ビストロフの橋

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第12章 「絶命日パーティー」


    絶命日パーティー

 傷だらけのニーズルは、寮に入った途端に寮生全てに受け入れられた。はっきり言って、ウィルよりもウケが良かったくらいだ。
 「ばぁちゃんの家で飼ってたことあるけど、クォーターでニーズルの血は四分の一程度しか流れてない奴だったんだ」
 「尻尾がなくっちゃただの猫だよ」
 「こんなに傷ついて、かわいそう」
 ウィルそっち退けでニーズルを取り囲み、寮生たちは口々に感想やら批評やらを言い合った。
 横で見ていて、ウィルが嫉妬するほどのものだったが、それは長く続かなかった。ニーズルよりも寮生、というよりホグワーツ全体の気を引くものがついに始まったのだ。
 クィディッチ。いよいよ来週には最初の試合が行なわれる、というので嫌が応にも熱烈な盛り上がりを見せていた。
 ものすごい量の宿題に追われながら、いつ準備しているものなのか着々と応援の準備が整っていく。
 そのさなか、ウィルたちレイブンクロー生は地獄の日々に突入することになる。
 始まりは監督生、ペネロピー・クリアウオーターの演説だった。
 彼女は監督生という立場をあまり露骨に主張するようなタイプではなかった。普段は上級生の一人、という立場で一年生たちに接していたくらいだ。
 それが、いよいよ今シーズンの最初の試合、スリザリン対グリフィンドールが三日前に迫った夕方、寮生全員を談話室に集め、「テスト勉強を始めるように」、と宣告したのだ。
 キャロルが時折、テストのことを話題にするのを気が早すぎると思っていたウィルは驚いた。だって、テストがあるのは六月なのだ。まだ半年先である。
 寮の隅に置いてあった、壊れ掛けの本棚を横倒しにした上に立ったペネロピーはなにか分厚い封筒を握り締め、厳かに聞こえるよう作ったと明らかにわかる声でゆっくり、静かに話し出した。
 「いまさら言うのも妙だけど。私たちはレイブンクローの寮生です」
 ペネロピーの長い演説は、この当たり前なことを改めて口にすることから始められた。
 「組分け帽子の歌にもあるように、知識を求める賢き者の住まう寮、それがレイブンクロー。もちろん、私だってクィディッチの結果は気になりますし、是非優勝してほしいと切に願っています。ですが、レイブンクローにとってはクィディッチの優勝杯よりも、学力テストの順位、平均点の高さのほうが重要なのです。過去、数百年のあいだ我がレイブンクローはテストにおいて常にトップであり続けてきました。平均点で言えば二位との間に二桁以上の差をつけていた。それが去年、こともあろうにスリザリンに六点差まで詰め寄られると言う失態を演じてしまった。二桁を割ったのは実に127年ぶりという屈辱だったのです」
 ここでペネロピーはいったん言葉を切り、寮生の顔を見渡した。特に、一年生と二年生に鋭い眼差しを向けたのだ。
 「16週間。テストまでの時間です。長すぎると思うでしょう。どんな気の早い人でも、クリスマス休暇が終わってから始めようと考えていたはずです。確かに、個人レベルで良い成績を収めるには、クリスマスの後で間に合います。でも、寮全体でとなると今から始めなくては遅すぎる。昨日、歴代の監督生から過去10年分のテストの写しが送られてきました。それを使って勉強を進め、今年は二位以下に大差をつけて「レイブンクローの名に恥じない結果を出すように」、とのことです。各々、しっかりと復習しておくよう強く望みます」
 マクゴナガル先生そっくりな口調で演説を締め括ったペネロピーは、柄にないことをやった、というような疲れた表情で急づくりの壇上から下り、自分を呆然と見つめる視線から逃げるようにして寮を出ていった。
 「テ・・・ス・・・ト?」そんな言葉初めて聞いた、というような表情でルビーは切れ切れにつぶやいた。
 クィディッチに浮かれていたのが嘘のようにがっくりと肩を落とし、自分の指先を見つめている。
 テストのための勉強なんてしたことのないウィルは声もでなかった。テストの結果なんて気にしたこともなかったのだ。
 点数が悪くても叱られたことはないし、いい点とったときも誉められた経験がないのだから、気になんてするわけがなかった。
 「過去10年分のテストの写し! それが欲しかったの、どうやって手に入れたらいいのかって考えてたけど、これでそれは解決ね。各学科の先生がどんな問題出すか傾向を知ることができる。対策も立てやすくなるわ」
 キャロルのうれしそうな声が、暗鬱とした思いに沈んでうなだれたウィルとルビーの頭上を通り抜けていった。
 それでも、その日の夜から三人は談話室の奥、窓際のテーブルを一つ占拠して遅くまで起きていることが多くなった。
 テストに対する考え方や思いは三者三様、てんでばらばらな三人だったが、一つだけ共通点があった。
 他の一年生の大半が即座に選んだ「ペネロピーの演説なんて忘れる」という選択肢を選ばない、という一点に関しては見解が一致したのだ。
 詰まるところ、それはなんにしてもテスト勉強に手をつける。ということだった。
 キャロルは自分と二人のために復習予定表を作り始めたし、ルビーは無造作に積み重なっていた羊皮紙を大急ぎで教科ごと順番に並べ直す作業を始め、ウィルはシミだらけのノートをきれいに清書することにした。
 そうすれば後が楽だし、それにこれなら嫌でも復習することになる。
 羊皮紙の山を一度に片付けようとして、かえって手間取っているルビーに、一つの教科ごとに選別していったほうがいい、とキャロルが忠告する声を聞きながらウィルは自分のとったノートを睨み付け、新しい羊皮紙を前に羽根ペンを構えた。
 だが、たいして時間の経たないうちに、ウィルは自分が思いのほか早く羽根ペンの扱いに慣れたことを確認した。
 どの教科のノートを見ても、最初のほうは本当にひどいものだったが、次第に染みがなくなり、インクの濃淡が均一になっていくのがはっきりとわかった。
 ルビーが羊皮紙の山をいくつかの束にまとめて順番を組み替えだしたころには、ついに直すべき箇所が見つからなくなっていた。
 「あなたの宿題のことなんだけど・・・」
 自分の作業に区切りを着けたウィルが時計をチラリと見て、今度は目の前の束をノートにしようとしているルビーを手伝い始めたところへ、作ったばかりの復習予定表を見ていたキャロルがそっと声をかけた。
 「杖の、ってことよ。私、すっかり忘れてて毎日びっしり予定を入れてしまったの。ただ、クィディッチの試合がある日だけは完全に空けてあるからクリスマスまで二回は予定のない日がある。それで足りるかしら?」
 ウィルはちょっと驚いた。杖の宿題についてはほんの一・二度触れただけでちゃんと話したことなんかない。それなのにキャロルはちゃんと覚えいて、気にかけてくれたのだ。
 キャロルが心配そうな目で見つめる視線を横顔に感じながら、ウィルはやるべき作業を数え上げてみるために目を閉じて、しばらく自分の考えに沈んだ。
 基本になる柚薬はすでに完成している。今は火から下ろして熟成の段階にある。後は最後の材料、オリバンダー翁の言う「作るものの個性」を混ぜ込めばいい。
 ウィルはこの材料として、「ナールの針」、「ディリコールの羽根」、そして「ニーズルの毛」の三つを用意してある。

 【ナール=[北ヨーロッパおよびアメリカ原産]ハリネズミと間違えることが多い。この二つはまったく区別がつかないが、一つだけその行動に重大な違いがある。ハリネズミ用に庭に餌が置かれいると、ハリネズミはありがたくそれをちょうだいするが、ナールの場合は、庭に餌が供えられいると、家主が自分を罠にかけようとしていると考え、その庭の植物や飾り物をメチャクチャに壊してしまう。子供マグルが、いたずらして壊したと叱られることが多いが、真犯人は腹を立てたナールだ】
 【ディリコール=[モーリシャス原産]丸々した胴体に、フワフワの羽根を持った飛べない鳥。危険を逃れる手段が際立っている。フッと消えると、その後にフワフワの羽根が数枚浮かんでいる。そして別の場所にフッと現れる。{不死鳥にも同じ能力がある}
 おもしろいことに、かつてマグルはディリコールの存在に十分に気付いていた。ただし{ドードー鳥}の名で知っていた。ディリコールが思いのままに姿を消すことができるとは知らなかったので、マグルは乱獲によってこの鳥が絶滅したと信じる。このことが、無差別に生き物を殺すことは危険だと言うマグルの認識を高めたようなので、国際魔法使い連盟は、ディリコールがまだ生存していることをマグルに認識させるのは適切ではないとしてきた。】
 以上、ホグワーツ魔法魔術学校指定教科書。オブスキュラス・ブックス刊 『幻の動物とその生息地』(ニュート・スキャマンダー著)より引用。

 鍋は小さいのが五つ買ってあるから、このうちの三つに基本の柚薬を分けてそれぞれを混ぜ込めばいい。今から作業しても30分と掛からずに済ませられるだろう。
 まる一晩かけて煮込めば、柚薬は真に完成する。最初の空いてる時間、は二日後だから十分に間に合う。
 その最初の日に杖材に柚薬を塗る。
 一種類の柚薬を一回だけ、二回重ね、三回重ねしたもの9本。
 実質的なことを言えば、一回塗り、二回重ねはほとんど反応らしい反応を示さないはずだった。
 オリバンダー翁の若い頃、新しい柚薬を作った魔法使いがいきなり三回塗りで試し振りをしたところ杖が爆発し、腕を吹き飛ばす事故があった、と話してくれていたので、それを防ぐのが目的だった。
 一回塗り、二回重ねのうちから強い反応を示すようなら、そうなる確率が高い、注意が必要というわけだ。
 次に二種類の柚薬を順番を入れ替えながら塗ったもの6本。最後に三種類の柚薬で同じことをしたもの24本。
 全部で39本、一本一本にどんな処置をしたものかを示す札をつけて作業は終わる。
 徹夜しなければならないかも知れないが、一晩あればなんとか終わるだろう。
 そのまま乾燥するのを待って、二回目で性能をテストする。乾燥には一週間あれば足りるから・・・。
 「うん、大丈夫! 間に合うよ。今すぐに下準備する必要があるけど」手伝うつもりで手にとっていた羊皮紙の束をルビーに返して、ウィルは立ち上がった。
 一足先に寮に戻らなくてはならない。二人に付き合った後では遅くなりすぎる。
 おやすみを言って、寮に戻ろうとしたウィルにキャロルがなにか言いかけようとしたが、予期していたウィルは振り向きもせずにその声を遮った。
 「遅くても30分で終わるから、心配しなくていいよ」

 クィディッチの最初の試合は、生徒のほとんどが満足の行く結果で終わった。満足しなかった一部(全校の四分の一)の生徒がなにものかをあえて言う必要はないだろう。
 観戦すること自体はどんなスポーツであれ、嫌いではないウィルもこの一試合だけでクィディッチがなんでこんなに人気があるのかを理解した。
 スピードだった。特にシーカーと呼ばれるポジションの選手は見てるほうが目を回すくらい早く飛ぶ。それにブラッジャーの存在だ。
 チェイサーがクアッフルを投げあい、ゴールするだけなら空飛ぶバスケットに過ぎないが、そう思っていると突然ブラッジャーが襲いかかってきて、ピーターがすかさず打ち返す。
 一つのフィールド内でいくつもの動きが複雑に、かつ巧妙に絡み合いながらゲームが展開する。観衆が退屈する暇がないのだ。
 野球のように区切りだらけではなく、サッカーや他の球技全般がそうなようにボール一つを目で追っていれば試合展開がわかるほど単純でもない。
 ウィルは生まれて初めてスポーツに熱中し、何日間も興奮から覚め切れないままになった。
 そんなだから、16日の朝。目を覚ましたとき、ベッドの脇に置いてあるカレンダーが赤い光で点滅しているのを見ても、それが何を意味するのかすぐには思い出せなかった。
 ようやく思い出すと、ウィルはローブのポケットから大慌てでキャロルの作ってくれた『復習予定表』を引っ張り出し、時間を確認するためにページをめくった。
 そして安堵のため息を吐き出した。ここ数日そうだったのだから、もうわかってはいたことだが、七時から九時の時間帯は夕食と入浴の時間ということで予定が入っていない。
 夕食を大急ぎでかっ込み、入浴をさぼればなんとか礼を欠かない程度には出席できる。
 朝食をとっている最中、ウィルはルビーとキャロルに夕食の時は一緒にいられないことを告げた。
 「なんで?」ルビーが無邪気に聞き返すので、ウィルは『絶命日パーティー』に招かれたことを教えた。
 二人とも、驚きで目を丸くした。
 「生きてる人が招かれることってすごく希なのよ」
 「って、いうより。招待されても行く物好きはあまりいないんだよ。生きた人間が行って楽しいとこじゃないから」
 二人とも、ウィルが招待されたことよりも、その招待を受けたことに驚いているらしかったが、直後にはウィルの方が驚いた。二人ともウィルについて行きたがったのだ。
 招待されていないものをつれていくのがいいこととは思われなかったので、初めのうちウィルはいい顔をしなかったが結局二人がついてくることを承諾した。
 そんなわけで、この日はやたらと早く時間が過ぎていった。『魔法史』の授業が眠くならないうちに終わったことでもそれがわかる。
 『変身術』ではそれが裏目に出て、ゴブレットに変えるはずのネズミがなぜか緑色の気味の悪い毛玉になってしまって、どうやっても戻せなくなってしまった。
 そのために、ウィルだけが『変身術基礎理論』の長いレポートを書く宿題を出されてしまったが、それ以外は概ね平和な一日だった。
 幸いなことに、今日は『魔法薬』の授業がなかったのだ。
 だけど、残念なことにスネイプの顔をまったく見ずに済む、というわけにも行かなかった。
 この日最後の授業だった『妖精の魔法』のあと、パーティーに向かうため急いで歩いていたところで不運にも出くわしてしまったのだ。
 スネイプはクラッブとゴイルに魔法薬の教材を運ばせているところだったが、三人を見つけるといつもの冷たい微笑みを浮かべ、代わるように命じてきたのだ。
 「レイブンクローにも、点数を稼ぐ機会を差し上げよう」
 というのがその理由だったが、クラッブとゴイルにはそれぞれ10点づつあげておきながら、ウィルたちには三人で五点しかくれなかった。
 どう考えても運んだ距離は二人より長かったし、一番やっかいな地下への階段もウィルたちが運んだというのに、だ。
 もっともスネイプに出会って減点されずに済むだけでも奇跡に近いのが普通だから五点も貰えた、と思うべきなのかも知れない。
 「置場所にはそれぞれラベルが貼ってある。文字を読むこともしらんというのでなければ、わかるはずだが?」
 文字のかすれたラベルを、ほとんど推測で読みながら教材を並べる後ろでスネイプが意地悪く囁くのを努めて聞き流して、なんとかきちんと並べ終え、ようやく解放されたのは六時四十五分だった。
 「あら、ミセス・ノリスがそっちに言ったばかりよ。気をつけなさいな」昼食時にキャロルがバスケットに詰め込んでおいたサラダサンドや鳥の足にかぶりつきながら廊下を急ぐウィルたちに親切な絵、窓辺に座って編み物をする老婆の絵だった、が警告してくれたので三人はその場に立ったまま食事を済ませ、ミセス・ノリスに合わないよう、ゆっくりと城の裏手に出るための廊下を進んだ。
 廊下で飲食をすることをフィルチが認めるはずがなかったし、猫の嗅覚をごまかせる自信もなかったから。
 それでも、スプラウト先生の温室の前に着いたとき時計の針はまだ六時五十五分を指していた。
 どっちへ行けばいいのかと辺りを見渡していると、あの大きな目がウィルたちを見つけてくれたらしく、すぐにゴーストが二人迎えに出てきた。
 いつものように覗き屋トムが頭上を旋回し、風穴テリーが温室の向こうの林でウィルたちを手招いている。
 テリーの後ろについて行くと林の奥に続く小路があって、その先に苔むした石造りの、教室の半分くらいあるかどうかな小さな建物があった。
 半分朽ちかけた木の扉を開けると、大方の予想通り、地下へと伸びる階段が黒々とした闇の中でウィルたちを待っていた。
 「ルーモス、光よ」三人同時に杖を取り出し、呪文を唱える。依然とは段違いに明るい光が足下を照らし出した。
 三人は互いに無言のまま階段を下りはじめ、口を開かなかったのが正解なことを実感した。
 黴臭く埃っぽい、湿って淀んだ空気が顔や髪にまとわりついてくる。口を開けていたら、咳き込むことになったであろうことは確実だった。
 さして長くもない階段を下り切ったのとほぼ同時に沈痛とは無縁そうな声が、精一杯沈痛な面持ちで挨拶するのが聞こえてきた。
 「本日は私、レイチェル・クラッグのため、多数の来席を賜り光栄の至り、まこと感謝の言葉もございません。今宵は思う存分、歓談をお楽しみください」
 三人は、レイチェルの言葉がいささか的からずれている、と思わずにはいられなかった。 歓談、しかできないはずなのだ。
 ほかになにをすることもできない。なにやら食べ物らしきものがテーブルに載せられてはいたが、ゴーストたちが食べたり飲んだりできないことは周知の事実だ。
 「ノックス、消えよ」つけたときと同じく、三人は同時に杖先の明かりを消した。会場内は所々にろうそくが灯され、何かにつまづいたりしなくてすむ程度には明るかった。
 ようやく会場内に足を踏み入れたウィルたちは、会場の広さにまず驚いた。城の大広間とほぼ同じだけの広さに何百ものゴーストが思い思いに浮遊している。
 「今宵は珍しいお客様もお見えになっています。石の町、『マドゥール』より『石棺のワーム』さんです!」
 やおらテンションを上げ、レイチェルが紹介すると会場内のゴーストたちがざわめいた。
 レィチェルの紹介とともに壁を擦り抜けて現れたのは、身の丈二メートルは優に越えるであろう筋肉質の大男だった。
 ハグリッドより一回り小さいが、それでもウィルたちにしてみれば大きいことにかわりはない。
 「うわぁ、熊さん」というのはルビーの感想だが、ウィルにしてもキャロルにしても受けた印象は同じだった。
 体の大きさばかりでなく、目に付く部分全ての肌が縮れた毛で覆われいるのが、その印象を強めていた。
 「ここ二十年ほどは町から一歩もでなかったに、どういう風の吹き回しかのぅ? まぁ、ゴーストにゃ二十年も二日も大した違いはないがな」
 前のほうにいる皺くちゃな老人のゴーストが独語にしては大き過ぎる声で呟くのが聞こえた。きっと耳が遠いのだろう。
 「あの人、そんなに有名なんですか?」ゴーストたちが随分と興奮気味に囁いているので、ウィルは近くにいたゴーストに話しかけた。
 そのゴーストがウィルに向き直った途端、ウィルは話しかけたことを後悔した。ちょっぴり個性的なゴーストで頭が三つあったのだ。
 「今を去ること数百年、とある田舎のある町で、怪しき病の広まりたり、 病を癒せしものなきて、やむなく町を石とせり」
 「それから幾歳過ぎたるも、石の呪いは解けずあり」
 「いまなお続く石の町、ワームは彼の地を護なり」
 個性的なのは頭の中身もなようだ。三つの頭が順番に分かりずらい表現を駆使して答えてくれた。
 「『三つ頭のトータルス』に話しかけるとは、豪気な若者じゃ」さっきの皺くちゃな老人のゴーストが振り返って相好を崩した。
 「ようするにじゃな、何百年か前に病気の蔓延した町があったんじゃ、治療できなかったもんで石化したわけじゃ。その石化の魔法は今なお健在での、ワームはその町に盗人やら何やらが入り込むのを監視する役を自らに科しておる。ということじゃよ」
 わざわざ解説してくれたゴースト、『しわしわ面のヤヌス』という名だそうだ。に、礼を言ったあと、ウィルの脳裏でなにかが引っ掛かった。
 なんだろう、と考えに沈んだのだが、答えを確認しえないうちにルビーの叫び声で現実に引き戻された。
 「あー! これ『ユニクル・ターナー・チーズ』じゃない? おじいちゃんの大好物だよ」ルビーが指さしたのは、テーブルの真中辺りに鎮座したカビの塊だった。
 中は確かにチーズらしい感じもするが濃い緑色が苔のように厚く周囲を囲んでいる。
 「これ、食べられるの?」暗に、食べ物には見えない、とキャロルが聞き返す。どう見ても食べる時期を遙か昔に過ぎたと、思わざるを得ない品だった。
 「ユニコーンのミルクが使われてるから、食べられなくなるほど腐ることってないんだよ。このカビの香りがワインにすこぶる合う、っておじいちゃんが言ってた」
 ブルーチーズの進化版というとこなんだろうけど、ウィルにもキャロルにもちょっと理解しがたいものがあった。チーズというよりカビそのものとしか見えない。
 「よろしかったら、お持ちください。私どもは風味を感じることはできても、食べられるわけではありませんので」いつのまにやってきたのか、三人の真正面に立ったメイド服姿の、少し垂れ目がちなゴーストが囁くように言った。
 「いいの?」喜色に輝くルビーの声に静かにうなずき返し、そのゴーストはさらに言葉を続けた。
 「ほかにも御入り用なものがありましたらお持ち下さって結構です」
 「タダってわけじゃないんでしょう?」探るような目をして、キャロルが聞いた。警戒しているのがはっきりとわかる。
 「エルフリダ、そっからはわたしが言うわ」メイド服のゴースト、エルフリダというらしいが、その背後からパーティーの主役がかなり真剣な顔であらわれた。
 ほかの列席者たちは、『勝手に演奏する楽器』たちの奏でる物憂げな音楽にのって、ダンスに興じている。
 レィチェルはしばしウィルをじっと見つめ、誰もが予想しなかった言葉を発した。
 「わたしの家に住まない?」
 あまりに唐突な申し出に、ウィルはしばらく頭の中が真っ白になってなにも考えられなくなった。
 「どういうこと?」そんなウィルの代わりにキャロルが問い質している。
 「百八十年くらい空き家になってるから、誰かに住んでほしいなって」
 なんとなく、含みのあるように感じる答えが返ってきたためにさらに疑惑を感じたようで、キャロルは矢継ぎ早に質問を吐き出した。
 なぜ百八十年も誰も住まずにいるのか? なんで今? なんでウィルなのか? レイチェルは答えなかった。
 執拗に言葉を濁し続けている。
 「物件をこの目で見ないうちは返事のしようがないよ。クリスマス休暇の時にでも案内して」
 キャロルのおかげでなんとか自分を取り戻したウィルが、埒のあきそうもない議論に終止符を打つべく正当な要求を出した。
 ウィルの要求に、レイチェルはエルフリダとしばらく目を見交わしていたが結局は承諾した。
 あとで、地図を送ってくれると言う。
 「忙しいクリスマス休暇になりそうだ」




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