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先 祖 を 千 年 、 遡 る名字・戸籍・墓・家紋でわかるあなたのルーツ自分先祖はどんな人物だったのか ー?日本人の90%が江戸時代、農民だったとされるが、さらに平安時代まで千年遡ると、半数は藤原鎌足にルーツがあるという。今は庶民でも、かっては名家で、歴史的な事件の渦中にいたかもしれない。先祖探しのコツは、二方向から、まず名字・家紋からおおよその系譜にあたりをつけ、同時に、古い戸籍や墓石の情報から、寺や郷土の記録をたどるのだ。最終目標は、千年前の自家の名字を明らかにすること。先祖探しのプロが、自分自身の謎を解く醍醐味とその具体的手法を伝授する。は じ め に今自分がここに存在している理由をひもとく皆さまは、ふと自分が今ここに存在している不思議さを感じることはないでしょうか?もちろん千年以上前から連綿と続く先祖の存在があることは、疑いようのない事実です。しかしながら、自分の父母や祖父母の顔や名前は分かっていても、それより前の代のことになると名前さえ分からない。ましてや、先祖がどんな生活をしていたのかということになると全く知らないという方も多いようです。しかし、そうしたまだ見ぬ我が先祖に出会う方法というものがあります。戸籍を丹念にたどって古いものまで取得していくだけでも幕末を生きた先祖の名前までは多くの場合判明します。その情報を基に図書館で郷土史をめくってみれば、その先祖の暮らしぶりをも感じることができます。古い本籍地に足を運んでみれば、江戸時代から代々続く我が先祖の墓石が立ち、交流も面識もない総本家が今もそこに存在し、貴重な家の歴史が伝えられているのを知ることになります。また、行政機関や旧家には先祖が暮らした村の江戸期の古文書( 宗門人別長(しゅうもんにんべつちょう )や検地帳など )が存在している可能性があり、そこには先祖が所有していた土地の広さや村での立場を表すような記述も見つかるかもしれません。武士の家であれば藩の記録の中に、我が先祖のことが記載されているはずです。「 分限帳( ぶげんちょう )と呼ばれる帳面を開いてみれば、そこには全藩士の名前と給与( 知行高、扶持 )まで記されています。実際に調査をした中でも、分限帳を見たことによって先祖が越後国の某藩で足軽の武士であったことが分かり、米十数俵という薄給であったにもかかわらず幕末の戊辰戦争では奥羽越列藩( おううえつれつぱん )同盟軍として最前線に送られて、最新兵器を擁する官軍の砲弾を浴びてあっけなく命を散らしてしまった記録に出会いました。多くの先祖探しに関わっている私は、誰にも連綿と続く先祖の存在があり、その末に今ここにその人が生きているのだということを強く実感しています。調べてみたら先祖がいなかった、などという人はいないのです。ただし、そうした昔の記録や記憶は徐々に失われつつあります。戸籍も古いものはやがて廃棄されていく決まりになっています。古い本籍地を訪ねても、昔のことを知る古老が時と共にどんどん少なくなっています。地方の過疎化で、古くからその地域で暮らし続けていた総本家や旧家が別の地に移住してしまっているケースも多くなっています。日本は今、大きな国難と立ち向かっています。また複雑化した世の中で各個人としても深い悩み、迷いを抱えていることと思います。しかし、先祖の苦しみや生き方を知った時、おのずと自らの生き方の指針が見えてくるはずです。千年以上の長きにわたり続いてきた系譜の中では自分の一生などほんの一コマ、ワンシーンにすぎません。それだからこそ、祖先が生きた「 文脈 」を知り、そのうえで自分の生き方を考え、次世代に伝えていくことに大きな意味があるのではないでしょうか。貴重な先祖の記録が失われつつある今、日本人の多くが生き方に迷いが生じている今こそ先祖を知るための行動を起こしてみませんか?これまで一部の専門家の中だけで伝えられてきた先祖探しの手法を、本書では惜しみなく公開していきます。具体的な古文書の読み解き方はもとより、名字や家紋などから自家の千年前の歴史を推測する方法などにも触れていますので、まずは楽しみながら読み進めていただければと思います。ちょっとしたコツを知るだけで「 過去 」への扉は意外と簡単に開くものです。 私と一緒にその扉を押してみましょう。著者:丸 山 学( まるやま まなぶ )行政書士。1967年埼玉県生まれ。会社設立、相続手続きなど行政書士業務のかたわら、家系図作成に積極的に取り組む。現在は、年間50件以上の先祖探しを受託するほか、自分の先祖を900年分たどるなど、家系図作成業務に特に力を入れている。主な著書に「家系図」を作って先祖を1000年たどる技術」(同文館出版)などがある。2012年3月30日 第1刷発行2012年6月10日 第2刷発行発行所: 株式会社 幻冬舎
2023年02月02日
50 代 か ら は 3 年 単 位 で 生 き な さ い人 生 後 半 を「 最 高 の も の 」に す る た め に「 と り あ え ず 3 年 」区 切 り で 生 き るは じ め にこの本は、あなたに「 いつ死んでも、悔いが残らない生き方 」ーー否、「 3年後に死んでも、悔いのない生き方 」を体得していただく本です。50代、60代になると「 健 康 寿 命 」を心がけるようになります。私も昨年から、20㎏ ダイエットをしたり、キックボクシングのジムに通って、運動不足の解消を心がけ、筋力をつけるようにしています。すべて「 健 康 で 長 生 き す る た め 」で す。しかし、どれほど健康に気をつけていても、人生の終わりは突然訪れるかもしれません。死ななくても重い病気などになって、さまざまな活動ができなくなってしまうかもしれません。もしもそんなことは起きず、健康なまま100歳を迎えることができたとしても、死はいつか、訪れます。人 は み な、い つ か 死 ぬ。多少の誤差はあれ、私たちはみな 「 間もなく死ぬ 」のです。そして、その時までに残された時間はもう多くありません。「 あっという間 」に死は訪れます。そんな「 死の瞬間 」「 人生の終わりの瞬間 」ーーあなたは、どんな思いでその瞬間を迎えるでしょうか。その時、心の底から、こう思いたくはないでしょうか。「 私は、自分の人生を生ききった!!じゅうぶんに自分の人生を生ききった。もう何の悔いもない。やり残したこともない!! 」「 これこそ、私の人生だ!!この世に生まれてきて、本当にしたいこと、やるべきこと、なすべきことは全部やった!!最高の人生だった!! 」「 もし人生に、使命や天命というものがあるのなら、私はそれをなし尽くした!! 」そう思えるような生き方をしたくないでしょうか。私はそう願っています。「 いつ死んでも悔いがない 」--そう思えるような姿勢で、日々の瞬間瞬間を生ききっていきたいのです。ではそのための具体的な方法は、何でしょうか。どのような工夫をすればそんな生き方が可能になるのでしょうか。それは、50 歳 を 過 ぎ た ら と り あ え ず、「 3 年 単 位 」で 生 き る こ と 。「 たとえ3年後に死んだとしても、悔いが残らないように生きる 」ことです。「 とりあえず、目の前の3年 」になすべきこと、やっておくべきことをリストアップし、やり残すことがないように「 と り あ え ず 3 年 」を思う存分、生きる。じゅうぶんに生ききる。これ以上ない、と思えるような仕方で、思う存分生きる。そして3年後になったら、またそれから3年になすべきこと、やっておくべきことをリストアップし、やリ残したことがないように生きる。万が一、存外に早く死が訪れ、3年後に死ぬことになったとしても「 やるべきことは一通りやり終えた!!」「 成し遂げるべき仕事は一通り成し遂げた!! 」と思えるように生きる。「 大切な人たちに、伝えるべきことはちゃんと伝えた 」と思うように生きる。 以 下 省 略著者:諸 富 祥 彦( もろとみ よしひこ )1963年、福岡県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。明治大学教授。教育学博士、臨床心理士、公認心理師、日本トランスパーソナル学会会長。50代・60代へのカウンセリングで「 人生後半の充実した生き方づくり 」を支援する。また、一般の方も参加できる「 気づきと学びの心理学研究会 」を主宰し、体験的な心理学の学びの場( ワークショップ )を提供している。著書は「 人生を半分あきらめて生きる 」「 孤独の達人 」など多数。2021年11月20日 初版印刷2021年11月30日 初版発行発行所 株式会社 河出書房新社
2022年11月03日
老 い の 福 袋 あ っ ぱ れ ! こ ろ ば ぬ 先 の 知 恵 88 ま え が きいま日本は、ぶっちぎりの世界一位です。高齢者オリンピックがあったらとしたら、堂々金メダル!これは全人口に対する65歳以上の割合「 高齢化率 」のこと。日本は28,7%( 2020年9月・総務省統計局の調査 )。2位イタリアの23.3%とは大きく水をあけています。高齢化は先進国すべてで起きている現象です。それだけに日本がどう豊かな高齢社会を築いていくか、世界中が注目しています。かくいう私は現在88歳。ここまで生きてようやく平均寿命に達したのですから、少々驚きます。( 2019年の平均寿命=女性87.45歳、男性81.41歳 )。というのも、私を含めいま80代の人が生まれた1930年代と現在を比べると、平均寿命はなんと7割以上も伸びているのです。( 1935年の平均寿命=女性49.63歳、男性46.92歳 )。20歳からを大人の人生と仮定すれば、人生はゆうに「 倍増 」したことになります。そこで課題になるのが人生の後半、とりわけ高齢期をどう過ごすか、です。年をとれば体のあちこちに不具合が起きますし、自立した生活が困難になる人もいます。老後の資金や、どこで暮らすかなど、先々の生活に不安を抱いている方も多いでしょう。2025年には国民の5人に1人が75歳以上になり、国民の3割が65歳以上、どこを見てもおじいさんおばあさんだらけになります。本当に待ったなしの事実に驚きますが、高齢社会がマジョリティになる世の中を恐れてばかりではいられません。私たち80代は、言ってみれば全人類の先陣を切ってしかもけっこうな大人数で、「 超・長寿社会 」という未知の大海へとすでに一歩を踏み出しています。天敵がいるかもしれない海に獲物を求めて真っ先に飛び込むペンギンのことを、その勇気に敬意を表してファーストペンギンと呼ぶそうですがーー気がついたら私たち世代は、「 老いの冒険 」に飛び込むファーストペンギンのような立場になったわけです。 以 下 省 略著者: 樋 口 恵 子( ひぐち けいこ )1932年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。時事通信社、学習研究社、キャノン株式会社を経て、評論活動に入る。NPO法人「 高齢社会をよくする女性の会 」理事長。東京家政大学名誉教授。同大学女性未来研究所名誉所長。日本社会事業大学名誉博士。内閣府男女共同参画会議の「 仕事と子育ての両立支援策に関する専門調査会 」会長、厚生労働省社会保障審議会委員、地方分権推進委員会委員、消費者庁参与などを歴任。著書に「 前向き長持ち 人間関係の知恵ーー樋口恵子の人生案内 」「 人生100年時代の船出 」「 その介護離職、おまちなさい 」「 老~い、どん!あなたにも「 ヘロヨタ期 」がやってくる 」などがある。2021年4月25日 初版発行2021年6月 5日 3版発行発行所: 中央公論新社
2022年10月27日
心 が 元 気 に な るた っ た 一 つ の 休 め 方がんばってもすり減らない毎日のメンテナンス成長する人は「 疲れる前に 」休む「 50分仕事したら10分休む 」が良いバランスうまくいかないとき・・・回復力は休んでいる間にしか育たない「 代償 」・・・心理操作をリラックスに活用する気がせくときこそ、ゆっくり話すと自律神経が整う不安や緊張から解放される「 筋 弛 緩 法 」は じ め に「 疲れる前に休む 」というがんばり方、働き方をしましょう人が幸せに生きていくためには、「 適度に休む 」ということが絶対に必要です。休むことなしにがんばっていたら、その人はどこかでパンクしてしまうことになるでしょう。休むことで心身にエネルギーが補充されます。そして、そのエネルギーを使って、また常に進むということが可能になるのです。したがって、「 休み休みしながら、生きる 」ということが大切になってきます。人はよく、「 この仕事を終えるまでがんばろう。休むのは一段落してからでいい 」と言います。それまで心と体のエネルギーが持続すればいいのですが、往々にして、その前にエネルギーが尽きてダウンしてしまうこともあるのです。したがって、その途中で、短い時間こまめに休みを取りながら、その仕事を進めていくことが大切になってきます。仕事の途中、休む習慣を持つと効率が良くなります。そうすることで、最後まで集中力を切らせることなく仕事をやり終えることができます。この本では、「 上手に休みながら物事を進めていく重要性 」をアドバイスしています。また「 心を休ませる方法 」を、さまざまな角度から具体的に取り上げています。最近、いつもイライラしながら暮らしている人がたくさんいます。モヤモヤした感情を晴らすことができずに困っている人がいます。特に、一生懸命に働き、そして生きている人ほど、そのようなネガティブな感情を引きずっているケースが多いようです。大きな原因が、がんばりすぎや、休まず突っ走ってしまうことであるように思います。イライラやモヤモヤといった感情は、「 もうがんばれない 」「 少し休ませてほしい 」という心の叫びだといってももよいのです。ですから、ほんのわずかな時間でもかまいませんから、適度に休み休みしながらがんばっていく方がいいと思います。短い時間で、効率的に心と体を休めるには、ちょっとしたコツも必要になってきます。そんなコツも、本書の中で色々と取り上げています。本書が、読者の皆様の心身の健康に少しでもお役に立つことを願っています。著者:植 西 聰( うえにし あきら )東京都出身。著述家。学習院高等科・同大学卒業後、大手企業に勤務。独立後、人生論の研究に従事。独自の「 成心学 」理論を確立し、人々を明るく元気づける著述を開始。95年、「 産業カウンセラー 」( 労働大臣認定資格 )を取得。著書に67万部のベストセラー「 折れない心をつくるたった一つの習慣 」( 青春新書プレイブックス )、「 後悔しないコツ 」( 自由国民社 )、「 孤独に強くなる9つの習慣 」( ワニ・プラス )などがある。2019年5月30日 第1刷発行所:株式会社 青春出版社
2022年09月02日
今 日 が 楽 し く な る 魔 法 の 言 葉幸せを探し求めているのにまだ見つけていないと思うなら、きっと間違った場所で探し求めていたということだ。多くの人は、自分にはなれない人になろうとしている。あなたはあなたのままでいいのだ。は じ め にあなたがこの本を手にしたのは単なる偶然ではないだろう。この本には、あなたが充実した人生を送るために知っておかなければならないことが書かれている。幸せになるには努力しなければならないのは当然のことだが、実は多くの人が思っているほど努力する必要はない。幸せは、人生とは何かを考えることで手にすることができるのだ。人は、幸せになるために大切なものを忘れがちだ。だからこそ、大切でないものばかり追い求めてしまう。自分にとって大切なものを思い出すためにも、この本をたまに読み直してほしい。この本をどう活用するかはあなたしだいだ。きっと、より充実した、やすらかな人生が歩めるようになるだろう。アーニー・J・ゼリンスキー 幸 福 に つ い て● 気づいていないかもしれないが、あなたが幸せに なれるかどうかはすべてあなたしだいだ。 あなたには二つの選択肢がある。 ひとつは、この本を読むこと。 もうひとつは、この本を読まないこと。 いずれにしても、幸せになることはできる。● 人生はゲームである。 幸せなのはプレーヤー。 不幸せなのは観客。 あなたはどちらになりたいだろうか。● 明日どれだけ幸せになれるかは、今日どれだけ 幸せであるかにかかっている。 大切なのは、今日一日が終わるまで、どんな 幸せの種を植えることができるかである。● 人生という謎めいていて、しかも気まぐれな 現象をもっと楽しみたいなら、人生の秘密を 探し求めないようにすることだ。 賢人と呼ばれる人が探し求めても、 見つからなかったのだから。 だいいち、人生とは何か完全に理解できなくても、 人生を心ゆくまで楽しむことはできるのだ。著者: アーニー・J・ゼリンスキーコンサルタント、講演家。12か国語で翻訳された国際的ベストセラーである「 働かないことのススメ 」( 講談社 )の著者として知られる。2003年9月19日 第1刷発行発行所 ダイヤモンド社
2022年07月28日
男 が 老 化 し な い 生 き 方お酒が弱くなった。風邪がなかなか治りにくい。夜中に1回は目が覚めてしまう。新聞を離して読むようになった。最近、衰えを感じている人は必読!!65歳でメタボなし、持病なし、ベンチ・プレス90㎏以上を拳上する著者が教える、いつまでも元気な男の生活術とは?1日3分でできる筋肉運動から、精力がアップする食べ物、男が気をつけたい病気の予防法まで。男 は 何 歳 か ら で も 甦 る !!は じ め に ー 筋 肉 こ そ が 男 の 原 点「 男 」という字は、「 田 」に「 力 」と書く。「 田 」は、「 水田 」の他にも 火田、つまり「 畑 」も意味し、また「 狩り 」の意味もあるという。要するに、男は、耕作や狩りに「 力 」仕事をして、女や子供を養うために食料を確保する役割を果たしてきたと言える。男と女の違いは、生殖器を除けば、筋肉の含有量に顕著に表れる。平均的に言って、男の体重の約45%が筋肉であり、女の約36%に比べて、かなり多い。つまり、極論すれば、男の価値の根本は筋肉であり、筋肉こそ男の原点である、という自覚を男はもつべきだ。筋肉細胞からは、男性の男性たる所以( ゆえん )の根本的ホルモンである「 テストステロン 」が産生、分泌される。もともとテストステロンは、睾丸で主に産生されるが、筋肉でも作られている。テストステロンなしには、男性の体、精神を語ることはできない。人間の細胞の核内にある染色体は、主に D N A( デオキシリボ核酸 )でできていて、細胞の分裂や増殖、つまり遺伝や性の決定の主役を演じている。ヒトの染色体数は「46」で、22対の常染色体と1対の性染色体( 女 = X X、男 = X Y )から成っている。この Y 染色体上の雄を決定する遺伝子にテストステロンが働いた個体が雄になる。これが決まるのは受精後8~9週間頃である。よってテストステロンによって、男が作られ、テストステロンによって、陰茎や陰のうの増大、口ひげの発生、声変わり、筋肉や骨の発育など身体面の「 二次性徴 」が発現する。また、精神的にも男性化が起るのである。本書では、「 筋肉 」や「 テストステロン 」の働きを説明し、「 筋肉 」や「 テストステロン 」を増加させて、肉体的にも、精神的にも、タフで健康な「 男 」を甦らせる方法について述べていきたい。著者: 石 原 結 實( いしはら ゆうみ )1948年、長崎市生まれ。医学博士。長崎大学医学部卒業、同大学大学院医学研究科博士課程修了。現在、イシハラクリニック院長として漢方薬と食餌気療法指導によるユニークな治療法を実践するかたわら、全国各地で数多くの講演を行う。著者は『「 医者いらず 」の食べ物事典 』『 石原式「 朝だけしょうが紅茶 」ダイエット 』『「 食べない「 健康法 」』『 生姜力 』『「 体を温める 」と病気は必ず治る 』『 新健康力大全 』など200冊以上。発行年月日: 2014年8月19日 第1版第1刷発 行 所: 株式会社 P H P 研究所
2022年06月19日
孤 独 を た の し む 本1 0 0 の わ た し の 方 法誰でも孤独な時間がますます増えてきます。人生は有限で、誰でもいつか必らず最後がやってきます。わたしはそのことを、愛する家族や友人たちの最後から知りました。でも、だからこそ、今この時間をいとおしみ明るくキラキラと過ごしたい。「 孤独をたのしむ 」ことができれば人生はますます輝いてくると思うからです。は じ め にこれがわたしの「 孤独のたのしみ方 」な ぜ 孤 独 は 怖 い のみんなひとりぽっちになることにとても不安になっている。それは年をとっても若くても同じことです。年齢にかかわらず、孤独くらい身に染みて寂しいものはありません。若いときには青春の孤独が、年を取れば老年の孤独があります。若い人は自分ひとりが疎外されるのが怖いという気持ちが強い。みんなが連絡を取りあっているのに自分だけ無視されたくない。みんなでひそひそ笑っているのにかやの外にいると心がざわつきます。「 空気を読む 」なんて言葉が流行ったりするのも、自分ひとりが孤独になってしまう怖れの裏返しなのですよね。年を取ってからの孤独は、ますます切実です。お友達や家族といった大切な人が一人ずつ自分の周りからいなくなっていく。疎遠になったり、永遠の別れがあったり、ひとりで過ごす時間がどうしても増えていきます。結婚していてもいなくても同じこと。人は「 最後はひとり 」になっていくからです。以 下 省 略著者:田村 セツコイラストレーター・エッセイスト1938年、東京生まれ。2018年5月20日 初版第1刷発行発行所: 株式会社 興 陽 館
2022年06月08日
た だ 生 き て い く、そ れ だ け で 素 晴 ら し いま え が き人は、誰しも悩みや苦しみを抱えて、人生を歩んでいます。 振り返ってみますと、私の人生も悩みと苦しみの連続でした。何度も鬱(うつ)状態に陥りましたし、苦しくて動けなくなり、作家活動を休止したこともあります。「生きる」ということは何と苦しいことか、投げ出してしまいたいーーそう思ったことも一度や二度ではありません。しかしそのたびに不思議と私は踏みとどまり、どうにか生きのびてきました。そんな中で、数年前から、私は「生きる、それだけで十分奇蹟(きせき)ではないのか」と思うようになったのです。「なぜ」「どうして」「どうやって」生きているのか。そうした問いかけすら必要ないのではないのか。私はどちらかと言えばシニカルな気質の人間ですが、このことに気づいた時、胸が熱くなる思いがしました。当たり前だと言われてしまうかもしれませんが、それでも、改めて皆さんにお伝えせずにはいられない。ただ生きていく。それだけでもう十分素晴らしいのではないか、とひそかに感じたのです。とはいえ、苦しみがなくなったというわけではありません。「生きる」ということは、常に苦しみとともにあります。歳を重ねれば少しは楽になるだろうと若いころには考えていましたが、残念ながらそんなことはありませんでした。歳を重ねようと状況が変わろうと、私は今も悩み、苦しいと感じ続けています。しかしこの苦しみさえ、人生の大切な瞬間だと思えるようになりました。苦しみは喜びを生み、悩みは発見の母となります。どちらがいい悪いではなく、この瞬間全てが愛(いと)おしい人生そのものなのです。私は今年84歳になります。おそらく本書を手に取ってくださったほとんどの方が、私より年下ではないかと思います。年上だからとえらぶるつもりはありませんが、少し長く生きてきた人間として、悩みや苦しみとともに生きていく方法についてはⅠ日(いちじつ)の長(ちょう)があるかもしれません。そう考えてつたない言葉をまとめてもらうことにしました。このささやかな一冊が、皆さんの日々の一助になれば、これ以上嬉しいことはありません。著者: 五木 寛之( いつき ひろゆき )1932年( 昭和7年 )福岡県生まれ。平壌で終戦を体験し、47年引き揚げ。早稲田大学中退後、66年「 さらばモスクワ愚連隊 」で小説現代新人賞、67年「 蒼ざめた馬を見よ 」で直木賞、76年「 青春の門 」他で吉川英治文学賞、2002年菊池寛賞受賞。主な著書に「 朱鷺の墓 」「 戒厳令の夜 」「 生きるヒント 」「 蓮如 」「 他力 」「 大河の一滴 」「 養生の実技 」「 林住期 」「 遊行の門 」「 人間の覚悟 」など多数。近刊に「 自分という奇蹟」などがある。2010年長編小説 「 親鸞 」で毎日出版文化賞特別賞。その後、「 親鸞【激動篇】」「 親鸞【完結篇】」と書き継がれ14年に完結、著者のライフワークの一つとなった。2016年11月4日: 第1版第1刷発行発行所: 株式会社 PHP研究所
2022年03月30日
人 間 に と っ て 病 い と は 何 か健康を願わない人はいないだろう。しかし、病気知らずの長寿が必ずしもいいとは限らない。なぜなら、人間は治らない病いを抱えることで自分の限界を知って謙虚になり、命をかけて成熟に向かうことができるからだ。「 健康なだけの肉体なんて始末が悪い 」「 心と体は予想を裏切るからこそおもしろい 」「 神経症的な異変は誰にでも起きる 」「 弱点のない人間はいない 」「 最期まで人間を失わないでいられるか 」等々、病気に振り回されず、満ち足りた一生を送るためのヒントが満載。まえがきーー正常と病気の間をさまよい歩くのが人生人間は不思議なものである。哲学的、科学的な頭脳の持ち主は、多分私のように直感的な閃( ひらめ )きに頼っている人間を許せないだろう。私は音楽が好きで、オーケストラの定期演奏会の年間会員になっているが、オーケストラは、一人の人間の体の部分的働きを取り出した姿に似ている。一つの楽器では、交響曲は創れないのだ。弦楽器なら多少メロディはわかるだろうが、打楽器になったら、曲の全貌を見せてくれない。「 驕( おご )ってはいけない 」と、私は学生時代に教えられた。1人の人間は、社会からみると、人体の部分のようである。眼は大切なものだが、眼が感知したものを、神経を使って大脳に伝えなければ何の意味も持たない。脳からみると足の裏などという部分は、何ら重要な働きをしていないようでもある。顔でもないし、手のように薪(まき)割り、水汲みなどという作業に直接携わってもいない。しかし足の裏がなかったら、考えたことを喋ったり、1人の人間がどこかに移動することもできないから食事も作れない。だから、「 眼が足の裏に向かって、お前は要らない・・・・ 」ということはできないわけだ。人体のすべてが要るのである。同様に、一家や一族の中で、「 アイツはできそこないだ 」と思われているような人でも、要らない存在はない。事柄はすべて入り組んでいて、その結合によって新しい価値を生み出すのである。 以 下 省 略著者:曽野 綾子( その あやこ )1931年 東京都生まれ。作家。聖心女子大学卒。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受章、2003年に文化功労者、1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。1972年にNGO活動「 海外邦人宣教者活動援助後援会 」を始め、2012年代表を退任。「 人間にとって成熟とは何か 」「 人間の分際 」「 老いの僥倖 」( すべて幻冬舎新書 )など著書多数。発行年月日:2018年5月30日 第1刷発行 2018年6月 1 0日 第 2刷発行発行所: 株式会社 幻冬舎
2022年02月24日
明 日 な き 時 代 を 生 き 抜 く た め に「 放 射 能 時 代 」 が は じ ま っ た。とんでもない時代になってきました。こんな時代によくもめぐりあわせたものだなあ、と最近くり返しため息をつかずにはいられません。明日( あす )どうなるか。それがまったく見えないのです。たよるべきものは、どこにもありません。実感としてそうなのです。自分自身も、家族も、自分で守る以外に方法はないのではないか。国や政府やマスコミも当てにならない。最近、あらためてそのことを感じられたかたは少なくないでしょう。たとえば、私たちは今後、何十年か、何百年か、ひょっとすると、永久に放射能と共存して暮らすことになるかもしれない。放射能と共に生きる。放射能のなかで生きる。自然の放射能ではなく、人間のつくりだした厄介な放射能です。みんながガイガー・カウンターを、携帯電話か腕時計のように持ちあるく。そんな日常生活を、だれが想定したでしょうか。すでに小、中学生に放射能計量器をもたせる準備をすすめている自治体もあるようです。国内の原発のすべてが停止したのちも、放射能の問題は解決しません。危険な使用済み核廃棄燃料はどこに、どう閉じこめておくのか。プルトニウムの半減期は2万数千年といわれます。といって、国外に運びだして、外国に保存してもらうわけにもいかないでしょう。今後、私たちは、地下に収納するしかない放射能物質と共棲( きょうせい )する暮らしを覚悟しなければなりません。この世界有数の地震多発列島においてです。天気予報で知らされる気圧や温度と同じように「 きょうの放射能 」というニュース番組を毎日ふつうに見ることになるかもしれない。「 お天気おねえさん 」と同じように、「 放射能おねえさん 」が人気者になるかも知れない時代です。放射能をおびた夏の海で子供と泳ぎ、放射能のしみた草原に家族でキャンプする。好むと好まざるとにかかわらず。それが私たちの明日なのです。嘆いても、怒っても、幕はあがってしまった。原子力に反対の人も、推進派も、ひとしく放射能とともに生きることになる。1970年代、「 戦争を知らない子供たち 」というフォークソングが一世を風靡( ふうび )したことがありました。いつか「 放射能を浴びた子供たち 」という歌がうたわれるかもしれません。とんでもない時代、と最初に書いたのは、そいう意味でした。著者:五木 寛之 ( いつき ひろゆき )1932( 昭和7年 )福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮にわたり戦後引き揚げ。66年「 さらばモスクワ愚連隊 」で第6回小説現代新人賞、67年「 蒼ざめた馬を見よ 」で第56回直木賞、76年「 青春の門 」筑豊編ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。代表作に「 戒厳令の夜 」「 朱鷺の墓 」「 風に吹かれて 」「 大河の一滴 」など多数。発行年月日 2011年6月30日 第1刷発行発行所 株式会社 徳間書店
2022年02月23日
誰もに訪れる、年齢による病と身体の衰えをどう超えるのか?戦後最大の思想家が、自らの身心の老いを徹底的に分析。身体・社会・思想・死をテーマに「 超人間 」たる老人について語り尽くした、画期的な吉本老体論!日々の吉本式体操法と道具を紹介するカラー口絵付き。老 い の 超 え 方あ と が き身体の運動性がにぶくなってくるとともに、精神現象が身体に対して内向してくる。それまで、自己の身体に関心をもつのは怪我か病気のときだけだったのに、内向の度合いが、だんだんと増してゆく。そして内向の程度が精神の動きの半分以上になったとき、老齢の自意識が始まるのだという気がする。この自意識がどれだけ続くのか、外の人間社会の関係に戻るのかは、個人的にちがってくるだろう。わたし自身を振り返ってみると、飽きもせず現在も続いている。まるで少年がはじめてのことにぶつかったような調子で、まだ< 考えること > が存在している。そして、決してこの精神状態をあなどったり、軽んじたりする気にはなれない。しかし、青春期から成人期の前半くらいの活動の盛んな人からみたら、ばかげたことに精力をさいていると思うに違ない。わたし自身もそうだったし、もっと悪たれていえば、無関心に近かったと言うべきかもしれない。それでいいのだ。しかし現在のわたし自身を顧みれば、自分の身体を素材に考古学の発掘をやっているような気がしている。考古学者が日本列島と周辺を全部掘り返すのは大変なように、1メートル70~80センチの自分の身体とその周辺を掘りかえすのも大変だとおもう。幸いにも身体については、男女の専門家が古代から現在まで沢山のことを解明してくれている。そして現在も発掘にたずさわる人たちの探求は続けられている。わたしは発掘される方の身体として、他人には見たり聴いたりできないかもしれない身体のつぶやきや独り言を漏らせばいいことになっている。 以 下 省 略著者:吉 本 隆 明( よしもと たかあき )1924年 東京・月島生まれ。詩人、思想家、評論家。東京工業大学卒。詩人として出発し、54年「 転移のための十篇 」で荒地詩人賞を受賞。一方で思索・言論活動を幅広く展開し、日本の戦後思想に大きな影響を与えた。著作に「 言語にとって美とはなにか 」( 勁草書房 )、「 共同幻想論 」( 河出書房新社 )、「 心的現象論序説 」( 北洋社 )など多数。2003年「 夏目漱石を読む 」で小林秀雄賞を、「 吉本隆明全詩集 」で藤村記念歴程賞を受賞。近著に「 吉本隆明自著を語る 」( ロッキング・オン )、「 真贋 」( 講談社インターナショナル )、「 思想のアンソロジー 」( 筑摩書房 )、「 日本語のゆくえ 」( 光文社 )、「 貧困と思想 」( 青土社 )など。2012年3月16日 肺炎により死去(87歳)
2022年01月25日
わ が 老 い 伴 侶 の 老 い文 庫 本 に す る に 当 た っ てこの本を最初に書いてから7年たった。現在、82歳である。担当してくれる女性に会って、あまりに若いのに驚いた。どうやら孫の年である。ああ、オレも孫の仲間と仕事をすることになったか、感慨を覚えた。この本を書いた時の気持ちでは、80を越えたら、ただ生きているだけの老人になるはずだった。しかし未だに背広を着て会議に出たり、オフィスで判を押すだけの仕事が続いているし、減ったとは言いながら、原稿を書き続けている。歯はまだ27枚ある。配偶者は私の耳が遠くなったというので、医師に診断してもらったところ、まあ、普通の範囲内で、補聴器はいらないそうだ。視力は弱った。英語の文庫本は紙も悪く、活字が小さいせいか、56時間も続けて読んでいると、目がチラチラしてくる。立ち居振る舞いは、若々しいと人さまは言ってくれるし、車を運転していてあまり困らない。無事故、無違反である。もっとも捕まらないだけで、10キロ以内の速度違反は日常的にやっている。そうは言っても、後3年後、つまり最初にこの本を書いてから10年たって、私はまだ生きているか、どんな老人になっているか、他人事のようであるが、興味がある。とにかく今や日本人の平均寿命は男性で79、女性で85歳ほどである。現在、中年で生存競争の真っただ中で奮闘している人たちも、後、数十年は生きなければならないのである。中年の生き方が老年に与える影響は大きい。毎日を力一杯生きている世代の人々が、10年後の備えをするために、この本がいささかの参考になれば、と願っている。著者: 三 浦 朱 門( みうら しゅもん )作家。1926( 大正15 )年 東京生まれ。東京大学文学部言語学科卒。日本大学芸術学部で教職を勤めながら第15次「新思潮」に加わり、51年「冥府山水図」で文壇デビュー。遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介らとともに第3の新人と呼ばれる。67年「箱庭」で新潮文学賞受賞。82年「武蔵野インディアン」で芸術選奨文部大臣賞受賞。85--86年文化庁長官に就任。99年、第14回産経正論大賞、文化功労者にも選ばれる。現在、日本芸術文化振興会会長、日本芸術院院長、日本文芸協会理事などを勤める。父はイタリア文学者・編集者の三浦逸雄。妻は作家の曽野綾子。著書に、「50歳からの人生力」「人生の終わり方」( 以上海竜社 )「うつを文学的に解きほぐす」( 青萌堂 )などがある。2017年2月3日 91歳 逝去。2008年8月20日 初版第1刷 発行発行所: 株式会社 ぶんか社
2021年12月05日
不 審 者「このささやかな幸せを守るためなら、何でもするーー」会社員の夫・秀嗣、5歳の息子・洸太、義母の治子と都内に暮らす折尾里佳子は、主婦業のかたわら、フリーの校閲者として自宅で仕事をこなす日々を送っていた。ある日、秀嗣がサプライズで一人の客を家に招く。その人物は、20年以上行方知れずだった、秀嗣の兄・優平だという。現在は起業家で独身だと語る優平に対し、息子本人だと信用しない治子の態度もあり、里佳子は不信感を募らせる。しかし、秀嗣の一存で優平を居候させることに。それ以降、里佳子の周囲では不可解な出来事が多発する。 序 章( 激しく降る雨が、すべてを濡らしている。「 お願い、もう許して 」全身ぐしょ濡れの、トレンチコートを着た女は振り向き、泣きながら懇願した。12階のビルの屋上、そこで行き止まりだ。柵もない。彼女の足の先にはもう踏みしめるべきものは何もない。はるか下方に、ビルの明かりを反射して黒く光る、濡れた都会のアスファルトが見える。「 お願い、助けて 」その頬を伝うのが雨なのか涙なのかわからない。聞こえない。おれの心は何も聞こえない。もっと泣け。おまえに冷たくされて、おれの心はどれほど傷つき血の涙を流したことか。いまこそ思い知るがいい。ボウガンの引き金に指をかけたとき、いつか読んだ本の一節が頭に浮かんだ。「おまえが長く深淵を覗き込むとき、深淵もまたおまえを覗き込む」何をいまさら。深淵を覗き込むどころか、とっくに底をはいずりまわっている。おれは引き絞ったボウガンの矢を、女の腹のあたりに向け、引き金に力を込めた。ー )折尾里佳子はそこでいったん視線を上げ、冷えたコーヒーに口をつけた。現在、400字詰め原稿用紙換算で800枚近い長編小説、「 遥か深き夜の底から 」もようやく終盤にさしかかってきた。ゴールが見えてきたことにはほっとするが、ミステリは、むしろこのあたりから一層気が抜けない。著者:伊岡 瞬( いおか しゅん )1960年 東京生まれ。2005年「いつか、虹の向こうへ」で第25回横溝正史ミステリー大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。著書に「145gの孤独」「瑠璃の雫」「教室に雨は降らない」「代償」「もし俺たちが天使なら」「痣」「悪寒」「本性」「冷たい檻」など。2019年9月30日 第1刷発行発行所: 株式会社 集英社
2021年11月25日
失 敗 と い う 人 生 は な い生 き る と い う こ と生きるという言葉(この悲しみの世に)生きるという言葉には、二つの意味があるのではないでしょうか。一つは生物として、病気もせず、もちろん死にもせずに生きることです。もう一つは、自分の心が生きることです。肉体が生きていてかいがある、と思うことです。そのどちらもなかったらこの世はすでに地獄でしょう。自分は自分で生かす(紅梅白梅)人間は、生命と同時に、魂も生かされなくてはならない。他人は、例外を除いて、生かしてくれないと思わねばならないのだから、自分は自分で生かすほかはない。たまたま生まれた場所で(時の止まった赤ん坊)人間は長い歴史の中で、たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたまそこに居合わせた場所で、最善を尽くして生きればいいだけなのである。それ以上、小さな一人の人間に何ができるだろう。失敗を味わうために(円型水槽)「 失敗を味わうために、人間は生まれて 来たんじゃないか 」 以 下 省 略著者: 曽野 綾子( その あやこ )1931年、東京生まれ。54年、聖心女子大学英文科卒業。79年、ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章受章。93年、日本藝術院・恩賜賞受賞。97年、海外邦人宣教者活動援助後援会代表として吉川英治文化賞ならびに読売国際協力賞を受賞。98年、財界賞特別賞を受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長を務める。日本藝術院会員。2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会代表。日本文藝家協会理事。2009年10月から2013年6月まで日本郵政株式会社社外取締役。「無名碑」「神の汚れた手」「湖水誕生」「天上の青」「神さま、それをお望みですか」「夢に殉ず」「陸影を見ず」「哀歌」「晩年の美学を求めて」「アバノの再会」「老いの才覚」「私日記」(シリーズ)「引退しない人生」「三秒の感謝」「幸せの才能」「私を変えた聖書の言葉」「時の止まった赤ん坊」「老いを生きる覚悟」「イエスの実像に迫る」ほか著書多数。2018年7月18日 第1刷発行発行所: 株式会社 海竜社
2021年11月12日
生 き る 言 葉 あ な た へ幸 せ は あ な た の 心 の 中 にーーま え が き人は生まれた時、定命( じょうみょう )というものを与えられています。この定命が尽きるまではこの世で生きていなくてはなりません。生きることは楽しいことばかりではありません。お釈迦さまはこの世は苦しみの世の中だと教えていらっしゃいます。わたしたちは、心の中に真っ暗な「 無明(むみょう)」というものをもっています。光りのないこの無明の中に、人間のあらゆる煩悩がつまっています。煩悩というのは、人間の欲望のことです。あれが欲しい、これが欲しい、あの人が羨ましい、あの人が憎い、もっとお金が欲しい、名誉も地位ももっと欲しい、といった欲望で、この煩悩は誰でも限りなく持っているといわれています。誰でも生きているうちには、人を羨んで嫉妬したことはあるでしょう。嫉妬が高じて、気がついたら相手を憎んでいたことはありませんか。何かを手に入れたいという欲望は、限りなくて、いくら手に入れても、その瞬間からまた、次のものを欲しがってしまいます。愛されたいと思い、ようやくその人に愛されるようになっても、もっと愛してほしいと思い、心の安まることもありません。愛したとたん、苦しみがはじまるのが恋というものです。新しい世紀に期待をかけ、あれもこれもよくなってほしいと祈ってきたのに、さて新世紀に身を置いてみると、ちっともいいことはなく、何だか前の世紀のほうがよかったような、なつかしいような気がしませんか。人間はいつもないものねだりなのです。そして心はいつも満たされない想いで、ぎしぎし音をあげているのです。あんまりつまらないし、辛いからいっそ死んでしまおうと思っても、定命の尽きていないうちは、死ねないのです。深夜、思いわずらって眠れない時、誰かに苦しい胸のうちを打ち明け、聞いてほしい時、孤独にさいなまれて、さめざめとひとりで泣きたい時、ふと、手をのばして頁をくってみたい小さい本があれば、どんなにか心が慰められることでしょう。わたしはそういう時、よく少女の頃から好きだった詩集を枕許に置いて、もうそらんじている詩をくり返し口ずさみ、心が落ちついたものでした。もし、この小さな本があなたにそういう役目をしてくれたら、そんな嬉しいことはないと思います。 以 下 省 略著者: 瀬戸内 寂聴( せとうち じゃくちょう ) 2021年11月9日 心不全にて永眠(99歳)発行日: 初版第1刷 2001年3月 5日 第2刷 2001年4月10日発行所: 株式会社 光文社
2021年11月10日
老 い も 病 も 受 け 入 れ よ うは じ め に人間が生まれてくるのは、必ず死ぬためです。現在、日本は世界一の長寿国になっています。100歳以上の人は6万人を越えているそうです。しかし、長寿の人が必ずしも健康体とは言えません。動けなくなり、下の始末も人まかせになり、認知症になっている人もたくさんいます。その介護に家族は泣かされています。そうした逃れられない老いの行く手には、これまた逃れられない、死が待ちうけています。医療は目覚ましい進歩をとげ、たいていの病気を治す薬を発明し、手術も進化の一途をたどっています。あらゆる宗教も、人間の老いと死を考えぬいた結果、生まれています。それでも人間は、必ず襲い来る老いと死に脅え、恐れ、厭わないでいられません。私は、2016年5月15日に満94歳(数え95)になりました。これまでにさまざまな病気にもかかっています。最近では、92歳で胆のうガンの手術もしています。足腰は相当不自由になりましたが、まだ一人で歩けるし、毎月、締め切りのある小説を書き続け、僧侶として月に何度か法話も続けています。身の回りのの肉親も友人も、次々に波にさらわれるように慌ただしくあの世へ去っていきました。今夜死んでも不思議ではない自分の、老いと死を見つめ、どのように最期を迎えようかと考え続けています。結論として、今のところ、「 老いも病も死も受け入れよう 」という考えにたどりつきました。闘うことも、逃れる方法もあるかもしれません。でも、私のいま行きついた気持ちは、それが持って生まれた人間の運命なら、すべてをすんなり受け入れようというものです。そしてそれは思いの外に、心の休まる結果を招いています。やがて必ず迎えられるあなたの老いと死の参考にしていただければ幸いと思います。著者: 瀬戸内 寂聴( せとうち じゃくちょう )1922(大正11)年5月15日徳島生まれ。東京女子大学卒。57(昭和32)年「 女子大生・曲愛玲 」で新潮社同人雑誌賞受賞。73年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。92(平成4)年「 花に問え 」で谷崎潤一郎賞、96年「 白道 」で芸術選奨、2001年「場所」で野間文芸賞、11年「 風景 」で泉鏡花文学賞を受賞。98年に「 源氏物語 」の現在語訳(全10巻)が完結。06年文化勲章を受章。著書に「 かの子撩乱 」「 美は乱調にあり 」「 青踏 」「 比叡 」「 手毬 」「 いよよ華やぐ 」「 釈迦 」「 秘花 」「 奇縁まんだら 」「 月の輪草紙 」「 わかれ 」など多数。2021年11月9日永眠( 99歳 )発行: 2016年5月30日発行所: 株式会社 新潮社
2021年11月04日
道ばた、空き地、花壇の隅・・・気づけばそこにいる植物の生態身 近 な 雑 草 た ち の 奇 跡は じ め にそこにひとつ、植物が芽吹けばその数がわらわらと増え、ほかの生き物も集まってくる。庭仕事をしていると、その様子は手に取るように分かるが、連中がなにをしているのかについて、知るほどに不思議が広がってゆく。世界に棲む、花を咲かせて種子をつける植物の総数は、最新の推定でおよそ22万種から42万種とされる。日本で見ることができる種族は、このうち4千数百種から7千種ほど。正確にいおうとするほど、この幅が広がってゆくのだから、おかしな話である。さらに、ヒトとモノが目まぐるしく行き来すれば、それに便乗してやってくる植物の数も増えるのだ。突然その姿を現したかと思えば、音もなくかき消える。姿そのものをも刻々と変えてゆくため、動かないはずの生き物なのに、全体像はもちろん、どこに向かっているのかをつかむのも容易ではない。つまり、よく分からないのである。わたしたちが、なにげない散歩の途中で出逢う植物の数は、もはや計りしれない領域に突入しているわけで、つまるところ、生き物好きにとっては奇跡の時代が到来している。有史以来、世界中の生き物たちをこれほど身近で気軽に堪能できる時代はかってない。いい意味でも、あまり芳しくない文脈であっても。重ねて申し上げるが、わたしたちは幸運である。つい50年前までは夢のまた夢と思われていた植物たちとごく気軽に挨拶を交わせるのだから。200年前に生きていた祖先たちが現在の畑や道ばたを見たら、とても日の本の国とは思わないだろう。 以 下 省 略著者: 森 昭彦( もり あきひこ )1969年生まれ。サイエンス・ジャーナリスト、ガーデナー、自然写真家。おもに関東圏を活動拠点に、植物と動物のユニークな相関性について実地調査・研究・執筆を手がける。2021年3月28日 初版第1刷発行発行所: SBクリエイティブ株式会社
2021年11月03日
青年、中年からやがて老年へ。人生百年時代にあっても、「 老い 」は誰にとっても最初にして最後の道行きなのだ。自分の居場所を見定めながら、社会の中でどう自らを律すればいいのか。周囲との付き合い方から、孤独との向き合い方、いつか訪れる最期を意識しての心の構えまでーーー85歳を迎えた巨匠・筒井康隆が書き下ろす、斬新にして痛快、リアルな知恵にあふれた最強の老年論!老 人 の 美 学は じ め に80歳を過ぎて何年目かに、思考力が鈍って、なんだか昼間からずっと酔っぱらっているような状態になってしまった。だからふらふらしていい気分ではあるのだが、脳に一枚薄い膜がかかっているようで、ちょっと不安になり、脳外科へ行ってMRIの検査をしてもらったところ、脳自体は年齢相応に縮んできてはいるものの、海馬は立派なものだと言われて安心した。そう言われてみれば、人の名前だの小説や映画や曲のタイトルなど、しばしば思い出せないで苛立ったり困ったりすることはあるものの、しばらく考えていると、または少し時間を置いて思い出そうとすると、必ず思い出せるのである。つまり思い出すのに時間がかかるだけで、記憶力即ち海馬の機能そのものは大丈夫のようである。脳の縮小は若い時からの飲酒によるものか喫煙によるものか、またはこれも80歳を過ぎてからの睡眠導入剤の依存によるものか、こちらの方ははっきりしない。これはたまたま脳の話だが、似たようなことは身体のあちこちにあらわれてきていて、皮膚炎、筋肉痛、関節炎など、入れ替わり立ち替わり悪くなったり治ったりするのだが、これらはあきらかに歳をとったがゆえの老化現象なのであろう。否応無しに老化ということを考えさせられるようになったのは、しばしば老人問題を老人代表として述べるよう、あちこちの雑誌などから依頼されたからである。実際にも老化しているわけだから、書くことにさほど苦労はない。 今回新潮新書からの求めに応じてこんな書物を上梓したのも、老人問題を論じているうちに、集大成みたいなものを残したくなったというのが本音である。さらには、書いているうちに新たな発想や発見があったこともつけ加えておく。「 美学 」と称したのは、ここでは主として、先に述べたような老化によって、言動、言説など生活態度や見た目や立ち居振る舞いがみっともなくなることを避ける、実際的な知恵を書いているからである。これが書けるのは小生がたまたま役者もやり、テレビに出たり舞台で喋ったりする機会が多いからなのだが、こうした知恵は小生と同年輩の、一般の老人にとっても強(あなが)ち無縁ではなく、必ずや何かのお役に立つのではなだろうか。だからこれを読まれた読者からの何らかの反応を、小生、大いに期待している。著者: 筒 井 康 隆( つつい やすたか )1934(昭和9)年 大阪市生まれ。作家、俳優。同志社大学 文学部 美学芸術学専攻。「 虚人たち 」( 泉鏡花文学賞 )、「 夢の木坂分岐点 」( 谷崎潤一郎賞 )、「 ヨッパ谷への降下 」( 川端康成文学賞 )、「 朝のガスパール 」( 日本SF大賞 )、「 わたしのグランパ 」( 読売文学賞 )、「 モナドの領域 」など著作多数。2019年10月20日 発行発行所: 株式会社 新潮社
2021年10月27日
「老後は安泰」のはずだったのに!後藤篤子は悩んでいた。娘の派手婚、舅の葬式、姑の生活費・・・しっかり蓄えた老後資金はみるみる激減し、夫婦そろって失職。家族の金難に振り回されつつ、やりくりする篤子の奮闘は報われるのか?ふりかかる金難もなんのその、生活の不安に勇気とヒントをあたえる家計応援小説。 老 後 の 資 金 が あ り ま せ んなんて見事だろう。これほど華やかな花を、ほかに知らない。後藤篤子(あつこ)は食卓に肘をついて芍薬に見とれていた。赤いベネチアングラスの花瓶が、こんなにエキゾチックな雰囲気を醸し出すとは嬉しい誤算だった。「おい、篤子、聞いてんのか。一生に一度のことなんだぞ」怒りを含んだ夫の声で、篤子は我に返った。夫は楊枝をくわえたままこちらを睨んでいる。「一生に一度? そんなことわかってるてば。 だけどね。結婚式に六百万円もかけるなんて、やっぱりどうかと思うよ。結婚する当人たちが出すっていうんならともかく、親が出さなきゃならないなんて変だよ」この会話、いったい何度目だろう。娘の結婚式のことで、ここのところ毎晩この調子だ。「おまえはさやかがかわいそうだと思わないのか。向こうは金持ちのお坊ちゃんなんだぞ。肩身の狭い思いをさせる気か?釣り合いが取れてなくて、ただでさえ引け目を感じてるだろうに」「だって六百万だよ。六百万。芸能人じゃあるまいし」そう言いながら篤子はテーブルの食器を片づけだした。 以 下 省 略著者: 垣 谷 美 雨( かきや みう )1959年 兵庫県生まれ。ソフトウェア会社勤務を経て2005年「竜巻ガール」で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。 テレビドラマ化された「リセット」「夫のカノジョ」の他に、「ニュータウンは黄昏れて」「あなたの人生片づけます」「子育てはもう卒業します」「農ガール、農ライフ」「あなたのゼイ肉落とします」「嫁をやめる日」「後悔病棟」「定年オヤジ改造計画」「四十歳、未婚出産」など著作多数。
2021年10月16日
詩 人 ま ど・み ち お 100歳 の 言 葉どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている生まれたところだけがふるさとではなく、死んでいくところもふるさと。宇宙をふるさとにすれば、一緒のところになります。まど・みちおーーー。童謡「ぞうさん」で知られる詩人である。それだけではない。< ポケットを たたくと ビスケットは ふたつもひとつ たたくと ビスケットは みっつ・・・ >の「ふしぎなポケット」や< しろやぎさんから おてがみ ついたくろやぎさんたら よまずにたべた・・・ >の「やぎさん ゆうびん」、< ともだちひゃくにん できるかな・・・>の「一ねんせいになったら」や、「ドロップスのうた」「びわ」など、だれもが口ずさみ耳にしたことのあるこれらの歌の詩はみな、まど・みちおが書いたものである。童謡だけではなく、数多くの詩や絵をかきつづけ、100歳を越えてなお現役であるこの詩人を、ひとは、親しみと敬意をこめて「まどさん」と呼ぶ。著者: まど・みちお( ペンネーム )( 本名:石 田 道 雄 )1909年11月16日 山口県生まれまど・みちおのペンネームは「窓」からの連想で、窓をあければ世界がひろがるところから思いつく。1994年日本人初の国際アンデルセン賞作家賞を受賞。2009年春、100歳を前にして、自宅近くの介護付きの病院に入院する。7歳違いの寿美夫人や息子家族の訪問の合間にひとり静かな時間を過ごす中で、再び絵を描きはじめる。日記は欠かすことなく、100歳にして新たな詩集も刊行した。2010年12月20日 発行発行所: 株式会社 新潮社
2021年10月15日
暮らしのなかの工夫と発見ノート 今日もていねいに。 第1章 すこやかな朝ごはん 自分をととのえ、暮らしの基本をつくりましょう。 毎日が「 自分プロジェクト 」ほんのささやかなものでも、ごく小さなものでも、「うれしさ」がたくさんある1日がいい。そんな気持ちで、朝、目を覚まします。小さなうれしさがたくさんある1日であれば、ほんのりしあわせになります。そんな毎日がずっと続けば、生きているのが楽しくなります。そのための僕なりの方法が、自分プロジェクトです。自分プロジェクトとは、誰かに「やれ」と、言われたことではありません。自分でしかつめらしく「やらねばならぬ」と、決めたことでもありません。仕事でもいいし、毎日の暮らしのなかの、些細なことでもいい。「 これができたら、すてきだろうな、おもしろいだろうな、きっと新しい発見があるだろうな 」そういった小さなプロジェクトをいくつもこしらえ、あれこれやり方を工夫し、夢中になって挑戦し、順番にクリアしていくことです。自分プロジェクトとは、言葉を変えれば、自分で問題を見つけ、答えを考える「独学」です。1日にひとつ何かを学ぼうとする心持ちです。何かしら学ぶのですから、そこには必ず工夫と発見があります。先生もいないⅠ人だけの取り組みなので、ちょっぴり大変ですが、それが醍醐味でもあります。 以 下 省 略著者: 松 浦 弥 太 郎( まつうら やたろう )1965年、東京生まれ。「暮らしの手帳」編集長、「COWBOOKS」代表高校中退後、渡米。アメリカの書店文化に惹かれ、帰国後、オールドマガジン専門店を赤坂に開業。2000年、トラックによる移動書店をスタートさせ、02年「COWBOOKS」を開業。書店を営むかたわら執筆活動も行う。06年より「暮らしの手帳」編集長に就任。2008年12月24日 第1版第1刷発行2009年 2月 6日 第1版第3刷発行発行所: PHPエディターズ・グループ
2021年10月15日
老人のライセンス第1章 老人って何?老人って何?いわゆる高齢者問題が、さまざまなアングルで真面目に取り上げられているご時世ゆえ、この作品に対しては、老人になるのになぜライセンスが必要なのか・・・・を始めとして、首をかしげられる向きが多いにちがいない。そこで老人と年齢についての私なりの思い方を、まずもって自己紹介がてら述べておきたいのココロだ。私は、2015年の4月に武蔵野市役所から「 後期高齢者 」の保険証を送られた年齢、つまり現時点では世間的な意味合いでは堂々たる高齢者ということになる。したがって、自分が後期高齢者だと自覚しているのは確かだ。エライ年齢(とし)になったな・・・・・などという思いをかみしめてもいる。しかし、その高齢者から反射的に引き出されそうになった「とすると俺も老人になったのか?」というひとりごとを、首をすくめながらそっと水の底に沈める気分になったのもたしかなのだ。高齢者については、お上(かみ)の決めるルールにのっとっての認定で、当人があれこれ考えたところで埒(らち)のあかぬ問題だが、老人となるとこれはちょいと私などには爪のかからぬ地平であり、自分とイコールで線を結ぶべきレベルの世界ではない。自分は「 高齢者ではあるが老人ではない 」、いやむしろ「 老人になりきれぬ高齢者 」なのだ・・・という自己認定へと、ぐるりと宙をさまよった思いが着地しているのだ。そこで、水の底に沈みかけた老人という言葉を、おずおずと水面にすくい上げ、ためつすがめつながめ回してみると、これがまた厄介な言葉だった。まず、「 老人とは何か 」の概念がつかめないのだ。著者: 村松 友視( むらまつ ともみ )1940年、東京生まれ。 慶應義塾大学文学部卒業。82年「時代屋の女房」で直木賞。97年「鎌倉のおばさん」で泉鏡花文学賞を受賞。著書に「私プロレスの味方です」「夢の始末書」「百合子さんは何色」「アブサン物語」「野良猫ケンさん」幸田文のマッチ箱」「淳之介流」「俵屋の不思議」「帝国ホテルの不思議」「金沢の不思議」「老人の極意」「大人の極意」「北の富士流」「アリと猪木のものがたり」等多数。2018年7月20日 初版印刷2018年7月30日 初版発行発行所: 株式会社 河出書房新社
2021年10月10日
報 徳 要 典報 徳 記例 言二宮尊徳先生、畢生人に教ふるに徳を以て徳に報ゆるの道をもってす。その百行またことごとく徳に報ゆるにあり。ゆえに良法盛行の日に当たり、時人称して報徳先生という。これこの篇の名となすゆえんなり。先生一世の言論功業、これを筆記する者あらざれば、後人これを知るあたわず。これを知らざれば富国安民の良法といえども一時に止まりて永遠に及ばず。これ我が輩の大いに憂ふる所なり。しかして之を記せんと欲するに、その一班をもうかがい観るあたわず。けだし、聖賢の心志を知るあたわず。あによう愚かにして高徳大才の蘊奥(うんおう)を知る得ん。知らずしてみだりにこれを記す。果たしてその大徳を損するのみにあらず。その功業をもって区々たる平常の事に比するに至らん。これ大いに恐るる所にして数十年間これを記するにあたわざるゆえんなり。然りしかして博識高才といえども先生の門に入あざればまた記するを得ず。むしろその一端を記してもって識者の是正を待つにはしからざる也と。やむをえずしてその万一を記す。先生の安民方法を行うや、大小となく始めに終わりを察し、必成を洞見して、しかるのち実業を施行せり。ゆえに成功あらざるなし。その施行のはじめに当たりては、常人これを見てもって不可となす者あり。後数年経過するに及びて始めてこの如くならざれば、この事のなるべからずを知るに至る。目前のその事業を観るといえども、その規格の深意を察するにあたわず。はたいづくんぞその深遠を記するを得んや。先生の幼年の艱難困苦その長ずるに至り、出群の英才をもって行う所の事業,一も自らこれを発言せず。ゆえに往々云う民の口碑かつ伝聞によりてその概略を記すといえども何をもってその一端をあぐるに足らん。はた誤聞なきを保するあたわず。諸侯の封内を興復するっもの数あり。しかしてその依頼に先後あり。施行の順序あり。余いまだ先生の門に入らざるの前事はこれを目視せず。ゆえに先後順序を誤る者あらん。かつ施行の良法多端にしていわゆる神機妙算測るべからざるら者なり。実に浅学不文、その糟粕だも記するあたわざるを恐る。いはんやその深理に於けるをや。あるいは曰く、先生畢生の論説事業を記するに漢文をもってすべしと、今細大の事業を筆するに至っては、能文者にあらざるよりは、詳かくならざる所なきを得ず。ゆえに通俗文字をもって記するにしかざるなりと。いま、後説にしたがう。この記実大海の一滴のみなり。しかしてその功業記する所の条件に止まれりとなし。かつ些少の涓滴、何をもって大業となすに足らんといわば、記者漏脱不文のために目今を誤るのみにあらず。後人を誤ること限りなし、もし滴水を見てもって大洋の無涯を察知するすることをあらば幸甚。記する所の事業、年号月日詳らかならざる者少なからず。まさに後日の研究をまちてこれを補わんとす。先生の結論正業筆して、しかしていまだすの終りを記するに至らざる者は他なし。この編元より言行お万一を記するにあたわず。ゆえに漸次これを継ぎてもって筆記する所あらんとするが為なり。安政三丙辰年冬富田高慶識※ 報徳要点の文中より、転載しています。 古い本の写しのため、一部文字に誤記 があるかもわかりません。
2021年10月09日
快 楽 な く し て 何 が 人 生真面目くさって一生懸命働いたって、この世は夢のようなものだ、遊べ、遊べーーーーーーー快楽の追求こそ人間の本性にかなった生き方なのだから。だが、自分がこれまでに得た快楽は、はたして本物だったのか?男にとって本物の女とは何か?そしてセックスとは?末期の腎不全を患いながらも、唯一の延命策である人口透析を拒否するSM文豪・団 鬼六が、破滅的快楽の境地へと向かう!死を目前にして、人生の価値を問い直す、現在社会への痛切なメッセージ。ま え が き現在、私は75歳、末期の腎不全を患っていますが、人工透析を拒否して、もう処置なし、と病院から見放されています。今、自分の人生を余命いくばくもなしになって考えてみますと、これまで長い時間の間、どこをどう漂い暮らしていたのか、はっきり思い出せないんです。ずいぶんと曲がりくねったり、上昇したり、下降したりをくり返してきたように思うのですが、では、自分が最も人間的に成長し、充実したのは、どんなときだったのか?それは幸運期か、不遇の時代か、わからないのです。腎不全の前にも、私は脳梗塞の発作を2回やらかしています。脳梗塞というのは血管がつまって脳へ血液が流れなくなる病気で、脳内は酸欠の状態になり、恐ろしいくらいに物忘れが激しくなります。とにかく自分が幸せをしみじみ感じていたのは、人を集めてア~コリャコリャのドンチャカ騒ぎをしていた頃に思われるのです。ーーー何しょうぞ、くすんで一期は夢よ、ただ狂えーーーこれは私の座右の銘といってはおかしいですが、室町時代の歌謡をつづった「 閑吟集 」の一節で、父親が好きでよく口ずさんでいたものです。女と逃げたときも、借金で逃げたときも、「 一期は夢よ、ただ狂え 」というのが父親と私の共通した死生観になっていました。真面目くさって一生懸命働いたってこの世は夢のようなものだ、遊べ、遊べ、といっているのですが、別に虚無的になって自棄(やけ)になれといっているんではないんです。私だって馬車馬のように働いた時期もあり、その苦闘の中で、一生は夢だ、狂わな損、遊ばな損、とそれを夢見ていたことになります。ーーー以 下 記 載 省 略ーーー著者: 団 鬼六( だん おにろく )1931年 滋賀県彦根市生まれ。 関西学院大学法学部卒業。57年文藝春秋オール新人杯に入選。60年代「綺譚クラブ」連載の「花と蛇」が人気を博し、官能小説の第一人者となる。69年、ピンク映画製作「鬼プロ」を設立、女優・谷ナオミを見出す。89年断筆宣言をするが、95年に「真剣師小池重明」で復活。最終完結版「花と蛇」(全10巻)をはじめ、「秘書」「人妻」「肉体の掛け」「果たし合い」など、29作品が幻冬舎アウトロー文庫より刊行。2006年11月30日 第1刷発行発行所: 株式会社 幻冬舎
2021年10月08日
こ れ で お し ま いま え が き人生というのは、長く生きてきたけれど、何もわかりませんよ。こうしてただ生きてきたんだと思うだけで。でもそれでいいと思う。この百余年ばかりこの世に生きて、この宇宙、人生、そういうものをわかろうなんて思ったって、そりゃあ無理です。でも人間には記憶力というものがあるから、昔こういうことがあったなと思いだしたりする。人生には、これから訪れるかもしれない希望、現実、過ぎた思い出というのがある。希望どおりにいかないのが現実。だけど、思い出は悲しかったことでも、楽しかったことでも、思い出があるということがとてもいいことだなと思いますね。あのときはああいうことで楽しかったなあとか、思い出に残ることがあるといい人生だったと思える。何かをするときも、後々、印象として残るようになりたいと思うようになって、人生への心意が生まれてくる。時間というものをいい思い出になるように持てたら、人間はいいなと思いますね。著者: 篠 田 桃 紅( しのだ とうこう )美術家、1913(大正2)3月28日生まれ。5歳の頃から父に書の手ほどきを受け、桃紅という雅号が付けられた。戦後まもなく墨を用いた抽象表現という新たな芸術を切り拓く。 1956年に単身渡米。ニューヨークの一流ギャラリーで作品の発表を続け、世界的な評価を得る。作品は国内外の美術館、海外王室、宮内庁、政府公共施設など数十ヵ所に収蔵されている。2021年3月1日永眠。著書に「百歳の力」「103歳になってわかったこと」「桃紅105歳好きなものと生きる」など・2021年3月28日 第1刷発行2021年5月20日 第5刷発行発行所: 株式会社 講談社
2021年10月06日
人 生 論 ノ ー ト死について、幸福について、懐疑について、偽善について、個性について、など23題----ハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者として昭和初期における華々しい存在であった三木清の、肌のぬくもりさえ感じさせる珠玉の名論文集。その多方面にわたる文筆活動が、どのような主体から生まれたかを、素直な自己表現のなかにうかがわせるものとして、重要な意味をもつ。死 に つ い て近頃私は死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。年齢のせいであろう。以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。ここ数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。そして私はどんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来ることを目撃した。墓に詣(もう)でても、昔のように陰惨な気持ちになることがなくなり、墓場をフリードホーフ( 平和の庭ーーーー 但し語原学には関係がない )と呼ぶことが感覚的な実感をぴったり言い表していることを思うようになった。著者: 三木 清1897(明治30)年、兵庫県生まれ。京都帝大で西田幾太郎に学んだ後、ドイツに留学。リッケルト、ハイデッカーの教えを受け、帰国後の処女作「パスカルに於ける人間の研究」で哲学界に衝撃を与えた。法政大学教授となってからは、唯物史観の人間学的基礎づけを試みるが、1930年、治安維持法違反で投獄、教職を失う。その後、活発な著作活動に入るが、再び検挙され、敗戦直後、獄死した。昭和29年9月30日発行平成23年10月5日 105刷 改版発行所: 株式会社 新潮社
2021年09月29日
3 時 の お や つ子どもの頃にお母さんがつくってくれたケーキ、友達の家でごちそうになった不思議なおやつ、どんな豪華なお菓子より魅力的だったアレ・・・・30人の人気クリエイターがおやつにまつわる思い出を語ったエッセイ・アンソロジー。おいしい記憶がたっぷり詰まっています!平 松 洋 子・大 島 真 寿 美 ほ かペヤングソース焼きそば―ーーーーーーーーーー原 宏一おやつといったら、やっぱチョコとかケーキとか甘いものだよね、とうなずき合っている女子には大変申し訳ないが、学生時代、腹ペコ男子だったぼくに言わせたらそんなものはおやつではない。おやつといったら、「 ペヤングソースやきそば 」。これにとどめを刺す。青い暖簾に黄色い文字で ”やきそば” と描かれた、四角い容器入りのカップやきそば。1971年を嚆矢(こうし)とするカップ麺史上、燦然と輝くこの昭和の傑作に勝るおやつが、一体どこにあろうか。まずは麺の上にかやくを振り、熱湯を注いだら蓋を閉め、3分たったら湯切り口からお湯を捨てる。このとき流し台のステンレスがベコンと音を立ててへこむ、というのは昔からの定番あるあるだ。当時のぼくは、東京は雑司が谷(ぞうしがや)にある学生アパートに住んでいたのだが、おやつどきになると各部屋からベコン、ベコンという音が盛大に鳴り響いてきたものだった、というのは嘘だけど。湯切りが終わったら麺に添付のソースをかけ、わさわさわさとあえる。青海苔と紅生姜入りのふりかけをぱらりとトッピングしたら間髪を容れず箸をふりかざし、湯気とともに立ちのぼるソースの酸味にむせ返りつつ、がふがふがふと一気呵成ににかっ喰らう。この豪快さがたっまらない。午後のひとときに麺という名の炭水化物をこれでもかと胃袋に投入する快感。口腔全体がペヤング独特の駄菓子屋テイストのソース味にまみれる悦楽。たとえ昼めしに大盛りカツカレーを食べていようとも、腹ペコ男子の貧欲なる別腹には、まさに至福の午後3時。息つく間もなくぺろりと完食したものだった。原 宏一( はら こういち )1954年長野県生まれ、茨城県育ち。1997年「かつどん協議会」で作家デビュー。2014年10月5日 第1刷発行発行所: 株式会社 ポプラ社
2021年09月28日
サ ロ メプ ロ ロ ー グ20×× 9月上旬サヴォイプレイス ロンドンやわらかな霧雨がヴェールになってしめやかに街を覆っていた。タクシーの後部座席で揺られながら、甲斐祐也は、タナーの描いた風景画のように水蒸気でくすんだテムズ川の様子をぼんやりと眺めていた。あれはいつのことだったかーたしか東京国立近代美術館の研究員になりたての頃、ロンドンへ出張でやってきたとき、同行した美術課長が、何気なく口にした言葉ーーータクシーに乗るとロンドンに来たと感じるんだと、というひと言がふいに脳裏に蘇る。一時停止するたびに、ドッドッドッドッ、と湧き上がるような音と振動が、シートの下から突き上げてくる。ディーゼルエンジンならではの音と振動は、たしかにロンドンタクシー独特のものだ。屋根の高い車体は、その昔、山高帽を被った紳士が帽子を取らずに乗り込めるようにと工夫されたものらしい。タクシーが初めてロンドンの街中を走ったのは1901年。技術の進歩で車はめざましく改良されてきたにもかかわらず、エンジン音と振動と山高帽に合わせた車高は継承されてきた。つまり、ロンドンっ子は、かれこれ百年以上もの長きにわたってこの音と振動に親しんできた、というわけだ。著者: 原 田 ハ マ1962年、東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。商社勤務などを経て独立、フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍する。2005年、「カフーを待ちわびて」で日本ラブストーリー大賞を受賞し、翌年作家デビュー。12年、「楽園のカンヴァス」で山本周五郎賞、17年、「リーチ先生」で新田次郎文学賞を受賞、著書に「本日は、お日柄もよく」「ロマンシエ」「暗幕のゲルニカ」「サロメ」「たゆたえども沈まず」「美しき愚かものたちのタブロー」「風神雷神」など多数。2020年5月10日 第1冊2020年5月30日 第2冊発行所 株式会社 文藝春秋
2021年09月24日
火 の 粉 1 判 決「紀藤(きとう)さん。昨日は結構遅かったんじゃないですか?」刑事1部の裁判官室を出たところで、梶間勲(かじま いさお)は判決原稿に何気なく目を落としながら、隣に立つ右陪席裁判官の紀藤に小さく声をかけた。「ええ、10時くらいですか」紀藤はかすかな緊張感を言葉尻ににじませて答えた。「どうしても昨日のうちに読んでおきたい記録があったものですから」「その時間からよく散髪屋が開いていましたね」勲が言うと、紀藤の口から弛緩した息が漏れた。頭の後ろを照れたように撫でる。「家内に切ってもらったんですよ。襟足が左右でバラバラなんです。鏡で見ると苛々しますよ」「襟足は映らないからいいでしょう。前だけですよ。そうですか。奥さんに・・・そりゃよかった。昨日と今日じゃ5歳は違って見えますよ」紀藤は照れ隠しのつもりか、肩をすくめて見せた。著者: 雫井 脩介( しずくい しゅうすけ )1968年 愛知県生まれ。専修大学文学部卒。2000年第4回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作「栄光一途」でデビュー。第2作「虚貌」はクライムノベルの傑作として絶賛を浴びた。他の著書に「白銀を踏み荒らせ」「犯人に告ぐ」がある。平成16年8月5日 初版発行平成21年10月1日 19版発行発行所: 株式会社 幻冬舎
2021年09月13日
ぼ ん や り の 時 間常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現在人の心を破壊しつつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのではないか。では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさが生まれるのか。さまざまな書物にヒント求め、自らの体験もまじえながらつづる思索的エッセイ。 1 ぼんやり礼賛ーー常識に逆らった人びと 「 ぼんやり 」という貴い時間ぼんやりとしている時間は非常に大切で貴い、と書いたのは哲学者の串田孫一だ。あの「山のパンセ」を書いた串田は、詩人であり、ナチュラリストであり、画家であり、戦後が生んだ屈指の思想家だと私は思っている。いくら串田先生の言葉だといっても「貴い、という言葉にはちょっとひっかかる」という人もいるだろう。「ぼんやりはいかん、ぼんやりしていたんでは人生のバスに乗り遅れるよ」という人もむろんいるはずだ。でも私はぼんやりという言葉が好きだ。串田の「無為の貴さ」という短いエッセイは繰り返し読んでいる。 こういう一節がある。「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必ず貯えられているものがある」ぼんやりすることでなにを貯えるのか。そのことを、そんな性急に畳みかけるように尋ねたりしないものだ、と串田はエッセイのなかで私たちの性急さをたしなめている。そう、それを尋ねるのなら、尋ねる前に、なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜(もり)の木漏れ日のなかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかくぼんやりを体験してみること、まずはそこから始めたい。いちばんいいのは風の吹き抜ける静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりとした気分になり、さらに肩の力を抜いてみる。下腹の丹田(たんでん)を意識する。深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態になればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することができるかもしれない静寂のなかでぼんやりすることの気持ちよさを味わうことができれば、それは至福への道の第一歩になる。近所に、緑ゆたかな大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところには、きっとあなたの好きな木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。著者:辰 濃 和 男 ( たつの かずお )1930年 東京に生まれる1953年 東京商科大学(一橋大学)卒業朝日新聞社入社、ニューヨーク特派員、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間、1975年~88年、「天声人語」を担当、93年退社 現在ージャーナリスト2010年3月19日 第1刷発行発行所 :株式会社 岩波書店
2021年09月02日
遊行(ゆぎょう)を生きる「遊行」が人生を輝かせてくれる道を踏み外してもなんとかなる「死」は恐れなくていいダメでも、変わっていても、いい迷い、悩み、考えは変わってもいいあえて一滴のまま生きる勇気発熱するほどの熱い言葉が生き方を変える「自力」の中で「他力」を生きる「鬼は内」。「内」なる鬼を忘れるな「絶対自由」にこだわってみよう「遊行」はあるがままに生きること「遊行」とは内なる声を聴くこといい言葉はいい人生を生み出し、いい人生はいい言葉を生みだす。「遊行(ゆぎょう)という言葉が僕の人生を変えてくれました。これで、生きるのが楽になりました。遊行を意識すると生きるのが楽になる遊 行 の ス ス メ人生はおもしろいはずなのに、生きるのは難しい。どうしたら人生を生きるのが楽しくなるのか、考えてきました。僕はいま、68歳。ある壁にぶつかっています。外から見ると、屈託なく、自由に生きているように見えるかもしれません。でも迷っています。悩んでいます。若い頃から、迷ったり逡巡するクセがありました。だから、だらしのない自分をどうしたらシャキッとさせることができるのか、考え続けてきました。10代には10代の壁や悩みがあります。20代にも30代にも、順風ばかりではなく、必ず逆風が吹きます。この時期に、チャレンジすることを経験しておくと、魅力的な人生を送るコツがわかります。40代、50代では、大波小波の中で、気持ちがいい波もあれば、溺れそうになる波もあります。溺れても、溺れても、泳ぎきることが大切です。60代は、人生をまとめる大切な時期です。この時期をうまく生きると、年をとることや、死ぬことが怖くなくなります。70代、80代は、いよいよ人生を完成させる時期です。生きることの大変さを感じるときでもあります。いくつもの病と付き合わなければならない時期でもあります。でも、そこから自由になる方法はいくらでもあるのです。それぞれの年代に何かしらの問題がありそれを乗り越えるーーーこれが人生です。僕はあるとき、「遊行期」「遊行」という言葉に出合い、パッと目の前の霧が晴れました。著者:鎌田 實(かまたみのる)1948年、東京都生まれ。医師・作家・諏訪中央病院名誉院長。東京医科歯科大学医学部卒業。2017年2月1日 初版第1刷発行発行所 清流出版株式会社
2021年06月26日
俳 句 技 法 入 門は じ め に俳句は、わが国の長い歴史のなかで、庶民によって培われた伝統詩であります。世界で最も短い17音の詩型と3句構成の簡潔さと、即物的な表現にひかれて、国内はもとより、中国を初め欧米でも、さかんに作句されるようになりました。俳句をつくり始めると、若々しく健康になり、物事をよく観察するので、ものが見えてきて生活も積極的になります。美しい言葉を使うので、日本語を正しくする文化に貢献できます。よい事ばかりのようですが、俳句を作るのは簡単ですが奥行が深いのです。心でつくる詩ですから、むずかしいことも起ります。本書はやさしく俳句をつくる技法を説明しました。まず、型を覚える方法より、リフレイン、抒情、イメージのつくりかたまで新しい技法を解説しました。例句は、解説に適する作品を引用させていただきました。改めて多謝いたします。なお、平易な記述を心がけたあまり、意を尽くさず、不備の点も多いことでしょう。読者の御教示により、より完全なものにして行きたいと思います。俳句技法入門編集委員会1992年11月30日 発行1998年12月25日 6刷著者: 俳句技法編集委員会
2021年05月15日
永 遠 の と な りやっぱり花粉の影響でしょうか?医師はやや首を傾げるようにしてみせて、さあ、どうでしょう、まだちょっと早いですけどね、と言った。去年はたしか3月末頃から目にきたはずだ。ちょうど池袋の部屋を引き払ってこちらへ越してくる前後のことだった。花粉症に罹ったのは3年前だが、コンタクトレンズが使えなくなったのは昨春からである。今の状態だと使用しない方がいいですよね?「そうですねぇ。両眼ともかなり充血していて、結膜炎の一歩手前です。少なくともここ数日は控えた方がいいでしょうね」眼の前の女医は眉を寄せるようにして言った。歳は幾つくらいだろう。まだ20代半ばに見えるが、もう少しいっているかもしれない。目鼻口が顔の中央に集まり過ぎているものの、なかなかきれいな人だ検眼が終わった。診察室のライトが点き、短めのスカートから伸びた細めの脚や、白衣に包まれた案外しっかりした感じの腰回りが浮かび上がる。( 以 下 省 略 )著者: 白石一文(しらいし かずふみ)1958年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、小説家としてデビュー。著作に「一瞬の光」「不自由な心」「すぐそばの彼方」「僕のなかの壊れていない部分」「草にすわる」「見えないドアと鶴の空」「私という運命について」「もしも、私があなただったら」「どれくらいの愛情」がある。2007年5月30日 第1冊発行発行所: 文芸春秋
2021年04月25日
元 気 な う ち の辞 世 の 句 300 選は じ め に金子 兜太私はかつて俳句雑誌から辞世の句を求められたとき、「 いまの心境では、死に面しての辞世の句を考えたくありません。残したくなったときは残す。いまのままなら残さない、ということです 」につづき、「芭蕉の〈 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 〉の句も辞世の句ではなく、生きている途中の句と受け取っています。」と述べた。このことは、辞世の句を死に臨んでの句と狭くとらえれば、いまはその心境にはならないが、次のようにひろくとらえるなら、私もそいう句をつくっているし、芭蕉のこの句を辞世の句と呼んでもよい、ということなのである。つまり、誰でも生きている途中で<死>を見、そして見詰めるときがある。そんなとき自分のいまの暮らしを見直したり、生涯をふり返ったり、自分の死の有り態を想像したり、あるいは自分といわず<死>そのものを見詰めている今の心境を述べようとしたりして俳句をつくることがある。これもまた辞世の句たりとする、広いとらえ方をしておきたいということなのである。本書では、この広義の意味での辞世の句を収載した。したがって<死>に臨み、あるいは生の途中で<死>を見、あるいは見詰めての作品のさまざまがここには集められている次第である。これに加えて「先人たちの辞世の句」については、編集担当の荒木 清が簡潔に紹介しているのでそれを読んでほしい。編集の方ではこの辞世の句の募集を毎年の恒例の行事にしたいと考えているようだが、もしそうなれば、人の命や一生が軽視されがちな今日の風潮への歯止めとなるかも知れない。受 賞 作 特 選 ( 賞 金30万 円 )風花は まぶたを閉じる までの花吉田 透思朗 北陸では春を待ち続けている冬のある日、思わぬ晴れの日、遠い雪の積もった山脈を越えてきたように、雪が花びらのように飛んできます。遠ざかる生涯の一ひらのように。はっとするほど短い刻(とき)を消えていくのです。私も風花のように晴れた日、まぶたを閉じるまでの花のように死にたいと実感したのです。福井県 76歳監修: 金子 兜太( かねこ とうた )選者: 坪内 捻典( つぼうち ねんてん )編者: 荒木 清( あらき きよし )2004年1月 9日 第1刷発行2004年1月26日 第2刷発行発行所: (株) 中経出版
2021年04月18日
まんがとあらすじで読む聖書プロローグ~はじめに~欧米文化の礎である「聖書」と日本人日本にもキリスト教の信者はいるが、その数は決して多くはない。日本に伝えられたキリスト教は、主にカトリックとプロテスタントだが、両方を合わせても、信者の数は100万人程度で、人口の1%にも満たない。実はこれだけキリスト教徒の数が少ない国は珍しい。先進国は軒並みキリスト教国だし、サッカーのワールドカップで優勝したことがあるのも、カトリックの国かプロテスタントの国に限られる。したがって、ほとんどの日本人にとって、聖書は聖典ではないし、自分たちの信仰とは直接かかわらない、ある意味ただの書物であるはずである。だが、私たち日本人は聖書とまったく関係をもたないわけではないし、それなりに強い関心をもっている。聖書は、地球上に存在するなかで一番のベストセラーとも言われ、世界中で印刷され、読まれている。聖書にふれたことがないという人も、かえって珍しいだろう。それに、アメリカのハリウッド映画を見れば、聖書に関連した事柄がよく出てくる。大ヒットした「ダ・ウ”ィンチ・コード」などは、もろにキリスト教の信仰や宗教組織がからんでいた。映画のなかに聖書の文句が登場することもあれば、聖書で語られた神話的な物語が、映画のシナリオの下敷きになっていることも決して珍しくない。あるいは、ヨーロッパを旅してみれば、どこにもキリスト教の教会がある。そうした教会でも、あるいは美術館でも、聖書に出てくるシーンを描いた宗教画に出会う。「 聖母子像 」は、実に数が多いし、天地創造や受胎告知など、聖書の物語を知らないと、その意味を理解できないものばかりである。近代化が進むなかで、先進国ではキリスト教の信仰が衰退している面はあるが、聖書の物語は現代でも生きている。さらに、人々の考え方や思想の背景には、聖書の強い影響ががある。宗教とは一見関係がないように見える経済学や経済思想の場合にも、ユダヤ教やキリスト教の信仰が強い影響を与えている。市場には神の見えざる手が働いているなどという「市場原理主義」の考え方は、神を絶対のものとして考えるユダヤ教やキリスト教の信仰ぬきには成り立たない。グローバル化が進むなかで、私たち日本人は、海外の人たちと頻繁に接触するようになってきた。日本人は、自分たちでは強い信仰をもっておらず「 無宗教 」だと言ってみたりするが、海外の人たちは、自分たちの信仰を重視し、物事を判断する際の基盤として、信仰に頼る。その点では、海外の人たちの思考方法や行動様式を理解するためには、その人たちの宗教について知らなければならないし、なかでも、ユダヤ教とキリスト教で共通の聖典となっている聖書についての知識は不可欠である。( 新約聖書は、ユダヤ教では聖典として認められないが、旧約聖書の方は、ほぼ二つの宗教に共通する聖典と考えていい ) 以 下 省 略監修者: 島 田 裕 巳( しまだひろみ )1953年 東京都生まれ。宗教学者、文筆家、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授を経て、現職。著書に「葬式は要らない」「戒名は自分で決める」「無宗教こそ日本人の宗教である」「金融恐慌とユダヤ・キリスト教」「下り坂社会を生きる」(共著)ほか多数。発行年月日: 2010年8月20日発行所: ㈱ 宝島社
2021年01月08日
最 果 て の 街数々の文学賞を受賞した著者が描く、魂がゆさぶられる社会派ミステリ長編小説。東京を代表する巨大なドヤ街がある通称「山谷」地区。その地域にある山谷労働出張所は、日雇い労働の斡旋が専門の職業安定所である。山谷地区は労働者の高齢化や、不景気による仕事の減少など、様々な問題が多発していた。そんな中でも所長の深恒宣泰は、心を寄り添わせながら労働者と接していた。ある日、山谷掘公園でホームレス殺害事件が起った。被害者は山谷地区にいた労働者だという・・・深恒がなんとか被害者の親族を探そうと動き出し、被害者の意外な過去が明らかにー。最 果 て の 街そこは行くべき場所を失った寝無し草が、最後に流れ着く場所。秋はこの街にとって、恵みの季節でも何でもない。間もなく厳しい冬がやって来る。道端で凍死することなく、無事に次の春を迎えることができるだろうか。”住民”がつい、不安に戦(おのの)く季節なのだ。だから風に寒さが混じり始めると、男たちの顔は強張る。目に、刹那的な光が宿る。著者:西村 健( にしむら けん )1965年、福岡県生まれ。東京大学工学部卒。労働省(現厚生労働省)勤務後、フリーライターに転身。1996年、「ビンゴ」で小説家デビュー。2005年「劫火」、2010年に「残火」でそれぞれ日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年「地の底のヤマ」で日本冒険小説協会大賞を受賞し、翌年同作品で吉川英治文学新人賞を受賞。2014年「ヤマの疾風」で大藪春彦賞を受賞。発行:2017年6月8日 第1刷発行発行所: ㈱ 角川春樹事務所
2020年12月29日
命 あ れ ば第 1 章京 都・嵯 峨 野 に 暮 ら す 日 々美しい日本の乏しい危機感京都の秋は美しい。殊にも嵯峨野の秋こそ美しい。昔の嵯峨野を愛した人たちは、今の嵯峨野は、新しい家が建てこみ、竹藪が消え、すっかり変わったと嘆く。それでも私は、日本国中で嵯峨ほど、美しい所はないと思っている。だからこそ、これ以上新しい家など建ってほしくないと思う。しかし、これはずいぶん勝手な言い分で、私もまた、二十八年前に、嵯峨野に割りこんできて、家も建ててしまった闖入者である。私がここに寂庵を建てた時は、千坪の土地が不動産業者によって造成され、木も草もなかった。業者は、千坪全部でなければ売らないといい、すったもんだの末半分を銀行に借金して買うことになった。その頃は銀行は気前がよく、いっそ千坪全部買えとしきりにすすめてくれた。全額貸してやるという。しかし私の51歳の時だから死ぬまでに払うには百まで生きねばならないと恐れをなし、半分にした。 ( 以 下 省 略 )著者: 瀬戸内 寂聴1922(大正11)5月15日 徳島生れ。東京女子大学卒。’57(昭和32)年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞受賞。'73年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。'92年(平成4)「花に問え」で谷崎潤一郎賞、'96年「白道」で芸術選奨、2001年「場所」で野間文芸賞、'11年「風景」で泉鏡花文学賞を受賞。'98年に「源氏物語」(全10巻)の現在語訳を完訳。'06年文化勲章を受章。著書に「かの子撩乱」「美は乱調にあり」「青鞜」「比叡」「手毬」「いよよ華やぐ」「釈迦」「秘花」「奇縁まんだら」「月の輪草子」「わかれ」「老いも病も受け入れよう」「求愛」「いのち」など多数。発行: 2019年8月25日発行所:(㈱ 新潮社
2020年12月27日
宇 宙 の 不 思 議いまだ解き明かされない壮大な謎に迫るは じ め にはっきり言って、宇宙の構造や太陽の運命なんて知らなくても、わたしたちは生きていける。この空の向こうに広がる果てしない世界について真剣に考えるなんて時間の無駄だという人もいる。しかし、そのような無駄とも思える時間をわざわざ見つけて、はるか宇宙に思いを馳せる人がいることもまた、事実である。本書を手に取ったあなたも、その1人だろう。忙しい生活の中で、貴重な時間を割いてでも「 追究したい 」と思わせる不思議な世界が、わたしたちの頭上には広がっているのだ。本書では、宇宙論の最新事情から「 星はなぜ光るか 」というような基本的なことまで、宇宙にまつわる興味深い話題を幅広く取り上げた。空の向こうにある宇宙と、その一員であるわたしたちの地球に親しみを持つきっかけとなってくれれば幸いだ。発行年月日: 2009年3月1日発行・発売: (株)アントレックス
2020年12月25日
百 人 一 首は し が き百人一首の成立については今日でも論議が絶えませんが、藤原定家が蓮生(れんじょう)入道に頼まれて、嵯峨中院山庄(さがなかのいんさんそう)の障子(ふすま)に張る色紙を京都の小倉山にある山荘で書したものを起源だとする説が、現在では一般的になっています。百人の歌人、一人につき一首ずつ選するという意味で「百人一首」と呼ばれ、通常は定家の書いた百人一首のことを指します。しかし、後世、同じ形式による「武家百人一首」「新百人一首」「女房百人一首」など数多くの百人一首が作られるようになり、それらと区別するために書かれた場所にちなんで「小倉百人一首」と呼ぶようになったと言われています。「小倉百人一首」は天智天皇から順徳院まで時代順に配列されていることから、和歌史を知る上でも重要な文献となっています。さらに、その作品すべてが流麗で優艶であるので、古来、和歌を学ぶ上でも、書道を学ぶ上でもかかせない手本とされてきました。現在、百人一首と言えば「かるた」、「かるた」と言えば百人一首と言うほど、百人一首は「かるた」として広く一般に親しまれていますが、前述のように、「百人一首」は初めから「かるた」として作られたわけではありません。その起源については、鎌倉時代末とも、室町時代とも言われていますが詳細は不明です。しかし、江戸時代には数多くの「かるた」が作られ、現在と同じ形の「小倉百人一首かるた」を、公家・武家・町人など幅広い層の人々が楽しんでいました。「かるた」という形になったことで、子供から大人まで、遊びながら優雅な王朝時代の歌を覚えられ、暗誦されている方も多いようですが、その歌の意味や作者については詳しく理解されていないように思われます。今回、本書を刊行するにあたり、歌の解釈と作者略歴を「今様百人一首吾妻錦」の歌仙絵とともに一頁にまとめ、美しい錦絵を見ながら歌の意味を理解するだけではなく、作者の人となりに多少なりとも触れられるよう構成いたしました。さらに、巻末には作者のエピソードを収録しましたので、より深く百人一首に親しんでいただくことができると思います。この1冊が豊饒な和歌の世界への良き道案内となれば幸いです。 1994年11月 マール社編集部
2020年12月01日
き ょ う の 一 句名句・秀句365日は じ め に本書は、四季おりおりに詠まれた名句・秀句を一日一句ずつ選んで、一年間365句を収録している。私は地方で発行される多くの新聞で、1993年から毎日一句を取り上げ、200字ほどのコラムにまとめてきた。現在も北海道新聞や信濃(しなの)毎日新聞、愛媛新聞など14紙に連載されている。主にそんな蓄積の中から選んだ俳句だが、評文は稿を改めたり加筆した内容となっている。俳句とは、明治になって正岡子規が革新することで定着した名称である。それ以前は俳諧の連句が流行し、その第一句を発句(ほっく)とよんだ。江戸時代にも5・7・5発句が独立して詠まれることは多かったが、子規はこれを完全に自立させて「俳諧の発句」をつづめ「俳句」と名づけたのである。近代の俳句はせいぜい120年ほどの歴史だが、俳諧の発句を含めると400年にもなるだろう。そこに通底するものは、最短詩型で季節の推移とともに庶民の心情を詠んだ点だ。 その意味では誰もが親しめる。いわば国民こぞって受容できる文芸である。殺伐たる現代にあっても愛好者は多く、いや益々数が増している傾向だと思う。現在、飛躍的に俳句人口が増加しているのは日本よりも諸外国の方だろう。俳句は日本だけのものという固定観念は古い。韻律を重んじる短詩型のハイクは少なくとも40数か国で作られており、その人口は日本人の数倍、いや数十倍というのが現況である。それほどに世界最短の詩型である俳句に魅力があるということだ。俳句の魅力とは何だろうか。高浜虚子は「虚子俳話」(昭和33年)の中で「お寒うございます、お暑うございます。日常の存問が即ち俳句である」「平俗の人が平俗の大衆に向かっての存問が即(すなわ)ち俳句であると説いている。存問とは安否を問うことで、日頃の挨拶とほぼ同じ意味だろう。誰もが気軽に作り、また味わえるのが俳句である。松尾芭蕉のことばに「俳諧は三尺(さんせき)の童(わらは)にさせよ」というのがある。三尺の童は7・8歳の子供のことで、子供のように純粋な心で巧(たく)む所のない俳諧を重視したのだろう。続けて「初心の句こそたのもしけれ」とも説いている。また「謂応(いひおほ)せて何か有(ある)」と疑問を呈したことばも遺(のこ)している。こまごまと言いつくしてしまっては、あとに何があるか。言外の余情こそ大切にすべきだといいたかったのだろう。俳句はそこそこ十七字音ほどの短さで、多くのことは語れない。いやそもそも多くを語ることを目的としない文芸である。何気ない日常に、あるときふっと気づいたことを詠むのである。あるいは禅機のようなものさえあると言えるかもしれない。禅宗の「不立文字(ふりゅうもんじ)」とか「教外別伝」などという標語があり、悟りの内容は文字や言説をもっては伝えられず、心から心へ伝えるものだと説く。俳句はそういった精神主義とは別次元で、ことばを惜しみながら縦横無尽に遊ぼうとする文芸である。本書に取り上げた俳句は江戸初期の発句から現代の俳句まで、広汎(こうはん)に渉猟(しょうりょう)した中から選句し、時節に合わせて配列している。今も新鮮さを保って味わえる句を取り上げたつもりだ。およそ400年の歴史の中では、俳句の作風や傾向も一様ではない。あくまで個性を重んじる文芸にあっては当然のことであり、選句の方法も一党一派に偏しないよう心掛けた。読んでもらえれば、俳諧の発句から現今の俳句までが展望できると思う。その意味と味わい方の指針についても書いたつもりだ。子規は「俳諧大要」(明治32年)の中で、「 俳句をものにせんと思はば思ふままをものにすべし。功を求むる莫(なか)れ、拙(せつ)を蔽(おほ)ふ莫れ、他人に恥ずかしがる莫れ」と書いている。いずれにしても気取りをもってする文芸ではない。門口は広く、開放されているわけだ。本(もと)を正せば俳諧とは「おどけ」「たわむれ」「滑稽(こっけい)の意である。私は、昭和の芭蕉といわれる種田山頭火の研究を30年以上もやってきたが、現代において人口に膾炙(かいしゃ)しているのは次の一句だ。自嘲(じちょう)うしろすがたのしぐれてゆくか 山 頭 火自分の<うしろすがた>を自分で見ることは出来ないが、他者の目を通して見ているのだ。それは<しぐれ>に仮託した定めない境涯であり、零落(れいらく)の姿を自らが嘲(あざけ)るという構造の俳句である。近代俳句の多様な一面を示した一句であろう。2004年11月 村上 護著者: 村上 護(まもる)1941年(昭和16)年 愛媛県大洲市生れ。伊予松山で過ごした後、26歳から東京に在住し数種の職を経ながら執筆活動に入る。平成17年1月1日 発行発行所 (株) 新 潮 社
2020年11月29日
彼女は頭が悪いからプロローグいやらしい犯罪が報じられると、人はいやらしく知りたがる。被害者はどんないやらしいことをされたのだろう、されたことを知りたい、と。報道とか、批判とか、世に問うとか、そういう名分を得て、無慈悲な好奇を満たす番組や記事がプロダクトされる。なれば、ともに加害者と同じである。2016年春に豊島区巣鴨で、東京大学の男子学生が5人、逮捕された。5人で1人の女子大学生を輪姦した・・・・ように伝わった。好奇をぐらぐら沸騰させた世人が大勢いた。これからこのできごとについて綴るが、まず言っておく。この先には、卑猥な好奇を満たす話はいっさいない。5人の男たちが1人の女を輪姦しようとしたかのように伝わっているのはまちがいである、と綴るのであるから。夕食にはすこし遅めの20時から、20代前半の7人が集まった。ほんの数時間であった。だが、できごとは数年かかっておきたといえる。とくにどうということのない日常の数年が、不運な背景となったといえる。5人が逮捕された罪名は強制わいせつ。ニュースを報道する画面に、視聴者からのツイッターコメントがでた。「 和田さん、勘違い女に鉄拳を喰らわしてくれてありがとう 」逮捕された5人には和田という名前の学生はいない。匿名掲示板への書き込みはもっと多数、投稿された。「 世に勘違い女どもがいるかぎり、ヤリサーは不滅です 」「 被害者の女、勘違いしてたことを反省する機会を与えてもらったと思うべき 」勘違い。 勘違いとは何か?著者: 姫野 カオルコ1958年滋賀県生まれ。姫野嘉兵衛の別表記もあり。90年スラプスティック・コメディ「ひと呼んでミツコ」で単行本デビュー。作品テーマによって文体や雰囲気が異なり、「受難」「ツ、イ、ラ、ク」「ハルカ・エイティ」「リアル・シンデレラ」「謎の毒親」などジャンルを超えて多数の著作がある。「昭和の犬」で第150回直木賞を受賞。2018年7月20日 第1冊発行2018年9月10日 第2冊発行発行所: 株式会社 文藝春秋
2020年11月29日
悪 寒 殺したいほど憎んでいた上司が殺された。 その犯人は、自分の妻だった。 東京地方裁判所812号法廷。 「 それでは、被告人にもう一度お尋ねします。あなたが被害者を殴るときに 『 もしかしたら死ぬかもしれない 』という認識はあったのですか 」 「 よく覚えていません 」 「 『死んでしまえ』と思ったのではありませんか 」 「 それもーーよく覚えていません 」 「 それはつまり、言いたくない、という意味ですか 」 「 いいえ本当によく覚えていないのです。興奮していたので 」 「 かっとなって、我を忘れていたと? 」 「 はい 」 「 しかし殴ったことに間違いはない 」 「 はい 」 「 なるほど。記憶というのは便利なものですね。 ところで被告人は、犯行時に二度殴っていますね。 後ろから、こうやってガツンと一度、そしてまたガツンと一度。 たしかに、一度目はかっとなったのかもしれません。 しかし二度目は明確な殺意を持って殴ったとはいえませんか。 世間では、こういう行為をなんと呼ぶか知っていますか 」 「 わかりません 」 「 『とどめを刺す』と言うんです 」 「 よくわかりません 」 「『おぼえていません』の次は『わかりません』ですか。なるほど。 ならば質問を変えます。あなたは以前から被害者を憎んでいましたか 」 「 それは 」 「 どうしました? 正直にお答えください 」 「 たぶん憎んでいたと思います 」 傍聴人のあいだに、さざ波のように私語が伝わり、それはすぐに 収まった。 「 被告人。すみませんが、もう少し大きな声ではっきりとお願いします 」 「 被害者をたぶん憎んでいました 」 「 殺したいほど憎んでいましたか 」 「 裁判長。異議を申し立てます。さきほどから検察側は、 明確でない被告人の記憶を恣意的に・・・・ 」 「はい 」 法廷内がざわついた。 「 失礼、今なんと? 弁護人の不用意な発言が邪魔をして、 よく聞き取れませんでした。もう一度お願いします。 裁判官や裁判員の席ににも聞こえるように、はっきりと 」 「 わたしは、被害者を殺したいほど憎んでいました。 殴ったときに殺意があったかどうか思い出せませんが、 あの男が死んでよかったと今でも思っています 」 「 それはなぜですか 」 「 なぜなら 」 検事の質問に答えた被告人の発言内容に、法廷内のざわつきが さらに大きくなった。 「 お静かに。 傍聴人のかたは、ご静粛にお願いいたします 」 裁判長が声を張り上げる。 記者たちのメモをとる音が響き渡っていた。 著者: 伊岡 瞬 1960年東京生まれ。 2005年「いつか、虹の向こうへ」で第25回横溝正史 ミステリー大賞と東京賞をw受賞しデビュー。 2017年7月10日 第1刷発行
2020年02月29日
春 景 色 晴れだったが、竹林が風に揺すぶられて、彼がデッサンしようとする 風景を乱した。 しかし、絵具箱を閉じてからも、彼は三脚を動かそうとはしなかった。 紅殻のはげた谷川の橋であった。 谷へ来る人を待つには、橋の上ほどいいところはない。 風景では竹林が動いているにかかわらず、杉林は静まっていた。 竹林には朝が早く訪れ、杉林には夕が早く来る。 しかし、その時は昼であった。 昼は竹林のものである。 竹の葉は羽ばかりのとんぼの群れのように、日の光と 楽しく戯れるものである。 その時も風と日の光とがあった。 竹の葉と冬の光との古典的でささやかな舞踏をじっとながめていると、 彼は風景を乱された腹立たしさを忘れてしまった。 竹の葉にこぼれる光が、さらさらと透明な魚のように 彼の中を流れた。 著者: 川端 康成 昭和27年2月25日 第1刷発行
2020年02月06日
す ぐ 死 ぬ ん だ か ら 第 1 章 年を取れば、誰だって退化する。 鈍くなる。 緩くなる。 くどくなる。 愚痴になる。 淋しがる。 同情を引きたがる。 ケチになる。 どうせ「 すぐ死ぬんだから 」となる。 そのくせ「 好奇心が強くて生涯現役だ 」と言いたがる。 身なりにかまわなくなる。 なのに「 若い 」と言われたがる。 孫自慢に、病気自慢に、元気自慢。 これが世の爺サン、婆サンの現実だ。 この現実を少しでも遠ざける気合と努力が、いい年の 取り方につながる。 間違いない。 そう思っている私は、今年78歳になった。 60代に入ったら、男も女も絶対に実年齢に見られてはならない。 著者: 内館 牧子(うちだてまきこ) 1948年 秋田市生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業後、 13年半の O L生活を経て、1988年脚本家としてデビュー。 2018年8月21日 第1刷発行
2020年02月06日
散歩が楽しくなる樹の蘊蓄 街 路 樹 街 路 樹 の 条 件( 抜粋 ) 街路樹は歩行者に日陰を提供したり、葉が太陽熱を吸収して気温を下げたり、 舞い上がるほこりを防ぐ、火災の蔓延を防ぐなど、多様な目的がある。 景観を美しくするためにも欠かせない。 現在では自動車での移動が多くなり、歩道を往来する人が少なくなった。 道も舗装されて、ほこりが舞い上がることはめっきり少なくなったが、 どういうわけか街路樹に限っては、十年一日のごとく同じ木が植えられている。 いささか不思議な感じがする。 というのも街路樹にはいくつの条件があるからだ。 街路樹は、 ① 樹勢が強く ② 大気汚染に強く ③ 強い剪定にも耐え ④ 病虫害に強く ⑤ 葉が美しく ⑥ その地の気候風土にあっていなくてはならない。 となると、樹種がかなり限定されてくる。 そのために経験上、昔ながらの街路樹が選ばれることが多くなるわけだ。 今では、防塵、日陰の提供といった目的よりも、街をいかに美しく飾り、 景観をよくし、その地で暮らす人々が快適な感じを受けるかに、 街路樹選びの眼目がおかれるようになり、少しずつではあるが 樹種も変わりつつあるようだ。 最近、木が道を覆って狭くなる、手入れに金がかかる。落ち葉が 街を汚すなどの理由から邪魔もの扱いされ、街路樹が丸坊主に されているケースがよく見られる。 街にグリーンがあることで、人々の心をどんなにいやすかを 考えると、街路樹は絶対に欠かせないし、逆に街路樹を 植樹できるように、道路の規格を見直すべきではないかと思う。 こうした施策も文化国家の条件といえるのではないだろうか・ 著者: 船越 亮二(ふなこし・りょうじ) 1934年、埼玉県生まれ 東京農業大学造園学科卒業。 2003年2月20日 第1刷発行
2020年02月03日
日 本 の し き た り 常識として知っておきたい日本のしきたり 「お節料理」「雛祭り」「七夕」「十五夜」「年越しそば」・・・ 日本人なら誰でも知っている行事や習慣。 しかし、その由来や正式な作法は?と聞かれると案外困ってしまう。 本書は知っているようで知らない日本のしきたりについて 解説したものである。 「 花見は、桜の開花の様子から農作物の出来を占う、 共同祈願の一種だった 」など、意外なエピソードがわかる本!! ま え が き 「衣食足りて礼節を知る」といわれます。 物質的に満ち足りてこそ、人は礼儀を心がけるようになる、 という意味です。 現在、わたしたちは十分に衣食が足りて、物質的には「暖衣飽食」 といえるほどの恵まれた状況にあります。 しかし、わたしたちの日常からは「礼儀」や「節度」はむしろ失われ、 人間関係も社会環境も殺伐としたものになっているのではないでしょうか。 理由はいろいろあるでしょうが、一つには核家族化によって、祖父母や 父母から子・孫へと、社会的な常識や礼儀・作法、また冠婚葬祭の しきたりなどが、自然な形で伝えられにくくなっていることがあります。 加えて、現代では多くの人が進学や就職、結婚などによって生まれた 土地を離れ、つぎつぎと新しい土地で人間関係を築いていかなければ なりません。 そのようなときに人々を結びつける拠りどころとして「しきたり」が 役立ってきました。 「しきたり」というと古くて、現代には役に立たないもののように 思われがちですが、そこには人々の暮らしを物質的にも精神的にも 豊かにしてくれる知恵が豊富にあります。 本書では、そうした「しきたり」の意味・歴史を再認識してみました。 取り上げたのは「衣」「食」「住」の日常生活から、「冠婚葬祭」や 「年中行事」「信仰」など、いずれも身近なテーマばかりです。 なお、各地で行われている祭りや伝統行事は「しきたり」ではありませんが、 人々を結びつける強い絆として大事な役割をはたしています。 そうした祭りや行事には、日本人の心の原点といえるものも少なく ありませんので、積極的に取り上げました。 以 下 省 略 2007年6月18日 第1版第1冊発行 著者: 丹野 顕(たんのあきら) 1940年、東京都生まれ。東京教育大学文学部卒業。
2020年01月30日
名 俳 句 1000 近世から現在までの著名な俳人や作家の味わい深い 名句を1000句収録。 季題別、年代順に列挙した他に類を見ない画期的労作。 どのページを開いても珠玉の如き名句で満ちあふれている。 現代人の乾いた心に潤いをもたらすこの優れたアンソロジーは、 まるで、まばゆいばかりの俳句の「 宝石箱 」のようだ。 序 俳句に親しみ風雅に遊ぶことは、日々せわしなく浮世を漂う 私にとってささやかな幸福感に浸るひとときである。 難解な俳句も多い中、俳句の素養のない私にも一読して句義がわかり、 あたかも上等なワインを舌でころがし味わうように味読できる俳句と 出会うたびに、私はそれらを少しずつ書き留めて来た。 そして、いつしかそれは1000句に及んだ。 私の余計な解釈や批評は一切排して、それら一句一句の世界の中を自由に 逍遥しながらそこに満ちている馥郁(ふくいく)たる香りを満喫できるように、 ここに俳句のみを季題別、年代順に列挙することにした。 手元に置いて好きなときに手軽に繙(ひもと)ける珠玉の アンソロジーになったのではないかと、ひそかに自負している。 最後に、この小冊子が俳句を愛するすべての人にとって、 創作や鑑賞する際の一助になるならば、俳句を嗜む風流人として これに優る喜びはない。 著者: 佐川 和夫 平成14年2月1日 第1刷 1958年福島県生まれ、現在東京都在住。 一日の労働を終えて帰宅し、家族が寝静まった深夜、 俳句に親しみ俳句を独学。 歳時記にある例句が一部難解で、滋味に乏しいことに 物足りなさを覚え、自分の心に染みた名句だけを集めた アンソロジーを作ろうと一念発起。 およそ、10年の歳月を費やしついに大願成就。 俳句の醍醐味が心ゆくまで堪能できる本書を著す。
2020年01月26日
武 士 道 の 世 界 義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、 武士たちを支えた美学のすべて 誇るべき日本人の原点!! 武士道という言葉を聞いて、何を思い出すだろうか。 切腹、滅私奉公、武士の一分・・・・思い浮かぶ言葉は数あれど、 中でも有名なのは、山本常朝(じょうちよう)が「 葉隠れ 」で記した 「 武士道と云うは死ぬ事を見付けたり 」という一節だろう。 しかし、その真意を理解している人がどれほどいるか。 戦国時代や江戸時代など、偉大なる武士が数多く生まれた背景に 武士道の精神があったことは間違いない。 そして、江戸時代の終わりからたった140年しか経っていない現代日本の 精神的土壌に、武士道精神が今もなお残っていることは間違いない。 以下、武士道の精神・一部抜粋 武 士 道 × 桜 桜 と 武 士 に 通 じ る 散 り 様 映画やテレビ、漫画などのエンタティメント作品では、武士が死んでいく シーンの演出として「 桜を散らせる 」というものがよく見受けられる。 「 忠臣蔵 」のもっとも有名なシーンのひとつとして、殿中刃傷事件を 起こした浅野内匠頭が桜の散る庭前で辞世の句を詠み、切腹をするという 場面がある。儚げに散る桜と、無念の想いで散っていく浅野内匠頭が 重なり合う見事な演出だ。 桜は武士の生き様を表すものとして、昔からよく比較されてきたようで、 江戸時代には、「 花は桜木、人は武士 」という言葉も生まれた。 花の中では桜がもっとも優れており、人の中では武士がもっとも 優れている、という意味である。 桜は昔から日本人に愛されてきており、春先には一斉に薄ピンク色の 見事な花を咲かせて人々の視線を独占し、その心を魅了するのだが、 散り際は潔く、綺麗さっぱりと一気に散っていく。 美しく生きながらも、時がくれば未練を残さずに生命を捨てるのだが、 その散り行く様こそが桜をもっとも美しく見せる瞬間なのである。 江戸時代の武士はたちは、このような桜に自らの理想の姿を重ねていた。 武士も桜同様、生きている間は人々の模範となるように礼節を重んじ、 美意識をもって行動しながら、死ぬ際は潔く綺麗に散るという覚悟を 持っていなければならないのである。 日本人は桜のように散っていく姿に美意識を感じる節がある。 その桜を理想の姿とした武士たちは、外国の人間からすれば、 あらかじめ死や敗北を想定しながら生きている弱者として目に 映るかもしれない。 しかし、この哲学は決して死というものを推奨するような 類のものではない。 武士は万人に訪れる死を常に傍らで感じながら、毎日を過ごす。 それによっていつ死んでも悔いのない人生を歩んでいこうとする 確固たる信念を持つことが大切であると説いているのだ。 日々死と共に歩み、恥ずかしくない生き方を心がける。 そんな武士だからこそ、いざというときは、生き恥をさらさずに 潔く自らの命をも断つことができる。 その姿は桜の散り様のように美しいものではないだろうか。 今の日本には、この精神が薄れている。国民には注目される 立場にある政治家や大企業のトップが、その地位や職権を 利用して不正行為を働いたとしても、言い訳ばかりして 退陣することを考えない者がいる。 武士道においては、生き恥をさらしているようなものだ。 もちろん切腹しろというわけではないが、人道に反することを したのであれば、きっちりと謝罪してその立場を退く。 常に責任を取るべきときのことを考えて、人々の模範となる 行動を取り、引き際は美意識をもって潔く引く。 今一度、桜の散り様を見て、武士の精神を思い出して もらいたいものだ。 2009年10月20日 初版1刷発行 武士之道研究会・編 発行所:(株)イースト・プレス
2020年01月22日
ノ ー ス ラ イ ト 大阪地方は朝から雨模様だった。 青瀬稔は息を潜めて身支度を整えた。 気配からしてクライアント夫妻も起き出している。 ゆうべマイホームの新築話がまとまり、名の知れた吟醸酒を 大盤振る舞いされた。 帰るに帰れずそのまま公団アパートの茶の間に床を得て しまったが、一夜明ければ洗面台を借りるのも憚られる。 急ぎますので。 奥に一声掛けて朝食は固辞し、頭を下げたまま 玄関先で携帯傘を開いた。 急いでいるのは本当だった。 此花区のニュータウンから阪神電鉄の淀川駅までは早足で十分余り。 そこから梅田に出てJRに乗り換え、新大阪駅に向かう。 九時三十分発の「のぞみ」に乗れば正午には東京に戻れる。 遅れはするが、日向子との約束はなんとか守れそうだった。 著者: 横山 秀夫 2019年2月28日 発行 1957年東京生まれ。新聞記者、フリーライターを経て、 1998年「陰の季節」で松本清張賞を受賞し、作家デビュー
2019年12月25日
ト リ セ ツ ・ カ ラ ダ カ ラ ダ 地 図 を 描 こ う 総 論 ( 抜 粋 ) 第1章 カラダってなんだろう カラダの成分 カラダは、見る角度によって、見え方がいろいろ変わってくる。 ひとつの見方が成分分析だ。 人体を分解して何からできているのか、調べる。 ざっくり分解すれば、ヒトのカラダの約70%は水で、 あとはタンパク質とカルシウムが多い。 だからヒトのカラダは、「 水の惑星・地球 」に少し似ている。 比べてみよう 「 地球 」 「ヒトのカラダ無機質」 「ヒトのカラダ有機質」 酸素 47% 酸素 63% 水 65% 珪素 28% 炭素 20% タンパク質 15% アルミニウム 8% 水素 9% 脂質 14% 鉄 5% 窒素 5% 糖質 1% カルシウム 4% カルシウム 1% 核酸 1% カリウム 3% その他 2% 無機質 4% ナトリウム 3% その他 2%。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 著者: 海堂 尊 2009年11月20日 第1刷発行
2019年12月25日
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