愛し愛されて生きるのさ。

愛し愛されて生きるのさ。

『I am Sam』

『I am Sam』(2001/ジェシー・ネルソン監督)

 知的障害のため7歳の知能しか持っていないサムは、ホームレスの女性との間に娘を授かる。しかしその女性は彼と娘を置いて消えてしまう。ルーシーと名づけられたその娘は、温かい仲間にも見守られすくすくと成長する。
 しかし、成長したルーシーは自分が父親の知能を追い抜いてしまうことを恐れ、勉強することを止めてしまう。そんなルーシーを心配した担任教師からソーシャルワーカーに連絡が行き、ルーシーは施設に預けられてしまう。
 サムは自分の娘を取り戻すために法廷で戦うことを決意し、弁護士事務所を訪れる。果たしてルーシーはサムの元に帰ってくることができるのか?

 この映画を「お涙頂戴映画」だと思い込んでいた私は、「絶対泣くもんか」と思いビデオをレンタルした。しかし、そんな決意とは裏腹に私の涙腺ダムはいとも簡単に決壊した。しかも3度ほど。

 サムを演じたショーン・ペンの演技は実に素晴らしかった。映画における障害者は、どうも“天使”のように描かれることが多いように思うが、サムは可愛いところも憎たらしいところもあり、ちゃんと1人の人間として存在していた。それもショーン・ペンの演技に拠るところが大きいだろう。
 弁護士役のミシェル・ファイファーも良かった。表向きはかなりのやり手弁護士だが、裏には母親としてのコンプレックスを抱えている孤独な女性という魅力的なキャラを巧みに演じていた。サムの前で抱え込んでいることをぶちまけるシーンは、強がってはいるけれど本当は寂しいという脆さが露呈して、泣けた。

 しかし私が1番感情移入したのは、ローラ・ダーン演じるルーシーの継母である。このストーリーでは継母というと、敵役になりかねない。しかしなかなか心を開かないルーシーに寂しい想いをする彼女も、また1人の人間なのである。そこをきっちり描いたこの監督は偉い!ラスト近くでの彼女の涙ながらの芝居で私の感情もピーク。「わかる、わかるよあんたの気持ち」ってな感じでまたまた涙。この映画で一番哀しい想いをしたのはこの継母かもしれない。

 エンディング、みんなが笑っているシーンにホッとしてまた涙。実に清々しいエンディングだった。「障害者の映画」という先入観を吹き飛ばす、人間をちゃんと描いた素晴らしい映画だった。音楽もじんわりイイ感じ。

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