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言葉はとても大事だ。言葉を発する前によく考えてから、しゃべるように。とよく言われていたが、今まであまり深く考えていなかった。刺々しい言葉と愛ある言葉。私の場合前者が多い。特に身近な人たちに。それにはっ、と気がついた。口調、表情、それと言葉。愛までいかなくても感じよくするためには、この三つが揃っていい感じじゃなくては。心も添えたいけれど、まず形からでもいいかもしれない-------------------------------------今日は日記を三通投稿。その分、家の掃除が進まない。
2005.10.22
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ジンギスカンの血を引いた直接の子孫は、現在何人いると思う?この本を読むと、答えが書いてある。なんと、1,600万人もいるそうだ。著者は、「イブの七人の娘たち」で、母から娘に伝わるミトコンドリアDNAを調べることで、はるか古代から現代まで綿々と繋がる女系の血の遥かな旅を描き出した。現代ヨーロッパのほとんどの女性の共通祖先は、七人の女性に絞られるという。そして今回は、父親から息子に引き継がれるY染色体を調べて、自分の姓であるサイクス氏の共通祖先を突き止めることとなった。Y染色体からうかがわれるのは、家名や家系の歴史でもあるし、冒険や侵略や戦争の歴史でもある。ジンギスカンが共通祖先だと思われる1600万人の子孫は、旺盛な性欲と、力の結果なんだろう。孔雀のオスは、メスの気を引くため極端にきらびやかな尾羽を持つが、人間のオスは権力や財産を蓄える。尾羽と違って、その追求には限度がないのだ。イブとアダムの旅は、自分の血の中にある二つの悠久の流れを意識させてくれる。この本を読んでから、母に自分の血統について詳しく聞いてみた。もちろん、普通の家でしかないから、3.4代前はおぼろげだ。今回聞いてわかったのは、戊辰戦争のときの敵味方を反対に考えていたことだった。著者は、Y染色体は、呪われていると考えている。それは、Y染色体特有の利己的な遺伝子的行動と、その傷つきやすさにある。男性を決定付けるY染色体は、ボロボロらしい。果たしていつまで男性は地球上に存在できるのか。しかも地球はメス化している。男性がんばれ!
2005.10.22
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初めてやってみる。今までできないって思ってたんだけど、やってみればきっと簡単。そういうことって多いよな。うわあできた。結構感動してる楽天ヘルプ
2005.10.22
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主演ジャック・ニコルソン、ダイアン・キートンジャックやダイアンが、いまだに恋愛映画に主演しているのを見れるのは幸せ。この映画は、年を重ねていても恋愛できるよ、しようよ、ということがテーマでもあるし、年をとっても人間は変わらないってことを言ってるような気もする。年をとったといっても、外見だけ。心の中ではいつでも若いときと同じように恋ができるのが当たり前の話じゃないだろうか。ジャック・ニコルソン演じるハリーは、三十以上の女性は視野に入らないと公言している63歳。お金も地位もあるし、モテるし、世の男性からしたら羨ましくてしょうがない境遇だろう。でも、年には勝てない。病気になったのをきっかけに、ゆっくりと成長の途上を歩み始めることになる。当て馬的な役柄で、キアヌ・リーブスが出演している。私の周りには、キアヌのファンが多いのだが、今までキアヌをすごくいいと思ったことがなかった。だけど、この役はいい。脇役で、さらに光るタイプなのかもしれないけれど、主演の映画ももっと見たいと思った。今更だけど。キアヌのせりふに、「今まで感じたことがない感覚だから、もっと知りたいと思った」というのがあった。もちろん、この場合は恋愛感情を表しているのだけど、今まで感じたことがない感覚という言葉が、心に残った。そういう感覚に鈍感になっているんじゃないかって。感覚や感情は、同じ具合に繰り返しているって思いがちだ。でも、同じような感覚でも、どこか新しい部分もあるかもしれない。感受性的問題。初めて感じる感覚に敏感になることは、日々の新しさに敏感になることでもあるかもしれない。むやみに刺激を捜し求めるのではなくて、当たり前の感覚に新しさを感じたいと思う。--------------------------------------------この映画で、少しショックだったのは、ダイアンのヌードだ。そこまでしなくちゃ、いい映画に出れないの?って思ってしまった。今までの映画だったら、そこまであからさまな場面はなかったと思う。と思っていたら、次の日に見た映画「サーティーン」では、ホリー・ハンターまで、ヌードになっていた。時代はそういうもの?
2005.10.21
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今日、図書館に行って、ずっと読みたいと思っていた本を見つけた。子供の本のエリアにあったから、今まで見つけられなかったのだ。その本は、「タオとコブタ」「タオとプーさん」を書いた、西洋のタオイスト、ベンジャミン・ホフの本。これを子供が読んで面白いのかどうか興味深いけれど、子供の潜在力は無限だから、大人よりずっとタオの世界に馴染んでしまうのかどうか。まだ、一ページしか読んでいないのだが、そのページに、「子供のころ、プーさんの本を読んでもらったとき、一番のお気に入りになったのは、コブタだった」と書いてある。それを読んだ途端、子供のころの思い出が、大量に押し寄せてきた。私もコブタが気になっていた。それが引き金になったように。コブタは、プーの世界のキャラクターの中で、一番感情移入しやすいのだろう。臆病で、いろんなことを不安がってていて、どう見られるかいつも気にしているコブタは、とても小さい生き物だ。いつものんきで堂々としてるプーさんとは大違い。私はコブタに近い。そう思っていたから、子供のころからコブタが好きで嫌いな相反した感情を持っていたのだろう。この本では、コブタがいっぱしのタオイストに変身していくという。読んでる側も変身できたらいいのに。コブタの思い出が蘇ったついでに、すっかり忘れていた大事なことを思い出した。コブタが象徴しているかのような「私の中の小さな子供」のことだ。小さかったころの思い出や経験や痛みや喜びは、決して消えずにいつでも体の中に残っている。たまには、そこに触れてみて、自分の全体と親しくなってみるのはとっても楽しいし、嬉しいことなんだなって久しぶりに思い出した。
2005.10.20
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自分を大切にしているつもりだったのに、家族の一人に、もっと自分を大事にしたほうがいいんじゃない?って言われてしまった。自分を大事にできなければ、ほかの人を大事にすることはできない。忙しさにかまけて、気持ちが先へ先へと押されて、今の時間や今の自分を大切にすることを忘れてしまっていたのかもしれなかった。それで、一緒にアイスクリームを食べることにした。でも、それって、自分を大切にすることになるのかなあ。髪の毛を切って、気持ちを新たに切り替えることにした。自分の手入れをすることは、自分を大切にするための最初の一歩だと思った。十分な睡眠や、散歩や、多少の運動。気持ちのためには、呼吸に集中したり、心を開放するように白昼夢にふけったり(?)体の手入れと気持ちの手入れ、きっと両方大切だ。
2005.10.19
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慌しくバタバタしてしまった。来客が泊まることにするというし、雨ばかりで布団も干せないし、家も片付けなくてはならないし、しかもバレエの発表会まである次第。ほかにもやることはいくらでもあるのに。スケジュールを立てながら、一つ一つこなしていくつもりだったが、途中で本を読んでしまったりする。時間がないのは自分のせいなのに、イライラがつのる。できるなら、涼しい顔して、てきぱき明るくやっていきたい。多分、私より忙しい人はいくらでもいるだろうに。こういうときこそ、人間性が出る。暇だったり、天気がよかったり、睡眠がとれていて、運動も欠かせずにやっている状態だったら、いい人でいるのなんて簡単だ。何事も経験だから、次にいろんなことが一度にきたら、もうちょっと気持ちに余裕ができるかもしれない。今日はその反動で、DVDを四回も見てしまった。そのうち三回は同じ映画なんだけど。
2005.10.18
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様々な欲望を満たすことが喜びに繋がるとすると、喜びにもいろんな種類があると思う。とりあえず、喜びの種類を三つに分けて考えてみた。ひとつめは、比較の中で、自分が他より優れているって思ったときに湧き上がる喜び。とってもエゴだと思うけど、ありふれていて普通な日常的な喜びだ。何か欲しかったものが手に入ったときの喜びにも近い。ここではそれは同じ種類と分類してみる。化粧が上手くいったり、目標としてたことを達成したり、自分で自分を嬉しく感じるならいいけれど、他人を出し抜くとか、自己顕示欲満点だった場合は、喜びは持続しない。やっぱり後ろめたい喜びだからだ。まあ、自分を見ても、人を見ても可愛らしさが漂う種類ではある。次の喜びは、他の人の喜びが自分の喜びとなる種類。客商売や親なら、よくわかるものだと思う。よく、ボランティアなどにいそしむ人を見て、結局自己満足してるだけだよ、などと言う人がいるけれど、人が喜んでいるのを見ると、人は楽しくなるし嬉しくなるのだ。そういうことを言う人は、この手の喜びをまだ開発していないに違いない。そういう私も、この種類に関してはまだまだ開発の余地がある。これからに期待しておこう。最後の種類。何の理由もなしに喜びが湧き上がるっていうのもあると思う。ただそこに自分がいるだけで、生きているだけで嬉しいっていうような。自分の存在の基点が、空や木々や花や、すべてのものに繋がっている生の祝祭といった瞬間があると思う。ほんとは、これが一番簡単で、誰もがいつも感じていていてもおかしくないものかもしれない。だけど私たちは、いつも忙しそうにせかせかして、次の喜びを追い求め、どこにあるのか探しあぐねているような気がする。
2005.10.13
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「運がいい人と悪い人」というタイトルだったと思うけど、両者の特徴を研究した本を読んだことがある。真面目な本だったはずで、BBCでもその本の内容が紹介されたことがあるらしい。運を良くするために占いや潜在意識に頼るのではなく、人とのコミュニケーションの仕方とか、視野を広げるとか、そういう方法が書いてあったはずだけど、よくおぼえていない。一つだけよく覚えているのは、「運のいい人は、知らない人とでもよく話す」えっ?そんなのは無理でしょ、ってびっくりしたたため、覚えているのだ。「運をよくするために、今日は、町で初めて出会った人と、会話しましょう」そういうことってできますか?絶対無理って思ったけど、少し興味を引かれて、やってみた。まずは、エレベーターで、自分とあと一人、知らない人が乗っていた場合。「今日はいい天気ですねえ」年配のご婦人だったりすると、気持ちよい笑顔が返ってきたりするものだ。でも、初めてやったときは、冷や汗ものだった。不思議なのは、知らない人だと思って見たとき、そっぽを向いてるその人の表情や様子が、言葉を交わした後で、驚くほど柔らかく変化して見えることだ。まるきっり別人になる。こういうのは、慣れで、いつの間にか、知らない人と話すのが、自然とできるようになった。例えば、この間、近所で映画かテレビの撮影をしていた。何を撮ってるのかな、と興味を引かれ、近寄っていって、聞いている。今日も、エレベーターの中で、宅急便のお兄さんとしゃべっていて、自分でも不思議な気がした。かといって、運がよくなったかというと、自覚レベルではあまりない。
2005.10.12
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映画「セルラー」は、なかなかよくできたスリラー。最近ちょっと映画を見るのが義務化していて面倒くさいなって思ってたけど、やっぱり映画はおもしろい、って再確認させてくれたような気がする。ハラハラドキドキで、美男美女が窮地に陥っても、ギリギリで助かるこの手の話は大好きだ。誘拐された女性から、メッセージを受けたチンピラまがいの若者が、ヒーローへと変身していき、退職して美容院を開こうとしている警官が、ダーティ・ハリー並の撃ち合いの主役になっていく。この警官は、27年間の在職中、一度も銃を発射したことがなかったというのに。先日書いた「恋はデ・ジャブ」でも感じたことだけど、人は変われるんだなって改めて思う。いやでも変わらざる得なくなることも多いのだ。むしろ、変わらないでいることは、難しいことだと思う。良くも悪くも変わるけど、良く変わることのほうが簡単じゃないだろうか。だけど、この映画の主役は、電話だ。最新式の携帯電話がなければ成り立たない映画。コミュニケーションの速度が上がれば、話のスピードも速まり、ハラハラドキドキの頻度も高まる。世界が変わる速度も早ければ、きっと人が変わる速度も速まってる可能性もあるかもしれない。平行してみてたビデオは、テレビ版の「壬生義士伝」当時のコミュニケーション速度を表してるのかもしれないが、一つ一つの場面が長い。そういうものは、心に残る時間も長いのかもしれない。
2005.10.12
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この映画のことは、だいぶ前から気になっていた。いろんな本の中でこの映画について書かれていて、仏教のお坊さんが書いた本から、ハリウッド脚本術の中のお手本としても出てくるぐらい。どんなに凄い映画なんだと、期待感を募らせて見た。テレビの天気予報官を演じるビル・マーレイが、モグラが春の訪れを占う祭りの取材に小さな町を訪れるところから話は地味に始まる。一端見るのをやめて、また次の機会に続きを見た。そしたら、やっぱり凄かった。面白いし、テーマは深いし、ラブストーリーとしても完璧だ。ビル・マーレイの心の変化が、英雄の旅路に見えてくるから不思議。ビル演じるフィルは、時の隙間に落ちたように、同じ日から逃れられなくなる。朝目覚めると、また、同じ2月2日のモグラ祭りの日なのだ。逃れるためにあらゆる手を打つフィル。フィルは、自分勝手で横柄な、どうしようもない奴なんだけど、見てるこっちもいつしか感情移入して、また同じ日を経験しなくてはならないフィルの落胆を思って、悲しくなってくる。人間が成長していくには、それなりの経験と苦労が必要なんだろうか?多分、そうなのだ。英雄も龍のいる暗い洞窟に入らなくてはならない。経験だけが、人を変え、鍛えぬいた石のように強くしてくれる。洞窟から出てきたら、世界はきっと輝く。そして、決して来るとは思えなかった新しい日が始まるのだろう。誰の人生も英雄の旅路。そんなことを考えさせてくれる映画なんて滅多にない。------------------------------いい映画なんだけど、邦題が合ってないような気もする。ただし、私の乏しい経験からすると、やっぱり恋はデジャブなんですよね。恋をするとき、その人と、どこかであったことがあるような懐かしい気持ちを感じている。夢の中かもしれない。もしかしたら、違う時代の違う場所であってるのかもしれない。未来からの記憶もありかも。だから、たとえ別れても、いつかきっと会えるって思える。
2005.10.11
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「脳と自然と日本」養老孟司氏著養老氏の言ってることが、初めておぼろげに理解できたような気がしたのは、「心臓の暗号」という本を読んでからだ。脳は、管理し、名前をつけ、比較し、測定し、分析し、予測し、判断する。私たちの生活のほとんどは脳の活動に拠っていて、脳が作った人工物に囲まれ、人工的な都市社会に住んでいる。そこでは、ゴキブリもいないはずだし、気温も心地よい。死も性も隠微され、そのままの自然はあってないことになっている。養老氏によると、「私たちが現実だと思っていることは、ほとんどが脳の作り出した表現だ」ということだ。わたしたちは、死も病も現実にありうるということを忘れて、もっぱら一日、予測のつかない未来を心配したり、ほかと比較したり、自己を守ることばかりしている。ほんとはそれは、単に脳が自分を占拠しているということに過ぎないかもしれないのに。人間は脳の肥大した生き物で、そのおかげで満ち溢れ、この世の春を謳歌しているけれど、脳の活動の及ばない、脳にとっては暗黒の部分だってあるのだ。わたしはそれを、ハートだとも思うけど、養老氏は、身体、自然だといっている。通常の意識では、捕まえきれない未知の自分と未知の世界。脳化して、全ての事態に対応しきったと思って安心している都市社会をひっくり返しかねないもの。脳化した自分と社会を楽にするには、ありのままの状態を認め共存することかもしれない。
2005.10.10
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「オーパーツ大全ー失われた文明の遺産」クラウス・ドナ+ラインハルト・ハベック共著オーパーツ(不可解な遺物)というと、際物のイメージがあるけれど、実は博物館の薄暗い倉庫の中や個人所蔵のものが、人知れず大量にあるらしい。アカデミズムは、今まで築き上げてきた理論が粉々になるのを恐れて、なるべく無視しようとしているらしく、人目の触れない物陰にそっと隠そうとしている。この本は、様々な困難にさらされながら、実際に人がオーパーツの現物を見れるように、「未解明の謎展」という展覧会を開く上で、出会った不思議なものの話だ。この中に出てくるオーパーツは、普通の人が知らないものがほとんどで、まさしく大量。展覧会では、できる限りの検証を重ね、年代や真贋の吟味を重ねているという。まだ読んでる最中だけど、今のところ興味がそそられるのは、各地の壁画に残る恐竜の絵や、恐竜の土偶。エジプトのナルメルパレットにも書かれた、恐竜に紐をつけて人間が引いている図。定説では、人間と恐竜が共存していた事実はない。このようなオーパーツに描かれる恐竜は空想の産物ということになっている。でも、それには鮮やか過ぎるアパトサウルスもいる。南フランスのコスケー洞窟に描かれたプレシオサウルスのような生き物について、ある学者は、ペンギンだと言ったそうだ。
2005.10.09
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新選組の近藤勇に似た人が近くにいる(名前も勇だ)純粋で、時代の流れに鈍感で、まっすぐで頑固。自分のやり方にはかなりこだわる。それでいて、周りにはおおらかで、優しい。突然、思いもよらないことを始めてしまう。それもあんまり器用とは言えない方法で。こっちははらはらしながら見てるけど、手を貸さずに入られなくなる。上手くいく算段はあまりないように見えるけど、その純粋な動機に打たれるのだ。その人に比べると、私が何かを始めるときは、もっと、計算ずくだ。できればいつもまっすぐにいたいと思ってるけど、気持ちと行動は裏腹で、そのために、臆病になることも多い。世の中にも、歴史上にも、近藤勇のような人はたくさんいる。まっすぐさの桁が違う人たち。まっすぐな人が世渡りするのは難しいし、成功する人ばかりではないけれど、まっすぐに生きられないわたしたちのような人間に、刺激を与えるのは事実だ。ほかの人をどう見ているか気づくことは、自分は自分をどう見ているかをがわかるひとつの方法だ。きっと私の中にもいるんだろうな、まっすぐ目的の方向を見つめて、ひたすら進む純粋な自分が。----------------------------------------------一週間日記が書けた。内容的にはともかく、嬉しいな。最近暇なときには、立ってるときも、歩いてるときも、呼吸をひとつ二つと数えながら、丹田呼吸といわれてるものを試してみた。それがいいのか、関係ないのか。ちなみに丹田呼吸というのは、吸ってるときにお腹がへこみ、吐いてるときにお腹が膨らむ方法らしい。腹式呼吸は反対で、吸ってるときにお腹が膨らむ。どちらをやるかは、好き好きでしょう。
2005.10.08
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突然、正しいって言葉を使いたくなった。実は今日は、とっても忙しくて、睡眠不足で、疲れきってて、まともな思考はできない状態なのだ。だからまさしくうわごとのようなたわごと。まだまだ仕事は終わらない。次の次の次の仕事のことが頭から離れない。そういうときに、ふと思いついた。こういうときに持つべき正しい気持ちは、「ありがたさ」じゃないかって。どんなに疲れていても、どんな天気でも、どん底でも、動けなくても、そういう状態は、いろんな出来事が奇跡のように絡み合って、紡がれた、現在のありのままなのだから。その瞬間には、他の状態はありえない。他の時間の、他の素敵な出来事も、頭の中の妄想だ。だから、甘んじて受け入れて、ありがたがること。それが多分、唯一正しいあり方でしょう。----これを書いたら元気になってしまった。それもあるけど、いつも夜遅くなると元気になるのかもしれない。
2005.10.07
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ハルとナツを連続四話見た(初回は抜けてる)一端見出すと、こんなに泣ける話なんてあるもんじゃないので、癖になるというか。話の中で「日本」という言葉が何回出てきたのか興味がある。父親が、「日本が好きだ!」「日本は素晴らしい!」と、何度も絶叫していた。私も、日本が好きだから、心の中でそうだそうだ、とうなづきながら見ていた。誤解して、わだかまった感情が解けていく物語だった。わだかまる感情なんて、わたしたちもいつも経験しているものだけど、この物語では、わだかまりはいつか消えて、必ず理解し合えるときが来る、ということを強調しているようだ。多分それは事実だろう。どんな諍いも憎しみも、長いときが経ると、お互いが成長することによって消えてなくなるはずだと思う。何でそんなことを書いてるかというと、昨日の日記に書いた、ハートが閉じてるって思ってた人のいいところが、いろいろ見えてきたから。人にはいろんな側面があって、初めのうちは、プリズムのひとつの面にしか気づかない。見る目を養えば、人のいいところなんていくつも見つかるものだ。人のいいところを見つければ見つけるほど、楽しい気持ちも増えてくる。好きな人が多いほど、幸せなんじゃないだろうか。
2005.10.07
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どうも調子がいまいちの日がある。天候のせいもあるだろうし、睡眠不足もあるし、周りの人にいろいろなことが起こって、気持ちがかき乱されるときもある。かと思えば、思いがけない嬉しいことが立て続けにおきて、こんなに幸せでいいんだろうかって思うときもあるし。いろんな日が次々に来る生活、それが普通の人間の暮らしってものなんだろうな。以前は、夢が叶えば、生活は一変するんじゃないか、なんて思っていた。お金持ちの人や有名な人は、一般人の喜怒哀楽から離れたピカピカの毎日に彩られているんだと思っていた。でも今は、そんなのはありえないって薄々感づいている。人間としてこの地上に生きている以上、誰でもそんなに変わらない。一時の名誉や財産や美貌も、毎日幸せであることを保証してくれるものではない。感情の浮沈や、天候の違いや、気にあう人やあわない人との出会いの連続が、誰の人生にも付き従ってくるのではないだろうか。私にとって調子の悪い日っていうのは、ずばり、気持ちがわさわさして、思考が右往左往して、その結果、家の掃除が進まない日。調子がよければ、ゆったりした気分で、仕事を楽しめて、思考に空白が作れる。でも、両方あるのが当然なんだろう、きっと。
2005.10.07
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夕方買い物に出かけて、知ってる人とすれ違った。痩せてて禿げてるおじさんで、にこっと笑うとかなりかわいらしい。息子さんを連れて歩いてる。お城のような家を持つ、地域でも有数の資産家の私立幼稚園経営者の次男坊で、家族経営のその幼稚園では、やり手の長男の陰に隠れて、用務員さんのような仕事ばかり任せられている人だ。噂によると、奥さんはキャリア志向で、旦那さんの方が家の中でも家事やら育児やらも受け持っているという話。その人とは挨拶ぐらいしか口を利いたことがないけど、見るたびに、家族の中で疎んじられているんじゃないかとか勝手に想像したり心配したりする。それは私だけじゃなくて、幼稚園の先生が、そんなことを言っているのも耳にしたこともある。そんな外野の視線をよそに本人は、嬉々として庭を掃いたり、枝を切ったり、バスを運転している。幼稚園の役員をやってるときにはいろいろお世話にもなってきた。その次男坊とすれ違うと、理由もなくふわっと暖かさが漂ってきたような気がした。ハートがあったかいんじゃないかな、って思ったりする。次男坊の息子は、育ちのよさそうな屈託のなさを振りまいていて、二人は、映画やおとぎ話の中の登場人物めいた雰囲気を持ったまま、スーパーマーケットの中に消えていった。最近、この人のハートは閉じてるんじゃないか、などと、会ったばかりの人のことを勝手に想像してることがよくある。そういう人は、たいてい人当たりがよくて、人気もあって、華やかな雰囲気を持っていたりするが、どことなく、人と自分の間に線を引いて、決して立ち入られないようにガードしてるんじゃないかと想像してしまう。そういう私自身も、分類上はハートを閉じてる類だろうなあ。それはともかく、ハートが開いていて、あったかいのはいいことで、閉じててガードしてるのはよくないとは、決して言えないと思う。ハートを閉じなくてはならないちゃんとした理由があるんだろう。もしかしたら、ハートの中に宝物か、卵を抱いていて、そっと温めている時期かもしれないのだから。
2005.10.06
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「心臓の暗号」ポール・ビアソール著心臓は、命を支える中心と言っていいものなのに、今まで私たちは、血液や酸素を送る単なるポンプ、って思っていなかっただろうか?この本を読むと、そんな考えは一掃される。心臓にも個人を特定する記憶があるのかもしれない。アメリカでの心臓移植手術は年間2500例にも達するというけど、そこで見えてきたのは、移植されたレシピエントにドナーの嗜好や性格や夢も移植されているという報告だ。この本には140人の心臓移植患者の体験が書かれているけど、信じられないぐらい不思議な話ばかり。殺された少女の心臓を移植された子供は、犯人の特徴を知っていた。売春婦だった女性の心臓を移植された人は、突然まるで人が変わったように色っぽく変身してしまう。そんな例があまりにもたくさんあるという。受精卵が突然脈動を始める心臓の誕生から、私たちが死ぬときまで、心臓の脈動は止まらない。寝ているときも、食べているときも、しゃべっているときも、病気のときも、休むことはない。脈動は、指の先まで伝わって、血液と酸素と情報を伝えていく。著者のビアソール氏は、緊張したり不安だったりするとき、自分の心臓の脈動を確かめて、気持ちの落ち着きを取り戻すという。それを読んで以来、私も、思い出したときは自分の脈拍を感じる儀式をするようになった。生きている実感。休むことなく動き続ける心臓が、真に私たち自身であることに畏敬に似た気持ちが浮かんでくる。それ以来、道を歩く人の心臓が透けて見えるような錯覚も感じるようになってきた。服でもない、歳でもない、性でもない、存在としての心臓。
2005.10.05
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実は書きたいことはいっぱいあるのだ。例えば、人は人を殺せるのかとか、脳と心臓の関係はとか、男と女は連続線上に位置しているのかとか、時間がたっぷりあって、落ち着いた気分で、邪魔のあまり入らない空間があればー。ところが、現実は、借りてきて見てないビデオが六本、すぐにでも読みたい本が何冊か、やるべき仕事に、手伝い仕事。並べてみれば愚痴と言い訳になってしまうから、白状するけど、やっぱりあれがいけなかった「新選組!」のDVDを借り始めたとき、頭の隅でちらっとかんがえてしまったのだ。「見終わるまでは、何も手につかないかもしれないな」そして、現実はやっぱりその通りに推移してしまった。見つづけてしまった、49話の新選組も、残りあと6話。そうなると、あんまり見たくない気分になってくる。辛い話が多いからでもある。次にそんな気分にさせられるのは「24」かなあ。
2005.10.04
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オレンジレンジの曲ではないけど、最近好きな言葉は、絆です。きっかけは、「心臓の暗号」という本を読んでからだと思う。この本については書きたいことはいろいろあるんだけど、読んでみて、いろんな人の心臓から、レーザー光線のようなものが伸びて繋がっているようなイメージが浮かんできた。気持ちや、考えだけでなく、それ以外のものも行き交っているんだろうと思う。近い人なら、伸びてるものも太かったり強靭だったり。失恋したなら、それがハートブレイク。(本に出てた言葉だけど)ある部分断ち切られる。ハートの光線は、多分誰との間でも近寄れば、行き交うものだと思う。誰とでも何とでも、多少の絆はあるんじゃないだろうか。そうやって繋がってるんだって思うと、絆って言葉の意味がなんとなくわかってくるような気がしている。
2005.10.03
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しばらくお休みしてしまいました。誰かがこういう風に更新停止してしまうと、まるで世界からその人がいなくなったように寂しいのに、自分では、気楽にお休みしてしまう。そうすると、いつも読んでくれてる友達が、いろいろ心配して連絡してくださって、自分が存在を消してたんだって今更気がつく。毎日は、何気なく過ぎていくけど、ここでの私は、存在してない。やっぱり、更新停止は寂しいよね。書くことは相変わらず似たようなことだと思うけど、前に書いてた自分は多分もういないかもしれないから、違ったことを書くのかも。ちょっとどきどきしながら戻ってきました。おずおずと、できれば控えめに、書いていこう。 できるだけ更新停止しないようにしたいなあ。
2005.10.02
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