◆ビリッ?◆1   (2002.12月)




仕事中に「ビリッ」と首筋に電気が走るような痛みがある。
不規則すぎる仕事ゆえの疲れだよね。
何度も首を回してみる・・ビリッ・・ビリッ・・

・・・まさかね。



◆数年前の私◆

結婚が決まった頃、さっさとOL生活にお別れをして「私こそ専業主婦になるために生まれてきたんだ!」と能天気に恥かし気もなく言っていた私。愛する人との新たな人生が嬉しくて仕方なかった。

新しい生活に胸躍らせ、一日一日が楽しくて仕方ない。
三世代同居の明るい家族。一家団欒が当たり前の家庭でぬくぬくと育った私は
20数年間『ひとり』なったことも無く、結婚すれば、愛する人とどんな時もずーっと一緒。
そんな非現実的日常が続くと真剣に信じている世間知らずだった。
結婚しても私は「彼には今まで通りにして欲しい、そんなあなたを愛したんだから。」と、家庭を守る完璧な妻を目指した。
そんな私に夫はいつも言ってくれた。「ありがとう、僕は本当に幸せだよ。」

けれど時間が経つにつれ、生活のリズムは現実に戻り、私の理想も狂い始めた。
夫の仕事は日々忙しさを増し、週末になれば学生の頃から続けている草野球へと 出かけていった。
自然と増えていく、ひとりきりの夕飯・ひとりきりの週末。
さほど不思議でもない、どこにでもある生活。でも、私は寂しかった。
夫は優しい。けど、『ひとり』の過ごし方が分からない。決して、『ひとりきり』ではないのになぜか孤独でいっぱいだった。
そして、一日一日心に溜まったモヤモヤがある出来事で爆発した。

結婚後、初めて迎える晦日の夜、夫は毎年恒例である友人との集まりに出かけて行った。結婚した途端、付き合いが悪くなる「家庭中心の良い夫」という姿は、男子校で育った彼には恥ずかしい事だったのかもしれない。
また、ひとりか。
確かに私は、バイタリティある夫に恋をした。私に無いものを持っている彼を尊敬していた。だから、変わらずにいて欲しかった。

でも、これは家庭じゃない!二人で暮らす生活ではない!!
いつからか私の涙は止まらなくなり、でも、愛しているから、何もかも理解する振りをし、自分の心と闘うようになっていった。
そして、私は知らない間に自分を壊し始めていた。

結婚して4ヶ月目。私は病院のベットの上にいた。
頭に火箸を刺したような激痛。
首に痺れが走る。
数分おきに身体に発作がおきる。
温かい冷たいすら分からなくなった皮膚。
ありとあらゆる感覚障害が私を襲った。
背中に針を刺し、脊髄の中にある髄液を摂取する辛い検査。
神経反射を調べるために、麻酔なしで筋肉に針を刺し、激痛に耐える検査。
毎日のように私の血液は抜き取られていった。

頚髄に腫瘍らしき影がある。それが検査で分かったこと。

けれど・・・病名は見つからない。

そして、唯一の対処療法であるステロイド剤の大量投与が始まった。
3日間の点滴を続け、MRI等で経過を観察しながら再び3日間の点滴。
お願い、少しでもいいから効果を示して!この苦しみから助けて下さい!願い縋るしかなかった。


ある日何気なく鏡に目を向け、私は言葉を失った。
丸々と顔が脹れ上がり、顔中を産毛が覆っている。
そこに写っていた姿はもう以前の私ではなかった。薬の副作用を事前に聞いていたけれど、私、こんなになっちゃったんだ。
突然、私の中の’女’が目覚め、惨めな姿に泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。


「これからどうなるの?」


あんなに明るく元気だった私はどこへいってしまったのだろう?
シトシトと降る雨の中を歩く人達すら羨ましく思え、車椅子の私は’なぜ、なぜ、なぜ’と心の中で叫び、そしてまた泣いた。

絶望の中、ただ一つの願いは【愛】だけは失いたくないということ。

そんな私の側に朝も晩も付き添ってくれた人がいた。
夫だった。
笑顔の彼がずっと側にいた、毎日毎日毎日・・・。
それでも私は『彼といたい。同じ物を一緒に見て感じて、同じ時を過ごしたい』強く強く願ったから・・・神様、私の心を試していられるのですか?
そんな事を思ったりした。

ある日、彼に「このままじゃ、あなたを不幸にしてしまう。別れてもいいよ」と告げた。
不安で惨めで怖くて体が震える。
瞬間、夫の顔はみるみるうちに真っ赤になり「バカヤロウ!」とたった一言叫び、強く抱きしめてくれた。そして、二人で泣いた。

・・・ごめんね。私は、私以上に悩み苦しんでいるかけがえのない人の思いや悲しみを踏みにじっていたんだね。私を見て、お願い分かって!と人の思いを考えようともしていなかった。
愛する人を心の奥で想った時、失われていない【愛】に感謝した時、私の心は不思議と強くなり、「治りたい!負けたくない!彼の元へ帰りたい!!」と私は私と闘う決意をした。


時間は流れていく。病室から見える桜は満開になり、菖蒲の季節も瞬く間に過ぎ、青葉の匂いが漂う頃、私は病名も無く、症状も消えないまま退院した。

隣には愛する夫が微笑んでいてくれた。

ゆっくりゆっくり3年もの月日を重ね、たくさんの【愛】を受けながら、私の身体の自由は自然と元へと戻っていった。

明るく、本当の私でありたい。もう一度人生を始める気持ちで、夫とも色んな話をした。 私達の生活。私達の在り方。
そして、私が出した答えは社会復帰だった。
外の風は心地よく、仕事に就くと不思議とバランスは整い始め、楽しい生活が続いていた。
家族も友人もみんな「病人」だった私を忘れるくらい、順調だった。

(あの苦しみは幻だったのかな・・・)

私自身、苦しみを忘れ、そして仕事にのめり込んでいった。






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