくれよ。。 さあ~みんな明日の1時半までゆっくりと 仮眠をとって休憩しておくんだ!! 腹のすいているヤツはパンと牛乳を 買ってきているから好きなだけ食べろや!! 明日の獲物は大きいかもしれぬ・・・ 結果はわからないがみんな頼むぞ!! ケンは仲間にそういうとニタリと薄汚い 黄色い歯をむいて微笑んだ。 はいストップ!! リーダーのケン以下7名は、車両の 後部トランクを開けて中にあるものを 窃盗して日銭をかせいでいるいわゆる 夜の窃盗団である。 雨ふる夜の決行・この結末はいかに? ここからは、あなたにおまかせします。 この窃盗団の行く末を綴って下さい。 よろしくお願いします。
2005年10月05日
♪ 赤 ち ょ う ち ん ♪ 夕闇が街を覆いネオンが輝きだした。 ネクタイをしたサラリーマンが仕事を終え 列車に乗って家路につく時間帯となった。 淡い水色のネクタイをして黒いカバンを 右手さげた男がうすあかりの道をひとり 凛とした姿勢で歩いている。 背丈は175センチあるだろう。 みるからに高級なスーツに背筋をのばして 前方をまっすぐみつめて大股で歩くものだから うすあかりの中でもやけに目立つのであった。 あまりにも立派な格好で歩くものだから まわりの人間がいやおうにもみすぼらしく 心貧しく人目にうつるのであった。 男は、薄汚れたガード下の 赤ちょうちんをめざして歩いていた。 いつもの赤ちょうちんで今夜も世間の 生臭い風に吹かれるのが楽しみであった。 赤ちょうちんをめざしているのには もっと大きな理由があった。 ノボルという中学時代の同級生の 元気な顔を見るためであった。 もう2年くらいになるだろうか。 毎日ではないが週2回は必ず 赤ちようちんでいっぱいやって ノボルの顔を見て帰路に着くのが その男の癖になっていた。 男というより社長といった方が お似合いの呼び名といえるであろう・・・ 人格が男の顔に現れているから会社では なかなかの辣腕のすぐれた社長であることは 間違いない。 「やあ~いらっしゃいトオルちゃん!!」 赤ちょうちんの親父が大きな声をだして 男を迎えいれた。 いつもノボルにそう呼ばれて腹の中が よじれそうになる時があった。 いい年をした社長にむかって 「トオルちゃん!!」はないだろうとは 思ったが呼ばれているうちになんとなく この呼び名が可愛くてとても好きになった。 呼ばれると子供時代のなつかしい故郷が かすかに胸の中をよぎるのだった。 ノボルとトオルは家が近所で生まれてから 中学を卒業するまでまるでずーと一緒に生きて きた無二の親友であった。 全日制の高校にはいけず夜間高校をでたノボルと 高校をでてさらに大学に進んだトオルの人生の 航路には天国と地獄のような差があった。 しかしそういう暮らしの差をまといながらも 故郷でつちかった心の絆は切れずに今も あたたかく強く錆びないでこうして同期の 友情を育んでいるのであった。 関西芸人に「酒井くにお&とおる」という 兄弟の漫才師がいて弟が「トオルちゃん!!」 といつて兄貴を呼ぶこと・・・ それをネタにして笑いを買う。 そんな漫才師のことを思い浮かべる ことがあった。 ノボルはひょっとしたら俺の弟かも知れない? トオルはそんな気がしていた。 二人とも外見上の年恰好は同じであったが 社会的な地位や教養についてはずいぶんと ひらきがあった。 「どうだいノボル””今夜も商売繁盛だね~」 と励ましのつもりでそういってやると 「何をご冗談をトオルちゃん!! こんな場所で商売繁盛はないよ。」 そんな返事が返ってきた。 「いつものでいいんだね・・・ トオルちゃん!!」とノボルがいったので 「ああ~たのむよノボルちゃん!!」 社長も珍しくあっさりとそう言ったものだから ふたりは目を見合わせて、わははっと笑った。 「ノボルとトオルは、ほんといい同級生だよなぁ~」 なんて社長がいったもんだから・・・ ノボルは「そのとおりぃ~」とすっとん きょうな声をだした。 3メートル四方のスペースにお客さん用の 長イスが3台ノボルを中心に凹形で とり囲んだ小さな屋台であった。 左右にそれぞれ赤いちょうちんが 一つづつ赤い光を落としている。 この二つの赤ちょうちんは社長のトオルが 同窓の友としてノボルに贈ったものであった。 左のちょうちんには「笑顔一番」 右のちょうちんには「ノボルの店」と 太い墨字で書かれている。 長いす1台に3人座るとしていっぺんに 9人のお客さんをノボルは相手することになる。 9人満席になることはめったになく月に1回 あるかないかだとノボルはいうのだが・・・ トオルは今日最初のお客だった。 赤ちょうちんの親父ノボルはワンカップ大関と おでんの盛り合わせ一皿をいつものとおり 「あいよっ!!」といってさし出した。 「こんな汚いところで飲んで帰るよりトオル ちゃんにはもっとふさわしいお似合いの場所が あるのになぁ~」とノボルはいった。 「何をいうのかねぇ~ノボルの元気な顔が 見たくて来ているんだからなぁ~」 トオルはおでんの厚揚げを口のなかで ゆるやかに噛みながらこたえた。 お互いの名前については、子供の頃から 嫌なひとつの思いがあった。 ノボルの姓名は、「大杉 登」でトオルの 姓名は「木下 徹」といった。 子供心にも妙な名前だとは思っていたが、 高校時代になって自分の将来や進路を 考えるようになるとよけいにそれは顕著に なったのである。 ノボルは、人生という大きな杉の木には 登れないかもしれないと思い・・・ トオルは、人生という木の下を通ると 木の上から誰かに石を投げられるのではないか・・・ そんな思いを秘めながら思春期を過ごしたのであった。 もう少しいい名前をつけられなかったもんだろうかと 二人とも親を憎むことさえあったのだ。 トオルは、徹より藤吉郎とでもつけてくれたら よかったのにあぁといって笑うこともあった。 そんな嫌いな名前を抱きながら二人とも45年の 月日がながれたのであった。 電車が通過するとガタンガッタンと黒い天井がゆれ きしむような音がして二人は少しのあいだ沈黙した。 赤ちょうちんの酒に酔って世間の生臭い風に 吹かれるにはまだ少し早いトオルとノボルの つかのまの時間であった。 時刻は、午後7時10分であった。 はいストップ!! トオルとノボルは、中学校までいつも 一緒に過ごした無二の親友である。 赤ちょうちんでの語らいはさらに 二人の絆を強くすることでしょう・・・ さあ~ここからは、あなたにおまかせします。 あなたの手でこの物語を完結させて下さい。 よろしくお願いしますね。
2005年09月05日
♪ タクシードライバー ♪ 台風が接近して雨と風が強くなって 車のウインドウーをザーザーと たたきつける夜の街であった。 雨だけならまだしも風が強いから お客なんて一人もいない。 ああ~こんな日は、運ちゃんを降りて いきつけの居酒屋で「キューといっぱい やりてぇなー」そんなことが男の脳裏の なかでうずまいていた。 男は雨と風の音を聞きながら 退屈そうに目をこすった。 タクシードライバーになってまだ8か月という 新米のこの男の名前は、中道 卓志といった。 年令は38歳でこの業界では、数少ない 30代の若手ドライバーであった。 大阪でも有数のタクシー会社「花丸タクシー」 に就職したのは今年1月10日だった。 約2000人のドライバーがいるが 30代は30人程度だろうか・・・ 平均年齢は、50歳を超えているだろう。 20代は一人もいない。 いないというよりすぐにやめるから 希望者がいても採用しないだけの話である。 一時は、駅前などを拠点にしていたが売り上げが のびず、今では大阪北新地の歓楽街を拠点として 車を流しているのだった。 北新地といえば大阪一の高級クラブが 数多く立ち並ぶ大人の街である。 ホステスとともに酒を酌み交わす社用族や お金持ちなどのいわば遊興の街であった。 ところがクシー業界にとっては、北新地駅が 出来てからは、さっぱり売り上げがあがらず 閑古鳥がないているとか・・・ みんな最終電車で帰るからこの駅が出来て以降 タクシーの乗車率は半減したそうである。 卓志は、大阪生まれの大阪育ちだから 地理にはずいぶんと賢かった。 全国で大阪府と東京都では、タクシー運転手 になる前に地理試験が行われるようになっている。 ほとんどの人が2・3回までに受かるようだが・・・ 卓志は、100点満点をとり1回で合格した。 法務局はどこにあるか? 日航ホテルはどこにあるか? ○○橋は何区にあるか? など○×式の試験で95点以上が合格である。 大阪の街は、大阪城を中心に考えればいいのである。 運転している時は、いつも太閤秀吉さんのお城が どっちの方角にあるかを頭にいれながら走れば 大阪の街なんてすぐに覚えられるというのが この男のよくいう自慢話みたいなものであった。 ところがこの業界はそんなに甘くない・・・ 地理に賢いとか・うといとかは関係ないのであった。 地理については生き字引だと評判の男でも水揚げが 少なく生活が苦しくなってタクシードライバーを やめた人を卓志はこの8ヶ月で3人もみてきた。 また反対に地理にうとくても水揚げの 上位にいる仲間を何人も卓志は知っている。 要は、毎日いくらの水揚げがあったか なかったかの問題なのである。 一日に4万程度の水揚げがあって はじめて家計がうるおう給料だろうか。 売り上げの半分が自分の身銭になるのであった。 ところがこの4万円の水揚げを常にクリアー しているドライバーは数少ないらしい。 卓志も地理には賢い男ではあったが 4万円を獲得できなかった。 なぜこんな若さでタクシードライバーになったのか・・・ 話をすすめていくうえでそのことは 書かなければならないだろう。 5年前になるが卓志には美貌の妻と 2歳になる女の子がいたのだった。 中堅の企業ではあったがそこそこの給料を もらい将来を期待される一人であった。 縁とは、不思議なものである。・。・。・ ふとしたあるご縁によって社内で一番気立てがよくて 美人と評判の26歳の美和を結婚したのだった。 結婚した時卓志には資金がなく美和がいろいろと 資金を工面して都合をつけた。 卓志は28歳で美和とは二つ違いのお似合い 仲むつまじいカップルであった。 卓志は背も高く誰に対してもも人当たりのよい 好感度上位の男性だったために社内でも美形同士の 結婚ということでかなりうわさの種になったようだ。 それには、ひがみやねたみも多分にあった。 結婚して1年もしない間にそれは現実のものになった。 妻の美和に支店への転勤という話がもちあがった。 通勤できる範囲ではあったが片道2時間という 遠距離にある支店への異動であった。 共働き夫婦は、同じ職場内に勤務させない という会社の強い方針だったようだ。 いやそんなことより妻の美和を退職させようという 会社上層部の腹もあったようである・・・ だが結婚しても共働きをのぞんだ美和は転勤した。 それは、元気なうちは多少の苦労もいとわない 美和の強がりな性格でもあった。 だが転勤後、1年をして美和は体に変調をきたし 会社に退職届を提出した。 妊娠に気づいた美和はやむなく退職を決意した。 退職後、女の子を授かったので卓志も 美和も本当にうれしくて心から喜んだ。 これからは、卓志とともに専業主婦として 生きて行こうと決心し、二人で相談して将来の 生活のために3LDKの新築マンションを購入した。 3000万円を30年ローンで支払う予定であった。 ところが話はうまくいかないものである。 話は幸せなことから一転、悲しい話となる。 本当は、書きたくない部分だが書かねばならないだろう。 その悲しみとは卓志が肝臓を患い 入退院をくりかえすようになったのである。 マンションを買って半年後のことだった。 人生の悲しみは、3人の家族に突然やってきた。 子供はまだ小さいところへ夫の入院が重なり 心労で美和も倒れるというハプニングもあった。 ましてや卓志は数値が下がらず長期入院となり 結局会社を解雇されてしまい定期収入が完全に 絶たれてしまったのであった。 優雅なマンションから二人で見た大阪の夜景や 大阪の街並も卓志が入院してからは一緒に 見ることはなかった。 愛しい我が家もローン返済がいきづまり しかたなく泣きながら手放すことになった。 それからは、美和と一人娘をも養っていくことが できなくなり妻と娘は妻の実家で生活することに なったのだった。 それからのことは、書かなくていいだろうか。 いや書くべきかとても迷うところなんだが・・・ とうとう美和と卓志は離婚したということだ。 幸せからどん底に落とされても またはいあがるのが男である。 あれほど肝臓を患っていた卓志も治療の かいがあってだんだんとよくなり数値も 格段と下がったのだった。 男が一度失ったものは とてつもなく大きかった。 それは、家族と仕事であった。 夢と希望にあふれ家族とともに未来に 羽ばたく仕事という羽根を失った 卓志には大空を飛ぶことはできなかった。 妻と娘と別れた卓志は一時は俺の人生は これで終わりだと思ったこともあった。 でも卓志の検査数値は不思議と下がり続け 奇跡的に正常に近い数値をかろうじて 維持できる体調にまで回復したのであった。 約2年の療養生活が過ぎていた。 これ以上のことを長々と書くこともないだろう。 一度離婚した家族はもう帰ってはこなかった。 二度と妻子と同居することはなかった。 退院はできたがとにかく妻子を養えない身であった。 定期収入が途絶えるということは愛する妻でさえ いとも簡単に去っていくことを身にしみて感じる こととなった卓志は人生のはかなさに涙をながした。 本題にもどして書かなければならない。 時間は午後の10時まわったところだが 3時間前に飲み屋のおかみさんを乗せたきりで いまだに一人も乗せていない・・・ 台風が来ている夜にお客がいないのは あたりまえであった。 情けない話だがお客さんが乗らなければ タクシードライバーはあがったりである。 雨は、一段と強くなってザァーザァと 車にあたりはじけて大きな玉となって 地面にながれ落ちた。 卓志は、それでも眠い眼をこすりながら 乗客を車内で待ち続けるのだった はいストップ!!ここまで・・・ 卓志は長い療養生活を終えて仕事が出来る 身となった。だがこの間の体力面の衰えは 自分が一番よく知っていた。 しかし自分の生活を切り開いていくには 働くしかなかったのである・・・ タクシードライバーとして働ける喜びを 感じながらも困難に直面していた。 これからの卓志の人生はどうなって行く のでしょうか・・・ このあとは、あなたが綴ってくれますか? あなたにおまかせしますからよろしく!!
2005年09月04日
♪ 戦 士 の 掟 ♪ なにを思ったのかふいに男はいなくなった。 行方不明なのである。 午前9時すぎに会社から電話があり・・・ 「ご主人さんが会社に出勤していないんですが・・・」 そう言われて妻のみどりは天地が ひっくりかえるほどびっくりした。 「今朝いつもどおり主人は7時前に 会社に行くため家をでたんですよ。 何があったんでしょうね。 結婚して今年で10年になるけど 欠勤なんてはじめてですわ!!」 連絡をくれた同僚にそういうと フゥ~とみどりはため息をついた。 何かしら胸騒ぎと不安がいっぺんに みどりの心をおそった。 みどりは33才で夫高志は42才であった。 恋愛結婚じゃなく父のすすめで 結婚したというべきである。 頑固な父がこう言った。 「いい人がいるから会ってみろ!!」 その一言でみどりはお見合いをしたのであった。 夫は32才のインテリ風の男にみえ、みどりは 23才のどちらかというと家庭的でまじめな女にみえた。 お見合いのあと知らない間に トントン拍子で話がすすみ結婚した。 恋愛感情も生まれないままに頑固な父(片井鉄男) のいうとおりにした結婚だった。 みどりはいつも自分が決めた結婚ではなく 父が決めた結婚だとひそやかに心の奥底に いつもふつふつと湧き出るマグマを抱いていた。 ふたりの間には子供はいなかった。 「ふたりとも厄年だねぇ~」なんていいながら 苦味のある表情をみせて笑った夫を思い出す・・・ あれは一週間前のことであった。 夫は「もう仕事をするのが嫌になったねぇ。 人生なんて何のために生きているのかわからない!! ふたりとも厄年だから何があっても 不思議ではないよ!!」そういった。 そのときの夫の顔はいまでも忘れられなかった。 1週間たっても夫高志の行方はわからなかった。 どこいいるとも連絡もせずに行方不明になった。 原因ははっきりしないままだ。 ひき逃げ・拉致・自殺・蒸発などいろいろと 考えたが夫にむすびつかなかった。 ただひとつだけ気になるのは、高志の言った 「ふたりとも厄年だから何があっても 不思議ではないよ!!」 その言葉であった。 でも会社にいく時の高志の姿はなんら 変わることなく普段どおりであった。 夫は今どこでどうしているのだろう・・・ 夫高志は真面目すぎるほど 仕事ひとすじの男であった。 とりたててこれという自慢すべき 趣味は何一つもっていなかった。 だだ仕事をするために生まれたような男であった。 会社のために骨身をけずって仕事に邁進する 企業戦士であった。 毎日の生活はなんら変化にとぼしく朝起きて 会社に行き帰ると風呂に入ってTVを見て 過ごす、これが高志のお決まりの暮らしであった。 もらった給料袋は明細書どおり毎月全額を みどりに手渡して自分の財布にはいくらの 金も入っていなかった。 お金には無頓着な男だった。 一日の小遣いはいくらだろう? 高志には一日1000円として 月はじめに3万円を給料から渡している。 結婚して十年間高志は妻にお金が足りないからと いったことは一度もなかった。 1000円亭主というわけであった。 みどりはときおり高志はお金の使い道を 知らないのではないだろうか? そんな疑問を抱くこともあった。 行方不明になったって財布の中身は それほど入っていないだろう・・・ 財布の中身を考えればそんなに 遠くへは、動けないないはずである。 心あたりには、ほとんど電話をしたり 訪ねたりと妻としてやるだけのことはやった。 会社の仕事仲間も心配して探してくれたが 一向に高志の居所はつかめなかった。 そろそろ警察に捜索願いを出さねばいけない!! そう意を決するとみどりは心なしか落ち着いた。 高志を捜し出すことは身内だけでは困難であった。 最終の方法として警察に頼むしかなかった。 はいストップ!! ここまで、。・、。・ 仕事ひとすじの真面目な男が行方不明になった。 捜索したが何のてがかりもつかめない・・・ 妻のみどりは、警察署に捜索願いを出すことにした。 さてと・・・ これからの展開はあなたにまかせることとしょう”” いいですよね!!よろしくお願いしますよ!!
2005年09月03日
☆彡 愛 す れ ど 悲 し き メ ロ デ ィ ー☆彡 あの清流のなかでまぶしい肉体を さらけだし、逢瀬を重ねくちづけをし、 青い体験をしたのは達也という男であった。 洋子にとって達也はまさに 忘れることのできない異性であった。 褐色の肌をみせて岩場をつたいそして 泡のうずまく青い淵にいっきに飛び込んだ 若い達也の肉体が目の前に浮かんでは消えた。 私のすべてを奪いそして異性の体臭を はじめて洋子に教えた人それは達也であった 「洋子も泳げよ!」そういって 青い川面で手を振った達也” 若いはちきれんばかりの肉体を私の前に さらけ出し洋子に愛を告白した人”” それは達也であった 洋子は、電話のなかでそう思いながらも 口からは平凡な言葉しか生まれなかった。 洋子はおかしかった。 逢いたいと思う気持ちは洋子より 達也の方が強かったかも知れなかったが 勇気という点では洋子の方が強かった。 男に女がTELすることは、 かなりの勇気がいった。 7年間の空白をおいてTELする 洋子の感情は、炎のように 燃えていて当然であった でなければ女の一番大切なものをあげ、 さよならした人にいまさらTEL することもなかった。 永遠の思い出として青春の苦い体験として 心の奥にしまっておけばそれで済んだはずだった しかしそれではすまぬ何かが洋子を襲っていた。 それは自分の意思でもあり意思でもないような 気がした。 何かがはじけ達也に逢いたい” そういう気がしていつも苦しい思いが 回転しては消えていた。 「洋子は子猫””」 達也はよくそう言ったものだ。 子猫のように可愛くてきしゃで すばしこくて愛らしい” 達也はいつも洋子を子猫と表現した。 そのことを思い出しながら洋子はもう一度 達也に子猫と言われたい気がした。 変な感情だった 洋子は自分の心が変な方向に 進んでいくのをとめられなかった。 達也に逢いたいと最初に思ったのは いつ頃だっただろう・・・ (* 洋子の名は仮名です。) はい!! ストップ 洋子と達也の別れと出逢い” 7年間の空白をおいて二人が また逢いたくなり再び恋に落ちていく。 タイトルは「愛すれど悲しきメロディー♪」 さあ”ここからは、あなたにおまかせ したいと思います。 すてきな恋愛小説に仕上げて下さいね。 よろしくお願いします。 m(__)m
2005年08月28日
☆彡 戦 場 の 月 ☆彡 約70kの行程を徒歩でもって踏破するのだった 厳しい行軍になることは、誰もが覚悟している。 行軍後の戦況は、一体どうなるのだろうか? そのことについては誰も知らない。 小隊目標も行動等の説明も何ひとつない。 行き先不明の強行軍であった。 みんな不安がないと言えば嘘になる・・・ しかし小隊のなかに誰ひとりとして行き先を 教えてくれという兵士はいなかった。 そんなものである・・・不安はあっても 軍人とはそんなものである。。。 行き先も敵情も誰も知らないのだから 反面気が楽であるという心理効果はあった。 聞いたところでこの任務が変わる わけでもなかった。 小隊全員が小隊長を信じ、命ぜられるまま 行動を共にするだけだ・・ みんなそう思っているのだろう。 小隊長の刈田はギラギラとした 眼で号令をかけた。 「いいかぁー!!私がこの小隊の 指揮をとる刈田少尉である。!」 「今夜20:00からわが小隊は 70kの夜間行軍を開始する。」 「全員準備はいいかあー もう一度細部の点検を実施せよ!!」 「健康状態の悪い者はいないか?-」 「この行軍における敵の襲撃に ついては、まず心配ない・・・」 「事前の偵察によれば、行軍の 経路上に敵はいないということだ!」 「みんな厳しい行軍だから、気をひきしめて 全員団結してこの任務を達成するのだ!!」 そう言って小隊に号令をかけた刈田少尉は、 国防大学卒の26才・小隊長としての指揮は 3度目であり、経験は浅かったが国防大学卒 という誇りと気力でどんなことでも体当たりで 任務を達成する若さと根性の持ち主であった。 いよいよ夜の闇が訪れた。 出発15分前になった。 刈田小隊長は部下の班長3名を呼び寄せた。 1班長・鰐淵、2班長・鬼川、3班長・鮫島 の各班長は、小隊長の前に集合した。 3名とも刈田より年上で新兵から たたき上げた強靭な男たちである。 小隊は3個の班で1個班、班長以下10名の 編成であった。それに小隊長のもとに伝令が 1名ついた。伝令は小隊と班の連絡や小隊長 の世話役みたいな任務を帯びていた。 小隊長以下総員32名の編成であった。 呼び寄せた班長に対して苅田は次のように 指示をした。 「いいか今夜の行軍は暴風雨になるかも 知れないがみんな最後まで頑張ってくれ!!」 「どんな厳しい状況下でも泣き言は絶対に 許されない!!困難なときほど男としての 真価がわかるものだ!」 「わが小隊いや班長の真価が問われる 行軍になると思う。 負け犬にはなるな! いいなっ!!」 「5kごとに10分の休憩をとるが 落伍者をだすことなく全員が元気で 目的地に着くように・・・」 「班長は、自らの班員をよく掌握してケガを しないよう十分注意するんだ!」 「新しい任務は目的地に着いてから伝達する。 とにかく目的地に向かって前進だ!」 「いいか最後までがんばるぞ! 健闘を祈る!!」 そういうと刈田は、行軍隊形31名の先頭に立った。 20:00になると刈田小隊長は、 右手の懐中電灯を闇に突き上げ、灯りをゆらし 「 小隊~出~発~ !! 」の合図をした。 小隊の者は全員迷彩服に鉄帽をかぶり、 重い装備を背負って銃器を携行している。 夜の闇が深くてそれぞれの顔はわからない。 しかし顔は見えなくとも男たちのかたい 絆だけは、闇の中でもはっきりと確認できた。 出発前から雲行きが悪くて心配されたが・・・ 出発まもなくして雨がポツポツと降って来た。 しばらくするとザーザーと大雨になってしまった。 どしゃぶりの雨の中をただ一筋目的地に 向かって歩く男たちの勇者の群れ・・・ 雷鳴が轟く中、その集団は、全員ポンチョを 着て、ただ黙々と真っ暗な山道や とある川沿いの道を進んだ。 風雨は、だんだんと更に強くなって 全員が濡れ鼠となった。 またひとつ稲妻が走り遠くで雷鳴がした。 はい!! ストップ!! 苅田小隊長以下32名は、強い雨に うたれて、約70kという行軍に出発した。 行き先は、わからないままである。 小隊長の指揮だけを信じ歩きはじめた男たち。 全員が無事、目的地に到達できるでしょうか? この続きは、あなたが書いてくださいね。 お任せしますので約束してくれますかー?? よろしくお願いしま~す。 m(__)m
2005年07月17日
☆彡 憂 国 の 群 れ ☆彡 師団長は「君は日本有事の際真に 役立つ人間になれるかね!!」 と安楽大佐の顔を凝視しながら聞いた。 師団長室に入るなりいきなり唐突な 質問をうけたため安楽大佐は口から でる言葉をなくした。 この質問の真意ははっきりしていた。 有事の際、君は命を落としてまで任務を まっとうできるかという安楽大佐への 意思確認であるのだ。 国を守るという崇高な使命をおびた 職務に従事している男たち。 平素から堂々とこういう質問を ぶつけてくる組織は他にはない。 安楽は国防大学の1期生で41歳である。 1期生の同期のなかでも順調に組織の 階段を駆け上がってきた大佐であった。 いわば国防大学をトップの成績で卒業した エリート軍人であった。 浅黒く精悍な顔つきでさばさばとした 頭脳明晰な軍人!それが安楽大佐であった。 安楽大佐の前にある黒い一人用の ソファーにゆったりと腰をかけ鋭く 鍛えぬかれた肉体と精神で安楽を みつめる大山大将がいた。 その姿はりりしく一筋の輝きに 包まれて安楽大佐を緊張させた 「まあこちらの椅子に座ってくれ!!」 小さな声で師団長は安楽大佐に 声をかけた。 師団長にいわれて安楽大佐は 礼をしてゆっくりと黒い革張り のソファーに腰をおろした。 「いや君に話があってなぁ もう知っているだろう・・・ 日本が海外の紛争解決のために 派遣が決まったことは・・・ 実は師団長としては安楽大佐に指揮を とってもらいたいと考えているんだ!!」 「君ならこの任務を立派に果たして くれるだろうと思ってな・・・」 「我々の任務に失敗は許されない。 日本の命運がかかっているからなぁ~ それがためには、君が必要なんだ!!」 「今派遣候補者500人の選考にはいって いるのだが指揮官としては安楽大佐が 一番ふさわしい人物だと考えている。。。」 「七ヶ月先の派遣だが前もって君に師団長 として話しておきたかったんだ!!」 安楽大佐はじっと師団長の話に聞き入り 言葉を出すことをすっかり忘れていたが 事の重大さにハッとして我にかえった時 「どうだね・・・安楽大佐 !!」 師団長はそう問いかけた。 安楽は「有事には自分の命を投げうって 日本のために戦います!!」 安楽大佐はさらに師団長の胸元を見ながら 「今回の海外派遣も命とあれば命を 投げうってでも指揮官としての任務を 全力で貫徹したく思います。」 安楽大佐はキリッとした表情で師団長に語った。 師団長は「わかった!!」 「君の気持ちはわかった!! 命を投げうってくれることがわかれば それで十分だ!!」 「よく言ってくれた!!」といった。 安楽大佐は師団長の眼光がやわらぎ 口元が一瞬ゆるんだのを見逃さなかった。 大山師団長はソファーから立ち上がり 安楽大佐の手をグッと握るなり、 「安楽大佐頼んだぞ!!」そういった。 安楽大佐は師団長の手をしっかりと握りかえした。 その後大佐は大きな声で「安楽大佐帰ります!!」 と直立不動で45度の敬礼をして部屋を出た。 部屋を出る時赤い絨毯が目にしみた。 師団長室から廊下に出ると一筋の生あたかい 空気の流れが大佐の顔をなでた。 七月半ばの午後であった。 梅雨もあけてむせび泣くような セミしぐれが安楽の耳をつんざいた。 はい!! ストップ!! 海外派遣部隊の指揮官になるであろう 安楽大佐と大山師団長との男の語らいは 国家を思う強い使命感と男同志の強い絆を 感じますね。 派遣までの間安楽大佐はどんな心の準備を するのでしょうか? この続きはあなたにお任せします。 よろしくお願いしますね m(__)m
2005年07月10日
♪ 怒 り の 海 ♪ バカ者ぅ!! 何年その仕事をやっているんだ!! おまえなんて首だぁー!! その部屋から怒鳴り声が聞こえてくる。 今日は誰が怒られているんだい? 庶務係の幸田が聞いた。 ああ~今日はあいつだよ!! クスッと笑いながら庶務班長の伴在がいった。 営業課長の安井(42才)がまた 怒られているんだよ!! 本当にかわいそうなことですなぁ~ もう日常茶飯事のことで 別に驚くことではないのだが・・・ 庶務を担当して15年目をむかえた 伴在はそんな光景を何度も見てきた。 班長になってから5年になり今年で49才になる。 社長の身の回りの世話や会議・会食・週間予定・ 来客者の応接などの業務を担当するベテランの 経験豊かな班長であった。 社長の怒りには、もうへきへきしていた。 その声を聞くといつもやりきれない気持ちになった。 そこまで怒らなくてもいいじゃないか・・・ そう思うのだが誰も進言できなかった。 その部屋とは、この会社の社長室である。 ワンマン社長で有名な赤地社長の 「怒りの部屋」といわれている部屋だった。 この社長は背は低くてやせている。。。 自分の肉体に対してのコンプレックスは 普通ではなかった。 すぐカッとなるので社員の間では 「瞬間湯沸かし器」というあだ名がついている。 顔を真っ赤にして口角アワを飛ばし飛び 上がらんばかりに、どなり散らすのであった。 ちっちゃな体に対してのコンプレックスを 大きな怒り声で発散し、自分の威厳を 保持しているそんな社長であった。 社長という肩書きがなかったらただの そこらへんのオッサンなのに。。。 みんな腹の中ではそう思っているのだが・・ 社長は57歳だが、人並みはずれたタフな男で そしてなかなかのおしゃれでもあった。 ややうすくなった髪にいつもタップリの 整髪料をつけて、櫛でバックにかきあげる のがくせであった。 そして今日は、わしの怒りでわしより 大きな課長連中をいかにたたきのめすか・・・ そんなことばかり考えている男だった。 課長連中と並ぶと顔や背丈においてずいぶんと 見劣りする社長にとって、課長連中より優位に たつ唯一の方法は、怒りの部屋で徹底的に こらしめてやることだった。 それが社長としての威厳を保ち、社員達から なめられない統率の要であると思っている。 怒りの部屋では、みんな体が硬直して、 頭をさげてじっと耐えるしかなかった。 怒りの部屋からでてきた営業課長の安井は、 青ざめた顔で庶務班長にこういった。 明日から当分の間、休ませてもらうからな!! こんな会社つぶれたってかまわないよ!! みんな会社のために一生懸命やっているのに 瞬間湯沸かし器のやつ数字の営業成績ばかり いって・・・数字に出てこない努力という ものを少しもわかっちいゃいないんだから!! 伴在さん!! 休暇届をくれないか。・。・ 一身上の都合で明日から休ましてもらうから。。。 お前なんて首だ!! そういわれたんだ。 やめてやるさ!! こんな会社をやめてもっといい仕事をさがすよ!! 伴在さんは、この気持ちをわかって くれるだろうねぇ。 はい!! ストップ!! この社長のあだ名は、「瞬間湯沸かし器」。 こんなワンマン社長の会社の将来は・・・? 社長の姓が赤地だから、収支決算も赤字かも。・。・ さてこの小説の先にどんなドラマがまって いるというのでしょうか? このあとは、あなたにおまかせしたいと思います よろしくお願いしますね。 m(__)m
2005年06月16日
果 無 山 あの山を見るとき一種の恐れと 羨望がいつもあふれた。 おだやかな稜線を描いて、それはそれは 美しい山であった。 果無山それは恐怖のイメージで 男の心にしっかりと刻み込まれていた。 それは小さい頃父親からよく話を 聞かされたことが原因であろう あの美しい眺めが嘘であるように・・・ 「あの山にはなぁ化け物がいるんだよ!!」 「夜になるとなぁいくつものお化けがでるんだよ」 「ヨタカがでるんだ!!」 父はよく男に果無山の恐れを 説いてそういったものである。 小さい頃よく果無山に向って 叫んだことがあった。 あの頃男はなんと叫んだのだろう。 忘れていたかすかな幻影が目の前に現れた。 学校の帰り道2・3人で叫んだことが 思い出された。 「オバケ山ぁ~・・・」 そう叫んだ記憶がよみがえった。 果無山はふたつの県にまたがる 壮大な山系のなかのひとつであった。 その山系の頂点にある山の名が果無山である いつも美しく眺めるこの山は時として 微妙なそして激しい変化をとげるのであった。 それがこの山の特徴であった。 その山系は気候の変化によって雨や雪を 恐ろしいほどふりそそぎ小さな山村の 人々を震え上がらせるのであった。 雨や雪がふる時はいつも果無山に ぶつかってから弾け飛ぶように すごい勢いでその村に向かって 襲ってくるのだった。 おだやかな山系が急変するとそれは 山一面が一気に青黒くなり灰色の 雨や白砂のような雪が村々に 駆け下りてきた。 それは怖い悪魔が怒り狂ったような姿で 不順な気象をかもしだすのであった。 果無山は村々に山の怒りを教えた。 しかしその山の怒りである雨や雪が 終われば、山系はすがすがしく 美しい元の山にもどるのであった。 冬に雪がふったあとの頂上付近は白く 輝き太陽に反射してまぶしく光るさまは 宝石のような美しさであった。 木々は燃え村々の人々は嬉々として 生気をとり戻すのであった。 果無山はそれほど村々の人々を つつみこむ偉大な山であった。 美しさと怖さとそして村々のあこがれと 希望と夢を背負っている山であった。 おだやかな峰は女性のようでもあり、 トゲトゲした稜線は駱駝のコブのように見えた。 はい!! ストップ!! 果無山という名の山に抱かれた 小さな山村に住む人々たち”” そしてその村を故郷として 生きてきたひとりの男。 これからこの小説はどのように つづられどんな物語がまって いるというのでしょうか。。。? このあとは、あなたが綴ってくれますか よろしくお願いしますね。 m(__)m
2005年06月13日
★ー 母 ー★ ベルを押すと母があらわれた 「元気か?」僕は言った 母はよく来たというような表情を 浮かべながら門戸を開けて僕を迎え入れた 僕は母に逢うたびに母が幸せであるかどうか 母の表情から読み取るのがいつもの癖になっていた 今日は幸せそうな微笑みを浮かべて「 寒いねぇ 」 「 早く中へお入り”” 」と言ったので僕は安心した ぐっすり眠った。 0900ごろ起床した 芋の入ったおかゆは僕の大好物だった ゆうべ何を食べたいと母が聞いたので 僕はさつま芋のおかゆが食べたいと言った 母は僕が言ったとおり昼の食事に おかゆを作ってくれた 母の手料理は僕の好みを知りつくしている 料理のうまさでは誰にも負けぬものがある 何ヶ月ぶりだろうかこのような 美味しいものにめぐりあったのは 小さい頃のおかゆの味が懐かしかった。 喉を通る感覚がなんともいえない味わいがあった 『 うまいなぁ~ 』僕はそういって4杯もおかわりをした 母はうれしそうな顔をして5杯目のおかゆをついでくれた ハイ!! ストップ 久しぶりに母を訪ねて芋の入ったおかゆを食べた男。 母の手料理もとても美味しかったようですね。 これからの母と子の展開はどうなるのでしょう? この続きはあなたにおまかせしますのでよろしく!!
2005年03月15日
★ あ る 男 の 旅 立 ち ★ 男は今列車に乗って遠いかなたに 行ってしまうような気がした。 この小さな駅に咲くこぶしの 花の白さが鮮やかに目にうつる。 今日から僕の新しい人生がはじまるのだ。 そう思いながらも希望と不安の入り混じった 気持ちになり男は少し寡黙になっていた。 男は18歳になったばかりで 体格は177cm・58kg。 痩せ型でひよわな風貌である。 ひよわさは男の幼さでもあった。 大人の体としてまだ出来あがっていない。 ひとことでいうとモヤシのような ヤセッポチな若者であった。。。 みるからに弱弱しい感じのする。・。・。・ だが・・りりしさはないかわりになんとも いえない純朴さと大自然の中で育った 若葉のような初々しさがその男にはあった。 田舎育ちの無垢な雰囲気が未来にむかう 若者の旅立つ姿だといえるだろう。 今日から新しい希望にむかっていくのだ。 だがそれよりもより多くの困難がありそうで 男は晴れ晴れとした気持ちにはなれなかった。 母はいった。「元気で頑張りなっ!」 母の大きな体が淋しそうに見つめていた。 「着いたら手紙を忘れずにね!」 そういいながら母は白い歯を少し見せて 茶色の封筒をそっと男に手渡した。 男は「なんなんや?」といって母を見つめた。 「列車が出てから見ればいいよ!」 「ほら***真っ赤な朝日だよ!」 母は声を小さくしてそう言った。 母の背中越しにまぶしい朝日を眺めた。 小さな駅のホームから母と子がみる 最後の朝日かも知れなかった。 もうすぐしたら列車がくる時間である。 母は「がんばるんよぅ。。。」しんみりした 声でそういいながら涙ぐんだ。 「うん!おかあちゃんも体大事にしてよ。。」 着いたらすぐに電話するから。・。・」 列車がホームに入ってきて停車した。 いよいよ大都会へ旅立つ時がきた。 「おかあちゃん!!ほないくわな。・。・」 「僕のことは心配せんでいいから・じゃあ~~」 しんみりしていた母の顔が微笑んだ。 「体第一だから夜ふかしをしないでねぇ。・。・」 「つらくなったら電話をおくれ!!」 母の眼差しにはいつもの優しさがあった。 「もういいから。。。行くよ!!」 男は母にそういって列車に飛び乗った。 列車はゆっくりとレールの上を動きだした。 母は手を振りながら微笑んでいる。 男の目にうっすらと涙がにじんできた。 「おかあちゃんありがとう!!頑張ります!!」 心のなかでそうつぶやきながら手を振った。 母の顔が小さくなって男の視界から消えていった。 母と別れてはじめて母のありがたさが故里の 光景とともに心にしみてきた。 ひとすじの涙が男のほほをぬらしていた。 はいストップ!! 若者の新しい人生の旅立ちは大きな 夢と希望にあふれているものです。 でも反面これから歩んでいく未来への 不安もまたいっぱいなんですね。 あなたの人生の旅立ちは、どんな光景でしたか。・ 故里を後にして母や家族と別れて旅立つ 列車の中で男は何を思ったのでしょうか? この男のこれからの人生は あなたが綴って下さい。 <(_ _)>
2005年02月06日
雪 女 雪がふわふわと降るなかを男は歩いている。 暮れ前だというのに冬の道は薄暗くさびしい。 歩いているのはこの男ひとりだけである。 男は川向こうの我が家に帰るところだ。。。 雪道は踏みわけられた道であった。 つり橋の前にきたとき雪は激しく降りだした。 風も急に強くなり橋はかすかにゆれている。 男の目の前が白い靄のようになった。 男はつり橋に足を踏み入れ我が家をめざした。 その時アッ!!と心の中で叫び声をあげた。 橋の向こう岸がうっすらと明かるくなった。 おやなんだろう??あのあかりは?? 橋の向こうからあかりが近づいてくる。 ほんのりとしたあかりが激しく降りだした 雪の向こうから確かに近づいてくるのだ。 いつも我が家に向かうこのつり橋でこんな 光景に出会うのははじめてだった。。。 もう引き返すわけにはいかない。 橋はまたかすかにゆれた。 ほんのりとしたあかりが光り出した。 アッ!! ウッ!! 男は心の中で二度目の叫び声をあげた。 光に浮かびあがったのは女の顔であった。 天女のような美しい姿であった。 雪女だ!!なんでこんな日に。。・。・ 男はつり橋の真ん中で立ち止まった。 がくがくと足と膝がふるえ、全身に 流れる血が凍りつくように緊張した。 目頭が熱くなって鼓動が高鳴った。 雪女に出会うなんて信じられない。。。 雪は激しく降り続いている。 風によってつり橋がかすかにゆれた。 男は橋の真ん中ででじっとしていた。 ほんのりとしたあかりが目の前にきた。 男はあかりに浮かぶ雪女の目に会釈した。 ほのあかりの中で白い顔が微笑んだ。 その時またアッ!!と心の中で叫んでいた。 その微笑みはモナリザのようであった。 雪女はモナリザの生まれ変わり?? 雪女のほのあかりが遠のいていく。 雪の降る中へそのあかりは消えていった。 男は雪女との不思議な出会いに慄いていた。 橋の真ん中で変な思いにかられていた。 あれは雪女だったのか モナリザだったのか? はいストップ!! あなたは、雪女と聞いてどんな イメージをおもちでしょうか? このあと雪女と男は再び出会うことになり 会話をかわすことになっていくんですが。。。 この続きは、あなたにお願いしますね。m(__)m
2005年01月22日
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