「オーロラを待つ」


運転席から氷頭さんが会話に割って入った。
「ほーんと、冬以外は仕事ないからね。それに」
強い酒を一口あおった。
「冬だって、オーロラが出なかったら、仕事にならないんだからね」
「でも、いいですよぉ。こうしてオーロラを求めて旅に出るのが仕事なんて」
と元フリーターの、ゆきちゃんがうらやましがる。
彼女のフィアンセは、彼女の隣ですでに眠っている。
僕たち4人を除いて、視察ツアーの一行は、みなホテルに退却した。
彼らと旅の目的が違うので、しかたないことだが、
午前中に見た、フィンランド式サウナで今頃ぬくぬくしているかと思うと、正直うらやましい。
「氷頭さんは、誰かいい人いるんですか?」
前のめりになって、氷頭さんをゆきちゃんが覗き込む。
「う、うん。僕は」
40過ぎのオーロラ写真家はあきらかに照れている。
彼女の魅力に旅の最後にやっと気がついたか?
「オーロラが恋人」
こわばった声で、いうから、またゆきちゃんが突っ込みたくなる。
「すてきですよね。そんなふうに言えるのって」
そういうと、ゆきちゃんは、フィアンセの毛布をかけ直す。
あと半年後、この二人は夫婦となる。

「オーロラが見えたら、結婚生活も必ずうまくいくと思ったからです」
編集部に届いた「オーロラを見る旅読者モデル応募」の志望コメントを思い出す。1300通の応募はがきのすべてに目を通し、三回の絞込みをしたが、彼女のハガキはずっと一番候補で、最終選抜で編集長に見せたときも
「結婚を控えてるってのも、ドラマ性があるね」
と一発で決まった。人気アイドルに似たルックスに健康的な肢体で、笑顔は、人柄の良さとしっかりした知性に裏打ちされた積極性を感じさせた。申し分ない。マイナス30度の極寒の取材にも、この娘だったら、と思ったら、見事にここまでモデルの役割をこなしてくれている。
北極海での遊泳体験でも、フィアンセの雅彦さんが絶対に無理としり込みするなか、彼の分までもがんばってくれて、まるでラッコのように氷の海でごろりとなんども身を翻してくれた。

「おしっこ行ってくるよ」と氷頭さんが、ドアをあけて、ざくざくと雪の上をホテル本館のほうへ向かう。
「ゆきちゃん、今日はいろいろあって疲れたでしょ」バックミラーごしに彼女の様子を見る。今日も雅彦さんと同行の旅行会社のスタッフたちとの間で、ちょっとしたトラブルがあり、彼女も私も関係修復のためにずいぶんと心を砕いたからだった。雅彦さんは、大なり小なりトラブルメーカーになっている。我慢がきかないタイプで、思ったことを他の人の立場を配慮せず口に出してしまうからだ。たとえば、「こんな食事、全部食べられない」とサーメ人の家に招かれたときに言い放ったり、「こんな寒い思いをするとは思わなかった。日本にいたほうが良かった」とか。そのたびに、政府観光局のスタッフが白い眼で私を見る。そして、ゆきちゃんはそんな雰囲気を察して、そのたびに機転をきかしてフォローする。ツアーがはじまって2日目あたりからは、雅彦さんと、オーロラ以外のことはまったく子供のような氷頭さんの2人を、ゆきちゃんと僕が面倒をみて、トラブルをおこさず、つつがなく仕事を完遂しよう、と二人の暗黙の了解ができていた。
「氷頭さんが言ってたでしょ。青いオーロラが見えたら幸運で、赤いオーロラは不吉だって。なんだか、この旅にきてから、青いオーロラが見えることばかり祈ってます」と、ゆきちゃんは本音をポツリと言った。
「雅彦さんも青いオーロラを見たいんでしょ」
「彼は、もうだめ。毎晩早く帰りたいといって駄々こねるの」
氷頭さんのひょこひょこ動く影法師が帰ってきた。
「うー、これは出るよ。空気がぱきぱきしてるからね」
言ったかと思うと、ふたたび彼は、外に出て行き、三脚にセットしたカメラの位置を直しに出て行った。
僕たちは無言で空を眺める。
「佐竹さんにも申し訳なく思ってます。同行の方々に怖い眼でにらまれたりしてたもんね・・」
「いいや、これは巡り合わせだよ。気が張っているから大丈夫」
突然車内の空気が動いたかと思うと、彼女が僕の肩に手を触れた。
彼女の指がおそるおそる、僕の肩のつぼを押していた。
「こんなに張っちゃってる。」
気持ちよい指圧に思わず息が漏れる。
そのまま無言で快楽に浸っていた。
「赤いオーロラはめったに見れないらしいよ。氷頭さんが著書の中で書いてた。不吉かもしれないけど、ニュースバリューにはなるよね」
彼女が指が一瞬止まったのを肩で感じたが、また心地よい運動がはじまった。
「そうね、赤も緑も、両方見たいわ。黄色も、青も。せっかく来たんだし、一生に一度の経験になるはずだもん」
氷頭さんがいきなり振り向き、こっちこっちと激しく手まねきをしている。
「あれ、ゆきちゃん、出よう。オーロラが出るらしいぞ」
「ほんと、大変」
僕たちはそれぞれドアをあけて急いで雪の地面に降り立った。
外気はキーンとなっていて、音が聞こえるような錯覚を覚える。
「もうすぐ、出るぞ。大気が揺れている」
氷頭さんが、臨戦体制に入った。
僕たちは、固唾を呑んで、上空を見渡した。
「これは、大きい。かなり踊るよ」
まだ、何も見えない暗黒の空を、僕たちは呆けたように
見上げた。
彼女がまた肩を触ってくる。
肩のつぼを押される心地よさを感じながら、
僕たちはそれぞれの思い描く色のオーロラを待っていた。






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