ビストロフの橋

ビストロフの橋

第11章 「新しい仲間」


      新しい仲間

 ウィルは過去に起きたことを順序よく他人に話して聞かせる、ということに慣れてはいなかったが、時々抜け落ちた話しを慌てて付け足したり補足したりしても、マゼンダは熱心に聞き続けていた。
 その話しは面白おかしい所はなかったが、マゼンダにしても十分に興味を引くものだったに違いない。
 なにしろ、魔法界でも一番といえる謎の一つ。『ドライロッドの悲劇』、その核心に迫ろうという話しなのだ。一言たりとも聞き逃してたまるかと考えているのがありありと窺えた。
 ましてや、話しが禁じられた魔法、それも魔法薬の話しに及ぶとなると目は輝き頬が紅潮するのが青い炎の明かりに照らされていてもはっきりとわかった。
 「絵になる魔法、か。それも肉体はそのままで・・・なるほど」
 なにが『なるほど』なのか、マゼンダはしきりにうなずいた。
 「なんとなくわかってきたわ。材料の持つ効能のどれを引き出せばいいのか、が。それがわかれば材料の一つ一つをどう処置すればいいかおぼろげだけどわかる。なんとかなりそう」興奮した声がそう告げ、ウィルの手から受注書をひったくると材料の名を一つ一つ確認しながら低い声でブツブツと何事かつぶやき始めた。
 材料それ自体に含まれる魔法効果を確認しているらしいってことだけはウィルにもわかった。・・・と、いうことは。
 「まさか・・・作る気なの? 禁じられた魔法なんだよ?」漠然と、それを期待していたとはいえ、さすがに鼻白んで声を高めた。魔法界の法律や罰則は知らないけど、存在自体を否定されるような魔法を使って無事に済むとは思えない。
 自分は仕方ないけど、他人を巻き込むのは避けたかった。薬を作って欲しいって本音は以前にも増してウィルの胸に存在している。それでも。
 「ん、大丈夫よ。エルンスト・レーナーの話は聞かなかったことにするから。単に昔の受注書を見て何の薬だろうって好奇心で作る分には問題になりようが無いもの。だって、この薬は禁じられてるんじゃなくて抹消されているんでしょ? 言うなれば作るっていうより発明する、に近いわけだもんね」
 そういう考え方もあったのか! ウィルは感嘆に目を見開いた。確かにそうだった。存在を否定されている。覚えているもの、知っているものはほとんどいない。と、なれば作ることや使用することが犯罪だなんて知っている人間もいない、ということなのだ。
 「悪い人だ、マゼンダさんって」笑いをかみ殺しながらウィルがつぶやくと、マゼンダもまたいたずらっ子の微笑みを返してきた。
 「悪知恵だけなら首席になる自信があるわよ。・・・そんなことより、そろそろでましょ。人目をはばかる話しはこれでおしまい。ホグズミードに宿取っておいたから、そこに移りましょう。こんなとこで夜を明かしたくはないわ」
 それにはウィルも賛成だった。目の前の炎の暖かさがとても気持ちがいいほどに、背中が寒くなってきている。太陽が沈んで冷気が強くなったに違いないのだ。
 洞穴で過ごすには不向きな季節だし、宿があるならそこに移るのが当然だった。何より、お腹が空いてきてもいる。朝も昼も中途半端だったから、暖かな食事がとても恋しかった。
 マゼンダが宿を取ったというのは「ホッグズ・ヘッド」という旅籠だった。ドアの上に張り出した錆ついた腕木に、ぼろぼろの木の看板が掛かっていた。ちょんぎられたイノシシの首が、周囲の白布を血に初めている絵が書いてある。二人が近づくと、看板が風に吹かれてキーキーと音を立てた。
 「おーい! ウィルってのはおまえさんかい?」入るのを躊躇していると、表通りのほうから大きな声で呼ばれ、ウィルはびっくりして振り返った。
 声の通りの巨大な体がゆっさゆっさと揺れながら走ってくる。思わず身を退きかけたが、すぐにホグワーツの森番のハグリッドだと気づいて、気を落ち着けた。
 「ふぃー、やっとこさ見つけたわい。学校でちょいと騒ぎがあってな。もちろん、もう解決しとるんだが、おまえさんの友達がえらく心配してな。ダンブルドアが俺に迎えに行くよう頼みなすったんだ」
 騒ぎってなんだろう? 不安を感じたウィルだったが、質問はできなかった。それより一瞬早く、マゼンダがウィルを押し退けて前に出たからだ。
 「ちょうどいいわ。私たちこれから遅めのディナーをとるところだったの。『三本の帚』で一杯やりましょう。育ち盛りの子供を食事抜きで歩かせるわけにはいかないでしょう?」
 ウィルをだしに、酒の相手をさせようというのが見え見えなマゼンダの言葉に、ハグリッドは頬を綻ばせた。
 「まぁ、なんだ。一杯引っかけねぇと、ちぃっと夜風はつめてぇかもな」一見もっともそうな理由を口の中でつぶやきながら、ハグリッドは来た方角へと歩きはじめ、マゼンダが調子よく相槌をうちつつ後に続いた。
 ウィルも大慌てでその後ろに続く。一人でいるにはあまり向かない路地なのだ。
 『三本の帚』は小さなパブだった。
 扉をくぐってから席に着くまで、ウィルは居心地の悪さに背を丸めていた。パブに大手を振ってはいれる年齢に自分がなっていないことはよく知っていたし、本来入れない場所に平然と入れるほどの度胸の持合せはなかったから。
 だけど、その不安は席に着いた途端消え去った。小粋な顔をした曲線美の女性がごく自然に飲物を運んできたからだ。
 「ホット蜂蜜酒4ジョッキ分はハグリッド。ギリーウォーターのシングルはマゼンダ。・・・で、このバタービールは一年坊主に、ね。常連客と懐かしいお客、それに新しいお客への店からのサービスよ」
 温かな飲物がウィンクのおまけ付きで手渡されると、ウィルの気分は一気に軽くなった。きっと妖精の羽根を持つことがあるとしたら、今の気持ちぐらいの重さだろうと思えた。
 「ありがとう。ロスメルタのママ。だけど、どうせなら『不死鳥の血』を持って来てほしかったわ」マゼンダがさりげなく注文をつける。その途端、ハグリッドは唸り、ロスメルタは顔をしかめた。
 「なぜ、あのワインが『不死鳥の血』って呼ばれてるかわかってる?」らしからぬ、押し殺した低い声がロスメルタの口から漏れ出た。
 「神話にもなりそうなくらい古い葡萄の木から取れるわずかな葡萄を、とある魔法族にのみ伝えられた製法でワインにする。その独特の抽出法のために収穫から完成まで五十年掛かり、飲みごろになるまでさらに百年を要するため、最初から最後まで見届けられるのはその魔法族の家に飼われている不死鳥だけ、そうやってできたワインは血のごとき鮮やかな真紅で、まるで燃え盛る炎のごとく色が移り変わることから、決してきえることのない炎、永遠の命を支える血、すなわち『不死鳥の血』と称される」
 朗々と知識を披露したマゼンダへの、同席者の応えは沈黙だった。
 ハグリッドは樽なみの大きなジョッキに隠れようとでもするかのように体を縮こまらせ、逆にロスメラルタは威嚇する猫のように大きくなった。見た目が、ではなく雰囲気がではあるが、見ているウィルが呼吸を止めてしまうぐらいの迫力がある。
 「知識はあっても、それがどういうことか理解してないようね」真冬の墓場もかくやという冷たい声が周囲の空気を凍てつかせる。
 「やだなぁ、ちゃんとわかってますよ。それだけ貴重なお酒ってことでしょ? このお店には一年に一本入荷できるかどうかってぐらいの。それを無断で三本一気に飲んじゃったことがあるからって、そんな怒んなくてもいいじゃない」そりゃ、怒るよ。と、ウィルでさえ思ったが口にはしなかった。
 気を利かせてくれたらしいウェイターさんが、次々に温かな料理を運んでくれたからだ。
 臓物スープにステーキ・キドニー・パイ、皮付きポテト、サラダと並ぶとウィルはもう二人の口論なんて聞いてはいなかった。
 とにかく、出された皿を片っ端から空にする勢いで食べ続けた。それだけお腹が空いていたのだ。それに、ウェイターさんが耳元で囁いたことも、その勢いに拍車をかけている。
 ウェイターさんはこう言ったのだ「マゼンダはそのワインの代金をいまだに払い続けてる。家が丸々一軒買える金額なんだよ、今日の夕食代が上乗せされたぐらいじゃ驚きもしないさ」支払いを気にしなくていい外食ほど食の進むものはないと信じるウィルはチャンスとばかりに料理を片付けていった。
 マゼンダが、その支払いを気にしている様子だったなら、ウィルは当然遠慮したはずだったが、本気かどうかはともかく、今また注文しロスメルタと口論しているとあっては、遠慮する必要を感じなかった。
 「おまえさんは、なんでマゼンダをしっとるんだ? 俺やロスメルタにとっちゃ仇敵との再会ってとこだが」テーブルに覆い被さるように身を屈めて、ハグリッドはウィルに聞いてきた。
 「ダイアゴン横町の店で知り合ったんです」
 ウィルがそれだけ言うと、ハグリッドは大きく息を吐いた。そして、大きくうなずいた。
 「薬の実験台にされたんだな。マゼンダは学生の時分からそうだったよ。あいつのやることっちゅうのは必ずしも目には見えねぇ。ウィーズリーの双子が四つ子だったとしてもマゼンダの質の悪さにはかなわんだろう」
 よほど手を焼いていたらしく、ハグリッドはしばらく目を閉じて嘆息した。
 「それで杖の柚薬の材料選びに意見を聞こうかと思って手紙を書いたら、わざわざ駆けつけてくれたんです」この後は当然、なんでマゼンダが会いに来て、学校の外で話しをしていたのか、と聞かれるだろうと思ったウィルは先手を打って自分から話し出した。
 マゼンダにスネイプの教室から連れ出されてからずっと、頭の片隅で考えていたもっともらしい説明を。
 「杖? おおっ、そうか。おまえさんかい、フレッドが言うとったんは。杖材になりそうな枝を集めてくれっちゅうんで森に入るたんびに集めといたぞ。俺の家の裏に積んである。必要になったら持ってってくれや」
 その言葉に、ウィルは少し焦った。そのことをすっかり忘れていたのだ。授業のこと、学校のこと、ドライロットのこと、そして杖のこと、いろいろありすぎて、杖のほうはほとんど進んでいなかったから。
 なんとか気を落ち着け、数日中に取りに行くことをウィルは約束した。積み上げられるほど集めてくれたらしいが『七つ鍵のトランク』を持っていって、直接書斎に放り込めばすぐに終わるだろう。
 そんなことを考えているうちに、目の前に並んでいた空の皿がなくなり、カラフルなトライフルが特大の皿に入って運ばれてきた。
 「これを食べたら帰ったほうがいいわよ。時間ももうだいぶ遅くなってるから」
 運んできたウェイトレスが親しげに言うので、びっくりして振り返ったウィルは唖然としてしまった。
 ウェイトレスはマゼンダだった。いつのまに席を立ったのか、しっかりとエプロンをつけ、軽く化粧までしている。
 「せっかくだから今夜はここでバイトしていくことにしたの。なぜか飲物には触るなって言われたけどね」お得意の『悪戯っ子な微笑み』を残して、マゼンダは燕のような軽快さで身を翻すと、入ってきた客を出迎えにいった。
 「パワフルな人だなぁ」

 学校にはあっという間に戻ることができた。ハグリッドが村の外に何か見えない乗物というか生き物を待たせてあったらしくて、それに乗って戻ったのだ。
 ハグリッドにひょいっと持ち上げられ、なにか弾力のあるものの上に乗せられたところまでは覚えているが、その後のことはよく分からない。
 透明で見えなかったし、暗かったし、何しろ短い時間だったから。
 気がつくと、ウィルは城と禁じられた森の間に立っていた。
 どこか見た感じのする場所だな、と思ったウィルは突然その理由を知った。そこは以前、禁じられた森へ行くのに使った抜道の前だったのだ。
 「そこの抜道を、おまえさんもしっとるっちゅうのは聞いとる。使うのはかまわんが森には入るんじゃねぇぞ」くしゃくしゃな瞳をさらにくしゃくしゃにしてウィンクすると、ハグリッドはなにか見えないものに声をかけながらゆっくりと森のほうへと歩き出した。
 その先、わずかな月明りにハグリッドの小屋、その輪郭をぼんやりと見ることができた。
 しばらく、その背中を見送ったウィルだが、皮膚を突き刺す冷気に追い立てられて城に逃げ込んだ。
 だが、逃げ込んだ先はさらに寒かった。
 「問題! 『朝はうっすらぼんやりで、昼は色濃くおチビさん。夕方、背高のっぽになったなら、夜にはチラチラ隠れんぼ。』これ、なぁーんだ?」
 ここしばらく姿を見せなかったレィチェルがいつものように風穴テリーと覗き屋トムをつれて待ち受けていたのだ。
 こう突然に問題を出されても困る。内心そう思いながら、ウィルの頭は自然と答えを考えてしまっている。
 ヒントを求めて、無意識のうちに泳いだ視線の先に、ミセス・ノリスを見つけてウィルは息を呑んだ。ただでさえ気色がいいとは言いがたい痩せた猫が、実物の五倍はあろうかという影を従え、階段の踊り場から見下ろしているのだ。
 背筋が冷たくもなろうと言うものだ。と、同時に頭も冴え渡ったようで、ウィルは答えを発見した。
 「そうか! 影だ!」朝の弱々しい光に比例して薄くぼんやりしている影、昼の勢い盛んな陽射しに濃くなり上からの光線であるために短くなる影、夕方の横から来る西日に長々と伸びる影、夜の闇と人工的な光の中で現れたりにじみ消えたりを繰り返す影、わかってみればそのものズバリの問題だった。
 「正解! ホント、あったまいいね」相変わらずの満面の笑顔を見せ、一瞬まじめな顔をしたかと思うとレィチェルは少し舞い上がった。二メートル上空から無言のままウィルをしげしげと見つめ、少し躊躇いながら、再び口を開いた。
 「十六日なんだけどね、パーティーがあるの。出席してくれる?」円らな瞳を大きく見開き、人間で言えば上気しているのだろう、頬を銀色に輝かせてレィチェルが囁く。
 左右を漂うゴーストたちがやたらニタニタ笑っているのでウィルはちょっと返事に困ったが相手がゴーストなことを思い出し心を落ち着かせる。
 「いいよ。でも、なんのパーティーなの?」ゴーストのパーティーってどんななんだろう、好奇心に抗し切れず、ウィルは出席を約束した。だけど、なんのパーティーかぐらいは知っておきたい。
 「私が死んだ日。『絶命日』パーティーなの」死んだ日を記念してのパーティー? 死者を偲ぶ会ってのはわかるけど自分が死んだ日にパーティーってのは・・・どうなんだろう、と考えてしまったが生者としての死、それがつまりはゴーストとしての誕生日なわけで、ある種のバースディー・パーティーと考えればいいのだろうと納得する。
 「十六日夜の七時に、地下墓地で会いましょう。場所は・・・スプラウト先生の温室の辺りに来てくれれば二人が案内するわ」右手を小さく振り、右回りに回転しながら、レイチェルは天井を抜けて去って行き、その後を二人のゴーストがゆっくりと追う。
 それを見送りながら、ウィルはあのゴーストトリオの関係も謎だな、などと考えていた。
 「ちっ!」静まり返った城内に隠す気もない舌打ちの音が反響した。
 廊下の先に、ミセス・ノリスを抱き抱えたフィルチがいる。
 ウィルを睨み付けながら、愛猫を相手に「あいつはいいんだよ、ダンブルドアが許可を出したんだ」、「一年の時から、夜中に歩き回らせるなんて」、「規則をなんだと思っているんだ」等々、ブツブツ言うのが聞こえてくる。
 ハグリッドを迎えに出すのと一緒に、ウィルの外出にもダンブルドアは許可を与えてくれたのだということがわかって、ウィルは心から感謝した。フィルチの生徒いじめの噂は、上級生からイヤッてほど聞かされている。
 愛猫に愚痴るのに飽きたフィルチがダンブルドアが許可を出したことを意識して忘れる可能性に気づいてウィルは必死に寮へと急いだ。
 「one of oldest human needs is having someone to wonder where you are when you don't come home at night.(人間が最古から必要としていることの一つは、あなたが夜家に帰らなければどこにいるのだろうと心配してくれる人がいることだ)」寮の前に立った途端、低い声が少し楽しげに囁いた。
 寮の入り口を守る鷲が囁いたのだと言うことに気付くことができず、ウィルは数秒驚愕で立ちすくんでしまった。この鷲が合い言葉を求める以外のことを言うとは思いもしなかったのだ。
 「合い言葉は?」突っ立ったままのウィルに一瞥をくれ、鷲は事務的な口調に戻った。
 「Little brooks make great rivers.(小川は大河になる)」合い言葉を言い終えると、ほぼ同時に翼が閉じられ、寮への入り口が開いた。
 常夜灯がほのかな明るさをもたらす廊下に比べ、明度が極端に落ちた談話室に入る。入り口が再び閉まってしまうとウィルは再び立ち尽くさなくてはならなかった。目が暗さに慣れるのを待たねばならなかったのだ。
 その上、談話室の奥のほうで影のようなものがゴソゴソと動くのを見てしまっては足を止めないわけにはいかなかった。
 お化けでないことや泥棒でないことがよくわかってはいても、暗がりで動くものには普遍的に恐怖がつきまとうものなのだ。
 「やっと帰ってきた」その暗がりで動くもの、がびっくりするくらいの澄んだ優しい声を発したので、ウィルは声を上げそうになって慌てて自分の口を両手で塞いだ。
 こんな夜中に騒ぐわけにはいかない。
 「キャロル? まさか、ずっと待ってたの?」まだよく見えてない目でゆっくりと進む。談話室の中頃まで歩いたところで、目が慣れてきたのとカーテンを全開にした窓から入る月光のおかげでようやく相手の顔が見えた。
 「待ってたわけじゃないのよ。ただ、・・・眠れなかっただけ」あまりうまくもない言い訳を口にして、キャロルははにかんで微笑んだ。
 その微笑みを前にして、ウィルはさっき鷲が言ったことの意味を理性と、それ以外のなにかで理解した。
 「月がきれいだしね」泪が出そうになったのをこらえて、ウィルは無理矢理話題を変えて窓に目を向けた、でもそれはキャロルの言い訳よりもうまくいかなかった。
 目ににじんだ泪に、明るすぎる月光が反射して、目の縁を銀色に光らせていたから。
 それに気付いたのかどうなのか、キャロルは突然睡魔に襲われたようで「おやすみ」の一言を残して女子寮へと続く階段を昇っていった。
 ウィルも大きなあくびを連発しながらベッドへと急ぐ、昨夜徹夜だったから『生ける屍の水薬』を飲んだように眠かったのだ。

 十一月に入ると、とても寒くなった。学校を取り囲む山々は灰色に凍りつき、湖は冷たい鋼のように張りつめていた。校庭には毎朝霜が降りた。
 この頃になってようやく、ウィルはクィディッチというものがなんなのかを知った。
 どこにいってもその話しばかりになったので、キャロルやルビーに聞くまでもなく。何もかもが耳に入ってくるのだ。
 ルールや道具のこと、各寮の選手のこと、ここ数年の優勝をどの寮がもぎ取っていった(ウィルが聞いたときには「盗んでいった」という表現だった)かということ、今年は百年ぶりに一年生が代表選手になったということ、それが「あの」ハリー・ポッターだということまでが競技というものに関心のないウィルでさえ知ってしまうほどに、ホグワーツ中が盛り上がっている。
 ルビーはもちろん、キャロルでさえその例外ではなくて、キャロルが四回に一回ぐらい思い出したようにテストの話しをする他には、クィディチのことしか話さなくなっていた。
 それはもちろん、たんに二人がクィディッチに夢中というだけでなくて、ドライロットの件が自分たちの手から離れたことも理由の一つになっている。
 薬のほうはマゼンダの報告待ちだったし、絵のほうも「学校にない」ことだけは確実なので自分たちで探すことはできなかったのだ。ルビーのおじいさん経由で調べてもらってはいるが、当然ながら絵の調査だけを専門にやって貰えるわけではなく。暇なときに、なので時間が掛かるのは仕方ないことだった。
 そんなわけで、二人に限って言えば、今のところクィディッチとテスト以外に興味を引くものはないのだ。
 ただ一人、そうも言ってられないウィルは約束を果たしにハグリッドの小屋へと向かった。ハグリッドとの約束ばかりではない、オリバンダー翁との約束の期日も残すところ一月となっていたのだ。
 『七つ鍵のトランク』を手に、いつも通りの抜道を通ってハグリッドの小屋へ行く、その途中でウィルはハグリッドに出会った。城を出てすぐの空き地に、あの大きな体が屈んでいる。
 なにをしているのだろうかと近づくと、ハグリッドは一人ではなかった。なんとダンブルドアも一緒だった。大きな体の陰になっていて分からなかったのだ。
 「先生様、森になにか悪いものが入り込んでるのはまちげぇねぇですよ。そうでもなきゃ、ニーズルが怪我するなんざあるわけねぇ」
 「うむ。どうやらそのようじゃな、問題は何が目的か、じゃが・・・ん? どうかしたかの?」最後の言葉は、ウィルに向けたものだった。 
 立ち聞きしていたと思われるかと心配になったが、ダンブルドアの様子からいってそんな考えは持っていないらしくウィルはホッとした。
 「ハグリッドの小屋を訪ねるところだったんです。そしたら、ここにいるのが見えたんで・・・」いいながら二人がしゃがみ込んでみていたのがなんなのかを目で追い、ウィルはしばしそれを見つめた。
 「いかん! ニーズルは警戒心が強いんだ。おまえさんが引っ掻かれるだけじゃねぇ。こいつも傷がひらいちまう」思わず手を伸ばしかけたウィルの手を、大きな手で制したハグリッドだが、その大きな掌の向こうから猫そっくりな生き物が姿を現し、ウィルの手に顔を擦り付ける仕種をした。
 「やっぱり、そうなんだね」それは以前、ウィルが森に入ったときに危ういところを助けてくれた猫そっくりな魔法生物、ニーズルだった。
 だけど、猫とニーズルを区別すべきもっとも大きな特徴、ライオンみたいな尻尾、がなくなっていた。ほんのわずかな名残だけを残して、根本から引き契られてしまっているのだ。
 それだけじゃない。体中に切り傷を作っていて、血が全身に縦縞を描いている。
 「どうして? 危険を察知して避ける能力があるんじゃないの? 前はそれで僕を助けてくれたのに!」『七つ鍵のトランク』を放り出し、手に血が付くことに気がつくこともなく抱き上げたウィルが、半ば泣きそうになりながら問いかけた。
 そのぐらい、痛々しい姿をしていたのだ。このまま死んでしまうんじゃないかと思うほどに。
 「こいつぁ、驚いた。ニーズルが人間に抱かれることなんぞ、そうあるもんじゃねぇ。魔法族の間でペットになるやつぁたいがい猫の血が混ざってるもんだ。こいつみてぇに生粋のニーズルが人間に慣れるなんて聞いたこともねぇ」
 「それだけ、ミスター・ゴールドバンクが信頼されとるということじゃろう。治療を手伝ってもらうと良い」ダンブルドアはニコニコ笑いながら立ち上がり、ウィルをキラキラッとした目で見つめた。
 「ウィリアム君。この子の面倒を見てくれるかね? 怪我が治るまで、もしくはずっとでも良い。おそらく、この子自身は『ずっと』、を望むとわしは思う。尻尾を無くしてしまった以上、野性で暮らすのはつらいじゃろうからのう」
 「もちろん!」自分でも驚くほどはっきりと応え、ウィルはニーズルを抱き抱えたままでハグリッドの小屋へと歩き出した。
 治療を行なうとしたら、そこ以外にはないだろうから。
 「ハグリッド、わしはロナンのところに行ってくるよ。話しをしておいたほうがよいじゃろうからな」
 「わかりました、先生様。どうか、お気をつけて」
 ダンブルドアはにこやかにうなずくと、整備された庭を散策するような気軽さで、森へと入っていった。
 「おおい、ウィル。ちょいと待ってくれ。中にファングがいる。いきなり開けるとあぶねぇかもしれん」小屋の入り口に立ったウィルに、ハグリッドは慌てて声をかけ、『七つ鍵のトランク』を拾うと急いで追いかけてきた。
 その声が聞こえたのだろう、小屋の中からメチャメチャに戸を引っ掻く音と、ブーンとうなるようなほえ声が数回聞こえきた。
 びっくりしたが、ニーズルはまったく動じないので危険はないのだろう。
 「待て、待て、退がれ、ファング」追いついてきたハグリッドが戸を少し開け、飛び出そうとしている黒いボアーハウンド犬の首輪を押さえながら、小屋の中へと押し込んでいった。
 続いてウィルも小屋の中に入る、とファングはおとなしく暖炉の前に行って寝そべった。ニーズルの血の匂いを嗅ぎ取ったのだろう、とウィルは思った。
 ニーズルの治療は思いのほか手間取った。
 当のニーズルが、怪我をしている身でありながらハグリッドには手を触れることすら許そうとしなかったのだ。おかげで治療はすべてウィルがやらなくてはならなかった。
 ハグリッドが細かく指示してくれるのだが、あまり器用とは言えないウィルのこと、なかなかうまく行かず時間ばかり掛かってしまったのだった。
 「それでえぇ、まぁなんだ、あんまりかっこは良くねぇが傷の治りにゃ変わりあるめぇて。後は毎日包帯を換えてやって、この薬を塗ってやるとえぇ。ニーズルの回復力なら一月もありゃ治るわい」ウィルが巻いた包帯を確認して、ハグリッドが言った。ニーズルはクロワッサンみたいな姿になっていたが、何重にも巻かれた包帯を嫌がりもせず、ウィルの腕の中でまどろんでいるようだった。
 小ビンに移し換えられれた薬と、換えの包帯を受け取り、帰ろうかと考えたウィル、その目が机の端に載っているものの上で止まった。
 そこには傷を治療するために剃ったり切ったりしたニーズルの毛が、一まとめにしておいてある。
 魔法生物、危険を察知し避ける能力、これは「使える」んじゃないだろうか?
 ウィルは無意識に『七つ鍵のトランク』を探した。それは、戸口の横に置いてあった。
 『七つ鍵のトランク』を引き寄せ、三番目を開ける。からの空きビンを必ず一つは入れておくようにしているのだ。
 書斎に下りれば空のや得体の知れないものの入ったビンがまだまだたくさんあるので、こと薬ビンに関しては買う必要がない。
 ビンを取り出すと、慎重にニーズルの毛を摘み上げ、ビンの中に滑り込ませた。
 厳重に蓋をすると、今度は書斎への入り口を開ける。
 と、視線を感じて顔を上げる。ハグリッドが少し気むずかしげな顔でニーズルの毛の入った薬ビンを見つめていた。
 「あの、なにか?」いけないことだったのかと思いながら、ウィルは声をかけた。
 「・・・いや、なんでもねぇ。ちょいとマゼンダのことを思い出しとったのよ。いつも薬ビンを持ち歩いてはおかしなものを詰め込んだり、逆に放り出したりしてたな。そのたんびに何かしら事件が起きたもんだ。まぁ、おまえさんの場合は杖づくりのためなんだろうから草を光らせたり、花に歌を唄わせたりはせんだろう」
 マゼンダさんって、学校でなにやってたんだろ。一面の草が夜の闇のなか光っている光景や、日がな一日花が唄っているのを想像して、ウィルは慄然としてしまった。
 書斎を開けたことで杖材のことを思い出し、ウィルはハグリッドに手伝ってもらいながら杖材の束を四つ、書斎の隅に重ねた。
 これだけあれば、もう十分だろう。
 ウィルはハグリッドにそう告げ、丁寧にお礼を言った。
 「また欲しくなったら言ってくれや、絶対に自分で森に入ったり何ぞするんじゃねぇぞ。もう、ニーズルをつれていても安全じゃねぇようだからな」



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