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ビストロフの橋
第15章「なぞなぞ館の呪い」
翌日の朝、ウィルは奇妙な感覚を抱えながら過ごす羽目に陥った。
バスと地下鉄を乗り継いでロンドン市内を目指して。ごく普通に服を着てごく普通に町を歩く。大量生産されたジーンズとジャケット、どこにでもいるマグルとしてマグルの町を歩いている。手に持った『七つ鍵のトランク』が唯一魔法世界の接点となっていた。それと、ジャケットの袖口に隠した杖も。
ほんの半年前までやっていたことをしている[だけ]のことなのに自分でも不思議なほど奇異に感じてしまっていた。
それだけ、魔法世界になじんだ、ということなのかもしれない。
それでも、魔法界での生活よりもマグルの生活のほうが長いのは確かだったから、ルビーのおじいさんにもらった地図を迷うことなく踏破することができた。
「・・・・・」
踏破することができた、そう考えた後ウィルはもう一度地図を見つめた。紙が透けて見えるようになりそうなぐらいに集中してルートを何度も確認する。かなり長い間そうしていてようやく確信を得たウィルは目を上げて現状を見た。
かなりみすぼらしいオフィスが数件と、パブが一軒、それにゴミのあふれた大型ゴミ容器がひとつ。魔法とも政府の重要な役所とも絶対に無縁な場所にウィルは立っている。
軽く首を振り肩をすくめて、ウィルはもう一度地図に目を落として次に何をするのかを確認した。
[人一人が入るのがやっとのガラス張りの建物に入って、中にある小箱につながったケトルの取っ手のようなものを持ち上げる。小箱の表面にあるルーレット盤みたいなものの数字の部分に指を入れてこれを回す。数字は62442。後は聞こえてくる指示に従う]
はっきり言って意味不明だったが、周囲を何度か見渡してみてそれらしいのを見つけると今度は不安でいたたまれなくなった。
確かに人一人入るだけのスペースしかないガラス張りの建物がある。
赤い電話ボックスだ。ただし、使えるような代物ではなかった。ガラスは何枚か抜けているし、壁は落書きだらけ、それでもと足を踏み入れてみれば電話機が壁から外れかけて斜めになりながらかろうじてとどまっている。
それらを勤めて無視し、ウィルは普通の行動をした。受話器を持ってダイアルしたのだ。
ダイヤルが滑らかに回転し終わると、習慣で耳に当てていた受話器からではなく、電話ボックスの中から、落ち着き払った女性の声が流れてきた。まるですぐ横に姿の見えない女性が立っているように、大きくはっきりと聞こえた。
「魔法省へようこそ。お名前とご用件をおっしゃってください」
「えっと・・・・ウィリアム・ゴールドマンです。魔法生物規制管理部霊魂課権利管理室での手続きに来ました」
地図と一緒に握り締めていたメモを取り出して読み上げる、ややこしい単語の羅列を間違いなく言い終えたことに少なからずほっとした。
「ありがとうございます」落ち着き払った女性の声が言った。「外来の方はバッジをおとりになり、ローブの胸にお付けください」
かチャ、カタカタと音がして、普通ならつりが出てくるコイン返却口の受け皿に、何かが滑り出てきた。拾い上げると銀色の四角いバッジで[ウィリアム・ゴールドマン 一般外来]と書いてある。ウィルはコートの胸にバッジを留めた。また女性の声がした。
「魔法省への外来の方は、杖を登録いたしますので、守衛室でセキュリティ・チェックを受けてください。守衛室はアトリウムの一番奥にございます」
電話ボックスの床ががたがた揺れたと思うと、ゆっくりと地面に潜りはじめた。ボックスのガラス窓越しに地面がだんだん上昇し、ついに頭上まで真っ暗になるのを、ウィルははらはらしながら見つめていた。何も見えなくなった。電話ボックスが潜っていくガリガリという鈍い音以外気何も聞こえない。
実際はどうだか知らないが、ウィルには数時間にも感じられる時間が過ぎ去った。一筋の金色の光が差し込み、足元を照らした。光はだんだん広がり、ウィルの身体を照らし、ついに、ぱっと顔を照らした。
「もう少し、ましなやりかたはなかったのかな?」目をこすりながら、ウィルは思わず非難の声を上げた。
「魔法省です。本日はご来省ありがとうございます」女性の声が言った。ウィルの呟きにこたえる気はなさそうだ。
電話ボックスの戸が開く。ウィルは大急ぎで外に出た。地面に潜る箱なんて棺おけだけで十分だし、ウィルとしてはそんなものに入るのは100年先でも遠慮したいことだった。
「をいをい」そう囁いて、ウィルは小さく頭を振った。
そこは長い豪華なホールの一番端で、黒っぽい木の床はピカピカに磨き上げられていた。ビーコックブルーの天井には金色に輝く記号が象嵌され、その記号が絶え間なく変化して、まるで空にかかった巨大な掲示板のようだった。
両側の壁はピカピカの黒い木の腰板で覆われ、そこに金張りの暖炉がいくつも設置されていた。が、両側一つづつを除いてすべての暖炉は金色の鎖が張られて封鎖されていた。
ホールをゆっくりと進む。中ほどに黄金の立像があるのを見つけて足を止めた。魔法使い、魔女、ケンタウロスと小鬼、そしてよくわからないが耳と目がやたら大きな生き物の像が並んでいる。どうやら本来は噴水であるらしい、魔法使いが掲げた杖やケンタウロスの矢尻、小鬼の帽子、へんな生き物の両耳に穴が開いているのが確認できた。
だだっ広いだけのホールを唖然として見渡す。あまりにも人気がなさ過ぎる、なんと言うか・・・この状況を形容するのにぴったりなイメージが脳裏に浮かぶ。数秒の間があって、ウィルはそのイメージこそが答えなことに気がついてうなずいた。「クリスマス休暇中なんだ」。脳裏に浮かんだイメージは休日の学校だった。
きっと平日には大勢の人たちが行きかう雑然とした空間に変貌を遂げるのだろう。
そうとわかると、ウィルはもうホールには一瞥もくれずに奥へと進んだ。誰もいないホールになんて用はない。
左のほうに【守衛】と書かれた案内板を見つけた。その下の机にビーコックブルーのローブを着た無精ひげの魔法使いが座っているのが見えた。灰色の毛布がその身体のほとんどを覆っていたので人がいることに気づくには相当意識して目を向ける必要があったのだ。
ウィルはわざと大きく靴音を立てながら近づいたのだが、守衛は完全に眠っているらしく目を開ける気配すらなかった。「あのー・・・」遠慮がちに声をかけると、ようやく目を半分ほど開けてウィルを見詰め。口の中でなにか呟きながら机の脇に置いてある金色の棒を横目でにらみつけた。そして、まるで汚いものでも見たような顔になるとそっと目を閉じて『いやなことは忘れるに限る』といわんばかりに顔を背けた。
「杖」金の棒のことは無視した彼は、毛布に包まったまま眠そうな声を取り繕うともせずに言って、机の上の奇妙な真鍮の道具を目で指し示した。その皿が一つしかない秤のような道具にウィルが杖を落とすと、道具が震え始め、台のところから細長い羊皮紙が出てきた。守衛はそれを確認すると再び椅子にもたれて目を閉じた。
「ありがとう」一応礼を言って、ウィルは杖を拾い上げホールの奥のほうへと向かった。金色のゲートがあり、それをくぐると小ホール。さらに向こうには二十機ほどのエレベーターが金色の格子越しに見えた。もっとも真ん中の二台を除いては格子に鍵がかかっていて停止状態だったが。
エレベーターに乗り込み、四階のボタンを押す。面白いことに、エレベーターは外見はともかく中はマグルのオフィスビルにあるものとまったく同じつくりになっていた。偶然なのか、設計者がまねをしたのかどっちだろう、などと考えているうちにエレベーターが止まった。
四階もホールと同様ピカピカな黒い木の壁と床になっていたが天井はクリーム色で照明も兼ねているのだろう全体が淡く光っていた。エレベーターからまっすぐ伸びた通路の奥には巨大なドラゴンの描かれた絵が飾られていて、見ている間に二度も火を吐いた。
ボーン、ボーン、ボーン・・・・・。
突然後ろから大きな音が聞こえて、ウィルは飛び上がって振り向いた。エレベーターの上に、なんのことはない大きな振り子時計があって九時を指していた。
指定された時間よりも一時間も早く到着したことになる。よくあることだった、待たせるのがいやで約束をすると必要以上に早く行って待つことになる。そんなウィルにとっては一時間早く着いた、というのは『少し早かったな』ぐらいの感覚でしかない。
ありがたいことに時計の横に案内板があった。碁盤状に区切られた部屋の中から目的の場所を探す。目的地である魔法生物規制管理部霊魂課権利管理室というのはまっすぐ進んで三個目の横路から左に曲がって右側の四つ目の部屋だった。ケンタウロス課と屋敷僕妖精転勤室に挟まれた部屋だ。さらに奥、ドラゴンの絵がかけられているところから左へ行った所に休憩場があるのを見つけ、まずはそこに行くことにする。
ウィルには早く着いたからといって、指定された時間より一時間も早く訪ねる非礼さの持ち合わせはなかった。
休憩所ははっきり言って狭かった、【隅っこ】という形容詞がぴったりのところに申し訳程度にソファとテーブルがおいてある。ただ、そこには本来あるはずのない窓があって、どこかの南国の海が眼下に広がり、真夏の日差しがソファを暖めていた。
その陽だまりにウィルは腰掛け、ほっと息をついた。まだ少し熱があるらしい。
ソファに深く腰掛け、ぼんやりと天井を見上げたウィルの視界の隅で動くものがあった。何とはなしに視線で追ったウィルはそこで初めて両方の壁にポスターが張られていることに気がついた。大半は古いもので色があせているものすらある。
【善人も悪人も、金があるならいらっしゃい、秘密もお金も守ります。絶対確実グリンゴッツ銀行】らしいといえばらしいがキワドイ謳い文句が並ぶグリンゴッツ。
【手の平の上から始まる世界旅行「扉の向こう」いよいよ出版】世界中の名所が浮かんで消えるR&A出版の広告。
【日々の幸せは健康から、定期健診を受けましょう】妙に色っぽい魔女が無意味に腰をくねらせながら微笑んでいるのは聖マンゴ魔法疾患傷害病院。
【魔法絵にも住居選択の自由を】どこかに運ばれていく古風なマントに身を包んだ男の絵がニタニタと笑っている写真入り。魔法省魔法絵架け替え室。
【地元チームを応援しよう】何人もが箒で飛び交う。魔法省スポーツ課クィディッチ振興会。
・・・・・・・・。
ウィルは呼吸を止めた。目を見開き、顔を青ざめさせて視線を一つ戻す。
相変わらず、男の絵がニタニタと笑っている。だが、それはマグルでも魔法使いでもなかった。吸血鬼だったのだ。
つばを飲み込み、ゆっくりと写真の横に小さな字で書かれた説明文を読んだ。【写真は希望によりミルボーン・クリストファー氏の元へと運ばれていく『丘の上の棺おけ』】。ここでウィルは自分が卒倒しそうになるのを必死にとめなくてはならなかった。
『ただの事故にしては、母親の錯乱ぶりが激しすぎると思うの。20年たっても正気に戻っていないってのも引っかかるし』
キャロルの言葉が思い出される。
もし、そうだとするなら…。
「ウィリアム・ゴールドマンかい?」戦慄の走り抜けた体を強ばらせて立ち竦むウィルにしゃがれた声が話し掛けた。
「あ……そ、そうです」数秒、反応の遅れたウィルが慌てて応える。
「感心な若者じゃ、時間より早く来て待っておるとわな。孫にも見習わせたいものじゃて」
「ナンシー・ハサウェイ さんですか?」名前から女性をイメージしていたウィルは戸惑いを隠しきれないまま問い返していた。
「まさか! 室長は出張じゃよ。わしはトムじぃさんじゃ、ただの留守番じゃよ」ただの、などと言いつつトムじぃさんは自慢げに自分の経歴を話しだした。
入省当時には魔法警察で活躍し、魔法大臣の警護室長を経て魔法犯罪対策室国外課課長に抜擢。子供が産まれてからは魔法物品事故防止・監視部部長として次々と生み出される魔法のかけられた物品の審査を行ってきた。その後もいくつもの役職を歴任し、今では魔法省のほぼ全てを知り尽くした生き字引として知られる存在となっている。
「そんなわけでな、誰も居ない魔法省で留守番をするには重宝なじじぃなんじゃよ。わしは」ようするに便利屋と化しているわけなのだがトムじぃさんには高い地位よりも他人に頼られる立場のほうが誇りなのだろう。
「『お飾り』じゃない、『日用品の人』なんですね」理解はいまいちできなかったが、実感はできたウィルが微笑むとトムじぃさんも相好を崩した。
「あの、このポスター頂くわけにはいかないでしょうか?」
「んー…なんじゃ? こんなもん、まだ貼られとったのか。発足後半年で消えた部署だぞ」呆れたように笑いながらトムじぃさんはポスターを剥がしてくれた。
「聖マンゴのほうがいいんじゃないかね? なんなら全部でもいいぞ。…グリンゴッツのには触らんほうがいいがな」朗らかに話ながら聖マンゴのも剥がして、クルクルと丸めてくれた。
「グリンゴッツに関わりのあるものには気を付けなきゃいかんぞ」必要以上にグリンゴッツのポスターから離れて行動するのを見て、かすかに笑ったウィルにトムじぃさんは真顔で注意した。ポスターの小鬼の顔に落書きした子供の顔にまったく同じ痣があらわれ、それを消してもらうのに子供の両親が、数万ガリオンもの和解金をグリンゴッツに払う羽目になったことがあるのだという。
いかにも『ありそう』な話に瞬時に笑いを消したウィルを愉快そうに眺めやり、ついてくるよう手招いて歩きだした。ついていった先は、『魔法生物規制管理部霊魂課権利管理室』。そこは古い羊皮紙に埋め尽くされた小さな部屋だった。
「さてと、まずはこれを渡しておく。あぁ、ケースはまだ開けんでくれよ」渡されたのは透明な箱に入った古めかしい大きな銅の鍵だった。全体に緑青が浮き上がっている。
「あとは受け取りと、権利証へサインをすれば手続きは終わりじゃ」
「あの、税金とかの支払いってどうなるんですか?」もらうのはいいが、維持費を負担する経済力なんてないウィルが、指し示された書類を前に頼りなげに問い掛けた。
「心配せんでいい。2303年までの分は支払済になっとる」トムじぃさんの話によると、何百年だか前に一括で支払いがなされていて、そのおかげでゴーストであるレイチェルに権利が派生しているのだそうだ。
そうでなければ、とっくに魔法省に没収されているところだという。
「ということは、僕自身にはなんの負担もかかってはこないということですか?」そんなうまい話があるのかと、なにか胡散臭いものを感じて問いただすと、トムじぃさんは首を振った。
「そう簡単にはいかんよ。残念ながらな」これまでとは打って変わって気遣わしげにウィルを見つめたトムじぃさんが身振りで、先程渡したケースを開くよう示した。
「その鍵はな『ボートキー』じゃ」ある定められた場所へと人を運ぶ移動手段の一つらしい。姿くらましが使えれば必要ないのだが、使えないウィルには便利な道具というわけだった。
「数百年前に時の所有者が作って、代々受け継がれていたものじゃよ。便利なことに鍵の部分に触れると、これから案内する場所、柄の部分に触れるとダイアゴン横丁の離れに行くことができる。離れと言っても小さな小屋でしかないがな」
トムじぃさんの言葉が途中で途切れた。ケースを開けたウィルが何気なく鍵に触れてしまったのだ。トムじぃさんの言葉は聞こえていたはずなのだが、ついつい手が動いてしまっていたのだった。
へその裏を誰かに捕まれ、引っ張られる感覚のなかウィルはどことも言えない空間を飛んでいた。と、突然視界が開けて、ウィルは自分が森に囲まれた古い洋館の前に立っていることに気が付いた。
蔦の這った白い壁、大きな出窓、空色のトンガリ屋根の三階建ての立派な『お屋敷』を見上げてウィルはしばし我を忘れた。何百年も前の物だというから薄汚れ、場合によっては倒壊寸前のボロ屋を想像していたのだ。
バシッ!
「便利じゃろ?」姿あらわししたトムじぃさんがウィルの肩を笑いながら叩いた。
「こ、これが僕・・・の?」
「ものになるんじゃよ。・・・いや、なるはずと言っておこうかの」はず、とはどういうことだろうかと怪訝な顔をしたウィル。そのウィルを近くの岩に座らせ、木の幹に背をあてたトムじぃさんはゆっくりとした口調でこの屋敷の秘密を語りはじめた。
250年前、魔法界の上流家庭では暇なときの退屈しのぎに使える魔術が、持て囃された時期があった。その当時、もっとも人気を得たのが『なぞなぞ館の呪い』だ。名前のとおり、館の中でなにかしようとするたびになぞなぞに答えなくてはならなくなる呪い。
通常、この呪いは掛けた本人の知性以上の問題が出されることはなく、合い言葉一つで効果が消える。呪いが掛けられたままになることはありえない。
「じゃが、なぜかこの屋敷の呪いだけは解かれないまま残されたのじゃ」もちろん残したくて残したわけではなかった。その理由は不明だか、呪いを掛けた本人が姿を消し、合い言葉を口にする者が居なくなったのだ。それでも、呪いを解く方法はある。
館のどこかにある『 ジェイクスのなぞなぞ本』という本を探しだし杖で三度叩けばいいのだ。それによって呪いが解かれ、この屋敷が晴れてウィルのものになる。
「つまり、『呪いを解く』ことが今まで誰にもできなかったからほったらかしになっていたんですね」ようやく、レイチェルが自分を選んだ理由に合点がいったウィルは思わず叫んでいた。あのなぞなぞ攻撃はいわば適性検査で、レイチェルは呪いを解くことのできる者を探し続けていたのだ。
何十年も。
「ま、そういうことじゃ。頑張りなされ、ここのなぞなぞはかなり手強いぞ。わしはもう帰るからの」トムじぃさんはウィルの手をとり、暖かな握手を交わすと姿をくらました。
「さて、と」屋敷に向き直り、ゆっくりと歩きだす。前庭へと続く格子状の鉄扉が軋みながら開き、新しい主人を迎え入れた。『問題!』玄関に立った所で、どこからともなく聞き慣れたフレーズが投げ掛けられた
『お花のように開くけど、動物みたいに骨がある。私はだぁーれ?』少し緊張していたウィルだったが、問題を聞き終えたとたんホッと息を吐いた。この程度の問題ならレイチェルの方が難しいくらいだったから。もちろん、全部の問題がこの程度のレベルというわけでもないだろうけど。
「傘」音もなく玄関ドアが開いて、少し黴臭い空気がウィルを包んだ。ひるみかける自分を叱咤して、ウィルは初めての一歩を踏み出した。
「またか・・・」目の前に玄関ドアが立ちふさがっている。
六度だか七度だかめの光景に思わず拳を握った。さすがに百数十年ものあいだ誰にも解くことができなかったというだけあって一筋縄ではいかないものらしい。
「レイチェル風のばかりならなぁ」楽なのに、ため息を吐き恨めしげにドアを睨み付ける。なぞなぞの出題方法というか、表現方法が多様多彩で解答法の切り替えが追い付かなかったのだ。
『黒犬と白犬、それに灰色の犬。三頭が競争しました。一位はどの色の犬でしょう? ヒント、二位は灰色でした』ほとんど二択の問題、これがいま答えられなかった問題だ。どちらかを答えれば当たったかもしれないが、考えているうちに『振り出し』に戻されてしまった。
「答えは・・黒だ!」色の頭文字、黒のB、白のW、灰のG。アルファベット順ならGが二番でBが一番。単純明快だ。
「・・・はぁ」大きく息を吐きだし、肩をすくめるとウィルは鍵の入ったケースを開いた。柄の部分に触れる。百数十年ものあいだどうにもならなかったものが今日一日で解決できるはずもない。出直すべきだった。ダイアゴン横丁にあるという『小屋』、がどんなものなのかもわかっていない。日の高いうちに行って、調べる必要もあった。
薄暗い部屋。舞い上がった大量の埃をすかしてかろうじて、幾筋かの光が確認できる以外、見えるものはない。
「ルーモス、光よ!」左腕の裾に入れていた杖を取り出して、呪文をつぶやく。
以前より明るくなった灯りが杖先にともった。当たり前だけど生活感のないガランとした空間。床は板張りだったが柱や壁は石造りらしくて、時の流れを感じさせてはいても歪みなどは見られない。もう二百年は崩れる心配をすることはなさそうだ。
窓もなくてドアが一つだけ見える。それが外界とのもう一つ、もう一つだけの接点ということになりそうだ。ドアの横に錆付いた鉄の鍵が吊されているのを見付け、手に取ると鍵を開けて外に出た。
少し離れたところに立つ錆の浮き出た街灯に街の番地が刻まれている。
ダイア弧線横丁九十三番地。
意外にもそこはダイアゴン横丁のメインストリートの前、というわけにはいかなかったが、そこそこの立地と言えた。ポスターで隠されたさえない店頭が並んでいるとはいえ間違いなく商業用の土地だったし、他のどの店よりもウィルの後ろにある建物は大きくしっかりしている。
「レイチェルってお嬢様だったんだなぁ」あの邸宅に立地条件のよい離れ、さらには数百年分の税金をまとめて支払う豪気さ。相当な金持ちだったに違いない。
「・・・だからこそ、か」ふっと真剣な顔をしたウィル。挑むような目を虚空に向け、重々しく歩きだした。いくつか確認する必要がある、まずは図書館へと向かわなくてはならない。そこで確信が持てたなら、マゼンダにまた協力を頼まなくてはならなくなるだろう。そして、その結果が推測と合致するようなことになれば、もはや後戻りはできなくなる。
「じゃ、始めるわよ」マゼンダの部屋。前の時より張り詰めた空気の中で、マゼンダの緊張した声がウィルの背中を押した。かすかに震える手が目の前に置かれた大きな風景画へと伸びる。
直後、ウィルの姿は絵の中あった。
ウィルの中である仮定が生まれていた。その仮定が真実になりえるかどうか、確認するべく実験をしようとしているのだ。
「どう?」
「悪くないですね。周りにあるものが全部絵なことには違和感を感じますけど、それだけです」
辺りを見渡し、自分の考えに自信を持ったウィルがしっかりした声で応え、マゼンダに実験を進めるよう促す。『絵になる薬』、は人以外の物も絵にすることができるのか。答えはすぐに出た。毛布、椅子、インク壺、羽ペン、羊皮紙、果ては煎れたばかりの紅茶がティーセットごと絵の中に取り込まれてくる。
それらを手にとってウィルは感触を確かめ、羽ペンで文字を書き、紅茶を飲み干す。なにもかも、現実世界とかわらない。ただ、周りの風景だけが間違いようのない『絵』なだけだ。
「・・・ふう」ため息が漏れる、ウィルの仮定が正しいことが証明できたわけなのだが、とても喜べるものではなかった。この瞬間サマンサのことも謎なぞ館のことも、ウィルの手の出せる問題ではなくなったのだ。
「どうすれば・・・」現実世界へと戻ったウィルは頭を抱えて部屋の隅に座り込んでしまった。
「とりあえず気晴らしに買い物にでも行ってきなさい。薬が届いたみたいだから」ウィンクをして微笑むマゼンダの肩越しに、勢い良く開け放たれるドアと元気に駆け込んでくる赤い髪が見えた。
「ウィル、元気ぃー?」
「ちょっとルビー、ウィルは風邪引いてるのよ。ドアを開けっ放しにしちゃダメじゃない」突風と一緒に飛び込んできたルビーとあとから入ってきたキャロルが慌ててドアを閉めている。
「ルビー、キャロル。どうして?」
「風邪ひきさんには魔法薬よりも、こっちの薬が効くと思って私が呼んだのよ。名前も知らなかったから探すの大変だったけどね」してやったり、思いっきりニヤけたマゼンダ。ウィルには返す言葉もなかった。
「実はね、これからもう一人来客があるんだけど、紅茶とお茶菓子が切れてるの。買ってきて」マゼンダはウィルの手に3ガリオン握らせてコートを着せると有無を言わせずに外へと押し出した。
「強引だなぁ」ぼやくウィルの顔が崩れている。ルビーやキャロルに会えたことがうれしかったのだ。
「お菓子なら任せて!」
張り切って先を行くルビーをウィルとキャロルは一瞬遅れて追い掛けた。
紅茶とお茶菓子を買い込んだウィルたちは寄り道したがるルビーを宥めながらマゼンダの家へ戻った。そして、マゼンダの言った来客が何者かを知り声もなく立ち尽くした。
テーブルに着いて紅茶を啜っていたのは痩せこけ弱ってはいても眼光鋭い初老の男だった。赤い髪と眼、カップを持つ手の爪も赤い。
ドライロッド『三つの赤』ことフレドリック・サンディス 、その人だ。
「死を待つだけの男に会いたがるのはどこの物好きかと思っておったが、お前さんか」ウィルに気付いてドライロッドはかすかに微笑んだ。
「こちらが誰なのか紹介する必要ないわよね」驚愕の表情のまま固まっている三人を面白そうに一瞥して、マゼンダはルビーとキャロルをドライロッドに紹介している。
「・・・とりあえず座ろう」我に返ったウィルが二人を促して席に付く。これから自分がすべきことがなんなのかに気付いて、どうしようもなく足が震えて立っていられなくなっていた。
全員が席につき紅茶の香が漂うなか、五人はしばしとりとめのない話をした。ルビーが学校の話をドライロッドに聞かせていたと言うのが、正確なところだったが。
「フレドリックさん」さすがのルビーも話すことを探すようになったところで、ウィルはフレドリック・サンディス に身体ごと向き直った。
「ドライロッドと呼んでくれんか。今ではこの名のほうが馴染んでおるからな」と、ドライロッドは笑った。ウィルがなにかを伝えようとしている、その緊張を解してやろうと思ったのかもしれない。
「実は僕達、サマンサさんのこと調べてみたんです」
「・・・」勢い込んで伝えたウィルの言葉を、ドライロッドは静かに受けとめた。わざわざ呼び出された理由を、彼なりに予測していたのだろう。先を続けるよう、そっと促す。
ウィルはときおりキャロルに補足してもらいながら自分達の調べたことを話していった。ドリーというのは人ではなく、人たる存在ではないかと考えたこと、絵だと思っていたのがゴーストの愛称だったこと。サマンサの会いたがっていた人が絵だということ、薬は絵になるための物だったこと、を。
「そこからはマゼンダさんの協力が不可欠でした」マゼンダに一度視線を向けてからウィルはさらに話を続けた。サマンサが薬を注文した可能性があることに気付いて、調査を依頼したこと。レシピそのままのような注文書が見つかり、マゼンダに調合を依頼したこと。そしてついに薬を完成させ、サマンサがなぜあんなことになったか推測することができたこと。その時点でサマンサを救う手が無いと判断したことを。
「・・・そうか」静かにドライロッドは目を閉じた。娘になにが起きたのか知ることができた、それだけでもここに来た甲斐があるというものだ。なにも知らぬまま終わるよりは。
「ですが、僕らは考え違いをしていたのです」薬のことを知らせていなかったキャロルとルビーに目で謝り、ウィルはついに確信へ迫る話をしはじめた。
「ここからは僕の推測になります。状況証拠はありますけど確証は得ていないので・・・」
1747年、エルンスト・レーナーが絵になる魔法薬を発表した。
この発表当時、世間ではさほど関心を持たれなかった。絵のなかに入れる、というだけにしては薬の材料が高価すぎたのだ。だが、一部の金持ちたちにはいい退屈しのぎになる。
金持ちたちはこの時期、争うようにして海外から魔法絵を輸入した。(『輸出入品目の推移』貿易商組合広報部編。によると事実、魔法絵の輸入がこの年だけ3倍に跳ねあがっている)そうして何度も絵に出入りしているうちにサマンサと同様の状態になったものがいた。
もちろん、それは大変な事故と思われたのだが事故の内容を知った何者かがそれを逆に利用することを考え付いた。
すなわち『不老不死になれる』と。
肉体は石化すれば老化を止められる。精神体だけの状態であればゴーストと同じだから、年を取ることも病気になることもないというわけだ。
そこで、その何者かは自分の考えに賛同するものを集め、永遠の国『ネバーランド』を作り出した。(石の都マドゥール がそうだと思う。レイチェルの絶命日パーティーにワーム が姿を表したのは、ドライロッドが呪いに捕まったことで安心したからではないか)
その上で彼らは仲間を増やし(この時期の魔法界での失踪者数は例年に比して異常に多い)慎重に自分達の存在を魔法界から消していった。(絵になる魔法薬を抹消したりマドゥールをそのままにしたことの説明がどう調べても見つからなかったのは決定を下した者達が彼らの仲間だったか、服従の魔法をかけられていたせいかもしれない)
そして、そのことに気づきかねないものたちをも消そうとした。(エルンスト・レーナーとその絵が見舞われた火事、当時の新聞によれば出火理由は『不明』だった。放火と考えるほうが自然だし、当然だろう)
さらにもうひとつ、サマンサ事件のとき唯一破り捨てられなかった絵がサマンサが入りたがっていた絵だということ。マゼンダに事件のときの写真を見せられたときには写ってなくて見落としたが、当時の新聞記事にあったフレドリック・サンディス。つまりはドライロッドのインタビューに吸血鬼の絵がなにか知っているはずというのを見たときには、しばらく息をするのにすら苦労するほど重い空気に包まれた。
確信を肯定する材料であったから。
おそらくは、この吸血鬼の絵にある棺桶にネバー・ランドへの入り口があるのだろう。
ともかく、彼らの目的は遂げられネバーランドは完成した。それから長い月日を彼らは絵のなかで暮らしてきた。が、彼らの存在を明るみに出されそうな事態が起きる。
サマンサが絵のなかにときおり現われる人物に興味を持って、追い掛け始めたのだ。彼らにしてみればせっかく世俗の悩みから解放されて優雅に暮らしているのに邪魔されては困る。早々に飽きてくれることを願ったが、あろうことか抹消しておいたはずの絵になる魔法薬を使い絵のなかに入り込んできた。
そうなると秘密を守るにはサマンサを仲間に引き込むか、どこかに閉じ込めてしまうしかない。
棺桶の中へサマンサを誘い込んだものの、途中で気付かれ逃げ出されてしまう。サマンサはサマンサで焦るあまり入ってきた同じ場所から出ようとして身体ばかりを外に出し精神体は絵のなかに残してしまった。
そこへ騒ぎを聞き付けた母親がやってくる。
ネバーランドの者達はサマンサを中へと引きずっていき。母親に服従の呪文を掛けて、狂気を演じさせ一部始終を見ていた絵を全て切り刻ませた。そこへドライロッドが駆け付けて今に至る。
「確証はありません。でも、そう考えれば全ての辻褄が合うんです」
ウィルがそう話を結んだとき、室内の空気は冷たく冷え込んでいた。暖炉で火が明々と燃えているというのに。
「ふふ・・・私のしてきたことは何もかも無駄だったということか」
自嘲を通り越してまさに笑うしかないドライロッド。彼の行動はなにもかも『はずれ』だったことになるのだ。娘を救えなかったばかりか自身も腕を失い、命をも失おうとしている。
「いいえ、一番危険な方法を選んでしまっただけです。僕はまだ、全てを話したわけではありませんよ」
そう、ウィルはまだこの一連の推測を考えるようになった切っ掛けを話していない。第三者の存在する可能性、これは以前からキャロルが気に掛けていた。それをさらに印象づけたもの。
「それがこれです」
テーブルの上に広げられたのは、魔法省で手に入れてきたポスターだった。
胡散臭げに目を落としたドライロッド、その表情が見覚えがあるだろう絵を認め驚愕に変わる。さらにその横の小さな文字を読み、「・・・バカな」そうつぶやきドライロッドは押し黙った。
もっとも信頼していた友を、疑わなくてはならない情報を提示されたことになる。
「そうだ・・・妻の部屋に行くといつも布の掛けられていた絵がある。あれがそうなのか?」
「可能性はあります。それに、この部署は半年で潰れたそうです。たった一枚の絵を引っ越しさせたあとに」
偶然だと思うのは無理だった。もう一つ、絵のなかに人が住む、との発想はレイチェルの家での発見が発端だった。
あの屋敷の探索の途中で絵のなかにガリオン金貨が数枚落ちているのを見つけた。理由はわからないがいずれにしても、屋敷の中で誰かが絵になる薬を使ったのは間違いない。
「そこで問題になるのが年代なんです。呪いの館はいつから誰も入れなくなっていたのですか?」
「・・・公式には1768年以降の出入りはない」
古い記憶をたどっているのだろう、ゆっくりとした答えが返ってくる。
「!? それって・・・」なにかに気が付いて腰を浮かせたキャロル。その隣でルビーも目をまんまるにしている。
「絵になる薬ができた一年後、ってことだよね」
「そうなんだ。僕のなぞなぞ館も同じ年に呪いをかけられてる」
これははたして偶然か?そんな出来すぎた偶然あるわけがない。
「・・・なるほど。ネバーランドは閉鎖された場所を絵でつないで作られた蟻の巣状の世界だというわけじゃな」ドライロッドがしっかりした語調で確認し、ウィルは無言でうなずいた。
「いくつにも別れた小部屋を一つ一つ潰していく以外、蟻の巣全体を把握することはできないはずですし・・・」
「それぞれを繋ぐ絵を処分されてしまったら、直接絵の置かれた場所に乗り込むしかなくなるわけね」ウィルの言葉を引き取ってキャロルも大きくうなずいた。
「そうなると、最後に残るのは私たちにとっては一番危険な場所。ドライロッドでさえ行き着けなかった『呪いの館』ってことね」最後にルビーが締めて状況を把握するための話は終わった。
「・・・」全員の目が吸い寄せられたようにドライロッドを見る。
すでに冷えきった紅茶を一気に飲み干して、ドライロッドが立ち上がる。死人よりも土気色だったその顔には赤みが差し、動きにも張りが戻っていた。
「言葉ではとても足りんが、有難う。あとはわしにやらせてくれ」
もちろん、皆に異論はない。だが言うべきは言っておかなくてはならない。
「敵は今だに魔法省に強力な影響力を持っているようです。気を付けて」
「わしも魔法省には色々つてがある。なんとかするさ・・・娘を取り戻せたら友達になってやってくれ。さらばだ」
挨拶もそこそこにドライロッドは姿をくらました。どうでも自分の生きているうちに、自身の手でケリを付けるつもりのようだ。
「無理しなきゃいいけど」
「大丈夫だよ、だってドライロッドだもん」
魔法薬の話し以外にはまったく参加していなかったマゼンダの呟きにルビーが応えている。
「でも・・・心配だな。魔法省が全面協力してくれるとは思えないし」
「こういう場合、戦うのは軍隊か一人。信用しきれないなら一人のほうがいい。ドライロッドはきっと、一人で戦うほうを選ぶわ」
キャロルの囁きが不吉な予兆のようにウィルの外耳道を掠めていった。まさに、矢は放たれたのだ。
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