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数千名規模のロシア軍がウクライナに侵入したとキエフのペトロ・ポロシェンコ政権は発表、アメリカ政府は曖昧な表現で同じような主張をし、西側のメディアはその話を垂れ流した。ところがここにきて、問題の地域にロシア軍は見当たらず、「ロシア軍部隊が消えた」と伝えられている。ポロシェンコ大統領は証拠を示さず、NATOから出てきた写真にも疑問が投げかけられていただけに驚きはない。キエフ政権と西側が作り上げた幻影が消えたということだろう。 ポロシェンコ大統領がロシア軍の侵入を主張した頃、ウクライナ東部のドネツクにあるノボアゾフスクで反キエフ軍(ドネツク人民共和国の義勇軍)がキエフ軍を包囲、制圧するという事態になっていた。その後、キエフ軍の兵士を武装解除の上で解放するという方針を出したが、キエフ政権は拒否して「玉砕しろ」と命令しているようだ。重要拠点でキエフ軍が敗北、その弁明として「ロシア軍の侵攻」という作り話をした可能性もありそうだ。 反キエフ軍はウクライナ軍の将兵や退役兵が主体で住民を守り、ナチスの末裔と戦っているという使命感から士気は高い。最近はフランスやギリシャからも義勇兵が入っているようだ。 それに対し、キエフ側は正規軍の士気が低い。NATOの訓練を受けたネオ・ナチ、アメリカやポーランドの傭兵が主力で、そこにCIA、FBI、アメリカの軍事顧問が加わっているのだが、それでは対応できなくなってきた。そこで、NATOはウクライナ情勢に対応するため、イギリス軍を中心にして、デンマーク、ラトビア、エストニア、リトアニア、ノルウェー、オランダで1万人以上の統合遠征軍を編成すると伝えられている。カナダも参加する可能性があるようだ。ロシアと核兵器を撃ち合う覚悟ができたのだろうか? ここでキエフ政権の東部における民族浄化作戦を振り返ると、幕開けは4月12日。ジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問したのだ。その2日後にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認した。 次いで4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。会議に出席したのはトゥルチノフ大統領代行のほか、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてオブザーバーとしてドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事も参加していた。コロモイスキーはイスラエル系ウクライナ人で、活動の拠点はスイス。 会議の10日後、5月2日にオデッサでクーデター政権を拒否する住民が虐殺される。この時に労働組合会館で殺されたのは50名弱とメディアではされているが、これは上の階で死体が発見された数。多くは地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名と言われている。 ウクライナ東/南部の制圧/民族浄化作戦を作成したのはアメリカ軍系シンクタンク、RANDコーポレーションだと推測されている。シンクタンク側は否定しているが、そうしたことを示す文書が見つかったのだ。 その文書によると、まず対象地域に住む人びとを「テロリスト」、あるいはその「シンパサイザー」だと考えて地域を軍隊で包囲して兵糧攻めにし、放送、電話、通信手段を断つ。ついで地上軍と航空機を組み合わせて戦略的に重要な施設を攻撃する「掃討作戦」が予定され、最後に電力や通信を復活させる。避難した住民が帰還する際、分離独立に賛成しているかどうかをチック、またこの間、外国のメディアを排除し、作戦の実態を知られないようにするともしている。 会議の前、4月下旬の段階でスラビャンスクの周囲を1万5000名以上のキエフ軍が包囲していた。オデッサの虐殺から1週間後、5月9日にはキエフ軍の戦車がドネツク州マリウポリ市に突入、住民が殺された。9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、少なからぬ住民が街頭へ出て祝っていた。そうした人びとを攻撃したわけである。6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りするが、そのタイミングでキエフ軍はルガンスクで住宅街を空爆、建物を破壊し、住民を殺し始めた。 キエフ軍が苦戦している最大の理由はウクライナ軍を掌握できていないことだろう。アメリカの傀儡政権のため、ネオ・ナチの命令で自国民を殺したくないと少なからぬ将兵が思っているのではないだろうか。この状態が続くと、民族浄化を成功させるためにはどこかの時点でNATO軍を投入せざるを得なくなりそうで、そのために「ロシア軍の軍事侵攻」を演出する必要があるだろうが、今回はとんだ赤っ恥をかいた。もっとも、恥知らずの西側メディアはそうした事実を無視するだろうが。
2014.08.31
アフガニスタン、リビア、シリア、そしてウクライナで「西側の軍隊」として登場してくるのはNATO(北大西洋条約機構)である。1949年に創設された軍事同盟で、当初の参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクだ。ソ連軍の侵攻に備えるという名目だったが、西ヨーロッパをアメリカが支配することも大きな目的のひとつだった。 1990年10月にイタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの内部に秘密部隊が存在することを認める報告書を出した。本来の目的はソ連軍に占領された時にゲリラ戦を展開することにあったが、実際はアメリカの巨大資本にとって都合の悪い人を処分、組織、政府を破壊してきた。イタリアの「グラディオ」は有名だが、こうした秘密部隊は全てのNATO加盟国に存在する。この組織をさかのぼると、1944年にアメリカとイギリスが創設した「ジェドバラ」に行き着く。 その3年前、1941年にドイツ軍は東へ向かって進撃を開始している。バルバロッサ作戦だ。当初はドイツが優勢でソ連軍はスターリングラードまで後退、そこでの攻防戦は1942年から43年の初めまで続いている。ドイツが優勢な間は傍観していた米英だが、ソ連が反撃に転じると慌てて動き始め、1944年の初夏にノルマンディー上陸作戦を実行した。ナチスと正面から戦ったのはソ連であり、その記憶をロシア人は持ち続けている。 米英がジェドバラを組織した頃、すでにドイツ軍は東部戦線でソ連軍に敗れて総崩れ状態になっていた。ドイツが占領していた地域で展開されていたレジスタンスの主力はコミュニストで、それに対抗することがジェドバラを創設した一因だろう。この人脈は戦後、OPC(後にCIAに吸収されて破壊活動を行う)を作っている。このOPCと連動する組織が西ヨーロッパでも設立され、NATOが創設されるとその内部に入り込んだ。そのひとつがグラディオだ。 その後、NATO加盟国は増えていくが、新規加盟するためには秘密の反共議定書に署名する必要があるという。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)スイスの研究者、ダニエレ・ガンサーによると、議定書は「右翼過激派を守る」ことを義務づけている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)つまり、NATOの秘密部隊は「右翼過激派」を手先として使っているわけで、ウクライナでネオ・ナチが前面に出てきたのは必然だ。 アメリカの支配層とナチズムとの関係は第2次世界大戦の前から始まる。その象徴的な出来事が1933年にあった。ウォール街の巨大資本がフランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派を排除するためにクーデターを計画したのである。これは海兵隊のスメドリー・バトラー少将とジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言、明るみに出ている。 議会で証言したということは記録に残っているのだが、長い間、西側ではメディアもアカデミーの世界も知らん振りしていた。最近はインターネットで探せば情報を見ることができるが、それでも有力メディアは触れようとしない。(この問題に触れない「リベラル派」や「革新勢力」はありえない。) 大戦後、アメリカ政府はナチス残党の逃走を助け、保護し、雇っている。「ブラッドストーン作戦」だが、こうして雇った反コミュニスト勢力を次の世代でも訓練、ソ連消滅後に「帰国」して体制転覆の準備を進めた。ウクライナにもそうした人びとがいると言われている。 ソ連ほどではないにしろ、西ヨーロッパは戦争で荒廃したことも影響し、アメリカの支配下に入る。その仕組みのひとつがNATOだ。政権を狙える勢力でアメリカから自立していたのはフランスのシャルル・ド・ゴール派だけだった。 1947年にフランスで社会党系の政権が誕生するのだが、その際、政府を不安定化するために右翼の秘密部隊が創設されたと当時の内相が口にしている。その年の夏に米英の秘密部隊がクーデターを起こす計画があり、ド・ゴールは暗殺されることになっていたという。 これは実行されなかったが、ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺される前年、1962年にはOAS(秘密軍事機構)のジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐に率いられた一派がド・ゴール暗殺を試みて失敗している。暗殺未遂から4年後、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱し、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出される。フランスがNATOへ復帰したのはニコラ・サルコジ政権時代の2009年のことだ。 ド・ゴール主義の継承者と言われていたジャック・ルネ・シラクは職員架空雇用の容疑で起訴され、2011年に執行猶予付きで禁固2年の有罪判決が言い渡されている。この段階でド・ゴール派はアメリカに潰されたと考えて良いだろう。つまり、現在のEUはアメリカの傀儡ばかりだ。
2014.08.30
ウクライナ制圧はズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいているわけだが、現在、その戦略を実現するための暴力装置として機能しているのがNATOだ。そのNATOが9月4日から5日にかけてウェールズで首脳会議を開く。米英としては、ロシアと対決するということでNATOの意思を統一したいだろう。そうした中、「ロシア軍のウクライナ侵攻」なる話が叫ばれ始めた。 ブレジンスキーの戦略はソ連消滅後の1990年代に入ってまとめられ、1997年に『グランド・チェスボード』(日本語版は『ブレジンスキーの世界はこう動く』、後に『地政学で世界を読む』へ改題)というタイトルの本を出している。この本(原書)が出版された2年後、NATOはユーゴスラビアに対して全面攻撃を加えた。 コソボのアルバニア系住民をユーゴスラビアから分離し、アルバニアと合体させようという西側のプランを実現するためだった。この攻撃ではスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅が破壊されただけでなく、中国大使館も爆撃されている。この方法をロシアが採用したなら、ウクライナの東部や南部を分離、キエフを空爆してアメリカ大使館を破壊しても構わないということになる。 中国大使館を爆撃したのはB2ステルス爆撃機で、目標を設定したのはCIA。ミサイルが3方向から大使館の主要部分に命中していることから、「誤爆」とは考えにくく、計画的な攻撃だった可能性が高い。 当時、ドイツ外務省はミロシェビッチ政権がアルバニア人を追い出そうとしていると主張、秘密裏に「蹄鉄作戦」を計画しているとしていたが、証拠は示されていない。後にドイツ軍のハインツ・ロクアイ准将が語ったところによると、ブルガリアの情報機関が作成した報告を元にでっち上げた計画だったという。ブルガリアの情報機関はセルビアがKLAを撃破しようとしているという話だった。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009) ユーゴスラビアを攻撃する前、ウィリアム・ウォーカー元エル・サルバドル駐在大使はコソボの警察署で45名が虐殺されたという話を流している。ミロシェビッチ政権の残虐さを印象づけようとしたのだが、これは嘘だった。死者が出たのは警察側と西側を後ろ盾とするKLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)との戦闘の結果で、その様子はAPの取材班が撮影していた。 ユーゴスラビアを「悪魔化」する宣伝は1992年から始まっている。ボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと報道されたのだ。記事を書いたのはニューズデーのロイ・ガットマンだが、本人はボン支局長で、バルカンの状況に詳しいわけではなく、クロアチアの与党、HDZ(クロアチア民主団)の副党首、ヤドランカ・シゲリを情報源にしていた。この人物はクロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。 シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年には人権擁護団体HRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を発表、レイプ報道で脚光を浴びたガットマンは1993年にセルビア人による残虐行為を報道してピューリッツァー賞を贈られている。ちなみにICRC(赤十字国際委員会)はセルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はないとしている。 その後、アメリカは偽情報を掲げながら他国を侵略していく。大きな節目になったのが2001年9月11日のニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)への攻撃だった。当時のジョージ・W・ブッシュ政権は即座にアル・カイダの反抗だと断定、オサマ・ビン・ラディンがいたとされるアフガニスタンを相手の交渉姿勢を無視して攻撃した。 さらに、アル・カイダを弾圧していたイラク(存在しない大量破壊兵器)を先制攻撃、リビア(民主化運動弾圧という嘘)とシリア(民主化運動弾圧という嘘)を破壊するためにアル・カイダを使っている。そして、ウクライナはネオ・ナチを使ってクーデターを実行、東部や南部で民族浄化中だ。 日本でも「ロシア軍のウクライナ侵攻」というアメリカ/NATOの宣伝が垂れ流されているが、そのロシア軍はどこから来て、どこへ行き、今、何をしているのだろうか? すでに書いたことだが、ポール・クレイグ・ロバーツ元米財務次官補も言っているように、ウラジミル・プーチン露大統領が外交攻勢をかけている中でロシア軍の小規模な部隊をウクライナ(ドネツク人民共和国)へ入れるというリスクを犯すとは考えにくい。8月26日、プーチン大統領はベラルーシのミンスクでポロシェンコ大統領やEUの幹部とウクライナ問題について協議しているのだ。 1000名規模の部隊というのも中途半端。1000名ではなく空軍も参加した10万名規模のロシア軍だという話の方が信憑性は高い。そもそも、キエフ軍の住民に対する攻撃を止めるためなら、ロシア空軍がウクライナ軍を粉砕すれば終わりである。 アメリカ/NATOは中東/北アフリカの制圧プロジェクトでアル・カイダを使い、ウクライナではネオ・ナチを使っている。資金や武器を提供、戦闘員を軍事訓練しているのだが、そうした自分たちの行為をロシアが行っているように宣伝している。その宣伝機関がテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのメディア。出版も惨憺たる状況だ。 こうしたメディアがアメリカ支配層の宣伝に努めるのは、それが稼業だからにほかならない。権力者を批判してはカネにならない。そうした宣伝をオウムのように繰り返す人たちも自分の立場を理解してのことだろう。アメリカ政府が嘘をつき続けていることは明白なわけで、今回は正直だと思うほどマスコミの人間が愚かだとは考えられず、騙された振りをしていた方が得だと判断しているのだろう。 しかし、今回は人類の運命がかかっている。これまで傍若無人に振る舞い、多くの人びとから恨まれている米英両国の支配層はどうしてもロシアを屈服させ、「勝てば官軍」になる必要がある。「負ければ賊軍」ということになると過去の悪事が露見、責任をとらされる可能性があり、負けるくらいなら核戦争で人類を滅ぼした方がましだと考えても不思議ではない。
2014.08.30
ソ連が消滅した直後、1992年の初めにアメリカの国防総省ではDPG(国防計画指針)の草案という形で世界を制覇するためのプランが練り上げられた。作業の中心は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだったこともあり、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ウォルフォウィッツはネオコン(親イスラエル派)の中心的な存在。そのネオコンはソ連の消滅によってアメリカが「唯一の超大国」になり、それまで世界の国々を拘束していたルールを超越した存在になったと認識、そのうえで新たなライバルが育つことを防ぎ、石油利権を維持するために軍事力の増強するという方針を打ち出している。 その前年、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はイラクを攻撃したが、サダム・フセインを排除しないまま停戦、その決定をウォルフォウィッツなどネオコンは怒っていた。そうした怒りもあり、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたという。 アメリカの中東制圧作戦で鍵を握る存在がアル・カイダ(アラビア語で基地とかベースを意味)。これはロビン・クック元英外相が指摘しているように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ戦闘員のコンピュータ・ファイル(データベース)にすぎない。何らかのプロジェクトがあれば派遣される戦闘員のリストだ。 現在、シリアやイラクで残虐さをアピールしているIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)もアル・カイダで、雇用主はサウジアラビア。アル・カイダはサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンが指揮していたが、ISはアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子の下で動いていると言われている。バンダル・ビン・スルタンは2001年9月11日当時のアメリカ駐在大使で、バンダル・ブッシュと呼ばれるほどブッシュ家、つまりアメリカの金融、石油、そして情報機関と緊密な関係にある。 ISの活動資金はペルシャ湾岸の産油国から出ているわけだが、軍事訓練はアメリカが受け持っている。ISの主要メンバーは2012年、ヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊から訓練を受けたと伝えられているのだ。 ソ連が消滅した後、ロシアでは西側の傀儡、ボリス・エリツィンが首相に就任して新自由主義を導入、国民の資産を不公正な手段で一部の利権集団が略奪し、ボリス・ベレゾフスキーのようなオリガルヒが登場した。この時点でアメリカの巨大資本はロシアを植民地化したと思っただろうが、1999年にウラジミル・プーチンが大統領に就任するとオリガルヒを整理して自立への道を歩き始める。こうした行為を西側は「裏切り」と考えただろうが、ロシア人にしてみれば侵略者を追い出しただけの話だ。 その後、アメリカはNATOを東へ拡大し、2001年9月11日の出来事を利用して中東/北アフリカを制圧していく。1990年に東西のドイツが統一された際、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外相に対して東へNATOを拡大することはないと約束、これを条件にしてソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領はドイツ統一に関して譲歩していた。言うまでもなく、この約束は守られていない。 この過程でズビグネフ・ブレジンスキーがまとめた戦略が「拡大版NATO」によるロシア、中国、シリア、イランの包囲。さらに、ロシアの命運はウクライナが握っていると考え、ウクライナを制圧してロシアと分離させようとした。現在、その戦略に従ってアメリカは動いている。 この時点でもロシアをアメリカはライバルと考えていなかった。あくまでも潜在的ライバル。2006年にフォーリン・アフェアーズ誌が掲載したキール・リーバーとダリル・プレスの論文は、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしている。ネオコンは今でもこの認識に基づいて動いている可能性が高い。 現在、アメリカはISを空爆しているが、ロシアを直接的には攻撃していない。が、ISの背後には湾岸の産油国やアメリカ/NATOが存在、その意向に沿って動いている。「弱けりゃ攻撃」というわけではない。ロシアの場合、挑発してロシアが軍隊を動かすのを待っている。「強けりゃ黙殺」というわけでもない。ISへの攻撃は演出だが、ロシアとの戦争は本気である。
2014.08.29
ウクライナにロシア軍の部隊が軍事侵攻したことを示す写真なるものをNATOが公表した。ウクライナ東部、ドネツクにある戦略的に重要なノボアゾフスクが反キエフ軍(ドネツク人民共和国の義勇軍)に制圧されたことを受けてキエフのペトロ・ポロシェンコ政権は「ウクライナにロシア軍が導入された」と発表、アメリカ政府は曖昧な表現で同じことを主張していた。 言うまでもなく、NATOが持っている情報はアメリカも持っている。ほかのNATO加盟国の中に知らない国があったとしても、アメリカに情報が伝わっていないということは有りえない。にもかかわらず、アメリカ政府が曖昧な表現しかできなかったのは、NATOが公表したという写真に問題があるということだろう。 約1カ月前、タイム誌がロシア領からウクライナ領に向けて砲撃している様子だとする衛星写真を載せていたが、似たような展開だ。その時は、ロシア領からウクライナ領に向けて砲撃していることを示す衛星写真だとするものをウクライナ駐在のジェオフリー・パイアット米大使がツイッターで広めていた。 写真の出所はDNI(国家情報長官室)で、それを国務省が電子メールで流し、それをパイアット米大使がツイッターで広めたとされていたが、ポール・クレイグ・ロバーツ元米財務次官補は即座に不自然だと指摘していた。その写真が本物ならロシア軍が自国領からウクライナへ向かって砲撃していることを示す重要な証拠であり、それを電子メールで公表するということは考えにくいというのだ。それなりの立場の人物が記者会見を開き、ミサイルの発射地点など詳細を説明するのが自然だ。実際、インチキだった。 そのロバーツ元財務次官補は今回の写真もインチキだろうと推測、その3つの根拠を挙げている。 ひとつは、ウラジミル・プーチン露大統領が外交攻勢をかけている中でロシア軍の小規模な部隊をウクライナ(ドネツク人民共和国)へ入れるというリスクを犯さないだろうということ。8月26日、プーチン大統領はベラルーシのミンスクでポロシェンコ大統領やEUの幹部とウクライナ問題について協議している。 ふたつめは、もしプーチン大統領がロシア軍を派遣して住民を守る決心をしたなら、グルジアの時のように十分な規模の部隊を動かすだろうということ。この時はグルジアが南オセチアを奇襲攻撃、その反撃だった。今回も、1000名ではなく空軍も参加した10万名規模のロシア軍だという話なら信憑性は高かったとロバーツは書いているが、その通りだろう。 本ブログでも何度か書いたが、当時のグルジア政府はイスラエルときわめて緊密な関係にあり、軍はイスラエルとアメリカから支援を受け、兵士は軍事訓練を受けていた。ロシア側では、グルジアの奇襲攻撃作戦はイスラエルが立案したものだと見ていた。 第3の理由は、キエフ軍の住民に対する攻撃を止めるためなら、ロシア空軍がウクライナ軍を粉砕すれば良いとしてる。両国の軍事力を比較すれば、ロシアにとって容易いことだ。 前から書いているように、キエフ政権は軍を掌握し切れていない。ネオ・ナチの指揮でウクライナ人を殺すことに疑問を持つ将兵も多いだろう。最近では徴兵をめぐって住民の抗議も始まっている。西側の要求が具体化してくると、ウクライナ西部でもポロシェンコ政権に対する反発は強まる可能性が高い。 今年2月、アメリカ/NATOがネオ・ナチを使って実行したクーデターを「民主化」と言い張るためには嘘に嘘を重ねなければならなくなっている。今回もそうした嘘のひとつだったのだろう。ロシアが攻撃したというような話にすぐ飛びつく「ロシア嫌い」は少なくないようで、クリミアがウクライナから離脱したときもロシアの駐留軍を「侵略軍」だと表現していた。今回も同じことを繰り返している人がいる。
2014.08.29
ウクライナ東部、ドネツクにある戦略的に重要なノボアゾフスクを反キエフ軍(ドネツク人民共和国の義勇軍)が制圧したと伝えられている。キエフのペトロ・ポロシェンコ政権は「ウクライナにロシア軍が導入された」と証拠を示すことなく発表したが、ロシア側はそうした事実はないとしている。アメリカ政府も記者会見で同じような主張をしているのだが、表現は曖昧。そこで、その点を記者から質問されたが、例によってはぐらかすだけだった。 本ブログでは何度も書いていることだが、今年2月に西側の支援を受けてクーデターを成功させたキエフ政権はオリガルヒ(一種の政商)とNATOの訓練を受けたネオ・ナチで、反ナチ感情の強い東部や南部の住民はクーデター政権を拒否、分離独立、あるいは連邦制を要求していた。クーデター前から存在するウクライナの軍、情報機関、治安機関の内部にはクーデター政権を快く想わない人びとがいて、クーデター政権を引き継いだポロシェンコ大統領も信頼されているわけではない。 そうした事情があるため、クーデター体制になった直後、2月の段階で議会は6万人規模の国家警備軍(親衛隊)を創設する法律の制定を採択、そのメンバーの中心はネオ・ナチが収まっている。その一方、右派セクターは約800人の準軍事組織「ドンバス」を創設した。 東部や南部の民族浄化作戦で黒幕的な存在だとされているドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事の場合はアメリカの傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員を雇っているだけでなく、私兵を組織している。アゾフ、アイダル、ドンバス、ドニエプルの4部隊で、ドニエプルは約2000名規模。アカデミの戦闘員約400名はウクライナ東部の制圧作戦に参加しているとも伝えられている。 そのほかイスラエル、グルジア、ルーマニア、スウェーデン、ドイツなどからも戦闘員がウクライナ入りし、グルジア出身者はブーク防空システムを操作する訓練を受けているとも言われている。 こうした戦闘集団を指揮するため、アメリカ政府はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだと報道されているが、ここにきて国防総省は戦略と政策の専門家チームをキエフへ数週間以内に派遣すると発表した。それだけキエフ軍が苦戦しているということにほかならない。何しろ住民側にはウクライナの軍隊、情報機関、治安機関からの離脱者や退役兵が参加、兵士の士気は住民側が遥かに高い。こうした地上軍の劣勢を航空兵力やミサイルによる無差別攻撃でカバーしているのが実態だ。 現在、ポロシェンコ政権はIMFの命令に従って東部や南部を制圧しているが、思惑通りには進んでいないことはノボアゾフスクの状況を見てもわかる。このまま進めばウクライナは経済的に破綻する可能性が高く、打開策を探るため、8月26日にベラルーシのミンスクでロシアのウラジミル・プーチン大統領やEUの幹部らと会談したのだろう。が、こうした動きをアメリカ政府やキエフ政権の一部は快く思っていない。 アメリカがウクライナを制圧しようとしている目的はエネルギーや穀倉地帯の支配だけではない。ロシアの命運はウクライナが握っているとアメリカ政府は考え、ウクライナを制圧しようとしている。ズビグネフ・ブレジンスキーがまとめた戦略だが、その源はオットー・フォン・ビスマルクだともいう。 もしアメリカがウクライナの制圧に失敗、EUとロシアが接近することになるとアメリカはヘゲモニーを失う。これまで「勝てば官軍」ということで、傍若無人に振る舞ってきたアメリカだが、そうしたことができなくなるだけでなく、「負ければ賊軍」ということにもなりかねない。 そうした事態を避けるため、アメリカはEUとロシアとの接近を防ごうとしている。場合によってはNATOを投入してロシアと開戦という展開もありえるのだが、そうなれば核兵器が使われると思わなければならない。オランダ最大の新聞、テレグラーフ紙などは公然とNATOの軍事介入を求めている。この新聞はEU、いやヨーロッパ人の消滅など意に介していないということだ。 アメリカ支配層の中には次の戦争も過去の2大戦と同様、ヨーロッパ、せいぜい東アジアを含むユーラシアで戦われるだけだと考えている人たちもいそうだが、そうした時代ではない。そうしたことを示すため、ロシアはアメリカ本土の近くに爆撃機を飛ばした。日本もアメリカに従っていれば「勝てば官軍」の「お零れ」を頂戴、アジアで傍若無人に振る舞えるという発想を捨てる時期にきている。
2014.08.28
キエフのペトロ・ポロシェンコ大統領は8月26日にベラルーシのミンスクを訪問した。ロシアのウラジミル・プーチン大統領、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領、カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領、EUのキャサリン・アシュトン(外交担当)、カレル・デ・ヒュフト(貿易担当)、ギュンター・エッティンガー(エネルギー担当)と協議するためだ。 アメリカ政府の政策により、ウクライナだけでなくEUも経済的な破綻に直面、そうした状況を打開するためにロシアと話し合わなければならなくなったのだろう。イギリス人のアシュトンはアメリカに近いと見られているが、外交担当として乗り込んでいる。 2004年から05年にかけてウクライナでは「オレンジ革命」があり、西側に支援されたビクトル・ユシチェンコが大統領に就任、新自由主義が導入される。当然のことながら、国民の資産を一部のグループが不公正な手段で盗み、貧富の差が拡大して反発を招いてしまう。その結果、西側の思惑通りには進まなくなった。今年2月、アメリカ/NATOがネオ・ナチを使って行ったクーデターは「オレンジ革命」の第2幕である。 ユシチェンコ時代、2007年から10年まで首相だったのがユリア・ティモシェンコであり、アルセニー・ヤツェニュク首相や大統領代行を務めたアレクサンドル・トゥルチノフも彼女の配下。ティモシェンコは投機家のジョージ・ソロスから大きな影響を受け、ヤツェニュクはネオコン(アメリカの親イスラエル派)のビクトリア・ヌランド国務次官補から高く評価されていた。 ヤツェニュクはミンスクでの協議について、成果は期待できないと発言しているが、彼の背景を考えれば当然。ネオコン、アメリカの巨大資本、そしてNATOの傀儡として生きるためには、そのように言うしかない。西側資本/IMFによってウクライナが借金漬けにされ、国民が身ぐるみ剥がれる事態になることなど、彼には大した問題ではないだろう。 彼が気にしているのはロンドンを中心に張り巡らされたオフショア市場のネットワークに沈められているのであろう個人的な資産だけに違いない。おそらく、資産隠しには信託が利用されているのだろうが、この仕組みだと西側の支配層に背いた瞬間、資産を取り上げられてしまう可能性がある。 ウクライナの混乱をロシアが話し合いで解決しようとしているのに対し、あくまで軍事力で制圧するプランを推進しようとしているのがアメリカ/NATO。ヤツェニュクは9月4日と5日にNATOの首脳会談に大統領が出席すると発言、NATOとの連携を強調している。ポロシェンコ大統領とヤツェニュク首相との間にすきま風が吹き込んでいるということだ。 ヤツェニュクが後ろ盾にしているNATO。そのアナス・フォー・ラスムセン事務総長は東ヨーロッパへ新たにNATO軍を配備すると発言、ロシアと対決するために軍事力を前面に出している。アメリカの巡洋艦ロスとフランスのフリゲート艦コマンダン・ビロが新たに黒海へ入るようだ。この間、一貫してアメリカ/NATOはロシアに対し、自分たちに屈服するか核戦争だと脅している。 この西側を日本のマスコミも支援しているが、それだけでなく「リベラル派」や「革新勢力」の中にもそうした人が少なくないように見える。彼らはアメリカが主導する戦争に賛成しているわけだ。集団的自衛権に反対だと言っているのは、アメリカの戦争には賛成だが、自分たちは参加したくないということなのだろうか?
2014.08.27
アメリカ政府はIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を脅威だと宣伝、シリアへの空爆を口にする一方、国内で治安を強化する必要性を宣伝し始めた。イギリス政府も同調している。この武装集団を編成、育成、支援してきたのがアメリカ/NATOやサウジアラビアなどのペルシャ湾岸産油国であり、自らが作り上げた「脅威」に大騒ぎするとは奇妙な話だ。 そうした宣伝を始める切っ掛けは、フォトジャーナリストのジェームズ・フォーリーの首をISが切ったとする映像の公開。ところが、彼が殺されたのはカメラの前ではなく、問題の場面は演技だと指摘する人が少なくない。首の前で6回ほどナイフは動いているものの、実際に切っていないうえ、最後まで血が噴き出していないというのだ。これまでISは多くの人の首を切り落としてきたとされているが、アメリカ政府が今回に限り、激怒して見せているのもおかしいという意見がある。 シリア政府によると、フォーリーは拉致したFSA(自由シリア軍)からISへ売られ、1年前に殺されたのだという。アメリカ/NATOが化学兵器の使用を口実にしてシリアを攻撃しようとして失敗した頃ということになる。 フォーリーの経歴を見ると、大学を1996年に大学を卒業、2009年にUSAID(米国国際開発庁)のプロジェクトでイラクへ入っている。USAIDとCIAとの緊密な関係は有名だ。2010年にはイラクを離れ、フリーランスのジャーナリストとして米陸軍の第173空挺旅団や第101空挺師団に同行、アフガニスタンで取材している。アメリカ軍へ従軍する際、身元や経歴を詳しく調べられるのだが、ジャーナリストとして認められるほどの仕事はしていないのではないかという指摘もある。2011年にリビアで拘束されたが、この時は44日間で解放され、12年11月にシリアで拉致されたときにはグローバルポストやAFPの仕事をしていた。 2012年といえば、フォーリーを殺したISの主要メンバーがヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から訓練を受けたいたが、8月にジャパンプレスの山本美香がシリアで殺された年でもある。彼女は日本テレビの仕事でトルコから密輸ルートを使ってシリアへ入り、FSAの案内で取材していたという。 その2カ月前、イギリスのテレビ局、チャンネル4のアレックス・トンプソンを中心とする取材チームがFSAの罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるという事態に陥っている。ホムスで取材していたそのチームを反政府軍の兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。 メディアと国家機関との協力関係は昔からあるのだが、それでもベトナム戦争までは気骨あるジャーナリストが権力者にとって都合の悪い情報を暴くことも少なくなかった。そうした中、ミ・ライとミ・ケ両地区(ソンミ村)の虐殺も暴かれ、その背後にあったフェニックス・プログラムも今では知られている。虐殺は1968年3月にあったのだが、直後の報道では非戦闘員が殺されたことには触れられていない。有名なシーモア・ハーシュの記事が出るのは1969年11月だ。 ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を調査、リチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだカール・バーンスタインは1977年に同社を辞め、その直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」というタイトルの記事を書いている。その中で400名以上のジャーナリストがCIAに雇われていると彼は書いている。1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供、また記者の組合である「ANG(アメリカ新聞ギルド)」のスタッフもCIAの仕事をしていたという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その後、CIAのメディア対策は強化され、少しでも気骨のある記者は排除されていくのだが、それでも1980年代の初頭まではそうした記者が活躍する余地は残されていて、中央アメリカでアメリカの傀儡政権が住民を虐殺、反革命ゲリラが麻薬密輸で資金を調達していることを書いた記者もいた。巨大資本に支配され、急速にメディアの腐敗が進むのはそれからだ。 メディア管理の実態を多くの人が知るようになるのはアメリカが2001年10月にアフガニスタンへ軍事侵攻した時だろう。その直前、イギリスのイボンヌ・リドリーがアフガニスタンで拘束される。その時、西側の情報機関はタリバンに彼女を処刑させるように仕向けていたが、タリバンは解放したとリドリー本人は語っている。 衝撃的だったのは2005年3月の出来事。その前の月にイラクで拉致されたイタリアのジャーナリスト、ジュリアナ・スグレナをSISMI(イタリアの情報機関)が救出したのだが、ふたりのエージェント(ニコラ・カリパリとアンドレア・カルパリ)とスグレナを乗せた乗用車をアメリカ兵が銃撃、スグレナをかばったカリパリが射殺されたのである。スグレナはアメリカの軍事侵攻に批判的で、彼女自身によると、アメリカの情報機関は彼女の救出を快く思っていなかった。 こうしたことを考えると、アメリカ政府が黒幕だとは言わないまでも、フォーリーの解放に消極的だったとしても不思議ではない。
2014.08.26
ドイツのアンゲラ・メルケル首相が8月23日にウクライナを訪問し、キエフ政権のペトロ・ポロシェンコ大統領やアルセニー・ヤツェニュク首相と会談した。その際、メルケル首相は連邦制の導入を提案したというが、この制度をキエフ政権は拒否して東部や南部での民族浄化を始めているわけで、アメリカの支配層とその手先であるネオ・ナチは納得しないだろう。 現在、メルケルのようなEUの支配層は困難な状況に陥っている。こうしたエリートたちは「飴と鞭」でアメリカの支配層に服従しているのだが、アメリカが進めているプロジェクトはEUを破滅に導くからだ。ロシアに対する「制裁」で最もダメージを受けているのはEUだが、そうした次元の話に止まらず、アメリカ/NATOがロシアと戦争を始めれば核兵器が使われる可能性はきわめて高く、EUも消滅することになる。 勿論、戦乱は東アジアへも波及すると見なければならず、そうなれば日本にもEUと似たような運命が待ち受けている。が、日本ではそうした危機感が感じられない。沖縄のアメリカ軍にしても、日本防衛には役に立たないが、先制攻撃には利用できる。こうした状況を理解、懸念して動いているだけドイツの方が日本よりマシだとは言えそうだ。 尖閣列島(釣魚台群島)の領有権問題を使って日本と中国との関係をアメリカがこじれさせたのも、こうした戦略に基づいている。東アジアの軍事的な緊張が高まったひとつの節目は朝鮮が韓国の艦船による領海侵犯を非難を始めた2009年10月。11月には韓国と朝鮮の艦船が交戦、翌年の3月には両国の紛争海域で韓国の哨戒艦「天安」が爆発、沈没している。 哨戒艦の沈没は米艦合同軍事演習「フォール・イーグル」の最中に起こった。アメリカ軍と韓国軍は高度の警戒態勢に入っていたはず。その中を朝鮮軍が侵入して爆破したということになっているが、朝鮮軍にそれほどの能力があるのだろうか? ロサンゼルス・タイムズ紙も次のような疑問を提示した。(1)なぜ「朝鮮犯行説」を沈没から2カ月後、選挙の直前に発表したのか(2)米韓両軍が警戒態勢にある中、朝鮮の潜水艦が侵入して哨戒艦を撃沈させたうえ、姿を見られずに現場から離れることができるのか(3)犠牲になった兵士の死因は溺死で、死体には爆破の影響が見られないのはなぜか、(4)爆発があったにもかかわらず近くに死んだ魚を発見できないのはなぜか(5)調査団の内部で座礁説を唱えていた人物を追放したのはなぜか 韓国駐在大使を務めた経験を持ち、ジョージ・H・W・ブッシュとも緊密な関係にある元CIA高官のドナルド・グレッグも疑問の声を上げている。6月に調査団を派遣したロシアからの情報という形で、天安号が沈没した原因は魚雷でなく、機雷が原因だった可能性が高いと語っているのだ。 そして2010年9月、尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕したのだ。漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていた。海上保安庁は国土交通相の外局。事件当時の国土交通大臣は前原誠司だ。 こうした流れは2011年3月11日に東北地方の太平洋側を襲った大地震で途切れるが、12年4月に石原慎太郎都知事が復活させる。ネオコン系のシンクタンク「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで講演、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示したのだ。 石原は地震の直前、日本の核武装についてインディペンデント紙に語っている。3月8日付の同紙によると、「日本は1年以内に核兵器を開発し、世界に向けて強いメッセージを発信できる」としている。彼は中国、朝鮮、ロシアを敵国と位置づけ、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さず、ロシアも日本に敬意を払うだろうと語っている。威圧すれば相手を屈服させられるという考え方はネオコン(アメリカの親イスラエル派)に酷似している。 その後、野田佳彦首相は「尖閣を含む領土・領海で不法行為が発生した場合は、自衛隊を用いることも含め毅然と対応する」と発言、森本敏防衛相は尖閣諸島で「自衛隊が活動することは法的に確保されている」と述べている。 アメリカは現在、日米安保とANZUS(アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3国同盟)、ふたつの軍事同盟を合体させようとしている。両条約が調印されたのはサンフランシスコにあるプレシディオ。ANZUSの1週間後に日米安保が調印されている。この時点から両条約を一体のものだとアメリカは考えていたのだろう。 本来なら、イギリス、イギリスが作り上げたイスラエル、イギリスの植民地だったインド、そして日米安保/ANZUSでユーラシア大陸を取り囲む予定だったはず。中東/北アフリカに対するアングロ・サクソン仲間のアメリカが軍事侵略しているのも、この戦略に基づいている。グルジア、ポーランド、ウクライナなど旧ソ連圏の制圧も同じ目的のように見える。 こうした包囲作戦はズビグネフ・ブレジンスキーが1990年代の後半にまとめ、ロシアがアメリカのライバルになるか衰退するかはウクライナをロシアから引き離せるかどうかにかかっているとしている。ウクライナを乗っ取ろうとしているネオコン。そのネオコンにバラク・オバマ米大統領も同調しているようだが、彼は大学時代にブレジンスキーの弟子だったという。 ブレジンスキーの考え方の元になったとされているのは、イギリスの地理学者で政治家でもあったハルフォード・マッキンダーが1904年に発表した理論。ウラジミール・プーチン露大統領のブレーンたち(その1、その2)によると、ロシアを弱体化するためにウクライナを引き離すべきだとする戦略を考え出した人物はオットー・フォン・ビスマルクである。 こうした戦略に基づいてアメリカ軍は動いているが、その軍隊を少なからぬアメリカ人は「神の軍隊」と認識していた。ベトナム戦争で敗北した後、イスラエル軍がその代用品として扱われている。 「神の軍隊」を最初に作り上げたのがピューリタンのオリバー・クロムウェル。彼はこの軍隊を引き連れてアイルランドを侵略、大虐殺を行っている。言うまでもなく、ピューリタンが先住民を殲滅して作り上げた国がアメリカだ。シオニズムの源流をクロムウェルに求める人もいる。 現在のアメリカはクロムウェルとビスマルクが作り上げた怪物なのかもしれない。
2014.08.25
海南島から東へ約210キロメートルの地点で中国の殲11B(J11B)戦闘機がアメリカの哨戒機P8Aを迎撃、米国防総省は両機が約6メートルまで接近したと発表、中国側の行為は「非常に危険でプロらしくない」と批判、アメリカの大統領副補佐官は「憂慮される挑発行為だ」としているが、中国の国防省は「安全な距離を保っていた」と反論、アメリカ側が頻繁に繰り返している偵察行為を非難した。この場合、アメリカのスパイ飛行を中国が迎撃したわけで、「挑発行為」はアメリカ側に向けられるべき言葉。 先月18日、つまりマレーシア航空17便が撃墜された翌日にアメリカのRC-135電子偵察機がロシア機に迎撃されてスウェーデン領空へ無許可で逃げ込むという出来事があった。アメリカ側は中立空域を飛行していたとしているが、ロシア側は領空を侵犯したと主張している。 これまでアメリカは好き勝手に挑発的な偵察飛行を繰り返していたが、そうした行為を許さないという姿勢をロシアや中国は示し始めたように見える。J11BはロシアのSu-27をベースにしているが、エンジンや部品は全て中国製。パイロットの技量とともに戦闘機の性能を見せつけるという意味もあっただろう。 中国のエリート層は子弟をアメリカへ留学させているが、そこで「強者総取り」のイデオロギーをたたき込まれ、政府の若手には親米派が多いとも言われていた。ロンドン(シティ)を中心とするオフショア市場のネットワークに資産を沈めている人も多いようで、そういう人びとはアメリカがヘゲモニーを失うことを懸念しているだろう。産業は発展したが、資本を欧米に頼っているという弱みもある。 しかし、中国人はアヘン戦争を仕掛けたアングロ・サクソンへの恨みを忘れていないだろう。経済力で負けたイギリスが中国(清)へアヘンを強制的に買わせ、略奪を始めたわけだが、この構造は現在にも通じる。 ちなみに、アヘン戦争の勃発は1840年、その18年後に日英修好条約が締結された。この戦争で大儲けしたジャーディン・マセソン商会を創設したひとり、ウィリアム・ジャーディンの甥にあたるウィリアム・ケズウィックが横浜で事務所を構えたのもこの年。翌年に同社のエージェントして長崎へ来たトーマス・グラバーは薩摩、長州、土佐など反徳川幕府派の後ろ盾になった。明治維新後は三菱本社の渉外関係顧問に就任している。 この時代からイギリス、そしてアメリカが狙っていた獲物は中国であり、日本は侵略の手先として動くことになる。明治政府は1871年7月に廃藩置県を実施して中央集権化を進めるが、同年10月に難破した宮古島の漁民が台湾で殺されると、これを口実に台湾を支配しようと考えたようで、72年に琉球藩を設置した。 1874年には軍隊を台湾へ派遣、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させ、94年に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると、「邦人保護」を名目にして軍を派遣した。その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵、日清戦争が勃発、日露戦争へつながる。 日本がアメリカの巨大資本JPモルガンの影響下に入るのは1923年。関東大震災から復興するための資金を調達するために日本政府は外債を発行するのだが、そのときに頼った相手がJPモルガンだった。 このアメリカ資本と最も親しかった日本人が井上準之助。1920年の対中国借款交渉で関係ができたようだ。その後、JPモルガンは電力を中心に多額の資金を日本へ投入、日本の経済政策を牛耳ることになる。 関東大震災から6年後、ウォール街では株式相場が暴落した。要するに投機のバブルがはじけたわけだが、巨大資本や富裕層を優遇する政策に反発していたアメリカの国民は1932年の大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトを選ぶ。 ルーズベルトは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大するべきだと考え、ソ連とも友好的な関係を結ぼうとしていたニューディール派の中心人物。JPモルガンなど巨大資本は1933年に反ルーズベルトのクーデターを計画した。 この計画は海兵隊のスメドリー・バトラー少将とジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言、明るみに出ている。クーデター派が参考にしたのはフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」で、フレンチによると、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたという。 JPモルガンの影響下にあり、今で言うところの「新自由主義」を導入した井上準之助は1932年、血盟団に暗殺された。やはりアメリカ資本と近い関係にあった三井合名の団琢磨理事長も殺されている。1936年の2・26事件もその根底には強者総取り経済への反発があったが、このクーデターは失敗に終わり、中国侵略が本格化する切っ掛けになってしまう。 こうした歴史を考えれば、中国がイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソンに好感を抱いているとは思えない。それを留学生の「洗脳」で封印できるかどうかだ。隠した資産への執着がアメリカへの従属につながる可能性もあるが、最近の動きを見ているとアメリカと中国との間に亀裂が入り始めたことは間違いないだろう。
2014.08.24
IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の攻勢を口実にして、アメリカ政府はシリアを空爆すると言い始めた。フォトジャーナリストのジェームズ・フォーリーをISが殺したと8月19日に伝えられた時点で、この斬首はシリアへの空爆を誘うことが本当の目的ではないかと言われたが、現実になってきた。 この展開は2001年9月11日の出来事を連想させる。この日、ニューヨークの世界貿易センターの超高層ビルへ航空機が突入、国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだが、その直後にジョージ・W・ブッシュ政権はアル・カイダが実行したと断定、アル・カイダを弾圧していたイラクを先制攻撃し、サダム・フセインを排除している。 このアル・カイダとISは密接な関係にある。2004年にアル・カイダ系のAQI(イラクのアル・カイダ)が組織され、06年1月にはAQIを中心にしていくつかの集団が集まり、ISI(イラクのイスラム国)が編成された。現在はISと呼ばれている。 AQIを率いていたアブ・ムサブ・アル・ザルカウィは2006年6月に殺されたと言われ、引き継いだのはアブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディとエジプト在住のアブ・アユブ・アルーマスリ。このふたりは2010年にアメリカとイラクの軍事作戦で殺され、アブ・バクル・アル・バグダディが次のリーダーになる。 その翌年、中東/北アフリカでは「アラブの春」が始まり、シリアでも3月に自由化運動の弾圧を口実にしてアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の独裁産油国が体制転覆プロジェクトを顕在化させた。その直前、2月にはリビアでも同じパターンで内乱が始まる。 リビアの場合、アル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が地上軍の主力となり、アメリカ/NATOが特殊部隊を送り込み、空爆で支援した。LIFGの戦闘員を雇っていたのがサウジアラビアやカタールだ。この空爆はロシアとの信頼関係を壊す原因になり、シリアに対するアメリカ/NATOの空爆をロシアは阻止する。 アメリカがアフリカ支配を狙ってAFRICOMが創設されたのは2007年だが、その16年前にポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話。ちなみに、当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュだ。 その翌年、1992年にウォルフォウィッツを中心とする国防総省のネオコン(親イスラエル派)は新たな世界制覇戦略に基づいてDPG(国防計画指針)の草案を作成、西ヨーロッパ、アジア、旧ソ連圏で新たなライバルが育つことを防ぎ、中東の石油利権を維持するため、軍事力の増強を主張している。 その後、アメリカの没落は続くが、その一方でBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)などが成長、ラテン・アメリカやアフリカも自立への道を歩み始めた。アフリカで欧米の支配体制を倒そうとしていたのがリビアのムアンマル・アル・カダフィ。 アメリカを「唯一の超大国」とするネオコンのプランが大きく揺らぐ中で起こったのが2001年9月11日の出来事であり、2011年に始まったアラブの春だ。その間、2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたと書いている。 この秘密工作が始まった頃にISは組織化され、その後、勢力を拡大していく。シリアの体制転覆に手間取る中、アメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国はISを含む反シリア軍への支援を強化している。 2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊からISは軍事訓練を受けたと伝えられている。そうした事情があるため、ヌーリ・アル・マリキ首相は今年3月、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供しているとして両国を批判しているわけだ。今回のISによる軍事攻勢でもアメリカはスパイ衛星、偵察機、通信傍受、地上の情報網などで動きはつかんでいたはずだが、反応は鈍い。 もし、本当にISを脅威だと考えているなら、アメリカ政府はISに対する支援を止め、サウジアラビアなど湾岸産油国にも同調するように求めることだ。そうしたことなしにシリアを空爆するなら、それはISを創設した目的でもあるシリアのバシャール・アル・アサド体制の打倒が目的だと思われても仕方がない。
2014.08.23
ロシア政府が派遣した支援物資を載せたトラック280台の一部、数十台がウクライナ領へ入り、ルガンスクへ向かったようだ。ロシアのビタリー・チュルキン国連大使によると、8月12日にキエフ政府から支援物資をウクライナへ運び込むことを正式に通告していた。ただ、ロシアと共同で動いていた赤十字国際委員会(ICRC)は安全が保証されていないとして同行していない。 キエフの「武闘派」、アルセン・アバコフ内相は「プーチン大統領の派遣した『人道支援団』がハリコフに立ち入ることを許可しない」と宣言していたが、これを無視した形。治安機関SBUのバレンティン・ナリバイチェンコ長官は直接的な侵略だと批判しているが、兵糧攻めや空爆で攻撃しているところに食糧や発電機などを持ち込まれては困るのだろう。 ナリバイチェンコはビクトル・ヤヌコビッチ政権時代、第1副長官を務めていた時に部下の個人ファイルをCIAに渡していたとアレクサンドル・ヤキメンコ前SBU長官は語っている。このナリバイチェンコはアバコフと同じ勢力に属している。その関係を示す出来事が4月下旬にあった。 22日にバイデン副大統領はキエフを訪問したのだが、これにタイミングを合わせるかのようにオデッサでの工作についての会議が開かれている。議長はアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が務め、ネオ・ナチを統括しているアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてアバコフとナリバイチェンコも参加していた。東部や南部における民族浄化の黒幕とも言われているドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事もオブザーバーとして同席していた。 コロモイスキーはアメリカの傭兵会社から戦闘員を雇うだけでなく、私兵も組織している。アゾフという約200名の武装集団は早い段階から名前が出ていたが、それ以外にアイダル、ドンバス、そして2000名規模だというドニエプルという部隊が存在している。この集団がオデッサの虐殺で主力だったともいう。 こうした部隊のメンバーは右派セクター(ネオ・ナチ)から移動していると言われているが、外国の傭兵もいるようだ。イスラエル、グルジア、ルーマニア、スウェーデン、ドイツなどからも戦闘員としてウクライナ入りしているという。グルジア出身者はブーク防空システムを操作する訓練を受けているとも言われている。 そして5月2日、オデッサでネオ・ナチに反対する住民が虐殺される。50名弱が殺されたと伝えられているが、反クーデター派は120名から130名が殺されたと主張している。多くに人たちが地下室で虐殺され、死体はどこかへ運び出されたという。 そして東部での破壊と虐殺、つまり民族浄化が本格化する。対象の地域を軍隊で包囲して兵糧攻めにし、放送、電話、通信手段を断つことから始まり、地上軍と航空機を組み合わせて戦略的に重要な施設を攻撃している。住民を追い出し、残った人びとは殺すというわけだ。掃討作戦が終了した後に電力や通信を復活させるのだが、避難した住民が帰還してきたなら分離独立に賛成しているかどうかをチェック、「ロシア嫌い」だけが帰還が許される。この作戦はアメリカ軍系のシンクタンク、RANDコーポレーションが作成したプランに従って遂行されているとも言われている。 シンクタンクが作戦を立案するだけでなく、アメリカ政府はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名がウクライナ東部の制圧作戦に参加しているとも伝えられている。 ポーランドも重要な役割を果たしている。ウクライナ制圧プロジェクトの拠点になっているだけでなく、治安担当の大統領顧問を務めたこともあるイエルジ・ドボルスキがウクライナに乗り込み、ポーランドの軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加しているという。 西側の巨大資本にしても、天然ガスの採掘をスムーズに行うためには東部や南部の住民を排除したいところ。穀倉地帯を狙っているモンサントやデュポンなども東部や南部を早く制圧してほしいことだろう。こうした勢力もロシアの人道支援を苦々しく見ているはずだ。
2014.08.22
昨年12月からギニア、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリアで広がっていたエボラ出血熱が広がり、8月21日現在で感染した、あるいは感染の疑いがある人は2473名、そのうち死者は1350名に達し、欧米へも患者が移動している疑いも指摘されている。 そうした中、現地で治療にあたっていたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーがエボラ出血熱に感染、8月2日にアメリカへ運ばれて治療を受けることになった。 これまで有効な治療法がなく、多くのアフリカ人が死んでいるのだが、このアメリカ人ふたりは快方に向かい、血液中にウイルスの痕跡が見られなくなったブラントリーは入院先の病院から21日に退院したという。両者はリーフバイオ社とデフィルス社が開発している「ZMapp」が投与されたほか、現地で自然治癒した少女の血が輸血されたとされている。リベリアでZMappを投与された3名のアフリカ人医師も快方へ向かっているという。 薬が効いたのか輸血が良かったのかは明確でないが、ともかくライトボールとブラントリーをアメリカへ運んだ時点で治療の見込みは立っていたのだろう。もし有効な治療法が見つかっていたならば、なぜアフリカ人に対しては使われなかったのかという疑問が出てくる。 これまでエボラ出血熱の有効な治療法が出てこなかったのは、患者がアフリカ人だからだという指摘がある。病気が世界に広がってパニックが生じたり、欧米の潜在的な消費者を刺激する事態になれば薬も開発されるだろうと言う人もいた。確かに今回はアメリカ人が病気になり、感染の疑いがある人が欧米へ移動する事態になっている。 この病気が初めて確認されたのは1976年8月のザイールで280名が死亡している。同じ年にスーダンでも151名が死亡した。その後、1977年にザイール(後のコンゴ)で1名、79年にスーダンで22名、94年にガボンで31名、95年にザイールで250名、96年にガボンで21名、南アフリカで1名、96年から97年にかけてガボンで45名、2000年から01年にかけてウガンダで224名、01年から02年にかけてガボンとコンゴで96名、02年から03年にかけてコンゴで157名、04年にスーダンで7名、07年にコンゴで187名、07年から08年にかけてウガンダで149名、08年から09年にかけてコンゴで14名、12年にウガンダで17名、コンゴで36名、そして今回は1145名が死んだ。 エイズ/HIVと同じように、このエボラ出血熱も病気の始まりが明確でない。1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのかは不明だ。感染地帯で何らかのエボラ病に関する実験をしていた細菌戦の専門家が実験していたとも伝えられているが、この事実に注目する人もいる。 エイズの場合、遺伝子操作で作られたという説やポリオワクチンの製造過程で混入したという説もあるが、こうした視点から研究しようとすると、資金は期待できない。自ずと研究の方向が誘導されることになる。エボラ出血熱でも似たことが起こる可能性はあるだろう。
2014.08.21
2012年11月22日にシリアの北西部でISに拉致され、行方がわからなくなっていたフォトジャーナリストのジェームズ・フォーリーが8月19日、IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)に首を切られたと伝えられている。アメリカがISに対する空爆を始めたことに対する報復だと主張しているが、シリアへの空爆を誘うことが本当の目的ではないかという声も聞こえる。 フォーリーが拉致された2012年といえば、ISの主要メンバーがヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から訓練を受けたと言われている年。当時はどうだったか不明だが、現在、ISの戦闘員を雇っているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子。ノウリ・アル・マリキは今年3月、ISへ資金がサウジアラビアやカタールから流れていると批判しているが、これは事実だと見られている。アメリカやサウジアラビアが反対すれば、殺せなかっただろう。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟はその時点でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始していた。アル・カイダ系の武装集団AQIを中心にISが編成されたのは2006年のことだ。 ところで、ベトナム戦争のとき、アメリカは正規軍と情報機関/特殊部隊が別々の指揮系統で戦っていた。リンドン・ジョンソン大統領の腹心でNSC(国家安全保障会議)に所属していたロバート・コマーは1967年5月にサイゴン(現在のホーチミン)へ入り、ベトナム軍事支援司令部(MACV)とCIA共同で極秘のプログラムICEXを始動させた。その年のうちにフェニックスへ名称が変更される。 当初、このプロジェクトは情報の収集が目的だったというが、海軍の特殊部隊SEALなどから隊員を引き抜き、殺人部隊も編成される。反米色が濃いと見なされた地域の農民を殺害、共同体を破壊していく。殺人部隊として1967年7月にPRUが組織されるが、そのメンバーは殺人やレイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心だった。このPRUの役割を中東/北アフリカではアル・カイダが、またウクライナではネオ・ナチが担っている。 後に議会の調査でフェニックス・プログラムを含む秘密の工作や組織の存在が発覚、その後は「民営化」が進む。形式上、工作を民間企業に行わせ、発覚したときに責任が政府機関へ及ばないようにしたわけだ。その後、民営化は軍隊にも及び、戦争ビジネスが急成長する。 その一方、1970年代の終わりから80年代にかけて「イスラム系」の戦闘部隊が編成され、その中からアル・カイダが生まれる。ただ、このアル・カイダは戦闘集団ではなく、ロビン・クック元英外相も言っているように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル(データベース)だ。 2003年にアメリカはイラクを先制攻撃、さらにリビアやシリアなどの体制を武力で倒そうとしている。その結果、中東/北アフリカは戦乱で経済が破綻、カネを稼ごうとすれば傭兵になるしかない。そうした人びとを雇って体制転覆プロジェクトを推進しているのがアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3国同盟。ISの戦闘員として新たに雇われた人数は6月だけで6300名に達するという。ISが銀行を押さえ、石油を売って儲けていると言うが、やはりサウジアラビアの存在は大きい。 このISはフォーリーを殺しただけではない。女性や子どもを含む多くの非戦闘員を殺害し、若い女性を「短期間の結婚」と称してレイプ、つまり慰安婦にしている。イスラムとは無縁の存在だ。むしろ、CIAの「テロ部門」がベトナム戦争で組織したPRUに似ている。フォーリーの残虐な殺され方に目を奪われると、問題の本質を見誤るだろう。
2014.08.20
FSA(自由シリア軍)と行動を共にしていた日本人をIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)が拘束したと伝えられている。FSAもISもアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国が支援している反バシャール・アル・アサド政権の武装集団。西側では「良い反政府軍」と「悪い反政府軍」が存在しているかのように宣伝しているが、プロレスのベビーフェイス(善玉)とヒール(悪玉)のようなもので、ひとつの興行を構成する要素にすぎない。 西側がFSAを編成、支援を始めたのは2011年の春。トルコにある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員らが戦闘員を訓練し始めた。その後、トルコはヨルダンと同じように反シリア政府軍の拠点になる。戦闘員を雇い、資金や武器/兵器を提供したのはサウジアラビアやカタールだ。 このFSAをシリア人は侵略軍と認識、アメリカ/NATOや湾岸産油国の思惑通りに事態は進まなかった。その当時、この同盟国はリビアでも体制転覆プロジェクトを実行、同じ年の10月にムアンマル・アル・カダフィを惨殺、体制乗っ取りに成功する。 反カダフィ軍の地上部隊はアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が主力だったが、カダフィ体制が崩壊すると武器を携えてシリアやイラクへ移動したと見られている。そのときに化学兵器もリビアの兵器庫から持ち出された可能性も指摘されている。 武器は戦闘員が持ち出しただけでなく、NATOが輸送したとも伝えられている。マークを消したNATOの軍用機がシリアとの国境に近いトルコの軍事基地へ武器と戦闘員を運んだというのだ。必然的にシリアの戦闘員はアル・カイダ系が多くなる。 その後、シリアではアル・ヌスラ、イスラム戦線、ISが反政府軍の中心になる。アル・ヌスラはカタールに近く、イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官、ISはアル・カイダ系のAQIを中心に編成された戦闘集団だという。今ではISへ集中、この組織の雇い主はサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子。 ISの主要メンバーは2012年、ヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から訓練を受けたと伝えられている。今年3月、資金はサウジアラビアやカタールから出ているとノウリ・アル・マリキが批判していた。 中東/北アフリカやウクライナを含む旧ソ連圏の制圧プロジェクトを推進しているのはネオコン(アメリカの親イスラエル派)。その中核グループに属するポール・ウォルフォウィッツは1991年、湾岸戦争でサダム・フセインを排除(殺害)しないまま停戦になったことを怒り、シリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。 このウォルフォウィッツを中心とするグループは1992年にDPG(国防計画指針)の草案を作成、潜在的なライバルを力で潰し、資源を押さえ、アメリカの支配する新しい世界秩序を築こうというビジョンを描いていた。これがいわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。 2007年になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌で、アメリカとサウジアラビアにイスラエルを加えた「三国同盟」がシリア、イラン、あるいはレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたと書いている。 この工作では「イスラム系武装集団」を使うことになるが、この記事が出る2年前に組織されたのがアル・カイダ系のAQIで、2006年にAQIはいくつかのグループを吸収してISが誕生する。アル・ヌスラやイスラム戦線が「ライバル」として存在していたが、サウジアラビアが雇うことになり、事実上、同じ戦闘集団だ。 2013年にはジョン・マケイン上院議員がトルコからシリアへ密入国、反シリア軍の幹部と会っている。この密入国の御膳立てをしたシリア緊急特別委員会は、イスラエル系ロビー団体AIPACの傘下。だからこそ、ネオコンのマケインが動いたわけだ。シリアでマケインはアル・ヌスラのモハマド・ノウルとも会っている。 その時に開かれた会議にマケインも出席しているのだが、その席にはFSAのイドリス・サレム准将やISを指揮していたイブラヒム・アル・バドリー(アブ・バクル・アル・バグダディ)も同席していたとされている。このマケイン、ウクライナではネオコン仲間のビクトリア・ヌランド国務次官補と一緒に政権転覆を画策、つまりロシアとの戦争を目論んでいる。
2014.08.19
マレーシア航空17便が撃墜された後もアメリカ/NATOを後ろ立てとするキエフの政権はウクライナ東/南部で民族浄化を進めている。この作戦はアメリカ軍系シンクタンクのRANDコーポレーションが作成したプランに従って遂行されているとも言われている。 対象地域に住む人びとを「テロリスト」、あるいはその「シンパサイザー」だと考えて地域を軍隊で包囲して兵糧攻めにし、放送、電話、通信手段を断つことから開始、ついで地上軍と航空機を組み合わせて戦略的に重要な施設を攻撃する掃討作戦が予定される。この間、自分たちに都合の悪い事実を報道するメディアを排除し、作戦の実態を知られないようにする。 掃討作戦が終了した後に電力や通信を復活させ、避難した住民が帰還する際に分離独立に賛成しているかどうかをチックする。つまり帰還が許されるのは「ロシア嫌い」だけ。民族浄化の仕上げだ。 イスラエルを「建国」する際に先住のアラブ系住民を追い出し、未だに帰還が許されていないが、同じシナリオだ。ベトナム戦争の際にもアメリカに反感を持つ人が多い地域ではフェニックス・プログラムという皆殺しプロジェクトを実行していたが、これとも似ている。 スラビャンスクは5月2日から攻撃された地域で、その当時、ロシアの撮影した衛星写真は都市の周囲を1万5000名以上のキエフ軍が包囲していることを示していた。戦乱を避けるために住民は逃げ出し、街から人がいなくなる。 破壊と殺戮を避けて住民がいなくなった後、ウクライナのメディアは「全てが正常」に戻って6割ほどの住民が戻ったと放送、家を出てから3カ月ほどして住民がふるさとへ帰ると、そこには知らない人たちがいて、元の住民はほとんど戻っていなかったとするレポートがある。 キエフ政権は西側の巨大資本と結びついたオリガルヒ(一種の政商)とNATOと結びついたネオ・ナチを2本柱にし、ロシア語を話す住民が犠牲になっている。攻撃から逃れるためにロシアへ避難した住民は、ロシア政府によると73万人に達した。この数字を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も引用しているので、信頼できるだろう。 ロシアへ逃れて難民として生活している人の数は減っていないようなので、6割の住民が戻ったという話は信用できず、知らない人びと(恐らく西部からの移住者)が入り込んでいるという話は事実だろう。そもそも、自分たちを攻撃し、殺していた軍隊が占領している地域に戻るとは思えない。 こうしたスラビャンスクへ7月21日に入った毎日新聞の真野森作は、「政府軍と親露派との緩衝地帯を抜けてたどり着いた街では、政府による復興作業が進展。親露派が集結して戦闘が続くドネツクとは対照的に、都市の活気を取り戻しつつあった。」と記事の中で書いている。そこにいた人びとが何者なのか、そこで何があったのかなどを記者なら取材して当然だが、していないようだ。ウクライナ語とロシア語の区別がつくなら、話しただけで検討はつくだろう。この記事は旧日本軍の従軍記者が書いたような雰囲気を醸し出している。 もっとも、毎日新聞だけが「戦時体制」に入っているわけではない。日本の全マスコミは勿論、「リベラル」とか「革新」に分類されている少なからぬ人たちも似たようなもので、「アメリカ発」の情報を垂れ流している。
2014.08.17
ロシア政府が赤十字国際委員会(ICRC)と共同で支援物資を載せたトラック280台をキエフ政権は国境で止めている。そうした中、ロシアの軍用車両がウクライナ領に入ったとイギリスのガーディアン紙とテレグラフ紙は伝え、キエフ政権はその一部を破壊したと語っているのだが、ロシア政府はこうした話を全面否定している。 今のところ真偽不明の情報だが、これまでのことを考えると、西側の報道は信用しないようが良い。中東/北アフリカでもそうだったが、ウクライナでもプロパガンダに徹し、最近では「西側のプラウダ」とも言われている。勿論、このプラウダはソ連時代のプラウダだ。こうした報道を本当に信じている人がいるのだろうか? ロシアの軍用車両が国境を越えてウクライナ領へ入るところを「有力新聞」の記者が「目撃」したというのだが、その決定的な映像がない。どうでも良いような場所では撮影しても、決定的な場面で写していないのはどういうことなのか? マレーシア航空17便でもそうだが、アメリカは自分たちの主張を裏付ける証拠を出そうとしない。出せないのだろう。そのアメリカ政府も今回の軍用車両の話は確認できないとしている。つまり、キエフ政権は近い将来に発覚するであろう嘘をついている可能性が高い。 そうした中、キエフ軍はドネツクで白リン弾を住宅街でまた使ったようだ。攻撃の手口はガザを攻撃するイスラエル軍に酷似している。ネオ・ナチの「ロシア嫌い」もあるだろうが、天然ガス田の上に住む人びとを早く「処分」してしまいたいのかもしれない。
2014.08.16
1945年8月15日、昭和天皇の声明がラジオで放送された。いわゆる「玉音放送」だ。 「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。朕ハ帝國政府ヲシテ、米英支蘇四國ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨、通告セシメタリ。」(句読点は引用者) アメリカ、イギリス、中国、ソ連の共同宣言とは「ポツダム宣言」を指している。つまり日本は連合国に降伏すると天皇は言っているのだが、ポツダム宣言の内容を知らない人にとっては「負けたとも降服したとも言わぬ」(堀田善衛著『上海にて』)不審な代物にすぎなかった。日本の敗北が正式に決まったのはミズーリ号で重光葵と梅津美治郎が降伏文書に調印した9月2日のこと。 8月15日は「降服放送記念日」にすぎないわけだが、その日を日本では「終戦記念日」と名づけて敗北を誤魔化し、政府は毎年「全国戦没者追悼式」を主催している。「内閣官房長官談話」の中に「先の大戦における三百万余の戦没者」という表現があり、第2次世界大戦で戦死した日本軍の軍人や軍属、空襲などで殺された一般市民が対象になっているようだ。 日本でそうした式が行われている時、アメリカでは戒厳令の予行演習と言われる事態になっている。8月9日、ミズーリ州ファーガソンで18歳のアフリカ系男性が警官に射殺されたのが切っ掛け。その男性は武器を携帯していなかった。アメリカでは似たような話をしばしば聞くが、今回は警察の対応が注目されている。 アメリカでは軍が模擬都市を建設して市街戦の訓練を始め、警察の重武装化も進んでいる。こうした実態の一端は本ブログでも書いてきたが、今回、警官隊は海兵隊のような装備で鎮圧に乗り出し、装甲車やヘリコプターも投入されて戒厳令状態。その様子を取材していたワシントン・ポスト紙とハッフィントン・ポスト紙の記者が逮捕された。撮影の準備をしていたアル・ジャジーラの取材班は催涙ガスを投げつけられている。 1%に満たない一部の人びとへ富が集中するシステムを築いた結果、アメリカの庶民は貧困化が進み、第三世界化している。つまり古典的な階級社会が出現、暴動や革命の下地ができつつある。それを監視システムの強化や警察の軍隊化で押さえつけようとしているのだろう。 1980年代にアメリカの支配層はCOGという戒厳令プロジェクトを始め、秘密政府の仕組みも作り挙げた。そのプロジェクトを起動させたのが2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎に対する攻撃。そのひとつの現れが愛国者法だ。 何度も書いたことだが、アル・カイダとは、イギリスのロビン・クック元外相も主張していたように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リスト。シリアでアメリカ/NATOやサウジアラビアから支援を受け、イラクで政府を攻撃しているISの背景も基本的に同じ。このISがアメリカで何らかの「テロ行為」を行っても驚きではない。
2014.08.15
ウクライナの東部/南部ではキエフ政権による民族浄化が進行中で、取り残された住民は兵糧攻めに遭い、空爆などで犠牲者が増えている。国連の推計では7月26日に1129名だった死者数は8月10日には2086名に増えたという。ロシア政府によると、ドネツクやルガンスクからロシアへ逃れた人の数は73万人に達し、この数字を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も引用している。 イスラエルがガザで行っているやり口に似ているが、そうした状況を打開するためにロシア政府は赤十字国際委員会(ICRC)の監督下、支援物資を載せたトラック280台を現地に派遣しようとしている。 ところが、キエフのアルセン・アバコフ内相は「プーチン大統領の派遣した『人道支援団』がハリコフに立ち入ることを許可しない」と宣言している。外部からの人道支援はICRCの監督の下で実施される必要があるとするアルセニー・ヤツェニュク首相とはニュアンスがかなり違う。 こうした中、イギリスではロシアの軍事車両23台がウクライナ領へ入ったと報道している。これまでも偽情報を流してきただけに真偽は不明だが、アバコフ内相らはICRCの監督下での支援活動も拒否する意思を鮮明にし、軍事的に阻止する動きも見せているだけにあるえる話ではある。 これまで「西側」は口先だけで、証拠は何も示してこなかった。少なくともアメリカのスパイ衛星はロシアに動きがあればとらえていたはずだ。 イギリスでの報道が正しいなら、ロシア側に新しい動きがあると考えることもできる。すでにロシアはEUに自主的な判断を期待できないと見切りをつけたと見られているが、そうした判断が行動に表れてきた可能性がある。 強硬姿勢を見せているアバコフ内相はオデッサでの虐殺にも関与している。4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問して14日には制圧作戦がスタート、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、そのときにオデッサでの軍事行動に関する会議がキエフで開かれている。その会議にアバコフ内相も参加していた。 そのほかの出席者はアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官、そしてアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長。また、オブザーバーとして参加していたドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事も意見を求められたという。この知事が民族浄化の黒幕だと言われている。 オデッサでは5月2日に反クーデター派の住民が虐殺された。50名弱が殺されたと伝えられているが、反クーデター派は120名から130名が殺されたと主張、多くに人たちは地下室で虐殺され、死体はどこかへ運び出されたという。この虐殺にキエフが送り込んだ警察の幹部や治安部隊が関与していることは映像などで確認できる。6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、その後に東部や南部での民族浄化が激しくなった。 本ブログでは何度も書いているが、今年2月のクーデターや東部や南部で展開されている民族浄化の主力部隊はネオ・ナチを中心に編成されている。当人たちはこうした事実を隠していないが、「西側」の政府やメディアは見て見ぬ振り。ネオ・ナチが参加しているキエフ政権を「民主化勢力」、反ネオ・ナチの住民やロシアを「独裁体制」だと主張しているわけだ。かつて日本では東アジアを侵略する際に「大東亜共栄圏」なる看板を掲げたが、似たようなことを「西側」はしている。
2014.08.15
アメリカはIS(ISIS、ISIL、IEILとも表記されてきた)を攻勢するとしてイラクで空爆を始め、地上では特殊部隊が活動しているが、アメリカとISが敵対関係にあると言うことはできない。サマンサ・パワー国連大使の「R2P(保護する責任)ドクトリン」を満足させるだけの行為だと言う人もいる。 2006年から首相を務めてきたヌーリ・アル・マリキはアメリカ軍の永続的な駐留やアメリカ兵の不逮捕特権を認めなかったが、フアード・マアスーム大統領は次期首相にハイダル・アル・アバディを指名、マリキの排除に半ば成功、アメリカ軍の存在感は増していくのだろう。 ISが少なくとも一時期は所属していたアル・カイダ(基地/ベースを意味)とは、ロビン・クック元英外相が指摘しているように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ戦闘員のコンピュータ・ファイル(データベース)。アメリカ軍に破壊された中東/北アフリカでは、カネを稼ぐことのできる数少ない手段のひとつが傭兵で、そのデータベースに登録している人の数は増えているだろう。 アル・カイダはいろいろなプロジェクトに傭兵を派遣しているような存在で、そうしたプロジェクトのひとつがISだとも言えるだろう。その歴史をさかのぼると、AQI(イラクのアル・カイダ)が現れる。 AQI(イラクのアル・カイダ)を名乗る武装集団を中心にいくつかのグループが集まってISI(イラクのイスラム国)が編成されたのは2006年のこと。その最中、AQIを率いていたアル・ザルカウィは殺され、新たなリーダーとしてアブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディとエジプト在住のアブ・アユブ・アルーマスリが登場するのだが、このふたりは2010年にアメリカとイラクの軍事作戦で殺され、アブ・バクル・アル・バグダディが次のリーダーになる。 2013年4月にISIはシリアでの活動を開始、ISILとかISISと呼ばれるようになる。アメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにアル・カイダを支援、その中にISILも含まれた。 シリアとほぼ同時にアメリカ/NATOとペルシャ湾岸産油国はリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒すプロジェクトを推進、そこでもアル・カイダ系の武装集団を地上部隊の主力として使っていた。 2011年10月にカダフィが殺されて体制は崩壊、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。その映像がすぐにYouTubeにアップロードされ、「西側」のメディアもその事実を伝えている。そして、アル・カイダの兵士は武器と一緒にシリアやイラクなどへ移動していく。 イラクでISが勢力を拡大できた大きな原因のひとつはアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国がISを支援してきたことにある。活動資金や武器/兵器を提供、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から軍事訓練を受けたと伝えられている。だからこそ、マリキ首相は今年3月、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供しているとして両国を批判しているわけだ。 アメリカとサウジアラビアはイスラエルとも同盟関係にある。1980年代のアフガニスタンでの戦いで手を組み、「イラン・コントラ事件」でもそうした関係が明るみに出たほか、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作をこの3国が始めたと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いている。 今回のISによる軍事攻勢でもアメリカはスパイ衛星、偵察機、通信傍受、地上の情報網などで動きはつかんでいたはず。ISは油田地帯や水源を中心に制圧しているようだが、そうした地域はアメリカが特に力を入れて守っていた。「寝耳に水」ということは有り得ない。 アル・カイダが傭兵の登録リストだということは、雇用関係がなくなれば、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの指揮系統から外れるということになり、暴走する可能性はあるのだが、まだそうした事態にはなっていないように見える。 アフガニスタンでは活動資金を捻出するために麻薬(ヘロイン)の密輸に手を出し、その仕組みをアメリカの情報機関は武装グループにも伝授、その後の活動を支えることになる。ISは銀行で資金を抑え、石油や天然ガスを売って稼いでいるようだが、アメリカと敵対した場合、継続は困難になるだろう。
2014.08.14
アメリカの映画界を「ハリウッド」と呼ぶことが多い。そのハリウッドを象徴する映画賞が「アカデミー賞」。2007年に公開された「ノーカントリー」でハビエル・バルデムが助演男優賞を受賞、そして2008年に公開されたウッディ・アレン監督の「それでも恋するバルセロナ」でペネロペ・クルスが助演女優賞を受賞している。 バルデムとクルスはスペインの俳優で、婚姻関係にあるのだが、そのふたりがハリウッドのプロデューサーの逆鱗に触れ、「ブラックリスト」に載せられるのではないかと言われている。イスラエル軍のガザにおける虐殺を批判したことが原因だ。 イスラエルはガザで破壊と殺戮を繰り返してきたが、今回は6月に西岸で3名のイスラエル人ティーンエイジャーが殺害された責任をイスラエルはハマスに押しつけ、それを口実にしてガザへ攻め込んだ。国連が運営する学校も破壊され、72時間の停戦が宣言された段階で1650名以上が殺され、その中には約300名の子どもたちも含まれている。殺されたパレスチナ人の数は8月12日に1943名へ達した。 「西側」のメディアはイスラエル軍の残虐な行為を伝えたがらないが、それでも怒りは世界に広がり、抗議活動が展開されている。そうした抗議の中にスペインの映画関係者も加わったのだが、それがハリウッドの支配者たちは許せなかったようだ。 アメリカの情報機関はテレビや新聞と同じように映画界も情報操作に使ってきた。そのネットワークも張り巡らされ、例えば、ハリウッドの大物プロデューサーだったアーノン・ミルシャンはLAKAM(イスラエルの科学情報連絡局)とつながっていた。1985年にジョナサン・ジェイ・ポラードという男がイスラエルのスパイとしてアメリカで逮捕され、有罪判決を受けて服役中だが、このポラードを動かしていたのがLAKAMだ。 ミルシャンがプロデュースした作品には、例えば、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、「未来世紀ブラジル」、「ローズ家の戦争」、「プリティ・ウーマン」、「JFK」、「沈黙の艦隊」、「依頼人」、「コピーキャット」、「評決のとき」、「交渉人」、「ザ・センチネル」などが含まれている。 このミルシャンに協力していた人物のひとりが映画監督のシドニー・ポラック。「ザ・ヤクザ」、「コンドル」、「トッツィー」、「愛と哀しみの果て」、「ハバナ」、「ザ・ファーム」などの作品を残している。 こうしたことが広く知られるようになってきた現在、ガザの虐殺を批判した俳優をパージするようなことがあれば、アメリカの映画界がダメージを受ける可能性が高い。国際問題でもアメリカは「脅せば思い通りになる」という発想から抜け出せないでいるが、ハリウッドも同じようだ。
2014.08.12
アメリカ政府から支援を約束されたフアード・マアスーム大統領は、次期首相にハイダル・アル・アバディを指名した。今年7月24日に大統領となって初めての大仕事だ。アバディはイギリスのマンチェスター大学で博士号を取得した人物で、サダム/フセイン時代にはロンドンで亡命生活を送っていた。 指名後、早速、ジョー・バイデン米副大統領は歓迎の意を示したようだが、ヌーリ・アル・マリキ首相はこの決定を批判、法廷闘争に持ち込む意向だという。議会の第1勢力でアル・マリキを支える「法治国家連合」もこの指名を拒否している。 IS(ISIS、ISIL、IEILとも表記)と戦うために「包括的な新内閣」が必要だとアメリカ政府は主張していたようだが、これはナンセンス。ISの黒幕がアメリカ/NATO、サウジアラビア、イスラエルだということは公然の秘密。ここにきての攻勢もアメリカの意向によるもので、マリキを排除するため、ISを動かし、その際にイラク軍の幹部は戦闘を避けて「進撃」を演出したのだろう。シリアの反政府軍(侵略軍)への軍事支援を強化しろという主張は、ISの戦闘能力を高めろと言っているに等しく、シリアやイラクを早く破壊したいのだろう。 以前からアメリカはイラクを3分割するつもりだと言われてきた。すでに南部はシーア派、中部はスンニ派、そして北部はクルド人が支配する形になっているが、これを国にしようというわけだ。ユーゴスラビアの解体にも似ている。この北部を制圧中のISはシリアの北部、石油や天然ガスの採掘できる地域を支配し、これらを統合してひとつの国にするつもりだろう。欧米の石油資本にとってはよだれが出る「新国家」になりそうだ。 ここで問題になるのがロシア。6月にロシアがマリキ政権を支援すると表明、数日のうちに5機のSu-25近接航空支援機をイラクへ運び込んでいる。マリキが首相の座をめぐって戦い続けるなら、ロシアも支援することになり、アメリカの思惑通りにことが進むとは限らない。
2014.08.11
次期首相の指名をめぐってヌーリ・アル・マリキ首相とフアード・マアスーム大統領が対立しているイラクで新たな動きがあった。議会の第1勢力から首相を指名することを拒否している大統領をマリキは批判、治安部隊をバグダッドの中枢部に展開し、大統領の公邸を包囲したという。 4月に行われた選挙の結果、第1勢力はアル・マリキを支える「法治国家連合」。全328議席のうち92議席を獲得した。ムクタダ・サドルが率いる勢力の34議席とイラク・イスラム革命最高評議会の31議席を加えたシーア派連合は157議席に達し、スンニ派連合の59議席、クルド連合の55議席を大幅に上回る。本来ならマリキが次期首相に指名されるのだが、それを大統領は拒否している。アメリカを後ろ盾にしてクーデターを仕掛けているとも言える。 こうした事態を招いた一因は同盟者の間での対立にあるのだが、その背後にはアメリカ政府が存在する。4月の選挙結果はアメリカにとって好ましいものではなかったのだ。選挙の前月、マリキ首相はサウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判しているが、こうしたペルシャ湾岸の産油国はアメリカやイスラエルと同盟関係にある。これは本ブログで何度も書いたことだ。つまり、マリキは暗にアメリカを批判していた。 北部の油田地帯やダムを制圧、バグダッドに圧力を加えているIS(ISIS、ISIL、IEILとも表記)は現在、サウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子が資金を出している、つまり雇っている。制圧した地域の武器庫から武器/兵器を持ち出しているだけでなく、アメリカ/NATOから武器を調達、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや米軍の特殊部隊から主要メンバーを軍事訓練をうけたともいう。マリキが行った批判は正しいということだ。 6月の始めにISは大攻勢をかけてモスルを制圧、銀行から約4億2900万ドルを奪い、保有する総資産は20億ドルに達したと言われている。その際、イラク軍の指揮官は戦闘を回避したようで、マリキ首相はメーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任した。 そうした中、登場したのがロシア。ウラジミル・プーチン大統領はマリキを支援すると表明、マリキの政敵が「西側」の後ろ盾や地域の有力者からの支援を目論見ながら彼を排除する工作を進めているとも伝えたようだ。そして6月下旬、中古ながら5機のSu-25近接航空支援機をイラクへ運び込んでいる。こうしてみると、今回、マリキがとった行動は反マリキ派の動きを睨み、周到に準備されたものだったと考えるべきだろう。 ウクライナでもそうだが、イラクでも外国勢力に買収された軍の幹部に対する怒りが兵士の間で高まっている。その怒りを味方につければ、マリキはアメリカ/イスラエル/サウジアラビアの攻撃に打ち勝てるかもしれない。
2014.08.11
アメリカ軍が空爆したというIS(ISIS、ISIL、IEILとも表記される)の後ろ盾になっているのは、アメリカ/NATOやサウジアラビアにほかならない。ISを現場で指揮しているのはアブ・バクル・アル・バグダディ、その指揮官を動かしているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子、その背後にアメリカ/NATOがいる。 ISはいくつかのグループが集合して編成された武装集団で、その源流は2004年に組織されたアル・カイダ系のAQIだ。この集団を率いていたのがアブ・ムサブ・アル・ザルカウィ。 2006年1月にAQIはいくつかのグループを吸収するのだが、その年の6月にアル・ザルカウィは殺されたと言われている。その直後にリーダーとして名前が出てくるのがアブ・バクル・アル・バグダディだ。この人物もアメリカの軍や情報機関がアフガニスタンでソ連軍と戦わせるために組織した武装集団に所属していた。つまり、CIAに雇われて訓練を受けている。 バーレーンのガルフ・デイリー・ニューズ紙によると、NSAの内部告発者エドワード・スノーデンが持ち出した資料にはイギリス、アメリカ、そしてイスラエルの情報機関がISを創設、そのリーダーであるアル・バグダディはイスラエルの情報機関モサドの訓練を受けたというのだが、現段階では真偽不明の情報。 ただ、2009年7月から昨年9月まで駐米イスラエル大使を務めたマイケル・オーレンはエルサレム・ポスト紙のインタビューで、イスラエルは最初からシリアの体制転覆を望み、アル・カイダを支援してシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしてきたと言明した。アサド大統領とアル・カイダならアル・カイダを選ぶということだ。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビアが連合を組んでいることはすでに広く知られた話で、アル・バグダディがモサドの訓練を受けたとしても不思議ではない。モサドが介在するかどうかはともかく、2012年にヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊がISの主要メンバーを訓練した可能性は高く、アメリカとISが敵対関係にあるとは言えない。 そもそも、アル・カイダがアメリカの生み出した戦闘集団。ロビン・クック元英外相も言っているように、アル・カイダ(アラビア語で「ベース/基地」を意味)はCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル(データベース)。この事実を新聞に書いた翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡している。享年59歳。 現在、ISに攻撃されている形のノウリ・アル・マリキ政権だが、この政権はイランと親密な関係にあり、アメリカは排除したいと考えていたはず。今年4月の選挙でマリキは勝利しているが、その前月、サウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判している。アメリカの「友好国」を批判したということは、アメリカへの怒りがそこまで高まっていたことを示している。 こうした中、ロシアがマリキ政権を支援すると表明、数日のうちに5機のSu-25近接航空支援機をイラクへ運び込んでいる。2011年と12年にアメリカ政府はイラクへF-16戦闘機を提供すると契約しながら、これまで約束は守られていなかったのと対照的。 ISが支配地域を短時間に広げている理由のひとつとして、イラク軍の指揮官が戦闘を回避したことが挙げられている。実際、マリキ首相はメーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任した。 アメリカ政府はマリキ政権を倒すためにこうしたイラク人グループを後釜へ据えるつもりだったかもしれないが、ロシアが出てきたことで放置できなくなったと考えることもできる。ただ、こうした背景を考えると、アメリカがISを本気で叩くとは思えない。 ジョージ・W・ブッシュ政権にサダム・フセイン体制が破壊された後、事実上、イラクは3分割された。南部はシーア派、中部はスンニ派、そして北部はクルド人。クルド人の居住地域はシリアやトルコへも広がり、油田地帯と重なる。 このクルド人をイスラエルは支援してきたが、目的のひとつはイラクを解体して弱体化することにあった。石油利権を睨んでクルド人の国を作ろうと考えているアメリカ人もいるようだが、ISが支配している地域とも重なる。ISはシリアの35%、シリアで石油や天然ガスの採掘できるほとんどの地域を支配したと反シリア政府派は主張しているが、イラクでも油田地帯を押さえている。 現在でもイスラエルには「大イスラエル」を目指している勢力が存在する。旧約聖書に書かれた「約束の地」、ナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域をイスラエルの領土にするというのだが、そうなるとシーア派は追い出されることになるのだろう。シーア派の拠点はイランだ。
2014.08.10
ドイツの経済紙ハンデスブラットの編集長が「西側の間違った道」と題する評論を発表し、話題になっている。ウクライナが不安定化すると「西側」は戦争熱に浮かされ、政府を率いる人びとは思考を停止して間違った道を歩み始めたと批判しているのだ。 アメリカ議会ではウクライナへの武器供与が議論され、ズビグネフ・ブレジンスキー元大統領補佐官は市民を武装させるように提案、ドイツ首相は厳しい対応をとる準備ができていると発言していると指摘、こうした流れはドイツの利益に反しているとしている。その通りだろう。 この編集長は次のように問いかける:始まりはロシアがクリミアを侵略したためだったのか、それとも「西側」がウクライナを不安定化したためだったのか?ロシアが西へ領土を膨張させているのか、それともNATOが東へ拡大しているのか?ふたつの大国が同じ意図に動かされて無防備な第三国へ向かい、深夜、同じドアで遭遇し、内戦の第1段階で泥沼にはまり込んでいるのか? アメリカにとっての現実的な目的とヨーロッパにとってのそれは全く違うとも主張、バラク・オバマやヒラリー・クリントンは次の選挙で勝てるか、次の大統領を民主党から出せるかということに関心があるだけだとし、クリントンがウラジミル・プーチンをアドルフ・ヒトラーに準えたのは、外国のことに関心のないアメリカ人の多くが知っている外国人はヒトラーくらいだからだと切り捨てている。 アメリカの経済界が自国政府のロシア制裁に反対していることは本ブログでも指摘したこと。すでにロシアではアメリカの「狂人理論」に対抗するため、ドルを基軸通貨の地位から引きずり下ろすための働きかけを始めている。生産体制や社会システムが崩壊しているアメリカは投機(イカサマ博奕)、NSAを使った情報収集(恐喝のネタ探し)、そして基軸通貨を印刷できる特権で支配体制を支えているにすぎない。 アメリカを戦争へと導いている原動力はカネ儲けの欲望とカルト的な信念。その信念に基づいて動いているのが親イスラエル派のネオコン、つまりウラジミール・ジャボチンスキーの末裔たちだ。 ジャボチンスキーは第1次世界大戦でイギリス軍に参加し、1925年には戦闘的シオニスト団体の「修正主義シオニスト世界連合」を結成している。リクードの源流になった団体だ。そのジャボチンスキーが創設したハガナをイギリスの情報機関MI6や破壊工作機関のSOEは訓練、ハガナは後にイスラエル軍の中核になる。 このシオニストとは、エルサレム神殿があったとされる「シオンの丘」へ戻ろうという考えを信奉する人びとだ。近代シオニズムの創設者とされているのは1896年に『ユダヤ人国家』という本を出したセオドール・ヘルツルだが、その前にアメリカでは、ウィリアム・ブラックストーンなるキリスト教福音派の牧師が「中東のユダヤ人国家建設」を支援する運動を始めている。ヘルツルはシオニズムよりセシル・ローズを信奉していた人物だという。 それ以前、シオニズムはピューリタンの主張に含まれ、さかのぼるとオリバー・クロムウェルに行き着くのだという。ピューリタン革命で国王を処刑、「神の軍隊」を率いてアイルランドを侵略して大虐殺を行った人物だ。アイルランド問題の根はここにある。一方、アメリカへ渡ったピューリタンは侵略を進め、先住民を殲滅していく。イスラエルと同じような過程を経てWASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント/ピューリタン)の国を作り上げたわけだ。 現在、ネオコンはアメリカの福音派(原理主義者、聖書根本主義派)と手を組むが、これは必然だということ。この勢力はカルト的な信念で動いているため、核戦争も辞さない。自衛隊の幹部はマスコミの記者に対し、「今なら中国に勝てる」とあからさまに語っているようだが、似たことをアメリカのネオコンも考えているかもしれない。
2014.08.09
ウクライナで新たな偽造写真スキャンダルが浮上した。偽画像を本物の中に紛れ込ませ、キエフ軍の残虐さを明らかにする証拠の信頼度を下げようという工作だ。珍しくない手法だが、キエフ政権、つまりアメリカ/NATOは現在、進めている。 「西側」を後ろ盾とするキエフ政権はIMFからの命令もあり、東部や南部で民族浄化を進めている。国連難民高等弁務官事務所もウクライナからロシアへ逃れ、難民状態になった住民の数は73万人に達したとしている。 これだけの人びとがロシアへ逃れているのは、東部や南部の住民がキエフのクーデター政権を拒否して独立、あるいは自治権の強化を目指したのと同じ。つまり、「西側」の巨大資本につながるオリガルヒとアメリカ/NATOの傀儡として暴虐の限りを尽くしているネオ・ナチを恐れているからだ。実際、キエフ軍の攻撃ですでに多くの住民が殺された。 こうした実態を「西側メディア」は無視しているが、ロシアのメディアが報道、情報は世界に広がりつつある。そこでキエフ政権はロシアのメディアで働くジャーナリストの入国を妨げ、拘束、そして追放しているが、押さえ切れていない。インターネット上にアップロードされる住民らが撮影した映像も少なからぬ影響を及ぼしている。こうした事態を何とか打開したいのだろう。 アメリカ/NATOがペルシャ湾岸の産油国と手を組んで北アフリカや中東で「西側」の巨大資本にとって目障りな体制を潰してきた。現在、シリアでプロジェクトを進めているが、バシャール・アル・アサド政権を「悪魔化」するため、偽情報を使ってきた。中でも有名なのがシリア系イギリス人のダニー・デイエム。この人物の「現地報告」という形で「西側メディア」は自分たちに都合の良い話を作り上げ、流していた。 ところが、「シリア軍の攻撃」をダニーや仲間が演出する様子を含む映像が流出、その実態が明るみに出る。「西側メディア」はこうした事実を無視したが、インターネット上では流れているわけで、そのダメージは大きかっただろう。 その失敗に学んだのか、今回、ウクライナではキエフ政権の残虐さを明らかにする映像は、シリアで自分たちが行ったのと同じように、インチキだという宣伝を始めたのだろうが、ウクライナの場合は本物の映像が多くあり、キエフ政権、あるいはアメリカ/NATOが流している偽造写真は気づいていない人も多い。彼らの目的は、その偽造写真を偽造だと叫ぶことにあるわけで、人びとが気づかない方がむしろ良いのだろう。 これまでもキエフ政権の指揮下に入ったウクライナ軍の将兵が離脱してきたが、8月に入って第72独立機械化旅団の438名が投降してロシア領へ入ったという。貧弱な装備で前線で戦わされている兵士の間でキエフ政権に対する不満が高まっている。ウクライナ西部でも徴兵に抵抗する住民も現れ、クーデターの舞台になった独立広場(マイダン)ではタイヤが燃やされている。 国外では「西側メディア」のプロパガンダは機能しているが、むしろ国内で嘘が知られてきたようだ。今後、ネオ・ナチの隊員募集や軍事訓練(今秋までに20万人体制を計画)では追いつかず、傭兵を大量投入しなければならない事態も想定できる。
2014.08.09
アメリカは侵略国家である。現実を直視すれば、そう言わざるをえない。植民地やファシズムに反対したフランクリン・ルーズベルト、あるいはソ連との平和共存を訴えたジョン・F・ケネディは例外的な大統領であり、巨大資本からは嫌われた存在だった。集団的自衛権の行使を認めるということは、そのアメリカの戦争マシーンに組み込まれて侵略に荷担することを意味する。 第2次世界大戦後、アメリカでは情報操作のためのプロジェクト(モッキンバード)を開始、ウォーターゲート事件で有名になったカール・バーンスタインによると、1970年代にCIAのために働いていたジャーナリストは400名以上だという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 1980年代から報道機関を巨大資本が支配するようになり、気骨ある記者は排除されるなど状況はさらに悪化、21世紀に入るとプロパガンダ一色になる。その一方で憲法は機能を停止、社会はファシズム化が急速に進んだ。現在のアメリカは民主主義国家とは言えず、メディアは言論の自由を放棄している。 にもかかわらず、民主主義と言論の自由がある「西側」と独裁体制の「東側」という冷戦時代に刷り込まれたイメージから未だに抜け出せず、何度も騙されている「リベラル派」や「革新勢力」がいる。一種の保身術なのかもしれないが、そうした姿勢では結局、侵略戦争を推進するだけのこと。 アメリカの戦争マシーンを動かしている戦略は、1992年に書かれたDPG(国防計画指針)の草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)に基づいている。潜在的なライバルを潰し、資源を支配し、「唯一の超大国」として世界を制覇しようというのだ。 アメリカと安全保障条約を締結している日本もアメリカに連動して変化、1990年代に集団的自衛権へ向かって動き始めている。水面下の動きは不明だが、始まりは1995年にジョセフ・ナイ国防次官補が公表した「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」だと言えるだろう。 1996年には「日米安保共同宣言」が出され、安保の目的が「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大、97年にまとめられた「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」では、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになり、99年の「周辺事態法」につながる。 この「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」を意味し、「周辺」は「地理的なものではない」。つまり、世界中に展開する可能性があるということ。2005年になると「日米同盟:未来のための変革と再編」が締結され、日本は「日米共通の戦略」に基づいて行動するとされた。 今年はウォルフォウィッツ・ドクトリンから22年、ナイ・レポートから19年。集団的自衛権が登場するまで、これだけの時間がかけられているということであり、安倍晋三首相が唐突に持ち出してきたわけではない。その間、警鐘を鳴らす人はいたが、マスコミは問題を掘り下げようとしなかった。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成される前年、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを殲滅させると語ったという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。実際、2003年にアメリカは軍事侵攻、サダム・フセインを抹殺した。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターにそびえていた超高層ビル2棟に航空機が突入、同時に国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたが、間髪を入れずアメリカ政府は「アル・カイダ」が実行したと断言、そのアル・カイダと敵対関係にあったイラクを先制攻撃するという意味不明のことをしている。 その意味不明の軍事行動を日本では政府もマスコミも賛成、戦争に反対する人びと、開戦の障害になりそうな人びとを激しく批判した。テレビに出演している人の中で唯一抵抗していた橋田信介は2004年5月、甥の小川功太郎と一緒にイラクで殺されている。 2001年の終わりにジョージ・W・ブッシュ政権下の国防総省では、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画を作成していたとクラーク元最高司令官は語った。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連消滅、ロシア乗っ取りを受けて作成されたわけだが、その後、ロシアは「西側」の傀儡を追い出して再建、アメリカの強力なライバルになっている。中国も同じだ。あくまでこのドクトリンを実現しようとするならば、ロシアと中国を敵に回して戦争しなければならなくなる。日本が戦う相手は中国になる可能性が高いだろうが、そのときはロシアも敵側。その戦争では核兵器が使われると考えなければならない。集団的自衛権とは、そういうことだ。
2014.08.08
イラク北部の都市アルビルへ迫っているIS(ISIS、ISIL、IEILとも表記)に進撃を止めるため、空爆の実施を承認したとバラク・オバマ米大統領は発表した。アルビルはクルド人の居住地区で、アメリカ領事館には同国の外交官や市民が避難、アメリカの軍事顧問団もいる。同時に、イラク政府の要請により、山岳地帯で食糧も水もなく孤立しているイラク市民を助けるための作戦も開始したという。 ISは政府軍兵士の首を切り落とすなど残虐さをアピールしながら戦闘を続け、シーア派やキリスト教徒の宗教施設などを破壊、人びとを虐殺、「聖戦結婚」と称するレイプも行われてきた。 こうした戦闘集団はイラクの一部支配層と協力関係にあると見られ、実際、イラク軍の指揮官の中には戦闘を回避した人もいたという。ノウリ・アル・マリキ首相もそのように認識しているようで、メーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任したようだ。 しかし、このISを支持している一般住民はほとんどいないだろう。それにもかかわらず支配地を広げている大きな要因は何なのか? 勿論、サウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子から戦闘員を雇う資金が流れ込んでいるのは重要な要因。長い間、アル・カイダを指揮していた同国のバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が背後へ隠れ、この王子の名前が出てきた。マリキ首相も今年3月、サウジアラビアやカタールは反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 さらに、シリアでISはアメリカ/NATOから武器を提供され、軍事訓練を受けている。2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊がISの主要メンバーを訓練していたと伝えられている。 もし、アメリカ政府が本気でISと戦う気があるならば、まずサウジアラビアに資金の提供を止めさせ、シリアでの協力関係を解消して武器の提供を止めなければならない。そうしたことを行わず、スパイ衛星、偵察機、通信傍受施設などで動きを監視することもしないでISの進撃をこれまで傍観してきたのがアメリカ政府。 マリキ政権は反政府勢力を押さえ込むため、2011年と12年にアメリカ政府へF-16戦闘機を供給するように要請、契約もしていたのだが、搬入が遅れていた。しびれを切らしたマリキ政権はロシアに戦闘機の提供を求め、中古ではあるが、6月28日には5機の近接航空支援機Su-25がイラクへ運び込まれている。こうしたロシアの動きに刺激されたのか、アメリカは直後に軍事顧問団を送り込んだ。 ISはアル・カイダ系だが、リビアでもシリアでもアメリカ/NATOはアル・カイダ系の戦闘集団を「地上部隊」として使ってきた。イギリスのロビン・クック元外相も主張していたように、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リスト。ISもあるプロジェクトで集められた傭兵集団にすぎず、今回の空爆を見てアメリカとISとの敵対関係にあると即断するべきではない。 現在、アメリカと緊密な関係にあるイスラエルがガザで住民を虐殺、世界的に批判の声があがり、イスラエルの閣僚を戦争犯罪人として裁くべきだという主張も広がっている。ウクライナではアメリカ/NATOが操るネオ・ナチによる住民虐殺も、「西側メディア」の沈黙にもかかわらず、世界的に知られてきた。 日本のマスコミはオバマ政権がイラクでの殺戮を止めようとしている「白馬の騎士」であるかのように報じているが、アメリカ政府もそうしたイメージを広め、人びとの視線をイスラエルからISへ替えさせようとしているのかもしれない。ガザでの虐殺はイスラエルの同盟国であるサウジアラビアも批判せざるをえないほど人びとの怒りを買っている。
2014.08.08
ロシアのウラジミル・プーチン大統領は自国に「制裁」を科している国々、つまり日米欧に報復する決断をした。今後1年間農産品の輸入を禁止または制限するのだという。この段階まで報復しなかった理由はEUや日本がアメリカの暴走にブレーキをかけることを期待していたからだろうが、こうした国々の支配層はアメリカに抵抗できないことを確認し、踏ん切りをつけただけでなく、恐らく、アメリカが戦争を仕掛けてくるなら受けて立つと腹をくくった。 ロシアの報復を批判する声明をEUは発表したが、滑稽である。制裁が話題になり始めた直後から、経済制裁で最もダメージを受けるのはEUだと指摘されていた。ロシアはEUを必要としないが、EUはロシアが必要だからだ。これまでロシアが報復しなかったことを感謝しなければならない。 実は、アメリカの経済界も政府のロシア制裁には反対している。「西側」の経済がダメージを受けると認識しているからだが、そうしたことを気にしない勢力が現在のホワイトハウスを動かしている。戦争自体を目的としたり、ウクライナやロシアを乗っ取り、略奪したいと望んでいる欲望で目の眩んだ連中だ。 EUは声明の中でクリミアの併合とウクライナの不安定化を自分たちの「制裁」を正当化する理由として挙げているが、クリミアの住民が独立の道を選んだ理由はウクライナの選挙で選ばれた政権をネオ・ナチが前面に出たクーデターで倒されたことに危機感を感じたからであり、ウクライナを不安定化させているのもそのネオ・ナチやIMFの要求。そのネオ・ナチを操っているのがアメリカ/NATOだ。(これは本ブログで何度も書いてきたこと。)理由になっていない。 今回は農産物だけの話に止まっているが、エネルギーに波及するとEUは破綻する。現在、EUは天然ガスの3分の1以上をロシアからの輸入で賄っているのだ。これだけの量を補填する体制を数年で整えることはアメリカの能力を超えている。この程度のことはEUの「エリート」も理解していただろう。その上で、アメリカの命令に従ったのだ。 いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」で潰すべき潜在的ライバルとされた国々の中にはEUもロシアと同じように含まれていた。アメリカの立場から見るとロシアへの経済制裁は一石二鳥ということ。考えてみれば、第1次世界大戦や第2次世界大戦で戦場になったヨーロッパは衰退、それを利用して世界に君臨するようになったのがアメリカだ。 ロシア側から見ると、EUに替わる新たな天然ガスの販売先がすでに存在する。言うまでもなく中国だ。ロシアと中国は5月21日に天然ガスの供給契約を結び、今後30年間にロシアは中国へ毎年380億立方メートルを供給することになった。 中国としてもこの取り引きには大きな意味がある。アメリカは中国の石油や天然ガスの輸送ルートをいつでも断つことができるように、南シナ海での軍事力を強化している。日本の「シーレーン防衛」もそうした戦略の一環だろう。 そこで中国はミャンマーやパキスタンにパイプラインを建設しようとしてきたのだが、アメリカはミャンマーとの関係改善を図り、そうした動きを潰そうとしている。そうした状況の中、ロシアからの天然ガスを確保する意味は大きい。ロシアへ接近した中国に「制裁」を科すことはアメリカにとって自爆行為だが、それでもやりかねないのがネオコンと戦争ビジネス。早晩、中国もアメリカに対して持っている幻影を捨てなければならない時が来る。
2014.08.07
現在、世界は核戦争勃発の瀬戸際に立っている。アメリカ政府がロシア政府に対し、服従するか戦争するかと脅していることが原因だ。 脅せば屈すると考えているようだが、そうした相手ではない。このまま進めば戦争せざるをえなくなる。アメリカとロシアの戦争になれば、核兵器が使われる可能性はきわめて高く、そうなれば人類は死滅だ。 アメリカ軍は1945年8月6日にウラン235を使った「リトルボーイ」を広島市へ、また9日にはプルトニウム239を利用した「ファット・マン」を長崎市へ投下して多くの人を死傷させた。その年の末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われている。勿論、この数字は熱戦や急性障害の犠牲者にすぎず、晩発性の障害や遺伝的な影響は含まれていない。 通常、核兵器の威力を表現する場合に「TNT換算」を使う。そこには放射線の晩発性障害や遺伝的影響が含まれていないのだが、とりあえずの比較としてこの表現を使うと、リトルボーイは約15キロトン、ファットマンは約22キロトン。 それに対し、アメリカのICBM(大陸間弾道ミサイル)で使われている核弾頭W87(ミサイルに12個まで搭載可能)は300キロトン(475キロトンまで可能)、SLBM(潜水艦から発射する)のトライデントII用の核弾頭W88(ミサイルに8個搭載できる)は最大で475キロトン。ミサイル1基あたりに換算すると、それぞれ最大で5700キロトン、3800キロトンで、広島で使われた原爆に比べると、380倍と253倍だ。しかも配備されている核弾頭数はアメリカが1920発(合計では7315発)、ロシアが1600発(合計では8000発)だという。 2006年、フォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文で、アメリカは核兵器のシステムを向上させているのに対し、ロシアの武器は急激に衰え、中国は核兵器の近代化に手間取り、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしていた。 しかし、衛星の打ち上げをロシアに頼っているのがアメリカの現状。リーバーとプレスの分析が正しかったとしても、すでに過去の遺物なのだが、ネオコン(親イスラエル派)はこの分析が気に入っているようで、今でも適応できると信じているようだ。降り注ぐ放射性物質の影響も考えていない。 ネオコンは1991年にイラクをアメリカが攻撃した際、ジョージ・H・W・ブッシュ政権がサダム・フセインを排除しなかったことに怒ったが、その一方でソ連軍が動かなかったことに気を良くし、強気になった。ソ連が消滅直前だったという事情を無視、現在のロシアも脅せば怖じ気づくと考えているようだ。 今では米英の属国に成り下がったEUの支配層もそう信じている、あるいは信じたがっている。1999年にNATOがユーゴスラビアを攻撃、国を破壊した際にもロシア軍は動かず、軍事的な優位を確信したのだろうが、その年に「西側」の傀儡だったボリス・エリツィンが失脚、ウラジミル・プーチンの時代になってロシアが再建されていく。 この現実が「ロシアの富が欲しい」という欲ボケの「西側支配層」には見えず、核戦争へ向かって突き進んでいる。ジェームズ・ディーンが主演した映画「理由なき反抗」の中に「チキンゲーム」という一種の度胸試しのゲームが出てくるが、これをアメリカ政府が一方的に仕掛けている。「馬鹿馬鹿しいからやめろ」と諭すロシア政府をアメリカ政府は怖じ気づいていると解釈、アクセルを踏み込む始末だ。そのアクセルとして使われているのが「西側」のメディア。 何をしでかすかわからない「狂人」だと相手に思わせれば自分たちの思い通りにできるとリチャード・ニクソンは考え、「狂人理論」と名づけたらしいが、その「戦法」を使っているようにも見える。 こうした「チキンゲーム」、あるいは「狂人理論」もEUや日本が反対すれば実行できないのだが、反対していない。NSAにスキャンダルを握られているのか、買収されているのかは知らないが、そうした国々の「エリート」は核戦争で人類が死滅することより、自分たちの目先の生活水準を守ることの方が大事なようだ。 8月6日、平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が開かれたが、松井一実市長の「平和宣言」では「集団的自衛権」に触れなかった。安倍晋三首相は「わが国には『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」と挨拶したというが、その責務を果たす意思など微塵もないことは明らか。安倍首相はアメリカが突き進む核戦争を支えるために集団的自衛権の行使容認を閣議決定したのだ。 広島平和記念公園にある「原爆死没者慰霊碑」の中央には石棺があり、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれているが、むなしく響く。1971年以来、43年ぶりに雨の式典になったというが、象徴的な出来事のようにも思える。
2014.08.07
8月に入り、キエフ政権が東部地域へ派遣した第72独立機械化旅団の兵士、438名が投降してロシア領へ入ったという。これまでも数人、あるいは数十人の単位で投降していたが、その規模が大きくなっている。投降しなかったのはポーランド人傭兵くらいだという。 2月のクーデターでキエフを押さえた勢力は「西側」の巨大資本を後ろ盾とするオリガルヒ(一種の政商)とアメリカ/NATOから支援されてきたネオ・ナチ。それまで暴動と向き合っていた治安部隊は解体され、新体制に忠誠を誓えないと考える軍の将兵は少なくなかった。クリミアで事実上、戦闘がなかったのはそのためだ。 そこで、当初からクーデター政権は軍を信頼していなかったようで、2月の段階で議会は6万人規模の国家警備軍(親衛隊)を創設する法律の制定を採択、そのメンバーの中心はネオ・ナチが収まっている。その一方、ネオ・ナチの一角を占める右派セクターは約800人の準軍事組織「ドンバス」を創設した。 東部や南部の民族浄化作戦で黒幕的な存在だとされているドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事も私兵を組織している。アゾフ、アイダル、ドンバス、ドニエプルの4部隊で、ドニエプルは約2000名規模だという。コロモイスキーはアメリカの傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員を雇っているようだ。 こうしたネオ・ナチ系の武装集団だけでは足りず、アカデミの傭兵約400名やポーランドの軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加、1995年から2005年にかけてポーランド大統領の治安担当顧問だったイエルジ・ドボルスキは指揮官としてウクライナへ入り、スラビヤンスクでアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行と並んで座っているところを写真に撮られている。 アメリカ政府もキエフ政権を露骨に肩入れしていて、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだほか、国防総省は「戦略と政策の専門家チーム」、つまり軍事顧問団をキエフへ派遣すると発表している。それだけでは足りないと判断したらしいバラク・オバマ政権はウクライナの親衛隊を軍事訓練するようで、教官はアメリカ欧州軍やカリフォルニア州兵が派遣するという。キエフの軍事組織は「侵略軍」の様相を強めてきた。 ところが、これまでキエフ政権の軍事/治安部門を統括してきた国家安全保障国防会議のアンドレイ・パルビー議長がアルセニー・ヤツェニュク首相と同じように辞意を表明したと伝えられている。パルビーはネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設したひとりで、クーデターの際に狙撃を指揮していたのもこの人物だと見られている。 こうした実態を「西側」も知っていた。例えば、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は、EUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者でイギリス人)へ電話で次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 この報告を受け、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と返した。「国境なき巨大資本」のプランを実現するため、事実を隠蔽して自分たちに都合の良い議会を守るべきだと言っているわけだ。 ヤツェニュクやパルビーなどアメリカ/NATOが最も重要視している人物が辞意を表明したということはキエフの現政権に「西側」は見切りをつけ、新たな体制を考えているのかもしれないが、現在のキエフ情勢を見ると、よりナチス的な体制になる可能性が高い。 ただ、その足下は崩れ始めている。キエフ軍から離脱者が出ている理由は同胞を殺したくないということもあるのだが、兵站の決定的な不足も大きな要因。軍の内部だけではなく、社会全体に民族浄化に疑問を持つ人が増えているという報告もある。 さらに、EUに幻想を抱いている人びとがIMFが押しつける条件が自分たちの生活を破壊するということに気づくのも時間の問題。冬に向かい、米英の支配層に屈服しているEUも厳しいことになる。ここでEUがロシアへ再接近したなら、米英は一気にロシアを先制核攻撃する可能性もある。第2次世界大戦の後、米英の好戦派が夢見てきたことだ。
2014.08.05
ジョン・ケリー米国務長官の通話をイスラエルの情報機関が盗聴していたとドイツのスピーゲル誌が報じている。中東の和平交渉を監視することが目的だったようだが、アメリカの電子情報機関NSAが生データをイスラエルへ提供していることはすでに知られていること。NSAは全ての通信を傍受、記録している。興味深いのは、この時点でこうした情報を「西側」のメディアが報じたことだ。 イスラエルの電子的な情報活動は「8200部隊」が中心になって行われている。この部隊に所属していた将兵が「民間企業」を設立、そうした企業群を含む「8200共同体」のようなグループを編成して活動し、アメリカの通信システムの中にも食い込んでいると言われている。8200部隊の出身者が興した会社は30から40に達し、そのうち5から10社はウォール街に上場されているという。 2011年にエジプトで反政府活動が盛り上がった際、政府はインターネットや携帯電話を使用不能な状態にしている。NARUSという会社がエジプト・テレコムに提供していたDPIを使ったのだが、この装置はインターネットや携帯電話を利用している人々の通信内容を調べ、目標を絞って追跡することができるという。NARUSもイスラエルで設立された会社で、後にアメリカのカリフォルニアへ拠点を移動させている。 2012年にはイランの核関連施設のシステムで不正プログラムが発見された。スタックスネットとフレームだが、この「サイバー兵器」を開発したのはアメリカとイスラエル、つまりNSAと8200部隊を中心とするグループだと伝えられている。核事故を起こさせようとしていた可能性が高い。 フレームは侵入したコンピュータ・システムに関する情報を入手して外部に伝える不正プログラムで、LANやUSBスティックを介して伝染すると見られている。2010年夏に見つかったスタックスネットはコンピュータ・システムを破壊することができ、フレームのプラグインだったという。つまり、両プログラムは同時期に、少なくとも情報を交換しながら開発されたということになる サイバー兵器で外国を先制攻撃するように命令する広範な権限をバラク・オバマ米大統領は手にしたそうだが、そのサイバー攻撃でイスラエルと手を組んでいる。言うまでもなく、世界で最も盛んにサイバー攻撃を仕掛けているのはアメリカとイスラエルだ。このことを伝えていないとするならば、それはアメリカのサイバー攻撃を肯定しているからにほかならない。 こうしたサイバー兵器だけでなく、アメリカの軍や情報機関はコンピュータ・システムやインターネットを舞台にした工作を続けてきた。例えば、1970年からアメリカとイギリスはECHELONという通信傍受システムを使って情報を集めている。このシステムを動かしていたのがアメリカのNSAとイギリスのGCHQを中心とするアングロ・サクソン系5カ国の情報機関で組織されるUKUSA。このシステムの存在は1988年にイギリスのジャーナリスト、ダンカン・キャンベルが明らかにしている。 NSAの存在と活動内容が知られるようになったのは1972年のこと。NSAの元分析官がランパート誌で内部告発、その中でNSAは「全ての政府」、つまり「友好国」も監視していることを明らかにした。今ごろになって「西側」の閣僚が自分の携帯電話をNSAに盗聴されていたことを知って驚き、怒るというのは奇妙な話なのである。間抜けなのか、演出なのか、どちらか。勿論、政治家だけでなく、記者/編集者も知っていなければおかしいわけで、こうした情報を伝えてこなかったとするならば、間抜けなのか、腰抜けなのか、鼻薬を嗅がされているか、どれかだろう。 アメリカとイスラエルはデータベースへの侵入でも手を組んでいる。1980年代に各国政府や国際機関へ「バックドア」を仕込んだシステムを売り込み、情報を収集しはじめているのだ。 その一例がPROMISというシステム。INSLAWという会社が開発したのだが、アメリカの司法省が横領(破産裁判所と連邦地裁が出した判決でそう認定。下院司法委員会も報告書の中で同じように判断)し、「バックドア」を組み込んで売ったのだ。 このシステムの能力が高いことは日本でも認識、法務総合研究所が1979年と80年に概説資料と研究報告の翻訳を『研究部資料』として公表している。この当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫であり、その下で実際にINSLAWと接触していたのは敷田稔だ。原田は法務省刑事局長の時に「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任、敷田は名古屋高検検事長になっている。ただ、日本のマスコミや「市民活動家」はこの問題に触れることを嫌っていた。 エドワード・スノーデンが持ち出した情報のひとつをグレン・グリーンワルドは8月4日に公表したが、それでもアメリカがイスラエルに対し、パレスチナ人の監視情報、攻撃に必要な資金や武器を提供していることが確認できる。アメリカ政府はガザでの虐殺の少なくとも共犯者だということだ。
2014.08.04
有名な中国の兵法書、『孫子』は「兵は詭道なり」と説いている。戦争とは騙し合いだということのようだが、この「詭道」をモットーにしているのがイスラエルの情報機関、モサド。アメリカも嘘を多用してきた。例えば、1898年にラテン・アメリカへ軍事侵攻する口実に使った「メイン号爆沈事件」やベトナムへ本格的な軍事介入をするために仕組んだトンキン湾事件。 また、ユーゴスラビアを破壊するときには人権、イラクへ先制攻撃するときは大量破壊兵器、リビアやシリアでは民主化運動弾圧、イランは核兵器開発、ウクライナではネオ・ナチを使ったクーデターやその後の住民虐殺を民主化であるかのように宣伝している。ちなみに、日本軍の真珠湾攻撃は実際に日本軍が奇襲攻撃したのであり、これを含めることはできない。 要するに、侵略するときも「正当な理由」があるかのように演出してきたのだが、ここにきて嘘を連発しすぎて人びとに信用されなくなってきた。勿論、騙された振りをしていた方が自分たちの利益になると考えている人も少なくないようだが、かつてのような影響力はない。 好戦派も嘘を言うのに飽きたのか、余裕がなくなったのか、ネオコン(親イスラエル)の米上院議員、リンゼイ・グラハムは、口だけとはいうものの、ガザでの虐殺を批判する国連に対して「黙れ」と演説の際に叫んでいる。追い詰められ、威嚇して窮地から逃れようとしているように見える。 イスラエルが使う究極の威嚇手段は核兵器である。1970年にエジプトのガマール・アブデル・ナセル大統領が52歳の若さで心臓発作のために急死、その跡を継いだのがヘンリー・キッシンジャーの傀儡だったアンワール・サダト。キッシンジャーはエジプトを勝たせる戦争を行い、ナセルの影響力を弱め、サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げてイスラエルにもプレッシャーをかけようとした。そして1973年に第4次中東戦争が勃発する。 窮地に陥ったイスラエルでは核兵器の使用が検討され、モシェ・ダヤン国防相は核攻撃の準備をするべきだと強く求めたとされている。アメリカはイスラエルの反撃を支援するために物資を供給してバランスを図り、停戦に持って行こうとするのだが、イスラエルの機動部隊がスエズ運河を越えてエジプト軍の背後に回り込みはじめ、状況が一変してエジプトが厳しい状況になる。 その段階でキッシンジャーはイスラエルから停戦の内諾を得るのだが、実際には攻撃を止めない。そこでソ連はイスラエルが停戦の合意を守らないなら軍事介入するという姿勢を見せ、アメリカ側では「赤色防空警報(核戦争)」が出された。サダトを英雄にしようとして始めた戦争が全面核戦争へ移行する可能性が出てきたのだ。イスラエルのダヤン国防相は核攻撃の準備を始め、目標をダマスカスとカイロに定めたという。イスラエルへの支援に消極的なリチャード・ニクソン米大統領を恫喝したという見方もある。恐らく、今でもイスラエルは核兵器をアメリカに対する脅しとしても使っているだろう。 本ブログでは何度も書いているが、アメリカの好戦派は第2次世界大戦後、先制核攻撃を目論んできた。最初の山場が1963年。これはジョン・F・ケネディ大統領が体を張って阻止した。21世紀に入ってまた核攻撃熱がアメリカでは高まり、2006年にフォーリン・アフェアーズ誌へ掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文は、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できると主張している。 第4次中東戦争の際、ソ連は軍事介入の動きを見せたが、湾岸戦争のときにはそうしたことはなかった。それを見て強気になったのがネオコンで、その後もロシアはアメリカが脅せば怖じ気づくという前提でプランを立てているようだ。アメリカの属国になるか、核戦争で消滅するかとロシアを脅しているつもりだが、今のロシアは屈服しないだろう。第4次中東戦争の時もそうだったが、「想定外」の展開で核戦争になる可能性は決して小さくない。 こうした状況の中でエボラ病が広がり、患者をアメリカ本土へ運んだことへ疑いの眼差しを向ける人もいる。非常に危険なウイルスを自国へ持ち込めば環境中へ漏れる可能性があるわけで、それを口実に戒厳令を布告するのではないかいう推測もある。また、感染地帯で何らかのエボラ病に関する実験をしていた細菌戦の専門家が実験を中止するという情報も疑惑のひとつになっている。迷走中のアメリカだけに、不安に感じる人は少なくないだろう。
2014.08.03
アメリカの生産システムは破綻、ドルも基軸通貨としての地位が揺らぎ、NSAを使った情報収集や相場操縦にも限界がある。ニューヨーク連銀やケンタッキー州フォート・ノックスにある財務省管理で保管しているはずの各国が保有する金塊も消えてしまった可能性が高く(何度か書いたことなので、詳細は割愛)、支配システムは崩壊寸前。「唯一の超大国」という幻影を追いかけるアメリカの支配層は他国を軍事力で脅し、場合によっては攻め込み、資源や資産を盗んで立て直そうと必死だ。 その強奪計画が描かれたのは1992年のこと。その当時、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になって作成されたDPG(国防計画指針)の草案では、旧ソ連圏をはじめとする潜在的なライバルを力で潰し、資源を押さえ、アメリカが支配する世界秩序を築こうとしている。先制攻撃も辞さないという姿勢だ。これがいわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。 1991年にアメリカはイラクを攻撃(湾岸戦争)したが、当時のジョージ・H・W・ブッシュ政権はサダム・フセインを排除しないまま、停戦した。元々フセインはCIAが使っていた人物であり、フセインを排除した場合の混乱を嫌ったのだろうが、その決定にネオコン(親イスラエル派)は強く反発する。1980年代からネオコンやイスラエルはフセインの排除を目論んでいたのだ。 その一方、この湾岸戦争でソ連軍が出てこなかったことでネオコンは強気になった。そして翌年のドクトリン、そして現在の強硬姿勢につながるのだが、当時は消滅寸前のソ連。状況が違う。 2006年にフォーリン・アフェアーズ誌が掲載したキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカが核兵器のシステムを向上させているのに対し、ロシアの武器は急激に衰え、中国は核兵器の近代化に手間取り、相対的にバランスが大きく変化、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしている。これもボリス・エリツィン時代に破壊されたロシアを前提にしている。 1991年から99年までロシアの大統領を務めたエリツィンは「西側」の巨大資本に操られていた人物で、新自由主義に基づく政策でロシアを破壊してしまった。オリガルヒと呼ばれる富豪を生み出す(恐らく、日本の「エリート」が新自由主義を推進、TPPを締結したがる理由はここにある)一方、大多数の国民を貧困化、国のシステムもズタズタにされたのである。 この段階で「西側資本」はロシアを属国にしたと考えたようだが、ウラジミル・プーチンが実権を握ると政府に従わないオリガルヒを追放、あるいは拘束してロシアの立て直しに着手する。追放されたオリガルヒのひとりがチェチェン・マフィアを後ろ盾とするボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンへ改名)。その下で働いていたロシアの元情報機関員がアレクサンドル・リトビネンコ。 ベレゾフスキーはイギリスへ亡命したが、イスラエルへ逃げたオリガルヒ仲間も少なくない。リトビネンコは2006年に放射性物質のポロニウム210で毒殺されたのだが、その数週間前にイスラエルを訪れている。ロシアの石油会社ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンとイスラエルで会ったのだ。ベレゾフスキーもイスラエルとの関係は深く、少なくとも一時期、イスラエルの市民権を持っていたことがある。 リーバーとプレスの論文が出たことでもわかるように、2006年はアメリカでロシアを先制攻撃しようという気運が高まっていた時期。アレクサンドル・リトビネンコの弟、マキシムによると、その直前に兄はロシアへ戻ろうとしていた。 「西側」のメディアはプーチンがアレクサンドルを殺させたとするキャンペーンを展開したが、殺す意味が見いだせない。父親のボルテルは、死の直前に息子が書いたというメモが不自然だともしている。そのメモは非の打ち所のない詩的な英文で、息子の英語力にそぐわず、誰か別の人物が書いたと疑っている。 ボルテルとマキシムの親子が怪しんでいる人物がベレゾフスキー。亡命後、この人物はメディアの世界に君臨するルパート・マードックや「ジャンク・ボンド」で有名なマイケル・ミルケンと親しく、大統領になったジョージ・W・ブッシュの弟でS&L(アメリカの住宅金融)のスキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュとは共同でビジネスを展開している。中でも目に引く友人はジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナサニエル・ロスチャイルド。 イギリス、イスラエル、チェチェンをつなぐイスラエル(シオニスト)系オリガルヒのネットワークに関する秘密をアレクサンドル・リトビネンコは知りすぎるほど知っていたはずだ。しかもイギリスの情報機関の仕事をしていたほか、シチリアのマフィアを通じてCIAともつながり、このネットワークにはアメリカを動かしているネオコンも含まれている。 後にベレゾフスキーは経済的に苦しくなり、ロシアへ戻る意思を示すが、そうした中、2013年3月にイギリスで「自殺」する。勿論、ベレゾフスキーもイスラエル(シオニスト)系オリガルヒのネットワークについて熟知していた。 現在、ウクライナの東部や南部で展開されている「民族浄化」の黒幕はドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事だと言われている。勿論、その背後にはネオコンがいるわけだが、重要な役割を果たしていることは間違いない。アメリカの傭兵も雇っているだけでなく、アゾフ、アイダル、ドンバス、ドニエプルという私兵も組織、その戦闘員がオデッサの虐殺で主力だったともいう。このコロモイスキーもイスラエル系オリガルヒだ。
2014.08.02
72時間の停戦が宣言された段階でイスラエル軍に殺されたガザ市民は1650名以上に達したという。6月に西岸で3名のイスラエル人ティーンエイジャーが殺害された責任をハマスに押しつけてイスラエル軍はガザへ軍事侵攻、6カ所の国連が運営する学校も破壊された。3300名が避難していたジャバリアの学校では多くの子どもが犠牲になり、この状況を説明していたUNRWA(国連難民救済事業機関)の広報官は途中で泣き崩れている。 さすがにイスラエルを批判する声は世界に広がり、欧米の支配層も無視できない状況。アメリカ政府も非難せざるをえなくなるが、その一方で相変わらず武器/兵器をイスラエルへ供給し続けている鉄面皮。 7月23日に国連人権理事会の緊急会合でイスラエル軍の攻撃を非難し、国際調査団の派遣を求める決議案を採択しているが、その際、反対した唯一の国がアメリカ。日本はEU諸国と同じように棄権している。反対するわけにはいかないが、アメリカとイスラエルが怖くて賛成はできなかったということだろう。 ところで、ハマスはティーンエイジャーの殺害を認めていない。認める声明を出しているのはIS(ISIL、ISIS、IEILとも表記される)に忠誠を誓っているグループ。そのティーンネイジャーだけでなく、イスラエルの兵士や市民を殺害したとしている。少なくともハマスが実行したとする根拠はなく、単にイスラエルはガザへ軍事侵攻して住民を殺し、建造物を破壊したかったのだと考える人は少なくない。 現在、ISISを動かしているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だとされているが、長い間、アル・カイダ(スンニ派の傭兵)を指揮していたのはバンダル・ビン・スルタン、通称バンダル・ブッシュ。つまりジョージ・H・W・ブッシュやジョージ・W・ブッシュと「親戚付き合い」をしているということだ。 スルタンは駐米大使や総合情報庁長官を務めていたが、化学兵器の使用を口実にシリアへ軍事侵攻するというプロジェクトを失敗し、自身がアメリカやイスラエルとの関係が広く知られるようになるる。その後、「健康上の理由」で背後へ隠れたが、ほとぼりが冷めたと判断したのか、国王の顧問として復活したようだ。 2001年9月11日以降、アメリカ政府が「テロリスト」の象徴として使ってきた「アル・カイダ」は、ロビン・クック元英外相も指摘していたように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストにすぎない。 ISはいくつかのグループが集合して編成された武装集団だが、その源流は2004年に組織されたアル・カイダ系の団体。一般にAQIと呼ばれている。この集団を率いていたのがアブ・ムサブ・アル・ザルカウィ。2006年1月にAQIはいくつかのグループを吸収するのだが、その年の6月にアル・ザルカウィは殺されたと言われている。その直後にリーダーとして名前が出てくるのがアブ・バクル・アル・バグダディだ。 多くのイスラム教スンニ派の戦闘員と同じように、アル・ザルカウィはアメリカの軍や情報機関がアフガニスタンでソ連軍と戦わせるために組織した武装集団に所属していた。つまり、CIAに雇われて訓練を受けた「ムジャヒディン」のひとり。 バーレーンのガルフ・デイリー・ニューズ紙によると、NSAの内部告発者エドワード・スノーデンが持ち出した資料には、イギリス、アメリカ、そしてイスラエルの情報機関がISを創設、そのリーダーであるアル・バグダディはイスラエルの情報機関モサドの訓練を受けたという。現段階では真偽不明の情報だが、十分にありえる話だとは言える。 トルコの司法当局や警察によると、ISはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したのだというが、トルコはNATOの一員であり、アメリカやイスラエルの指揮下にあるので矛盾とは言えない。 少なくとも現在、ISの雇い主はサウジアラビア王室の一員であり、サウジアラビア王室はアメリカやイスラエルと緊密な関係にある。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはアフガン戦争時代から同盟関係にあり、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号で書いた記事によると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。言うまでもなく、アメリカとイギリスは緊密な関係にある。 イスラエルのガザへの攻撃でハマスが弱体化した場合、このISがガザに入ると警告する人がいるのだが、ハマスの創設にもイスラエルが関与していた。 かつて、パレスチナの解放闘争はヤシル・アラファト議長が率いるPLOが中心になっていた。このアラファトに対抗させるため、イスラエルが目をつけたのがムスリム同胞団のアーマド・ヤシンで、ガザにおける同胞団の責任者になる。1970年頃のことだ。 1973年に彼はシン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、活動を始め、76年にはイスラム協会を設立している。1977年の選挙で軍事強硬派のリクードが勝利すると、イスラエル政府はイスラム協会を人道的団体として承認する。その一方でムスリム同胞団はサウジアラビアからの資金援助を受けて勢力を拡大、1987年にハマスを創設した。2004年にアラファトが死亡するとPLOは衰退、その2年後にハマスはパレスチナ議会の選挙で勝利している。 今、イスラエルはこのハマスを排除しようとしている。ガザをイスラエルが制圧するつもりなのか、あるいは傀儡のISにガザを支配させようとしているのかは不明だが、いずれにしろパレスチナ人にとって状況はさらに悪くなる。
2014.08.02
マレーシア航空17便を撃墜したのはブーク防空システムのミサイルではなく、キエフ軍の近接航空支援機Su-25が撃墜した可能性が強まっている。地元住民がそう証言していることはBBCロシアの取材陣も映像に記録、しかも旅客機の残骸にそうした痕跡が残っているからだ。OSCE(欧州安全保障協力機構)の調査官も同じ指摘をしていた。 そうなると、アメリカ/NATOの傀儡政権に反対している住民側の武装勢力がブーク防空システムで撃ち落としたというアメリカ政府の主張が崩れ、責任は傀儡政権側にあるということになる。この事件を利用してロシアを批判、「制裁」を強化することができないだけでなく、嘘でロシアを攻撃していたことになり、自らも窮地に陥る。 勿論、ベトナムで本格的な戦争を始める口実になったトンキン湾事件にしろ、ユーゴスラビアを破壊する理由にした「人道」にしろ、イラクを先制攻撃した「大量破壊兵器」にしろ、リビアやシリアの「民主化運動弾圧」にしろ、全て嘘だった。イランやウクライナでも嘘で体制転覆を狙っている。 こうした嘘が有効な理由は、強大な「西側メディア」が存在し、その嘘を広めているからにほかならない。日本のマスコミはそうした中でも群を抜いて忠実なプロパガンダ機関だ。戦前戦中と何ら替わらない。 連続して書いていることで恐縮だが、残骸の写真から撃墜されたのはMH17(9M-MRD)ではない可能性が高い。おそらくMH370(9M-MRO)ではないかと見られているが、そうだとすると、入れ替えた理由は何なのかということになる。 ひとつの可能性は、ブラックボックスの入れ替え。すでに反ロシア勢力のイギリスがブラックボックスを押さえたので、9M-MRDに搭載されていたものと入れ替えることは可能だろう。そこにアメリカのシナリオに沿ったデータを記録させていれば、ロシア攻撃に使える。
2014.08.01
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