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この頃、疲れがたまってる。気持ちは弱ってないんだけど体が弱ってる。なのに今日、バスを待つのが寒くてイヤでつい、長距離を歩いてしまった。体力も時間も余ってないのに、なに、やってるんだ、私は。私はよく無駄に歩く。バスやタクシーを待つのが面倒で。地図を見ないで飛び出した挙句、道に迷って。ちょっとのつもりで歩き始めて収拾つかなくなって。結局、好きなのだ。ぶらぶら歩くのが。高校の頃、学校から家まで歩いたことがある。最初、歩き始めた時には曇り空だったのに、すぐに雨が降り出して、傘を買おうにも店が見あたらなくて、ずぶぬれ。そのうち、すっかり暗くなるし、迷うし・・・途中でいつものルートに戻れたんだけど、ここまできたら最後まで歩きぬくぞって感じになっちゃって、結局、激しい雨の中、合計4時間くらい歩いた。すっかり盛り上がった気分で「ねえ、すごいでしょ」って付き合ってた彼に話したら、「バカじゃないの?」って冷たく言われた。それまで、自分たちは似た者同士って信じこんでた私。その時、あれ?って心に黒雲が差した。でも、今思えば、彼の反応は、単純に約束の時間に遅れたせいだったのかも。歩いてたせいで思いっきり遅刻した(笑)それなのに浮かれ口調で「ねえ、すごいでしょ?」って・・・。そりゃあ、バカじゃないの?って冷たい反応したくもなるよな。たぶん、あの時、彼の心にも黒雲が差していたのだろう。全然、気がつかなかったけど、たぶん。 今日の一曲『丘を越えて』 小泉今日子
2007年10月31日
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私の父は人を見下してる。身近な人々のこともだし、テレビの向こうの有名人たちのことも、けなしてばかり。悪口ばかりで良い所にちっとも目を向けようとしない父。会話してると気が滅入って来る。こういう人ってきっと自分自身が人から認められたくて褒められたくてたまらないんだと思う。でも悪口ばっかり言ってると、却って人から認められないし褒められないのよね。 今日の一曲『ディスカバリー』 FLYING KIDS
2007年10月30日
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1993年。作詞:Chara/作曲:Chara+P.Lorimer/編曲:P.Lorimer。かっこいい。いつ聴いても好きだな、この曲。というか、この頃のCharaがすごく好き。アルバム『Violet Blue』浴びるほど聴いたし、今でも、大好き。今のハッピーなCharaよりクールでブルージーなCharaの方がいいな・・・というのは私の勝手な想いとわかってるから、おとなしく昔のアルバム聴いてます。ところで、私は、「恋をした。そして泣きました」の所を、長いこと、「そして失くした」だと思っていました。ここの前が、「恋をした。そして生まれた」なので、恋をして何かを得て何かを失う、という意味に受け取って切ない共感抱いてた(笑)歌詞カードって全然見ないから、勘違いが結構あるんです、私。「違ってた」と気づいた時の世界の色が変わるみたいな不思議な感覚、なかなか面白いので、いいんですけど、少し恥ずかしい。 今日の一曲『恋をした』 CHARA
2007年10月29日
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1987年。作詞:岡田ふみ子/作曲:伊藤銀次 /編曲:伊藤銀次・鈴木雅之。壊れかけた恋に揺れていた頃、港の近くを散歩しながら、この歌を心の中で口づさんでた。哀しいけど湿っぽ過ぎない雰囲気が自分の気分に合ってる気がしてて。「人生なんてと諦めたら寂しくなるよと誰かが言う」ってフレーズが優しかった。人生なんて大きな言葉を使いこなせるほど長く生きてる自分じゃなかったけれど。鈴木聖美、『TAXY』も好きなんだけど、でも、『TAXY』の歌詞世界は、ジョージの店に縁のない自分なだけに遠い世界だったりする。当時は、いつか私も大人になってこういう歌に親近感感じるようになるのかしら?って考えなくもなかったけれど、いまだに遠い。こういうのは年齢じゃないみたいね。 今日の一曲『LET ME CRY』 鈴木聖美
2007年10月28日
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誰かと会えなくなった時にはそれが自分にとってどんな相手だったとしても心に隙間ができる。その人が占めていた分の。他の何かで埋めれば隙間は消えるはずなんだけど、でも、他の何かってなかなか見つからない。 今日の一曲『いちょう並木のセレナーデ』原由子
2007年10月26日
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好きなものに出会った時、それを作った人の出身地が自分と同じだったりすると、やっぱ感性が近いのかなーと思ったりする。というか、そういうのってどうなのかな?と思ってるから結構、気になる、出身地。といいつつ、全然関係ない出身地の人の作ったものもいっぱい好きになってる自分だったりする。でも地域が偏ってる気がしないでもない。 今日の一曲『なんて恋したんだろう』ドリカム
2007年10月25日
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自分の好みや考え方と違うからって完全否定してしまう人が、私は不思議。私は基本的に否定も肯定もしないです。まあ、好きなものとか、考え方が同じとかって時は肯定してるっていえばしてるわけだけども、「私は好きだけど他の人はどうかわかんない」「私も同じく思うけど他の人はどうかわかんない」っていうのが、くっついてるし、好きなものとか、考え方が同じこととか、そんなにそんなにあるわけじゃないし、というより、そうじゃないことの方が多いし。で、そうじゃない時には、「好きな人もいるんだよなー」「そういうふうに考える人もいるんだよなー」って感じです。それで「好きな人にとっては どこが魅力なんだろう?」とか「そういうふうに考える根拠は? そういうふうに考えるようになった経緯は?」とかってことを考えるのが楽しいです。そんなわけなので、完全否定の多い人は楽しいことにそんなに貪欲じゃないのかな?って気がします。考えることを楽しいと感じていない、その人にとっての楽しいことって別にある、ってことなんだろうなーとは思うんですよ。でも、楽しくなさそうに見える人がこの手のタイプには多いような印象があるので考えることを楽しいと感じてない=楽しいことに貪欲じゃない、って見方もあながち間違ってないような気が。考えることって人間にとっての一番手軽で一番広がりのある娯楽なので楽しさに貪欲だったら目をつけるんじゃないかなって思うんです。 今日の一曲『さあ冒険だ』 和田アキ子
2007年10月24日
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自分の要求を拒まれた時に「冷たい」だとか「自分さえ良ければいいのか」だとか相手の人間性をつつくような言い方をする人に過去の私は罪悪感に揺れながら流されていたけれど、今は、普通に、そういう言い方するあなたの方が私以上に自分さえ良ければいい人じゃないかな?って思う。 今日の一曲『ジュジュ』 佐野元春
2007年10月23日
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何年も連絡を取り合っていなかった友人が朝方の夢に出て来た。いつか遊びに来た時のように私の家の床にぺたんと座って、少し寂しそうに微笑んでいた。目が覚めて不安になった。もしかして何かあった、とか?だけど電話するにも番号がわからない。なんとなく落ち着かない気分のまま、仕事を終えて帰宅。電話のベルが鳴った。「もしもし」なんと、夢に出て来た友人だった。明るい声。不安は外れたみたい。良かった。だけど不思議なタイミング。なんかびっくりした。 今日の一曲『DREAM MACHINE』 NOKKO
2007年10月22日
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親は子を愛して当たり前っていう「社会通念」にはずいぶんと悩まされた。私の親は私を愛してるふうではなかった。客観的に見て、むしろ嫌っている態度だった。言葉ではっきりと嫌いだと言われてもいた。しかし私は「社会通念」に縛られていたから、そんなわけはないと思っていた。一見愛してないふうで実は愛している、というパターンなんじゃないかと、目をこらし耳をすまして愛のかけらを探した。見つからなかった。愛情の滲んだ言葉も態度もなくて、あるのは嫌いを示すものばかりだった。歪んだ愛なんじゃないかと考えもした。歪んでても愛ならいいやと思い、探した。だけど、見つかったのは、単なる歪みであって、とても愛とは思えないような代物であった。やがて私は、愛されてないのだと悟った。そしてなおも「社会通念」に縛られていた私は、今度はこう思った。親は子を愛して当たり前なのに、私の親は私を愛していない。それは私が愛される値打ちのない人間だから。自分で考えついたことじゃない。もともと親から言われていたことだった。悟るまでは、「口ではそう言ってるけど本当は違うんでしょ?」と思っていたけれど、悟って、ようやく、「そっか。本当だったのか」と納得したというわけだ。親からすら愛されない、愛される値打ちのない人間と自覚して、私はとても悲しかった。存在の意味について考えたりもした。そうして「私だって普通の親みたいに 子どものことを可愛いと思いたいよ。 だけど可愛いと思えないの。 だってあんたは・・・。 ああ、あんたがそんなんじゃなければ良かったのに」と嘆く母に対して、気の毒だなあと同情していた。悲劇のヒロイン気分の母が「ねえ、そうでしょう?」と言うので、つい、「そうだね、ママは不幸だね」と同情たっぷりに応えてしまい、「他人事みたいに言ってんじゃないっ」と余計に叱られたこともある。やぶへび。他人との付き合いでも自信が持てなかった。なにせ自分は親にすら愛されないような人間なのである。結局、大人になるまで、「社会通念」から自由になれなかった。自然にしていて人から好かれるということを何度か経験して、ようやく、「母と私は相性の悪い親子だったのだな」とか、「私の側に愛されない原因が、というより、 母の側に愛せない原因があったのだな」とかってことがわかった。事情次第では子を愛せない親もいるってことがわかった。親は子を愛して当たり前の世の中は理想的な世の中だと思う。理想を現実にするためのスローガンとしての社会通念があってもいいと思う。だけど、これって、そうでない親子からすると、結構なプレッシャーなのだ。だから、「例外もあるよ」って声もあった方がいい。よく思う。 今日の一曲『Liar』 小泉今日子
2007年10月21日
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私はノートパソコンが使いにくい。「読む・見る」ことについてはちょっと使いにくいなー程度だけど、「書く」のは駄目。使いにくいこと、このうえない。長時間の作業は、つらいっす。画面がね、目から近すぎるんだわ、結局。パソコン画面って光ってるから、ただでさえ目に負担がかかるのにこんなに近距離なんだもんな。ところで私は小さい頃からすこぶるテレビっ子だったし本の虫。加えて書くことが好き。高校時代からワープロ愛好者。ゲーム三昧だった時期もある。パソコンも長時間やっちゃう。しかし、30代の現在になってもメガネのお世話になってない。ちなみに、この前の視力検査では、1・0と0・8。良くはない、でも、普通の人よかずっと目に負担がかかる生活を送ってきたことを考えるとこの程度の視力を保てているのはなかなかよろしいことなのではないかと思う。それを私は「私って生まれつき目が丈夫なのね」と思っていたのだけれど、よくよく考えてみれば、なるべく目に負担をかけないようにやって来ていたのだわ、自分。思い起こせば小学生の頃。視力検査で1・0以下だった私は、ひどくがっかりしたのだった。当時、私の周りの子たちは、ほとんどが1・0以上だった。1・5が普通だった。なので、「私は目が悪い方なんだ。 このままだともっと悪くなるんだろうなあ」と思ったのだった。目を酷使してるしね・・・。で、なんとなく気をつけるようになった、というわけ。テレビを見る時は離れて見るとか、読書したり書き物したりする時は姿勢を良くして対象との距離を保つとか、ちょっと目が疲れたなーと思ったら遠くの景色を見るとか、どれも普通のことなんだけど、とにかくいつのまにかしっかり習慣化していた、と。そんなわけなので、習慣化してない人より耐性がないのかも。だってみんな普通にノートパソコン使ってるもんね。特に不満とかなく。っていうか、むしろ、便利でいいじゃーんって感じみたいだし。でも、ノートパソコンは、視力が落ちると思う。業界はそのへんどう考えてるんだろう。私はまたデスクトップに戻るつもりだからいいんだけど、世の中的にどうなんだろうという気が。昔と比べて目の悪い人が増えてると思うし、生活環境からいって今後さらに増えるのではと思うし。高齢者も増えてくしね。文字盤の位置を手前に設置したらもう少し画面との距離に余裕ができるから目にかかる負担がだいぶん違うと思うんだけどな。「もっと目にやさしい画面」の開発とか、どうなってるのかな。電磁波の問題もあるし、薄くて軽い方が良いということもあって液晶画面が好まれているし、パソコンに関しては、現在製作されているのは全部、液晶。テレビもたぶん、そうでしょう。しかし、私は、液晶派が一番言っている「画面がキレイ」の意見にそうでもないんじゃないかなーという気がしている。色は鮮やかなのかもしれない。でも、とんがった鮮やかさじゃないかな。光が強いんだよね。真正面からでないとまともに見られないしね。普通にCRTの方がキレイとも思っている。でもまあ、これは、個人の感じ方なんだと思う。消費者が選択できたら良いのにね。選択できないから困るね。私はトータル的に考えてCRTが好き、でも今時売ってない(笑)なんでもそうなんだけど、商品ってのは、「どこのもほとんど一緒」になってしまいがちだね。みんなで売れ線狙っちゃう。それって「平均的なもの」であったり、「誰もがそれなりに好ましいと感じるもの」であったりするわけで、逆に考えれば「マニア受けしないもの」「誰にとっても完全な満足にいたることはなさそうなもの」なんだと思うんだけど。どっちが良いって問題ではない。ま、企業は、リスクの低い方へと流れがちってことか。消費者もリスクの低い方を選びがちだよね。マイナーなものを買うと故障した時に困るしーとか、金銭的な負担が大きいしーとかあるでしょ。結構、流されやすいね。「なんか評判いいみたいだから」とか「誰々がいいって言ってたから」とか「最新だから」とかで、選ぶ。でも、新しいものがすべていいというわけではないし、どんなものでも個人個人で感じ方が違うと思うし、なにより、「誰々がいいって言ってたから」の誰々自体が「なんか評判いいみたいだから」で流されてる場合があったり、その「なんか評判いい」と言ってる大衆の顔が不鮮明だったりするので(情報操作も普通にあるね)実のところは信頼度的に頼りないんだけれどもね。けど、そこにホンモノも含まれてるからね、決して否定はできないわけだけど。企業と消費者が多数意見という輪の中で回ってる。どっちもギリギリの所でやってるからな。仕方ないのかも。と書くと、なんかこの状況を憂いでるみたいだけど、そんなこともないんだよ。「多くの人がいいと感じるもの(流されてるんじゃなくて)」っていうのは、たいがい、本当にいいしさ。平均して点数が高い、というかね。丸く良いもの。よくヒット曲は駄目ーとかベストセラー本は駄目ーとか言う人がいるけど、そんなことないの、全然。っていうか、じゃあ売れないものほどいいものなのか?って話。そんなことないでしょ。そうだったら変でしょ。ヒットしなくてもベストセラーにならなくてもいいものはある。でも、割合的に、ヒットしたりベストセラーになったものの方がいいものが多い。それだけのこと。わかりやすい目安としてあるわけだよ、多数意見というのは。目安は、ないより、あった方がいいね。メジャーがないとマイナーがないわけで、メジャーがあるからこそ、マイナーゾーンで宝探しできる楽しさがある。あと、メジャーゾーンは、眺めてて面白いね。流されての多数意見なのかどうかってことはすごく気になるし、自分は自分の目で選ぶつもりでいるけれども、眺めてて面白いから、憂いでない。選択の自由が保たれていれば理想的、とは思ってるけども。この文章、休み休み書いたのでだらだら度が増してしまい、皮肉にも、「ノートパソコンは使いにくい」とか言ってるにもかかわらず普段以上の長文になってしまいました(笑) 今日の一曲『週刊東京少女A』 爆風スランプ
2007年10月19日
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雑誌やテレビで勝ち組、負け組のいがみあいを目にするとスケールが小さいなーと思う。どちらも世界的、歴史的に見ればたいしたことないでしょ。勝ち組ってほどじゃないし負け組ってほどでもないさ。まあ、とにかく、いがみあうほどのもんじゃない。 今日の一曲『シャ・ラ・ラ』サザンオールスターズ 原由子のパートが好き。
2007年10月18日
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1983年。作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆。十代の頃、小雨降る夜の街で、帰りのバスを待ちながらこの歌を頭の中で歌ってた。映画色の街って言葉が好きだった。幾千粒の雨の矢たちって言葉が好きだった。劇的なことなんてなんにもない、他愛ない数分間が一生ものの記憶として残るだなんてこと、あの時にはちっとも予想していなかった。少し不思議な感じ。 今日の一曲『瞳はダイアモンド』松田聖子 時の流れが傷つけても傷つかない、 心は小さなダイアモンド。
2007年10月17日
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パソコン、瀕死状態。ちなみに今使ってるのは2号機。ノートです。ダイナブックです。しかしダイナちゃんと私は相性がよろしくない。というか、ノートが駄目なんだ。キーボード的に。ねえ、なんでノートパソコンって手前にタッチなんとかがついてんの?遠いの、文字盤が。私、ピアノを弾くみたいにキーボードを打ちたいの。というわけで、瀕死のデスクトップをなんとか使える程度にするべくここ数日、頑張ってきたけれど、どうも無理っぽい。しかもダイナちゃんも調子いまいち。(調子良くても相性悪いし)なので新しいのを買うことにしました。愛用デスクトップを買ったのは8年前。ダイナちゃんは3年くらい前だっけかな(忘れた)以来、NEWパソコン事情なんてちっとも気にせず生きてきた私。まあ、なんていうか・・・いいのがいろいろ出ているね(笑)夢が広がるってものだよ。ネット接続の設定もずいぶん、楽々になったみたいね。名前なんだっけ、昔のやつ。ADSL以前のやつ。私、機械関係駄目だから、めちゃくちゃ苦労してようやく繋げることができたんだ。ADSLに切り替えた時も、無線LANにした時も、とにかく何かするたび、「意味わかんないっっ」を連発しながら頑張ったさ。でも、新しいパソコンなら、そんな苦労もしなくて良さそうだね。簡単、簡単。愛用パソコンがもう駄目なのだと実感した日には、ぼーっと悲しみに暮れていた自分だったけど、新しいのを買うぞと決めたら、いきなり上昇、浮かれ気分。げんきんなものね。何、買おうかなー。明日も本屋で雑誌読みながら考えようっと。 今日の一曲『悲しみTOO YOUNG』田原俊彦 浮かれ気分で砂浜♪
2007年10月16日
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2002年。凄く好きな歌です。歌詞も好きでよく思い出します。声にも出しちゃいます。この前も、「曖昧な想像なんてめくるめく光の偶像」と呟いて、「はあ?」って言われたし(笑)大好きなんです、このフレーズ。「大抵は君にも届かず終わるだろう」って続くんですけどね。実際、曖昧な想像なんてめくるめく光の偶像だし、大抵は愛する人にさえ届かずに終わると思うんですよ。 今日の一曲『裸の王様』ラブサイケデリコ
2007年10月15日
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柿の種チョコとかね、えびせんチョコとかね、甘くてしょっぱいお菓子が好きな自分。甘いだけじゃ不満。しょっぱいだけでも不満。この手のお菓子がなかった頃にはあられ系のお菓子とチョコを一緒に食べたりしてた。考えてみれば、これってお菓子に限ったことじゃない。どんなものでも、反対のもの同士が交じり合ってるものが好き。暗くて明るい。遅くて早い。重くて軽い。冷たくて温かい。弱くて強い。怖くて可愛い。意地悪で優しい。一色だけじゃ物足りない。好みっていうのは繋がっているのだね。 今日の一曲『ハングリースパイダー』槇原敬之
2007年10月14日
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1992年。作詞・作曲:森友嵐士。この当時、すっごい聴いてた。T-BOLANのミニアルバム『夏の終わりに~アコースティックバージョン』電気を消した部屋の中、音を消してスーパーマリオブラザーズ3をやってた。完全攻略目指して。BGMはこのアルバム。光る画面をじっと見つめ、コントローラーを操作しながら、声だけ感情込めまくりで歌ってたものだよ。「あふれでるーかんじょーおおおお、落ちたーっ」みたいな。私の感情、あふれっぱなし。この時期は、派手なアレンジの曲に食傷気味でシンプルな曲を求めてた。CDの帯にアコースティックの文字を見ると買いたくなってたくらい。このアルバムは思ったほどアコースティックじゃなくて(笑)しかも森友嵐士の歌声ってのが、普通以上にシンプルじゃなくて、だけど、実は、あんまりシンプル過ぎても寂しい自分だったから、ちょうど良かったんだと思う。ほんと、気に入っていた。しかし、今聴くと、よくこの音をバックにマリオなんてやってたなーと思う。テンポ的に合わないだろう(笑) 今日の一曲『あふれでる感情』 T-BOLAN
2007年10月12日
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1981年。作詞・作曲:イルカ/編曲:小田和正。ヒットした頃は小学生だったんだけど、すごく好きだったのは、その後、14、5才の時でした。「本当は明るい人が好きなのね」のフレーズに共感してね(笑)その頃、私、明るい雰囲気がカケラもなかったから。恥ずかしがり屋で誰かにちょっと話しかけられただけでも真っ赤になって、しどろもどろになって。気の利いた受け答えなんてできない。面白い話なんてちっとも思い浮かばない。楽しそうにふざけあって、笑いあってる人たちのこと、遠くから、羨ましい気持ちで眺めてた。告白されて、すごく嬉しくて、震えながら頷いて、付き合いだしたけど、こんな私でいいのかなあってすごく自分に自信がなかった。もっと可愛くてもっと明るくて友達が羨ましがるような女の子じゃなくて、私なんかが彼女で、ほんとにいいのかなあって。だからこの歌が他人事じゃなくて。ちょっと彼の態度が変だったりしたら、この歌の、「本当は明るい人が好きなのね」のフレーズが頭の中を、ぐるぐると。「Follow Me そう言って Follow Me きっときっと」どうか私に自信を持たせてください、そしたら、きっと、明るくなれるから。なんて思いながら、「でも、きっと、 こういうのって重いよね・・・」とも思うから、なおさら悲しい気持ちになったりしてた。明るい人が好きだったらそもそも私を選ばないだろう、なんてことにはちっとも思いが至らずに。 今日の一曲『Follow Me』 イルカ
2007年10月11日
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テレビを見ながら、最近、よく思う。結構、「いい・わるい」のモノサシで生きてる人、多いみたいだね。自分にはあてはめなくても他人にはあてはめたがる。意見だけ聞いてたら常識的、道徳的な人格者ばかりの世の中だ。「いい・わるい」とか言ってるけど、結局は「好き・嫌い」の問題なんじゃない?って思う時があるよ。同じことをしても好きな相手なら笑顔で流して、嫌いな相手なら立ち上がれなくなるくらいに責め立てるんだねって感じた時。とんだ人格者だな。 今日の一曲『雨上がりの夜空に』 RCサクセション
2007年10月10日
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1980年。作詞・作曲:さだまさし/編曲:渡辺俊幸。さだまさし、好きだった。小学生の頃。よく口づさんでました。ちょうだいませませ~♪とか、おまえを嫁にもらう前に~♪とか(笑)『無縁坂』の、運がいいとか悪いとか~♪って部分は今でも坂道を歩いてる時とかに口づさんでたりする。そういうことってあるよなーと思いつつ。暗い?(笑)なんだろうね、単純に素直に好きだなーって思える曲調なのよね、さだまさしって。すーっと入って来るっていうか。曲の展開し方もいい。歌詞にストーリー性がある所も。『案山子』とか、すごくいい曲だよなーと思うんだけども、よくできた曲だよなーとも思う。『道化師のソネット』は、子どもの頃には印象薄かったんだけど、大人になってから改めて聴いて、じーんと来た。「せめて笑顔が救うのなら 僕はピエロになれるよ」って歌詞が好き。私も好きな人たちのためにピエロになれるよ、なりたいよ、なるよ。ソネットがどんなもんなのかもわからない自分だけれど。 今日の一曲『道化師のソネット』 さだまさし
2007年10月09日
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一晩あけたらセピアの画面に逆戻り。束の間の喜びだったらしい。おまけにパソコン本体からどっかの工場みたいな変な音が。これはもう、モニターのせい、ではないのかもね(笑)しかし、すごい音だな。爆発しちゃったりなんかして。でもって、私の髪、一瞬にして、アフロになっちゃったりなんかして。そうなっちゃたら、仕方ないから、スキマスイッチを歌うよ。 今日の一曲『全力少年』 スキマスイッチ
2007年10月08日
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たぶんモニターのせいだと思うんだけどパソコン画面がセピア色になってから数ヶ月・・・。今日、いきなり、元に戻った。久しぶりのキレイな画面。おお、バックの白が、普通に白だ。なんて眩しいのだ、白。輝いてるぜ、白。直る日を待ち続けたけれどさすがにもう諦め時かねと思い、モニターを買うことに決めたのは先週のこと。私が欲しいのは今使っているのと同じタイプ。こいつは今時、売ってない。新品じゃ入手不可能。ほんとはパソコン関係、中古は抵抗あるんだけども、ないものはしょうがない。早速オークションをチェックしたところ、今使ってるのと同じのが一つだけ、なんと100円で出ていた。ジャンクじゃなくてこのお値段。時代遅れのシロモノだし、高くはないだろうさと思ってはいたものの、あまりの安さとタイミングの良さに運命を感じたよ(笑)だけど、改めて写真をチェックしたところ、シール痕を発見。安いものにはわけがあるってことかい。気にならない人は気にならないだろうけど(当たり前か)私は気になる。パソコンしながら「ああ、シール痕・・・」と、いちいち思ってしまいそうだ。というわけで、入札、やめました。感じたはずの運命、あっけなく、切れました。で、次の休みにでも中古ショップに行ってみようかしらと思っていたのですが、今日、モニター復活。う、うれしい。入札しなくてラッキー。またいつ駄目になるかわかんない。なんてネガティブな想像するのはやめておこう。起きてやしないコトに暗い気分になるのはバカバカしいことさ。 今日の一曲『ヘッドライト・テールライト』奈歩 中島みゆきのカバー。 オリジナルよか気に入っている。
2007年10月07日
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ええと、私は、かれこれ15年ほど前に病院でアトピーと言われ、以来、断続的ではありますが、ステロイドを使い続けてきたわけなのですが、今年のはじめ、医者不信をきっかけに、すぱっと薬をやめました。その後は猛烈な症状悪化。しかし、3ヶ月目くらいがピークだったようで、その後は、地味なスピードながらも快方へ。8ヶ月が過ぎた今では、最初の頃の状態が嘘のようです。たいへんだった時期は、アトピーに恋でもしているかのようにそればかり考えていたけれど、最近は、ほとんど考えなくなりました。そんなに意識しなくて済む程度になったわけです。パチパチパチ。ところが、別の問題が勃発。これがねー、結構、困った問題だったりするんだな(笑)食生活。食べると具合悪くなるものが激増しちゃったのです。アレルギーの出方が変わったのかもしれない。肌に出ないで、体内で出るタイプになったというか。食べ物の通り道に合わせて順番に具合が悪くなります。軽い時は口の中や喉が変になっておしまいですが、ひどい時は胃腸まで変になっちゃいます。以前から、生卵だけは、こういうふうに駄目だったんですが、生卵以外のものまで(しかも、あれもこれも)こんなふうに反応するようになってしまうとは。アレルゲン自体、日に日に多くなってく傾向なのですが、どうやら食品添加物の何かと薬品関係に強く反応してるっぽいです。(組み合わせ的な問題の可能性もあり)当然、気をつけていますが、肉や魚には薬品が、野菜には農薬が、加工品には食品添加物が、入っていないものの方が少ないご時世・・・安心なものは、探すのたいへん、値段もお高い。正直、疲れます。せめて、探すの楽だけど高いか、探すのたいへんだけど安いかのどっちかなら良いのに。外食、できあいのものなんて、気楽に口にできません。(食べたい時は挑戦者の気分で食べてますが、 最近はそういうガッツもなくなってきた)食事するのが面倒くさくなって来ました。しかし、空腹はきつい。で、お菓子を食べるようになっちゃった。お菓子の方が、具合悪くなる率が低いんです。(お菓子にも添加物は入ってるけど、 普通の食べ物と違う種類のものが使われているので、 反応していないんだと思われる)甘いものはアトピーに悪いというのが定説ですが、なぜか私はなんでもない。今のところは。むしろ、お菓子を食べるようになってから、肌の調子が上向きになった。(普通の人は吹き出物が出るが、 乾燥肌の自分だと適度に潤うのかもしれない。 でも、こんな都合のいいことは、長く続かないだろう。 普通に考えて)お菓子は、どこでも売ってるし、安い。空腹もそれなりに満たされる。だから、つい。太る気配はないので、ますます、つい。甘いものは中毒になるみたいですね。ちょっと前まで別に好きじゃなかったのに、今じゃ甘いもの大好きになっている。まずい。こんな、お菓子ばっかり食べてたら、体がどうかなってしまいそうだ。アトピー治っても別の病気になってしまいそう。真面目に体に良い食生活に取り組むしかないんだろうなー。でも、めんどくさいなー。めんどくさいけど、やんないとなー。あーあ。まー、ボヤいてても、仕方ないよな。とりあえず、食べ物過敏体質が一過性のものであることを祈るとするか。神頼みかい(笑) 今日の一曲『現在位置』スネオヘアー 真面目な話、 この曲、この歌声に、 癒されたんですよ、つらかった時期。
2007年10月05日
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1991年。作詞・作曲:真島昌利。ブルーハーツの曲は、ほとんどが、ボーカルのヒロトこと甲本ヒロトか、ギターのマーシーこと真島昌利が作っていて、(割合的には半々)共作は、ほとんどない。有名な曲でいうと『リンダリンダ』『人にやさしく』『情熱の薔薇』はヒロト。『TRAIN TRAIN』『青空』『1000のバイオリン』はマーシー。歌詞の世界観や言葉のセンス、似ているようで結構違う。私はヒロトの歌詞も大好きだけど、マーシーに対しては大好き以上のものを感じてる。自分の中でマーシーは完全に別格。素晴らし過ぎる、胸に響き過ぎる、共感でき過ぎる。世界一の詩人って思ってる。さて、『TOO MUCH PAIN』この曲はブルーハーツの全部の曲の中で最も美しい。ブルーハーツのパブリックイメージに美しさって、ないと思う。機会があったら、この曲をぜひ聴いてみて欲しい。そして「音的には単純でつまらないでしょ」と思っている人。「結局、青くさいメッセージバンドでしょ」と思っている人。この曲や、後期のアルバムを聴いてみて欲しい。たぶん、印象が変わるから。私は音的に単純なブルーハーツも青くさいブルーハーツも大好きだけど、だけどね、ブルーハーツっていうバンドは、決してそれだけじゃなかったのだよ。 今日の一曲『TOO MUCH PAIN』 THE BLUE HEARTS
2007年10月04日
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スピッツの『正夢』に「ずっとまともじゃないってわかってる」っていう歌詞があります。この部分を聴くと、私は、「だから私、スピッツが好きなのさ」と思うのでした。スピッツの歌には、いつもなんとなく、「まともじゃないとわかってる感」が漂っている。と、スピッツの話は、とりあえずここまでにして。「まともじゃないってわかってる人」が私は好きなのです。まともじゃない人ではなくてまともじゃないとわかってる人。私が恋や恋に似た気持ちを抱くのは、決まって、そういう人。自分自身が、まともじゃないってわかってる人間の私の目には、まともだと自信持ってる人は、川の向こう側の住人に映るんです。 今日の一曲『正夢』 スピッツ
2007年10月03日
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職場のAさんが「来月、旅行に行きたいんだけど、 まとめて休みをとってもいいかな」と申し訳なさそうに言ってきた。詳しく聞くと、困ってしまうスケジュールだった。「うわ、すっごい忙しい時期じゃん」うちの職場は誰かが休むと他のみんなに負担が直撃する。「そうなの。 もしどうしても駄目なら諦めようと思ってるんだけど・・・」「すごく行きたいんだよね?」行きたいオーラをビシバシ出しながら頷くAさん。しょうがないなー。「わかった。私はいいよ。 で、他のみんなにはこれから聞くの?」「あ、うん、Bさんには昨日聞いた」「いいよって?」「・・・いや、その、何も。・・・無言だった・・・」「無言って。 聞こえてなかったとか?」「いや、それはない。 ムっとして返事しなかったのは間違いない」間違いないって、あんた。それじゃあ、既に昨日の段階で諦めるべき状況にいたってことじゃないのかい?(笑)まあ、でも、よっぽど行きたいってことなんだろうな。行かせてあげたいぞ。「ちょっと待ってよ」私はしばし考えた。自分一人でAさんの分の負担を背負えるか。無理と工夫で、どうにかできそうだ。うん、できる。いや、する。「他の人に負担かけないで 私一人でなんとかするから、 Aさん、旅行に行っていいよ」「ココナツさん・・・」「いいよ、いいよ。 ま、おいしい土産でも買って来てよ」「そうじゃないの。 私、気持ち良く行きたいの」「は?」「ムッとされながら行くんじゃなくて、 いってらっしゃいって 笑顔で気持ち良く送ってもらって、行きたいの」「私は笑顔で見送るよ」「だから、ココナツさんだけじゃなくて、みんなに、 笑顔で送ってもらいたいの」「・・・・・・」忙しい時期の旅行だけじゃなく、気持ち良く旅立つことまで望むのか?それは望み過ぎじゃないのか?無理を承知で自分の希望(旅行)を通すんだったらムッとされることくらい、受け入れろ。それがいやなら、すぱっと旅行を諦めろ。「ねえ、Aさん、私、なんだか、 笑顔で見送りたくなくなってきたよ」「え!?」 今日の一曲『一人ジェンガ』 矢井田瞳
2007年10月02日
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50代くらいの、くるくるパーマの女の人と、足腰弱ってるふうなおばあさんがスーパーのふりかけコーナーで会話していた。くるくるパーマ「どれがいい?」おばあさん「どれもおいしそうだね」くるくるパーマ「じゃあ全部買いなさいよ」おばあさん「こんなにたくさん買ったらあましてしまうよ」くるくるパーマ「いちいち買いに来るの、面倒だからさ」おばあさん「でも私もこの年だし、いつ逝くかわからないしねえ」くるくるパーマ「いつ死んでもいいと思ってるよ」おばあさん「・・・」くるくるパーマ「あ、ひどい?でも本当の気持ちだから。 本当にねえ、さっさと死んで欲しいんだわ」さっさと死んで欲しいんだわ???もしかしてこれってブラックジョークなんだろうか。結局、買うのをやめたらしい。おばあさんが、よろよろと、数歩歩いた。すると、くるくるパーマ、大きくて尖った声で、「ちょっと!どこ行くのっっ」おばあさんの腕のあたりをバシッと叩いた。やっぱりブラックジョークじゃないんだ・・・。びっくりして視線を外せないでいた私、くるくるパーマと目があった。くるくるパーマは、一瞬、気まずそうに表情を歪めたあとで、さっと目をそらし、おばあさんの手を握ると、引っ張るみたいにしながら、去って行った。なんか、すごく、ショックだった。ひょっとしたら、くるくるパーマの胸の中にはこういう言動になっても無理ないような、深くて長い憎しみの川みたいなものが流れているのかもしれない。それともか、疲れきっていて心に余裕がなくなってるのかも。もちろん、単に思いやりに欠けた性格っていう可能性もある。通りすがりの私には真実はわからない、しょせん。わからないけど、とにかく、ひどく哀しくなった。 今日の一曲『The Old Lady Next Door』 Reimy
2007年10月01日
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