「野生の思考」


2002年4月6日
まず、驚いたのはサルトルへの反論であったこと。レヴィ・ストロース氏の唱える文化人類学は、実は実存主義への反論が底流に流れているのだと知ったのは、思想史を勉強してなかったからだ。恥ずかしい。
 彼の主張する見解の中で印象的だったのは、西洋の物の見方が、画一的で自己本位的で、他の文明を自分本位に解釈しているというところであった。
 各論で気になったのは名前の付け方です。名前は、それを呼ぶ人が死ぬと、同時に消滅する。また、時には名前が替わり、タブー視される。名前のつけかたにもルールがあり、幾種類かの階層別にカテゴリー化されているのも驚きでした。
 文中には触れられていませんでしたが、スコットランドのタータンや、日本の家紋など、またスコットランドのタータンに関するいわれ(立った猫には気をつけよなどという、その氏族に固有の言い伝えやタブー)も調べると面白いと思いました。
また、トーテムポールのトーテムとはタータンと同意語なのでは、と思いました。
また、「構造主義」とは、どういうものか、まだはっきりとはわかりません。メルロ・ポンテイの著作など読めば良いのでしょうか?
 それと、名前をつけるルールとして、固有名詞→普通名詞→神格名詞などへの変遷の話は興味深かった。マリーゴールドという花が、金のマリーさんという(形容詞+固有名詞)→普通名詞化しているが、その金のマリーが、再び固有名詞になることはない、などと、断片的だが、興味深い説だった。
学問というからには体系だった学び方や論理、手法が確立し、敷衍しなければ、意味がないと思うのだが、彼の意見はまだそこには至っていないのではないかと思った。一つの見解としては面白いのだがね・・・・
以前フッサールの現象学を卒業論文に選んで、そこから、なんとか、他の学問に転用して考えるために、私は一番興味のあった「民俗学」を選んで、憑依現象の見方に、相互主観性を取り入れたが、そんなきらめきは今回は感じなかった。
終わり



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