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今、カエルを食べてる最中。カエルの食べ方を考えてみた。(一番重要で、難しいと思ってて手をつけられなかったことが、カエル。前の日の日記参照)カエルは、新鮮なうちに(なるべく朝一番に)1.捕まえて (どれがカエルか、自分で決める)2.料理して (準備して)3.時間を決めて(一時間だけ、集中してこれをやるとか決める)4.一口づつ (いっぺんにやろうとすると、嫌になるから、少しづつ)5.食べる (やり始めると、嫌だと思ってたことが簡単で楽しいって気づく)6.食べた自分をほめる (こんなに醜くて大きなカエルだったのに少しだけでも、短時間でもできた自分ってすごいよね、って自分に言い聞かす。できれば、褒美を上げる。散歩でもいいし、何か買ってもいいよね)===六月も今日で終わり。六月には来年にならないともう会えないわけだ。こんなに日記が書けた月は、半年以上も前になる。お休みしては、何日かまとめ書きになってしまったけど、続けますのでよろしくお願いします。
2005.06.30
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「カエルを食べてしまえ!」ブライアン・トレイシー著ここで出てくる「カエル」は、一番難しくて重要なこと。大事なのに厄介に思ってしまって、なかなか手がつけられないで、後回しにしてしまうこと。昔からこういわれているらしい。「朝一番に生きたカエルを食べれば、その日の最悪事はもう終わったと安心してすごすことができる」それにしても、「カエル」とは、インパクトがあって生々しくて、的確ではないか。カエル嫌いの私でも、このカエルの喩は、大好きになりそうだ。もし、重要なのに手がつけられないことがあったら、「これはカエルだ」と自分で思えば、えい!と食べる気になるかもしれない。あなたのカエルは何ですか?私の今日のカエルは、まだ口をつけてません。ーーーーーーーーカエルの効用といえば、カエルがあると、オタマジャクシ(カエルより小さなやってないこと)がすぐできること。やらなきゃいけないって思ってる重要なことを先延ばしにしていると、カエルはきっと増殖していくんだろうな。それはかなり想像したくない光景だ。そういえば、カエルが雨のように空から降ってくる話はよく聞く(映画マグノリアでも降っていた)スティーブン・キングの短編小説では、降って来るカエルは、歯が生えていて、肉食なのだ。そんなのが、降り積もってきて、家のドアも食べてしまう。中にいる住人がどうなるのかは、想像の通り。
2005.06.29
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「You can have it all 成功プラス幸せを手に入れる21の原則」アーノルド・パテント著幸せ実現本の中で一番いいな、って思ったのがこの本。21も原則があるのって大変だって思うし、実はまだ全部読み終わっていないのだけど、それだけ読みごたえがあるってこと。本の内容の全部を集約することばがあるとすれば、あとがきで訳者のあさりみちこさんが書いていることだと思う。「そう、わたしたちはいまこの瞬間すべてを手にしているのです。それに気づいているかいないかの違いがあるだけなんです。ただ、その違いは、私たちの人生において天と地ほどの差を生むに違いありません」欲しいものは、いますでに全部手にしている。そう思えるだろうか?瞬間ごとに切っていけば、まさしくそうだ。そう思えなくて、いやいや、違う。まだこれとこれとこれが手に入っていない。と思うだろうか。結局、何に焦点を当てるかだ。今、全てを持っているって思えば、自然に感謝の念がわく。いいことも悪いことも、全ては贈り物だと思える。今手元になくて、欲しいって思っていることに焦点を当てると、意識は、「いま、ここ」から、不確定の未来に彷徨い出てしまって、幻想に絡み取られる。
2005.06.28
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同じ本はそれほど何度も読まないと思っていたけど、繰り返し読んでも読むたびに楽しい本があるのを思い出した。スティーブン・キングの「ミザリー」だ。何で?って思われる本だろうけど、細部が充実しているので、大まかなストーリーを覚えていても楽しめる。この本が手元にあったのは、前に外国にいたときで、ほかに何度も読んで楽しい日本語の本がなかったせいもある。ブックオフで、ミザリーを見つけて、古い友人に会ったような懐かしい気持ちになった。それでも、細かいところは全然思い出せないので、また読んでも楽しいだろうなって思う。残念だけど、今はほかに読みたい本がたくさんあるので、ミザリーをまた読むのは、もっと先。スティーブン・キングは、古い作品の方に愛着がある。一番すきなのは「デッド・ゾーン」次は「IT」
2005.06.27
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毎日同じことばかりだと、生活はマンネリ化して、見たり聞いたりすることが、色褪せていくような感じがする。特に家庭の中、あるいは、毎日歩くルート。同じところで同じ犬に出会い、猫が寝ていて、木々が揺れている。昨日の日記に書いた本の中に「いつも旅人の気分でいると新鮮だ」ってことばが書いてあった。確かにそうだ。はじめから、いつも同じっていう考えがちだけど、時間は動いているのだから、いつも同じはずはない。旅をしている気分で街を歩き、もっと好奇心を持ち、いろんな発見に出会いたい。きっと、考え方や姿勢や視線の問題なんだろうな。歩くとき、いつも同じところばかりみないようにするのもいいかもしれない。前に一度、視線を上にして、上の方ばかりを見るようにして歩いてみたら、全く違う光景が見えて驚いたことがある。木だったら、葉先の方を見たり、建物の二階より上の方を見る。時々UFOが飛んでないかしら、って思って空を見て歩くけど、残念ながら、ずっと昔に一度見たっきり。
2005.06.26
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こんな暑くて頭が働かない日は、いつもやろうと思っているのに、なかなかできないことを日記に書こう。寝る前の運動は5分で済む。なのに、たまにやっては休む(私の楽天日記もそんな感じだ)五分の運動では、筋肉はつかないけれど、身体の気持ちよい感覚を思い出すことができる。運動してないとなかなか思い出せない感覚だ。身体の次に心の手入れ。日記を書くのも絵を描くのも、本を読むのもOKだけど、たまにはただ座る瞑想。これもやるのは断続的。しばらくたって、忘れたころにまたはじめる。さっき読み始めた「だいじょうぶそのままのあなたでいい」という本に「一日十分間、沈思黙考しなさい。そうすれば、数知れぬ生命を救い、永劫の時間を節約できる。それを怠れば、光は消えうせ、全ては枯渇する」と書いてあった。古い宗教書に出てたことばだという。大きな違いではないか。忘れそうになったら、このことばを思い出そう。光が消えうせ、全てが枯渇するのは避けたい。
2005.06.25
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「気持ち」と「感情」は違うらしい。気持ちは、感情より一歩手前、思考のフィルターを作る前のごった煮なもの。即身体性、みたいなもの、体の中の嵐のようなもの、血管を通る風のようなもの、胸のつかえ、みたいなもの、皮膚のドアから出入りする空気のようなもの、その他、気持ちが身体で会話する形はたくさんある。思考で(つまり頭の中の会話で)その身体の状況を名づけると、それは感情に変わる。「怒り」「悲しみ」「憧れ」「寂しさ」「悲しみ」「興奮」「恐怖」「喜び」感情は、名前をつけられた気持ち(身体状況)なのだ。フィルターを通して名づけると、身体は会話をやめる。言ってもわかんないんだな、って、ふてくされてしまう。一度だけ、すぐに名づけて分類するのをやめて、身体の会話に耳を澄ますことを覚えると、身体はもっと近くなる。感情が恐くなくなる。気持ちは、単に身体の会話だから、「私怒ってる。どうかしなきゃ」なんて思わなくてよくなる。身体を通る風が気持ちよくなる。それがエネルギーかもしれないって思う。気持ちを名づけるのって、ファイルをフォルダーに入れるのと似ている。このフォルダーは、怒りだから、処理しなくちゃ。とか、このフォルダーは、いらいらだから、削除しなくちゃ。って思ってしまう。単に身体が、私と会話したいだけなのに。そうそう、自分の身体のことばが聴けるようになると、そばにいる人の身体の中の会話も想像できるようになる。それって、すごく楽しいのだ。
2005.06.24
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昨日の日記の続きに近いけれど、執着って何なんだろうってずっと考えている。わかっているようでわからない。できれば、ない方がいいらしい、もの。長引く落胆っていうのは、やっぱり執着に関係していると思う。こうであったらいいのに、こうであるはず、って思っていたことが消えたとき、がっかりしてしまう。それがずっと続くと、楽しくない。森田健さんという方の書いた本を買ったら、「意識には二種類ある。執着する意識、執着しない意識」ということばが書いてあって、そこからずっと考えているわけだ。執着は、べたべたした粘着性のものなのかもしれない。そう思うとやっぱり、さっぱりしたものがいいな、夏だし、暑いし、って思う。執着している意識っていうのは、結局、不確定な未来がいつも目の前に拡がっている事実を無視しているのだろうな。不確定な未来を、どれだけ楽しみにしていられるだろう。
2005.06.23
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ちょっとしたことで、がっかりすることがある。思ったとおりにならないとき、宝くじに落ちたとき、子供の成績がよくなかったとき。。最近思うのは、落胆慣れしてもいいかもしれないってこと。次々に来る落胆の雨は、いっぱいあってもいいのかも。そうすれば、多少のことには動じなくなる。もちろん、あきらめるってことではなく、どうせ私なんか、って思うことでもなく、山あり谷ありなんだから、ちょっとしたことにくよくよしないで、次に視線を向けようってこと。たくさんいろんなことに挑戦すれば、多少の落胆は、当たり前になるだろう。偉人は、落胆をものともしなかった人ばかり。====そういえば、サッカーファンでいると、落胆することに慣れるとおもう。(スポーツ一般がそうだけど)いつも勝つとは限らない。いつも勝てないとも限らないから、楽しいのだけど。
2005.06.22
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「月のメッセージ」日木流奈著月齢カレンダーによると、明日は満月だ。だから、しまってあったこの本を出して読んでみた。この著者のことは、知らないで、本屋で立ち読みして買ったのだけど、何年か前に「奇跡の詩人」としてNHKで放送され、物議をかもしたことも知らなかった。いろんなことを考える人がいるけど、この本は、シンプルに美しいって思う。誰が書こうと、脳障害の人が書こうと、子供が書こうと、本物は本物なのだから。勇気について。何かをするのに、たくさんの勇気が必要だと思っていたけれど、ほんのちょっとの勇気のかけらでもいいのかもしれない。次に何かをするときは、少し勇気が育っているかもしれないから。勇気は、あるか、ないか、それだけのことかもしれない。勇気が出なければ、そのときはそれでいいのだろう。実は、満月と新月を楽しみにしている。体の調子が違ったり、感じ方が違ったり、変化があるから。だから、月齢カレンダーは大切。あと三分で明日になっちゃう。
2005.06.21
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楽しさ嬉しさを感じるために、脳内物質の線から攻めていく方法もある。瀬名秀明さんと、学者たちの対談集「科学の最前線で、学者たちは何を見ているのか」という本の中で、ドーパミンについて書いてあるのを読んだ。人間はいくつまで生きられるのか、という章で、八十歳、九十歳で若者のように活動している人は、ドーパミンのような、報酬系の神経伝達物質の分泌が衰えないまま、盛んなのではないか、という考えが書いてある。報酬系というのは、何かを達成したときに満足感や快の気分をもたらしてくれる物質で、脳内麻薬とも呼ばれている。人間だけが、自ら自分に褒美をもたらす仕組みを持っているのだという。ドーパミンを作り出す仕組みを普段から自分で心がけることはできないだろうか。「ドーパミンよ、出ろ出ろ」って言ってるだけではだめなんだろうと思う。検索してみると、いくつかの方法が書いてあるページを見つけた。1、散歩。2、人の手助け。3、困難な壁を乗り越えることで、喜びを感じること。ジョギングや、スポーツで体を動かすと、はじめはつらくても、だんだん快の気分が広がってくるのは、大概の人が体験的にわかっていることだ。分泌されているのは、脳内麻薬の報酬系ドーパミン。困難にぶつかったとき、脳の中から自分で自分を応援しているっテ思うと楽しい気がする。乗り越えれば、いい気分になれるし、日頃からそういうことに敏感ならば、歳をとっても元気でいられるかもしれない。
2005.06.18
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ライラの冒険シリーズ「黄金の羅針盤」「神秘の短剣」「琥珀色の望遠鏡」フィリップ・プルマン著一応、こども用の冒険ファンタジーだが、大人も楽しめるが、大人でないと楽しめない部分もある小説だ。この本を薦めてくれたのは、友人の旦那のイギリス人で、とにかく最高だから、絶対に読め!と熱く語っていた。彼の話によると、反宗教的な部分が興味深いという。きっと、コチコチのクリスチャン世界に住んでいるから、そういう読み方をするのだろうが、あんまり宗教色強くない日本に住んでいる私には、そういう意味での衝撃度はなかった。衝撃的だったのは、大事な役割をする大人の女性マリサ、という登場人物の性格だ。美しくて上品で、悪くて、その上情熱的で可愛らしい。子供の本では、珍しいほどくっきりした性格、印象深い。もしこの本が映画化されたら、どうなるんだろう?安っぽいキャスティングにはしてくれるな、って強く思う。悪い女だけれど、子供対象の本なだけに、毒婦的な妖艶な感じはない。聖書に出てくるイブを思わせる(この本には別のイブもいるのだが)大体、男性が書いた本に出てくる悪くて美しい女(よくでてくる)は、完璧には憎めないタイプになるのが普通だ。どこか可愛らしさが残っていて、悪に染まった不憫さを感じさせる。歌舞伎に出てくる悪婆などは、その代表かもしれない。悪い、というところには強調がなく、可愛らしくかっこいいというところの印象のが強い。男性にとっては、女性は永遠に神秘なのだろうか。美しい女性なら、だまされてもいい、って心の底で思っているのだろうか(でも、大概小説や映画に出てくる、悪くて美しくて不憫な女性は、悲劇的な最後を迎えることが多い)その点、女性が書くワルイ女性は、徹底的に悪いし、美しくもない。男性の敵は女性で、女性の敵も女性なのかも、って一瞬思ってしまった。
2005.06.17
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コンフェデレーションカップ、日本がメキシコに逆転される前に寝てしまった。確かに実力の差は大きいけど。強豪揃いのこのカップは、一勝でもできれば、すごいって思うけど、日本はアジアの覇者として、やっぱり勝つ義務があると思うんだよね。義務でサッカーはできないかもしれないけれど、もし予選敗退して、ワールドカップのアジア枠が削減されたら、きつい。アジアのレベルと世界のレベルは違う。ブラジルに勝てたらすごいって思うけど、ジーコの気持ちはどうなんだろうか?
2005.06.16
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日記を一週間以上休んでしまったので、昨日の夜と今日の朝は、空いている分の日記を書きまくった。小さな目標の達成だ。そうそう、カレンダーがあるため、休んだ日が一目瞭然なので、やっぱり書かなきゃって思ったのも大きい。それがなければ、平気で空けたままにしておいただろう。目標は小さくても必要だ。むしろ、小さい方が必要かもしれない。達成しやすいので、いい気分になるためには丁度いい。私は、グズで怠け者な気があるため、カレンダーのように目の前に、やらなきゃならない理由を大きく見せる必要もあるだろうな。でないと、小さな目標を立てるだけでも面倒くさいって思ってしまうから。日記を書かなかった一週間は、すごく暇だった。やりたいことが何も見つからない時もあった。一度のぞくと、やっぱり気になるから、のぞきもしない。日記を書くのはまだまだ、まだまだ、って自分で自重してたところもある。なぜかはじぶんでもわからない。小さな目標を立てて、達成するためだったかも?まだ今日の分は書いてない。読んだ本の中で一番重要なのが残っている。書くには気合が必要な気がして、まだ自重しているのかな。
2005.06.15
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著 宇野千代今読んでいるのはこの本。ご本人が、この本ほど愉しい本はない、っておっしゃっているけど,まさにその通りだと思う。人生のこと、仕事のこと、才能のこと、天寿を全うするまでに辿り着いた、人生のコツのエッセンスが、豊富に散りばめられていて、読めば読むほど楽しくなる。抜粋したいところは、全てといっていい。あえて探せば、「自分の方から進んで、その日の来る方まで歩いていく。 自分の幸福も、人の幸福も同じように念願することのできる境地にまで、歩いていくのである。 その境地のあるところまで、探し当てて歩いていく道筋こそ、真の人間の生きていく道標ではないかと、思うからである」待機中の本は、「フーコーの振り子」「ダンテクラブ」
2005.06.14
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犬は勘定に入りません、の本は、タイムトラベルもの。タイムトラベル関係の話は大好きだ。古くは、ジャック・フィニィの「ふりだしに戻る」子供のときに読んだ、初めての大人の小説だったはず。ハインラインの「夏への扉」は、子供のとき読んだから、理解が浅かった気がする。「ハイぺリオン」も時が前後する。タイムマシンというよりは、どこでもドア的な話といえるけど。映画では、「また会いにいきます」も一種タイムトラベル。昔の映画では、今は亡きスーパーマン俳優のクリストファー・リーブが出演した「ある日どこかで」がとても素敵だった。(余談だが、スーパーマンの話は、呪われているといわれているようだ。関わった人の多くが、不運に見舞われているとか)個人的に一番好きなタイムトラベル物は、クレヨンしんちゃんの映画「雲黒斎の野望」深い意味を感じさせるタイトルは別にして、タイムパラドックスを上手く解説している。大人でも味わい深い作品だと思う。クレヨンしんちゃんは、「大人帝国の逆襲」の人気が高いようだけど、私的には、この作品か、「ヘンダーランドの大冒険」がとってもお勧めだ。面白さに徹しているところがすごいって思う。
2005.06.13
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読書日記をちょっと中断して、今思いついたので、忘れないようにしておきたいことを書いておく。あたりまえのことだけど、すぐに忘れてしまうんで。大切なのは目の前にしかない。目を遠くに置こうと近くに置こうと、目の前のことをひたすら大事にすることしか、次には進まない。
2005.06.12
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ロバート・ゴダード著買おうかどうか迷っていた本。迷っているうちに図書館で見つけてしまったので、借りて読んだ。借りて正解だった。つまらなかったわけではないけど。じわじわ来るサスペンス度は満点だし、風景描写がすごく上手い。完全にその世界に呑まれてしまう。幽霊屋敷とスパイの話。何が悪いってわけではない。読後感かなあ。そのあたりが、この作家の本がいつも文庫の理由なのかな。見つければ読む作家なのだけど。
2005.06.11
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コニー・ウィルス著。ロマンスコメディタイムトラベル物。堪能しすぎて、朝まで読んでしまった本。猫が多少重要な役割を担っているのだけど、出てくる犬は完全に狂言回し役。それで、このタイトルなのだろうか。この本を読んだ次の日、同じシリーズの「ドリームズ・デイ・ブック」を探し回った。以前、何ページか読みかけて、挫折してしまった本だ。「犬」がこんなにおもしろいなら、読まなくては。後書きによると、「犬」の方は喜劇で、「ドリームズ」の方は悲劇だそうだ。
2005.06.10
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「量子力学」岩波新書久しぶりの物理関係の本だったので、一ページ中、理解できるのは三行ぐらいのものだった。不確定性理論についてもっと知りたかったのに、数学言語が必要だってことかな。後でもっと書きます。少し勉強してから。
2005.06.09
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「魔術師」イリージョニスト ジェフリー・ディーヴァ著この著者の本は、どんでん返しが多いのが特徴だけれど、この本のどんでん返しの量は半端じゃない。10ページごとのびっくり。そのうち読んでいる方も慣れてくるかと思いきや、この本に関してはそうはいかない。うまーく騙されてしまうのだ。
2005.06.08
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せっかくカレンダーをつけて、書く気になっていたのに、風邪を引いて休んでしまいました。その間、たまっていた本を夜通し読むようになって、夜更かし。これって、書いてない言い訳ですね(笑)埋めようって言っても上手くいかないな。
2005.06.07
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現在に生きると、どうなるんだろう?っていうのが、私のここ最近のテーマだ。現在に生きるといいことあるよ、って、大概の本には書いてあるのだが。現在に生きることが、雲(エゴや時間などに対するこだわり)を気にすることなく、その向こうに広がっている空・宇宙を支えにして生きることだとすると、多分、そこにあるのは、全てが生まれる潜在空間なんだろうか。仏性かもしれない。サムシンググレート?何かが形になる前のごった煮がぐつぐついっているような場所。(空間にも時間にも属していないから場所とはいえないにしても)とにかくこの世にある全てのものは、情報とエネルギーが形を変えたものだといえる。そのバックボーンにあるもの。その場所に自由にいけるようになると、自由度がまして、嬉しい気分になるのかもしれない。何でこんなことを書いているかというと、今はそれを想像しているのが、一番楽しいから。=======カレンダーを右につけたら、書いてないのが気になってちゃんと書くようになったなあ。
2005.06.06
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この言葉は、昨日書いたキュブラー・ロスの講演集に書いてあった。心の中のヒトラー(ネガティブな部分)とか、黒いウサギ(昨日の日記参照)とか、洗濯機とか、蝶と繭とか、ロスの言葉には面白いたとえが多い。なぜ苦難は洗濯機なのかというと、洗濯機で石を洗うようなものだからだという。石はぴかぴかに輝いて出てくるかもしれない。壊れてしまう場合もある。どちらになるかは、その人の考え方次第なんだろうと思う。ロスは有名な尊敬されるべき人だけれど、誰よりも苦難の経験が多いうえ、苦難にさらされた人と会うことが仕事でもあった。この人は、厳格なおばさんというイメージがあったのだけれど、この本を読んだら印象が変わった。ユーモア満点で、素直。心に届く言葉が満載なのだ。私も死とは怖いものってやっぱり思ってたらしく、この本を読むのにも少し勇気がいった。この本に出てくる子供たちはみんな印象深く賢人のようで、勇気に満ちていて、自分が少し恥ずかしくなってしまった。「死ぬ瞬間」と「死後の生」スゥエーデンでの講演集 著者E・キュブラー・ロス
2005.06.06
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過去は記憶となって現在に影響を与える。短期記憶は、鮮やかに残っている分、近く感じられるし、長期記憶は、潜在してる時間が長い分、知らないうちに、より強く現在に影響を与えているような気がする。過去に影響を与えられていると、感情や思考が条件反射的に動き出す。なぜ?どうして?っていうのがわからないうちに影響されてしまう。そこから抜け出すには、積もり積もった過去に影響されて、反射で動いていることに気づかないとだめだ。昨日読んだ、E・キュブラー・ロスの本には、彼女自身の過去の浄化の例として「黒いウサギ事件」というのが書かれていた。ロスは、とにかくケチな男を目にすると、自分の中のヒトラー(ネガティブな部分)が猛烈に活動を始めるのを止められなかった。最悪の体験があり、一晩中泣くことになって、幼いころの体験を思い出す。三つ子の一人だったロスは、自分を見分けてくれるのが、ペットのウサギだけだったこともあって、大切育てていた。ところが、父はある時期になるとロースト肉を食べたくなる。店で買えばいいのに、ロスの飼っていたウサギがいいという。ロスは、大事なウサギを肉屋まで連れて行くはめになる。そのトラウマを乗り越えるには、一年近くかかったが、ようやく忘れたころ、また父がウサギを食べたくなるのだ。とうとう食べられるのは、ロスが一番大事にしていた友達の黒いウサギの番になってしまった。他のウサギは食べられてもういない。丸々太った黒いウサギを泣く泣く肉屋に連れて行く。処理をした肉屋は、「もう二三日経てば、赤ちゃんが生まれたのに、残念だったね」といいながら、温かい包みをよこす。反射的な影響を与えていた記憶を出し切ってしまうには、かなり強烈に苦しむこともあるかもしれない。反射の影響下にあることに気づけば済むのであればいいのだけれど。雷のせいなのか、昨日は喧嘩早かったことを書いたのだけど、私が喧嘩をふっかける相手はいつも同じなことに、ふと気がついた。まるで反射的に、今まで持っていた穏やかさを脱ぎ捨てて、すぐにけんか腰になってしまうのだ(ロスの言い方を借りればヒトラーが発動する)きっと、何かがそうさせているに違いない。何かっていうのは記憶だろうか?
2005.06.05
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中田ヒデを見てると、いつも幕末のころの武士を思い出してしまう。現代に生きてるのに、どこか違う。昨日の試合は、執念を感じた。勝たなきゃだめな試合にきちんと勝つ。それができなきゃ強いチームとは言えないし。キリンカップにいくつ負けようとそんなことは構わないのだ。こうなってみると、負けて危機感があったことが、よい結果につながったようにも見える。危機感を維持して、次の試合もきちんと勝って欲しいな。バーレーンは、執念で負けてたと思う。だって、ウォーミングアップもろくにしてるように見えなかった(テレビで映してなかったのかもしれないが)暑さで慣れてると思って、自分たちに甘くなっていたんだろうか?それに比べて、日本選手は、汗を噴出しながらウォーミングアップに励んでいて、試合中も身体が軽かった。あんなに動きがいいんだから、得点しなくちゃおかしいよ。って思っていたらちゃんと得点。1-0で勝つってほんとに難しいことだと思う。-----------みんなと同じで睡眠時間が足りない。もう一個日記を書こうと思ったら、途中でクラッシュ。残念だったけど今日書くべきじゃない日記だったんだろう。雷のせいでもないだろうけど、けんかっぱやい。前の家でも喧嘩してる。きっと今日はそういう日なのかもしれない。
2005.06.04
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楽しい思い出や元気付けてくれる思い出は、いつでも取り出せるようにポケットに入れておきたい。そんなことを考えていて、一分前も、十年前も一週間前も、過去は過去として一括りできるなって思いついた。十年前の過去より、一分前の過去のほうが近くて自分に属しているって思いがちだ。実際にそういう面もある。しかし取り戻せないし、その時間に戻れないのだから過去のどの時期に属していようと過去としては、同じだ。一分前のほうが近いって思うのは錯覚じゃないだろうか。時間は歴史年表のようにまっすぐ直線で過ぎていくと思うのも錯覚だ。錯覚でなかったらきっとタイムマシンなど簡単に作れるのではないだろうか。続く。。
2005.06.03
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みんな知っていることなのかな。私は最近知りました。それまでは、焦ってバタバタ動く人で、その割りにいつも遅れちゃう。人と待ち合わせをしてても、遅れるつもりなんて全くなくても遅れる。すごく遅れるわけじゃなく、少しだけ遅れる。友達としては最悪に近い。それで、逆を取って、急いでいるときほどゆっくり深呼吸をしながら楽しんで仕事することにした。すると、効果的に動けるのだ。今でも遅れることはままあるけれど、気持ちも落ち着いてるから罪悪感は感じない(さらに最悪か?)でも遅れることはかなり減ったし、やることはちゃんとやってから出かけることもできるようになった。ゆっくり動くと時計の歩みも遅い。焦ってバタバタしていると、時間の進みは早い。ほんとだと思う。
2005.06.02
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一年前の日記を読んでみると、今日ぼんやりと考えていたことと同テーマだった。去年の私と一年後の私が会話しているみたいで面白い。いろんなものにはまっていた間(最近のことですが)そのことばかり考えていたので、時間が止まっていたような気分になった。その間、私の中では時間は進んでいないのだ。前に読んだ、スキナーさんという方が書いた「成功への9ステップ」という本では、時間を感情で計るという方法が載っていた。時間を時計で測るのではなく。同じ感情でいる間、時間は経っていないのだろうか?主観的だと、そっちのほうが正しいかもしれない。その本は、いい気分でいる時間を増やそうって言う趣旨だったと思うけれど(時間を出来事で区切る方法のことも載っていた)仏教では時間は幻想だという。最近この日記で少しテーマ化してるシンクロニシティで考えると、確かに客観的に計れる時間とは別の時間が現実の底の方へ横たわっているような気がする。---------------もうひとつシンクロニシティの話題(多すぎるってわかってるけど)歌舞伎の役者さんで河原崎権十郎さんという方がいらした。今もいるけど、先代の話。この方のことは今までも日記に何度も書こうって思ったのだけど上手く書ける自信がなかった。今でもそうだ。私にとっては憧れの方だったけれど、幸いに何度かお会いすることができた。楽屋でおしゃべりすることと言ったら、ほとんど幽霊の話だった。なんでかわからないけど。学識がある方だったので、もっといろんなことを聞いておくんべきだったって今はすごく思う。当時は、近所に住んでいたこともあって道でもよくお会いしたし、喫茶店でばったりっていうこともあった。最後にお会いしたのは、道端で。こっちは声をかけられなかった。他の事に夢中になって歌舞伎から遠く離れていたのが、恥ずかしかったのかもしれない。権十郎さんのことを強く思い出したことがあった。今年の二月だ。上手く日記に書きたいな、って考えていた。突然鳥肌がたった。もしやと思って調べると、やっぱりその日は権十郎さんの命日だった。
2005.06.01
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幸せという言葉は曖昧だ。各自が勝手に定義して使ったって構わないぐらい。ただ、その身体感覚はみんなかなり共通しているのではないだろうか。現在のその場所にただ黙って居るだけで、身体から暖かいエネルギーが湧き上がってくるような。それは、感謝しているときと近いし、同じって言ってもいいような気がする。感謝すれば幸せ感が湧き上がってくるし、幸せ感があれば、感謝も自然にわき上がる。卵と鶏どちらが先か、っていうようなものだ。つまり、幸せでいたかったら、感謝すればいいってことだと思う。初めは「ありがとう」の言葉だけでも。この日記をつけ始めたころ、「ありがとう」の威力についてはかなり書いた。でも正直言って、言葉だけだったと思う。言葉だけだったとしても、そのうちに身体感覚もついてくるのだ。感謝筋力トレーニングといってもいい。身体感覚については、ある感覚を覚えた場合、私たちはそれを勝手に名づける。「興奮」と「怒り」はかなり似ているし、「怖気づいたドキドキ」も似ている。筋肉が収縮しているか、姿勢がどうなっているか、息は深いか浅いか。身体感覚はいくつかのパターンでしかないのだ。そのいくつかの身体状況パターンを「恐怖」「愛情」「好ましい」「うっとうしい」などと自分で名づけた途端、私たちの考えもその言葉に縛られる。その状況から脱するため、何か行動をしたり、外側の状況を変えようとしたりするけど、単に身体状況を変えればすぐに事態は好転する。あるいは、言葉で変える。言葉だけでも「この状況をありがとうございます」と唱えただけで、身体状況が平穏になっていく。
2005.06.01
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