chiro128

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救われた皿

芳国舎 のものだ。九谷から派生した窯で、九谷よりも低温で焼くために発色が違う。ここの器が好きでそろえている。しかし、もろい、という難点も当然ある。
もう十五年近く前に、岐阜県多治見市のある方のご自宅を訊ねた。かつて陶磁器試験場で検査をされてきた方だというのは知っていたので、陶磁器について迂闊なことは言わないようにしようと思っていた。
当時すでに一線を退かれ、娘さんに会社を渡した後だった。一時間ほども話した後だろうか、彼は突然席を立ち、出ていってしまった。どうしたんだろう、と思えば、一枚の皿を持って帰ってきた。はい、どうぞ。手渡されても何かよく判らない。はい? 菊花のようなうねりがぐるりと一周続く菊形皿で、手描きの花が咲いている。朱色のところが少し擦れている。

この皿はね、思い出があるんです。でも、値段を付けられるような物じゃないし、あんたみたいにきちんと人の話を聞ける人に渡した方がいいと思ってね、これ、持って帰ってください。うちの子なんかにゃ何の価値もないだろうけど、あんたなら、大事にしてくれるやろ。もちろん、日常に使ってもらってかまいません。そのためにある皿ですから。
戦争の最中のことですわ。当時、私は佐賀県のね窯業試験場にいたんです。あそこら辺は有田、伊万里と、勉強するものも多いところでしょ。私はそこで陶磁器の検査をしてたんです。自然と今右衛門さんや柿右衛門さんの所にも出入りするわけです。偉い人とは言え、こちらも立場があって伺ってる訳ですし、他の陶芸家や業者さんが来るのとは違った応対をされました。戦時下の統制もあったんですけど、この人らは特別な作家でしたからね、それまでとあまり変わらずに、もちろん物資は大変でしたけど、変わらずに仕事に精を出しておられたんです。そんな方々の愚痴を聞いたりね、こっちにすれば畏れ多い方々の愚痴ですから、それはそれでありがたいものでしたが。
ある日、今右衛門さんの所に用事があって行きましたら、裏でぱりん、ぱりんと音がしてるんです。ああ、割ってるなあと思って、見れば、失敗したのを今右衛門さん本人が割っているところでした。で、今右衛門さんが私に気が付いて「はい、これ。使ってください」とおっしゃる。畏れ多いと思って遠慮してると「ほら、こうして割っちゃうものだから、受け取って。最近は何手に入れるのも苦労するでしょう」とおっしゃる。で、ありがたく戴いたんです。それがこのお皿です。
ね、これ、全然判らないじゃないですか。裏返して見てくださいな。判ったですか? 今泉、という文字のところに釉薬の溜まりができてるんが判りますか? それだけです。でも今右衛門の名前では表に出せないものなんです。今だって、これは割られる皿ですよ。でも、こうして救われた訳です。
私も使ってきた皿ですから、使ってやって下さい。刺身なんか盛ると実に綺麗な皿ですから。

そうして十二代今右衛門が割ろうとしていた手から救われた皿が私のところにある。芸術としての価値はない。でも、それは間違いなく十二代の手によるものである。
私にこの皿をくれたその人はすでにこの世にない。その方が大事にしていた娘さんも今はもう亡くなってしまった。その方のお孫さんが現在も店を継いでいるのは知っているが、彼とは何の面識もない。

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