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2026.06.13
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カテゴリ: メディア掲載







閲覧者の皆様、
こんばんわ。この記事の写真で、前の方に座っている男性は、
実弟の末次達也です。皆さま、どうぞ、実弟を宜しくお見知りおき下さいませ。
~~

貝島炭鉱閉山50年「筑豊の歩み総括を」 田川市石炭・歴史博物館の学芸員が講演

1976年の貝島炭鉱(現福岡県宮若市)の閉山により、筑豊地方からヤマの火が消えて今年で半世紀。

田川市石炭・歴史博物館の福本寛学芸員が郷土史公開講座で講演し、
炭鉱の歴史や閉山後の地域の歩みを後世に継承していくことの重要性を語った。
 講座は直方郷土研究会主催で、5月30日に直方市中央公民館(同市津田町)で開かれた。
演題は「閉山50周年の筑豊炭田」。
 福本さんは、筑豊炭田の特徴として

(1)大中小の資本の炭鉱が密集
(2)内陸部にあるため輸送網が発達
(3)閉山時期が早い-を挙げた。

国内には機械化や合理化で2000年前後まで存続した産炭地もあったが、
筑豊は鉱区が狭くて拡大が困難だったことや、
炭鉱の歴史が古く採算が取れる石炭を掘り尽くしたことが早期閉山の要因だったという。
 閉山時期が高度経済成長期と重なったため、全国的な好景気とは対照的に、
筑豊では失業者、離職者の増加や人口減少が進み「炭鉱=負の遺産」「疲弊した筑豊」の
イメージが広がったと分析。
現在も、田川市郡などでは県や全国の平均と比べて高い生活保護受給率が続いていることにも触れた。
 一方で、11年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録された山本作兵衛の記録画をはじめ、炭鉱の歴史を評価、顕彰する動きも紹介。田川市石炭・歴史博物館は作兵衛のコレクションを所蔵しており「入館者は年2万人くらいだが、11年は15万人が押し寄せた。大変な1年でした」と振り返った。
 最後に、閉山の影響や閉山後の地域振興など「50年の歩みが総合的に評価、研究されていないのではないか」と提起した上で「20年後、40年後にはほとんどの人が知らない時代が来る。どう継承していくのか。いずれ総括する必要がある」と結んだ。// 06/10付西日本新聞より





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最終更新日  2026.06.13 19:06:26
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