父について。


だから父はもうかなりの高齢です。
父は若い頃、戦争に行き銃弾をうけ右半身が麻痺しています。
その上、言語障害にもなってしまいました。
そんな父は若い頃からお酒もタバコも好きで仕事から帰ると晩酌をしていました。
戦争に行っていた人なのでかなり厳しかった。
特に母には怒鳴ったりして怖かったのを覚えている。
私は高齢の時に生まれたせいもあって可愛がってもらったけど。
そんな体の悪い父でしたが、仕事は4トントラックに乗り荷物を運んでいました。
ある時は荷物と一緒にトラックから落ちてしまい骨折して動けなくなってしまうこともあった。
60歳を過ぎても私が高校を卒業するまではと一生懸命に働いてくれた。
高校を卒業すると同時ぐらいにまた、荷物(家具)をおろすときに荷物の下敷きになって骨折。
それを機会に退職しました。
それからは体が悪いのを人に見られるのが嫌で家にこもりっきりになってしまった。
もちろん、朝、昼、夜とお酒を飲む毎日。
家族がとめても聞いてくれません。
人間歩かないと歩けなくなる。見事に父は歩けなくなってしまった。
でも、人の力を借りるのは嫌だからと自力で着替えとかはしていた。
私が結婚して3年ほどたったある日、母から電話がかかった。
「早くきて・・。血だらけで・・・。早く・・」
何がなんだかわからず実家に行った。
一人で着替えようとしていた父は麻痺している右の方向へ倒れてしまったのだ。
運悪くそのときは誰も家にいなかった。
母が帰ると血まみれの父。すぐに救急車を呼んだ。
そして診察・・・。傷はたいしたことなかった。
でも・・・もっとショックなことを医者から聞かされた。
「何年も前から少しづつ脳梗塞になってきてましたね。痴呆もでています」
これは・・ショックでした。左の脳が機能していないといわれた。
だからもともと麻痺してる右半身に影響がでる。はじめから麻痺してるから
誰も気づかなかった。言葉も意味わからないことを言っても言語障害があるからわからなかった。
それに・・痴呆・・・。自分の父が痴呆なんて認めたくなかった。
ひどい時には、姉二人のことはわかるのに私のことだけ忘れてる。
「俺には二人しか子供はいない」と言う。
最近は落ち着いてるから私のこともわかるようだが。
病気になって好きなお酒もタバコもとりあげられた父。
かわいそうで仕方ない。
父の日にはいつもお酒やタバコをプレゼントしていたのに今は渡せない。
他のものをプレゼントしても喜ばないし、わからないようだ。
今は元気にしてくれているが、いつかもっとつらい事があるかも?と覚悟しておかなければいけない年齢になったんだなぁと親の老化で感じる。
もっと親孝行しておけばよかったと思わないようにしていきたいと思う。
そして、痴呆がでていないときに父にはっきりと言いたい。
「お父ちゃん・・ありがとう!」


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