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2025.09.14
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カテゴリ: 旅行専科
ↈ世界遺産 ●アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群


ↈ世界遺産




●アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群  
国:エジプト  登録:1979年






ある世界遺産。ヌビアというのはナイルの上流、今のエジプトと
スーダンにまたがる地域のことで、「ヌビア」は黄金という意味です。
そんなヌビアには古代遺跡群が多数残っていましたが、1960年代、
アスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がり、このダムが完成
すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念されていました。
そこで、ユネスコの救済活動が行われ、アブ・シンベル神殿が
64m上の丘に、フィラエ島のイシス神殿は、アギルキア島に
移築される運びとなりました。

このようなことがきっかけで、歴史的価値のある遺跡・建築物・
自然等を国際的な組織運営で守っていこうという機運が生まれました。
そして1972年11月16日、第17回ユネスコ総会にて、世界の文化遺産
および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で
成立しました。





アブ・シンベル大神殿



アブ・シンベル大神殿は、新王国時代第19王朝の王であり、建築王の
名で馳せたラムセス2世が建立した神殿です。古代エジプト神殿建築の
最高傑作といわれるアブ・シンベル大神殿は、ナイル川にせり出した
岩山を掘削して造られた岩窟神殿で、神殿正面には高さ約22mもある
ラムセス2世の座像が4体並び、足元には彼の母や王妃、息子、娘などの
小さな立像があります。




世界遺産誕生のきっかけ



1960年エジプト・ナイル川流域にアスワン・ハイ・ダム建設計画が
持ち上がります。

ナイル川流域は、古代より頻繁に氾濫していました。しかし、
そのおかげで流域は肥沃になり、古代エジプト人によって
一大文明が築かれました。

ところが、近代になると度重なる洪水により、流域の人々の
生活に支障をきたすようになり、ダム建設は避けられない
状態になりました。

しかし、ダムが完成し、このまま放置することになれば
アブ・シンベル大神殿、イシス神殿に代表されるヌビアの
遺跡群が水没することになります。この祐久の歴史を伝える
遺跡を護るため立ち上がったのが、ユネスコ
(国際連合教育科学文化機関)でした。

ユネスコは、ヌビア遺跡救済事業として、世界各国に協力を
呼びかけます。そして、呼びかけに応じた多くの国々の
協力により、ヌビアの遺跡群は水没を免れることになります。

この事業の成功がきっかけとなり、歴史的価値のある遺産を
一つの国家のみならず全世界共通の遺産として、地球全体で
保護・保全するという考えに発展していくことになります。

それが、1972年に誕生した世界遺産条約「世界遺産」です。




アブ・シンベル大神殿とは



アブ・シンベル大神殿は、新王国時代第19王朝の王であり、
建築王の名で馳せたラムセス2世が建立した神殿です。

古代エジプト神殿建築の最高傑作といわれるアブ・シンベル大神殿は、
ナイル川にせり出した岩山を掘削して造られた岩窟神殿で、
神殿正面には高さ約22mもあるラムセス2世の座像が4体並び、
足元には彼の母や王妃、息子、娘などの小さな立像があります。




神殿内部



神殿に入り中に進むと大列柱室があり、ここには両手を組み
オシリス神のポーズを取るラムセス2世の像が左右に4体ずつ
並んでいます。

また壁には、紀元前1274年に起こったカデシュの戦い
(エジプトとヒッタイトの戦い)でのラムセス2世が
描かれています。




神殿最奥部・至聖所



神殿最奥部にある至聖所には、4人の神像が祀られています。
向かって右から太陽神ラー・ホルアクティ、神格化された
ラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、メンフィスの
守護神プタハです。

これらの像は、年に2回、朝日によって照らし出されるように
設計されており、神殿入り口から至聖所まで一直線に伸びる
陽光は神秘的です。

ちなみに、左端のプタハ神は地下に住んでいる神であるため、
光が当たらないようになっています。古代エジプトの人々の
緻密に計算されて設計には驚くばかりです。

アブ・シンベル大神殿は、世界遺産の中でも特に人気のある
遺跡です。世界遺産誕生のきっかけでもあり、古代エジプトの
人々の技術によって造られ、そして現代の人々の技術によって
救われた遺跡を一生に一度は、自分の目で見てみたいと
思いませんか?





アブ・シンベル小神殿



アブ・シンベル大神殿より北へ100mほど離れた場所にある
アブ・シンベル小神殿は、エジプトの歴代王朝の中でも、
王の中の王と称えられたラムセス2世が愛する王妃
ネフェルタリのために建造した神殿です。




アブ・シンベル小神殿とは



アブ・シンベル小神殿は、エジプトの歴代王朝の中でも、
王の中の王と称えられたラムセス2世が愛する王妃
ネフェルタリのために建造した神殿です。

大神殿に比べると小さいですが、神殿の正面には、2体の
王妃ネフェルタリの像と4体のラムセス2世の像があり、
ネフェルタリの像の両サイドをラムセス2世が挟むように
並んでおり、その姿は圧巻。また、像の足元には、
彼らの子どもたちが並んでいます。




アブ・シンベル小神殿 内部



神殿内部に入ると、まず列柱室があり左右に3本ずつ
ハトホル柱(牛の耳をもつハトホル女神の顔を柱頭と
する柱)が並んでいます。壁や柱には、レリーフが
描かれており王妃とラムセス2世が対等に描かれているのが
印象的です。

列柱室の先にある前室には、王妃ネフェルタリの戴冠式や
牛の姿をしたハトホル女神にラムセス2世とネフェルタリが
パピルスを捧げる姿などのレリーフがあり、今も当時の
彩色が残っているものもあります。

アブ・シンベル小神殿は、王妃ネフェルタリのために
建造されましたが、同時にハトホル女神に捧げられた
神殿でもあります。神殿内のレリーフから一説には、
ハトホル女神はネフェルタリ王妃を表しているという
説もあります。





イシス神殿



イシス神殿は、古代エジプトの神オシリスの妹であり妻でもある
女神イシスに捧げられた神殿で、紀元前3~紀元前4世紀の
プトレマイオス朝時代に建てられました。神殿の壁面には、
神々の姿を描いたレリーフが残っており、ナイルの水源の図など
女神イシスの神性を表すレリーフもあります。




フィラエ神殿(イシス神殿)とは



イシス神殿は、古代エジプトの神オシリスの妹であり妻でもある
女神イシスに捧げられた神殿で、紀元前3~紀元前4世紀の
プトレマイオス朝時代に建てられました。神殿の壁面には、
神々の姿を描いたレリーフが残っており、ナイルの水源の
図など女神イシスの神性を表すレリーフもあります。

女神イシスは、古代ローマ帝国の皇帝やローマ人たちも
崇敬される存在でした。それを表すかのように、イ
シス神殿があるフィラエ島には、ローマ帝国の
アウグストゥス、トラヤヌス、ハドリアヌスなど
歴代の皇帝がキオスク、塔門などが残っています。

イシス神殿も、他のヌビアの遺跡群同様、アスワン・ハイ・
ダム建設計画によって水没する運命にありました。
移築前、イシス神殿のあったフィラエ島は、イシス女神の
聖地であり「ナイルの真珠」と称えられる美しい
小島でした。現在、イシス神殿のある島は、フィラエ島に
地勢がよく似たアギルキア島。ユネスコは、移築に際して
島の環境をフィラエ島とそっくり理に再現し、
島の名前も「フィラエ島」と改名しました。




カラブシャ神殿



カラブシャ神殿は、ヌビアの太陽神マンドゥリスが祀られ、
ヌビアの神々に捧げられた神殿です。神殿は、新王国時代に
建設されアメンホテプ2世やトトメス3世が関わっていたと
いわれており、その後、プトレマイオス朝、ローマ帝国
支配時代を通して再建されました。




カラブシャ神殿とは



カラブシャ神殿は、ヌビアの太陽神マンドゥリスが祀られ、
ヌビアの神々に捧げられた神殿です。

神殿は、新王国時代に建設されアメンホテプ2世やトトメス3世が
関わっていたといわれており、その後、プトレマイオス朝、
ローマ帝国支配時代を通して再建されました。




神殿壁画



神殿の壁画には、オシリス神やイシス神などエジプトの
神々のレリーフや神々を讃えたヒエログリフが残っており、
神殿の見どころの一つとなっています。

神殿の敷地内には、カラブシャ神殿と共に移築された遺跡を
見ることができます。ラムセス2世が建立した岩窟神殿
ベイト・エル・ワリ、ハトホル女神が自らの領地を回る際の
中継所だったとされるケルタシのキオスクがあり、
キオスクからはナスル湖を見下ろすことができます。









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最終更新日  2025.09.14 05:00:06
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