混沌としためいぷる日記

混沌としためいぷる日記

第四章ノ一


 空の色を跳ね返し、淡いオレンジに輝く海。
 その海上に架かる巨大な橋。
 橋の上でただ立ち尽くす桃色の獣人。
 桃色の獣人の瞳に映る、サンライトイエローの獣人とダークブルーの獣人。
 世界は、どこまでも現実のようで、彼女の瞳に写る光景は……限りなく非現実だった。

 モララーの刃を、ギコはかろうじて受け続けていた。手にした『挫折禁止』を記してある道路標識の看板で。
 何故だか、その看板はやたらと頑丈のようで、モララの振るう血の色をした刃を何度も受けているが、まったく折れるそぶりを見せない。
 モララーが刃を引き、鋭い突きを放つ、ギコは身体を左に傾け、その一撃を回避すると同時に、無防備なモララーの右わき腹へと看板を横薙ぎに振るう。
 しかし、看板が薙いだのは何もない空間だった。跳躍したモララーは、体を左に傾け、回転を加えた一撃をギコの脳天に放つ。
 重い一撃を、ギコはかろうじて防いだ。瞬間、激しい閃光がギコの視界を奪う。視界が利かないまま、がむしゃらに振るわれたギコの看板が、急に持ち上げられる。
「えっ、ちょ……」
 そのまま、ギコの身体は空中に投げ出された。
「わあぁ!?」
 ぐるぐると回る視界の中で、ギコは橋を支える鉄骨の一本の上に投げ飛ばされたのだと気付いた。一瞬、手で目元を覆うしぃの姿が視界に入った。
(しぃ……待ってろ。すぐに終わらせて、行こう)
 なんとか姿勢を制御し、足から鉄骨に着地すると、視界の端からモララーも鉄骨へ跳んで来るのが見えた。
「そろそろ終わらせてもらうからな」
「くそっ、なんてメチャクチャな動きをしやがる!」
 モララーは笑みを浮かべながら、ギコは毒づきながら、互いに距離をとる。
 そして、二人の獣人が交差する。

 閃光が消え、慌てて視線を上に転じたしぃの目に入ってきたのは、交差する二つの影。
 しぃの目には、あの交差の瞬間に何があったのかがはっきりと見えた。
「!」
 声にならない悲鳴が上がった。

 二人は動かない。時間が止まってしまったかのように。

 止まった時間は、一秒だったか、一分だったか、一時間だったか……
 長い沈黙のすえ、先に動いたのギコだった。ゆっくりと、身体が傾いてゆく。
 モララーの口元が歪んだ。笑みの形に。
 意識が遠のく。急に体温が下がってゆくのを感じた。
 落下の直前、ギコの目に映ったのは、振り向き、こちらを見ながら笑うモララーの姿。
 ギコの意識が、闇に落ちた。

「ギコ君!」
 しぃは、彼の名を呼ぶことしかできなかった。
 膝、腿、腕、わき腹、胸、頬。全身に無数の切り傷をつけられたギコは、そのまま海へと落下していく。
 ざぱぁぁん……
 上がった水柱は二つ。一つは、ギコが武器代わりに使っていた看板だろう。だが、そんなことはどうでもよかった。
 瞳から涙があふれ、しぃはくずおれた。
「ギコ君っ……ギコ君、ごめん…………ギコくぅん……私が……」
「何故、涙を流すんだい? 人間が一人、革命のための犠牲になっただけさ」
 鉄骨から降りてきたモララーが、背後から歩み寄ってくるが、それでもしぃは動けない。
「しぃ、今一度チャンスをやろう。僕達と共に戦おう。自由をこの手につかむんだ」
 手にした刃をしぃの首筋に当てながら、モララーは言った。
「……嫌よ。そんなの、革命なんかじゃない。ただの、虐殺だわ……」
 嗚咽を漏らしながらも、声を絞り出す。モララーは小さく肩をすくめた。
「そうか。残念だよ。月並みだが、すぐに君も彼のもとへ送ってやるからな」
 血の色をした刃が振り上げられた――

 たくさんの青に包まれながら、ギコの身体は海底へと沈んでいった。
 水色、群青、青、藍色、紺色、そして……漆黒。
 わずかに、ギコは意識を取り戻していた。
 ――あぁ、そうか。俺はアイツに負けて……――
 深海の黒に血の赤が混じる。
 ――……俺、死んじまうのか――
 口から空気が漏れる。再び、ギコの意識は薄れていった。
 ――ごめんな、しぃ。護ってやれなくて――
 彼が再び意識を失う直前、海面から一粒の光が舞い降りてきた。
 光はギコの周りを静かに飛び回る。淡い光がギコを包み込み、そして――

 声が、聞こえた。

『お前、死ぬぞ』

 ――……そうか――

『いいのか?』

 ――仕方ないさ。指一本動かせない。もう死ぬしかないんだ――

『お前のことじゃない。あの娘だ』

 ――…………しぃ……――

『お前が死ねば、彼女も死ぬぞ』

 ――……………………――




『それが望んだ結末なのか?』




 ギコは、目を開いた。



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