全235件 (235件中 1-50件目)
三谷幸喜の新作「ステキな金縛り」が公開されるが、実は、私は、三谷作品には毎回、失望させられている。異常な設定が全く活かされていないという感じである。異常な設定をしたこと自体で、監督が喜んでしまっており、それが作品を面白くするところまで至っていない。今回の「ステキな金縛り」も、予告編を見る限り、もうそれで判ったよと言いたくなり、予告編で描いている以上のことがあるのだろうかと思ってしまう。はたして、この作品の出来は?
2011年10月27日
コメント(1)
「午前十時の映画祭」は、多くの人が異口同音に言っておられるように、思いもかけない作品、よく挙げられるのであるが、スクリーンでは、なかなか見ることが出来ない作品が公開され、非常にうれしい企画なのであるが、ジョン・フォードハワード・ホークスの作品がないのは何か事情があるのだろうか?
2011年10月21日
コメント(0)
「午前十時の映画祭」は非常に良い企画であるが、これを見ることによって、最新の封切作品の質の低下が露呈することも多いのである。それにしても、映画の良し悪しは、一体何によって生じてくるのであろうか?昨年、「午前十時の映画祭」でヒッチコックの「北北西に進路とれ」を見たが、今回で5回目。しかも見る前日には、「ヒッチコック・トリュフォー/映画術」を読んでおり、ストーリーも演出も知った上で見たにもかかわらず、やはり手に汗握って、楽しんでいる。その一方で、その後に見た当時の新作「ロスト・クライム」(伊藤俊也監督)は映画が始まって30分ほどで退屈さのあまり「はやく終わらないか」と思う有様。こちらは原作も読んでおらず、全く初めて。私自身、伊藤俊也監督には関心を持っているのであるが、この有様。この差は一体、どこにあるのだろうか?ここは非常に面白い論点のようだ。
2011年10月19日
コメント(2)
あまり期待はしていないのだが、案外と傑作かもしれないと思っている2作品「モテキ」「僕たちは世界を変えることができない。」
2011年10月01日
コメント(0)
「ツリー・オブ・ライフ」が上映中であるが、観客の入りはどうなのか非常に気になるところ。さて、来週からは「LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語」9月からは「ライフ -いのちをつなぐ物語-」が、それぞれ公開され、まさに「ライフ」がいっぱい。似たタイトルばかりでは、観客は間違わないか?それにしても、これは偶然か?「ライフ」は流行語か?
2011年08月19日
コメント(0)
毎年のことであるが、夏休みになると子供向けの映画にほぼ全スクリーンを占拠されるシネコンであるが、そんな中で、これはもしかしたら意外な傑作かと思うのが、「実写版・忍たま乱太郎」。監督が、どんな題材でも引き受ける三池崇史。サービス精神にあふれた彼の演出が、実は大人も楽しめる内容になっているのではと期待するのであるが、どうなのだろうか?松方弘樹、中村獅童、石橋蓮司、平幹二朗といったベテランがキャスティングされているのも期待を高めるが、主役の加藤清史郎が全くダメな私としては見る気が今、ひとつ盛り上がらないというところ。
2011年07月28日
コメント(0)
東映が不良性感度で売って、東映の映画館にいるのは、やくざか変質者かと言われた時代、松竹と東宝は「優等生的」で「さわやか」を売り物にしていた。特に松竹の場合はホームドラマ的味わいの作品で主流であった。同じテキヤを主人公にしても、松竹だから「男はつらいよ」であり、東映なら「関東テキヤ一家」であろう。現在は、作品はすべてシネコンでの上映であり、各映画会社のカラーや個性は失われている。シネコンにおいては、むしろ個々の会社のカラーは邪魔なのかもしれない。もし、東映が「徳川女刑罰史」を新たに創ったとしても、このような作品がシネコンにかかるとは思えない。映画の「不良性感度」発揮を邪魔にしているのは、シネコンの存在なのかもしれない。
2011年07月02日
コメント(0)
妻夫木聡と武井咲で「愛と誠」がリメークされるという。監督が三池崇史であるから、それなりの面白さは保証されるのであろうが、30歳の妻夫木の高校生役はどうなのか?岩清水弘は誰が演じるのか?まさか松山ケンイチではないだろうな?!
2011年07月01日
コメント(5)
「キネマ旬報」(6月下旬号)は岡田茂追悼特集である。この関連の特集として注目すべきは「映画秘宝」(8月号)の東映特集である。「東映不良性感度映画の世界」というタイトルに内容についても一目瞭然。「仁義なき戦い」「トラック野郎」「女番町」シリーズ・・・娯楽映画のすべてがここにある!というフレーズがそそるではないか。「最近、日本映画が元気」などとよく言われるが、本当か?私にはとてもそうは思えない。魅力がない。その魅力とは「不良性感度」である。かっての東映映画が持っていた「世の良識に歯向うような不良性感度」が全くない、のっぺりとした健康食品のような作品ではつまらない。そうした失われた映画の魅力を再度、気づかせてくれる「映画秘宝」の特集である。必読!
2011年06月30日
コメント(2)
主演女優の入国拒否事件で初めて知ったが、アウン・サン・スー・チーさんの半生が映画化されるという。主演はミシェル・ヨー。風貌や体格などピッタリだと思う。しかし、監督がリュック・ベッソンというのはどうなのか?アウン・サン・スー・チーさんの半生とベッソン監督の映画世界がどのように関わるのか。非常に不安でもあり、意外性への期待でもある。これは、はたして、リュック・ベッソンにとって起死回生の作品となりうるのか?
2011年06月29日
コメント(1)
ダニエル・クレイグとレイチェル・ワイズが結婚したとのこと。式の参加者は、それぞれ子どもと立会人の友人たちの4人とか。レイチェル・ワイズには、前の恋人ダーレン・アロノフスキーとの間でジャッキー・ケネディの伝記映画の企画があったはずであるが、これは企画も消滅ということか。レイチェル・ワイズがジャッキーを演じるのは当りだと思ったのであるが・・・。ほぼ同時にニュースとして報じられたのが、鈴木清順監督の48歳差結婚。婚姻届を提出したのは7年ほど前で、「私のファンの1人で、サインをもらいに来たことが出会いのきっかけだった」とのこと。さて、こちらの新作は?
2011年06月28日
コメント(0)
宇宙からの飛行隊が地上を攻撃するシーンが映し出されて震災で公開延期となった「世界侵略・ロサンゼルス決戦」の予告が再開したかと思ったら。「スカイライン-征服」の予告編であった。舞台はどちらもロサンゼルスのようだ。これに加えて「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」も「スーパー8」も映像だけ見たら、どれがどれだか判らないのである。そういえば、日本映画も犬が登場する映画がやたらと多いようだし、「ランウェイ・ビート」も、「高校デビュー」も「パラダイス・キス」も似たような感じであるし、邦画も洋画も似たような作品が多すぎるのではないか。これは、単なるブームなのか、ブームというには、それほど話題やヒットにはなっていないようだ。要するに、創る側の創造力が枯渇しているのか?それとも見分けがつかないのは私だけか?
2011年06月16日
コメント(2)
「第2回午前十時の映画祭」では予定されていた作品が変更となった。「ひまわり」から「昼顔」へ「ミツバチのささやき」から「山猫」へこのうち「ミツバチのささやき」公開がなくなったのは実に残念である。「シベールの日曜日」と共に2大美少女映画が、そろったと期待したのであるが・・・。名作「山猫」だからいいではないかという意見もあるが、そんな問題ではない。ところで、今回の作品の変更については特徴がある。「花の名前」のタイトルの作品の代替は、やはり「花の名前」「動物の名前」のタイトルの作品は、やはり「動物の名前」である。もしや「ブラック・サンデー」が、またもや上映中止にでもなったら、次は「日曜日はダメよ」なのか?もう、これ以上の交代はやめてくれ!
2011年03月08日
コメント(6)
アカデミー賞の行方というものは気になるもので、しかも候補作品を見ていたりすると、その好き嫌いで結果で一喜一憂するという有様。昨年はSFX活用のスペクタクルなだけで、内容はスカスカの「アバター」よりは小粒な「ハートロッカー」が受賞しないかと思って、その通りとなったものの、実際に見てみるとこれがとんでもない作品であって怒りを覚えたのであるが、さて今年は「ソーシャル・ネットワーク」に受賞して欲しかったというのが正直な気持ち。まあ、これは単に好き嫌いの問題であって、「英国王のスピーチ」に問題があるわけでは決してない。
2011年02月28日
コメント(0)
「午前十時の映画祭」には非常に困っている。何しろ1日1回だけのしかも午前十時からのみ。土日を逃すと見ることは極めて困難。今週は土日に運悪く用事が入り、このままでは今週の作品を見逃しそう。今週の作品は「シェーン」。これは実に残念。「シェーン」から「ペイル・ライダー」を想像して上映中の「ヒアアフター」へとつなげようと思ったのであるが・・・。もちろん、ジャック・パランスの悪役ぶりも魅力だし、流れ者が町へやって来てという娯楽映画のパターンの原型ともいうべき作品を改めて見たかったのである。前回の「午前十時の映画祭」は50本中35本を見た。今回は全作品制覇と意気込んだが、やはり無理であったようだ。
2011年02月23日
コメント(4)
「キネマ旬報」はほとんど購入しないのであるが、毎年の「総決算号」(2月下旬号)は必ず購入している。お楽しみのひとつは宮崎祐治の「映画街路図」である。「BECK」の「映画史に残るミス・ディレクションだろ」には、この作品を無視したことが残念である。単なる愚作ではなく、このような言い方をされるとは!見たかったなあ!
2011年02月19日
コメント(0)
スローライフという言葉があるが、これを娯楽にあてはめてみると、映画という娯楽は「スロー・アミュージュメント」と言えよう。そもそも映画は見たそのときにすべての楽しみを味わうというものではあるまい。時間をかけて、それも年代を超えて楽しむのが、映画を楽しむコツであり、醍醐味であろう。それゆえ、現在の短期に稼ぐ興行のあり方、言ってみれば、シネコン方式は、映画本来の魅力を削ぐことになるのではなかろうか。現在の映画が、刺激はあるが、どこかコクがなく、味がないと言われるのは、シネコンの興行方式に合致するような作品になっているからではなかろうか。
2011年02月09日
コメント(0)
今年の「午前十時の映画祭」が2月5日からスタートする。長崎の第一弾は「KUROSAWA IN WESTERN」として「荒野の用心棒」と「荒野の七人」。西部劇を撮るに相応しいジョン・スタージェスの本格的なウエスタンと盗作やら、変格やら、ニセモノと言われたマカロニ・ウエスタンが同じカテゴリーで上映される日が来るとは!続いて第2弾は「西部劇の王道」として、「シェーン」と「大いなる西部」である。冒頭4作品が西部劇とは面白い!今や失われたジャンルである。それにしても「西部劇」が痛快娯楽作でなくなったのは、いつのことであろうか。また、その原因は何だったのだろうか?先住民の復権だけがその原因ではないと思うのだが・・・。
2011年02月05日
コメント(2)
TOHOシネマズが試験的に入場料値下げを行う。全国6ヶ所ということで、長崎市も含まれている。今回、最も得をするのが18才までの人で、1000円となる。その代わりにシニア料金適用は65才に引き上げられる。ねらいは若者層の取り込みということであるが、この新料金は、現在、最も映画館に行っているシニア層に対しては冷淡で、あんまり映画館に行かない高校生を優遇ということである。TOHOシネマズとしては「若い映画ファンの育成が急務」であり、「人口減少の中で若者を呼ばなければ、将来はない」ということのようだ。しかし、高校生をこのように優遇して、その世代の観客が増えることになるのだろうか?値下げすれば、客は増えるとでも思っているのか?「アニメを見ていた小学生が、中高生になって映画館から離れている」という分析は正しいのであろうが、では、何故、映画館から離れていくのかの分析は出来ているのか?そもそも感性や自分の個性に関することが値下げだけで解決できるのか?業界は観客の伸びの鈍さを問題としているが、上映されている作品やシネコン独特の公開第2週からは上映回数が激減する上映システムをもっと問題にすべきと思う。
2011年02月03日
コメント(4)
1月27日はモーツァルトルイス・キャロルマゾッホの誕生日。面白い人ばかりが生まれている。こういう事例を見ると、星座とか、誕生日による占いも正しいのではないかと思ってしまう。また、ヴェルディの命日がこの日である。ベルナルド・ベルトルッチの大作「1900年」のファーストシーンは「ヴェルディが死んだ!」という叫び声から始まる。
2011年01月27日
コメント(0)
「あしたのジョー」の予告編を見る。まず、香川照之の丹下段平へのなりきりぶりが目立つ。香川なら当然ということ。おそらく彼の存在感が圧倒的であろうと予想。伊勢谷の力石もなかなかいい。肝心なのは主人公を演じる山下智久。体は鍛えているが、矢吹丈に必要なハングリー精神など闘うスピリットが感じられない。これは松山ケンイチがいくらがんばっても60年代末の学生の雰囲気を出せないのと同じである。さて、本編ではどうなのか?ところでこの映画のプロデューサーは、この実写版を誰が見たい、あるいは誰に見せたくて企画、製作しているのだろうか?これは日本映画のリメークや原作ものの映画化が登場する度に思うことであるのだが・・・。
2011年01月21日
コメント(0)
昨日は1月12日であった。私が最も好きで常に最新作を楽しみにしながら見てきた、そして尊敬する深作欣二監督の命日。HAL9000の誕生日でもある。生まれはブラッドベリと同じイリノイ。ミステリーファンとしてはアガサ・クリスティの命日だということも付け加えておこう。
2011年01月13日
コメント(0)
18日に日米同時公開を予定していた映画「最後の忠臣蔵」英語題名に対して他の映画会社から「異議あり」の申請があったため、米国公開が延期された。異議がなされた英語題名とは「THE LAST RONIN」。察するに似たか同じ題名の作品の企画があったのではなかろうか。「RONIN」といえば、ジョン・フランケンハイマーの最後の快作。もしかしたら、この続編が企画されているのかもしれない。そのタイトルが「THE LAST RONIN」ということは十分に考えられること。私としては、こちらの方が楽しみであるのだが・・・。
2010年12月17日
コメント(0)
「えびボクサー」という映画をご存知であろうか?2003年のイギリス映画。公開当時には、ほとんど話題にもならなかった低予算のB級作品である。たまたま当時放映中のトレンディドラマ風のテレビドラマの中で扱われたので、そこで覚えておられる方もいらっしゃるかも。文字通り、えびが殴る話なのであるが、これが今ならタイトルは「海老ボクサー」になって、もっと話題になるのではなかろうか?コピーは「海老が殴る!」だろうな、きっと。この作品の宣伝マンは、きっと悔しがっているのでは?
2010年12月14日
コメント(2)
1年余の宣伝期間を経ていよいよ12月1日に公開。あの「ヤマト」がついに実写版となるのである。このような場合、大事なのは「絵」である。どんなすごい画面が展開されるのか。これを見せて欲しいのであるが、予告編では全くそれは表現されていない。はっきり言って予告編は非常にチープである。これでは見ようという意欲はわかないと思うのだが、大丈夫か?「ヤマト」だし、木村拓哉だし、ヒットするに決まっているじゃないかということなのか?
2010年11月26日
コメント(4)
11月15日は坂本龍馬の誕生日であり、命日である。誕生日と命日が同じ日という人物としてイングリッド・バーグマン(8月29日)小津安二郎(12月12日)が浮かぶ。誕生日と命日が同じ日という人物はかなりの異端児であり、その世界の巨人という存在なのだろうか。
2010年11月15日
コメント(0)
生涯最後に見る映画として、あなたは何を希望するだろうか?例えば、明日、命が尽きるとわかったときに「最後の晩餐」ならぬ「最後の鑑賞」として何を見たいだろうか?・わが生涯のベストワンというべき作品・映画史上のベストワンと言われる作品・作品価値は大したことはないが、大好きなスターが 出演している作品・これまで見たいと熱望していたにもかかわらずまた 見ていない作品・個人的な思い出の作品と、まあいろいろと選び方があり、このアンケートは、やってみると面白いのではなかろうか?では、私の場合。特別には選ばない。次に見るべき作品を予定通り見るだけである。そんなわけでベストテンのずっと下位になりそうな大したこともない作品になるかも知れない。私はそんな選び方をする。皆さんは、いかがでしょうか?
2010年05月10日
コメント(4)
最近、洋画の吹き替え版が増えてきたようだ。「アバター」や「アリス・イン・ワンダーランド」は3D版と通常版、それに字幕版と吹き替え版があり、全部で4通りの上映があるわけだ。「シャッター・アイランド」では「超日本語吹替版」というものが登場。この「超日本語吹替版」とは配給会社の説明によると違和感のないセリフ回しにこだわったものという。しかし、そもそもセリフ回しというものは作品の上で違和感があるはずがないものだろう。観客が謎解きに集中できるようにという配慮もあるというが、これは過剰サービスというもの。終盤でアナグラムの説明部分があるが、この部分は吹き替えではどのようになるのだろうか?吹き替えでアナグラムの面白さが表現できるのか?そもそも外国映画の場合は俳優の声も含めて作品である。例えば、「シャッター・アイランド」では、ディカプリオの声も、ベン・キングスレーの声も大事な要素である。俳優の声の質もまた、映像と同様に欠けてはいけないもの。作品の一部を削除した「吹き替え版」は、作品の質を貶めているのではないか。
2010年05月01日
コメント(2)
映画「ベン・ハー」では映画が始り、実際に映像が写されるまでの6分間は、音楽が流れるのみでスクリーンは暗いままである。「2001年宇宙の旅」もそのであったし、60年代の超大作ではこのような始り方が多かったようだ。このようなオープニングは非常に贅沢な感じを受ける。これから見る作品が特別なものであるという期待が高まってくる。最近は、このようなオープニングの大作がない。特別の格調ある大作がなくなったというわけだろうか。一方、最近の映画にあって、60年代の作品にないものがある。それは映画の最後に流れるエンド・クレジットである。大掛りな作品では約10分ほど、「ベン・ハー」の戦車競争のシーンとほぼ同じ長さ、かかる。「ベン・ハー」のような大掛かりな作品であれば、これを現在のようなエンド・クレジットを作れば、どれくらいの長さになるのであろうか?エンド・クレジットは一体いつからこんなに長くなったのかという声はあるが、これはこれで楽しいのである。
2010年04月20日
コメント(0)
「ミクロの決死圏」がジェームズ・キャメロンのプロデュースで3D映画としてリメイクされるという。リメイク版は、リチャード・フライシャー監督のオリジナル版の冷戦時代を舞台にした部分だけが変更され、それ以外は忠実にリメイクされるとのこと。つまり最新のデジタル技術を使った3D映画としての再生であり、オリジナルでも十分な表現であったものをわざわざ3Dで表現する意義はどこになるのか?このリメイクは創造性では敗北を意味しているのではないか?
2010年04月04日
コメント(2)
開催目前の第82回アカデミー賞授賞式であるが、「アバター」と「ハートロッカー」の対決ばかりに話題が集中している。元夫婦対決とか「ハートロッカー」をめぐる様々な事件で話題に事欠かないのであろうが、タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」を忘れてはいけない!「アバター」と「ハートロッカー」はそれぞれ9部門にノミネートされているが、「イングロリアス・バスターズ」は、それにつぐ作品賞、監督賞を含めた8部門ノミネートである。今回のアカデミー賞レースは3強対決と言うのが適切だと思う。このあたりマスコミ得意の本質を忘れた話題作り先行ではないか。さて、私としてはタランティーノに栄冠をと期待。「アバター」が作品賞、監督賞を獲得しなければ、それでいい。
2010年03月05日
コメント(5)
衝撃的なニュースであった。「月はどっちに出ている」、「のど自慢」、「パッチギ!」、「フラガール」、「麦の穂をゆらす風」などの名作をおくりだしたシネカノンが東京地裁に民事再生法の適用を申請した。社長の李鳳宇氏は私にとって憧れの存在であり、スターであった。拡大路線の中での採算悪化だけではなく、韓国で開業した映画館が詐欺事件に巻き込まれたり、映画ファンドによる資金調達を行った結果の資金繰りの悪化などというのが何とも悲しい。シネカノンの倒産が「いい映画を作ったり配給しても結局はダメなのだ」ということになってはいけない。倒産の真の原因は、こうした良質の作品にあるわけではない。李鳳宇氏には復活してもらいたい。期待している!
2010年02月03日
コメント(0)
近年、シネマコンプレックスの登場によって映画を見る環境は見違えるように整備され、映画人口も現在1億6000万人台まで回復しています。そして多くの大ヒット作が誕生しています。ただその半面、優れた作品が観客からあまり評価されずに上映を終えることも少なくありません。こうした状況を踏まえ、時代を超えて語り継がれる優れた娯楽映画を観ることによって、映画の本当の面白さ、凄さをあらためて知って欲しい、そして映画をもっと好きになって欲しい、そんな想いから、「午前十時の映画祭」を企画致しました。 これは「午前10時からの映画祭」を主催する社団法人映画文化協会の趣意文の一部である。この趣旨については異論はないが、「優れた作品が観客からあまり評価されずに上映を終えることも少なくありません。」というのはシネコンの商業主義によるもの。この現象は従来からあったが、従来の映画館では、そのような映画も更にヒットさせようと努力はしていた。しかし、現在のシネコンでは1週目である程度の成績を残さないと2週目以降は上映回数も減り、、更にその上映時刻は、観客が見難い時間帯になっている。作品が名作と認められるには「ある期間」が必要であるということがシネコンの経営者には全く理解されていない。シネコンの経営者には作品はスーパーマーケットの商品と同じで売れなければ、引っ込めるというものでしかない。そこには作品を育てようという意思は感じられない。「午前10時の映画祭」には大いに賛同であるが、本当に映画を生活の中に根付かせるにはシネコンの商業主義をはじめもっと多くの要因があることを業界関係者が知るべきではないか。
2010年01月27日
コメント(3)
双葉十三郎さんが亡くなられた。この方もまたエリック・ロメールと同じく、私にとっては不死身の、死ぬことはない存在であった。「スクリーン」に長期にわたり連載された「ぼくの採点表」は私にとっては映画評論の基礎になったようなもので、映画の見方を教えてくれたものであった。他の映画評論家の方々があまり対象にしなかったB、C級作品やホラー、SF作品までもきちんと評論されていたことが私にはうれしかった。このような映画評論家は今後はもう出ないのではなかろうか。双葉さんの「ぼくの採点表」という偉業は映画界の「遺産」として永久に残しておくべきそのようなものだと思う。エリック・ロメール、そして双葉十三郎は共に歴史を感じさせる存在であった。心よりご冥福をお祈り致します。
2010年01月16日
コメント(1)
三遊亭円楽さんが亡くなられた。この人が60年代末頃に「星の王子様」というキャッチフレーズであったことを、もうあまり知られていないのかも知れない。この人と映画との関係でいえば、68年の松竹映画「進め!ジャガーズ・敵前上陸」の「超二枚目の警部」が印象に残る。この映画に主演された岡本信さんも今年4月に亡くなられている。ご冥福をお祈りします。「進め!ジャガーズ・敵前上陸」は再上映に値する映画だと思うのだが、松竹は是非、ニュープリントで再上映して欲しい!
2009年10月31日
コメント(5)
リメーク版「ゼロの焦点」の予告編では、「アマデミー賞に輝く3人の女優が共演」という字幕が出る。3人の女優というのは広末涼子、中谷美紀、木村多江のことで、このうち本当にアカデミー賞を受賞したのは、中谷美紀と木村多江のみ。いずれも日本アカデミー賞の主演女優賞である。広末涼子は、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」にたまたま出演していただけの話で、これは宣伝としてはちと強引な話。それにしても、たまたまアカデミー賞を受賞した作品にたまたま出演していただけでこのような扱いを受けることが出来るなら、「おくりびと」に出演したエキストラとして出演された方々も、もしかしたら履歴書の賞罰の欄に記載できるのではないか。それはともかく、この「ゼロの焦点」の3女優共演は業界の方々が期待するほどには観客は盛り上がらないのではないか。「ゼロの焦点」をリメークするなら片平なぎさ、沢田亜矢子、山村紅葉という2時間ドラマの女王共演でやって欲しかった。
2009年10月07日
コメント(2)
「宇宙戦艦ヤマト」の実写版が製作されるという。沖田艦長が西田敏行、古代進が木村拓哉、他に香川照之、橋爪功の名前があがっており、ヒロインの森雪は黒木メイサになったとこれで話題沸騰し、監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎貴氏に決定したとのこと。この監督であれば、CGをフルに活用して良質で調和のとれたドラマになるということであろう。この作品の実写版監督としては77年の劇場用アニメ版監督の舛田利雄が、理想的であると思う。彼の力感あふれる演出力がこの作品には必要であると思うし、同時にこの監督が時折見せる右翼的体質こそがこの作品の核になるはずではないか。舛田監督のそのような面が最も顕れたの傑作が「二百三高地」であるが、この「宇宙戦艦ヤマト」もそのような演出が欲しいところだ。「愛する地球を、愛する人を守るために戦う」などとソフトなごまかし方をしないで、堂々と戦意高揚映画を作って、賛否両論が起きることを期待しているのである。そんな冒険が山崎監督に出来るのであろうか?
2009年09月28日
コメント(0)
チョン・ウソン、イ・ビョンホン、ソン・ガンホという豪華顔合わせの「奴奴奴」こと「グッド・バッド・ウィアード」は、現在最も楽しみにしている作品のひとつである。何よりもセルジオ・レオーネの傑作「続・夕陽のガンマン 地獄の決闘」にインスパイアされた内容であると同時に、あの「甘い人生」のキム・ジウン監督作品となれば、単純なアクション映画ではあるまい。それにしても、これほどの話題作がわが町の二つのシネコンのうちひとつだけでの公開というのは韓流ブームの沈静化ということか。それとも、3大スター共演の「レッド・サン」並の凡庸さで興行的に期待できないということなのか?
2009年08月24日
コメント(1)
栗本薫さんは非常に多くの作品を残されたが、実写映画化されたのは「キャバレー」だけではなかろうか。(他にあるかもしれませんので、ご教示を)映画化したら良さそうな作品は多いのであるが、製作者としては難しいのであろうか。代表作となる「グイン・サーガ」を実写で映画化しようという人は登場するであろうか?もしかしたら、半村良の「妖星伝」と栗本薫の「グイン・サーガ」は永久に映画化不可能な作品として残るのではなかろうか。
2009年05月29日
コメント(0)
「ホルテンさんのはじめての冒険」「グラン・トリノ」「つみきのいえ」老人(この言葉でひと括りにするのも異論はあろうが)が主人公の物語である。ついでに言えば、主人公は若者であるが、「我が至上の愛~アストレとセラドン」は、監督のエリック・ロメールが、この作品を完成させたときに87歳。ここでは老人というキーワードではなく、登場人物の生き方を決定している軸や基盤について、また、その人物の他人との距離について考えてみたい。そのことを考えるのにもうひとつ日本映画「百万円と苦虫女」をあげておきたい。蒼井優演じる主人公は、預金が100万円になったら次の場所に引っ越すというユニークなルールを設定して生きている。他人との親密さなどは、彼女の生き方の中では優先度は低い。他人との距離のとり方について着眼すれば、「百万円と苦虫女」の主人公の生き方とホルテンさん、「グラン・トリノ」のウォルト、「つみきのいえ」の老人とはそれぞれどのように違い、どのように共通しているのだろうか?このあたりを検証してみると、新しい発見ができそうである。
2009年05月23日
コメント(0)
出版社の雄鶏社が自己破産を申請したというニュース。この出版社は手芸、編み物、料理などの書籍が主力商品であったとのことであるが、ここは一時期「映画ストーリー」という映画雑誌を出していたところ。そこに編集員として在席していたのが若き日の向田邦子。この出版社がなくなることで向田邦子の世界がまたひとつ遠くなったという感じである。ところでこの「雄鶏」というのはフランスの映画会社のパテ社のトレードマークである「雄鶏」の意味があるのだろうか?
2009年04月22日
コメント(0)
「釣りバカ日誌」シリーズが次の20作目で終了となる。スタートしたのが88年というから、昭和の時代であり、しかも世界的には米ソの時代。そのようなことを考えるとこのシリーズが長寿であることが納得できる。松竹は次は何を興行の基盤にするのだろうか?これで日本映画界の、いわゆる「シリーズもの」と言われるものがなくなったわけである。次回作がいつ作られるか判らないものはいくつかあるが正月やお盆といった季節に定例的に登場するおなじみのシリーズがないというのも淋しいものである。まちの中から各映画会社専門の劇場(直営館)が消えてシネコンに集約され、それぞれの作品と映画会社が結びつかない状態になっていく中で、この「釣りバカ日誌」シリーズだけが唯一、松竹作品と判るものであった。それが消えるということは観客の日本映画への大きな意識変革のきっかけになるのではなかろうか?
2009年04月09日
コメント(0)
ここで「香取慎吾が座頭市でいいのか」ということを書いたが、実はジャニーズやテレビ・タレントを使った名作リメークもやめていただきたいのである。そもそもこのような状態になったのは、日本映画各社が、ある時期から自前で映画スターを育ててこなかったということが最大の原因である。育てていないのは、俳優だけではなく、映画製作に関わるあらゆる技術者も同様であろう。確かにテレビや舞台など他ジャンルからの才能流入もあろうが、それは映画界自体が人材を育成しているから、成り立つのであって、本体がそれを怠っていたら、何も意味がない。海外の映画祭で高い評価を受ける作品が増えようとも、映画会社が自前で人材を育成しない限り、日本映画に未来はないと思う。
2009年03月20日
コメント(2)
座頭市の最終作が製作されるという。タイトルは「座頭市 THE LAST」で監督は阪本順治。昨年秋に当市に「闇の子供たち」公開イベントで来られたときに次回作について質問すると、まだ詳しいことは言えないが、時代劇であると答えられていたが、その時代劇とは「座頭市」であったのか。それにしても驚いたのは主役が香取慎吾であるということ。香取といえば、NHK大河で「新撰組」、フジテレビの「黒部の太陽」、そして今回の「座頭市」と日本映画界のビッグ・スターが演じてきたキャラクターを独占状態である。香取慎吾とは、それほどにすごいタレントなのか?この種のリメークはもうやめてくれないか。もっときちんとスターを養成しないと、日本映画の先人たちが作り上げたキャラクターたちが浪費され、破棄されていくのではないか。
2009年03月18日
コメント(2)
織田裕二と福山雅治がフジテレビ開局50周年記念映画「アマルフィ 女神の報酬」で初共演することが分かったとのニュース。この映画は先日、劇場で予告編を見たのであるが、その時は織田裕二主演とした表示されていなかった。織田の役は外交官とのことで、「なんだか頼りない外交官だなあ、まあ、現実の大臣はもっと頼りないからそれもありか・・・」などと思ってその予告編を見ていたのであるが、福山の共演というニュース。織田・福山の共演企画であれば、最初からそのことを宣伝の中心にすえるはず。そうでないとすれば、撮影しながら、今ひとつパンチ不足で急遽、福山共演というサプライズとなったのか?それにしても、主役はイタリアの風景だったねとならないように・・・・
2009年03月12日
コメント(2)
「バーン・アフター・リーディング」という映画はブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、ジョン・マルコヴィッチ、ティルダ・スウィントン、フランシス・マクドーマンドという曲者豪華キャストで、しかも監督がコーエン兄弟。物語の内容も非常に面白そうなのであるが、それは予告編を見てわかること。「バーン・アフター・リーディング」という題名だけ聞いても、それって何のことという感じ。英語に詳しくない私は、全く魅力に欠ける題名。無味乾燥なカタカナでしかない。題名を聞いただけで、思わず見たくなるようなそんな日本語題名にしてくれよ!
2009年03月06日
コメント(0)
「誰も守ってくれない」のチラシで佐藤浩市と志田未来が並んで歩く姿に「007/慰めの報酬」におけるダニエル・クレイグとオルガ・キュリレンコが並んでいる姿に重なってくる。どちらも二人が並んでいる姿には決して同志でも仲間でもない、緊張関係すら感じられる。「誰も守ってくれない」は容疑者の妹と彼女を保護する刑事の逃避行と紹介されているが、逃避行と言えば、「ヘブンズ・ドア」もそうである。そこでは迫った死期がモチーフとなっているが、その点では「余命」やフランス映画「PARIS-パリ」にも重なる。「誰も守ってくれない」は喪失のドラマである。ある日、突然、それまでの平和な家庭は永遠に失われる。それは「チェンジリング」も同様。「少年メリケンサック」は、若い時代の夢を追い求めるという点で「マルタの優しい刺繍」とも共通したものがある。かくも多くの異なったところで創られた映画の間に共通項が発見できるのは、そこに国や立場などが異なっても作家の感性に感じられる「現代性」があるからであろう。
2009年03月02日
コメント(0)
ここ数年、海外の映画祭で高い評価を受ける日本映画は多く、今回の「おくりびと」のアカデミー外国語映画映画賞受賞により、「日本映画が元気だ」とか「日本映画が復活した」とかいう声が高まってきたようであるが、本当にそう言っていいのだろうか?一部の人気スター、アイドル、タレントなどの主演映画や有名作品のリメーク、ベストセラーの映画化以外は実現が困難、また実現しても公開が一部の限定というのが相変わらずの実態ではなかろうか?興行成績、受賞は作品の評価の一側面にすぎない。日本映画が元気だという前に、その日本映画を支える人(監督、脚本家、さまざまなスタッフ、俳優など)をきちんと育てている映画会社はあるのだろうか?映画はひとつの商品ならば、それを生み出す人材はそれを生み出す会社が育ているべきであろう。また、生まれた作品は地方の映画館まで公開される仕組みは出来ているのだろうか?そうした基盤が出来てこその「元気」ではなかろうか?
2009年02月26日
コメント(4)
小池真理子の「望みは何と訊かれたら」を読んで、映画「愛の嵐」を再び見たくなった。このスターがいて初めてこの映画が成り立ったという事例としては「ローマの休日」があげられるが、「愛の嵐」もまたシャーロット・ランプリングという女優がいて初めて実現できた作品であろう。この映画で描いたものは、あのような愛の形態というものだけではなく、それを生み出したナチズムとは何であったかということを考えさせるその入り口であろう。「ナイト・ポーター」という無味乾燥な単語が「愛の嵐」という何かを予感させる日本語題名になったのもいい。
2009年02月20日
コメント(2)
「キネマ旬報」の数少ない面白い記事では毎年の総決算号に掲載される宮崎祐治による「映画街路図」がある。その年の主な映画を絵とひねりの皮肉の効いた短文で表現したもので、なかなか面白いのだ。「映画街路図2008」で思わずニヤリとしたものをあげておこう。「隠し砦の三悪人」の「ジャニーズでリメイクはやめてください。「靖国」の「国会議員に見せると宣伝してくれるよ」「20世紀少年」の「漫画を漫画のように撮ってはいけない」「セックス アンド ザ・シティ」の「まだ試写会に叶姉妹かよ」「レッド・クリフ」の「頭が悪くなった気がする」
2009年02月14日
コメント(0)
全235件 (235件中 1-50件目)