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どうしても気が乗らないこと、面倒臭くて後回しにしてたこと、やりたくないなって思っていてもやらなくちゃならないって思うこと、そういうことをやる前に、やればいいことが起きるって、勝手に思うことにした。物事は全て考え方だし、受け取り方だ。嫌なことも良いこと、って思うのは、着目点を変える訓練になるのではないかという気もする。いいことは、心の風景が変わることかもしれないし、気持ちがすっきりすることかもしれない。清々して次のことに手がつけられることにもなる。思いがけないプレゼントがあるかもしれない。なければ自分で自分にあげればいい。今日の場合は、きのう朝から出かけていて出来なくて、たまった洗濯物だ。前は一日がかりで洗濯をすることがよくあったけど、最近はちゃんと朝のうちに済ませることができるようになっていたはずなのに。それと、風邪でいけなかった歯医者(これはちゃんと行けた)まだまだ後回しにしておいて、思考の隅に澱のように淀んで整理が必要なことはたくさんある。始めれば、最初のうちは面倒臭くて、スローモーションで動いているのだろうが、そのうちに行為に没頭して、面倒臭いって思ってたことなんて忘れちゃうんだろうな。
2005.02.07
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過去はないのだけれど、自分の中には年輪のように、あるいは、ごちゃごちゃのおもちゃ置き場のように溜まっているような気がする。今の自分は過去の自分と切り離してはいられない。過去の忘れてしまった記憶もきちんと書き留められているような気がする。書き換えることは可能なのかもしれない。一度漂泊するように取り出して、ホコリをはたいて、感謝して手放す。ひょっこり顔を出す度に、向きなう。そして、今立つ場所にいるのは過去のおかげだってことで、感謝して進む。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーバザーは無事に終わりました。ケーキも早めに完売。値下げすることなく。よかった。
2005.02.06
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つい、悪く思ってしまう人がいるけれど、そこで欲望に負けて、悪く思ってしまったら、自分の負けなのかもしれない。相手の美点を見つけてこそ、こっちの利益になると言う意見もあるからだ。(あるいは、自分を深く分析して、相手は自分の鏡と思うか)多分その意見は正しいだろうな。愚痴や悪口の垂れ流しは、後で嫌な気分になるというおまけつき。最近、保坂和志氏の著作をよく読む。この人は、本を書くからには、ルールを決めて、絶対ネガティブなことは書かない、ネガティブな気分にさせることも書かないという意志の持ち主だ。つまり登場人物もネガティブではない。人間は誰しも、よい方向に行こうと思っているという人間観に根ざしている。そうかもしれない。どう言う手段で、どう言うルートを通ろうと、行きたい方向は決まっているのかも知れない。そう思うと、どんな人にぶつかってもその人の美点を見つけようって気になるかも知れない。忍耐強く相手の美点を探す時間がなかったら、行く方向は同じだって、同志の気分になってもいい。確かにみんな行く方向は同じだし、行き着く場所も同じだ。誰も年齢を重ねるのをやめて、子供には戻れない。
2005.02.05
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去年の一時期、無性にお金の心配をするときがあった。病にかかったようにそのことが頭から離れない。別にその時期にお金に困っていたわけでもないし、緊急にお金が必要だったわけでもない。将来を心配してただけである。その時は、現実に動くことと、別に貧乏したっていいや、って思ったことで、その状況を脱した。その時期を切り抜けたことで、お金の心配って病気には、免疫ができたと思ってたのに、今日突然、再び病が復活した。突然、前触れもなくお金を心配しだしたのである。自転車に乗っている時に。最近は、マイナス思考に対して前とは違う方法で対処することにしている。無理矢理蓋ををして、考えないことにしたり、ポジティブに思考を切り替えようとしても、所詮応急処置。私の場合は、だけど、根を張った思考は消えずに再び顔を出す。だから今日は、お金の心配をしてる思考はそのままにして、そっと横にプラスの思考を置くことにした。サネヤ・ロウマンの「パーソナルパワー」に出てた方法だ。置いたのは、ボブ・マ-リィの「IS THIS LOVE」の歌詞の中の、生活は全て、ジャーが面倒を見てくれるの部分(前に日記に書いたことがある)どうやら、並べて置いたらやっぱりポジティブの方が強いらしい。ボブ・マ-リィの歌詞のパワーやジャーのパワーの強さも測り知れないけれど。
2005.02.04
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二日前に書いたトマス・ムーア氏の本を読んでから、意識的に夢を鑑賞しようと思うようになった。混沌とした無意識の世界からのメッセージでもあるし、幻想的で美的なときもあるし、奇怪なものもあるし、不思議な余韻をもたらすこともある。自分の中にあったものだから、自分に無縁なものではない。解釈は一つといわず、いくつも多面的に見るのがいいという。絵を見るように。鑑賞するつもりで。最近寝てばかり。ほとんど夢を見るために寝ているようなものだ。今日の昼寝の夢では、満天の星を見た。空を埋め尽くす星のイメージで、頭は一杯。今はケーキの大量製作中。明日幼稚園でバザーがあるため。だから急ぎの日記です。
2005.02.03
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「今まではない、これからもない」現在に生きるって言ったってすぐに忘れる私。学校関係で忙しくっていろんなことで時間がせまると、焦ることも多い。その時役立つのがこの言葉です。最近の日記は重くてやだなってほんとは思ってるけど、書く必然があるんだろうな。楽しいことは書きたいけど、笑えるのが書けるには百年早いのか!
2005.02.02
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「失われた心生かされる心」トマス・ムーア著著者は古典や神話に造詣の深いユング派精神分析医。世の中や自分以外の人間に目を向けず、自分自身に焦点を絞る傾向は「ナルシズム」と呼ばれ疾患の一つと見なされている。人々に誉めてもらいたい。他人に自分をよくみてもらいたい。反対に自己陶酔して、社会や現実や他人が目に入らない。周囲を気にしていても、周囲に自分がどう映っているか気にして、理想の自己にすがりついているだけで、実際の自分や他人には興味がない。劣等感の裏返しで、自分が社会の一般の人より優れていると思い込む。ナルシストは人を意識してひたすら自分を飾り、自分を見失ってしまう。自分自身を愛せないのが、逆の現象として出てきて、自分を認めたい気持ちが強く出過ぎる。ナルシズム現象は、最近の社会の病理っていうほど蔓延しているのではないだろうか。(もちろん自分の中のそういう部分も無視できない)トマス・ムーア氏は、ナルシズムの語源となった、ナルキッソスの神話には、単に自分を愛した少年の話ではなく、さまざまな暗示がこめられた深い意味があるという。1、ナルキッソスは、川の神と妖精の間に生まれた子供(ナルシズムは液体あるいは、水に関係がある。ナルシズムに陥った時、人は地面(地)に足がつかなくなり明晰さ(空)と情熱(火)を失う。不安定で液体のような形のはっきりしない存在でどっしりとした自己に根ざしているというよりは、幻想の流れに身を任せて生きているのではないか)2、予言有名な予言者に「この子は自分のことを知らなければ天寿を全うできるだろう」と言われる。(ナルシズムは単純な症状というよりも、謎に満ちた世界)3、妖精エコーの恋ナルキッソスが自分に出会う前、エコーの恋を拒み、エコーは声だけの存在になってしまう(拒否しなければ、かたくなに自分にこだわることで維持している弱い力が脅かされる)4、泉に映った自分の姿に恋をする。しかし、手を伸ばしてもその姿をつかまえることができない。(ナルシズムの症状は快方へ。静寂が訪れ、自分と言うものの不思議を感じ、その本質に考えを巡らせる時となる)5、焦がれる心の辛さのあまり木に話し掛ける「僕ほど恋いこがれたものがこれまで一人でもいただろうか?」 (自然に語りかけることで哀しみを通じて『こころ』との関係を見出したことを示す)6、自分が持っていたものに憧れていたなんて!(新しい自分を愛することは、自分を新しく知ることであり、自分に秘められていたものを知ること)7、死について考えはじめる(今までの殻をかぶった自我を愛する自分の終わりが、実際の死のように感じられる)ナルシズムを治すただ一つの道は、生身の痛みを知り、自ら注意深く作り上げ守ってきた(幻想の中で温めてきた素晴らしい自己イメージなど)自分を捨てることだという。トマス・ムーア氏は、人間に欠くことのできない適切な自己愛とナルシズムは正反対だという。自我の欲求を叶えること、「こころ」の不満に耳を傾け、「こころ」の願いに愛情を注ぎ、見守ることで人生の可能性に喜びを感じる真の自己愛を育てることができる。ナルシズムは、真の自己愛に通じる通路なのかもしれない。泥の中に金塊が埋もれていることを示す声なのかもしれない。表面のぬかるみを突き抜けることで、深みの核心にたどりつけるのだろうか。著者は、ナルシズムをあるがままに受け入れ、神話の響きを見つけることができれば、ナルシズムに感謝する気持ちになれると言う。
2005.02.01
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