2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全6件 (6件中 1-6件目)
1
歯を食いしばってバイクに乗り、恐怖は心の中に押し込めてモントリオールのダウンタウンに到着。ランチを何にするかと考えて少しフラフラしつつもインドとベトナムと日本が混じったようなお店に入る。私は先日日本で食べたタイ風カレーが食べたくてそれを注文。しかし、味は日本でのほうが数段おいしかったし、思いのほか良が多かったので食べきれずに残してしまった。そして、お土産を買うのにあちこち見てみるけれど、なんだか寂れた街にしか私には写らない。ここにもある100円均一のようなお店、ワンコインショップ。こここそは、と期待して入ったけれど、気に入らない。そうこうしているうちに眠くてたまらない。時差ぼけの精です。イスに腰掛けて寝ることに。5分くらい寝てさてまた出発。ちなみにその週はF1があるらしくハードロックカフェがある通りには、F1を宣伝する旗や盛り上がりを取材するテレビ局がレポートしている風景に出会いました。このダウンタウンではカナダの国旗のボールペンやモントリオールのTシャツを買ってひとまずお土産探しは終了。その後またバイクに乗って出かけた先は”モンロワイヤル”という公園でした。小高い山の上にまでバイクで出かけ、モントリオールの町並みを見下ろしましたが、白い鶴のような建物がモントリオールオリンピックのドームと分かりました。残念なことにこのドームは今は使われていないということでした。そうそう、カナダの国旗がメープルであること、メープルシロップがとても有名なこと、それはこのモンロワイヤルでつくづく分かりました。メープルの樹が自生している様はそれはそれはたくさんあり、なるほど国旗にもなることと思いました。そして、マクドナルドのMのマークにもそのメープルのマークが入っていました。さて、今日はお茶の話題も。山本翠松先生とイジイジ塗り。昨日うちの先生の紹介で山本翠松さん宅にお邪魔しました。桑名市無形文化財になられた漆工芸塗師でいらっしゃいます。うちの先生はことあるごとに、翠松さん、翠松さんとおっしゃり、いぜんホテルのロビーで立礼茶会をした際も、3月でしたので翠松さんに依頼してたち雛の棗を作っていただいたり、また先日は茶懐石の際の椀物をうちの流派のものを再現して作成していただきました。うちの流派のものは芸が細かいので手間も費用もかかります。(なかなか私たちには手が出ないものが多くて難儀です。)そして、このたび山本翠松さんが無形文化財になられたお祝いでの引き出物に出された、菓子器もお稽古で使ってくださっていて、それがとても美しいのです。手のひらよりも小さいくらいの、高台付の丸い器です。真ん中は黒くまわりは緑、そして縁取りは赤です。緑の部分はイジイジ塗という技法で模様が付けられています。なんて斬新な色使い、翠松さんのオリジナルなんだと勝手に決め付けていました。しかし、これが私の勝手な思い込みと分かりました。というのはかぶら盆や桑名盆(どちらも同じものを指しますが)はもともと足つきのお膳でした。先ほどの菓子器の大きなものと考えても良いと思います。そのお膳の配色とイジイジ塗が桑名盆でした。そこには草木や果物の絵が書かれていたのですが、文政時代に幕府に献上をと考えた藩主がそのころ活躍していた谷文晃にかぶらを描かせて献上したのが、かぶら盆の始まりだということです。今、私たちが普通に思うかぶら盆は、足つきのお膳の足がとれ、緑と赤の配色は除かれ、生地を生かしたお盆に象徴化された単色のかぶらが描かれているのを主にかぶら盆と思っていますが、実は本歌はイジイジ塗を施された緑のふちに、赤の縁取りのお盆だったのです。それを復活されたのが山本翠松さんだったのでした。また良い出会いがありました。今後どのような進展があるのでしょうか。楽しみです。
2006年07月19日
コメント(0)
朝、目覚めてから、それが5時半くらいでしたのでマーティンたちが動き出すまで3時間ほど、ごそごそとしながら、眠りながら過ごしていました。やっとふたりが起きだし、マーティンはベーグルを買いにマーケットへ。ナターシャと私はボルフィーのお散歩。朝から買出しに出かけたマーティンでしたが、買ってきたベーグルはなんちゃってベーグルでおいしくないから気に入らないとマーティンは不満顔。それにしても、ベーグルと一緒に食べようと出てきたスモークサーモンの大きいこと。日本のスモークサーモンとは比べ物になりません。手のひらを広げたよりも大きいくらいのサーモンです。味もばっちりです。それとクリームチーズを合わせていただきました。ベーグルはともかくおいしい。そしてこの日の計画はバイクに乗ってモントリオールのダウンタウンに行くこと。バイクには初めて乗る私は、バイク慣れをしてそれが出来れば、後日ケベック市にバイクに乗っていくことに。そのための試運転のようなことででした。不安に思いながら挑戦してみることにしたのですが、ヘルメットをかぶることから大変でした。そしてダウンタウンに行くだけでフリーウェイを行きます。日本と違って本当にフリーです。風がビュンビュン。右折左折は身体ごと倒して走るので怖い怖い。しっかりと運転するマーティンに掴まっているのかと思っていたら、荷台の持ち手か座席のベルト、運転者の腰が持ち手。肩に力が入り、肩はより以上に凝り、クビも思いヘルメットに辟易。また、時差ぼけのところに持ってきて、バイクの振動は眠りを誘いました。後ろの座席でうつらうつらとしている私でしたが、頭ははっきりとしているのに眠くて仕方ありません。眠ってしまったらバイクから転げ落ちるのではないかとビクビクしておりました。ここダウンタウンでお土産など買おうと思ったのですが、なかなか。さてこの続きはまた。
2006年07月17日
コメント(0)
夜遅くやっとベッドにもぐったのでしたが、朝少し明るくなったくらいには既に目が覚めてしまいました。どうやら朝方2時に寝たのですが5時半くらいに目が覚めたようです。しかし、まだゆっくり寝ていようと8時過ぎまで粘って布団にもぐっていました。前日は夜も更けているというのに、まずはお土産を渡したくてマーティンには扇子つきに甚平、ナターシャには着物地のベルトと京都土産にあった着物地のハンドバッグ。居候さんのパトリックには扇子をプレゼントしました。そして、マーティンの大好きな熱燗ようのお酒、8月に結婚するマーティンとナターシャに少し早いのですが、結婚祝いにと徳利とお猪口。梅酒も日本的で良いかと思いチ○ーヤの梅酒。大感激されてわざわざ席を立って私のところにやってくると、はぐとキス攻撃をふたりから受けました。単に形を現すのでなく、本当にうれしいのだということを充分に示してくれるのです。プレゼントしたこちらまでとてもうれしくなりました。そうして、新しい陶器の消毒の仕方と、熱燗の作り方を教えてお酒を飲んで就寝。そして、粘ってもぐっていたベッドから抜け出すとマーティンとナターシャが起きているかと、彼らのお部屋のドアを見てみると大きく開け放たれています。あら、もう起きているのかと思ったのですが、いえいえふたりして仲良くまだ寝ています。ちょっとびっくりしながらオープンなふたりの性格を徐々に受け入れる私でした。この日の計画は朝食を食べながら話し合いをしました。朝食は大好きなスモークサーモンが出てきたのですが、さてこの話の続きはまた次回。
2006年07月12日
コメント(0)
なんだかんだとニューアークではありましたが、モントリオールに向けていよいよフライトです。ところで、ニューヨークの三ヶ所ある空港の中で一番新しいといわれるこのニューアーク空港より私はシカゴに行くときに寄ったデトロイトの空港のほうが私は好きかもしれません。トランジットの間にお買い物するのに、あちらのほうがまだお買い物が楽しめる作りだったと思います。さて、21:05、ニューアークからモントリオールに向けて飛行機は動き始めました。今度の飛行機はとてもスリムで通路を挟んで左右両方で座席は3席でした。そのためジャンボでは手荷物として機内に持ち込めたキャリーバッグも、機内に持ち込めず、入り口でお預けとなりました。中にはお土産の日本酒と梅酒、急須セットなど割れ物がいっぱい入っていたので預けるなんてとんでもない。なんとか持ち込めないかと交渉してみましたが、あえなく諦めました。結果、問題なくお土産は無事その役割を果たしましたが。それにしても、飛行機に乗り込んでからやっと飛行機が動き出したかと思ったのですが、なかなかスピードアップしません。ずっとずるずると動くかと思ったら機首が左右に動いたときに、窓外に見えたのは5、6機順番待ちをして並んでいたのです。一機づつ飛び出すのを空港のデッキからみるほうが爽快な気がします。ようやく飛行機が飛び立ちモントリオールに22:40に着きました。カナダ人の友人、マーティンとナターシャが待つ出口へと急ぎました。二人は出口付近で私を待っていてくれました。マーティンはデジカメで私の登場を写そうとカメラを構えています。ようやくふたりと挨拶をしてマーティンの車で家に向かいました。空港から15分くらいといわれていたので、そこからはさほど疲れることもなくマーティン家に到着。整然と区画された町並みはなんといって言いか分かりませんが、とにかく私の中では”外国みたい”って外国なんですけど。いわゆる私たちがイメージする外国の町並みです。まったく同じ色調の一軒家がひたすら並んでいる一画や、同じくらいの大きさの一軒家でそれぞれ色や形の違う家が並んでいる一画などいろいろです。ナターシャは明日の朝、明るい中で見るとまた違うわよ、と教えてくれました。車の中ではペットは大丈夫かと聞かれました。以前、マーティンに聞かれましたが再度確認のようです。どうしてもダメなわけではないけれど、家の中に犬、猫がいるのは衛生的にあまり好きではありません。でも、まったくダメなわけでもないので、しかもダメと言ってはどうにも困った状況にしかなりませんから、大丈夫としか言われません。また、マーティンの友人がどうの、という話も出たのですが、ああ、それも聞いたけど英語をよく理解できず分かっている分かっていると言っておきました。まずは家に着いて犬は一匹、いえいえ大きいので一頭、ボルフィーという名の彼は尻尾をふりふりじゃれついていました。猫は合計3匹です。そして、ふらっと現れた男性がもうひとり。彼がマーティンの友人でやっとここで理解したのが、離婚もして住居に困っているらしくマーティンの家に居候しているということでした。彼の名前はパトリック。最後までこの話題はしませんでしたが、8月に結婚を控えているマーティンとナターシャ。ナターシャは正直なところちょっと彼の存在には困ったいるようでした。日本だったらかなり困るのでしょうが、ここカナダの住居は一階はリビング、2階にベッドルームがふたつとバスルーム、地下にはシャワールームつきベッドルームがあるので、まだ許容範囲なのかもしれません。ここでよく考えると日本の家を出てマーティン家に着いたのは、ゆうに24時間経っています。私は先に簡単にシャワーを浴び、それからみんなでカクテルタイムとなりました。さあ、ようやくモントリオールで過ごす日々が始まります。
2006年07月09日
コメント(2)
さて、ニューアークでの飛行機の乗り継ぎはかつての旅行の中で、一番分かりにくいものでした。飛行機を降りて流れで自然と次の目的地にたどり着くのですが、この空港ではいったい私はどこに行ったら良いのか分からなく、途中係りの人に声をかけなければなりませんでした。黒人の彼は無愛想に君はこっちだ、とだけ言って次の私の行く先を教えてくれました。そして、セキュリティーチェックを通り、モントリオール行きの飛行機のゲートを探そうとボードを見ると、なんとそこにはフライト番号もモントリオール行きという表示も見当たりません。やっとの思いでインフォメーションを探し当て聞いてみると、当初のゲートから場所が変わって#112ゲートだと教えられました。しかし、それを鵜呑みにしているととんだことになることもあるだろうと、すぐには信用しない私は#112ゲートに行き、そこのスタッフに確認をしようと思いました。何せ、まだ案内ボードには私の飛行機の案内が出ていないのですから。#112ゲートには下を向いてひたすらコンピューターを打っている男性がいる横に、スタッフ同士5、6人ほどでべちゃくちゃ馬鹿笑いしながらしゃべっているスタッフがいました。おしゃべりしているスタッフには声をかけられるわけもなく、下を向いていた見た目かっこいい彼に声をかけました。すると彼は目配せで”横の連中に聞いてよ”というので横にいた黒人の女性に"Excuse me?"というと、楽しい会話を中断して何よ!とでも言いた気に対応をし始めました。そして、私のフライトはどのゲートと聞くとおもむろにコンピューターをたたき、そして何度もたたき、”ん~ん、ないわね。このフライトナンバーないわ。ん~ん・・・・。”独り言か私を不安にさせる気かぶつぶつ言っています。挙句、私の差し出したボーディングパスの用紙でおでこをポリポリ。その用紙はまた私の手元に戻ってくるのです。気持ち悪いからやめて、と思いながら次の彼女の行動を待っていると、突然電話が鳴りべちゃくちゃと私をほったらかしにして話し始めました。"Who can help me!!!!!!"いったい誰が私に協力してくれるのよ!!!と思わず声を発していました。すると下を向いていた男性のスタッフが、えっ?という顔をして今、彼女が(黒人の女性スタッフ)調べているから、というので私は、”彼女はほったらかしにして何も答えないじゃない!”と怒りました。それまで日本人が何か言ってきたわ、くらいにしか対応していなかった彼らがやっと真剣に対応し始めました。そして、間もなく#112ゲートで間違いがないという答えが返ってきたのでした。それでもしばらくは案内ボードに表示がなく、心配していましたが数十分後に表示もされやっと安心してトランジットの残りの時間を楽しむことになりました。5時間のトランジット時間も幸か不幸か長く感じなかったのでした。それにしても夜8時というのに外があまりに明るかったのにはびっくりしました。そしてこの明るさはモントリオールで過ごす日々、一日をフルに活動することにもつながったのでした。こんな空港の面白くない話を長々書いてもいけませんが、私の海外の印象はいつもだいたいこんなものです。しかし、モントリオールで過ごした日々がまったく違うものだったので対比として、ここにあえて残したかったのです。大概、人種差別的に対応をされ面白くない思いを何度となくするのが海外。それはそれでそこの国に行ったらそこでは私は外人だもんね、と思い逆にそれを楽しむのですが、明日からは精神的、人種差別的ストレスを感じることなく、人間的で暖かい人々、環境に恵まれて過ごした日々をつづろうと思います。
2006年07月08日
コメント(2)
やっと時差ぼけも回復し、身体の調子も良くなりましたので少しづつアップできるかと思います。カナダはケベック州モントリオールでの旅行記の始まりです。さて、6月19日。本当は地元の空港から発ちたかったのですが。エアーチケットが取れませんでしたので、仕方なく成田から発つことになりました。まったく脳天気に新幹線で行けばいいさと思ってのですが、大きなスーツケースとキャリーバック、デジカメの一眼レフに手荷物バッグを持って片道3時間近くはしんどいものでした。はっきりいってお上りさん候、スマートでないなあ。スーツケースを先に成田に送っておく手もあるのですが、またしても脳天気な私は、キャリーバックだけで行くつもりでしたから用意が遅く、送る手はずが出来るわけもありませんでした。以前ドバイに行く際、関西空港から出たのですがそのときも大阪駅から一時間もかけて空港に行くことに辟易としていましたが、その比ではありませんでした。夕方4時40分成田発、アメリカニューアーク行きに乗り込むため家を午前中に出ました。ニューアークでモントリオールへの飛行機に乗り換えなのです。この日は偶然にもシカゴ在住の知り合いのご夫婦も成田からシカゴに向けて発つことになっていました。前日はそのご夫婦と一緒にお食事をさせていただいて、しかも成田で会うなんてちょっと素敵、と思っていたのですが、お二人が成田に国内線で着いたときには私は搭乗手続きが始まっており、タッチの差でお会いできず。携帯電話で挨拶をして私は機内に乗り込みました。窓側の席を指定してチェックインしたのですが、実際、機内に乗り込むと窓側のシート記号Aは間違いなく、しかし、私の座った席は窓のちょうどないところでしかも、前後の席は主翼の隣。窓側を指定した意味がない、とひとりぼやきながら機内での身支度を始めました。U字の枕に空気を入れ、足にはエアーマッサージに空気を入れ、ブランケットをビニル袋から出したら準備完了。先日観た映画の本、ダ・ビンチコードを読みながら離陸を待ちました。機内での楽しみはまずは機内サービスでワインを飲み、眠くなれば寝て、気が向けば本を読む。が、しかし、なんてことでしょう。某アメリカ系航空はアルコールは有料。当然、どの業界でも価格破壊が進みサービスを下げなければ仕方ありません。同じサービス業なので理解はするのですが、なんだかここにもサービス低下を余儀なくされているのだなあ、と思うと淋しくなりました。機内サービスが3回あるのですが、なんだか今回はせわしなく感じながら飛行機は一路ニューアーク(本当はニュージャージ州ですが、ニューヨーク州、成田が東京国際空港というのと一緒でしょうね。)に向かいました。ニューアークはこの飛行機会社のハブ空港ということとニューヨークの三つある空港の中で一番新しいということでしたので、きっと素晴らしいところだろうと期待をしておりました。そして、初めての経験でしたがなんと、ニューアークに着くと乗り換え便の案内がボードにありません。ここまで来てカナダに行けないのでしょうか。続きはまた次回。
2006年07月06日
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1

![]()
