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趣味も好みも違ってた。だけど、そんなの、どうでもいい。いつも居心地悪そうにしてる感じが自分とちょっと似ている気がしてた。友達になれそうなタイプだなって思ってた。「友達になろうよ」って言われた時、ちょっと戸惑った。友達は作るのではなくて自然にそうなるのがいい。だけど、彼女の瞳が不安げに揺れていたから、まあいっかって思った。うんって頷いた。仲良くなった頃、彼女が、「変なふうに思われちゃうかもしれないけど、私ね」有名な宗教団体の名前を口にして、信じてるの、と言った。「変なふうになんて思わないよ」笑いながら答えた。「ほんと?」「ほんとだよ」「良かった。宗教って嫌がる人が多いから、 嫌われちゃうんじゃないかって不安だったの」「嫌われたこと、あるの?」「うん。 信者だって言ったらみんな逃げてく」乾いた笑い声が少し悲しかった。「まあ、安心してよ。 私はこういうことじゃ嫌いにならないからさ」だけど、それからしばらくして、私は、彼女のことを友達と思えなくなった。もともと私は宗教的なことには知的好奇心の意味での関心があって或る程度、知った上で、はっきりとした考えを持っている。「なんの宗教であれ、 信者になるつもりはカケラもない」ということを彼女にも何度も話してた。だけど彼女は、自分の宗教に私を誘い続けた。私の気持ちを大事にしてくれない。それが友達と思えなくなったことの理由。相手の気持ちを大事にしない人の心にあるものを、私は、友情と呼んでいないんだ。そして、私は、片思いが大嫌い。それからは、私にとって彼女は知人。やがて付き合いが途切れて随分と経つ。時々、思う。彼女は、ただ単に、宗教が原因で友達付き合いが終わったと思っているのかな。 今日の一曲『サマータイム・サマータイム』ピチカートファイブ
2007年08月31日
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新しい環境に入って一番最初にすることは好きなものや好きな人を見つけること。それがあれば大抵のことは乗り越えられるから。いつも心に「好き」って気持ちを持ってたい。いっぱいいっぱい持ってたい。たとえ他には何も持っていなくても「好き」って気持ちがあれば、大丈夫、結構、しあわせ。 今日の一曲『風のつよい日』 オトナモード
2007年08月30日
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落ち込んでしまう出来事って起きない方がいいけど、でも、人の優しさを知ることができるから、だから、そんな悪いものじゃないよなって思うんだ。 今日の一曲『ストレンジカメレオン』 the pilows
2007年08月29日
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小旅行(この響き、好き)に行く予定だったけど中止になってしまった。普段、あんまり予定を入れない自分。たまに予定を入れる時には、「それ一色で行きます」的な意気込み(笑)それだけに、突然の白い時間に、変な気分。いつもの休日のように本を開いてみたけれど、なんとなく落ち着かない。 今日の一曲『8月のセレナーデ』 スガシカオ
2007年08月28日
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闇サイト、ネット心中、ネット詐欺、インターネット絡みの事件が出るたび、「インターネットが悪い」という意見の人が出てきますが、結局のところ、問題なのは人間でネットではないですね。ネットは道具に過ぎない。ネット絡みで何かする人はネットがなければ別の方法で何かするんじゃないかな。実際、なかった時代には、そうだったでしょ。道具が変わっただけじゃなんじゃないかな。調べてないのでわからないですが、ネット犯罪が増えたために減った犯罪もあるんじゃないかなという気がします。あと、ネットのおかげで思いとどまったというケースも結構、あるんじゃないかと。まあ、ネットって手軽だから、ハードルを低くしているという部分は確かにあると思います。でも、その場合も、「ハードル低けりゃ、やっちゃう人間性」が問題なわけで、やっぱり、ネット絡みだからネットが悪い、みたいな簡単なことではないんじゃないかしらね。それ言い出したら、ナイフで人を殺すからナイフが悪い、ってことになってしまう。あ、でも、そういうこと言う人、実際にいるか。 今日の一曲『パラダイム』 アンダーグラフ
2007年08月27日
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私は日本が好きですけど日本人だから好きっていう、それだけです。もしアメリカに生まれてたらアメリカが、中国に生まれてたら中国が好きだと思います。はっきり言ってどこの国にも魅力的な部分や個性はあるわけで、だから自分の中の、「日本のこういう所っていいと思う」という気持ちが、「日本は素晴らしい正しい。日本こそが世界一立派」というふうになることはないです。逆に、「日本のこういう所って嫌い」という気持ちが、「日本最低!」というふうになることもないです。愛国心なんてのはそんな程度のもんでいいんじゃないですかね。知人にね、特攻隊に憧れるって人がいるんです。「もし、今、戦争が起きたら、 お国のためとか言って敵地に突っ込む?」って聞いたら、突っ込むと言ってました。私なら、お国のためとか、ありえないです。国より個人の方が大事と思っていますから。当時の人たちが「お国のため」に頑張ってたのは、時代背景とかあるのでわかりますけど、現代において、こんなこと言ってる人は、危険だと思います。少数だとは思うけど、増えたらたいへんです。「じゃあ自分の国以外の人はどうなってもいいのか?」って思います。外国の人を死なせてまで守るべきものですかね?国は。私はね、だったら日本人じゃなくなったって構わないんです。そこまでして、日本人ってことにこだわる気はないんです。これって、ユルすぎる考え方かもしれないですけど、もしこれが、世界中の多数意見になったならば、たぶん、戦争は減ります。それなら、その方がいいじゃん、と思うのです。国のために人が存在するんじゃなくて人のために国が存在するんじゃない?遠い未来には国境がなくなるんじゃないかな。愛国心にこだわり過ぎた国から自滅して。なんてね(笑) 今日の一曲『ロックンロール』 くるり このくらいの、くるりが好きです。
2007年08月26日
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連日、朝青龍問題でテレビが賑わってるね。「モンゴルに帰す」というフレーズを聞く度、動物園の象のことを連想してしまう。「象のハナコがごはんを食べなくなって数週間。 すっかり痩せ細ったハナコ。 きっとアフリカの大地に帰りたいんだよ。 帰してあげようよ」「やだやだ。ハナコとずっと一緒にいたいよう」「でもね、帰してあげないとハナコ、 死んじゃうかもしれないんだよ?」みたいなシーンが頭に浮かぶ。朝青龍、大きいから(笑)そんなわけで「帰りたいなら帰ったらいいんじゃないのかね」と、テレビを見ながら思ってた私。やっぱ、何より優先すべきは、健康でしょ。ところがコトはそんな単純じゃないのだね。病気を装ってる可能性がある、と。都合悪いことをごまかすための策略をしたらにっちもさっちも行かなくなったのではないか、みたいな。横綱としてのなんちゃらかんちゃらとか、相撲協会側の思惑とか、なんかいろんなものが絡み合ってる様子、とか。面倒だね、相撲ってのは。やっぱ、国技だから?本人の気持ち、そっちのけで、進んで行くんだね。私は、何事も本人の気持ちを優先すべきと思うし、どんなスポーツに関しては結果がすべてでいいんじゃないのと思う。と思うのは、相撲に対する思い入れがまったくないからなんだろうけど(笑)朝青龍も、好きでも嫌いでもないし。といっても、当事者たちが騒ぐのは理解できるよ。本人ではないけど当事者だからね、いろいろ関係あるんだろうし。ファンが騒ぐのも、わかる。共感はしないけど、わかる。でも、マスコミはさー、騒ぎ過ぎ。もっと、中立的・客観的・公平な立場で事実だけを報道すべきじゃない?事実を伝える以外の影響を最小限に留めるべき。マスコミは。なのに、今回の騒ぎを見てたら、マスコミが煽ってるじゃん(笑)「~のではないか」の情報を流し過ぎ。「~の様子」を確定的に言い過ぎ。なんか不祥事が起きた時とかにね、マスコミが、「申し訳ないと思わないんですかっ」とかって、詰め寄るでしょ?謝罪の言葉を求めるでしょ?誰に対して?と思うことが多い。「少なくとも私はなんとも思ってないぞ、関係ないし」と思うことが多い。マスコミは国民の代表を気取ってるけど、実際のところ、ほとんどの場合、ただのマスコミだね。 今日の一曲『BY THE WAY』 レッドホットチリペッパーズ
2007年08月24日
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実は私、表面的には、譲れないことってほとんどなくて、いったんは抵抗するものの、相手が退かなければ、「じゃあいいよ」って譲ってしまうのです。だけど、心の中では譲ってない(笑)本当は譲れないこと、それなりにあるのです。けれど、お互いの都合とか、状況だとかを考慮して、「じゃあいいよ」って。今、深い話をしてる暇はないから・・・っていうのも、結構、あるかな。これも状況っていうのに入るわけだけど。つまり先延ばしにしてるわけです。「いずれ時間と相手に余裕がある時に話そう」みたいな感じで。表面上、譲ってて、心の中じゃ譲ってないっていうのは、なんかヤな感じなんですけど(笑)でもまあ、致し方ないと思ってます。ここらへんの気持ちの折り合いは、本当にいずれ話すという形でつけてます。二名の意見がぶつかりあった時に、一方が「譲れない」を通せば、もう一方は「譲る」ことになりますね。譲ることは、我慢や無理を背負いこむことに繋がっている。自分の都合で人に我慢や無理を押し付けてはいけないです。本人に背負うか否かの選択の自由がなければいけない。私はそう思っています。だから話すというのは、ただ、話すという意味です。この人はこういう人なんだなってふうに知ってもらってあとは相手に委ねる。なので、堅苦しく話すのではなくて、雑談の中で冗談まじりに話すことが多いです。これには作戦も少し入っています。「雑談の中で冗談まじりに」というユルい設定の方が堅苦しく話すよりも、ずっと、言いたいことが伝わりやすいし、相手も意見を言いやすいんです。と、まあ、私はこんなふうにやってるわけですが、困ってしまうタイプがいます。簡単にいうと、忘れっぽすぎる人。忘れっぽすぎる人は、忘れっぽいからなのでしょうが、話に筋が通ってないことが多いです。意見もコロコロ変わります。それ自体は、私的には許容範囲なのですが、彼らの場合、変わったことすら覚えていないことが多いので強烈です。気力と根気が要るのです。忘れっぽすぎる人との付き合いでは「じゃあいいよ」と譲った後に普段の会話の中で話をして行く、というやり方が、ままなりません。そこで、やがては、しょっぱなから頑として譲らない自分が出現してしまいます。押し付けたくないとか、互いの自由意思を尊重し合うとか、互いにすっきりした気持ちで前に進みたいとか、普段の自分が大切にしている思いが瀕死状態に陥ってしまうのです。台なしです。でも「しょっぱなから頑として譲らない」って結構、爽快だったりして(笑)まあ、だから、忘れっぽすぎる人との付き合いは、困ってしまうけどやめられない。 今日の一曲『何度でも』 DREAMS COME TRUE
2007年08月23日
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以前住んでたアパートでのこと。私は一番上の階に住んでいた。ある日のことだった。管理人から、「真下の部屋の人から ドタバタうるさいって苦情が入ってるので 気をつけてください」と電話が来た。心あたりはなかったのだけど、普通の生活音でも結構響くのだろうなと思い、今まで以上に気をつけることにした。少し経った頃、真下の住人から直接、電話がかかって来た。「いいかげんにしてもらえない?」「は?」「いつもいつも、 走り回ったり、飛び跳ねたり、うるさくて仕方ないのよ」「そんなことしてないですよ」「あのね、1階の人も、あなたの騒音に困ってるの。 普通の生活程度の音なら、 そんな所にまで響くわけがないでしょ?」「え?」「私だって普通の生活音だったら我慢するわよ。 だけど、あなたのは度を越してるのよ。 あとね、いつも夜中に何を引きずってるの? 気持ち悪いからやめてくれない?」???呆然としていると、「とにかく気をつけてちょうだい!」電話が切れた。走り回ってない。飛び跳ねてない。何かを引きずってたりもしない。っていうか、4階の私の物音が1階にまで響いてるって変じゃない?もしかして犯人は私じゃないのかもしれない。それともか、私だけじゃないのかもしれない。しばらくして、具合が悪くて寝転がっていた昼間のことだった。走り回っているようなドカドカという音や重たいものを床に落としたようなドスンという音が響いて来た。かなり大きい音だ。これだ!でも、これ、真下から聞こえて来る。そっか。結局、普通の生活音なんだ。建物の構造上の問題で普通の生活音がやたら大きく響いてくるとか、きっと、そういうことなんだ。数日後、ゴミ出しの時に真下の住人と顔を合わせた。「あの・・・まだうるさいですか?」「ほんっと迷惑なんだけど」「すみません。 でも私、すごく気をつけてるんです。 で、おそらく、 この建物って音が響きやすいんだと思うんですよ」「はあ?」「そちらの音も大きく響いて来ますよ。 ドスンって何かが落ちたような音とか 走っているような音とか」「ちょっと、何言ってるの? うちはそんなことしてませんから!」「だから、建物の構造上の問題で、 普通の生活音が、 大きく響いちゃってるんじゃないでしょうか」「そんなわけないじゃない。 あなたのところから聞こえて来る音は そんななまやさしいものじゃないんだから。 大体、うちがうるさかったって何時頃の話?」「昼ですけど」「昼間はね、うちは、寝たきりのお父さんしかいないの! そんな音、たてられるわけがないじゃない!!」・・・じゃあ、誰?それからも音は聞こえて来た。昼も夜も聞こえて来た。走り回っているような音。飛び跳ねているような音。どこかに子どもがいるのか?でも、子どもなら、昼はともかく、真夜中には寝ているはずじゃないのか?そして、壁に何かを打ちつけているような音。一体、壁に、何を、こんなに何度も打ちつけているんだ?玄関ドアの向こう、共同の階段から聞こえることもあった。真夜中、誰かが転がり落ちたような音。酔っ払いかな?大丈夫かな?心配になって玄関ドアの丸い穴を覗きこんでも何も見えない。廊下の電気が点いていないのだ。ドアを細く開けて耳をすましてみる。何も聞こえない。確かに音がしていたはずなのに、人の気配が消えている。結局のところ、いろんなことがわからず仕舞い。誰かの騒音かと思っているものが実は不思議な現象だった、なんてことが、奇妙な現象に思えることが実はきちんとした説明のつくことだった、なんてことが、普通に見える人の頭の中があるいは自分の頭の中が実は歪んでいた、なんてことが、きっとあるのでしょう。 今日の一曲『エアーポケット』 中谷美紀
2007年08月21日
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くせの強い人が好きです。面白いから。刺激的だから。私の感情、思いっきり振り回してもらいたい。 今日の一曲『こうしてはいられない』 スネオヘアー 好き好きスネオヘアー。音楽も本人も。
2007年08月20日
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とにかく重要なのは気分だ。私の場合、すべてが気分に左右されるといっても過言ではない。せっかく立派な言葉を使える機会だから、もう一度、書こう。過言ではない。よし、満足した。で、気分だ、気分。何故にこんなに気分に左右されるのか。誰か教えてくれないか。良い気分の時はどんなことでも許せてしまう。どんなことでもできそうな気がしてしまう。調子に乗りまくりだ。まるでサーカスの玉乗りのように乗りまくりだ。その結果、「私ってアサハカね」と呟くはめになることが多々ある。アサハカって、いやだ。とことん頭が悪い気がする。なんてったって、かっこ悪い。我に返った時の情けなさが際立っている。でも実際、アサハカなんだから、アサハカでいいんじゃないの、しょうがないし。と思わなくもないのだけれども、割り切れるほどじゃない。やっぱ、いやだ、アサハカなんて!悪い気分の時にはすこぶるダークになってしまう。目つきからして、「ケッ。ふざけんじゃねえよ」って感じになってしまうし、自虐ギャグとネガティブ発言、炸裂だ。良い気分の時との落差が大き過ぎる。ポジからネガへ急展開だ。「人間って・・・勝手だね・・・残酷だね・・・」と言った同じ日に、「人間ってすごいね!素晴らしいね!」と言ってしまう日もある。これだから「あんたって何考えてるのかわからない」と言われてしまうのだ。でも実際、何考えてんのかわかんない自分なんだからもういいんじゃないの、しょうがないし。と思わなくもないのだけれど、割り切れるってほどじゃない。やっぱ、いやだ、何考えてるのかわかんない自分なんて!というわけで、重要なのは気分なのだ。気分に流されるな、自分。気分に打ち克て、自分。でも、実際、気分屋なんだから、気分に流されたっていいんじゃないの、しょうがないし。と思わないこともないのだけれど、割り切れるってほどじゃない。やっぱ、いやだ、気分に流される自分なんて! 今日の一曲『Fall Again』トライセラトップス ちなみに、今の気分は、普通。
2007年08月19日
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インターネットを始めた頃、よく遊びに行ってた掲示板で私のことを「ニュートラル」と言ってる書き込みを見つけた。ニュートラル。さて、なんだろう(笑)ニューウェイブみたいなもん?なんか知らないけど、新しいとか、そういうこと?だとしたら、かっこいいじゃーん。と思ったが、それだと、書き込み内容とどうもそぐわないし、トラルって何?ってことになる。テロルとかキャロルとかなら知ってるけど、トラルなんて、聞いたことない。いっそ、虎る?ニュー虎る。新しくて荒々しい様子?なわけない。で、友人に聞いてみた。「ねー、ニュートラルってどういう意味?」「え・・・ニュートラのことじゃない?ほら、車の」ニュートラ・・・。ニュートラルの略語だったのか。ルしか略さないなら、略さなくたっていいんじゃないの。「私、ニュートラルなんだって」「ふうん、どれでもないってことかね?」「車で行くと、そんなような意味になるよね。 きっと、そういうことだね」そうか、そうか。それなら納得だ。確かに私はそういう考え方の人間だ。コタエはきっと白でも黒でもなくグレイに、右でも左でもなく真ん中にある・・・という考え方の人間だ。・・・そういうことなんでしょ?うん、うん、うん、うん。だったら、自覚してる。でもって、そこんところを、人から、良いねと言われたり、逆に、「はっきりしろ」とか「ファジーだな、おい」とか言われたりしている。褒めるんでも貶すんでもなくて事実として言われるのが大半だけども、それはそれとして。結局、ニュートラルと、はっきりしない様子とは、ぱっと見、似てるわけだな。私からすると、はっきりしてないんじゃなくてはっきりグレイを選んでいるんだけども、白と黒のどっちかに決めたい人って多いからね。そういう人には、「じゃあ、グレイの立場は?」と思うけどね。まあ、いいけどね。話は戻って、ニュートラル。さっきから、どうも、チュートリアルって言葉がちらついて仕方ないんだけども、関係ないので振り払ってニュートラル。さっき、急に思い立って、カタカナ語辞典で調べてみたら、ニュートラル。スペルは「neutral」結局、なんでニュートラルって言葉にはnewって、ついてんのかな?新しくないのに変だねー。って、ずっと不思議だったんだけど、それもそのはず、ついてないよ、そもそも。英語のセンスがまるでないってのは困ったもんだね、まったくね。 今日の一曲『七月の友だち』 熊木杏里 素敵なタイトルだと思う。
2007年08月17日
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母の料理の味付けは濃い、とても濃い。性格が濃いから味付けも濃いのか。どうなんだ。北海道は寒いので全般的に濃い味付けらしいけど、なかでも母のは飛びぬけていると思う。目分量だし。油ドバッ、しょうゆドバッ、砂糖ドバッ。素材本来の色や味など、行方不明だ。全部、茶色い。全部、あまじょっぱい。幼い頃から私は母の作る料理が好きじゃなかった。味付けが好きじゃないのだと気付いていなかったから、私って好き嫌いが多いのねと思ってた。でも、そうじゃなかった。給食を食べるようになって、ぐーんと好きな食べ物の幅が広がった。私は薄味が好きだったのだ。北海道人には珍しいのかもしれないけれども、全国的には別に珍しくない、薄味嗜好だったのだ。高校の修学旅行で、関西に行った時、それまでいつも残していた、うどんの汁を、全部、飲み干した。煮物も味噌汁もおかわりしたいくらい、おいしく食べた。おお、かつおの素晴らしい香り、ワンダフル!ちなみに、私の両親はそろって、真っ黒のうどんが大好きで、関西風の薄色うどんが大嫌い。「味も素っ気もない。 あんなもん、食べる人の気がしれない」と言う。味も素っ気もあるのにねー。「おふくろの味」が好きじゃない自分。おふくろと嗜好が違うのはちょっと運の悪いことかも、と思ってる。 今日の一曲『野性の花』 V6 V6では岡田くんがかっこいいと思う。 なんでもかんでも 薄いのが好きってわけじゃないらしい自分。
2007年08月16日
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時間の流れが早過ぎる。一週間が、一ヶ月が、一年が、あっという間に流れてく。時間に負けないスピードで駈けて行かなくちゃと思うのに、うまく行かない。自分への苛立ちが苦しいよ(笑) 今日の一曲『スピード』 スネオヘアー
2007年08月15日
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この前、友人と本屋に行った時のこと。『泣ける2ちゃんねる』という本があったので、「私さー、 泣けるなんとかってタイトルのやつって嫌いなんだよねー。 あざとい感じしないー? 大体、こういうのってたいがいが 涙なんか少しも出ないような内容だしさー」と言いながら、手に取って、適当に開いたページの文字を目で追った私。次の瞬間、こみあげてきた涙!隣で友人が私の変化に気付かずに「そうだよねー。 泣く人なんているのかなあ」「う・・・」「泣いてるじゃん! しかも、めちゃくちゃ泣いてるじゃん!」 今日の一曲『星屑サンセット』 YUKI
2007年08月14日
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随分前のことになるけれど、大口開けてサンドイッチを食べてたら顎がはずれかけた。「あら? なんか開いたまんま戻らないんだけど」みたいな。え、まさか。まさか、まさか。ムンクの叫びみたいに両手で顔をおさえながら、カキっとやったら、はまったので、数十秒の恐怖で済んだんだけど、でも、本気で焦ったよ、あの時は。よくマンガとかでびよーんと顎がはずれてる人の絵があるでしょ。やばい、ああなっちゃうのか!って感じで、もう、こういう時は救急車を呼んでもいいのか?呼ぶのに電話でちゃんと喋れるのか?とか、一分にも満たない時間内で、いろんなこと考えた。あれ以来、大口開けないように気をつけてるんだけど、それでもかなり高い割合で、「あ、やばい。危険」な感じに見舞われている。マクドナルドの、あの大きいハンバーガーとか、絶対、無理。確定。今日なんて、とうもろこしにかぶりついて危険な感じになっちゃったし・・・。たいした大口じゃなかったんだけどなー。今じゃ慣れたもので元に戻すコツもつかんでるんだけど、でもいつか、本当にはずれちゃうかも、かも。で、私は気になるわけです。こういう時には救急車を呼んでいいのかってことと、顎がはずれても喋れるのかってこと。 今日の一曲『夏色』 ゆず
2007年08月13日
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アメリカで、豊胸手術をした女性の自殺の割合は、手術をしていない人の3倍、というデータが出たらしい。すごく興味深い。私は整形関係は一切やっていないし今後もしない予定なので、蚊帳の外からの興味なのだけど、豊胸、というか整形全般の安全性を以前から疑問に思っていたのさ。といっても、私が疑っていたのは、身体的な意味での安全性であって、精神面についてはむしろ良好するのではないかと思ってたんだけどね。だって、悩みが解消されるわけだし。今回の記事には、「手術をしても 悩みが解消されたわけじゃなかったのだろう」って感じの意見が書かれてた。それは具体的にいうと想定していたのと違う結果が出たとか、最初は満足したけどだんだん望みがエスカレートして行ったとかってことかな?でも私は、それだけじゃなくて、手術によって体内物質の何かのバランスが狂い、そのために精神的な健康を保てなくなった・・・という可能性もあるんじゃないか?と思ったのよね。豊胸手術なだけに。精神に影響を及ぼす体内物質というと、まず最初に思い浮かぶのはセロトニンだけど、これは脳内物質だから、豊胸との関係性はどうだろう。もっと関係がありそうなのは、ホルモン関係かな。胸なだけに肥満細胞と関係ありそうな気も。だとするとコレステロールか・・・?コレステロールと精神とは結びついてるし。その絡みで糖(血糖)も怪しいかも。意外と首や肩のコリが原因って可能性もあるな。胸が大きくなったらコるわけだから。慢性的にコッてると骨にも影響出て来るしな。あ、首の異常と精神も関係あるらしいですよ。まあ、しょせん、素人の考えです。さらっと読み流してください。話は変わるけど、私は、医学の世界って、総合的な見方をあんまりしてないと思う。学者は研究してるけど、現場では局所的にしか診てない、というか。だけど、いろんな物質やいろんな部分が影響しあって、体(心も含めての)があるわけでしょ?総合的に診ないから治せない病気って意外とたくさんあるんじゃないのかな。 今日の一曲『Beautiful』吉井和哉
2007年08月12日
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大抵のことは隠すより言っちゃった方が心が軽くなる。それなのになかなか言えないのは話に耳を傾けてもらえるかどうか、聞いた後も自分を受け入れてくれるかどうかが不安だから。話したくて話せなかったことや、話しかけて途中でやめたことが何回もある。「話したくなかったら 言わなくていいんだよ」って優しく言ってもらった時、ホッとしながら、がっかりしてる。話したいんだよ。でも、あなたが背中を押してくれなけりゃ、喉の奥の塊を外すことができなくて、うまく言葉にできるかわからないし、もしかちゃんと聞いてもらえなかったら寂しいから。受け入れてもらえなかったら寂しいから。いいから話してごらんってしつこく聞き出してくれたらいいのにな。わがままだと思う。しかも、ひどく幼い。めんどくさいなー、自分。かっこわるすぎだよなー、自分。私はほんとの気持ちを笑顔で塗りつぶして、「ありがと。じゃあ、話すのやめとくね」・・・バカみたい。もしも、ひどく幼く、めんどくさくて、かっこわるすぎな自分をすんなり見せられるようになれたなら優しさをまっすぐに受け止められてきっと、とてもとても心が軽くなるんだろう。 今日の一曲『ベル』 BUMP OF CHICKEN
2007年08月10日
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1983年。作詞:三浦徳子/作曲:筒美京平/編曲:茂木由多加。早見優は、バランスの良い優等生ってイメージでした。それもアメリカンな優等生ね。(帰国子女なだけに)スタイル良くて美人で明朗で賢そうで、歌や踊りもそつなくこなしてて、英語ペラペラ。私はバランス良い人よりアンバランスな人の方に惹かれるのでファンではなかったですけど、歌は好きでした。早見優、デビュー曲は松田聖子風のポップで耳心地の良い曲だったのですが、~風な感じがする曲はインパクトに欠けるのか、はたまたタイトル(『急いで!初恋』)がオシャレじゃなかったせいなのか、いまいちヒットしませんでした。そこで路線変更したんですかね。2曲目、3曲目、4曲目と、地味めの曲が続きました。そうして出たのが『夏色のナンシー』彼女の、初のベスト10入り曲です。コカコーラのCMに使われてたんじゃなかったかな。ポップコーンみたいに軽やかに弾けているこの歌を最初に聴いた時、「きた!」と思いました。それまでの曲も私は好きだったのですが、早見優の個性をうまく引き出しているという感じではなかったのです。だけど、この曲は、キャラクターにぴたりとはまってるというか、他の誰でもなくこの人のための歌という感じがしたというか。そういう歌って強力に眩しいオーラみたいなものがありますね。たぶん、多くの人が、「きた、早見優」って思ったんじゃないかな。オーラってそういうものです。ところで、最初の方に、そつなくこなしてるイメージだったと書きましたが、ベストで発売順に聴くと、実は、相当な努力をしてたんじゃないかということが窺えます。歌唱力、どんどん向上して行きますから。85年くらいから時代の波に乗ってロックに路線変更するのですが、この当時の歌声は、もはやアイドルじゃないですね。しかも、早見優らしさってなんだっけ?ってくらいな感じにまでなってます。でも、かっこいいんですよ、歌声。中原めい子が提供した『PASSION』が特に好きです。 今日の一曲『夏色のナンシー』 早見優
2007年08月09日
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ニュースを見ながらよく思う。善人が被害にあうことってほんっと多いよなー。たとえば、幼児が被害にあう事件では、「道を教えてくれない?」と困ってるふりして連れてくわけでしょ。親切に教えたらさらわれて、無視したら難を逃れられる。あと、訪問販売では、「一生懸命やってるんだから あんまり冷たくするのも気の毒だし・・・」と思うような人の好い人が騙されて、冷たく拒んだ人は難を逃れられる。オレオレ詐欺なんかも人に善意につけこんでいる。強気の悪人だと、相手選ばず狙うけど、気が弱い悪人は善人を狙うのよね。安全牌を狙うっていうか。強気の悪人も問題だけど、弱気の悪人の卑怯っぷりも大問題。人選という意味では理に適ってるけど、とにかく卑怯。そしてこのうえなく理不尽な構図です。これでは「善人でいたら危険」ということになる。困ってる人を見ても関わらない方が安全ということになる。また、犯罪とは違うけれども、「自分本位な人間が得をして 人の気持ちを考える人間が損をする」という状況も困ったものだね。被害に遭った時、相手側の事情を配慮して紳士的な対応をする人や、広い心をもって許す人が舐められて大騒ぎする人は優遇される、なんてこと、そこらへんに転がっている。私は鈍感な善意が大迷惑に繋がることもあると思っているので、善意を全肯定してはいません。しかし、善人が損する世の中は駄目だろうと思うのです。なので、善意につけこんで来てるなと感じたら言うこと聞いてあげない。損しろ、卑怯者。犯罪絡みのことに関しては、裁判において、善意につけこんだのか否かにもっともっとこだわった方がいい。今でも考慮してるみたいだけど、まだまだ足りない。それでもって、マスコミが、「善意につけこんだ罪が加算されて、 被告人は懲役が倍になりました」みたいにガンガン報道したらいいね。あと、人の善意につけこんだために世にも恐ろしい目に遭った人間の物語を、小学校の教科書に採用したら良いのでは。こりゃないだろうってくらいにひどい目に遭わせた方が効果が出るね。そういう意味では因果応報の怪談なんかとても役立っている。いっそ教科書にハイレベルの怪談を採用したらどうかしら。 今日の一曲『FOR YOU』 宇多田ヒカル
2007年08月08日
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私は飛行機が苦手。恐怖症ってほどじゃないから普通に乗れるけど、でも、のほほんとは乗ってられない。雲の上の嘘みたいに輝く景色を眺めながら、ここは人間の入っていい場所ではないんじゃないか?なんて思ってしまうし、乗った瞬間から降りる時まで墜落事故に怯えている。怖い。という話をすると、多くの人が、「飛行機事故は、みんな死ぬから、別にいい」と言う。自分だけ死ぬのはイヤだけどみんな死んでしまうんだったら別にいい、ということ。私には、この感覚が、ない。みんなが死ぬとか、自分一人だけ死ぬとか、関係ない。私にとって、死は死で、どこまでも個人的なことなのだ。余談だけど、心中とかも、意味わからん。この間、ある人が、「今の世の中、みんな、ストレスが溜まってる」と言った。まあ、よくある台詞だ。私は、この手の台詞を聞くと、決まって、「戦時中とか、原始時代みたいに、 いつ死ぬかわからなかった時代よか、 今の方がよっぽどストレスのかからない世の中だと思うんだけどなー」と言いたくなる。ほんとになんでかねー?と思っているのだ。言ったら、「そういう問題じゃないんだよ」と言われた。そういう問題ではない、では、どういう問題?すると、その人は、飛行機事故についてのコメントと似たことを言ったのだった。「戦時中とかはみんなが不幸だからいいんだよ。 現代は、不幸な人と幸福な人がいる。 恵まれていない人は、 なんで自分ばっかり・・・と思う。 ちくしょー腹立つなーと思う。 そこらへんの不公平感や不満がストレスになってるわけだよ」なるほど。そういう問題か。私は不幸も飛行機事故と同じく、個別の問題と思っている。みんながどうとかじゃなくて。この人が多数派なのかどうかなんともいえないんだけど、とりあえず、この人はそうなんだな、と思った。で、たいへんそう・・・と思った。不幸だけでもストレスなのに他人と比べてストレス上乗せか。比べるのやめたらストレス半分になるのだろうけど、そうも行かないんだろうなー。 今日の一曲『夏のクラクション』稲垣潤一 名前の漢字、これで良かったっけ? と自信ないんですけど、この歌、凄く好きです。 夏だなーと思う。
2007年08月07日
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そういえばどうなったんだろう。楳図かずおの、紅白シマシマ御殿問題。町の景観ねえ。気持ちはわからないでもないけど、自分の家なんだから好きに建てさせろよって感じだな、私は。条例があるなら別だけど、ないらしいし。なんでもかんでも個人の自由を尊重!とは思わないけど、好きな家を建てる自由を奪う権利はないんじゃないかな。私だったら近所に楳図御殿ができるの、大歓迎。以前にどっか別の所に建てたという、よく似たデザインの家、可愛らしいと思ったし。記念撮影しに行っちゃうな。それで楳図かずおが姿を現したら、「小学校の時から読んでました! おろちと洗礼が好きですっっ」とか言いながら、サインをお願いしたい。札幌においでよ、先生。札幌なら、紅白シマシマ御殿を喜んで受け容れるよ。なんて、勝手に書いちゃってるけど、実際、そうなったら、札幌人たち、盛大にイヤがったりしてね(笑) 今日の一曲『デンキ』 小川美潮
2007年08月06日
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ヒットしたのは1981年くらいかな?手元に資料がないので正確な所はわからないんだけどたぶん、1981年。その頃、私は小学生で、自分用のラジカセを買ってもらったばかりでした。ビクター製の小ぶりなラジカセ。色はシルバー。シンプルなデザインと、ビクターの犬のマークが気に入って選びました。朝起きたらラジオのスイッチ。いつも片手にラジカセ。眠る時にはベッドの中に持ち込みました。前に日記に書いたDJごっこをしたのも、このラジカセです。自我像イラストを描く時には、決まって、傍らにラジカセの絵も描いていました。この曲は、その頃のヒット曲。なので、この曲を聴くと、当時のことや、あのラジカセのことを思い出します。意味なんてわからなかったけれど、メロディが、雰囲気が、すごく好きでした。初めてリアルタイムで好きになった洋楽です。たぶん。 今日の一曲『ニューヨーク シティ セレナーデ』 C・クロス 原題、違うんだよね。 最近は原題そのままタイトルの洋楽が多いけど 前は、日本語タイトルに変えている曲もわりとあって、 語呂が良くて洒落たやつとか、結構、あった。 「素顔のままで」「ハートに火をつけて」 「見つめていたい」「素直になれなくて」なんて感じで。 この曲みたいに、 サビをそのまま、タイトルにしてる曲も多かったね。 英語が苦手な自分としては、 ややこしいタイトルだと覚えにくいので、 なんでもいいから、タイトルシンプル化希望(笑)
2007年08月05日
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気がついたらやっちゃってるモノマネってないですか?なんかこう、意味もなく。私の場合、ドラえもんの笑い声を。旧ドラえもん、大山のぶよ。「ぐーふーふーふー」笑いとか、別に、沸かないですね。何事もなかったかのように流されます。もしかしたら、素でこういう笑い声だと思われてるかもしれません。でも、たまに、ノリの良い人がいて、「ドラえもーん」と、のびたの真似で答えてくれます。そういうのは、嬉しくなります。 今日の一曲『ドラえもんの歌(タイトル忘れた)』 青い空はポケットさ♪って歌。 ドラソングの中で一番好きなのだけど 地味な存在らしく、知ってる人は少ない。 「あったまテカテーカ」が好きな人、 結構、多いみたい。テカテカ・・・。
2007年08月03日
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「このまま続けてると、まずいんじゃないか。 止めた方がいいよなー」と思いつつ、「でも、止めたくなーい」と、踏ん切りつかずにいる時、何故か、止めざるを得ない出来事に見舞われて、強制終了。ということが、私には昔からよくある。不思議だ。神様の、はからいか?守護霊さまの、導きか?いきなりオカルティで申し訳ないが、あんまりにも多いので、なにやら大きなものの存在を感じてしまう。最近では、強制終了の事態にならないってことは続けてても大丈夫ってことかもねーなんて思ったりしてる。目下の、「止めた方がいいよなー」のナンバー1は、夜更かし。毎晩、2時過ぎまで起きてる。今のところ、止めざるを得ないことにはなってない。今になるのかな。ただの偶然って線もあるけどねー。っていうか、それが一番、濃厚?(笑) 今日の一曲『明かりの灯る方へ』 松たか子 松たか子、好きなんです。 『有頂天ホテル』の「オヤジ」面白かったー。 歌声も好き好き。 でもって、この曲を作ったスキマスイッチも好きです。
2007年08月02日
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デトックスがテレビで取り上げられるようになった頃、私はデトックスとボトックスの区別がつかず、なんだかゼロックスにも似てるなーって感じでいた。日本語にすると、毒出し。毒出しって人体に使うにはハードな言葉だと思う。食材のアク抜きみたいだ。その頃、テレビで、デトックス主婦を見た。食べ物はもちろん、空気、水、洗剤、シャンプー、歯磨き粉、果ては洋服まで、なにからなにまで気を使う生活を送りつつ、日々、デトックスに励んでいるという。その、デトックスのやり方が、変てこだった。寝転がって、昆布みたいに手足をユラユラさせる体操。暇さえあれば親子でやっているんですよーと実際に見せてくれたのだけど、毎晩、仕事で疲れて帰宅する夫が、「ただいま」って家に入った瞬間に最初に目にするのが、この、妻と息子が大真面目に昆布になってる光景かと思うと、おかしくておかしくて爆笑してしまった。なんで昆布体操にデトックス効果があるのかという所も不可思議。ここまで来ると精神論なのかもしれない。そういえば、妻、「毒、出てけー。出てけー」と唱えていたような気がする。気のせいか。毛髪ミネラル検査かなんかで、熱心にデトックスをしている妻より、外食しまくりでなんにも気をつかっていない夫の方が、ずっと有害ミネラルの数値が低いという切ない結果が出たことも私の笑いのツボをくすぐってくれた。余談だけど、私は、性格悪い。話は戻って。あの頃、面白がりながら見ていたデトックス。自分は体内の半分以上、毒でできてるような気がするし、(ほんとの毒の他に、性格の毒も加えて)いいや、別に、毒とともに生きて行こう、と思っていた。かっこよく言えばポイズンライフか。かっこよくないか。でも今は、意識が変わった。アトピー改善のためにはデトックスだ。と思う。すごく思う。なにせ私は体内の半分以上が毒でできている。せめて三分の一くらいにはしたいものだ。性格の毒は取っときたいのでほんとの毒の方を退治しよう、できるだけ。ポイズンライフから、プチポイズンライフへ。しかし私はわざわざ運動するのがめんどくさい。ビリーとかやれば一気に汗からデトックスできそうだけど、とにかくめんどくさい。そもそも鈍くさくて動きについて行けないからビクトリーの境地に辿り着くまでに何年かかるかわかったもんじゃない。運動不足ってほどではないと思う。普段からいっぱい歩く生活をしているからね。ウォーキングなんて大層なものじゃないし、ただ気分次第で歩いてるだけなので、素晴らしい効果は期待できないだろうが、運動不足ってほどではないと思う。だから無理しなくていいでしょう。そんなわけで、食べ物、飲み物で、楽してデトックス。さらに、もっと楽してデトックスということで、たまに足裏樹液シート(笑)これ、変だよね・・・。嘘くさいし、いかがわしい匂いがする。ただ貼るだけで毒を排出ってのも、さすがに楽過ぎて、疑わしい気がするし。単に汗なんじゃない?って気もする。でも、脱ステ後の症状を緩和させるのにいろいろ試した中で、唯一、目に見えて効果あったのがこれだったんだよね。私の場合だけど。なんでなのかわかんないけど。だから、なんかあるんだろうなーと思う。嘘くさいことは嘘くさいけど、嘘くさいだけではなさそう、というか。昨日、ひさびさに足裏シートを貼って寝た。朝、シートをはがして、がっかり。サラサラのままなんだもん。毒、もう、ないのか?それなら嬉しいけど、そんなわけないよな。もしかして不良品?ま、とりあえず、どくだみ茶でも飲むとするか。 今日の一曲『夢で逢いましょう』 ハナレグミ
2007年08月01日
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