ビストロフの橋

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第八章 「広間での事件」


     広間での事件

 木曜になるまで、ドリー捜しはまったくといっていいほど進展していなかった。というのも、教室を捜すのも一苦労だというのに隠し階段や扉を、それも授業の合間を縫って、捜すというのは不可能に近いものがあったからだ。
 もちろん、城中を捜さなくてはならないと思ってはいたから、そんな二日や三日で捜せるなどとは思っていなかったが。
 そしてその木曜はというと、朝から気が滅入ってしまうことがあって、三人ともドリーを捜そうという気にすらならなかった。あのルビーが昼食を食べたくないと言うほどだから、大変なものだ。
 気が滅入った理由。それは、今朝初めて授業のあったクラス。『魔法薬学』のせいだった。
 『魔法薬学』はレイブンクローとハッフルパフ合同の授業で、学科担当はスリザリンの寮監でもあるスネイプ教授だった。
 実はウィルが最も心待ちにしていた授業でもある。杖を使っての魔法より、こちらのほうが向いていると思ったし、杖づくりに役立つだろうと思えたからだ。
 それなのに・・・。
 「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」
 べったりとした黒髪と、冷たく、うつろな、暗いトンネルのような目をして、鈎鼻で土気色の顔をした教授が話し始めたとき、楽しみにしていた気分は消え去った。
 マクゴナガル教授とは微妙に違った意味で、逆らってはいけない先生なのだということが肌で感じられた。
 魔法薬学の授業のある教室が地下牢ではなく、日のあたる中庭だったとしても、この寒さは消すことができないだろう。壁にずらりと並んだガラス瓶の中のアルコール漬けの動物がプカプカ浮いているのさえ、この教授に見つめられることを思えばかわいいものだという気がした。
 「このクラスでは杖を振り回すようなバカげたことはやらん。そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気、人の血管の中をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力・・・諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえふたをする方法である。-ただし、我輩がこれまでに教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであればの話だが」
 これだけの大演説を椅子に座ったまま、つぶやくようにいい。しかも生徒たちが物音一つ立てられないような威圧感を与える。とてもじゃないが、生徒たちと仲良く、楽しく授業しようなんて気持ちになる人には見えなかった。というより、万一仲良くしようなんて言ってきたら恐すぎる気がする。
 演説が済むと、スネイプ教授は生徒を二人づつ組にして、おできを治す簡単な薬を調合させた。長い黒マントを翻しながら、スネイプ教授は生徒たちが干しイラクさを計り、蛇の牙を砕くのを見回った。生徒全員、少なくとも二回は注意された。ハッフルパフのアボット・ハンナなどは六回注意され、七回目には足を滑らせて大鍋をひっくり返しそうになった。偶然にも、隣でルビーと大鍋をかきまぜていたウィルが寸でのところで捕まえたので、大事には至らなかったが、危なく薬品をまき散らすところだった。
 その後もスネイプは生徒たちにつらくあたり、授業が終わってスネイプが教室を出るとハッフルパフもレイブンクローも、その場にいた全ての生徒が同じ行動をとった。立ち上がって背筋を伸ばし、深呼吸したのだ。
 「でも、ある意味すごい先生よ。一目見るだけで、生徒が犯しそうな間違いを見つけるんだから。観察力と洞察力が並外れてるってことでしょ」食欲なんて皆無だったが、とりあえず大広間のテーブルに付いたとき、キャロルが少し考えながら呟いた。
 「それに、薬学の知識も、だね? そうは思うけど・・・好きになれそうにないなぁ」キャロルの言い分ももっともだと思いながらもウィルはスネイプ教授は尊敬できても、敬愛はできない相手だと決めてしまっていた。
 すぐ隣にいたピンクの頬の女の子が、授業の間中震えているのを見ていたのでは無理からぬことだろう。
 血色のいい頬がチャームポイントの、あの少女が青ざめ震えていた。まるで死人のような顔が目に浮かぶ。
 「あの・・・」突然、その少女が話しかけてきた。
 驚いて見直すと、それは死人のように青ざめた少女ではなく。生来の血色の良さをさらに上回る朱色の頬をした少女が立っていて、ウィルを見つめている。その後ろには男の子が一人、付き添っていた。
 「あの、私。ハッフルパフのアボット・ハンナです。さっきは助けてくれてありがとう」
 鍋を支えてあげたことに、わざわざ礼をいいに来たのだ。律儀なことだ、とウィルは思った。
 「運が良かったよ。ここ二カ月ぐらいひっくり返る鍋と格闘してたものだから、咄嗟に動けたんだ」オリバンダー翁のところで、何度重い大鍋を柚薬ごとひっくり返したか、ウィルは一度火傷してしまい、それ以来毎晩のように夢でうなされているのだ。
 それを思い出し、思わず顔が歪みそうになったことに気がつきウィルはそっと微笑んでみせた、緊張と申し訳なさに縮こまり、ただでさえ小さなハンナがとても儚げに見えたので、少しでも気持ちを和らげようと思ったのだ。
 「僕はフィンチ-フレッチリー・ジャスティン。本当なら、僕が気をつけてあげなきゃなんなかったのに・・・迷惑かけて済まなかった」ペアを組んでいた相手なのだろう、自分がフォローし切れなかったことを悔やんでいるらしく。なにか、とても痛々しい表情を見せて頭を下げた。
 この場合、さらになにか言ってやっても相手を恐縮させるだけ。ウィルは数秒、なんと言ってやったらいいかわからずに沈黙した。が、すぐにあることを思いつき破顔した。
 「二人とも、聞いて! 実は僕達、あることで困ってるんだ。手伝ってくれるとうれしいな」キャロルとルビーにチラッと視線を走らせ、ウィルはドリーなるものを捜していることを告げた。
 なぜ捜しているかは言わなかったが、20年くらい前からこの学校にいるドリーに会いたくて捜していることを説明したのだ。元々はレイブンクロー寮の近くにいたものと思えるが、もしかしたらハッフルパフの方に行ってるかも知れない。とくに、そのドリーがキャロルの言うように絵だったとしたら、掛け代えとかがあった可能性もある。
 内心、最悪の場合には処分されてしまっている、というのも考えられなくはないのだが、ウィルは口にしなかった。一瞬、絶望的な顔をしたことから、キャロルはそう言う事態もありうることに気付いたらしかったが。
 「その『ドリー』を捜せばいいのね?」さっきまでの意気消沈ぶりを払拭するような明るい声と表情でハンナが訊く。
 見つかるとは限らないけど。ウィルが答えるとハンナとジャスティンは早速自分たちの寮へと戻っていった。すぐにでも捜し始めるつもりのようだ。
 「うまいわね」相手の気持ちを突き放すことなく、しかも自分のためにもなる。一石二鳥なウィルのやり方をキャロルはそう評した。
 これで、広いホグワーツ城の内ハッフルパフ寮近辺に関しては、自分たちで捜す手間が省けたわけだ。
 「どうせなら、スリザリンやグリフィンドールの人たちにも頼めたらいいのにね」
 ルビーが、ようやく出てきた食欲に応えるべく、大きなドーナツを頬張りながら言った。
 思わず、キャロルとウィルは顔を見合わせ、お互いに同じ気持ちなのを確認して、うなずきあった。
 グリフィンドールはともかく、スリザリンには絶対に頼まない。、と。
 二人の脳裏には、今朝の出来事がありありと浮かんでいた。わずか五分で、スリザリン寮の全生徒に対してのイメージを決めさせた事件だ。

 ガシャン!
 大広間に響いたガラスの割れる音。それが屈辱の五分の始まりを示すものだった。
 ちょうど朝食の時間だった。ルビーは大好物ばかりが並んでいたらしく誰よりも早く、それも三人前ぐらいを一気に食べ、これ以上食べたらお腹が破裂しちゃう、と一足先に寮に帰っていた。この場にいては食べないわけにはいかないほど好きなものが並んでいたらしい。
 そのおかげで彼女は不快な思いをしなくてすんだのだが、キャロルはまさにその中心、当事者となってしまっていた。
 飲物を片手にテーブルの間を歩いていた女子生徒が、キャロルにぶつかってグラスを割り、マントを汚してしまったのだ。
 ウィルの目には明らかにグラスを持っていた女の子の不注意のせいなのに、その子はキャロルがわざとぶつかったと主張し、頑として他の意見を聞こうとはしなかった。
 「食事中に飲物を持って歩き回ればどうなるか、考えてみなくてもわかることでしょ?」
 大げさにわめいているその女の子に、キャロルは落ち着いて諭すように言葉をかけている。雰囲気だけ見ると、姉がやんちゃな妹をなだめているような感じだ。
 だけど、相手の女の子はもちろんキャロルの妹な訳ではない。キャロルの言葉を聞いた途端、顔を真赤にして誰もが想像だにしなかった行動に出た。
 バシッ!
 キャロルの頬を力一杯張ったのだ。大柄で四角張った感じの相手だ、たまらずキャロルがよろめいた。ウィルは、驚きのあまりその場で硬直した。
 「まって、キャロルは悪くないよ」
 声も出せずオロオロしていたウィルだったが、相手の女の子が再び右腕を大上段に振り上げたので、あわててキャロルをかばって前に出た。
 キャロルがまた引っぱたかれるのを見るよりなら、自分がたたかれるほうがましだ。
 女の子は、突然現れたウィルに意表を突かれたのか、キャロルとウィルを交互ににらみながら沈黙している。
 「ミリー、トラブルかい?」気怠そうな、気取った声が背後からして、ウィルが振り返る。青白い、あごの尖った男の子がガッチリとした体格に、この上なく意地悪そうな顔をした二人の男の子を従えて立っていた。
 「ドラコ。この女がね、私のマントにかぼちゃジュースをこぼさせたの。このミリセント・ブルストロードのマントを汚してくれたんだからお礼をしなくてはならないのに、こいつが邪魔をしてるのよ」戦闘的に突き出た顎でウィルを指して、ミリーと呼ばれた女の子が言った。
 「違う。自分でこぼしたんじゃないか!!自分でぶつかって自分でこぼしたんだ、キャロルは悪くない」男の子の登場で、女の子相手に言い合いしなくて済むと思ったウィルは、必死にドラコという男の子に訴えた。だが、それが大きな間違いだということを、言葉を言い終える直前に感じ取った。
 青白い顔の子はウィルを冷ややかに見つめていたし、後ろの二人は嘲笑を隠そうともしていなかった。
 彼らにウィルの言い分を聞く気などないことはそれだけで明らかだった。ファーストネームで呼びあってることから考えても友達に違いない。きっと寮も同じなのだろう。
 「僕はドラコ・マルフォイ。この二人はゴイルにクラッブ。ミリーともどもスリザリン生さ。選ばれたものの寮だよ」ウィルの視線に気付いたのかは知らないが、マルフォイが訊いてもいないのに自己紹介を始めた。
 選ばれたもの? みんな選ばれてホグワーツに入学してるんだから当たり前じゃないか。そうも思ったが、マルフォイが言いたいのはそういうことではないらしい。
 「君がどこの寮かは知らないが、寮はあのオンボロ帽子が決めるだけだから気にすることはない、けど友達は選べる。誰と付き合うかで君の未来も変わる。間違った者とは付き合わないことだ。誰と付き合うのが君のためになるか、僕が教えてあげよう」
 そういって、マルフォイは右手を差し出した。握手を求めているのだろう。
 「友達は大切だよ。仲間を集めるのも素敵なことだと思う。でも・・・群れるのは嫌いだ」
 少し言い過ぎかとも思ったが、「間違った者」という言葉が、ウィルの気に触った。まして、誰と付き合うのがためになるか、教えてやろう。なんて。こいつは、友達をなんだと思っているのだろう?
 こいつ、ドラコ・マルフォイは真赤にもピンクにもならなかったが、青白い顔を意地悪そうに歪めた。
 「ふんっ! しょせんはマグルの子。真の魔法使いじゃないから理解できないというわけか。救い難い奴らだ」マルフォイは吐き捨てるように呟くとマントを翻して、その場を離れた。
 なのに、お供の二人はまだ残っていた。優に十センチも高い位置からウィルを見下し、せせら笑っている。
 どうでも、ミリセントの言う「お礼」とやらをせずにはおけないらしい。
 こうなってくると、世事に疎いウィルにも事態が飲み込めてきた。落ち着いてみれば、ミリセントの持っているマントは古い上にサイズもかなり小さいようだ。たぶん、小さい頃に使っていた古着だろう。
 それを汚されたと因縁を付け、新しいのを買わせて弁償する方向に持っていこうしているのに、間違いない。
 自分のおかれた状況に気付いて、ウィルは冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
 「どうしたんですか?」
 全身が石になったような感覚に支配されかけていたウィルの後ろから声が上がった、聞き覚えのある声だ。ウィルはホッとして力が抜けそうになりながら振り返った。
 思った通りの人がそこにいた。
 「マクゴナガル先生!」キャロルが叫ぶ。
 マクゴナガル先生はキャロルが早口で事態を説明している間、ウィルやミリセント、汚れたマントと目を走らせた。マントを見たとき、眉が少し釣り上がったように見えたのはウィルの気のせいだったろうか。
 「わかりました。ミス・べランジャー、もうそれ以上は説明しなくてけっこうです」
 ある程度の説明を聞いたところで先生はキャロルの説明を止めさせ、ミリセントに向き直った。
 「ミス・ブルストロード。あなたの持っているマントは、私が見るところもう着てはいないようです。それなのに、なぜ持ち歩いていたのか、疑問を感じずにはいられません。もし、大切な思い出の品だ、とでも言うのであれば、このようなところに持ってくるのはどうかと思います。それに、その程度の汚れでしたら洗えば落ちるでしょう。染みにしたくないのであれば、議論している間に洗濯場に持っていくのが良いのではありませんか」
 「・・・そうします」
 先生の目から逃れるようにマントに目を落とし、ミリセントはスルリとウィルの横を擦り抜けて走るのと歩くのの中間で立ち去った。
 ゴイルとクラッブの二人の姿は、あの図体からして信じられないことに、いつのまにか消えていた。
 「ミスター・ゴールドマン。あなたの行動は勇敢さと友情を示すすばらしいものでした。今後もその気持ちを忘れずに行動することを望みます」先生は、ニコリと笑った。あまり笑うことに慣れていない者の笑いだった。そう感じたのはウィルの勝手な先入観のせいだったろうか。
 ともかく、先生のおかげで難を逃れたウィルたちはマクゴナガル先生が自分の寮生とともにグリフィンドール寮へ帰っていくのを見送った後、自分たちも寮に戻るべく、席を立った。
 「先生に気に入られて満足かい?」絡みつくような声が、立ち上がったばかりの背後から耳へと這い上がってきた。
 振り向くと、さっきの血色の悪い少年、ドラコ・マルフォイがクラッブとゴイルを従えて立っていた。口元に意地の悪そうな笑いを張り付かせて。
 「先生がいつでも助けてくれる、そう思うかい?」マルフォイは、多分に挑発するような調子で話しながら、ウィルに向かって鼻で笑うような仕種をした。
 マルフォイは、一見したところ確かに血色は悪いが、いいところのお坊ちゃん、とでも言おうか上品な顔立ちと声を持っている。その顔と声に悪意がこもると、それは確実に相手の神経を逆なでするものになるようだ。なまじ、きれな声だけに、侮辱されたという気持ちが先に走ってしまうのだ。
 だが、今回は相手が悪かった、というべきだろう。ウィルにしてもキャロルにしても、こういった挑発や侮辱をまともに受けるような性格はしていない。二人とも、気を悪くはしていたが、決して表に出すようなことはしなかった。
 そうなると、逆に挑発してる側が安っぽい人間に見えることになる。そのことに気付いたのだろう、マルフォイが今度は演技ではなく素で顔を歪めた。
 「僕が君たちなら、もう一人では歩けないだろうな」
 「脅してるつもりなのか?」その前に一人で歩けるのか?いつもお付の人間がいるみたいだけど?
 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、ウィルは冷静な反応を示してみせた。
 「一般的な忠告をしただけさ。・・・行こう」
 お供の二人を促し、マルフォイはウィルの横を擦り抜けていき、お供のうち身体の大きい方、確かクラッブだったと思う、が間違いなくわざとウィルの肩にぶつかるようにして押し退け、その後を追った。
 ウィルはマントを翻して去っていくマルフォイの背中を睨み付けた。キャロルが傍に居なかったらツバの一つも吐いていたところだ。
 寮の先輩たちがスリザリン生のことを「油断のならない詐欺師ども」と悪態をついていた理由が、ようやく理解できたような気がした。

 「グリフィンドールになら頼んでみるのもいいかも知れないわ」
 同じことを考えていたのだろう、ホットミルクの入ったマグカップを両の手の平で包むように持って、口元に運びながら、ポツリと言った。
 「うん。でも・・誰もいないよ。寮の場所知ってる?」広間を見渡し、ウィルが聞く。広間にはもうウィルたち三人しか残っていなかった。
 「はい! はいはーい。ルビー知ってるよ」
何枚ものお皿を重ねた小山の向こう側で両手を挙げてルビーが飛び跳ねている。
 一抹の不安を感じてしまうが、ウィルたちはルビーの案内でグリフィンドール寮へ向かうことになった。
 「それにしても、ルビーはなんでグリフィンドール寮の場所知ってるの?」
 石の廊下を歩きながら、キャロルが聞いている。
 「え? えへ、えへへへへへ・・・・」ルビーははにかむような、困ったような顔で笑い。イタズラっ子みたいな微笑みを浮かべたまま、理由を話し始めた。
 「んとね、それは・・・・」

 二日前のことだった。
 ルビーはトイレに行こうとしていた。
 階段をもう一つ上れば、三階に一度も入ったことのない場所だったが、トイレがあったはず、と歩を早めたルビーの耳にとても楽しげな声と、苛立ったような声が聞こえた。
 階段を上り切らずに手摺の陰から覗くと、ずんぐりとした女の子のゴーストとレイブンクローの監督生、ぺネロピー・クリアウォーターが立ち話をしているようだった。
 「マートル。あなたがゴーストになって城の中をうろうろするのはかまわないわ。あなたにだって存在する権利はあるんだから、でもね。トイレを自分の部屋として独占されたんじゃ、他の生徒に迷惑なの。やめてもらえないかしら」穏やかな口調の中に、怒りや不満、軽蔑といった感情が隠れているのがルビーにすらわかる声と表情だった。
 「あら、私独占なんてしてないわ。あなたも入っていいのよ、誰もいないトイレでニキビに薬を塗りたいんでしょう?」ぺネロピーとは対照的に楽しげな声が弾んでいる。
 「ニキビ、コキビ、ニキビーっ。私も生きてる頃には、みんなにそう言われたものよ。死んでも生きてた甲斐があるわね、私が他の人にこれを言える日が来るなんて思わなかったわ」ダラーッと垂れた猫っ毛と、分厚い乳白色のメガネも一緒になって弾んで、普段は陰気に沈んでいるらしい顔が笑っているので、変なふうに歪んでいた。
 ぺネロピーは反論しなかった。見てるルビーが恐くなるような顔になって、マートルを睨み付けている。
 「何をしてるんだ?」
 ルビーとは逆に、下りてくる階段の途中で言い争うのを耳にしていたらしい男の子が、しかめっ面で現れた。
 「・・・パーシー」ぺネロピーが少し上擦った声で事情を説明し始めた。
 「マートルがトイレで泣く度に、水道管が破裂して壊れるの、それじゃみんなトイレを使えないから、トイレに取り憑かないように・・・」
 「違うだろ」妙に焦った様子で話すぺネロピーを手で制して、パーシーはぴしゃりと言った。
 「ニキビに薬を塗りに来て、マートルに見つかったから、そう言ってるんだろ?」
 そう言ってパーシーがぺネロピーから視線を外してトイレの入り口のほうを見たので、ルビーも視線を追いかけてみた。するとそこには小さなチューブが落ちていた。
 小さな文字で『ドクター・トクルのニキビ薬。~これであなたの顔もつるつるのすべすべに~』と書いてあるのがどうにか読めた。
 「僕らの年ならニキビの一つや二つ、出るのが当たり前なんだ。隠そうとするなんてどうかしてるよ」冷ややかにすら感じる口調だった、でも、その表情は穏やかで、とても優しかった。
 「だけど、君の言い方は良くないね。自分が言われて嫌だったことを他人に言うなんて、人として最低だよ。ニキビってのは日頃の不摂生と精神の不安定さから出るものだって言うけど、君の場合。間違いなく後者だろうね」
 パーシーの口調はあくまで静かで、挑発したり侮辱したりしているものではなかった。 でも、マートルにとってはそんな客観的な事実より、自分の主観のほうが正しいようだ。 さっきまでの歪んだ笑顔が泣き崩れ、メガネの奥から大粒の涙が伝っている。
 「そうよ、そうよ、私はどうせ性格悪のブスだわ。生きてたときはみんなにバカにされ、死んでからは嫌われ者なの。私、私、存在してるべきじゃないんだわ」ワッ、と泣き出したかと思うと、トイレのドアを吹き飛ばして中へ消えていった。
 中から少しくぐもった泣き声と叫びがしばらく聞こえていたが、水の流れる音とともに、それも消えた。
 「まったく、狂ってるよな」パーシーが一人呟く。その声に、小さなうめき声が重なった。
 ぺネロピーが立ち上がろうとしている姿のままでローブをたくしあげ、右の足を押さえている。吹き飛んだドアの破片があたったらしい、血は出ていないが青く変色しかけていた。
 「ママ特製の薬がある、僕らの寮においでよ。医務室に行くより近い。ママの薬はよく効くんだ、なにしろ僕のすぐ下の弟たちときたら、年中どこか怪我してるんだから」
 そう言って手をさしのべたパーシーを、一瞬気恥ずかしそうに見たぺネロピーだが、なにも言わずにパーシーの手を取り、肩にもたれてグリフィンドール寮へと向かった。

 「・・・後をつけたのね」呆れたようにキャロルが言った。
 「だってぇ、きっとあの二人付き合うよ? 恋人たちの初めての出会いに立ち会うなんてなかなかできない経験だと思わない?」
 「付き合うとは限らないでしょうに・・・」
 「絶対付き合うもん。パーシーったらその日からずっとマートルの部屋の前を見回りしてるんだよ。昨日だってマートルのいるトイレの前ウロウロしてたし」
 女子トイレの前をウロウロ? あまり格好のいいものじゃないな。
 「お! ホグワーツの歴史を塗り替えた勇者様の登場だぞ」
 「なんとまぁ、常々お会いしたいと思っておりましたが、ご尊顔を拝し光栄の極み」
 廊下を曲がり、大きな太った婦人の絵が見えたところで、ウィルは仰々しいほどの恭しさで迎えられた。赤毛にそばかす、同じ顔をした二人の上級生が、ウィルを偉人でも見るような目で見ている。
 「我々でさえ、城を抜け出し、森へ入るのに半月を要したと言うのに」
 「ただ一人、それも入学三日目で偉業を成し遂げてしまわれるとは!」
 ウィルが杖の材料を取りに行ったときのことを話しているのだ、見ていたのだろうか?
 「森に!? 危ないからいっちゃ駄目って校長先生が言ってたのに」
 「杖の材料なら、他にも手に入れる方法あるはずよ」
 上級生に深々とお辞儀され、戸惑うウィルの代わりにルビーとキャロルが声を上げた。 ルビーのほうは少し楽しそうな声が含まれていたが、キャロルのは本気の抗議のようだった。言葉から見ても、ウィルが何をしようと森に行ったのか、完全に理解している。
 「杖?」
 双子が同時に反応してキャロルに注意を向け、キャロルが淀みなくウィルの杖づくりのことを話している。ウィルを危険な場所に行かせたくないのだろう、というのはわかるし、気持ちはありがたかったがキャロルの声がウィルの耳には少し痛かった。
 「そんなことは今はどうでもいいんだ。僕らが今日ここに来たのは別の用件で・・・」
 話題を変えさせようと、ウィルが蛮勇を奮って声を上げたとき、キャロルがすでにそのことを話し始めていた。
 「ドリー?」
 「城内の絵という絵は大体知ってるつもりだけど・・・・」
 聞いたことない、という。まぁ気にかけて捜してくれると約束はしてくれた。見つけたら事情をすべて説明する、という条件で。
 「ウィルって言ったな。俺はジョージ、そっちがフレッド、今度森に行くときは俺たちにも声をかけてくれよ」
 「そうさ、森の中ならハグリットの次くらいには詳しいんだぜ」
 もちろん、城の中もな。そう言って双子はニヤリ、と笑うとどこかに行ってしまった。
 「あの二人がウィーズリーの双子なんだ。先輩がフィルチと死闘を演じる英雄たちって呼んでたよ」ルビーがはしゃぎ。
 キャロルはウィルのことについて勝手にしゃべりすぎたと反省している。
 「・・・まぁ、なんにしてもグリフィンドールの中にも協力者を作れたってことで、目的は果たせたんだ。帰ろう、そろそろ戻らないと変身学のクラスに遅れてしまう」
 変身学に遅刻するのは森に行くより恐ろしい、言うことがいちいち正しく公平なだけにある意味魔法薬学よりやっかいだ。


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