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☆ 唐 招 提 寺 & 薬 師 寺 を 訪 ね て ☆2008年10月26日きょうは一日雨の日であった。雨の日といっても大雨ではない。小雨であって傘がいったりいらなかったり・・・奈良の唐招提寺&薬師寺を訪ねた。唐招提寺に先に行きそのあと薬師寺を訪ねた。雨であったが記念に残る一日となった。
2008年10月26日
☆ 奈 良 西 大 寺 ・ 大 茶 盛 ☆晴天である。 暑くもなく寒くもなくとても爽快な一日といえる日であった。13時に西大寺境内案内板前に集合であったが僕は大きな失態をしたのだった!!失態の理由はあえていわないが30分も遅れてしまったのである。あってはならないことで申し訳なかった。遅れたのは自分の責任であり誰の責任でもない。僕は集まった12名の人たちに遅れた理由を説明してわびたのであった。それからは受付で早速3000円の券を買い大茶盛・煎茶席・点心席(そば)・本堂参拝・護摩祈願を行い3時間ほどの行事は終わった。僕は祈願として良縁成就・健康を祈願した。大茶盛は約40センチの茶碗で飲む抹茶である。顔がすっぽりと入るほど大きさであった。はじめての人にはいい体験になったと思うそれからは食事会のため難波まで行った。希望者6名とともにカリスマクラブの人たちに合流し、難波の千房というお好み屋のフルコース料理を楽しんだのだった。カリスマクラブの4名と6名のあわせて10名の食事の団欒となり、何やらかんやらと話がはずんだのだった。フルコースもはじめての料理でおいしかった。食事後は、みんなでコーヒーを飲んで帰った
2008年10月12日
☆ 長 谷 寺 と 室 生 寺 を 訪 ね て ☆2008年9月28日友人たちに誘われて奈良の長谷寺と室生寺に行った。長谷寺は奈良県桜井市にあって真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺院。一般的には、ボタンの寺と399段の登廊(のぼりろう)として有名な寺である。四国三十三間箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。ボタンの名所であり、4~5月上旬は、150種類以上、7000株といわれるボタンが満開になるそうである。入り口の仁王門から本堂までは、399段の登廊(屋根つきの階段)ある。代表者の的確な案内と適時適切な解説でこの階段を登った。息をきらしながら全員399段を登りきり本堂に到着したのである。
2008年09月28日
奈良の旅☆彡 西 大 寺 「 大 茶 盛 り 」 ☆彡 ( 2008年 1月 15日 ) 初釜、たんと召し上がれー☆顔をすっぽり覆い隠すほどの特大の茶碗で抹茶を振る舞う伝統行事「 大茶盛り 」の初釜が1月15日、奈良市の西大寺であり、参拝客らが新春の一服を楽しんだ茶碗が直径30~40センチなら、お茶をたてる茶せんも特注品で36センチ。5,6人分の抹茶の入った茶碗は約7キロもあり、女性客らが両脇から支えてもらいながらお茶を飲むユーモラスな姿に、お茶席は穏やかな笑い声に包まれた。鎌倉時代に西大寺を再興した僧「叡尊(えいそん)」が、正月の法要が無事に終わったお礼として神社に奉納したお茶の余りを参拝者に配ったのが由来で、750年以上続いているとされる。
2008年01月15日
神戸の旅☆彡 ブ ル ー ナ イ ト こ う べ ☆彡神戸市内を一望できる夜景スポットとして知られる摩耶山(神戸市灘区)の展望台「鞠星台(きくせいだい)」では、神戸の夜景をアピールするため神戸市などが企画し、まやロープウエー「星の駅」の屋上から到着するゴンドラへ流星のように緑色のレーザー光線を照射。展望広場では、「オーロラ」や「花びら」など10種類をレーザーの光で描いている。演出は、2007年5月3日~6日。午後6時半~8時半に実施される。 その後は、土、日、祝日に継続されます。
2007年05月04日
奈良の旅☆彡 お 水 取 り ☆彡春を呼ぶ「お水取り」で知られる奈良・東大寺二月堂の「修二会(しゅうにえ)」で3月12日夜、厳しい寒の戻りのなか、ひときわ大きな「籠松明(かごたいまつ)」が登場した。奈良市内のこの日の最高気温は平年より2.3度低い10度。日が落ちてさらに冷え込むなか、午後7時半からは、11本の籠松明が2月堂の舞台に次々と現れた。炎が赤々と燃え盛り、無病息災のご利益があるといわれる火の粉が散らされるたびに、参拝者らから感嘆の声があがっていた。お松明は3月14日夜まで登場。練行衆は3月15日未明に満行を迎える。
2007年03月13日
神戸の旅☆彡 阪 神 大 震 災 12 年 の 経 過 ☆彡平成 7年 1月17日 ー 阪神大震災発生平成 7年 1月20日 ー 気象庁が史上初の震度7と発表平成 7年 4月 1日 ー JR東海道線が全線復旧平成 8年 9月30日 ー 阪神高速道路神戸線が全面復旧平成 9年 5月19日 ー 神戸港復興宣言平成10年 5月15日 ー 被災者生活再建支援法が成立平成11年12月20日 ー 神戸市の仮設住宅入居者がゼロに平成12年 1月14日 ー 兵庫県の仮設住宅入居者がゼロに平成12年 2月23日 ー 政府の復興対策本部が解散平成16年10月23日 ー 新潟県中越地震で震度7を観測平成17年 9月 1日 ー 兵庫県の住宅再建共済制度始まる平成17年12月22日 ー 兵庫県が死者数を1人増の 6434人と修正発表平成18年 2月16日 ー 神戸空港開港平成18年 5月19日 ー 兵庫県が被害家屋数を約64万棟と確定平成19年12月17日 ー 阪神大震災から丸12年
2007年01月17日
神戸の旅☆ミ 阪 神 大 震 災 12 年 ☆ミ今日1月17日であの震災から12年である。午前5時46分に発生したあの震災でなくなった6434人の犠牲者に対して改めてご冥福をお祈り申し上げます。あの地震から何を我々は学んだのだろうか。個人的には、地震の怖さだとか命の大切さだとか防災知識だとか。。あのような大震災が、今起こったらどう行動するのか!!地震立国日本に住むものとしてこのことだけは肝に銘じておく必要があるだろう。12年たってみて改めて自分は地震などに対しての対処は何もしていないことに気づく 「 。。。 」あの地震で運良く難を逃れて今を生きている人。そんな人たちだって多くいるだろう。複雑な思い出の中で今日に生きる人たち。家族や親族・友人や恋人たちの死や傷病など・・・あの震災は、大きな心の傷をもたらした。あの震災で受けた心の傷は今もって癒されずこの日が来るたびに悲しみがつきまとう人たち。そういうつらい思い出のなかから・・・立ち直って頑張っている人たち。悲しみを乗り越えて頑張ってきた人たち。そういう人たちに拍手を送りたい。あの時に生まれた子供はもう12歳です。これからも元気で青春を謳歌してくれるでしょう。震災で痛んだ神戸も復興し、今は何事もなかったように活気を呈しているのだが・・・今日だけは、あの日のことを胸に刻みながら今を生きている恵まれた幸せに感謝しょう。そしてあの震災から学んだ教訓をもとに防災や減災に活かしていこう。あの震災を風化させることなく。。。それがせめてもの私たちのつとめ。。。今日は、あの震災で亡くなられた方たちに改めて鎮魂の祈りを捧げましょう。
2007年01月17日
阪神淡路大震災から11年 今日は、あの阪神大震災から11年の日である。 あの震災はどんな災害をもたらしたのか・・・ 表向きには神戸の街もきれいになり若者は 青春を謳歌しているように思える。 その姿を見る限りでは、街は完全に 復興したかのように思えるものだ。 だが待てよ!! 一歩裏の路地にはいればまだまだ 震災の爪あとが残っている。 そして今も心のケアを必要とする 人がたくさんいるのだ。 まだまだ11年たっても完全復興 とは言えないのが現実である。 私たちはあの災害から何を学ぶべきなのか。 今日はあの震災で被害にあわれ亡くなった 方々のご冥福を改めてお祈りしょう。 そして、あの大震災を風化させることなく 後世に伝えていかなければいけないと思う。 あの震災から得た教訓をいかして 地震立国の日本の防災や安全について 考えていかねばならない。 常日頃から一人一人があらゆる災害に備えて おかなければなければならないことを・・・ 最後に雪害事故でお亡くなりになられた 方々のご冥福をお祈りします。
2006年01月17日
♪ 神 戸 を 歩 く ♪ (その3) ロマンや夢ををかきたてる 一大ユートピアかも知れない。 また都会は、他人と他人の人知れぬ 出会いと別れの場でもある。 衣食住の人間の基本生活は都会にあっても 愛すべき人もなく、淋しき迷路をただ一人 さ迷い孤独の身で模索しながら酒と女におぼれ 金に泣きつつ暮らしている人々が多くいるのも また都会であることを知る。 人と人、男と女、子供と大人、大人と大人、 いろんな人種、人間として一つとして同じではない 感情と表情をもってこの街を歩き、夜は夜でネオンの 海の誘惑ときらびやかな悦楽と享楽、憎悪と醜態、 いらだちと苦悩、嘲笑などをまき散らしているのも また都会であると思った。 夜のネオンが輝きだすとどこかで男と女の 甘いささやきが聞こえてくる。 職もなく家庭のいざこざに頭をかかえて街を 歩く人、夫婦の愛の薄い人や暴力をはじめ 世の中の悪に泣いている人たちがさ迷い 歩くのも都会である。 都会は、悪の温床であるかも知れない。 ありとあらゆる街のどこかで不透明な場所で 巧みな話術と甘い言葉が飛び交う夜の街で 事件が勃発し、新聞やTVを騒がせることが 多いのも都会である。 久しぶりに神戸を歩いて適当に 思いつくことを書いてみました。 都会生活はあまりよくないようなことを 書いていますが決してそうではなく神戸を はじめ都会生活は楽しく素敵であることを つけ加えておきます。 ( 「神戸を歩く」をおわります )
2005年04月28日
♪ 神 戸 を 歩 く ♪ (その2) その速さには驚かされる。 それは半ば人間が文明という扉の中に 閉じこめられ情け容赦なく対峙して いかなければならぬ宿命のように思えた。 特に都会のコンクリートジャングルの 繁華街のビルはみな一様にそうである。 歩けば迷路があり上がったり、降りたり、 曲がったりとそれは直線的迷路である。 それはビルが四角形であるからだ。 高層ビルのため、空を見ることもできずに 大きなビルの中であがく蟻のごとく四角い 迷路の中で人々は右往左往し、うごめいて いるように感じた。 その都会には、人生の葛藤・憩い・淋しさを まぎらし何かを満たすべき物質や飲食や 映像や音楽など娯楽にあふれている。 都会はまさにエンタメの街である。 愛がある。語らいがある。愛が飛び交い、 金銭が飛び交い、欲望と欲望がはじけかつ 明日を拾い、慰安を拾い、疲労を拾い、感激、 興奮、安堵、衝撃、憎悪、惰性、欺瞞 etc この世のすべての煩悩がこのコンクリート文明 という空間の中でとらえようもなく大きなうねり となっている。 霧消してもまた現れてくる。 それは人間という意思や感情をもちたるものが 創造した都会という地獄なのかも知れない。 その反面ある人たちにとっては、 都会はこの世の一大楽園かも知れない。 (その3へつづく)
2005年04月27日
♪ 神 戸 を 歩 く ♪ (その1) あの阪神淡路大震災から11年目の今年 初めて神戸の街を歩いた。 神戸の街もやっと明るくなってきた感じがした。 元町や三宮など相も変わらず青春の息吹と生きる楽しみ 苦しみ喜びと悲しみに彩られ、人それぞれの表情と目的 と意思をもちて、どろどろとした帯のようにあるいは 華やかな色とりどりの個性と情熱と夢をもちて動き、 ざわめいていた。 そのざわめきは、あまりいい音感と響きをもたない。 私には、意味なき雑音として聞こえてきた。 行きかう人々の動きはすべてが急ぎ足であり、 足の訓練をしているがごとく錯覚してしまった。 なかには、そよろそよろと百合のような自然な 歩き方で行動する人がいるが、それはどうも 老人に多いようだ 若者は、春風をきるがごとくビルの階段を上がったり 降りたり、店に入っては出たり、その動作はいつも せわしくまた、迷路のように入り組んだ街を走り かけぬけて行くのである。 (その2へつづく)
2005年04月27日
♪ 薬 師 寺 を 訪 ね て♪ (その6) 3月20日(日)薬師寺を訪ねた。 金堂・東塔・西塔・大講堂を観て 白鳳伽藍の一帯を散策したが その美しさには圧倒された。 先に観た唐招提寺とは対照的といえる。 唐招提寺はひなびた寺だとすると 薬師寺は絢爛豪華な寺であろう。 いずれにしても徒歩20分ほどの 位置にくすんだ色彩不足の唐招提寺と 朱色の鮮やかさ目にしみる薬師寺が 隣り合わせにあることに初めて訪れた 人は不思議さを感じずにはおれないだろう 白鳳伽藍をあとにして次は 玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん) に行ってみることにした。 北受付を通りさらに北の方向に進んでいくと 右手に本坊事務所やお写経道場があった。 そして正面に朱色の玄奘塔が見えた。 この玄奘塔を囲んだエリアが 玄奘三蔵院伽藍である。 伽藍中央にある玄奘塔は、法相宗 (ほっそうしゅう)の始祖・玄奘三蔵の ご遺骨を真身舎利(しんじんしゃり) として奉安し、須弥壇(しゅみだん) には玄奘三蔵訳経像(やっきょうぞう) をお祀りなされている。 また玄奘塔のさらに北(真裏)には 玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿 があった。 そして今日は春季特別公開の 初日であった。300円UPに なっているのは玄奘三蔵院伽藍・ 大唐西域壁画殿の公開のためである。 大唐西域壁画殿は、平山邦夫画伯が 30年の歳月をかけて完成された 玄奘三蔵求法(ぐほう)の精神を 描いた壁画を絵身舎利(えしんしゃり) としてお祀りしているのです。 その荘厳な壁画の感想など 簡単に言えるものではない。 薬師寺を訪ねて個々に感ずるのが 最もふさわしいことだと思う。 こうして私はお彼岸の中日に薬師寺 を訪ね健康を祈願しました。 そして唐招提寺と薬師寺の奈良散策は すべて終わりました。 ( その1~その6おわり )
2005年03月28日
♪ 薬 師 寺 を 訪 ね て ♪ (その5) 3月20日(日)に薬師寺をたずねた。 南受付から南門・中門・金堂・西塔・東塔 そして大講堂と私は今、白鳳伽藍の真っ只 なかにいる。 薬師寺は、天武天皇により発願(680)、 持統天皇によって本尊開眼(697)、さらに 文武天皇の御代(みよ)になって、飛鳥の地に おいて堂宇の完成をみたのである。 その後平城遷都(710)にともない この地に移されたのであった。 当時は、南都七大寺のひとつとして、その 大伽藍はわが国随一の壮美をほこったとか。。。 金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び なかでも裳階(もこし)を施した金堂や塔の たたずまいの美しさは””籠宮造り”” と呼ばれて人々の目を奪ったそうである。 龍宮造りなどとはなかなかどうして当時 の薬師寺の華やかな伽藍が目に浮かんで くる言葉であっていいですね。 これは薬師寺を訪ねた人でないと文章で いろいろ説明してもわからないだろう。 とにかくその美しさに心が晴れ晴れして うわ~うわ~という感嘆の言葉を心の なかで叫んでいるだけの私でした。 金堂・東西両塔・大講堂を画像で お見せできないのがとても残念です。 それから1300年を経過したわけである。 この間に薬師寺は、いろんな災害をうけた。 特に、亨禄元年(1528)の兵火では、 東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が 灰になってしまったのである。 昭和42年、高田好胤(こういん)管主(かんす) によって薬師寺白鳳伽藍の復興が発願された。 失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、 さらには平成15年3月に大講堂が復興され 白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)として よみがえったのでした。 (その5おわり)
2005年03月26日
♪ 薬 師 寺 を 訪 ね て♪ (その4) ♪ 薬師寺や 春の伽藍の 仏たち ♪ (文楽) 3月20日唐招提寺から薬師寺へ 向かって歩いた 薬師寺は奈良市西ノ京町にある☆ 受付で800円の入場券を買う☆ 普通は500円であるが、今日は 平山邦夫画伯が薬師寺に献納した 玄奘三蔵院大唐西域壁画の春季 一般公開の初日であるから300円 UPとなっていた☆ 薬師寺にはどこにも墓がないのである☆ それは檀家をもっていないからないというのだ☆ だから葬式はやらないことになっている☆ はっきり確認したわけではないが敷地内を 境内といわず伽藍というらしい☆ 受付でもらったちらし「薬師寺伽藍図」にも 敷地内を受付場所(南)から北に向かって 「白鳳伽藍」さらにその奥の地域が 「玄奘三蔵院伽藍」となっている☆ 受付を左に折れて行くと赤い梅と白い梅が 咲き誇っていた☆ 紅梅と白梅か? さらに進んでいくと中門があった☆ 中門に入ると正面に朱色の金堂そして金堂に 向かって金堂の左に西塔・右に東塔があった☆ さらに金堂の奥には大講堂があった☆ 東塔をのぞけば朱色の伽藍そのものであった☆ うわ~すごい!! 朱色の伽藍だぁ。。。 心はそう叫んでいた☆ (その4おわり)
2005年03月24日
♪ 薬 師 寺 を 訪 ね て ♪ (その3) ♪ 薬師寺や 空も朱色の 彼岸なり (文楽)♪ 唐招提寺はどちらかといえばひっそりと した名刹であった☆ 鑑真和上の坐像は六月でないとご開扉がないから また六月にこようと考えつつ門をでた☆ 春の陽気とはいかないがそう悪い天気ではない☆ 今度は薬師寺を目指してまた20分ほどかかる アスハルトの道を歩いた☆ 途中で「大納言」というレストランがあったので ここで一服することにした☆ 少しひなびた和食のレストランでした☆ ぜんざいを注文した☆ 小さな漆塗りのお椀に塩コンブがついて500円☆ そこを出て薬師寺に向かってまた歩いた☆ 朱色の薬師寺の建物が見えてきた。 (その3おわり)
2005年03月23日
♪ 唐 招 提 寺 を 訪 ね て ♪ (その2) ♪ 春眠や 鑑真和上 開扉まだ (文楽)♪ 唐招提寺は奈良市五条町にある☆ 奈良の郊外にあるため街の喧騒はない☆ ただ奈良に都があった1200年前は 都の中心街にだったそうである☆ ★門を入ると正面に修理中の金堂の建物が見えた☆ 見えたといっても外観的には何も見えていない☆ それは灰色の鉄筋?と鉄板?の建物でおおわれて いるからである☆ 金堂は4年後に完成するらしい☆ その建物に入ると金堂の歴史のある 太い木の柱が数本あってまるで別世界 (古代)のような雰囲気でした☆ いまこの建物の中で金堂の平成大修理が 行われているのを知ることができました☆ ★この唐招提寺の開祖は中国の高僧「鑑真和上」である。 754年東大寺に到着するまで12年間、前後5回に 及ぶ難航海に失敗したにもかかわらず初志を曲げず 奈良の都に着いたときは両眼を失明していたという☆ 763年五月六日大往生となったが弟子達が師の 大往生を予知して造った和上の寿像(乾漆・国宝) は、山内開山御影堂に安置されている☆ ★毎年御忌当日(5/6を6/6に当てる)を中心に 前後3日間(6/5~6/7)開扉されるが 俳聖松尾芭蕉といえども像前に襟をただして 感動を禁じえなかったという☆ 境内に松尾芭蕉の句碑があった☆ ★ 松尾芭蕉の句 ★ ♪「若葉しておん目の雫(しずく)拭(ぬぐ)はばや」♪ 松尾芭蕉はこのように詠んだのである☆ 金堂・鑑真和上御廟・旧開山堂・講堂などを観て 唐招提寺の散策は終わった☆ (その2おわり)
2005年03月22日
今日は、すずめが巣作りを始める頃だそうです☆ ★ 我と来て 遊べや親の ない雀 ★ 一茶 ♪ 薬 師 寺 & 唐 招 提 寺 を 訪 ね て♪ (その1) 3月20日、春分の日にひとり奈良の 「薬師寺」と「唐招提寺」を訪ねた♪ ★大阪難波駅から近鉄電車に乗車し、「大和西大寺駅」 で乗り換え二つ目の駅の「西ノ京」で下車した☆ 時刻は12;25であった☆ まず、「西ノ京」というこの駅の名前が気にいった☆ 奈良の都を彷彿させるにふさわしい「駅名」である☆ ★まず先に唐招提寺を訪ねることにした☆ 薬師寺は「西ノ京駅」の目の前にあった☆ その薬師寺を横目に見ながら片道約20分 ほどで唐招提寺である☆ 唐招提寺に行く道は、幅約4Mの 片道通行で唐招提寺から薬師寺に 向かっての一方通行になっていた☆ ★アスハルトに白いラインを引いただけの歩道が 唐招提寺に向かって一直線にのびていた☆ その一直線にのびた真正面の突き当たりが 唐招提寺であった。 道は石畳とか敷石をならべたような歩道ではない☆ 普通の道・一般道となんら変わらないアスハルトだけ の道で唐招提寺へ向かう左側の道のみが歩道なのだ☆ だから車や唐招提寺から帰る人と対面通行となる☆ その道にはぽつんぽつんと店があるだけであった☆ レストランと喫茶店がひとつづつ、古銭などを 売っている小さな店がひとつ、手土産などの 小さな店がひとつそのぐらいであった? 京都のお寺のようなにぎやかさはひとつもない☆ 奈良ではの静かな道であった☆ (その1おわり)
2005年03月21日
☆彡 十年の 神戸の街や 冬の空 ☆彡 阪神淡路大震災から早や十年!! 神戸は十年の歳月を経てもとの 活気あふれる街になりました。 でも、まだまだその傷跡は多く残っています。 いまだにあの時の爪あとを残している建物も あるようです。 街は大きく生まれ変わっても人の心の中には、 遠い記憶が甦り十年たっても癒されない ものが奥深く残っているのです。 冬の空は十年間、神戸の復興ぶりを 見続けてきました。 あの日から雨の日も風の日も雪の日も 神戸の人々の奮闘ぶりを見続けてきました。 神戸だけではなくその周辺の震災に あわれた方々の奮闘ぶりも十年間 黙って見続けてきました。 冬の空は、神戸の街を今日も見続けています。 まるで何もなかったように。。。
2005年01月14日
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