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うちの流儀では釜の蓋を清めるときも棗を清めるときも、カタカナのマの字に清めます。以前の千家の流儀の時はそのようにマの字にはしなかったので、こんなときにも流派によって違うなんて!と少し面白くなく思っておりました。ただ、これも単に違いをつけるためにそんなことをしているのではないのです。それを知ったのはうちの会社でお茶会を開く際にお願いして、お手伝いいただいたご年配の男性からでした。遠州は古田織部の弟子。その師匠は千利休。どちらも切腹しての死。遠州はその恐ろしい魔を清めるために、安泰を願う心からマの字で清めたのだと。そしてこのブログの10月11日に和子先生の言われた、遠州が織部焼の印(ハンコ)を持っていたという話。その時にその理由をどこかでつながる何かがあったと思ったら前述のご年配の方のお話だったのですね。そして和子先生からお話を聞いたとき、その印を一度見てみたいと思っていたら、写真ではありますがありました。小学館から出ている月刊誌『和楽』(書店にはありません。定期購読本です。)11月号のP187にその印はありました。そのページを開いたときにハッと気づきました。遠州に織部の印。桃山の終わりの時代にタイムスリップをするようです。忌まわしい時代の終焉に遠州の安泰を願う心を。
2005年10月31日
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やってしまいました。色紙風炉釜に釜をカ~ンと当ててしまい、疵が・・。どんなにショックか分かりませんが、考えないように考えないように。でも本当はショックです。ああ~~・・・・。今日はお休みで朝から炭でお湯を沸かそうと思い、やっていたのですがなかなか湯は沸かなくて、何度も釜を上げたり下げたり。炭と戯れること半日。少し炭との関わり方が理解できたように思います。ラジオやテレビをつけていたからかも知れませんが、あまり松風がなく釜が悪いか環境が悪いか、さてどっちでしょう。湿し灰は香りが良く、ちょっぴりうれしかったのは今日の喜びひとつ。本来は番茶で湿らすのですが、随分前に母が買ってきてくれた中国茶をもったいなくて捨てられずにいて、そのお茶で湿し灰を作っております。今日は入れ物から取り出す際、柔らかな良い香りがしておりました。そして、炭を片付けまた中国茶で湿らしながら篩いにかけ、しまいました。美しく育ってちょうだい、と願掛けながら。昨日はまた少し茶人としてはうれしいことが。今度のお稽古にうちで働いているロシア人のイリア君を連れて行くのですが、一緒にどう?と冗談半分に誘っていた女性のスタッフが、誘ったときはいやぁ、と引いていたのに行きたい、と目を輝かして言うのです。なぜかと聞くと、私がたまたま関西の初めでお会いしたお客さまとお茶の話が弾んだ後、彼女がお帰りまで付き添う間、そのお客様よりあなたもお茶をしなさい、そんな堅苦しいものじゃないわよ、っといわれたことが彼女の心を動かしたようです。たまたま数日前に私が携帯茶道具を持って会社に行き、宗磨のお茶講座とともにお茶を振る舞い、なぜお茶碗をまわすのかなど、彼女は少しばかり感動しておりました。そして、その後も少しお茶にまつわる私のお茶講座を仕事の最中に話して、彼女はすっかり希望に満ちているように思います。私の自己満足かもしれませんが。う~ん、やはり簡単お茶講座を出来る場所と私の勉強をすることが出来たら、と思いますね。
2005年10月27日
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行って来ました。中村勘三郎さんの襲名披露。何度か歌舞伎は観劇したことがありましたが、口上は初めてでこんなにおもしろいものとは知りませんでした。裃着た役者さんたちがずらっと並んで、順番に勘三郎さんについてのお話などされるのですが、ウィットにとんだ冗談を言われ、一人づつ〆に”お願い申し上げー奉り給います~うぅぅ。”と。そして、有名な唐獅子も初めてだったのですが、とても宗教がかったものだったので少し意外でした。唐獅子はよくテレビなどで長い髪を振り回す光景をテレビなどで拝見はしたことがあるので、その光景から宗教とは縁遠いと思っていたのですが。それにしても勘三郎さん親子3名の競演は、また見所の大きなひとつでした。小獅子のコミカルな動きもお二人の息がぴったりで、だから尚楽しいものでした。ふと、ここでも素敵な日本の文化が次世代にきちんと受け継がれるのか、かなり心配でした。というのも、ランチで入った劇場のレストランではほとんどご年配の女性ばかり。それに安い席のお客さんの層は、もう少しドレスコードを考えて欲しいような装い。歌舞伎を観るのにかかる費用は確かにお高い。今の若い層はそんなに裕福でないことを考えると少々、難しい。だからといって値段を下げるとがらっと質が落ちることも必至。それは上にあるようにドレスコードに引っかかるような装いで、立ち居振る舞いもひどい。ネクタイが必要、とかドレスを着ろ、とかそうではなくてTPOに合わせた装いをして、おしゃれに歌舞伎を楽しんだいただきたいと思うのです。ちなみに私は基本的に観劇の時は着物を、しかも紬を着て行きます。今回は京都の芸姐さんとご一緒だったので、さすがにスーツにしましたけど。今、必要なのが次世代に受け継がれる日本の文化、伝統であろうと思います。茶の湯をしていて強くそれが必要だと思うのです。そして、どの日本の文化も今、踏ん張りどころの気がします。がんばれ~!そしてがんばろう!そうそう、一つ目の演目は”五平とお国”でしたがこれは、超超超ストーカーのお話です。気色悪い、いじけた男の話。昔からこんなストーカーが居たのですね。
2005年10月24日
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今年の秋の足音はいきなりでっかい音とともにやってきた気がします。今日は仕事が午後からで、日中、駅から会社に歩く道々、なんて風が冷たいのかと思いながら歩きました。つい先日までお茶のお稽古で着物を着るのに暑くて仕方がなかったのに、次のお稽古は合わせにしたいほどです。紬の着物の出番もそろそろです。楽しみ、楽しみ。そうそう、ひょんなことで明日、中村勘三郎さんの顔見世に行くことになりました。しかも京都のお姐さんとご一緒することに。3人の席のようですが、初対面の方々ばかりなのです。ちょっと緊張と楽しみが交錯しています。この顔見世はとっても人気があって、チケットが取れなくて諦めていたのにふっと湧いて出てきたお話です。遅番の仕事が終わってロッカーに行くと携帯電話の合図音が。携帯電話にお姉さまのおひとりより留守電が入っており、コールバックすると彼女の代わりに行かない?というお誘いでした。お嬢様が体調崩しているため看病しなければ、ということでした。久しぶりの歌舞伎です。しかもとっても人気の中村勘三郎さん。楽しみ三重丸。
2005年10月23日
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”大変おいしく頂戴いたしました。お茶名は?お詰めは?”普段私が愛用しているお茶名は別儀もしくは上別儀、お詰めは名古屋では大きな升半です。全体にまろやかでどなたがお召し上がりになっても、おおよそ好き嫌いのないお味かと思います。愛用しているからこそ、升半のお茶は好きであることにはかわりありませんが、探し求める味が別にあります。以前の流儀は岐阜で習っており研究会やお茶会があると、金華山の麓のあちこちでお茶をいただきました。未だに確認しておりませんが、その岐阜でのお茶がどこのなんだったのか、お茶の濃い味が苦くなく、淡白でなく濃くのあるそのお茶が知りたいのです。他人が点ててくれたお茶だからおいしいということも、水がおいしいということも、色々です。お稽古でおいしいと思った同じお茶を使ってもおいしくないので、水がおいしくなる素焼きの玉や、鉄で出来た鉄卵を使ってもみました。挙句そのときはまだ不要と思っていた鉄瓶も購入してみました。それでもなかなかおいしいと思えるときが少ないのです。今日は宇治茶を2種類購入してきました。さて、お服加減はいかがでしょうか。そうそう、これから寒い季節がやってきますが毎日お抹茶を服むと風邪知らず。びっくりするほど風邪予防に効果ありますよね。
2005年10月20日
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次世代のお茶人に今日も会ってきました。何のことはないうちの姪っ子二人です。まだ保育園と3歳の幼児です。義妹に嫌われながらも(誰がお茶を点て片付けるのよと怒られながら)、野点用の簡単なお茶道具を以前お誕生日のお祝いに道具組みをしてあげたのですが、なんとこれが結構姪っ子は抹茶を好きになってくれ、私が実家に帰るのを心待ちにしてくれていたりするのです。今日はそのお道具にプラスチックでできた携帯用の黒い棗があり、今、巷で流行っている簡単シールの蒔絵を貼ってきました。”しだれ桜に兎”はなかなかかわいくきれいです。これの鶴は更にもっとシールと思えず、趣きがあるようにも見えます。一度やはりこの手の棗に貼ったのですが、いい加減にやったために蓋と本体の継ぎ目がきれいでなかったため、最終的には取り外す羽目になりました。再度貼りなおそうと思っています。ポータブルなお茶道具セットならこんなお遊びも楽しいですよ。ちなみに私は毎回旅行には欠かさず持って行きます。そうそう、跡継ぎというのは今のうちから少しでもお茶に触れていてくれたら、いずれ大きくなったときに二人の姪っ子がこんな日本の文化があったと思い出して、何かしら彼女たちの人生を豊かにしてくれるかもしれないと思います。今からしこもうなんて気はさらさらありません。20年後30年後を楽しみに。
2005年10月19日
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私が流派を替えたのは何度か書いてきたことです。理由のひとつは前の流派を続けるには、頼りにする亡くなった先生のご友人に身を寄せ、そのご友人である先生は支部の重役もされている方。何かと個人で楽しむお茶よりも色々なしがらみに私も身を置くことになるのではないかと、思われたことが私には負担だったからです。しかし、最近私には仕事にしろこの茶の世界にしろ独りよがりなのではないかと、自問自答しかけていたところです。そんな折、今日お稽古に出かけると先生から3年後にはこの地方で全国大会がありますが、私にもそれを手伝いをするように、と依頼がありました。私がお茶の世界に感銘を受けているのは、和を持つことです。私はその和を持つことの反対を行っている今日この頃であると、思うのでした。これからの時間は和を持つことを第一義に考えて行きたいと決心するのでした。そして、先生から今年の東京での全国大会のお話をお聞きしました。濃茶席では家元の弟である浅井氏がされたのですが、そのお席は家元が弟を思っての暖かいお席が作られていたそうです。残念ながら詳しくどんなお茶席か伺えなかったのですが。ただ、先生は心動かされたお席だったようです。うちの先生は色々と私のためにお骨折りくださり、先日古茶道具屋さんのご子息がその業界の青年部の集まりがあることを聞きつけ、一般の方が参加できる会があるときには私にも声をかけていただけるようにお話をしてくださったとの事。いろんなところに顔を出し、コネクションを広げねば。
2005年10月18日
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お恥ずかしい話、これらが一体どうつながるのか、よく分からなかったのですが、最近、瀬戸内寂聴さんの般若心経を愛読中で、やっとつながりを持って理解し始めました。茶禅一味も良く分からずいたのですが、やっと理解し始めました。4年ほど前にとあるセミナーに出席したことがあります。それが私に、自分の生きる心構えを変える、とっても良いきっかけでした。しかしそれはまるで宗教と一緒だなと思っていたのです。それがこの般若心経を読んでいて、その私の発想は間違いでなかったと思いました。決して新興宗教ではありませんので悪しからず。そんな意味合いではありません。このセミナーは○○の習慣というベストセラーになった本のセミナーでした。この作者は、きっと悟りを開くというのに近い発見があったのかと思うのですが、いかがでしょうか。今、般若心経を読んでいると似たようなことを言っている気がします。今日は脈絡なく話が飛びますが、ケ・セラ・セラはスペイン語ですが、これを禅語で訳すと任運騰騰(にんぬんとうとう)らしいです。・・・・ほっとする禅語より 二玄社・・・・ひと言で言えば今を精一杯生きよ。日々の生活の中でかなり心が荒んでいたつい先ごろ、このほっとする禅語を本屋の茶道のコーナーで発見。その荒んでいたその時にふっと唱えたくなった禅語が”真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)。意味はあなたの輝きもその才能も本物なら、泥にまみれたって曇らないから、染まることなど心配しない、ってこと。般若心経を読んでいて今唱えたい言葉は、色即是空。仏教はなぜこんなに日本人の心から離れていったのでしょう。お寺離れもひどい。もっと身近にあって良いもののはず。そしてもっと人の苦しみを軽くしてもらえる場所であるはずです。正直私もお寺、仏教、般若心経と言えば線香臭いなんだか、辛気くさいもののように感じていました。近いうちに今の家の近所の観音様の所に行って来ようと思います。私が小学校のころお寺でのそろばん塾に通っていました。そこは尼寺で、尼さんがそろばんの先生に抹茶を振舞っていたのですが、その時はまさか私が茶人になろうなどと思ってもみませんでしたから、なぜお抹茶なのかと少し不思議に思っていました。今になって思えば当然のことだったのですね。
2005年10月14日
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なぜ遠州は織部の弟子にして美濃焼を排除したか。和子先生の説をここに記したいと思います。ある日、先生は織部展に赴き、そこに遠州の印鑑を見つけるのです。それは陶で出来ており、ましてやそれが織部焼だったりしたのだそうです。だからこそ織部展に出ているのですが。有名な話ですが遠州は千利休に生涯一度だけ拝謁し、その弟子の古田織部と師弟関係を作るのですが、利休にしろ織部にしろ切腹という犯罪者としての最期を迎えた二人に、迎合しているようには外向き上できないのです。小堀家の発展のためにはある意味織部から遠ざかり、遠州独自の道を作っていかねばならないのでした。しかし、和子先生がおっしゃるには、今のお家元のお父様が家元時代、この地でお話をすることがあった時、時代も変わってきているのだから、せっかくこの地には美濃、瀬戸焼があるのだから茶会ではこの地のものを使っても良いのでは、とおっしゃったそうです。なかなかそれを理解して実践されることは、今の茶道界においては、はばかれることもあると思います。あんなことをしては間違っているだの、美濃焼を好まなかっただの、そんな揶揄が飛び交うのが茶道界ですから。先生いわく先生の作家からのものの見方など、お茶をする人には関係ないかもしれない話だけど、と言われましたが、私には単に立派なお道具をそれらしく揃えてお茶会が出来たら良いなどとは思いません。いろんな時代背景があり、いろんな人の気持ちが交差する中で、お茶はあると思っています。今はたくさんのものを吸収して、私の中の茶の湯を育てて生きたいと思います。
2005年10月11日
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昨日は残念ながら富士山を拝むことは出来ませんでした。しかし、驚くことに今日、不二を頂いたのです。何のことかさっぱりでしょう。実は宅配便が何か届け物をと持ってきました。玄関の時点でどちらからと問うと、何せ宅配便が届く予定はありませんし、世の中物騒なので念には念を。そうするとある地名を言われ私ははたと、和子先生からと直感するのでした。果たして、それは和子先生からでした。(和子先生については9月16日の日記を参照)茶名のお祝いにとお茶碗を送ってくださったのです。それが不二の黄瀬戸の茶碗です。これは和子先生の還暦の茶会で記念品としてお配りになったもの。これにはこんな意味合いがあるのです。先生が始めて個展を開いたおり、先生のお師匠からこんな人になりなさいとお軸をもらわれたそうです。それが、芭蕉の句、表千家家元 千宗左筆・・‘不二ひとつ うずみ残して若葉かな’このお軸をお茶碗にされたものです。ご自身の還暦に際し、初心に返って高みを目指そうという先生の心を表して。早速お礼の電話を差し上げるのですが、先生はお話はお嫌いといわれながらたくさんお話をしてくださり、それが私を茶の湯へも美濃、瀬戸焼にも引き込んでくださるのです。これをくださった先生の思惑は、純粋にお茶の道が好きでこの道に入っても、段々に純粋でいられなくなることも多く、図らずも自分の意図とは違うところに身をゆだねることになったとしても、初心に返って高みを目指しましょう、というもの。もちろん、このお茶の道に限ったことではないでしょうが、ことお茶の場合、このお茶碗を取り出しては初心に返るときを持って欲しいと願ってくださるのです。そして、美濃、瀬戸焼談義に花が咲いて、是非先生からたくさんお話をお聞きしていつか本を出したいのです、と先生に申し上げるには大それた事を言ってしまったのです。でもこれは本当の話ですし、先生にも申し上げたのですが、先生とお話をしていて美濃、瀬戸焼をもっと知りたいと本を探してもなかなか見当たらないので、いっそ本を書いてしまおうと思っているのです。ひとつ、今日の先生のお話から。ローマ字は桃山時代後期には中国の染付けに用いられ、それを基に美濃焼でも用いられていたのです。それはイギリスの東インド会社が伊万里などに用いたのと同じで、しかしこの頃まだ伊万里は完成していなかったそうですが、ですから伊万里よりも以前にローマ字は美濃焼に使われていたのです。ローマ字入りの破片もあるようですから、すごいです。(このお話は染付と古染付の違いの話から出たお話で、理解不充分なため再度調べなおす必要がありますので、間違いなどございましたら悪しからず。)そうそう、そしてなぜ染付けの話になったかというと、毎年先生はお勅題と干支を題材にお茶碗を作成されるのですが、今回はそれが美濃・古染付茶碗のためその葉書も同封してくださったからでした。見込みにはローマ字で「戌」をひとつ文字のようにデザインされているそうですが、写真では見込みが見れません。実物を手に取るまでのお楽しみなのです。
2005年10月10日
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ああ、本当に気持ちの良いお茶畑でした。それにしても朝早く出かけるつもりがすっかり寝坊をしてしまい、朝食も採らず家を出て電車に飛び乗りました。何せ、3時間ほどかかるので一本でも早く電車に乗りたかったのです。そして、電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、JR東海道本線金谷駅に到着したのが11:30くらい。さて、先に志戸呂焼の窯元に先行くべきか、それともお茶の郷に行くべきか。時間から行くと窯元に行くには失礼な時間と思い、まずは電話一本入れ、お茶の郷に先に行くことにしました。タクシーで行くか歩いていくか。一眼レフカメラ持参だったので写真を撮りながら行くか、と歩いて行くことにしました。しかし、駅にあった地図は私の理解力では難しく、あてずっぽに歩くしかなく、不安とともに歩き出しました。ただ地図にあった石畳の道には何となく興味が湧いて、途中その看板があったのでその道を通ることにしました。その道は平成に入ってから有志の方たちによって復刻されたものでしたが、風情あり、そして、足裏健康に最適。そう、とても歩きにくくしかも苔むし始めていて、それに昨日雨が降ったこともあり滑って滑って仕方ありませんでした。駅から徒歩15~20分のその場所は、行けども行けどもたどり着きそうにありません。それでも、ずっと茶畑の間を歩いていく途中、お茶の畝を渡る風は、今までに感じたことのない空気を私に感じさせてくれました。見渡す限りお茶畑なので、お茶の畝だけの山肌を渡ってあがってくる風はそれをさえぎる建物はなく、風の神がお茶に魔法をかけながら飛び回っているようです。(少しメルヘンチックでしたね。)湿り気があって、さぁっと流れるこの風がないとおいしいお茶は出来ないのですね。きっと。あまりに茶畑が美しかったので、何度もカメラのシャッターを押してしましました。そしてようやくお茶の郷に到着。思ったよりも随分モダンな建物で、富士山が一望できるように富士山側はガラス張りになった建物でした。残念なことに今日は分厚い雲にさえぎられ、日本一の山を見ることは出来ませんでした。お茶の郷は私には満足の行く施設で、アジアのお茶に触れたいと思っていた私でしたが、お茶の郷はアジアを超え、世界のお茶を見せてくれる施設でした。そしてお茶室も素敵です。うちの流祖の住まわれた、伏見奉行屋敷の鎖の間や平安時代の寝殿造りの泉殿に見立てたといわれる建物、それと松花堂昭乗の僧侶の書院が一体となり、茶室として復元されています。さて、いよいよ志戸呂窯の窯元へ行くことにしましたが、一旦金谷駅に戻り、大井川鉄道に乗っていきます。五和(これでゴカと読みます。)駅を降り、歩くことまたしても15分。やっとたどり着き、ギャラリーに通していただき、窯元の昌子さんとお話をさせていただきました。志戸呂焼というものをほとんど知らないので、と理を入れると丁寧に説明くださいました。志戸呂焼について:歴史は古く平安時代には山茶碗が焼かれていましたが、一旦途絶えてしまいました。それを今の家元のお父様の弟、叔父さんにあたる方がこの地の方に乞われて、流祖のように茶道具としての指導をされることになり復興させたのでした。そして昔の壷よ、と見せてくださった大きな壷は釉薬の感じが古瀬戸によく似ています。それもそのはず、江戸に入ってから徳川家康が瀬戸の陶工に移住させて作らせたのですから。さて、私は記念に何か頂いていこうと思っていたので、最初に飯茶碗ですよ、と教えていただいたお茶碗を頂いていくことにしました。この飯茶碗、薪窯の魅力で、黒い釉薬が一部赤く流れているのです。確かに抹茶茶碗の趣きとは少し違いますが、抹茶茶碗に見立てさせていただくことにしました。早速、明日お稽古で使わせていただきましょう。さて、今日はなかなか終わりません。まだまだ続きます。そして灰の話。今日もこの窯元でお話をしている際、裏千家をされている女性がいらっしゃり、灰の話になりました。彼女は何より灰を拝見するのが良いといわれ、うちの流儀の灰は美しいと言っておられました。ここのところ、灰については私の心の中にわだかまりがあったので、ちょっと待ったとばかりに、正直私はうちの流儀の灰より、裏千家の灰のほうが好きだということをぶちまけました。そしてうちの灰は毎回風炉から上げないと、湿っているばかりに風炉を傷めてしまうこと、毎回篩いにかけないといけないということを話してすっきりさせました。最後に心のうちをぶちまけて失礼しました、と申し上げると同席したうちの流儀の男性が、灰をぶちまけたね、と。皆で大笑いしながら窯元を後にして岐路に着きました。またこの地には行きたいと思いました。大井川鉄道はSLが走っており、コスモスが咲いていたので、コスモス越しにSLを撮りたかったのですがシャッターチャンスを逃しました。そして、今日は秋祭りでこれも風情ある様子でシャッターチャンスもたくさんありそうでした。また、秋に行きたいと思います。そして、5月のお茶摘みのころまたいらっしゃいと言われたので、是非訪れたいと思います。
2005年10月09日
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明日は静岡のお茶の郷に行ってこようかと計画中。以前から家元の秘書さんに勧められているのですが、なかなか行かれず。明日はJRでゆっくり時間をかけて行って来ます。催し物で蘭字と茶箱絵というものがされています。(連休中だから混んでいそうですが。)http://www.plaza.across.or.jp/~cha-sato/
2005年10月08日
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今日は金継ぎについて私のチャレンジについて書こうと思います。手を滑らせて京都で購入した普段使いの赤い器を割ってしまいました。高価なものではありませんでしたが、捨てるには惜しいもの。気にいって普段使いをしていたもので、捨てたくないなと思い、何となく以前から気になっていた金継ぎをしてみようかと思ったのが数ヶ月前。そして何年も前に九谷焼のお皿を割り、それは高価でもありまた少しかわった九谷でしたから、惜しくて何年か引越しをしても大事にしまってありました。いつか金継ぎをしようとその時から思っていたのでしょう。これが今、金継ぎ作業の途中。(画素が落とせず携帯電話からの転送のためきれいではありませんね。)やりたいとなると止められないのがまた性分で、早速インターネットで調べたり東急ハンズに行ったり。そしてキットを購入していよいよ金継ぎ開始。これがなかなか手ごわいものでした。漆の扱いは難しい。乾燥させるのに湿気と温度が必要。空気の流れがあってはなりません。普通の乾燥とは別の行動をとらねばならないのです。いくら頭で理解しても感覚として理解はしづらいもの。しかも時間がかかるのです。割れたものをつなげた場合1~2週間放置して乾燥させるのです。気が遠くなります。今はその時間を短縮するための新しい材料が出ていますが、調べたところ、基本的には口にする器は避けたほうが良いようです。それに本物にこだわる私は色々読んだり、聞いたりした結果、本漆をこれからも使用したいと思います。花瓶などのようなものは新漆や接着剤を使用しても良いと思います。そして四苦八苦して何度も失敗しながら、最近やっとコツをつかみつつあります。インターネットオークションを見ていてもつい金継ぎしてあるものを見つけるとその出来をチェックしてしまいます。以前は金継ぎしてあるだけで良いものに見えてましたが、金継ぎの出来、不出来もわかるようになりました。金継ぎはあくまでもその器が一番生かされるようにされるもの。それにしても金継ぎというのもなんて素敵な日本の文化でしょう。物を大切にするための文化。感謝。難点がひとつ。きちんと防御してやらないとかぶれます。そしてとても痒いです。そう、今痒くて仕方ないです。
2005年10月07日
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今までお釜は値が張る茶道具としては難関のひとつでした。そしてどのお釜を見ても何十万もするばかりで、買おうという気がしませんでした。どれだけ見ても心揺れるお釜に出会ってこなかったのです。それが茶名を頂きに家元の道場のその隣にある茶道具のギャラリーに、なんと出会いがあったのでした。それがタイトルのお釜でした。それはとても華奢な、小ぶりな小ぶりなお釜です。風炉釜は色紙風炉釜といって上から見ると色紙の形に切り取られた風炉釜で、ひと目で気に入ってしまったのです。しかし、最初はまだお釜を買うには早い、と気持ちを引いておりました。そしてちらちらと見ているうちにどうにも心が止められなくなりました。最後の留めの一言がそのギャラリーのスタッフの方から発せられました。”宗匠(家元のお父様)が滅多にこのギャラリーにお越しにならないけれど、先日いらして、いいなあ、とおっしゃってましたよ。”やはり私の目に狂いはありません。やっと欲しいと思える一品に出会えたのです。もう私の気持ちを止めるものはありません。再度気持ちを確かめるために次の日にもギャラリーに行き、物を見て心を決めました。ただ、値段が妥当かどうか。というのは千家の一般的な茶道具は購入者が多いこともあるのですが、お値打ちに買えるところはあります。でもうちの流派のようにまだ小さなところは一般的な茶道具店では買えない物が多く、このギャラリーの独占販売なので割高なことが多いのです。で、家に帰ってからこちらの茶道具店で同じ般若勘渓さんのお釜の値段を調べに行きました。そしてそこでまたしても気に入ったものが出てきました。もちろんそれは諦めて我慢もしましたが、雲竜釜でそれも竹地文のように華奢なもので、かつ内容の非常にすばらしい一品でした。いつか購入したいと思います。この雲竜釜が同じくらいの値段だったので安心して竹地文のお釜を購入することになりました。そうそう、今日は、茶の湯の釜 大西清右衛門著を購入。釜についてお勉強しましょう。さあ、明日からまた連休。3日間お茶のお稽古三昧です。しっかりとお稽古しましょう。
2005年10月06日
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今日はこの地方では政界、財界人が利用されるような某料亭と以前から何度か催し物には出かけていく古美術商の、今風で言えばコラボレーションでしょうか、があるのでそれに出かけてきます。昼食がついて古美術を拝見する(本当は購入できるものならしたいけれど、先日お釜をかったばかりなので心の紐はぐっと閉めてます。)というもの。料金は5,000円也。ちょうどこの料亭にはまだ出入りしたことがなかったので、5,000円で食事もできてお茶道具も拝見できるのであれば、こんな良い話はないと思い、先生を誘って一緒に行くことになりました。この続きは帰宅後に。(帰宅後)これをその古美術商の関係者が読まれていないことを願いながら。というのも私の茶道具の勉強の一環で、(というと聞こえ良いですが。)インターネットオークションを見るのですが、そこに必ず出ていたと思われる茶入れが今日の出し物の中に出てました。私の記憶で茶入れの名前と仕服で花柄のかわいい裂地、この組み合わせは私も気になっていてお気に入りに入れていたもの。インターネットのオークションではせいぜい10万円代で落札。それが60万円で売り出されていました。何度か見直したのですが、見れば見るほど私の確信は高まっていきました。まあ、値段はさて置きその茶入れと4枚ある仕服はとても小ぶりで、やはり私の目に間違いはない、とても良いものでした。さあ、今日もインターネットオークションで目を養いましょう。
2005年10月03日
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お茶を沸かすのに必要なのは炭、というのは素人であっても出てくる言葉かもしれません。しかし、炭以上に灰が大切であり、それには形もあるなんて想像がつくでしょうか。私もまったく理解できていなかったのと、どんなお道具よりもなによりも灰が大切だなんて更に理解できません。なぜそんなに大切かというと、時間をかけて灰は育てるものだから、分かりやすく言えばうなぎ屋のたれのようなものでしょうか、時間をかけてじっくり育て上げていくものだから、お道具は買ったら良いけれど時間をかけ自分で育てた灰は、それ以上に作れませんから。昨年の道場での講習会に出席して早く灰を育てたいと思いながら、今のマンション住まいではなかなか難しいことかと思っていました。しかし、やっと気に入った釜に出会いそのチャンスを得ることができました。まだ炭は使っていませんが、まずは草の形を作りました。草はそう、と呼びます。灰の形には真、行、草とあります。友人に庭と一緒だねとコメントをくれた人がいましたが、まさしく庭とお茶は切り離せない間柄だから尚いっそう理解できる気がしました。真:春から夏にかけての形ちょうどゴールデンウィークの頃。田舎の山が薄緑のショールをまとって、徐々に青々と茂っていきとっても近く大きく見えるときをイメージして。行:夏も盛りになると青々とした山が少し黒く感じ、まぶしい太陽に山が何となく身近より多少遠くに感じる用になります。真ではひとつ山でしたが行では2つ山になってきます。草:夏も終わり秋に入ってくると更に山は遠くに感じるようになります。山は遠山と呼ばれる山がふたつ重なった形となります。これが私の感じる灰形の説明でしょうか。
2005年10月02日
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そうそう、一般的に袱紗は左の腰に付けるのですが、うちの今の流儀は右に付けます。三年目の今にして無心にお稽古をしているとつい、袱紗を右に付けてしまいます。習い始めの頃は意識して右に付けていたのですが、不意に無心になった瞬間手は左へ。その他、違いをあげ始めたら限がありません。といってももうひとつ。昨年のちょうど9月だったと思いますが、先生に誘われ灰の特別講習に家元の道場に行って来ました。私にとっての灰というのはさらさらの白っぽい灰で、水分はあまりなくそれを押し固めながら灰形をきめるもの。それは塗り壁のようなイメージでした。もうひとつの表現を借りれば砂漠のようとも言えるかもしれません。が、しかし灰までもここまで違うのかというほど違うのです。うちの灰はざくざくの火山灰のような灰で、番茶を灰にかけて湿らせ、篩いにかけて小さな玉の灰にします。そしてそれを灰匙ですくって風炉釜の中に山を作るようにして入れ、灰箒などをつかって形を整えていきます。正直、最初は野暮ったいなぁとその灰を見て感じました。きりっとした以前の流儀のそれとは違って田舎風に感じてしまうのは、今も実は否めないところです。こう感じてしまうところがまたお稽古を続けながらしんどいな、と思うところです。そしていちいちカルチャーショックを受けながら、いちいちそれぞれの流儀の考え方や捕らえ方を咀嚼しながら、自分の中に入れ込んでいくのでありました。昨日は初めて自分の釜で灰形を実践してみました。一年ぶりの割りに何とか形にはしましたが、出来上がりと講習時の写真を比べると言葉はありません。さてこの灰どこまで育ってくれることでしょうか。灰についてはまた明日。
2005年10月01日
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