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6月28日にイラクへ10機のSu-24戦闘機が到着したと伝えられていたが、その後、5機のSu-25だとイラク国防省は明らかにした。戦闘機はロシアのAn124輸送機で運ばれ、3ないし4日で飛行できる状態になるという。Su-24は全天候型の攻撃機だが、Su-25は近接航空支援機、つまり味方の地上部隊を支援するために敵の地上部隊を攻撃する目的で設計されている。
2014.06.30
安倍晋三だけでなく、民主党の岡田克也たちも集団的自衛権の行使を容認させるために必死だ。菅義偉官房長官は7月1日に閣議決定したいと記者に言ったようだが、自民党の高村正彦副総裁は6月20日までに権利行使を容認するための閣議決定をするべきだと語っていた。予定通り進んでいないということは、それだけ反対が強いということにほかならない。 それほど不評の集団的自衛権をごり押ししようとするのは、自分たちの「雇い主」であるアメリカ支配層に命令されているからだ。かつてアメリカのNSC(国家安全保障会議)で上級アジア部長を務めていたマイケル・グリーンCSIS副所長がウクライナ問題に絡んでロシアを批判、集団的自衛権の重要性を主張している背景はここにある。 1994年に細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を発表した際、日本が自立の道を歩き出そうとしていると考えて反発したのが国防大学のスタッフだったグリーンとパトリック・クローニン。友人のカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、自分たちの考えを売り込んでいる。その結果、1995年に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が公表されることになった。 ナイ・レポートでは、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、使用制限は緩和/撤廃されるべきだとしている。当然、アメリカ軍の基地が集中している沖縄では怒りのエネルギーが高まり、アメリカ兵による少女レイプ事件でそのエネルギーが爆発する。その延長線上に集団的自衛権はある。 グリーンはロシアと中国との関係について「ロシアと中国が接近するのは、お互いに都合が良いからにすぎない」からであり、中国は「プーチンの味方をすることで米国と対立するつもりはない」うえ、ロシアは「極東地域で中国の圧倒的に多い人口を恐れている」とも主張している。 リビア、シリア、ウクライナと続いたアメリカの体制転覆プロジェクトはロシアと中国に少なからぬ影響を及ぼした。ロシアはリビアでアメリカへの信頼感をなくし、若手のエリートは親米派が多いと言われる中国もアメリカとの関係を見直している。そのひとつの結果が5月21日にロシアと中国との間で結ばれた天然ガスの供給契約。今後30年間にロシアは中国へ毎年380億立方メートルを供給するという内容で、総額は約4000億ドル。中国はロシアにとって巨大なマーケットでもある。 アメリカの基本戦略は、敵を分断して個別撃破していくというもの。EUの上層部はカネの力で籠絡、アメリカへ留学する中国の若手エリートを取り込み、ロシアを孤立化させて潰し、次に中国、日本という手順だったはずだが、この目論見が崩れている。グリーンの主張は、かつて自分たちが机の前で書き上げた「空論」にすぎない。 最近では籠絡したはずのEUの内部でアメリカに反発する動きも出てきた。ドイツやフランスがロシアと接触するようになり、オーストリアは黒海を横断してEUへ天然ガスを運ぶ「サウス・ストリーム」の建設でロシアと協力する契約を結んだ。北にはバルト海からドイツへつながる「ノード・ストリーム」も計画されるなど、予定通りに進めばウクライナを完全に迂回できるようになる。 CIAの秘密刑務所を設置させ、ウクライナのネオ・ナチを軍事訓練したポーランドでもアメリカへの反発はあるようだ。例えば、ラドスラフ・シコルスキー外相は元財務相に対し、ポーランドとアメリカの同盟は無価値であり、全く有害であり、ドイツやロシアとの争いに発展するとしたうえで、アメリカ人に「フェ●チオ」をしているので、すべてが最高になるとポーランド人は思っていると自嘲気味に語っている。この会話は盗聴され、外部に漏れてしまった。 ロシアを殲滅する重要な国だとアメリカの好戦派が考えているウクライナでは、東部や南部で「民族浄化」が進行中である。今年2月に「西側」の巨大資本と結びついた「オリガルヒ」とネオ・ナチがクーデターで合法政権を倒し、そのクーデター政権に反発して分離独立を目指している人びとを攻撃しているのだ。 5月2日にはオデッサでクーデター政権を拒否する住民が虐殺されたのは象徴的な出来事だった。この時に労働組合会館で殺されたのは50名弱とメディアではされているが、これは上の階で死体が発見された数。多くは地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名と言われている。 この虐殺は事件の10日前にキエフで開かれた会議で始まる。出席者はアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行で、オブザーバーとしてドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事も意見を求められたという。コロモイスキーはイスラエル系のオリガルヒ(一種の政商)で、赴任先へアメリカの傭兵を引き連れて乗り込んだ人物。ウクライナにおける民族浄化の黒幕だと見なされている。 最近、この人物が今年4月に組織した武装集団アゾフが注目されている。メンバーは200名ほどで、右派セクターの中から流れてきたという。その約半数は犯罪歴があり、6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心はアゾフだったとされている。東部での制圧作戦にもこの団体は参加、非武装の住民を殺害している。 ペトロ・ポロシェンコ大統領はコロモイスキーと対立関係にあるようだが、IMFからの圧力で東部や南部を制圧しなければならないため、やはり民族浄化には前向き。ファシストが政権の中枢にいるキエフ政権を拒否している東部や南部の住民を説得することは不可能な状況で、あとは殺害するか追放するしかない。 その前段階として行ったのが一時的停戦の宣言。それには武装解除と国外追放の要求がついている。つまり、全面降伏しろということ。「停戦」だけを取り上げるのは正しくない。当然、ポロシェンコ政権は分離独立派から拒否されることを予想、本格的な軍事作戦を始めるつもりだったのだろうが、ロシア政府が逆手にとって話し合いへ持ち込もうとしている。 ポロシェンコはロシアと交渉する姿勢を見せたが、これに怒ったのがクーデターを実行したネオ・ナチ。対ロシア強硬派の中心にはコロモイスキーがいて、停戦の中止、ドンバスでの戒厳令の導入、EUとの自由貿易圏の即時批准などを求めている。IMFや「西側」の巨大資本を連想させる要求だ。
2014.06.30
6月28日、イラクへ中古ながら10機のSu-24戦闘機がロシアやベラルーシから到着したと伝えられている。このほか戦闘ヘリもロシアから提供されるようで、ヌーリ・アル・マリキ政権としては反政府勢力の鎮圧に希望が持てる状況になった。 戦闘機が引き渡される前、ISIS(またはISIL、IEIL)の部隊をシリア軍が空爆、アメリカ政府は手を出すなと非難しているが、マリキ首相は攻撃を歓迎すると語っている。裏でマリキ、ロシア、シリアが話し合った可能性もあるだろう。 イラク政府がロシアから航空機を入手することにした理由は、アメリカ政府が2011年と12年にイラク政府と結んだF-16戦闘機を提供するという約束を守らなかったからだという。マリキ首相は今年3月、議会選挙が行われる前の月にサウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判したことは興味深い。この時点でアメリカ政府との関係は修復不能の状態になっていた可能性がある。 アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの「三国同盟」はイラクのヌーリ・アル・マリキ政権を倒そうとしている。その理由のひとつはイランとのつながり。マリキ打倒プロジェクトで使っているのがイスラム教スンニ派の武装勢力ISISだ。 アル・カイダの下部組織とも言われているが、つまり傭兵のデータベース(アル・カイダ)に登録された人たちで構成されている。2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊がISISの主要メンバーを訓練していたともいう。 ISISの黒幕はサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、ここにきてISISが独自の資金源を手に入れたという話も伝えられている。サダム・フセインに近かった勢力と手を組んでいることもあるのか、スンニ派の影響力が強い地域を制圧しているのだが、その中に含まれるモスルでは中央銀行を押さえ、5億ドルの現金と相当量の金塊を手に入れたという。 サード・ハリリ元レバノン首相はサウジアラビアの「信頼できる情報源」からの情報として、イラクにおけるISISの攻勢は昨年11月にトルコで開かれた「大西洋会議」のエネルギー・サミットで承認されたのだと語っている。ISISの司令部はトルコのアメリカ大使館にあるとも主張している。なお、ハリリの一族はレバノンのおけるスンニ派の中心的存在で、サウジアラビアと密接に結びついている。2005年2月に暗殺されたラフィク・ハリリ首相はサードの父親だ。 ファルージャに続いてモスルをISISが制圧できた理由としてイラク軍の指揮官が戦闘を回避したことが挙げられている。実際、マリキ首相はメーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任した。サダム・フセインはアル・カイダ系の戦闘集団を「人権無視」で弾圧していたが、その残党はアル・カイダと手を組んだのかもしれない。 そのほか、支配する油田で生産される石油の販売でも収入があるとされているが、この問題は本ブログでも書いた通り、販売先がなければ成り立たない話。その販売を請け負っているのがARAMCOだとする情報も流れている。 ARAMCOとはSOCAL(スタンダード石油カリフォルニア)、テキサコ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ソコニー・バキューム(後のモービル)が出資して作った会社で、重役の多くがCIAとつながっていることでも有名だ。 ISISはコントロール不能の暴走状態だとする意見もあるが、今回の攻勢でもISISの動きをアメリカの情報機関や軍が事前に察知していなかったということはありえない。上空にはスパイ衛星、その下には偵察機、勿論、地上にも情報網が存在しているわけで、事前に知っていただろう。知っていながら何もしなかったということだ。ISISに協力したイラク軍の将軍にしても、アメリカ側が説得した可能性もある。 現在のイラク政府がISISを鎮圧した場合、ロシアを後ろ盾としてイラン、イラク、シリアの同盟が成立しそうだ。もしISISが勝利したなら、中東全域が戦乱に巻き込まれてしまうだろう。ISISがサウジアラビアの資金を必要としなくなったなら、ペルシャ湾岸の産油国も無事では済まなくなる。 昨年の9月末まで駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前、イスラエルは最初からシリアの体制転覆を望んでいたと明言、イラン、シリア、レバノンに比べればアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。そのイスラエルも戦乱に巻き込まれるかもしれない。それを中東支配の好機と考えるかもしれないが、それほど簡単ではないだろう。
2014.06.29
イラクでヌーリ・アル・マリキ首相とアメリカ政府との対立が明確になってきた。マリキ政権は反政府勢力を押さえ込むために航空兵力を増強しようと考え、アメリカ政府に対して2011年と12年にF-16戦闘機を供給するように要請、契約もしていたのだが、搬入が遅れている。アメリカ側は「予定通り」、今年秋に引き渡すとしているが、しびれを切らしたマリキ政権はロシアに戦闘機の提供を求め、中古ではあるが、数日で搬入する手はずだという。ロシア政府はマリキ支援を表明していたが、その約束が具体化してきた。 航空兵力の重要性は、当然、アメリカも熟知している。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を転覆させる際、反政府軍を編成すると同時に飛行禁止空域を設定、空爆させないようにしていた。ウクライナでは地上での劣勢を挽回するため、アメリカ/NATOに支援されたキエフ政権は空爆を実施している。 繰り替えし書いていることだが、今、イラクで攻勢をかけているというISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)の黒幕はサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子であり、シリアではバシャール・アル・アサド政権を倒すための地上部隊として戦っている。 アサド体制を倒すための「秘密工作」を実行しているのは、アメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国、サウジアラビアやカタールのペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルなど。こうした国々が資金や武器を提供し、ISISの戦闘員はヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から軍事訓練を2012年に受けたと伝えられている。 現在、シリアやイラクではISISが目立つが、リビアのLIFGも根は同じアル・カイダ。イギリスのロビン・クック元外相も主張していたように、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストにすぎない。つまり、名称には大した意味はない。 表面上、現在の雇い主はサウジアラビアだが、その背後にはアメリカ/NATOやイスラエルが存在する。2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの「三国同盟」がシリアやイランをターゲットにした秘密工作を始めたと書いていた。その通りのことが起こっている。 アメリカの支配層はISISをイラクのマリキ政権を倒し、自分たちに都合の良い状況を作り出そうとしている。最近、アメリカの好戦派議員たちはISISがアメリカへ攻めてくると大合唱している。もし何らかの攻撃があったなら、それはアメリカ支配層の指示に基づくものだ。そうした背景を、当然、マリキ首相も承知している。だからこそ、首相は今年3月、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供しているとして両国を批判しているわけだ。 ロシアの支援でマリキ政権がISISなど反政府勢力を押さえ込むことに成功したなら、アメリカはイラクの利権を失う可能性がある。ISISにアメリカ本土で破壊活動を行わせ、それを口実にして再度、アメリカ軍を軍事侵攻させることも考えられるが、そんなことをしていると経済的に破綻するだろう。 すでにアメリカは足下が崩れ始めている。産業が崩壊して久しいが、直面している大きな問題はドルの基軸通貨としての地位が危うくなっていること。基軸通貨を刷る権利によってアメリカは支配システムを維持しているわけで、ドルが基軸通貨でなくなったら、そのシステムは崩壊するしかない。そうした苦境を軍事力で何とかしようと考えているのかもしれないが、裏目に出ている。
2014.06.28
現在、日本がアメリカ支配層の支配下にあることは間違いない。要するに属国だが、現首相の安倍晋三はアメリカからの自立を目指しているという見方がある。アメリカへ服従しているように装い、軍事力を増強してアメリカへものを言える国にしたいのではないかというわけだ。要するに面従腹背。 安倍にそれだけの腹があるようには思えないが、外国には似たことを主張する人たちがいることも確かだ。1996年にネオコン(アメリカの親イスラエル派)は「決別:国土を守るための新戦略」という提言を出し、その中でアメリカとの関係を自立し成熟した対等なものにすべきだと主張している。提言作成の中心は「暗黒の王子(つまり悪魔)」ことリチャード・パール。ダグラス・フェイスやデイビッド・ウームザーもメンバーに含まれていた。 昨年9月、ネオコン系シンクタンク「ハドソン研究所」で安倍首相は講演、中国に対して「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのならどうぞ」と挑発、日本を「積極的平和主義の国」にすると語っている。武力で相手を屈服させるという宣言に聞こえる。 この講演はハーマン・カーン賞の受賞を記念してのものだというが、その冒頭、安倍は受賞者を列挙している。つまり、COG(極秘の戒厳令プロジェクト)やスター・ウォーズ計画を始めたロナルド・レーガン、ジョージ・W・ブッシュ政権で侵略戦争を主導したリチャード・チェイニー、チリの軍事クーデターの黒幕でカンボジアの「秘密爆撃」を実行して約60万人を殺害し、飢餓や病気で数百万人が死ぬ原因を作ったヘンリー・キッシンジャー、新自由主義の教祖的な存在のミルトン・フリードマンとシカゴ大学における同僚で、そのフリードマンの力でリチャード・ニクソン政権の労働長官に就任したジョージ・シュルツだ。 レーガンが大統領だった時代にアメリカは日本の核兵器開発を後押しする。軍事費の負担に耐えられなくなっていたアメリカは、核武装した日本によって負担を軽減させられると考えていたとも言われている。 そして2011年3月8日、東日本の太平洋岸を巨大地震が襲い、東電福島第一原発が3基の原子炉でメルトダウンを起こして膨大な量の放射性物質を地球上に放出しはじめる3日前、イギリスのインディペンデント紙は石原慎太郎の核兵器に関する発言を掲載した。 インタビューの中で都知事だった石原は、1年以内に核兵器を作れるとしたうえで、外交力とは核兵器のことだと主張、核兵器があればアメリカに頼らなくても「外交」できると語ったという。つまり核兵器がなければ外国と交渉できない、日本は頭脳で勝負できないと石原は思っているのだろう。 安倍や石原のような「好戦派」はネオコンと親しいようだが、日本の国粋主義者とアメリカ支配層の一派が手を組み、アメリカ乗っ取りを謀るというプロットの小説がある。ワシントン・ポスト紙のコラムニストだった故ジャック・アンダーソンが1993年に出版した『The Japan Conspiracy(日本語版:ニッポン株式会社の陰謀)』だが、これを安倍たちとネオコン、日米好戦派の連合と解釈すると、21世紀の日米を予言しているようにも思える。 この小説では活動の原資として「O資金」なるものが登場する。これは明らかに「M資金」をイメージしている。小野田寛郎がフィリピンで投降した翌年、ロッキード事件が明るみに出た5カ月後、1975年7月にアンダーソンはフェルディナンド・マルコスの財宝回収工作を明らかにした。6月にマルコスは日本軍が隠した財宝の一部が保管されている場所を掘り当てたと言われている。 フィリピンをアメリカ軍が奪還した直後からアメリカの一部支配層は財宝の回収を始めたと言われ、日本軍の憲兵がフィリピンから持ち帰ったダイヤモンドの話、「日銀地下金庫のダイヤモンド」に関する証言、あるいは東京湾から引き上げられたインゴットなどについて1950年代には知られていた。 中国などでは個人が隠していた財宝を盗んでいるが、ヨーロッパではナチスが占領国の中央銀行に押し入り、金塊を盗んでいたことがわかっている。この金塊を回収する作戦は「セイフヘブン作戦」と名づけられていた。 1986年2月にマルコスはアメリカ軍に拉致され、フィリピンの外へ連れ出される。この作戦の黒幕はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツだという。マルコスがフィリピンの外へ出たことから裁判が始まり、財宝に関する情報が漏れ始めた。欧米では話題になっている。
2014.06.27
イラクの北西部を制圧しつつあるISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)をシリア軍が空爆したことが確認された。当初、アメリカの無人機が攻撃したとも伝えられたが、アメリカ政府がすぐに否定していた。 この攻撃をイラクのノウリ・アル・マリキ首相は歓迎すると語っているが、アメリカ政府はシリアに対し、国境を越えた攻撃をするなと警告している。国境など関係なく、世界中を荒らし回っているアメリカ政府が言える台詞ではないはずだが、そうしたことを気にしないところがアメリカ的だ。 本ブログでは繰り返し書いていることだが、現在、ISISを動かしているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子。長い間、アル・カイダを指揮していた同国のバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が背後へ隠れ、担当者が替わったということだろう。 このISISにアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国が資金や武器を提供していたことは公然の秘密。シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すための地上部隊としてISISを使ってきたのである。マリキ首相も今年3月にサウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊がISISの主要メンバーを訓練していたともいう。ISISのメンバーはアメリカのパスポートを持っていると主張する人もいるが、真偽は不明。ただ、ありえない話ではない。 1980年代の後半、サウジアラビアのジェッダにあるアメリカ領事館では、国務省高官からの命令で不適切な人びとにビザを発行させられていたという。アメリカでCIAが訓練するため、入国させる必要があったのだという。 また、ファルージャから始まったISISの軍事作戦をアメリカの情報機関や軍が事前に察知していなかったということはありえないとも言われている。上空にはスパイ衛星、その下には偵察機、勿論、地上にも情報網が存在しているわけで、事前に知っていたと考えるのが自然。知っていながら何もしなかったということだ。 ISISが石油施設を占領しているのも奇妙な印象を受ける。これまでアメリカは石油施設の警備に力を入れていたはずだが、今回、都市や石油施設をISISが制圧する際、抵抗らしい抵抗がなかったとも言われている。ISISは石油をARAMCO経由で売っているとも伝えられている。 第2次世界大戦が始まった後、SOCAL(スタンダード石油カリフォルニア)、テキサコ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ソコニー・バキューム(後のモービル)が出資して作った会社がARAMCO。重役の多くがCIAとつながっていることでも有名だ。 アメリカとサウジアラビアにイスラエルを加えた「三国同盟」がシリアやイランをターゲットにした秘密工作を始めたと2007年にニューヨーカー誌で書いたのは調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュ。現在、イラクで展開されているISISの作戦の背後にもこの同盟は存在している。 この「三国同盟」に加え、サダム・フセイン派の残党もISISに加わっているとも言われている。その指揮官はイサト・イブラヒム・アル・ドゥリ元革命指導評議会副議長で、アメリカによるとシリア、イラクの情報ではカタールにいるというのだが、2005年に白血病で死亡したという情報も伝わっている。ドゥリがアメリカに捕まらなかったのか、アメリカが捕まえなかったのかは不明だ。 ISISがアル・ヌスラ戦線と一緒になったとも言われているが、これは不思議でも何でもない。シリアで体制転覆を目指して戦っているのはイスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、そしてISISだが、いずれに対してもサウジアラビアは支持を表明していた。 ロビン・クック元英外相も主張していたように、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストにすぎない。その傭兵を雇っているのがサウジアラビアやアメリカだということであり、イスラエルを攻撃しないわけだ。問題は「雇い止め」になってからだ。 イラクでマリキ政権と戦っているISISをシリアが攻撃、マリキ首相は歓迎し、アメリカ政府は怒った。興味深い反応だ。
2014.06.26
5月上旬、そして5月下旬から6月上旬にかけてロシアはアメリカ/NATOから核攻撃された場合を想定した演習を実施、ソ連時代にもなかったことで注目されている。アメリカ/NATOがネオ・ナチを使ってウクライナを乗っ取り、10分以内にモスクワの司令部を核攻撃することが可能になった状況を受けてのことだったようだ。 2度目の演習では地対地ミサイルの「イスカンダル」(NATOは「SS-26ストーン」と呼んでいる)も使われたという。この移動式ミサイルは衛星、航空機、地上基地などから目標を指示できるだけでなく、搭載されたコンピュータにターゲットの映像を記憶させて目標の位置を特定させることもでき、しかも電磁パルスを使って敵のレーダーを攪乱させたり、オトリを放出するなどして防衛システムをかいくぐることができるとも言われている。速度はマッハ6から7で、射程距離は280から500キロメートルだと言われ、ロシア領内から反撃することが可能。アメリカが核戦争を始めれば、EUも消滅するということでもある。 本ブログでは何度も書いているように、アメリカ支配層の内部にはソ連/ロシアや中国を先制核攻撃したくてうずうずしている好戦派が存在する。そうした中、ソ連との平和共存の道を模索していたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺されている。この年は先制核攻撃計画の最初の山場だった。 日本が降伏して4年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とす計画を立て、1952年には水爆実験に成功している。この段階における核兵器の輸送手段はSAC(戦略空軍総司令部)の爆撃機。1948年から57年にかけてSACの司令官を務めたのが、あのカーティス・ルメイ中将だ。その後、空軍副参謀長になっている。 SACが1954年に立てた計画によると、600から750発の核爆弾をソ連に投下、2時間で約6000万人を殺すことになっていた。その翌年にアメリカが保有する核兵器は2280発になり、1958年には3000発近くにまで膨らんだ。その間、1956年にルメイたちは1000機近いB47爆撃機をアラスカやグリーンランドの空軍基地から飛び立たせ、北極の上空を通過、ソ連の国境近くまで飛行してUターンさせるというソ連攻撃の演習を行っている。 この一方、アメリカ支配層は東海岸にあるアレゲーニー山脈(アパラチア山系の一部)の中、高級ホテルとして有名なグリーンブライアの下にグリーンブライア・バンカーが建設されている。1959年に国防総省が中心になって着工、62年に完成している。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、アメリカ軍がソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせたのは1957年初頭。先制核攻撃に必要なICBMを準備できるのは1963年の終わりだと好戦派は見通していた。1961年に大統領はドワイト・アイゼンハワーからケネディに交代、7月になると軍や情報機関の幹部が新大統領に核攻撃のプランを説明したという。 当然、こうした動きをソ連は察知、対抗上、中距離ミサイルをキューバへ運び込む。そうした対抗策を予想してアメリカはキューバへの軍事侵攻を計画している。亡命キューバ人に攻撃させ、その侵攻軍を助けるという名目で攻め込むことになっていたようだ。そのプランを阻止したのがケネディ大統領だった。キューバ人を装ってアメリカで破壊活動を行い、最終的にはキューバの近くで無人の旅客機を自爆させ、キューバ軍に撃墜されたことにして「報復攻撃」するという「ノースウッズ作戦」も実行できなかった。 キューバ侵攻作戦を理由にケネディ大統領はアレン・ダレスなどCIAの幹部を追放、統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーの再任を拒否しているが、好戦派との全面対決を避けるためにルメイを空軍の参謀長に任命した。 1962年8月にアメリカの偵察機U2はキューバで対空ミサイルの発射施設を発見、ソ連が中距離ミサイルを運び込んでいることもつかんだ。10月にケネディ大統領は統合参謀本部のメンバーと会うが、その多数派はルメイを中心とする好戦派。運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張したが、こうした主張を退け、大統領はキューバにミサイルが存在する事実を公表したうえで海上封鎖を宣言する。 10月27日にはU2がキューバ上空で撃墜され、シベリア上空ではソ連の戦闘機に迎撃される事態になり、国防長官はU2の飛行停止を命令するのだが、この命令は無視された。この日、ルメイ空軍参謀長をはじめとする統合参謀本部の強硬派は大統領に対し、即日ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたという。 結局、ケネディ大統領はソ連のニキタ・フルシチョフとの話し合いでミサイル危機を解決、翌年の6月にはアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連との平和共存を訴えた。大統領が暗殺されるのは、その5カ月後のことだ。暗殺直後、CIAがキューバやソ連が黒幕だという情報を流したのは核戦争を始めたいからにほかならない。この情報が嘘だということをFBIがリンドン・ジョンソン新大統領に報告したこともあり、開戦には至らなかったが。 生前、ケネディ大統領は『5月の7日間』というアメリカにおけるクーデターをテーマにした小説を読み、友人にありえる話だと語り、ジョン・フランケンハイマーに映画化を進めている。映画が公開されたのは大統領が暗殺された後、1964年の2月だ。小説の作者のひとり、フレッチャー・ニーベルがプロットを思いつく切っ掛けはルメイへのインタビューだったという。 ケネディ大統領が暗殺された翌年、そのルメイは「勲一等旭日大綬章」を日本政府から授与されている。航空自衛隊の育成に協力したからだという。航空自衛隊はルメイのメンタリティーを受け継いでいると言えるかもしれない。だからこそ、田母神俊雄のような人物が航空幕僚長になれたのだろう。 現在のアメリカにもルメイのような精神構造の人間が支配層にいて、ロシアや中国を核攻撃しようとしている。安倍晋三が早く集団的自衛権を行使できるようにしようと必死な理由はその辺にあるのかもしれない。
2014.06.25
ウクライナの東部や南部を軍事的に制圧する作戦を始動させる前の儀式として、キエフのペトロ・ポロシェンコ政権は「一時停戦」を宣言すると同時に最後通牒を突きつけたのだろうが、それを逆手にとってロシアのウラジミール・プーチン大統領は全ての当事者による話し合いを提案している。 ポロシェンコ政権は6月2日、ウクライナ東部にあるルガンスクの住宅街を空爆、住民を殺した。当初、キエフは航空機による爆撃を否定、住民側の自衛軍によると主張していたが、インターネット上にアップロードされた映像を見れば空爆が行われた可能性は高いと言わざるをえず、欧州安保協力機構(OSCE)も空爆があったとしている。これまでも「西側」を後ろ盾とするキエフ政権は嘘をつき続けてきたわけで、今回もそうだったということだ。 この攻撃があった6月2日、デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、作戦の調整作業を行ったとも言われている。その前も4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問した2日後にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認し、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問した直後から軍事力の行使へ急速に傾斜していった。盗聴を恐れ、直接会って指示を出しているのかもしれない。 ポロシェンコ自身、アメリカ政府へ情報を提供していた一人だということがWikiLeaksの公表したアメリカ政府の2006年4月28日付け公電で明らかになっているが、やはりアメリカ、特にネオコンが最も信頼しているのはアルセニー・ヤツェニュク首相だろう。 ネオ・ナチがクーデターを成功させる前、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補はウクライナ駐在のジェオフリー・パイアット米大使と電話で「新政権」の閣僚人事について話し合っている。その中で高く評価していたのがヤツェニュクだった。つまり、傀儡として最適任者だということだ。 このヤツェニュクが所属する政党「祖国」の創設者はユリア・ティモシェンコ。この人物は首相時代の2008年、投機家のジョージ・ソロスから受けたアドバイスに基づく政策を実行すると発言していた。そうした関係もあり、ヤツェニュクもソロスの影響下にあると見られている。 また、ヤツェニュクはCIAとの関係が噂されているカルトとの関係も指摘されている。1996年に彼は大学を卒業しているのだが、その前、つまり学生の時から法律事務所を経営、1998年から2001年までアバル銀行で働いている。この銀行はアメリカを拠点とするカルト「サイエントロジー」との関係があると言われ、2005年にヤツェニュクはそのカルトへ「入信」したという。2009年には、このカルトを率いるデビッド・ミスキャベッジとカリフォルニアで会っている。 ヤツェニュクは、キエフでクーデターを主導したネオ・ナチと似た思想の持ち主だとも疑われている。アメリカのウクライナ大使館のサイトに掲載された文章の中でヤツェニュクはウクライナの東部や南部の住民を「劣等人類」と表現しているのだ。これはナチスが使っていた用語で、ユダヤ人を意味している。本性が出てしまったということだろう。 ウクライナのクーデターを現場で指揮していたヌランドの夫は、ネオコンの中心グループに属するロバート・ケーガン。ネオコンはアメリカの親イスラエル派ではあるが、ユダヤ人、あるいはユダヤ教徒と混同してはならない。イスラエルはシオニストの国であり、ユダヤ人を隠れ蓑に使っているだけだ。ネオコンの思想的な支柱と言われているレオ・ストラウスは「ユダヤ系ファシスト」とも呼ばれているが、要するにシオニストだ。シオニストはユダヤ系だけでなく、キリスト教右派(聖書根本主義派、あるいは福音派とも呼ばれる)も含まれる。
2014.06.25
安倍晋三首相は集団的自衛権を行使できるようにしようと必死だ。勿論、目的はアメリカの軍事戦略へ日本を組み込むことにあり、「自衛」という文字を使っているのは一種の幻術。アメリカが先制攻撃で他国を侵略している。例えば、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナで起こったことを見ても明らか。つまり、集団的自衛権とは軍事侵略の片棒を担ぐことであり、担当させられるのは中国との戦争だろう。 「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」が集団的自衛権を行使するひとつの条件だというが、「我が国と密接な関係にある」アメリカが他国を先制攻撃し、反撃された場合、アメリカ軍の基地が存在する「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断してアメリカの侵略戦争に荷担することになる。 例えば、アメリカがイラクを先制攻撃したときにジョージ・W・ブッシュ政権はイラクがアル・カイダと関係があるかのような情報を流し、大量破壊兵器を保有し、今にもアメリカを核攻撃するかのように主張していたが、いずれも嘘だった。その後、アメリカが嘘をつかない正直な国になったと考えることはできない。しかも、嘘をつかれたことを日本の政府やマスコミは問題にしていない。「防衛戦争だ」と宣言するだけで「侵略戦争」は実行できる。 現在、イラクではISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)がファルージャとモスルを制圧、石油施設も押さえつつあるようだが、この集団を動かしているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子であり、ARAMCOが資金を出し、ヨルダンで軍事訓練を受けていると言われている。 この武装グループが移動している様子はアメリカのスパイ衛星がとらえているはずであり、地上のスパイも情報を入手していただろう。バラク・オバマ大統領もISISの動きを知っていたと考えるのが常識。アメリカの大統領はブッシュ・ジュニアからオバマへ替わったが、嘘つきであることに変化はないようだ。 ウクライナでは合法政権を「西側」の巨大資本と結びついたオリガルヒやNATOの訓練を受けたネオ・ナチがクーデターで倒し、オデッサや東部/南部の地域で住民を虐殺していることも日本の政府やマスコミは問題にしていない。それどころか、このクーデター派を応援している。 このクーデターでアメリカ/NATOに拠点を提供、ネオ・ナチのメンバーも軍事訓練したポーランドのラドスラフ・シコルスキー外相は元財務相と私的な会話の中で、ポーランドとアメリカの同盟は無価値であり、全く有害であり、ドイツやロシアとの争いに発展するとしたうえで、アメリカ人に「フェ●チオ」をしているので、全てが最高になるとポーランド人は思っていると自嘲気味に語っている。日本とアメリカとの関係にも当てはまることだ。そんなアメリカと集団的自衛権で結びつこうなどということは正気の沙汰ではない。
2014.06.24
イラクの都市、ファルージャとモスルを制圧したISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)の背後にアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの「3国同盟」が存在していることは本ブログでも書いたが、その「3国同盟」がISISを動かしている目的は石油だという見方がある。 ISISが制圧を目指すとしている地域が1916年にイギリスとフランスとの間で結ばれた「サイクス・ピコ協定」と重なるとも指摘したことがあるが、つまり石油利権が絡んでいる可能性があるということ。この協定自体、石油利権の取り分を決めて争いを避けることが目的だった。 かつて、イランのムハマド・モサデク政権がAIOC(アングロ・イラニアン石油、現在のBP)の石油施設を国有化した際、米英両国の支配層はクーデターの準備をすると同時に石油を輸出できないように手を打っている。 ところが、ISISはシリア北部やイラクの占領地で押さえた石油施設で生産される原油を売却してカネにしている。つまり、巨大石油企業がISISの石油を買っていて、それを「西側」の支配層が許可しているのだ。その企業とはARAMCOだという。 この会社は第2次世界大戦が始まった後、SOCAL(スタンダード石油カリフォルニア)、テキサコ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ソコニー・バキューム(後のモービル)が出資して作った会社で、その重役の多くがCIAとつながっていることでも有名だ。 ISISはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子が動かしていると言われているが、資金を出しているのは、そのARAMCOだという。つまり、CIAが関係している疑いが濃厚。「サウジアラビアの増産」をカモフラージュにしてISIS/ARAMCOは石油を売っている可能性があるとうわけだ。その石油がウクライナへ流れると見ている人もいる。「3国同盟」はイランやシリアの体制を転覆させ、自分たちの傀儡国家を作ろうとしているわけで、シリアへ供給していた石油をISISは止めるとも言われている。 イラクの将軍たちがISISと戦わず、都市を明け渡した理由もこの辺にありそうだ。全ては「金目」なのかもしれない。ISISにしても戦っているのはカネで雇われた傭兵。何度も書いているが、「アル・カイダ」とは戦闘員の「データ・ベース」だ。戦乱で仕事がなくなっている中東では「成長産業」なのだろう。傭兵は契約が終われば組織を離れるわけで、そうした人びとが何をするかはその人の勝手。母国へ帰って個人的、あるいは別の組織で戦闘を続ける可能性もある。
2014.06.23
ウクライナの戦乱を終わらせるため、関係者が全て参加した話し合いを始めようとロシア政府は呼びかけている。この問題に関してウラジミール・プーチン露大統領はドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランスのフランソワ・オランド大統領と電話で議論、独仏両国とも話し合いを支援することを示唆したようだ。アメリカ/NATOに引きずられて窮地に陥ったEUとしては、状況を好転させるチャンスだと認識しているのだろう。 ロシア政府が話し合いを始める突破口に使おうとしているのは、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領が宣言した一時的な停戦。その宣言は東部や南部の分離独立派に武装解除と国外追放に応じることを求めるもので、降伏しろという最後通牒にすぎない。本格的な軍事作戦を実行する前の儀式として「停戦」という言葉が欲しかったのだろうが、それを逆手にとられた形だ。 すでにEUではアメリカ/NATO、特にネオコンが主導する戦争路線への反発が強まっている。ロシアへの「制裁」で最もダメージを受けるのはEUであり、戦争になればEUもロシアも廃墟になり、動植物は死滅する可能性もある。アメリカの好戦派はワンサイド・ゲームで勝てると妄想しているのかもしれないが、すでにロシアは爆撃機をアラスカやカリフォルニアの近くに飛ばして警告している。 こうした警告がなくても、通常の思考力がある人なら、核戦争になればロシアやEUだけでなくアメリカも日本も破滅することはわかるだろう。ところがそうしたことのわからない、正気とは思えない人がアメリカを動かしている。そうした人たちに従属しているのが日本の「エリート」たち。現在の基準では、広島や長崎に落とされた原子爆弾は「小型核兵器」だということもわかっていないかもしれない。 アメリカ/NATOは1990年代の後半から旧ソ連圏の制圧を目指してきた。1999年にはチェコ、ハンガリー、ポーランドが、また2004年には旧ソ連圏のブルガリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)がNATOに加盟、ロシアを圧迫する。 バルト3国に設置されたNATOの訓練施設では、2004年からウクライナのネオ・ナチが軍事訓練を受けていると言われ、2013年9月にはポーランド外務省がクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練をしたという。そのひとつの「成果」がキエフのクーデターだ。 このポーランドでもアメリカ/NATOへの反発が政府内に渦巻いていることが判明している。ラドスラフ・シコルスキー外相が元財務相と私的に話した内容が盗聴され、ポーランドの雑誌が明るみに出したのである。それによると、ポーランドとアメリカの同盟は無価値であり、全く有害であり、ドイツやロシアとの争いに発展するとしたうえで、アメリカ人に「フェ●チオ」をしているので、すべてが最高になるとポーランド人は思っていると自嘲気味に語っている。つまり、ドナルド・トゥスク首相の外交政策を批判しているわけだ。 トゥスク首相は盗聴で秘密が漏れていることに怒り心頭のようだが、シコルスキー外相の言っていることは正しく、日本にも当てはまりそうだ。その日本にはポーランドを「ソ連とドイツ、熊と狼のような全体主義国にはさまれ」ている無垢の少女のように表現、1980年に設立された反コミュニスト労組の「連帯」を崇める人たちもいる。この労組がCIAと緊密な関係にあり、バチカン銀行から不正融資の形で資金が流れていたことも秘密ではない。その「伝統」が今でも生きているということだ。
2014.06.23
ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領は東部や南部で分離独立を目指す自衛軍に対して武装解除と国外追放に応じるよう求め、一時的な停戦を宣言した。降伏するように呼びかけているわけだ。この要求に応じなければ軍事的な制圧作戦を再開するとしている。 つまり「最後通牒」を突きつけたのだが、当然、住民側は応じない。地上軍の攻撃だけでなく、戦闘機やヘリコプターなどでの空爆で建造物が破壊されただけでなく、少なからぬ非武装の住民が死傷しているわけで、降伏に応じる可能性はきわめて小さい。そうしたことはポロシェンコも承知のはずで、本格的な軍事作戦を準備しているだろう。 ポロシェンコ政権も正規軍を制御し切れていない可能性が高く、戦車を含む武器も住民の自衛軍側へ渡っていると見られている。ネオ・ナチを主体にした「親衛隊」、アメリカ政府が派遣したCIAやFBIの要員、軍事顧問、さらにアメリカやポーランドの傭兵会社から派遣された傭兵に頼っている。 そうした中、ポロシェンコ政権軍はジャーナリストへの締め付けを厳しくしている。東証は入国の拒否、ついで拘束、拷問、最近では殺害されるようになった。犠牲者の大半はロシア人だが、イタリア人ジャーナリストも殺されている。こうした人びとの報道や住民が撮影した映像により、自分たちのプロパガンダが機能していないことに苛立っているのかもしれない。また、ここにきてポロシェンコ政権軍が国境を越えてロシア領内へ入り、ロシア軍を挑発している。 クリミアの住民がキエフのクーデターを拒否、住民投票を経て独立への道を歩み出したとき、「西側」のメディアは1990年代からクリミアに駐留していたロシア軍を「軍事侵攻軍」だと宣伝していたが、これが「西側」の描いていたシナリオ、つまりロシア系住民を弾圧する姿勢を見せればロシア軍が出てくると見通していた可能性がある。 クーデター直後、ロシアが罠に陥ったと言われていた。ロシア軍が出てこなければウクライナ軍が東部や南部を制圧し、エネルギー資源や生産設備などを支配、ロシアの軍事基地を奪い、そのロシアへの軍事的な最前線を築き、もし出てくれば「侵略軍」というレッテルを貼り、「冷戦」を再現するか、場合によっては「反撃」という形で軍事侵攻するというシナリオだ。 これで「西側」はロシアに「チェックメート」だと考えた人も少なくなかったが、住民がクーデター政権を拒否、連邦制や独立を目指す動くが本格化して状況は一変した。クーデターの主力がネオ・ナチで、そのメンバーをNATOが訓練していることも明らかになる中、オデッサでの虐殺事件が起こった。5月2日にオデッサで50名弱(メディアの報道/実際は120名から130名と見られている)が殺されたのだ。 本ブログでも書いたことだが、「西側」で無視されているこの虐殺が行われるまでの流れを再確認してみたい: 事件後の調査によると、虐殺の10日前に開かれた会議から事件は始まる。キエフでアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、そしてアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行が参加、会議を開き、ドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事もオブザーバーとして加わっていた。会議にコロモイスキーが加わった理由は、住民弾圧の手法に長けているからだと言われている。 事件の数日前になるとパルビーは数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ運んだ。その装具を受け取ったミコラ・ボルコフは虐殺の当日、労働組合会館へ向かって銃を発射、状況をキエフの何者かに報告する様子が映像に残っている。 当日、午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着し、虐殺の幕が開く。フーリガンやネオ・ナチを誘導し、住民を虐殺する状況を作り上げる上で重要な役割を果たした集団は赤いテープを腕に巻いていたのだが、その集団は「NATOの秘密部隊」ではないかと疑われているUNA-UNSOだという。なお、虐殺に「サッカー・ファン」を利用するという案を出したのはアバコフ内相だとされている。 オデッサの虐殺から1週間後の5月9日は第2次世界大戦でソ連がドイツを破った「戦勝記念日」。この日、ウクライナの東部でも催し物が計画されていたのだが、その日にキエフのクーデター政権は東部にあるドネツク州マリウポリ市を攻撃した。戦車を入れて市内を破壊、非武装の住民を殺害、警察署を攻撃している。 この時に地元の警察は住民を撃てというキエフの暫定政権の命令を拒否、多くの警官は拘束され、残った警官は警察署にバリケードを築いて立てこもったという。クーデター政府によると、20名の「活動家」を殺害し、4名を拘束したとしているが、住民側は3名が殺され、25名が負傷したとしている。 ところで、第2次世界大戦でドイツがソ連への軍事侵攻を始めたのは1941年6月。「バルバロッサ作戦」と呼ばれている。この作戦にドイツは300万名の兵士、3000台の戦車、2700機の航空機を投入、7月にはレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲している。 この当時、ソ連はイギリスに対してフランスへ軍隊を上陸させるように求めるが、実行されていない。ウィンストン・チャーチル首相はドイツがソ連を崩壊させる様子を見物するつもりだった。 そうした状況ではあったものの、12月になるとソ連が反撃を開始する。この月の上旬には日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカが参戦、1942年から43年2月にかけて続いたスターリングラード(現在のボルゴグラード)の攻防戦でドイツ軍は全滅して敗走を始める。ドイツとの戦いで殺されたソ連人は2000万人以上、工業地帯の3分の2が破壊されたと言われている。 ソ連軍が西に向かって進撃を開始すると、アメリカを中心とする部隊が動き始める。1943年7月にシチリア島へ上陸、9月にはイタリアを制圧、44年6月にフランスのノルマンディーへ上陸した。 その間、1943年11月にフランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連のヨシフ・スターリンとイランで会談、アメリカ大統領は米英が次の春までに第2戦線を開くと約束、そのかわりにドイツが降伏した後にソ連が日本へ宣戦布告することが決まった。1945年2月にはウクライナ南部の都市ヤルタにルーズベルト、チャーチル、スターリンが集まり、ドイツが降伏してから3カ月後にソ連が日本との戦争に加わることが決まった。5月7日にドイツは降伏文書に調印、3カ月後の8月8日にソ連は宣戦している。 旧ソ連圏で5月9日を「戦勝記念日」と定めた背景には、こうしたナチスとの死闘があった。ナチスを敗北させたのがソ連だということは否定できない事実であり、現在のロシアやその周辺諸国では重要な記念日だ。逆に、ネオ・ナチにとっては「屈辱の日」。その日にタイミングを合わせてマリウポリ市を攻撃した意味を軽視するべきではないだろう。 元々、日米安全保障条約はANZUS条約(アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国で結んだ軍事条約)と深い関係にあるが、ここにきてアメリカは一体化させ、「拡大版NATO」に組み込もうとしている。そのための「集団的自衛権」であり、ロシアや中国との核戦争が想定されている。例えば、かつてアメリカの安全保障会議で上級アジア部長を務めていたマイケル・グリーンCSIS副所長がウクライナ問題に絡んでロシアを批判、集団的自衛権の重要性を主張している背景はここにある。
2014.06.22
イラクで4月に行われた選挙で勝利したヌーリ・アル・マリキ首相をアメリカ政府は排除しようとしている。選挙でアメリカ支配層の意に沿わない結果が出た後に「反乱」が起こることは珍しくないが、今回もそのパターンだ。アメリカのマリキに敵対する対する姿勢が明確になった後、ロシアがマリキ支援を表明、アメリカとロシアが対立する構図になりつつある。 シリアではアメリカのバラク・オバマ政権に逃げ道を作って助けたロシアのウラジミール・プーチン大統領。その延長線上でオバマ政権はイランとの対話を始めているのだが、ウクライナでアメリカがネオ・ナチを使ってクーデターを実行、ロシアを挑発、戦争も辞さない姿勢を見せている。その結果、ロシアのアメリカに対する姿勢は厳しくなり、「ドル離れ」という強力なカードをきった。相場を操作し、ドル札を刷ることで体制を維持しているアメリカとしては深刻な事態だ。 現在、マリキ政権を揺さぶる攻撃を続けているのはISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)。本ブログでは繰り返し書いていることだが、アブ・バクル・アル・バグダディに率いられ、その指揮官を動かしているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だ。 ISISの攻撃をサダム・フセイン元大統領の支持者、あるいはバース党が支援しているという話も流れている。この勢力を指揮していると言われているのはイサト・イブラヒム・アル・ドゥリ元革命指導評議会副議長だが、2005年に白血病で死亡したという情報も伝わっている。現在もバース党が組織として存在しているのかは不明だ。 ISISとつながっていることが確実なのはサウジアラビアとアメリカ。イスラエルも手を組んでいる可能性は高い。 ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「3国同盟」が中東の支配構造を変えるプロジェクトを本格化させたと言える。 そのはるか前、1980年代からアメリカのネオコン(親イスラエル派)はイラクのサダム・フセイン体制を倒そうとしていた。1991年にジョージ・H・W・ブッシュ政権がイラクを攻撃した際、フセインを排除しないまま停戦になり、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官は激怒、5年から10年でシリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。 ウォルフォウィッツの発言から10年後、ニューヨークの世界貿易センターと国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカは自国のファシズム化を促進すると同時にアフガニスタンやイラクを先制攻撃、フセインは排除された。 イスラエルの計画ではイラクに「親イスラエル派」の体制を築き、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯でシリアとイランを分断することになっていたが、この目論見は外れている。マリキはイランに近く、イランと対立しているサウジアラビアもマリキを倒したい。イラクの混乱は独立を望んでいるクルドにとっても悪くない展開だ。こうした国々は「マリキおろし」を加速させたいだろう。 そこで動き出したのがISIS。シリアの体制転覆プロジェクトにも参加、「3国同盟」のほか、NATO加盟国のイギリス、フランス、トルコ、ペルシャ湾岸産油国のカタールから軍事支援を受けてきた。ヨルダンは拠点を提供していると言われている。 シリアでのプロジェクトはロシアに阻止された。「偽情報」を発信していることが発覚し、NATO軍が出てくるとロシアも艦隊を出して対抗、「偽旗作戦」も暴かれてしまったことが大きい。しかも、リビアとシリアでの作戦でアメリカをはじめとする勢力がアル・カイダを使っている現実が広く知られるようになり、「自由と民主主義の国、アメリカ」という幻影は消え、「テロ帝国」という本当の姿が現れてきた。 その後もリビア、シリア、ウクライナなどでの反乱を「民主化を望む民衆の蜂起」だと言い続けている人がいるとするならば、情報の収集能力がないのか、まだ強そうな「西側」についた方が得だと考えて「知らない振り」をしているのだろう。
2014.06.21
ウクライナのクーデター政権を引き継いだペトロ・ポロシェンコ大統領は6月18日、反クーデター派に対し、武装解除の要求に応じるように通告した。これを「西側メディア」は「和平案」と表現しているが、要するに降伏を求める「最後通牒」。反クーデター派が応じるはずはなく、空爆を含む住民への攻撃は続く。(映像) キエフの制圧作戦を振り返ると、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問して14日にはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜していった。6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、作戦の調整作業を行ったとも言われている。 空爆のほか地上軍も投入されているが、その中にはネオ・ナチのほか、アメリカの傭兵会社アカデミ(旧社名はブラックウォーター)から派遣された戦闘員(事実上、アメリカの特殊部隊員)やポーランドの現内務大臣が創設した軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加、1995年から2005年までポーランド大統領の治安担当顧問を務めたイエルジ・ドボルスキが地上部隊を指揮しているとも言われている。 東部や南部の制圧を要求しているのはIMFだが、軍事的に制圧できたとしても修復不能の傷が残る。ポロシェンコ政権にしろ、ポーランド政権にしろ、その背後にいるアメリカの支配層にしろ、「平和的な統一」は諦めているとしか考えられない。すでに多くの住民が難民としてロシアへ逃れているが、これを狙っている可能性がある。 かつて、似たことをしたグループが存在する。1948年4月4日、「イスラエル建国」を目指すシオニストはアラブ系住民を追い出すために「ダーレット作戦」を開始、6日にはハガナ(後にイスラエル軍の中核になるシオニストの武装集団)の副官がイルグンとレヒ(別名、スターン・ギャング)の代表とエルサレムで会い、カスタルを攻撃する作戦で手を組むことになり、ハガナはイルグンとレヒに武器を供給している。 8日にハガナはカスタルを占領、9日の早朝、男が仕事でいない時を狙ってイルグンとレヒはデイル・ヤシン村を襲撃して住民を虐殺している。まだ眠っていた女性や子どもが殺されたわけだ。 国際赤十字によると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦だった。そのとき、イギリスの高等弁務官はパレスチナに駐留していたイギリス軍の司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。つまり、虐殺を認めていた。 この虐殺を見て多くのアラブ系住民が避難、約140万名いたパレスチナ人のうち、5月だけで42万3000名がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、それから1年の間に難民は71万から73万名に達したと見られている。それに対し、イスラエルとされる地域にとどまったのは11万2000名だという。 ウクライナでは5月2日にオデッサで反クーデター派の住民が虐殺されている。50名弱が殺されたと伝えられているが、反クーデター派は120名から130名が殺されたと主張している。多くに人たちが地下室で虐殺され、死体はどこかへ運び出されたという。この虐殺にキエフが送り込んだ警察の幹部や治安部隊が関与していることは映像などで確認できる。オデッサの虐殺で中心的な役割を果たしたと言われている人物は、イゴール・コロモイスキー。イスラエル系(シオニスト)の「オリガルヒ」で、ドニプロペトローウシクの知事に任命されている。 こうした虐殺を見てロシア軍が出てくれば「西側メディア」を総動員して「軍事侵略」だと宣伝、場合によってはNATO軍を出しただろうが、住民が恐怖で逃げてくれることも願っていたはずだ。 ここで「西側」の好戦派、例えばネオコンやメディアは計算違いをした。ロシアが挑発に乗らず、自重したことだけでなく、住民の強いレジスタンスの精神だ。勿論、子どもを抱える親などは避難しているが、ファシストと戦うという強い意志も持っている人も少なくない。実際、キエフの制圧軍が住民を銃撃した際、住民側は携帯電話のカメラで対抗している。 そこで空爆に力を入れているのだが、ウクライナ軍から離脱した兵士、退役軍人、警察/治安機関の元メンバーなどが反クーデター派にはいて、簡単には制圧できない。撃墜された航空機も少なくない。苦戦の理由はレジスタンにあるのだが、そうとは言えないキエフの政権や「西側」は「ロシアの介入」と言わざるをえないが、勿論、証拠を示すことはできない。 集団的自衛権を日本に命令しているアメリカのマイケル某は、ウクライナ問題に対する日本政府の対応に不満も口にしているようだ。ロシアとの対決姿勢を鮮明にしろというわけだが、その日本では「リベラル派」や「革新勢力」はウクライナやリビア、シリアなどの問題でマイケル某たちの思惑通りに発言してきた。こうした人びとが集団的自衛権の危険性を理解、本気で阻止しようとしているとは思えない。
2014.06.20
サダム・フセイン時代に化学兵器を製造していた工場をISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)が占領したようだ。 この工場にサリンやマスタードガスのような化学兵器が貯蔵されていた可能性は小さいのだが、これはISISが化学兵器を持っていないことを意味するわけではない。ISISはシリアで体制転覆プロジェクトに参加していたが、そのシリアで反政府軍が化学兵器を使った疑いがあるのだ。 シリアでは、「政府軍がサリンを使った」という口実でNATOが直接、攻撃する動きがあった。ダマスカスの近くでシリア政府軍がサリンが使ったと「西側」の政府やメディアは大々的に宣伝、シリアへNATO軍が直接介入する動きを見せていたが、間もなく偽情報の可能性が高いことが判明する。 まず、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示し、報告書も提出した。ロシアが示した資料の中には、反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、毒ガス攻撃を受けたとされるゴータで着弾していることを示す文書や衛星写真が含まれていたという。 昨年12月に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、シリアの反政府軍がサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとする記事を書き、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表、ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないとしている。 中でも重要な情報はサウジアラビアの役割に関するもの。サウジアラビアが反政府軍に化学兵器を提供したとミントプレスが報道したのだ。後に筆者のひとりは記事への関与を否定するのだが、編集長によると、記事を編集部へ持ち込んだのはその記者本人。一連の遣り取りを裏付ける電子メールが残っているともしている。その後、記者からの再反論はないようだ。 昨年10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れ、アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対して化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があるとセルゲイ・ラブロフ露外相は語っている。 シリアで採取されたサンプルはイギリスの軍情報機関へも送られて、シリア政府軍がサリンを使ったとする主張に根拠のないことが確認され、その分析結果はアメリカの統合参謀本部へ知らされたという。 ISISを使い、ジョージ・W・ブッシュ政権が主張したようにサダム・フセイン体制が化学兵器を保有していたと宣伝したい人たちもいるようだが、その可能性は限りなくゼロに近い。問題はサウジアラビア。この国の王族に操られているISISがサリンなどの化学兵器を入手していても不思議ではなく、粗悪な化学兵器なら自前で作ることも可能だ。イラクでサリンなどが使われる可能性はある。
2014.06.20
ISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)がファルージャに続いてモスルを制圧、首都のバグダッドを伺う動きを見せている。 こうした状況を受け、ノウリ・アル・マリキ首相はアメリカに支援を要請したというのだが、ISISを背後から操っているのはアメリカやサウジアラビアなど中東で「新秩序」を築こうとしている国の支配者たち。「放火犯に消火を頼んでいる」と揶揄する人もいる。 ISISを現場で指揮しているのはアブ・バクル・アル・バグダディ、その指揮官を動かしているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子、そしてその背後にアメリカやフランスの支配層がいる。今年3月、マリキ首相がサウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判したのも、そうした事情を知っているからだろう。 名称からもわかるように、この武装グループはイラクから地中海の東岸(トルコ、シリア、レバノンなど)を統一するとしている。この主張を聞いて少なからぬ人が「サイクス・ピコ協定」を思い出したようだ。 この協定は石油資源に目をつけたイギリスとフランスが1916年に結んだもので、フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことから「サイクス・ピコ協定」と呼ばれている。 ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをそれぞれ支配することになっていて、後に帝政ロシアも参加するのだが、協定の存在は秘密にされていた。 ところが、帝政ロシアが1917年3月の「二月革命」で倒される。このときにできた「臨時革命政府」は資本家にコントロールされ、「イギリスの傀儡」とも呼ばれたほど。サイクス・ピコ協定の当事者が関係していたわけだが、11月の「十月革命」で実権を握ったボルシェビキは資本家と対立関係にあり、協定の存在を明らかにした。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するため、アラブ人の反乱を支援する。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。 ロレンスが接触、支援したアラブ人がフセイン・イブン・アリ。この人物にイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンが出した書簡の中で、イギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。いわゆる「フセイン・マクマホン協定」だ。 しかし、イブン・アリはライバルのイブン・サウドに追い出されてしまう。そして作られたのがサウジアラビア。1932年のことだ。 その一方、イギリスのアーサー・バルフォア外相がロスチャイルド卿に宛てに出した書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。1917年11月のことである。なお、この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだという この「バルフォア宣言」の背景には旧約聖書の記述が反映されているという。離散したユダヤ人の国をパレスチナに作ろうというわけだが、最近の研究によると、ユダヤ人は離散せず改宗した可能性が高まっている。現在いるユダヤ教徒の多くは別の地域で生活、改宗した人たちだということだ。 しかし、エルサレム神殿があったとされる「シオンの丘」へ戻ろうという運動が19世紀から広まった。「シオニズム」だ。そのシオニズムを信奉する人びとがシオニストである。シオニストの中には「大イスラエル」を夢見る人たちがいて、南はナイル川から北はユーフラテス川まで、西は地中海から東はヨルダン川までを支配しようとしている。 こうしたシオニストを欧米の富豪が支援してきた。例えば、フランスのエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドやアメリカのアブラハム・フェインバーグなど。このフェインバーグをスポンサーにしていたのがリンドン・ジョンソンだ。「サイクス・ピコ協定」と「大イスラエル構想」は合体する可能性もある。 レバント、つまり地中海東岸で天然ガスが発見されたこともアメリカ、イギリス、フランス、イスラエルなどの国、特にフランスを刺激し、イギリスはかつて「富の源泉」だったイランを欲しがっているだろう。サウジアラビアも宗派的に対立していることもあり、イランを潰そうとしている。 被支配者の不満を利用、反乱を演出して自分たちが新たな支配者になるという手口を欧米は今でも使っている。
2014.06.19
アメリカは何をしでかすかわからないと相手に思わせれば、自分たちの思い通りにすることができると考えている人たちがいる。リチャード・ニクソンが言うところの「凶人理論」だ。 この「理論」に基づき、ウクライナのネオ・ナチ、イラクのISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)は動いているようにも見える。ネオ・ナチもISISもアメリカの好戦派が手先として使っているグループだ。イラクでは議会選挙で勝利したノウリ・アル・マリキ政権を揺さぶっている。(ヒラリー・クリントン元米国務長官はマリキ首相の辞任を求めた。) ファルージャに続いてモスルをISISが制圧できた理由として、イラク軍の指揮官が戦闘を回避したことが挙げられている。戦力的にこの武装集団を圧倒しているイラク軍が通常の対応をしていれば、こうした展開にはならなかったと考えられている。 マリキ首相もそのように認識しているようで、メーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任した。こうした将軍たちはISISとつながっていると疑われている。 リビアやシリアでの体制転覆プロジェクトで明確になったように、「アル・カイダ」の雇い主はサウジアラビアの支配層であり、その背後にアメリカやイスラエルが存在している。マリキ首相も今年3月にサウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 ISISはアブ・バクル・アル・バグダディに率いられているが、その指揮官を動かしているサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子はサウジアラビア外相などの兄弟。その背後にはサウジアラビアだけでなく、アメリカやフランスの支配層がいる。 シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すプロジェクトでアメリカやサウジアラビアから資金や武器を受け取っていたが、最近はサウジアラビアが買収したウクライナの武器工場からトルコ経由で入手しているとも言われている。 1970年代の後半にアメリカ(ズビグネフ・ブレジンスキー)はアフガニスタンへソ連軍を引きずり込む計画を立て、ソ連軍と戦う武装勢力を編成、CIAが戦闘員を雇い、訓練した。ロビン・クック元英外相も指摘していたが、そして作成されたのが数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまりデータベース。アラビア語にすると「アル・カイダ」になる。この当時からサウジアラビアは資金を提供、戦闘員を派遣していた。 ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いている。このときにアル・カイダを動かしていたのはバンダル・ビン・スルタン。2011年に死亡したスルタン・ビン・アブドルアジズ皇太子の息子だ。 イラクを不安定化させているのはサウジアラビア、イスラエル、ウクライナ、ネオコンのつながりであり、ここを押さえればISISを含むアル・カイダは資金を断たれ、活動が困難になる。逆に、このラインがイラクの現体制を揺さぶっている。 2001年以降、アメリカが破壊した国々、つまりイラク、リビア、シリアはアル・カイダと戦い、押さえ込んでいた。「西側」が体制転覆を狙ってきたイランも同じ。「テロとの戦争」でアメリカが攻撃している相手はそうした国々である。本気でアル・カイダを押さえ込みたいなら、サウジアラビアやイスラエル、そしてネオコンを叩かなければならない。
2014.06.18
アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権がロシアに対する挑発を強めている。クーデター体制を拒否して自立への道を歩こうとしている東部地域の住民に対する虐殺を続ける一方、キエフのロシア大使館を襲撃し、オデッサの領事館に爆発物を仕掛けようとしたと思われる人物が逮捕され、17日までにロシアからEUへ天然ガスを運んでいるパイプラインが爆破され、炎が200メートルほど吹き上げているようだ。 ウクライナ東部の戦闘を「ウクライナ軍」と「武装勢力」の衝突だと表現するのは正確でない。キエフ軍は非武装の住民を空爆で殺害している。クーデター派は反クーデター軍に責任を押しつけているようだが、もしそうなら反クーデター軍は信頼を失い、すぐに崩壊してしまうだろう。(映像1、2、3、4、5、6) クーデター政権にしろ、現在のペトロ・ポロシェンコ政権にしろ、アメリカ/NATOの意向に反することはできないはず。ウクライナで治安や軍を統括していると見られ、クーデターの際にはネオ・ナチを指揮、狙撃も指揮していたと言われているアンドレイ・パルビーにしても、アメリカの特殊部隊と連絡を取り合っているとされている。 このパルビーは1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党」なるネオ・ナチ系の政党を創設した。党名を「スボボダ(自由)」へ名称を変えた2004年には、ネオ・ナチのメンバーがバルト諸国にあるNATO系の軍事施設で訓練を受け始めている。 2013年9月になると、ポーランド外務省がウクライナのネオ・ナチ86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたとポーランドで報道されている。ポーランドの現内務大臣が創設した軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加しているという。 この制圧作戦が本格化するのは4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問してから。14日にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜していった。5月25日にはアメリカの秘密工作を統括しているフランク・アーチボルドをはじめとするCIAのグループがウクライナを訪問してポロシェンコ大統領と秘密裏に会談、国防次官補がキエフを訪れた日にルガンスクへの爆撃が始まっている。ウクライナの軍事作戦はアメリカ政府の指示で行われているように見える。 ウクライナで東部や南部の制圧作戦に参加している傭兵はアメリカからも来ている。ドイツでの報道では、アメリカの傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の傭兵約400名がウクライナ東部の制圧作戦に参加しているという。この報道がある前から制圧作戦に英語を話す戦闘員が参加しているとロシアのメディアは伝えていたので、その情報の正しさが確認された形だ。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、約150名の傭兵がウクライナのソコル(特殊機動警察)の制服を着て活動していると主張している。 最近、制圧作戦で注目されているのがポーランド人のイエルジ・ドボルスキ。1995年から2005年までポーランド大統領を務めたアレクサンデル・クファシニェフスキの治安担当顧問だった人物で、スラビヤンスクでアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行と並んで座っているところを写真に撮られている。 ベトナム戦争やラテン・アメリカでの戦争にはアメリカ軍の特殊部隊(正規軍よりCIAに近い)が参加していたが、その実態が暴かれるようになると、「民間企業」を装うようになる。「傭兵会社」や「民間CIA」だ。そうした流れの中、1997年に海軍の特殊部隊SEAL出身のエリック・プリンスが創設した「ブラックウォーター」だ。プリンスを含めてこの会社の幹部はキリスト教系カルトの信者が多く、何人かは「マルタ騎士団」のメンバーだと吹聴している。事実上、ウクライナの戦闘にアメリカが軍事介入しているということだ。 つまり、アメリカの少なくとも好戦派/ネオコンはロシアを挑発し、ロシアとの戦争を目論んでいる。「西側」の有力メディアも片棒を担いでいる。ウクライナのケースだけではなく、本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカは軍事侵略を繰り返し、核攻撃も何度か計画している。 このアメリカと軍事的に一心同体になろうという集団的自衛権とは、日本を先制核攻撃に荷担させることになりかねない仕組み。「相手から攻撃された場合」を前提にした議論は問題の本質から目をそらさせるものだ。 イラクを先制攻撃する際にアメリカは公然と嘘をつき、日本のマスコミはその嘘に騙された振りをしていたが、そうした小細工をせず、明白にアメリカが先制攻撃して反撃された場合にも「集団的自衛権」は発動する。 この程度のことは日本のマスコミも理解しているはず。「リベラル派」や「革新勢力」も知っていなければおかしい。こうした事実に触れず、アメリカを「善玉」あるいは「平和を望む国」と描くのは、よほど愚かでないかぎり、保身のために「知らない振り」をしているだけだ。
2014.06.17
アメリカのバラク・オバマ政権は迷走状態に入っている。中東ではイランとの対話を進めようとしている一方、ウクライナではロシアを挑発して(核)戦争も辞さないという姿勢だ。一貫しているのはネオコン(親イスラエル派)、イスラエル、サウジアラビアで、軍事的に中東もウクライナも制圧しようとしている。 中東ではアメリカ/NATOやサウジアラビアから軍事的な支援を受けたISIS(イラク・シリアのイスラム国、ISIL/イラク・レバントのイスラム国やIEIL/イラク・レバントのイスラム首長国とも表記)がノウリ・アル・マリキ政権を脅かしている。 その一方、6月14日にはウクライナでは右派セクターなどネオ・ナチのメンバーを含む数百人がキエフのロシア大使館前に集結し、火炎瓶、石、卵、ペンキなどを投げ入れ、窓ガラスを割り、ロシアの国旗を破き、大使館員の自動車をひっくり返すなどの乱暴狼藉を働いた。その集団にウクライナのアンドリー・デシツァ外相代行とアルセン・アバコフ内相代行が合流、デシツァは抗議活動への連帯を表明し、「ロシアはウクライナから出て行け」と叫び、プーチンを愚弄している。その間、警察官は近くで見ているだけだった。 大使館を警備する責任はウクライナ側にあるのだが、その責任を果たしていない。ロシア政府は国連で大使館への暴力行為を非難する決議を採択しようとしたのだが、アメリカ、イギリス、フランスなどの国によって阻止されたようだ この日の未明、ウクライナ軍のIl-76が反クーデター軍に撃墜され、40名の空挺隊員と9名の乗員が死亡している。この出来事に対する不満を大使館にぶつけたという見方もできるのだが、大使館に乱入してオデッサような殺戮を目論んでいたのではないかと疑う人もいる。これまでアメリカ/NATO側はロシアを挑発して軍事侵攻させようとしてきた。今回も同じ目的だったのではないかということだ。 Il-76が運んでいた空挺隊員は東部/南部地域の制圧作戦に参加するために乗っていたのだが、この作戦には1995年から2005年までポーランド大統領を務めたアレクサンデル・クファシニェフスキの治安担当顧問だったイエルジ・ドボルスキが参加しているようで、スラビヤンスクでアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行と並んで座っているところを写真に撮られている。ドボルスキは「対テロリズム」の専門家で、アメリカのほか、イスラエル、フランス、ドイツで訓練を受け、今は「保安会社」を経営している。 ポーランドはアメリカが「民主化プロジェクト」の橋頭堡にした国で、CIAの秘密刑務所があると伝えられている。ウクライナのクーデターでは、同国のニエ誌によると、2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換留学生としてポーランド外務省が招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたという。さらに、現内務大臣が創設した軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加していると言われている。ポーランドは中東におけるトルコと似た役割を果たしていると考える人もいる。
2014.06.16
アメリカの支援で戦力を増強したISIS(ISILやIEILとも表記)がイラクの諸都市を制圧し、首都のバグダッドを狙う勢いなのだという。イラクを先制攻撃、殺戮、破壊、略奪でし始めたのはアメリカであり、その結果として生じた「アナーキー」な状態を利用してアル・カイダ(実態はスンニ派系の傭兵集団)がイラクを蹂躙できるようになったのである。 イラク、リビア、シリアはイランと同じようにアル・カイダと敵対していた国。こうした国々をアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権と手を組んで破壊したイギリスのトニー・ブレア元首相は中東の破壊と殺戮を何とも考えていない。イスラエルをスポンサーにしていたブレア(本ブログでは何度も取り上げたので今回は詳細を割愛)としては、イスラエルが安泰ならば良いのだろう。 ISISは体制崩壊後のリビアで武器を入手、さらにシリアでアメリカ/NATO/ペルシャ湾岸産油国から武器の提供を受け、軍事訓練も受けてきた。そのISISがイラクで現政権を脅かす事態になることも指摘されていたわけで、そんなことはアメリカ政府も予測していただろう。中東を破壊する役割を負っていると見ることもできる。ちなみに、ISISはイスラエルやサウジアラビアを攻撃しない。 本ブログでは何度も書いているので食傷気味かもしれないが、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターや国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もない段階でジョージ・W・ブッシュ政権はイラク、シリア、イラン、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンに攻め込む計画を立てていた。 2003年3月20日にアメリカ軍はイギリス軍を引き連れ、イラクへの本格的な軍事侵攻を始める。投入された兵力は約30万人、そのうち98%は両軍が占めていた。その結果、サダム・フセイン体制は倒れ、アル・カイダがイラク領内で活動できるようになる。 1991年にもアメリカ軍は他国の軍隊を引き連れてイラクを軍事侵攻したが、このときはサダム・フセイン体制を崩壊させないまま停戦、「アナーキー」な状態にはならなかった。そこでネオコンは怒り、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラン、イラク、シリアを殲滅すると口にしたわけだ。 アメリカ支配層の中にはイラクをペルシャ湾岸へイランのイスラム革命が波及するのを防ぐ防波堤だと考えるグループもいたが、ネオコンは1980年代からサダム・フセイン体制の打倒を画策していた。フセインを排除し、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を築いてシリアとイランを分断しようとしたのである。イラクをめぐる対立が「イラン・コントラ事件」や「イラクゲート事件」の発覚につながっている。 イラクから見ると、イラン・イラク戦争は湾岸産油国のために戦っているのであり、戦争で疲弊した自分たちを支援して当然だったのだが、1980年代にクウェートはOPECの定めた原油相場を下回る価格で原油を販売、しかも1986年にサウジアラビアとクウェートは40%以上の増産を決めている。 クウェートが相場を引き下げてイラクの原油収入を減少させるとフセインは考えたわけだが、それだけでなく、イラクとクウェートとの国境近くにあるルマイラ油田でクウェートは領土を侵し、盗掘しているという疑いを持つ。 そこで、CIAは1988年の段階でイラクがクウェートへ軍事侵攻すると危険性があると認識していたが、ロナルド・レーガン政権やジョージ・H・W・ブッシュ・シニア政権はイラクの軍事的な動きに無関心であるかのように装っていた。 1990年7月24日にアメリカ国務省のスポークスパーソン、マーガレット・タトワイラーは、クウェートを守る取り決めをアメリカは結んでいないと発言、25日にはエイプリル・グラスピー米大使がサダム・フセインと会談、その際にブッシュ大統領の指示に基づいてアラブ諸国間の問題には口を出さないと伝えている。26日の記者会見でクウェートとの国境近くに軍隊を集結させているイラクにアメリカ政府は抗議したかと質問されたタトワイラーは、そうした抗議に気がつかなかったと答えている。 一連の動きに不審を抱いた人物もいる。PLOのヤセル・アラファト議長やヨルダンのフセイン国王。ふたりは、アメリカ支配層の少なくとも一部がフセインを罠にかけようとしていると疑ったのだ。アラファトはフセインに対し、挑発されてもクウェートを攻撃するべきでないとアドバイス、その足でクウェートへも行ってイラクとの金銭的な問題を解決するように提案するが、クウェート側は聞く耳を持たなかったという。 アメリカがクウェート侵攻を容認していると考えたイラクは8月2日に軍隊を入れるのだが、これはアラファト議長やフセイン国王が懸念したように罠だった。その直後、アメリカ下院の人権会議に「ナイラ」なる少女が登場、アル・イダー病院でイラク兵が赤ん坊を保育器の中から出して冷たい床に放置、赤ん坊は死亡したと涙ながらに訴えた。 この少女はアメリカ駐在クウェート大使の娘で、イラク軍が攻め込んだときにクウェートにはいなかった。つまり、病院の話は全て嘘。広告会社ヒル・アンド・ノールトンがイラクを悪役にするために考えた演出だった。このとき、クウェート政府がヒル・アンド・ノールトンへ支払った金額は1000万ドルだという。 2003年にアメリカがイラクを先制攻撃する際にも偽情報が使われている。2001年9月11日の攻撃にイラクが関係しているかのように情報が操作されたが、これは全くの嘘。逆にイラクからアメリカ政府へ警告があったと言われている。今にもイラクがアメリカを核攻撃するかのようにブッシュ・ジュニア政権は宣伝した板が、勿論、これも嘘。 偽情報を広める工作で中心的な役割を果たしたのは国防総省の内部に作られたOSP。ダグラス・フェイス国防次官が2002年に設置、エイブラム・シュルスキーが室長を務めていた。つまり、ネオコン人脈。1970年代、ジョージ・H・W・ブッシュ長官時代のCIAで「ソ連脅威論」を広めるために活動した「Bチーム」と役割は似ている。 イラクだけでなく、ユーゴスラビアにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、ウクライナにしろ、アメリカの好戦派/ネオコンは偽情報を広め、あたかも「自衛/防衛戦争」であるかのようにして侵略戦争を始めている。偽情報を広める役割を負っているのは勿論、メディア。その象徴的な存在だった存在がニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラーだ。 日本でもマスコミが戦意高揚に努め、平和を訴える人びとを激しく攻撃していた。それでも、そのときは橋田信介のようなジャーナリストがテレビで好戦的な「空気」に抵抗していたが、今のマスコミは総崩れ。それだけでなく、「リベラル派」や「革新勢力」を自称する人びとも戦意高揚のために声を上げている。なお、橋田は2004年、イラクで甥の小川功太郎と一緒に射殺された。 何度も書いているように、集団的自衛権とはアメリカが組織している「拡大版NATO」へ日本を組み込む仕組み。日本とオーストラリアの軍事関係者が接触するのも、そうしたプランを実現するためだ。経済的に破綻しているアメリカは軍事力で世界を制覇しようとしているのだが、日本を手先として利用するつもりだ。尖閣列島(釣魚台群島)を防衛する義務があるとアメリカ軍は思っていないだろうが、中国と戦争する口実に使う可能性はある。集団的自衛権は中国、ロシア、イランとの戦争(核戦争になる可能性もある)を想定している。
2014.06.16
情報とカネの流れていく先に「主権者」は存在している。「民主主義国」という看板を掲げる以上、公的な情報は全ての国民に公開しなければならないわけだ。 先月、朝日新聞は東電福島第一原発で事故への対応を指揮していた吉田昌郎所長(当時)の「聴取結果書」を明らかにした。事故時の対応を記録したテレビ会議録を渋々公開した際にも映像を編集/加工したうえ、厳しい公開条件をつけていた。こうしたことが許される国を民主主義国家と呼ぶことは、勿論、できない。 吉田所長は2011年11月24日に入院、12月1日付で所長職を退任、13年7月9日に「食道癌」のために死亡したという。事故後、長期間にわたって吉田を取材した人物がいるとするならば、間に東電が入っていたはず。東電が「原子力ムラの仲間」と見なしていた人物だろう。当然、話は東電の意向が反映されている。東電の監視が緩くなった状態で話すことができたのは、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた時くらいだろう。 3月15日に所員の9割が福島第二原発へバスや自家用車で避難したことが問題になっているが、その直前、6時15分頃に2号機の方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになっていた。同じ頃に4号機でも爆発があったはずだ。 これらの前にも爆発はあった。12日の15時36分で1号機の建屋で爆発(おそらく水素爆発)、14日の11時1分には3号機で爆発(おそらく水素爆発ではない)している。尋常な事態ではない。16日にはアメリカのNRC(原子力規制委員会)のグレゴリー・ヤツコ委員長は下院のエネルギー・商業委員会で、福島第一原発4号機の「使用済み燃料プールの水はすべて沸騰し、なくなっていると思う」と証言している。 アメリカでは燃料棒の破片が建屋から1マイル(約1.6キロメートル)以上飛んだと報道されているのだが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。 3号機の爆発で飛び散ったとするならば、爆発は使用済み核燃料プールでなく、炉心で起きたことになる。NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。この排気筒を通って燃料棒の破片が飛び散ったという日本側のメッセージだったのかもしれない。 結果としてヤツコの推測は間違っていたのだが、通常ではありえないことが起こっていたからにすぎない。ヤツコ委員長の分析が間違っていたとは言えないのだ。その事情も東電は当初、隠している。 後に判明したところによると、4号機は2010年11月から始まった定期点検で圧力容器の中にある大型構造物の取り替え工事をしていたのだが、その際に手違いがあり、ふだんは水がない部分まで水が張られていた。通常より水は1440立方メートルほど多い状態のままになっていたのだが、この水がなければヤツコ委員長の予測したような状況になり、東日本は壊滅していた可能性が高い。 福島第一原発の1〜3号機の原子炉内にある燃料棒が溶けていることを経済産業省の原子力安全・保安院が認めたのは4月18日のことだが、3月12日の段階でメルトダウンの状態だと外部の学者グループも独自に入手したデータから確認している。ただ、この学者たちは外部へ発表することはなかった。学者としての生命が絶たれることを恐れたのかもしれない。 メルトダウンの原因は全電源喪失。そうした事態になったのは津波のためだと東電や政府は主張しているが、かつて「バブコック日立」で圧力容器の設計に携わっていた田中三彦は早い段階から地震で配管が破断したのではないかと疑っていた。後に公表された「過渡期現象記録装置データ」から元東電社員の木村俊雄は、地震発生の1分30秒後あたり、つまり津波が来る前から冷却水の循環が急激に減少、メルトダウンが始まる環境になったとしている。 事故前に原子力安全基盤機構が作成していた炉心溶融のシミュレーション画像を見ると、全電源喪失事故から30分ほど後にメルトダウンが始まり、約1時間後に圧力容器の下に溶融物は溜まり、約3時間後に貫通して格納容器の床に落下、コンクリートを溶かし、さらに下のコンクリート床面へ落ち、格納容器の圧力が上昇、外部へガスが漏洩し始める。15時41分に全電源喪失になったとされているので、16時10分過ぎにはメルトダウンすると予測されていたことになる。 事故で大量の放射性物質が環境中に放出されている。(チェルノブイリ原発事故の数倍という見方もある。)調査の結果、子どもたちに影響が出ていることは間違いないが、町長時代に心臓発作で死んだ多くの人を知っていると双葉町の井戸川克隆元町長は語っている。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道するのは外国のメディア。 小学館が発行している週刊ビッグコミックスピリッツ誌に「美味しんぼ」という漫画は井戸川元町長を作品の中で登場させたが、その内容が気に入らないとして環境省、福島県、福島市、双葉町、大阪府、大阪市などが抗議、福島大学も教職員を威圧するような「見解」を出し、小学館は「編集部の見解」を掲載、この作品は次号から休載すると決めたという。小学館は週刊ポストも発行している。
2014.06.15
イラク北部の都市、モスルをスンニ派武装勢力のISIS(ISILやIEILとも表記される)が制圧したという。この勢力はシリアで政権転覆を目指して戦っていたが、シリア国民に支持されているわけでもない単なる侵略軍だったこともあり、今は敗色濃厚だ。部隊をシリアからイラクへ移動させた可能性がある。 シリアではISISのほか、イスラム戦線やアル・ヌスラ戦線が政府軍と戦ってきた。イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したそうだが、いずれもスンニ派の武装集団で、根は一緒だ。サウジアラビアはアル・ヌスラやISISへの支持も表明している。 ネオコン(アメリカの親イスラエル派)などはバラク・オバマ大統領がアメリカ軍を引き揚げたのでイラクが混乱していると主張しているようだが、その原因を作ったのはネオコンが担いでいたジョージ・W・ブッシュ政権。しかも、スンニ派の武装集団を組織、支援、訓練してきたのはアメリカ、サウジアラビア、イスラエルなどだ。 アメリカでは開戦の旗振り役をニューヨーク・タイムズ紙などの有力メディアが演じ、日本でも政府やマスコミが軍事侵略を支援、平和を求める人びとを激しく攻撃していた。偽情報を広め、戦争へと導いた責任は重いのだが、その責任を採るつもりは全くないようだ。戦争犯罪人として裁く必要がある。 1970年代の後半、アフガニスタンでズビグネフ・ブレジンスキー米大統領補佐官がソ連に対する秘密工作を始めた直後からこの3カ国は手を組んでいるが、これにパキスタンが加わっていた。シリアではトルコが協力している。 この工作で使う戦闘部隊としてスンニ派の武装集団(多くはサラフィ主義者)をアメリカは組織、アル・カイダもその中から生まれた。2005年7月8日付けのガーディアン紙でロビン・クック元英外相ははオサマ・ビン・ラディンについて、アフガニスタンのソ連軍と戦わせるため、1980年代にCIAから武器を、サウジアラビアから資金を提供されたと書いている。 広く知られた話ではあるが、欧米の閣僚経験者が口にすることは珍しい。また、ビン・ラディンを象徴とするアル・カイダについて、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだともしている。本ブログでも書いたことがあるように、アル・カイダとは文字通り「データベース」だったということだ。アル・カイダは実態がつかめなと言われるが、それは当然。実態がないのだ。この記事が出た1カ月ほど後、8月6日にクックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡している。享年59歳。 ニューヨーカー誌の2007年3月5日号では、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがアメリカ、イスラエル、サウジアラビアのシリア、イラン、ヒズボラに対する秘密工作について書いている。 こうした秘密工作で中心的な役割を果たしたのがリチャード・チェイニー副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、サウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン国家安全保障問題担当顧問(元アメリカ駐在大使、後に総合情報庁長官)だという。チェイニーとハリルザドはDPGの作成に関わった人物で、ハリルザドの父親はアフガニスタンのザヘル・シャー元国王の顧問を務めていた。 シリアでの体制転覆プロジェクトでアル・カイダを動かしているのはバンダル総合情報庁長官であり、イスラエルをしばしば訪れているという情報が広がる。アル・カイダとサウジアラビアとの関係を示す膨大な文書をシリア政府が国連へ提出し、ロシアはシリアでテロ行為を支援している全ての国に制裁するように求めるとアメリカ政府からサウジアラビア政府へ警告したようで、4月15日にバンダルは「健康上の理由」でサウジアラビア総合情報庁長官の職を辞したという。 バンダルに替わって情報機関を統轄するようになったユセフ・アル・イドリッシもイスラエルの情報機関モサドやイラクの現政権を攻撃しているスンニ派武装勢力と緊密な関係を維持しているようだ。両国ともバラク・オバマ政権がイランとの緊張緩和へ向けて動いていることに反発している。この点、ネオコンも同じだ。 メール紙はISISの残虐な行為を記事にしているが、そうしたことを根拠にネオコンなどはアメリカ軍の再占領を求めている。アメリカ軍をイラクへ再び引きずり込むため、ISISを利用しているとも言えるだろう。 歴史的な流れから予想されていたことだが、アメリカ支配層とアル・カイダの協力関係はリビアの体制転覆プロジェクトで明らかになった。反カダフィ軍の地上部隊で中心的な存在だったLIFG(リビア・イスラム戦闘団)は1995年に創設された武装グループで、その中にはアフガニスタンでソ連軍と戦った経験の持ち主がいる。2007年11月にはアル・カイダに加盟したとされている。 LIFGは設立の翌年、ムアンマル・アル・カダフィの暗殺を試みて失敗しているが、このときに資金を提供したのがイギリスの情報機関MI-6(正式にはSIS)だと主張する人もいる。一方、2004年にジョージ・テネットCIA長官(当時)はLIFGをアルカイダにつながる危険な存在だと上院情報委員会で証言している。 そもそも、中東を戦乱の中へ放り込む切っ掛けになった2001年9月11日の航空機による攻撃でアル・カイダの名前は一般に知られるようになったのだが、FBIはオサマ・ビン・ラディンを事件の容疑者とは見なしていない。 その出来事の2カ月前、2001年7月にビン・ラディンが腎臓病を治療するため、アラブ首長国連邦ドバイの病院に入院、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人のほかCIAのエージェントも病院を訪れていると報道されている。そしてエジプトのアル・ワフド紙は2001年12月26日付け紙面でビン・ラディンの死亡を伝えている。その10日前、肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたというのだ。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、そしてアル・カイダは同盟関係にあるという前提で中東や北アフリカの動きは見る必要がある。ヨーロッパではアル・カイダをネオ・ナチと言い換えれば良い。
2014.06.14
産経新聞は5月21日付けの紙面で広島大学で教鞭を執る「韓国籍の男性准教授」を攻撃する記事を掲載したが、この准教授を広島大学は擁護していないようだ。大学の最高責任者は浅原利正学長であり、担当責任者は吉田光演総合科学部長。本来ならふたりには学問の自由を守る義務がある。広島大学は「大学」に値しないということだ。 「演劇と映画」と題された講義で「慰安婦」の問題を取り上げ、韓国映画「終わらない戦争」と題されたドキュメンタリー映画を上映したという。こうした「慰安婦」の取り上げ方を許せないと産経新聞が思っていることは秘密でも何でもない。 ただ、この准教授をダイレクトに攻撃せず、『慰安婦募集の強制性があたかも「真実」として伝えられたことに疑問を呈し、「何の説明もなしに、あの映画を流すのは乱暴だ」と指摘する』男子学生を登場させている。ついでに「ため息」をつかせているが、この種の人たちが好んで使ったり使わせたりする表現だ。 ところで、アメリカには大学でイスラエルを批判する教員を監視するため、「キャンパス・ウォッチ」のような団体のネットワークが張り巡らされている。この団体は2002年に設立した設立したダイニエル・パイプスの父親はハーバード大学の教授だったリチャード・パイプス。 ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官だった時代、リチャードはCIAの内部で活動していた対ソ連強硬派グループの「Bチーム」を率いていた。既存の分析官の報告が気に入らない好戦派は、自分たちにとって都合の良い情報を提供するチームを編成したのだ。このチームには後にネオコンの中心的な存在になるポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。 この当時の大統領はジェラルド・フォード。スピロ・アグニュー副大統領が汚職疑惑で辞職、その後釜に座ったのがフォード。次にリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚し、大統領になった人物だ。この時代、「デタント(緊張緩和)派」が追放され、好戦派/ネオコンが台頭してきた。ドナルド・ラムズフェルドやリチャード・チェイニーもこの時代に頭角を現している。 イスラエルは「ユダヤ人の国」と言われるが、実態は「シオニストの国」。シオニストとは、エルサレム神殿があったとされる「シオンの丘」へ戻ろうというシオニズム運動に共鳴している人びとだ。ユダヤ教とは別の概念だが、自分たちの防御装置として「ユダヤ人」を隠れ蓑に使っている。 ナチスの弾圧を経験しているユダヤ人の中にはイスラエル政府のパレスチナ人弾圧を厳しく批判する人も少なくない。ナチスの強制収容所を生き抜いた両親を持つ学者、ノーマン・フィンケルスタインもそうしたひとりで、親イスラエル派の攻撃を受けている。 フィンケルスタインはシカゴにあるデポール大学の助教授だった。学生の評判も良いという同氏に終身在職権を与えようという動きが出ると、ハーバード大学のアラン・ダーショウィッツ教授が反フィンケルスタインのキャンペーンを開始、大学に圧力をかけ、終身在職権を否決させただけでなく、雇用契約も打ち切らせてしまった。 第2次世界大戦の前からアメリカの巨大資本はメディア支配に熱心で、1980年代には制圧に成功した。次いで熱心なのが大学の支配。欧米では大学の自治を尊重する歴史があるのだが、そうした伝統も支配層は破壊してきた。そうした中、キャンパス・ウォッチも創設されたわけである。 ネオコンの強い影響下にある日本もそうした動きを追いかけている。「学問の自由」という感覚が希薄な日本人は簡単に支配者の学問支配を許してしまった。「日の丸」や「君が代」といった「踏み絵」にも抵抗せず、官僚が全てを支配するシステムへ変えられている。 『日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。』(高見順著『敗戦日記』) 『あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を●姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。』(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年) 『そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書) 『女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。』(前掲書) 『何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書) 1945年に20歳だった人は1975年でも50歳代。その頃の日本はまだ戦場の記憶が鮮明で、荒唐無稽な話はできない。戦争中に残虐な行為をしなかった日本兵もいたわけで、そうした人びとの目を意識せざるをえない。せいぜい「南京大虐殺のまぼろし」、つまり「南京大虐殺」の話には疑問な箇所があるとしか言えなかった。「南京事件は捏造」ということが口にできるようになるのは、社会の記憶が薄らいでからだ。 ちなみに、「南京虐殺」の責任者は上海派遣軍の司令官として南京攻略戦に参加していた昭和天皇の叔父にあたる朝香宮鳩彦であり、中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根ではないと考えられている。松井は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていたとも言われている。 負けたとも降服したとも言わない天皇の「玉音放送(終戦勅語)」があってから3日後、日本が降伏文書に署名する半月前に日本の内務省は「外国駐屯慰安施設等整備要項」という指令を各都道府県へ出し、予算も捻出されて8月26日には警視庁の音頭とりで特殊慰安施設協会(RAA)が設立され、皇居前で結成式が行われたとされている。最初の慰安施設が大森でオープンしたのはその2日後だったという。 つまり、日本の支配層は日本人であろうと外国人であろうと、庶民の女性をその程度の存在だと考えていた。おそらく、今でも変化はない。1980年代以降、ひどくなっているような気がする。 しかし、本人や家族が「合意」してのことだとしても、「慰安婦」的なものが許されるわけではない。1923年に関東大震災が起こり、その復興資金を調達する際に頼ったJPモルガンはその後、日本に大きな影響力を持つようになり、現在の表現を使うならば、新自由主義化を求めてきた。 その結果、日本から金が流出して不況は深刻化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になった。支配層は裕福になるが、庶民は貧困化が進んだわけだ。そうした庶民を苦しめる政策を推進するグループを排除しようとして引き起こされたのが1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、五・一五事件、そして1936年の二・二六事件だ。 庶民を苦しめているグループを排除すれば天皇による「善政」で日本は良くなると彼らは考えたのだろうが、これは大きな間違いだった。天皇も仲間だったのである。そして決起した将校は切り捨てられて「悪役」にされた。この将校たちから見れば、拉致や奸計は勿論、貧困で身売りせざるを得ないような状況を作ること自体が犯罪的なのである。(注)●は楽天の検閲
2014.06.14
大統領に就任して間もなくペトロ・ポロシェンコはクリミアを奪還すると宣言、それから24時間もしないうちにアメリカ軍は2機のB-2爆撃機をヨーロッパへ配備したことを明らかにした。 B-2はいわゆる核攻撃を目的に開発されたステルス機で、レーダーに捕捉されにくいとされている。第2次世界大戦中にドイツが開発した爆撃機Ho 229にデザインが酷似していることでも有名。大戦後、ドイツから多くの科学者や技術者をアメリカは連れてきているので、技術的にも関係があると考える人は少なくない。Ho 229もステルスのようだ。Ho 229B-2 本ブログでは何度も書いているように、アメリカはソ連/ロシアに対する先制核攻撃を計画してきた。ロシア軍が侵略したわけでなく、住民投票を経て住民が自分たちの意思として独立を宣言したクリミアを奪還するということは軍事的に奪い返すということ。ロシアに対する「宣戦布告」と理解する人もいる。 そしてアメリカは核攻撃のための爆撃機をヨーロッパへ持ち込んだ。NATOは6月6日から21日までバルト海で軍事演習「BALTOPS 2014」を、また6月9日から20日までバルト3国で軍事演習「Saber Strike 2014」を実施、B-2も演習に参加する。ロシアに対する脅しだと考えるのは自然だろう。 一方、ウクライナ東部ではキエフ軍が制圧作戦を継続、住宅街へ白リン弾と思われる爆弾を投下している。白リン弾は高温で肉を溶かしてしまう特徴があり、一種の化学兵器とみなされている。2006年にレバノンを攻撃したときや2008年12月から1月にかけてガザへ軍事侵攻したときなどにイスラエル軍が対人兵器として使っていた。また、キエフ軍の装甲車が国境を越えてロシア領へ入るといった挑発的なことも行われている。 それに対し、ロシアはバルト海に面したカリーニングラードの周辺で軍事演習を実施、バルチック艦隊に所属する24隻の艦船を派遣、最新鋭戦闘機のSu-34、Mil Mi-24戦闘ヘリ、Tu-22M3爆撃機、Su-24MR偵察機も演習に参加させている。 1992年にアメリカの国防総省でネオコン人脈が作成したDPG(国防計画指針)の草案によると、西ヨーロッパ、アジア、旧ソ連圏がライバルに成長しないように全力を挙げ、アメリカ主導の新秩序を築き上げることを目指している。つまり、ウクライナをまたいでロシア軍とNATO軍が衝突するだけなら破壊されるのはロシアからEUにかけての地域。これはアメリカ支配層にとり、願ってもないことだ。東アジアで中国と日本が潰し合ってくれることも願っているだろう。 それに対し、ロシアは今週前半、4機のTu-95爆撃機をアラスカ近くを飛行させた。アメリカ軍はF-22戦闘機を緊急発進させ、2機のTu-92はロシアへ引き揚げた。残りの2機は南下してカリフォルニアの海岸線から80キロメートルのあたりを飛行、アメリカ軍はF-15戦闘機を迎撃させている。アメリカ/NATOが戦争を仕掛けたなら、アメリカも戦場になると警告したと見ることもできるだろう。 こうしたウクライナの軍事的な緊張を生みだし、日本に集団的自衛権を要求しているのはアメリカの戦略。つまり、根は一緒。ウクライナでネオ・ナチが実行したクーデターは遅くとも1990年代の後半から練られ、準備されたプロジェクトである。「腐敗と強権主義的支配に反対する民主化運動」とやらは新自由主義化を進めた「オレンジ革命」の第2幕であり、「国境なき巨大資本」へウクライナの利権を引き渡し、そうした巨大資本と強く結びついたオリガルヒによる「腐敗と強権主義的支配」への道を整備しただけだ。こうした妄想から抜け出せなければ集団的自衛権の本質も見えてこないだろう。
2014.06.13
WikiLeaksが公表したアメリカ政府の2006年4月28日付け公電によると、ウクライナの新大統領、ペトロ・ポロシェンコはアメリカ政府へ情報を提供してきた人物。2006年と言えばビクトル・ユシチェンコ大統領の時代だ。 ポロシェンコは「オレンジ革命」で登場した銀行員あがりのビクトル・ユシチェンコと親しく、「革命」の化けの皮が剥がれた後にビクトル・ヤヌコビッチへ接近している。政治的な理念とか信条といった類いのものを持ち合わせていないようだ。 以前からポロシェンコもアメリカの傀儡だと見なされたので、アメリカ側へ情報を提供していたことがわかっても驚きではない。アメリカ政府、つまり「国境なき巨大資本」の手先になってカネを儲けしてきた人物で、クーデター政権と大差はないわけだが、今後、ポロシェンコ政権が同じことを続けるとも言えない。 アメリカ政府はウクライナでクーデターを実行、ロシアと関係の深い東部や南部で住民を虐殺し、ロシア政府を挑発した。ロシア軍が出てこなければそのままウクライナを乗っ取り、出てくれば「侵略」だと宣伝してロシアを孤立化させ、場合によってはNATOが軍事侵攻するという展開を考えていたようだが、住民が立ち上がってクーデターを拒否、独立への道を進んでいる。 さすがにEUの人びとも自分たちが困難な状況に陥ったことに気づき、アメリカから離れようとする動きがある。ウクライナの内部でも治安機関は崩壊、軍の内部でも離反者が出ているようだ。東部や南部を制圧するために派遣された部隊は給料どころか食糧も不足、「現地調達」、つまり盗んだり、住民側についたりしているようだ。 アメリカはすでに「民間軍事会社」の傭兵という形で特殊部隊員を送り込み、NATOから軍事訓練を受けたネオ・ナチのグループと制圧作戦を展開しているようだが、その前に兵士へ食糧を配る必要があるだろう。リビアやシリアではサウジアラビアやカタールのようなスポンサーがいたが、ウクライナではそうした存在が見当たらない。 しかも、リビアの体制転覆に成功した後にサウジアラビアとカタールは対立し、サウジアラビアの内部ではアメリカと関係の深い好戦派が力を失っているという情報も流れている。そして今、東アメリカ支配層の言いなりになっている国がある東アジアで軍事的な緊張を高める動きがある。
2014.06.12
クーデター的なことを単独の政党で強行することは難しい。多数派といっても実際の支持者はそれほど多くないわけで、責任を一身に受けるようなことはしたくないはず。集団的自衛権で安倍晋三政権が公明党を巻き込もうと必死な理由のひとつはそこにあるのだろう。 今月10日、飯島勲内閣官房参与はアメリカのワシントンDCで講演、その中で公明党と創価学会との関係が憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解が変更される可能性があると語ったようだ。 公明党と創価学会がきわめて緊密な関係にあることは有名な話で、「政教分離原則」に反していると少なからぬ人が批判してきた。それを承知で自民党は手を組んでいる。アメリカ政府は自分たちが組織したイスラム教スンニ派の武装集団を自分たちの都合に合わせて「自由の戦士」と呼んだり「テロリスト」と呼んだりするが、安倍政権もその真似をしているようだ。 集団的自衛権がアメリカの戦略と深く結びついていることは明らか。1992年にアメリカの国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案によると、西ヨーロッパ、アジア、旧ソ連圏がライバルに成長しないように全力を挙げ、アメリカ主導の新秩序を築き上げることを目指している。 この草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーで、執筆を担当したのはポール・ウォルフォウィッツ国防次官やI・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドといったネオコン人脈。実際に書き上げたのは「ONA(ネット評価室)」(国防総省内部のシンクタンク)のアンドリュー・マーシャル室長だったという。 ちなみに、ハリルザドの父親はアフガニスタンのザヘル・シャー元国王の顧問を務めた人物で、本人はウォルフォウィッツと同じようにシカゴ大学で博士号を取得、ジミー・カーター政権ではズビグネフ・ブレジンスキー大統領補佐官の下で働いている。 DPGの草案はメディアにリークされたため書き直されたようだが、ネオコン系シンクタンクのPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)が2000年に出した報告書「米国防の再構築」のベースになっている。その中で重視しているのは東南ヨーロッパ、アジア東岸、そしてエネルギーの供給地である中東。東南ヨーロッパや東南アジアへは恒久的に部隊を移動させるべきだとしている。 この報告書を作成した人たちは2001年にスタートしたジョージ・W・ブッシュ政権に入り込み、2001年9月11日以降は主導権を握った。ウクライナのクーデターを最前線で指揮しているビクトリア・ヌランド国務次官補の夫、ロバート・ケーガンも執筆者のひとりだ。 現在、アメリカはロシア、中国、イランなどの周囲を「拡大版NATO」で囲み、締め上げていくという戦略を立てている。ネオコンの戦略とも重なるのだが、この封じ込め戦略を1990年代後半に主張していたのがブレジンスキーだ。現アメリカ大統領のバラク・オバマも大学時代にブレジンスキーの弟子だったと言われている。 DPGの草案が作成される前、1991年の段階でネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はシリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は言う。そして2001年9月11日の航空機による攻撃があり、その直後にブッシュ・ジュニア政権はイラク攻撃を決定、数週間後に作成された攻撃予定国リストには、イラクのほか、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたという。 リビアの体制を倒した後、アル・カイダの戦闘員をシリアへ移動させ、NATOの直接的な介入をアメリカは狙ったが、ロシアや中国に阻止されている。途中、オバマ政権も自分たちが直接、軍事介入する計画は放棄している。そしてウクライナのクーデターが始まった。 ウクライナを制圧することでエネルギー資源を手に入れ、ロシアの重要な軍事基地を奪い、状況によってはNATO軍をロシアへ攻め込ませようとしたようだが、これは失敗。本来ならロシアと中国を分断し、個別撃破する予定だったのだろうが、ロシアと中国を接近させて大規模なエネルギー取引を成立させるという事態を招き、ドル支配の崩壊が囁かれている。 そうした中の集団的自衛権。アメリカは当然、中国を意識している。ロシアや中国との戦争も辞さない姿勢だ。それほど追い詰められている。憲法を無視することを何とも感じていない安倍政権は憲法が定める交戦権や司法の規定など気にしていないだろう。 兵員を補充するために徴兵制を導入するのではないかと考える人もいるようだが、大きな問題がある。支配層(富裕層)の子どもも兵隊にとられてしまうからだ。アメリカでは支配層向けに戦場へは行かない州兵の部隊が存在していた。実際は書類だけの兵隊だったとも言われているが、現在、同じ仕組みは機能しないだろう。 最もありそうなシナリオは、庶民を貧困化させ、カネで兵隊を集めるという手法。アメリカでは「ワーキング・プア」の時代は過ぎ、「ワーキング・ホームレス」の時代に入っている。日本も同じ道を歩むつもりのようで、安倍政権は「残業代ゼロ」を言い出している。労働環境の悪化と集団的自衛権は密接に結びついていると考えるべきだろう。貧困化が進むと男性は兵隊、女性は売春婦になるのが定番だ。
2014.06.12
民主党の岡田克也元代表は先日、「集団的自衛権」の行使容認を前提とした話を展開、10日には「議員有志」が権利を「限定的」に使うことを認める「安全保障基本法案」の草案をまとめて党執行部へ届け、11日には自民党の高村正彦副総裁が20日までに権利行使を容認するための閣議決定をするべきだと語ったようだ。 言うまでもなく、安倍晋三政権だけでなく民主党のネオコン一派が「集団的自衛権」を推進しようとしているのはアメリカ支配層の都合。前にも書いたように、アメリカの戦略を知らなければ、「集団的自衛権」の目的もわからない。 アメリカ支配層の目標は世界の制覇であり、第2次世界大戦以降、ソ連/ロシアへの先制核攻撃を何度も計画している。まず、1949年の段階で統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという案を持っていた。 1957年にソ連を先制核攻撃する計画をスタートさせ、63年後半には攻撃を実行するというスケジュールになっていたとテキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授は語っている。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMをアメリカは準備でき、ソ連はまだ追いついていないという計算だったようだ。つまり、この時点ならワンサイド・ゲームで核戦争に勝利できると信じていたということ。 こうしたソ連との核戦争計画にとって最大の障害はジョン・F・ケネディ大統領。1963年11月にケネディ大統領は暗殺され、その直後にCIAは「ソ連犯行説」を流している。この情報が嘘だとFBIがリンドン・ジョンソンに伝えなかったならば、核戦争になっていたかもしれない。 1983年1月、首相に就任して間もない中曽根康弘はアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配」、「ソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語って大騒動になった。中曽根は「巨大空母」と表現したのであり、「不沈空母」は誤訳だとする人もいるようだが、意味しているところは同じであり、本質的な差はない。 その3カ月後、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖に3空母を集結させ、大艦隊演習を実施する。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとも言われている。 その年の8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がアメリカの設定した「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切り、ソ連軍の重要基地の上を飛行した末にサハリン沖で撃墜されたとされている。アメリカや日本では大々的な反ソ連キャンペーンが展開された。 その直後、11月にはNATOが大規模な軍事演習を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。これをソ連の情報機関KGBは「偽装演習」だと疑い、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと疑い、応戦の準備をしている。 大韓航空機事件の直前、1982年にアメリカでは一種の戒厳令プロジェクト「COG」が承認されていた。このプログラムで中心的な役割を果たしていたのはジョージ・H・W・ブッシュ副大統領(当時)だと考えられている。1980年代には毎年、COGの演習が実施され、その演習にドナルド・ラムズフェルドやリチャード・チェイニーも参加していたという。 このCOGは2001年9月11日の航空機による攻撃が引き金になって「愛国者法」という形で出現、憲法の機能は麻痺する。その一方でアフガニスタンやイラクに軍事侵攻、リビアの体制も転覆させ、シリアも攻撃されている。そしてウクライナ。 ウクライナの一件でも、天然ガスなど資源を手に入れたいという欲望以外に、クリミアからロシア軍基地をなくし、ロシアの喉元に核兵器を突きつけようという軍事的な目的が存在している可能性が高い。 1980年代以降、アメリカは「民間軍事会社」や「民間CIA」という形で軍事介入し、破壊活動を展開してきた。ウクライナでも同様。もし挑発に乗ってロシアが反撃してきたなら、メディアを総動員して「ロシアの軍事侵略」を宣伝して孤立させ、場合によっては核戦争を想定していただろう。 キエフでネオ・ナチがクーデターを成功させる様子を見ていたクリミアの住民はすぐに住民投票を実施、事実上、無血で独立してしまった。その際、「西側」のメディアは駐留ロシア軍を「侵略軍」だと呼んでいたが、これは「予定稿」だった可能性がある。 オデッサで住民を虐殺、東部の地域でも殺戮を続けている理由のひとつは、ロシア軍を引き出すための挑発だと推測する人もいる。が、ロシアは軍事力の行使を自重し、「予定稿」は誤報になってしまった。ロシアは「事実」を武器に戦っている。 ウクライナのネオ・ナチはステファン・バンデラを信奉している。バンデラを中心に集まっていたグループはOUN-Bと呼ばれているが、これはOUN(ウクライナ民族主義者機構)のバンデラ派という意味。創設当初、OUNのリーダーはドイツの外国諜報局(情報機関)と接触し、ドイツが占領した地域で「汚い仕事」を引き受け、ウクライナでは90万人のユダヤ人が行方不明になったとされている。 OUNのリーダーをソ連のエージェントが1938年に暗殺、引き継いだのがアンドレイ・メルニク。この後継者を生ぬるいと感じたメンバーが集まり、1941年にOUN-Bは誕生したわけだ。なお、メルニク派はOUN-Mと呼ばれている。 当初、OUN-Bはイギリスの情報機関MI-6のフィンランド支局長に雇われていたとされているが、その一方でドイツから資金を提供されていたとも言われている。バンデラの側近だったミコラ・レベジはゲシュタポの訓練学校へ入ったという。 詳細は割愛するが、OUN-Bはナチスだけでなく米英とも緊密な関係にあり、第2次世界大戦後はCIAと協力関係にあった。この組織が1943年に設立した「反ボルシェビキ戦線」は戦後、46年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となる。1949年には、このグループのメンバーがパラシュートを使い、ウクライナへ戻っている。 その後、岸信介も関わったAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟、1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。ウクライナのネオ・ナチと安倍晋三はつながっているということになる。 アメリカは現在、NATOを軍事侵略の道具として使っている。当初はソ連軍との戦う軍事同盟という側面のほか、西ヨーロッパを支配する仕組みとしての役割があった。イタリアのグラディオなど、NATO加盟国が「秘密部隊」を組織させられている理由はそこにある。 アメリカはNATOを旧ソ連圏へ拡大しているだけでなく、ロシア、中国、イランなどの周囲に拡大、その中へ日本も組み込もうとしている。そこで集団的自衛権だ。各地域の担当国をアメリカは決めているはずで、自衛隊を遠隔地へ派遣させているのは軍事同盟へ引きずり込むための儀式。アメリカの戦争で日本が担当するのは東アジアのはずで、当然、戦う相手は中国になる。ウクライナでの作戦にアメリカは失敗、ロシアと中国が急接近しているため、日本政府は戦争準備を急がされているのだろう。 戦争になれば、アメリカへ弾道ミサイルが発射されるような事態になる前に日本は廃墟だろう。核兵器を撃ち込まれる可能性もあるが、そうでなくとも、いくつかの原発を破壊されるだけで日本は終わりだ。そうなると、アメリカも放射能で汚染されることになるのだが、この国の好戦派はそうしたことを昔から気にしていない。 2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載されたインタビュー記事の中で、外交力とは核兵器なのだと石原慎太郎は語っている。妄想なのかもしれないが、どこかで聞きかじったことを口にしたのかもしれない。つまり、日本の深層部分で核戦争が議論されている可能性がある。
2014.06.11
アメリカでは警察の重武装化が進み、軍も模擬都市を建設して市街戦の訓練を始めている。最近では経済活動の範囲が全世界へ拡大、経済構造が単純化し、国内でも0.01%の支配者と大多数の被支配者という2極化が進み、その不満、怒りが近い将来に爆発して反乱に結びつくことを想定している。現在、アメリカでは「凶悪事件」を口実にして武器の所持を規制しようとしているが、これは「刀狩り」としての側面がありそうだ。日本もアメリカの真似をしている。 1998年にオメガ基金がヨーロッパ議会向けに作成した報告書「政治的コントロール技術の評価」(最終報告は2000年)では、暴動鎮圧兵器も取り上げ、「無害兵器」の危険性を訴えている。具体的には催涙ガス、プラスチック弾、電気的ショックなどだが、最近では熱戦を利用したADSや不快な音波を発射できるLRADなどが使われはじめている。重武装の警官隊も配備され始め、無人機も使用されはじめている。 本ブログでも繰り返し取り上げている監視技術の問題も庶民の怒りを恐れているからにほかならない。支配層は富を独占したいという飽くなき欲望に動かされているのだが、富の集中は革命のエネルギーを高めていく。そのエネルギーをコントロールするための道具がメディアや教育だ。万一、革命の兆候が見えたときには暴力的に押さえ込むわけで、その準備を支配層は遅くとも1980年代から始めている。COGにはそうした側面がある。 問題の根源、富の集中は意図的に引き起こされたのであり、自然に起こった現象ではない。似たことが1920年代にも起こり、ファシズムを生み出した。 それに対し、1933年に就任したフランクリン・ルーズベルト米大統領は1920年代の経済システムを反省、巨大資本への規制強化と労働者の権利拡大を図った。裁判所はこうしたプランを妨害したが、ある程度は実現している。 その時代に成立した法律の中で最も重要だった法律のひとつは1933年に制定されたグラス-スティーガル法。銀行業と証券業を分離し、投機にブレーキをかけようとしたのだが、1970年代から90年代にかけてこの法律は葬り去られて投機の時代が再来、富は巨大金融機関や投機グループへ流れていく。 そうした動きの出発点、1970年代には「マーケット信仰」が世界に広がっている。ミルトン・フリードマンを教祖とする「強者総取り」の新自由主義だ。それと同時にロンドンを中心としたオフショア市場/タックス・ヘイブンのネットワークが築かれ、巨大資本や富豪たちは資産を隠し、課税を回避することが容易になった。 そして現在、巨大な金融機関や投機グループは新しい産業を興すわけでもなく、資金を相場、つまり博奕に投入しはじめる。相場に失敗しても「大きすぎて潰せない」ということで公的な資金、つまり庶民のカネで救済され、違法行為が発覚しても「大きすぎて処罰できない」ということで不問に付され、イカサマ博奕に没頭する。 証券界のイカサマ博奕といえば、相場操縦やインサイダー取引が典型的。日本の銀行や証券会社は取り締まりの厳しいアメリカやイギリスでの取り引きを避けるという話をかつては聞いたが、今年3月にアメリカのSEC(証券取引委員会)を退職した法廷検事のジェームズ・キドニーによると、彼の上司は巨大金融機関の犯罪を取り締まるより、退職後に高給の仕事へ就くことに興味があると批判している。 2008年に始まった金融危機はゴールドマン・サックスが主導したサブプライム・ローン不動産投資が原因になっているとされていて、上院調査小委員会のカール・レビン委員長は同行の行ったことは詐欺的で反道徳的だと批判している。この件でもキドニーはゴールドマン・サックスの重役をもっと起訴するように求めていたようだが、実現しなかった。 この危機を処理することになった財務長官はティモシー・ガイトナー。ジョンズ・ホプキンス大学で修士号を取得した後にキッシンジャー・アソシエイツで働き、2001年から03年までIMFに所属、03年にはニューヨーク連銀の総裁に就任して09年までその座にいた。 その前の財務長官、ヘンリー・ポールソンは国防総省を経てゴールドマン・サックスに入行、1994年にCOO(最高執行責任者)となり、98年からCEO(最高経営責任者)を務めた。CEO時代のポールソンはジョン・セインCOOを一緒に西川善文や竹中平蔵と会談、その後で「郵政民営化」の動きが本格化したことは有名。勿論、ガイトナーやポールソンだけでなく、アメリカ政府の要人は巨大資本と深く結びついている。 巨大資本に買収されているのはSECの幹部だけではない。アメリカ政府の高官は勿論、EUの幹部も紐付きになっていると言われている。日本もそうだろう。ジョン・パーキンスなる人物は、各国の要人を買収する仕事をしていたと語っている。買収に応じない人間は命を奪われるともしているが、そうした工作をアメリカが行ってきたことは公然の秘密である。 ロシアでは、政府高官、議員、メディアが国外で銀行口座を持ったり不動産を所有することを禁じる動きがある。賄賂を受け取った場合、タックス・ヘイブンの銀行口座へ預けたり、国外の不動産を購入することが多いためのようだ。日本もその程度のことはするべきだろう。
2014.06.10
ウクライナの大統領にペトロ・ポロシェンコが就任した。10億ドル以上の資産を持つというイスラエル系オリガルヒで、「チョコレート王」、あるいは「チョコレート・マフィア」と呼ばれている。今週中に東部の戦闘を終わらせるべきだと発言、ロシアと話し合う姿勢を見せているが、これはアメリカ政府/NATOの軍事強硬策が行き詰まり、EUの内部で不協和音を生じ始めていることから出てきたのだろう。 ポロシェンコも「西側」の傀儡にすぎず、「オレンジ革命」で登場した銀行員あがりのビクトル・ユシチェンコと親しかった。この「革命」は2004年から05年にかけて展開された体制転覆運動。その背後には「西側」の支配層やロシアからイギリスへ亡命した富豪でイスラエルの市民権を少なくとも一時期は持っていたボリス・ベレゾフスキーらがスポンサーとして存在していた。当時、ユシチェンコはポロシェンコと友好的な関係にあったようだが、ビクトル・ヤヌコビッチが大統領になると新大統領へ接近している。「オレンジ革命」の前にはヤヌコビッチに近かった。 ユシチェンコは2005年から10年まで大統領を務め、その間、「西側」巨大資本の意向に沿う形で新自由主義的な政策を推進した。当然、貧富の差は拡大し、政権と結びついた一部の人間は不公正な形で巨万の富を築いた。いわゆるオリガルヒだ。 その間、2007年から10年まで首相だったのがユリア・ティモシェンコ。2008年には投機家のジョージ・ソロスからのアドバイスに基づく政策を実行すると発言、後に「祖国」なる政党をつくった。その一方で巨万の富を築いている。「西側」の傀儡になることで私服を肥やしたひとりだと言えるだろう。 今年2月のクーデターで実権を握り、「暫定政権」と呼ばれた集団で大統領代行を名乗ったのがアレクサンドル・トゥルチノフ。アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補から高く評価されていた銀行業界出身のアルセニー・ヤツェニュクが首相代行とされていた。トゥルチノフとヤツェニュクは、ふたりとも「祖国」のメンバー。つまり、「西側」の巨大資本とつながっている。 この「暫定政権」では、ネオ・ナチの中心的な存在であるスボボダ(自由)からオレクサンドル・シクが副首相に、アンドリー・モクニクがエコロジー相に、オレクサンドル・ミルニーが農業相に就任し、またオレー・マクニスキーが検事総長になった。スボボダ創設者のひとりでクーデターを指揮、警官や市民に対する狙撃の責任者だとも言われているアンドレイ・パルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している。 また、右派セクターを率い、アル・カイダともつながるドミトロ・ヤロシュは同会議の副書記に、NATOとの緊密な関係が噂されているUNA-UNSOからは、テチャナ・チェルノボルが反腐敗委員会の委員長に、またドミトロ・ブラトフが青少年スポーツ相に就任したという。軍や治安機関をネオ・ナチが押さえたと言える。 ウクライナでは評判が悪いユシチェンコだが、新大統領のポロシェンコはユシチェンコ時代の人脈とつながっている。選挙戦を指揮したのはユシチェンコの顧問だった人物で、西部地区で選挙運動の責任者だったのはユシチェンコの秘書。外交問題を担当している人物もユシチェンコのチームにいた。法律問題を担当しているのはユシチェンコ政権の司法大臣だ。「暫定政権」のヤツェニュク首相代行や元ボクサーでUDARを率いるウラジミール・クリチコと手を組むとも公言している。 ウクライナ西部の人びともユシチェンコ元大統領やティモシェンコ元首相を拒否したのだが、彼らが選んだポロシェンコはユシチェンコとティモシェンコの連合体だという茶番劇。おまけにネオ・ナチ付きだ。この新政権も動かすことになるのだろうアメリカ政府は軍事顧問団をウクライナへ入れるなど戦闘態勢の整備を急いでいる。 こうしてみると、アメリカ政府/NATOは軍事的にウクライナを制圧する方針を変更していないようなのだが、問題はEUの動き。アメリカのカネで縛られている首脳も多いようだが、反発も強まっている。アメリカへ従属する政策を続けるなら、EUは空中分解するだろう。そうした事態になったなら、1960年代から1980年頃までイタリアで実行されたような「擬装テロ」を始めるか、一気にロシアとの戦争へ突入する可能性もある。
2014.06.09
今から25年前、1989年の4月15日から6月4日にかけて中国の首都、北京は反政府運動で揺れていた。その引き金になったのは胡耀邦の死だとされているが、その前から中国各地では政府に対する抗議活動が展開され、ソ連圏での動揺とも連動している。 今でも大半の「西側」メディアは6月4日に天安門広場で「虐殺」があったと報道、大多数の人はそれが事実だと認識しているようだが、それを否定する情報がある。例えば、2011年6月に公表されたWikiLeaksが入手した外電。これにはチリの外交官の証言が報告されていて、銃撃があったのは広場の外で、広場の中で軍が群集に発砲した事実はなく、広場へ入った部隊は棍棒を持っていただけだとされている。 政府側の資料では、4日の午前4時30分に広場の北から42台の装甲車を使い、ゆっくり南へ移動、学生のリーダーだった劉暁波は広場から撤退するよう学生に指示した。南東の角から外へ出る学生が目撃されている。 イギリスのテレグラフ紙によると、当時、BBCの特派員として現場にいたジェームズ・マイルズは自分たちが「間違った印象」を伝えたと2009年に認めたという。治安部隊が広場へ入った段階で残っていた学生は外へ出ることが許され、天安門広場で虐殺はなく、死者が出たのは広場から5キロメートルほど西の地点で、数千人が治安部隊と衝突したと語っている。 こうした話はマイルズより前にワシントン・ポスト紙の北京支局長だったジェイ・マシューズもコロンビア大学の出している雑誌、「CJR(コロンビア・ジャーナリズム・レビュー)」(1998年9/10月号)に書いている。広場に到着した軍隊は残っていた学生が平和的に立ち去ることを許したと現場に居合わせた人は話していたという。 衝突のあったという場所は少し違い、天安門広場から1.6キロメートルほど西だとされている。大半が暴徒化した労働者や通りがかりの人であり、火炎瓶で焼き殺された兵士もいたようだ。戦車の前にひとりが立っている写真は、近くのホテルから事件の翌日に撮影されたもので、戦車は広場から出ていくところだったとも言われている。 当時、学生をひきいていたひとりの吾爾開希(ウイグル系の名字)は200名の学生が射殺されるのを見たと発言していたが、その出来事があったとされる時刻の数時間前、彼は広場から引き上げていたことが後に判明している。 広場の外で治安部隊と衝突した群集の多くは労働者だったようだが、そうした事態を招いた一因は経済政策にある。中国は1980年にミルトン・フリードマンの「理論」を導入して「市場経済路線」を歩み始めた。この年、フリードマンは中国政府の招待で訪中している。(Naomi Klein, “The Shock Doctrine”, Metropolitan Books, 2007) 言うまでもなく、フリードマンの政策は富を一部の特権層へ集中させるもので、庶民の貧困化が進んで貧富の差が問題になる。そのため、軌道修正する必要が出てくるのだが、そうなると特権層は不満を抱く。エリート意識が強く、自分たちは優遇されるべきだと考える学生の中にそうした人が出てきても不思議ではない。アメリカへ留学した学生にそうした傾向は強いようだ。この問題はまだ解決されていないだろう。 「天安門広場での虐殺」を最初の報じたのは香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙(南華早報)。当時、香港はまだイギリスの直轄植民地で、1997年の返還を前にイギリスと中国は緊張した関係にあった。どこから「虐殺」の情報が流れたかは不明だが、この話に「西側」のメディアが飛びつき、「西側」で信じられていることは確かだ。今でも「天安門広場での虐殺」を主張するメディアがあるとするならば、それは偽情報の可能性が高いことを知ってのこと。妄想癖があるのでなければ、確信犯だ。 ちなみに、「天安門事件」の2年後、ボリス・エリツィンがロシアの大統領に就任、その年の終わりにソ連は消滅し、1993年に彼は憲法を無視する形で議会を強制的に解散すると発表した。 この決定を憲法違反だとして議員は抗議、自分たちの政府を樹立すると宣言して少なからぬ議員が議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもると、エリツィン大統領は戦車に議会ビルを砲撃させ、10月3日から4日にかけて100名以上、議員側の主張によると約1500名が殺された。 その後、エリツィンはフリードマン流の経済政策、つまり新自由主義を導入する。政府の腐敗分子と手を組んだ一部の人間が二束三文の値段で国有財産を手に入れ、巨万の富を築く。オリガルヒの誕生だ。そうしたひとりがボリス・ベレゾフスキー。後に旧ソ連圏で「カラー革命」のスポンサーになる。 ウラジミール・プーチンがロシアの大統領になるとベレゾフスキーはイギリスへ亡命、ウクライナの「オレンジ革命」に資金を出している。この「革命」でウクライナも新自由主義の世界へ入った。ここでもオリガルヒが誕生するが、庶民は貧困化して反発が強まって「革命」、つまり「西側」の巨大資本によるウクライナ乗っ取りは挫折した。 そして今回のクーデターは「オレンジ革命」/ウクライナ乗っ取りの第2幕。天安門での経験を生かしたのか、まず広場で「カーニバル」的な集まりを演出、人が集まったところでNATOの軍事訓練を受けたメンバーを含むネオ・ナチが入り込んでクーデターへ移行している。
2014.06.08
ウクライナへ軍事顧問団をアメリカは派遣するようだ。バラク・オバマ政権はウクライナの傀儡政権に対する軍事支援を公言、CIAやFBIの専門家数十名を送り込んで東部や南部の制圧作戦や治安対策を指揮させているほか、アメリカの傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の傭兵約400名やポーランドの軍事会社、ASBSオタゴの戦闘員もウクライナ東部での制圧作戦に参加しているとされている。こうした支援だけでは対応できないと判断したのだろう。 今年2月のクーデターでは、バルト諸国にあるNATOの施設で2004年から軍事訓練を受けていたウクライナのネオ・ナチが中心的な役割を果たしたとされているが、昨年からはポーランドでもネオ・ナチは訓練を受けている。ポーランドのニエ誌によると、同国の外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたというのだ。ポーランドはCIAへ秘密刑務所を提供するなどアメリカの「国家テロ」を支援している国であり、ウクライナのクーデターや制圧作戦に協力しているわけだ。 現地からの情報によると、地上戦でキエフのクーデター軍は苦戦している。航空機が撃墜され、ネオ・ナチを中心に編成された「親衛隊」や傭兵にも死傷者が出ているようで、ここに来て戦車や装甲車を戦闘の軸にしているようだ。住民を追い出すつもりなのか、住宅街も攻撃、多くの犠牲者が出ている。 4月の段階で1万5000名以上のクーデター軍に包囲されていたドネツク州スラビャンスクは秤量攻めで食糧や衣料品が底をつき、電気も止まっているようだ。おそらく、ドネツク州とルガンスク州の全域を制圧する力は現在のクーデター軍にはなく、いくつかの都市に戦力を集中しているのだろう。 戦乱の中、強行された先日の大統領選で勝利したペトロ・ポロシェンコも軍事強硬策を主張していたが、ここにきて「話し合い」を口にするようになったという。アメリカ政府の動きを見ると今は軍事的なテコ入れの最中で、「話し合い」が本心なのかどうかは不明だ。戦闘態勢を強化するための時間稼ぎの可能性もある。 ただ、EUの内部では軍事一辺倒のアメリカ/ネオコン/NATOを懸念する声は出ていて、先頃開かれたビルダーバーグ・グループの会合でもそうした雰囲気はあったようだ。EU向けにも「話し合い」のポーズをとる必要はあるだろう。 アメリカ/ネオコン/NATOは追い詰められている。別の場所に火をつけて逆転を狙う可能性もあるが、その場所が東アジアだったとしても驚かない。
2014.06.07
1944年6月6日、アメリカを中心とする軍がノルマンディーに上陸した。いわゆる「Dデイ」だ。この作戦から70年目にあたる6月6日に開かれる記念式典には18カ国の首脳と3000名の退役軍人が参加するという。 この式典が注目されているひとつの理由はウラジミル・プーチン露大統領を中心とする首脳会談。5日にプーチン大統領はデイビッド・キャメロン英首相やフランソワ・オランド仏大統領とパリで会談、6日にはアンゲラ・メルケル独首相とも会う。バラク・オバマ米大統領も非公式に会うと言われている。 その直前、6月4日から5日にかけてカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカ、そしてEUの首脳がベルギーのブリュッセルで会合を開いている。ウクライナ問題をめぐってアメリカ/NATOとロシアが対立していることを反映して今回はロシアを外して「G-7」。ロシアは孤立しているという演出だったのだが、ロシア抜きには話が進まない現実が明確になった。利害が対立しているアメリカとEUとの間にはすきま風が吹き始めている。 もっとも、こうした「先進国」の影響力は1990年代に弱まり、1999年には「G-20」が始まっている。「G-7」に大きな意味はない。ちなみに、直近のG-20メンバーは、G-7のカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカ、EU、BRICSのブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ、そしてメキシコ、アルゼンチン、韓国、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、オーストラリアだ。 「西側」の動向としては、「G-7」よりも5月29日から6月1日にかけてデンマークで開かれたビルダーバーグ・グループの年次総会を注目する人が多いだろう。今回の主要テーマは、ロシア、中国、イランの協力関係が自分たちのヘゲモニーを浸食するのか、天然ガス取り引きの合意をはじめとするロシアと中国の間で行われる長期のプロジェクトがドルへの依存をどの程度弱めるのかなどだったようだ。 アメリカ/NATOがネオ・ナチを使ってウクライナを力尽くで乗っ取ろうとしていることにEUの首脳は反対してこなかったが、明らかに情勢はEUを窮地に追い込んでいる。当然、EUの内部でもアメリカに追随するだけの首脳に対する反発は出てきた。アメリカの庶民は「西側メディア」のプロパガンダを真に受けているようだが、EUの場合はアメリカの遣り方に危機感を抱き始めているのだろう。 オバマ大統領はウクライナの新たな傀儡大統領、ペトロ・ポロシェンコと会って軍事支援を約束、ウクライナにおける破壊活動の拠点になっているポーランドも訪問している。脅せば思い通りになると思っているようで、あくまでも暴力に頼ろうとしている。そうした姿勢が自分たちを孤立化させていくということを理解できないのだろうか?
2014.06.06
安倍晋三首相は「集団的自衛権」に執着している。その「集団」を形成する相手は、言うまでもなくアメリカ。そのアメリカの好戦派に安倍首相は命令され、従っているということだ。そのアメリカの戦略を知らなければ、「集団的自衛権」の目的もわからない。 先住民を虐殺して土地を奪うことからアメリカという国は始まり、「西部開拓」が一段落すると矛先を南へ向けてラテン・アメリカを侵略する。スペインを追い出し、新たな支配者になったわけだ。そしてアジア、中東、アフリカへと支配地を広げ、今はウクライナを制圧しようとしている。支配地を広げ、利権の拡大しようというわけだ。 支配地を拡大するために戦争は行われる。だからこそ、スメドリー・バトラー海兵隊少将は戦争を不正なカネ儲け、要する押し込み強盗に準えた。そうした侵略を好戦派は「防衛」と呼ぶ。彼らにとって、戦争に反対する人たちは「テロリスト」だ。1950年代にFBIが始めた国民監視プロジェクト「COINTELPRO」や1967年にCIAが始めた「MHケイアス」、そして「愛国者法」は平和を望む人びとを敵視している。 利権だけでなく世界制覇の欲望もアメリカを動かしてきた。その欲望を核兵器が暴走させている。 ドイツが降伏して2カ月後、1945年7月にアメリカはニューメキシコ州でプルトニウム原爆の爆発実験(トリニティ実験)を成功させ、「唯一の核兵器保有国」になった。日本の降伏は時間の問題。1945年2月にウクライナ南部のヤルタで開かれた会議で、ドイツが降伏してから3カ月後にソ連は日本との戦いに加わることが決められていたので、8月にはソ連が日本を攻める。そうなると日本の降伏は「秒読み」になる。そこで、アメリカはソ連の参戦に合わせて原爆を広島と長崎へ投下した。 実はドイツが降伏する頃、すでにウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃する作戦の立案を命じていた。ドイツ降伏の2週間後には、数十万人の米英軍が再武装したドイツ軍約10万人を引き連れて奇襲攻撃するという「アンシンカブル作戦」が提出されている。5月末に参謀本部はこの作戦を拒否、実行されなかったのだが、連合国の内部にはそうした動きがあったことを忘れてはならない。1945年7月にチャーチルは首相の座を降りるが、翌年にはハリー・トルーマン大統領と会い、そこで「鉄のカーテン」を引いた。 核兵器の基本原理は広く知られている事実であり、ソ連が原爆を開発するのは時間の問題だと科学者は認識していたのだが、トルーマン大統領は1945年10月の段階でソ連は原爆を開発できないと物理学者のロバート・オッペンハイマーに対して言い放っている。 アメリカの核戦略については別のブログで書いたことがあるのだが、当初からアメリカは「先制攻撃」を想定している。「核の傘」、あるいは「抑止力」という表現はナンセンスなのである。 ところで、1949年に出された統合参謀本部の研究報告では70個の原爆をソ連へ落とすことになっていた。1955年に2280発の核兵器を持つに至ったと言われているので、「机上の空論」とは言えない。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) 1957年になるとアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせる。1963年の後半にソ連を核攻撃することになっていたという。その頃には先制攻撃に必要なICBMを準備でき、ソ連に完勝できると信じていたようだ。 ソ連はアメリカが極秘に進めていた核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」に関する情報を入手していた。アメリカの先制攻撃計画も知っていて、対応策を講じた可能性が高い。それがキューバへのミサイル持ち込みだ。当然、アメリカもそれを予想、キューバへアメリカ軍を侵攻させようとしている。 亡命キューバ人を使ったピッグス湾への侵攻作戦が失敗することは明らかで、それを引き金にしてアメリカ軍が直接、攻撃するつもりだったようだ。これをジョン・F・ケネディ大統領は拒否している。 その一方、アメリカの軍や情報機関の好戦派はキューバ人を装ってアメリカで「テロ」を実行、無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたと非難して「報復」するという「ノースウッズ作戦」も明らかになっている。この作戦もケネディ大統領に阻止された。そのケネディは1963年11月に暗殺されている。 その後、1983年の秋にもアメリカとソ連は核戦争の一歩手前まで行った。その年の春にアメリカ軍はカムチャツカ沖で大艦隊演習を実施してソ連を挑発、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便が航路を大幅に逸脱、アメリカ軍が設定した飛行禁止空域を横断してソ連の重要軍事施設の上空を飛行、サハリン上空で撃墜されたと言われている。その直後、NATO軍は「エイブル・アーチャー83」という軍事演習を計画、ソ連は先制攻撃に備える動きを見せた。 アメリカがソ連を攻撃する姿勢を強めた背景には、ネオコン(親イスラエル派)の台頭がある。核戦争で人類を死滅させ、救世主の「再降臨」を望むというキリスト教系カルト(聖書根本主義派、福音派、あるいは原理主義者とも呼ばれる)とネオコンは手を組んで勢力を拡大、その影響はイスラエルにもおよび、主導権を労働党からリクードが奪っている。 ソ連消滅後、アメリカはNATOを拡大、ロシアや中国の周辺にミサイル網を築いて締め上げようとしている。また、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ネオコンの大物として有名なポール・ウォルフォウィッツ国防次官は1991年の時点で、シリア、イラン、イラクを攻撃する計画をたてている。そして現在、アメリカ政府はロシアとの核戦争に向かって進んでいる。ロシアがアメリカの挑発に乗っていたならば、今ごろ「第3次世界大戦」になっていても不思議ではない。 集団的自衛権とは、そういうアメリカと行動を共にするということ。東電福島第一原発が「過酷事故」を起こす3日前、2011年3月8日付けのインディペンデント紙が掲載した石原慎太郎のインタビュー記事によると、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと石原は発言したというが、日本も核兵器の撃ち合いに参加するとも聞こえる。
2014.06.05
4月23日、オホーツク海の上空でロシアのSu-27戦闘機とアメリカのRC-135U電子偵察機が約30メートルの距離まで接近したようだ。ロシアの海岸線から約96キロメートルの地点を「通常任務」で飛行中、Su-27が緊急発進して追尾、偵察機の鼻先を横切ったというのだが、6月3日にワシントン・フリー・ビーコンが記事にするまでアメリカの国防総省はこの出来事を公表していなかった。ちなみに、4月23日には北海を飛行していたロシアのTu-95爆撃機をイギリス、オランダ、デンマークの戦闘機が要撃している。 その直前、アメリカ政府はウクライナ東/南部を制圧するために軍事作戦を開始するようにクーデター政権に指示したと見られている。4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問して14日にはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜していった。 この頃、アメリカ/NATO軍はロシアの西側で戦闘機などを増強、ポーランドには空挺部隊を派遣、黒海へ4月10日にはイージス・システムを搭載した駆逐艦ドナルド・クックを入れた。同時にフランス海軍の偵察艇ドピュイ・ド・ロームも黒海へ入っている。言うまでもなく、ロシアを威嚇することが目的だ。 ロシアはドナルド・クックに向かってSu-24戦闘機を飛ばし、その電波妨害システムでイージス艦の機能を麻痺させたとする情報がロシアでは伝えられている。シリアを攻撃するために発射されたミサイルをジャミングで海中へ落としたという噂もあるが、こうした電子戦の話が本当ならば、アメリカにとっては深刻な事態だ。 オホーツク海でRC-135Uが要撃されたのは、そのように軍事的な緊張が高まっていた中。欧米では「第3次世界大戦」を懸念する声が出ていた。1カ月半の間、通常なら声高に非難するアメリカ政府が事実を隠していた理由は興味深い。 その後、5月2日にキエフのクーデター政権はオデッサで住民を虐殺している。4月下旬にキエフでアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長が会議を開き、ドニエプロペトロフスク市のイゴール・コロモイスキー市長も意見を述べたという。 その結果、サッカーの試合を強行してフーリガンを集め、反クーデター派を装ってそうしたグループを挑発して労働組合会館へ誘導している。その会館に子どもや女性などを避難させ、その中で虐殺された。50名近くが殺されたとされているが、住民の証言によると120名から130名をネオ・ナチは虐殺した。70体から80体の死体は運び去られたという。 事件の数日前、パルビーは数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ運んでいるのだが、その装具を受け取ったミコラ・ボルコフは虐殺の当日、労働組合会館へ向かって銃を発射、状況をキエフの何者かに報告する様子が映像に残っている。 そして現在、ウクライナ東部のドネツク州やルガンスク州をクーデター政権は戦闘機や攻撃ヘリを投入して攻撃、住民に犠牲者が出ている。6月2日にはルガンスクの州庁舎が航空機から発射されたミサイルで破壊され、10名近くが殺されている。攻撃がクーデター政権によるものだということはOSCE(ヨーロッパ安保協力機構)も認めている。 本ブログでは何度も書いていることだが、アメリカの支配層はNATOを拡大して世界を制覇する軍隊として使おうとしている。その「拡大版NATO」に自衛隊を組み込む仕組みが「集団的自衛権」にほかならない。この仕組みが出来上がったならば、ウクライナにおけるネオ・ナチの戦争へ日本も巻き込まれることになる。 オホーツクの出来事から約1カ月後の5月24日、東シナ海を飛行していた海上自衛隊のOP-3C画像情報収集機と航空自衛隊のYS-11EB電子情報収集機に対し、中国はSU-27戦闘機を緊急発進させ、OP-3Cには50メートル、YS-11EBには30メートルまで近づいたという。中国とロシアが5月20日から始めた合同軍事演習「海上協力-2014」に関する情報を収集するためだろうが、それまでの流れを見ても、そうした偵察飛行を行えば要撃されることはわかっていたはずだ。
2014.06.04
ウクライナ東部の制圧作戦で合計181名が死亡、そのうちウクライナ軍(クーデター政権派)の兵士が59名だとオレー・マクニスキー検事総長代理は6月3日に語ったという。戦闘員や市民の死傷者数は様々な数字が飛び交っていて明確でないが、犠牲者が増えていることは確かだろう。 ネオ・ナチが軍や治安部門を支配しているクーデター政権を圧倒的多数の住民が拒否している東部や南部では地上戦だけで制圧することは難しく、戦闘機や戦闘ヘリを投入して軍事拠点だけでなく住宅街も攻撃、多くの犠牲者が出ている。リビア方式を使っているとも言えるだろう。 地上部隊にしても、クーデター政権が掌握し切れていない正規軍を頼るわけにはいかないようで、ネオ・ナチで編成された「国家警備隊(親衛隊)」やアメリカの傭兵会社から派遣された戦闘員(元特殊部隊員が中心)が活動していると言われている。 親衛隊はクーデター後に創設が認められた軍事組織で、隊員は6万人程度が予定されていた。アメリカの傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」系の傭兵がウクライナへ入ったという情報は早い段階から流れ、制圧作戦に参加している部隊の内部で英語が飛び交っているとする証言があった。 その後、ドイツでは400名程度の傭兵がウクライナ東部の制圧作戦に参加していると伝えられ、そうした情報が確認された形。4月29日にドイツの情報機関BNDがアンゲラ・メルケル政権へこの情報は報告済みだという。 アメリカ政府はクーデター政権を支えるため、顧問としてCIAやFBIの専門家数十名を送り込んでいるとも伝えられている。東部や南部の制圧作戦を実際に指揮、つまり住民を虐殺しているのはこの顧問団だと言えるかもしれない。 クーデター政権が東部や南部の制圧に必死な理由はアメリカ/NATO/IMFから命令されているからにほかならない。工業地帯や港湾都市を抱える東部や南部の地下には天然ガスがあると言われ、IMFも融資(支援ではない)の条件に東南部の制圧をクーデタ政権に要求している。融資を受けて私腹を肥やし、利権も手にしたいオリガルヒたちは必死に軍事制圧しようとしているのだろう。 こうしたクーデター政権が手駒として使っているネオ・ナチは2004年頃からバルカン諸国にあるNATOの施設で、また昨年からポーランドでも軍事訓練を受けてきたと報道されている。ポーランドのニエ誌によると、ポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたという。 このポーランドにはASBSオタゴという軍事会社がある。ポーランドの現内相が設立、ウクライナの東部/南部制圧作戦にも戦闘員を派遣、6名の戦死者も出ているとする情報もある。 ポーランドのドナルド・トゥスク首相はロシアを打倒するためにはネオ・ナチと手を組むという人物で、ウクライナのクーデターではビクトル・ヤヌコビッチ大統領に対して武力を使わないように要求、ネオ・ナチの武力行使を助けることになった。そのトゥスクは現在、東部や南部の住民に対して厳しい姿勢で臨むべきだとしていた。実際、クーデター軍は住民を虐殺している。 こうしたポーランド政府の方針は閣僚の資質という問題もあるだろうが、情報機関の指示に従っているともいう。ポーランドは1999年にNATOへ加盟しているので、この時点では反コミュニストの「秘密部隊」へも参加しているはず。この「秘密部隊」を動かしているのは米英の情報機関で、ポーランドの情報機関がそれらの影響下へ入るのは必然。 ネオ・ナチの一派、UNA-UNSOはNATOの秘密部隊ではないかと推測されているが、ほかのネオ・ナチもNATOの軍事訓練を受けているわけで、いずれにしろNATOの命令で動いていると言えるだろう。 ところで、東部の戦況を発表したマクニスキー検事総長代理はネオ・ナチのスボボダに所属している。スボボダは2004年まで「ウクライナ社会ナショナル党」という名称だったが、この政党を創設したひとりが国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)のアンドレイ・パルビー議長代理。この人物はキエフのクーデターを指揮、警官や市民に対する狙撃もこの人物の命令で行われていたと言われ、東部の制圧作戦では顧問団に最も近い存在だ。
2014.06.03
5月24日にブリュッセルのユダヤ博物館で自動小銃を発射、イスラエル人夫妻とフランス人女性を射殺、24歳のベルギー人男性が臨床死の状態になるという事件があったが、その容疑者として、フランス人のメディ・ネムシュが6月1日に逮捕された。逮捕の際、カラシニコフ銃と犯行を認める内容のビデオ映像を持っていたという。 ネムシュはISIL(イラク・レバントのイスラム国、ISISやIEILとも表記)のメンバーとしてシリアの体制転覆作戦に昨年12月末から参加、今年3月にヨーロッパへ戻ったのだという。シリアの反政府軍はアメリカ/NATOやペルシャ湾岸産油国が雇った傭兵が主力だと言われているが、その中には少なからぬヨーロッパ出身者がいるとも伝えられている。 イギリスのICSR(ラディカル化国際研究所)によると、シリアは入った国外の戦闘員は約5500名で、その11%程度はヨーロッパから渡っているとしているが、パリ・マッチ誌がインタビューしたフランス人「聖戦主義者」のアブ・シャヒードによると、ISISに参加して戦っているフランス人は少なくとも500名で、ノルウェーでの調査ではヨーロッパから2000名程度がシリアにいて、フランス人は200名から400名だとされている。 シリアで政府軍と戦っていた主な勢力はイスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、そしてISILの3つだとされていた。イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したのだという。 リビアの体制転覆に成功した後、サウジアラビアとカタールとの間に軋みが生じ、エジプトの政変にもつながった。カタールと同じようにムスリム同胞団と近かったエルドアン首相はここにきてロシアに接近しているようで、アル・ヌスラやISILの力は弱まっているだろう。サウジアラビアもシリアから手を引く姿勢を見せている。アメリカの支援でどこまで戦えるかは不明だ。 シリアがこうした状態になっていることもあり、一部はウクライナへ入って「西側」の手先として戦闘に参加しているとも言われているが、残りは母国へ戻る可能性が高い。そうしたひとりがネムシュ。 シリアの体制転覆作戦に参加していたイスラム教スンニ派の多くは傭兵で、「アル・カイダ」と呼ばれる。以前にも書いたことだが、「アル・カイダ」とは「データ・ベース」のことで、その源は1970年代の後半にズビグネフ・ブレジンスキーが仕掛けたアフガニスタンでの戦争における戦闘員のリストだとされている。この戦闘員をアメリカの情報機関や軍が支援、訓練していた。 この当時も今も遣っていることは同じだが、アメリカ政府は状況によって彼らを「自由の戦士」と呼んだり、「テロリスト」と呼んだりする。リビアやシリアでは使い分けがうまくいかず、アメリカが「テロリスト」を使うということになった。 シリアではイスラエルのマイケル・オーレン駐米大使(2009年7月から13年9月まで)もアル・カイダを容認している。エルサレム・ポスト紙のインタビューで、イスラエルは最初からシリアの体制転覆を望み、アル・カイダを支援してシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしてきたと言明している。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相に近いと言われ、イスラエル政府の考え方を代弁していると言えるだろう。 ウクライナでもアメリカ/ネオコン(親イスラエル派)はユダヤ教徒を敵視する勢力と手を組み、イスラエル政府も異を唱えていない。その勢力とは、言うまでもなく、ネオ・ナチ。彼らを使ってクーデターを実行したのだ。ウクライナではラビ(ユダヤ教の聖職者)がユダヤ教徒に対し、キエフを、できたらウクライナを出るように呼びかける事態になる。後に虐殺があったオデッサでもイスラエル系住民がネオ・ナチに襲われていた。 隠したい自分たちの姿が知られて批判され始めると、その批判を「敵」に投げ返すという技をアメリカの支配層はよく使う。そこで、アメリカ政府は東部や南部の反クーデター派が「反ユダヤ主義者」だという宣伝を始め、ユダヤ人は登録するようにと書かれたリーフレットが配られる。これを反クーデター派によるものだと断定、「グロテスクだ」と批判、アメリカの大手メディアも事実として報道しているのだが、ユダヤ教徒からすぐに嘘だと見抜かれてしまった。 本ブログでは何度も書いているように、NATO加盟国には「秘密部隊」が存在、アメリカの巨大資本にとって都合の悪い勢力を潰してきた。遅くとも1970年代からそうした組織の存在は指摘されていたが、1990年にイタリア政府が公式に認めている。イタリアではそうした部隊を「グラディオ」と呼び、1960年代から1980年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、治安強化/ファシズム化を推進していた。 そうした秘密部隊は手先とするために「右翼」、つまりファシストを保護している。これはNATOへ参加する国の義務。ファシストと言えばベニト・ムッソリーニやアドルフ・ヒトラーを連想する人が多いだろうが、このふたり、特にヒトラーを支えていたのはアメリカやドイツの巨大資本。1933年から34年にかけてアメリカの金融資本がニューディール派を潰し、ファシズム体制を樹立するためにクーデターを計画したことからも巨大資本とファシストとの緊密な関係はわかる。 かつて「西側」ではファシズムの本質を隠すため、「全体主義」なる用語を考えだしてコミュニストとファシストを混同させようとし、最近ではナショナリズムとファシズムを混同させようとしている。本来、ナショナリズムは「ネイション(民族、国民など)」を一種の共同体と考え、構成員は助け合って生きていくべきだというものだろう。それに対し、少なくともヒトラー以降のファシズムは巨大資本の利益を守るための仕組み。だからこそ、ウォール街の巨大資本がファシズム体制を望んだのである。 リビア、シリア、ウクライナなどでの体制転覆プロジェクトにイスラエルも参加、ユダヤ教徒を敵視する人びとと手を組んできた。「西側」の巨大資本と同じように、イスラエルを作ったシオニストも反ユダヤだということ。ブリュッセルでの出来事もそうした構図が生み出したと言える。
2014.06.02
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