オージー生活

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お互いの故郷への旅ー日本ー



「彼氏と旅行だからって仕事放り出してひどいです。もうかばえません!」

と責め、親は

「浮かれやがって。だらしのない奴だ」

と責めます。ただ、私はドイツの仕事をしてた得意先にはヒジョーに可愛がられていたので、得意先に行って謝ると、

「飛行機が遅れたりってあるよね。そんな気にしないで」

と言ってもらえたのだけど、後輩やら他の相手はますます面白くなくて、ことあるごとに私を無視し始め、お土産さえ受け取ってくれなかった。で、私が受けのいい得意先に行くときだけ、接待役のように私を連れて行く。。
ああ、あんなに私が頑張ってた仕事なのに。。。。

悲しくて悲しくて、いたとき。ある得意先で、これだけは私がひとりでやってた会社があり、仲良くなったそこのやり手で、アメリカンスクール出ててバリバリバイリンガルの女性が

「元気ないわねえ。どうしたの?」

と聞いてくれた。つい、

「仕事変わろうかと思って。。。」

と打ち明けた。するとその女性は、

「何?そうなの。じゃあ、うちにいらっしゃい。あなたみたいなひと欲しかったの。上司に話すから、すぐ履歴書持って来て!」

と言ってくれた。彼女の言ってることは本当で、オリンピックスポンサーであるその会社は、その翌年の長野オリンピックに向けてマーケティング部に広告やデザインの分かるひとが欲しかったのだと言う。

ドイツの仕事は投げる形にもなるし、親にも

「居づらくなったから逃げるのか」

と言われたけど、もう、そのチャンスにすがることにした。仲良かったドイツ関係の得意先のひとは

「よかったねえ。そんなことめったにないよ。あなたは何となく教えてあげたくなるひとだった。きっともっと道が開けるよ」

と言ってくれた。その人が、

「あなたは、あと、英語ができればもっと仕事で輝けるよ」

と言ってくれて、英会話教室に通うきっかけを作ってくれたひとでもあった。くく、涙でました。

結局バタバタと転職して、まるっきり外資の中でますます英語に格闘する毎日となったけど、給料もあがったし充実していた。

が、同時に、私の両親との確執は日に日に高まって行っていた。これは、一度行かねば、ということになり、彼を誘ってみた。
すると、日本人と違って、親に紹介するとかの重い意識が無いのか、あっさりオーケー。
新幹線と夜行の寝台列車を乗り継いで、私の実家の大分へ。祝日と休みを使って出かけた。

親には会わなきゃいけないけど、私は実は父がとても好きで尊敬してるのだけどとても怖くて、できるだけ考えないようにしながら、一日目は別府の温泉に泊まり、二日目に阿蘇に行ってから会食の場に出かけた。
大分自体は、彼の眼にはとても良く映っていたらしい。なんせ大自然の国から来たので、東京だけでは寂しかったんだろう。温泉の露天風呂にも感動していた。

が、阿蘇まで行ってからの帰り道、また私たちは渋滞に巻き込まれ、会食の約束の時間に遅れてしまった。

だいたい父は元々会いたいくもないというのを、母が取りなして連れて来ていたので、機嫌は悪く、酒も進んでいた。兄と兄の家族も来てもらっていたのだが、私たちが着くなり雰囲気は最低。。。兄嫁は思わず子供を連れて席を外してしまった。

父はとにかくこれまでのことを話してみろ、と言う。
だけど、今日遅れたことも、旅行から帰るのが遅れたことも、非は私にある。それは分かっている。でも言い訳をするのだが、父はなかなか論理的についてくるし、とにかく結婚もしてないのに旅行したこと、国際結婚の難しさも考えずにいい加減に、そして勝手につき合ってることが許せない、と言う。反論しようとしても上手くいかず、泣けて来た。

と、隣に座っていた彼は、全部話してることが分からないまでも、自分の彼女が父親にいじめられてる構図にしか見えなかったからか、怒りだし、

「あなたは彼女が可愛いんじゃないのか?なんでこんなに悲しませるんだ」

とくってかかり、父から、

「お前に言われる筋合いは無い!」

と一喝された。
結局、物別れに終わり、実家に泊まる訳にもいかなくなった私は、前日泊まった温泉に戻った。
後から聞いたら、父は私だけでも家に帰ってくるとおもったらしく、このことも火に油を注いだ結果となったようだ。

次の日、一人で見送りに来てくれた母に謝り、東京に戻った。。。

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