女子高生Aの日記(仮)

女子高生Aの日記(仮)

大切なもの



失わないと分からないなんて…馬鹿だ。心底そう思います。

でも、自分が気付いてないものは分かりませんよね。だって気付いてないんですから。


おそらく、所謂「プラスの感情」と「マイナスの感情」は、いつもつりあいの取れた状態でないといけないのではないでしょうか。

例えば、何かを大切だと感じたり、美しいと感じたりするのは「プラスの感情」です。
反対に、嫌いだと思ったり、疲れを感じたりするのは「マイナスの感情」になるでしょう。

もし、プラスの感情とマイナスの感情が、地球上のどの人も、民族・宗教・性別・年齢などに関係なく同じような基準で、絶対的に感じられるとしたら、今私たちは一種の躁状態になっていなければおかしいはずです。
経済的にある程度恵まれ、平均寿命は80歳。生物として純粋に考えれば、少なくとも悲しいはずは無いでしょう。
しかし、実際には私たちは、生活上の些細なことで悩み、無駄に哲学的な思考を弄んで、泥沼に足をとられたまま生活しています。

これら、無駄なマイナスの感情が増えるということは、すなわち多すぎるプラスの感情との釣り合いを取るためではないでしょうか。

でも、マイナスの感情は人を取り込みやすいと思います。
量的には釣り合いが取れていても、人をひきつけて放さないような力は、きっとマイナスの感情のほうが大きいんです。
だって…プラスの感情に捕らわれている人ってあまり見かけなくないですか?
もちろん、躁病・鬱病などの例は別ですが。

だから、いつの間にかマイナス思考に取り込まれてしまって。
手の中にプラスの感情もあるんだけど、目の前を覆いつくしているのはマイナスの感情のフィルタになってしまって。

「目の前にいる大切なものの価値に気付かない」という現象は、こうして起こるのでしょう。

マイナスの感情+プラスの感情=どうということもない、無感情

そうなってしまえば、大切なものも、ありふれたものに変わってしまいます。
でも、それがなくなってしまうと、いよいよ目の前は暗黒になって…。
それでやっと気付くんでしょう。「あれが光だったんだ」と。


自分の大切だと思うものが明確になっているということは、とても幸せだと思います。
でも、私がそれが分かるのは、私の目が曇っていないからではなくて、あまりにそこから受けるプラスの感情が大きかったからです。
いつか、その光に慣れてしまうんじゃないか?
釣り合いを取ろうとして、半ば反射的にマイナスの感情を増やしてしまうんじゃないか?
それが今、とても怖いと思います。

特に何の価値も見出せないものに対しては、自分の行動ははっきりいって酷いものがあると、客観的に見て思います。
それが、本当は大切なものに対して向けられる…想像したくはないけれど、十分有り得ることです。

今、どれだけ大切に思っているのか。
それを忘れないでいる方法があれば…。
目下、それを探しています。

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