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いまだにウクライナでの戦闘はロシアが始めたと宣伝するメディアが存在する。「戦時プロパガンダ」なのだから仕方ないと言う人もいるが、短期的に見てもアメリカの支配層がウクライナを制圧する戦争を始めたのは2004年から05年にかけて行われた「オレンジ革命」だ。 2004年の大統領選挙でウクライナの東部と南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチの大統領就任を阻止するため、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は「カラー革命」を仕掛けた。 東部と南部はソ連時代にウクライナへ割譲された地域で、住民の意思は反映されていない。そこに住む人びとの大半はロシア語を話し、宗教は東方正教会、文化はロシアに近い。ウクライナ後を話し、カトリックを信仰、ヨーロッパに親近感を感じている西部とは全く違う。 オレンジ革命で大統領になったビクトル・ユシチェンコは元銀行員の新自由主義者で、国民の富を盗み、欧米の巨大資本へ渡していた。その過程で自分の懐へ富を入れたウクライナ人はオリガルヒと呼ばれるようになる。この流れはソ連消滅後のロシアと同じだ。 その結果、ウクライナの庶民は貧困化し、2010年の大統領選挙では再びヤヌコビッチが勝利、大統領になる。その際、東部や南部では70%以上の有権者が彼に投票、ドンバス(ドネツクやルガンスク)では90%以上がヤヌコビッチに投票した。 アメリカ大統領は2009年1月からバラク・オバマ。その政権で国務長官に就任していたヒラリー・クリントンは2010年7月にキエフを訪問、ヤヌコビッチに対してロシアとの関係を断ち切り、アメリカへ従属するように求めたが、ヤヌコビッチに拒否される。 そこでバラク・オバマ政権はクーデターでヤヌコビッチ政権を倒すことに決定、その計画は2013年11月に始動する。その手先になったのはステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチ。チェーン、ナイフ、棍棒を手にしながら石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、スナイパーを使って広場にいた警官や住民を射殺、その責任を政府になすりつける。 2月22日にヤヌコビッチ政権は倒されるが、25日に現地入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は調査の結果、クーデター派が狙撃したとEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告している。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。」だとした上で、「スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合(クーデター政権)の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。この報告をアシュトンはもみ消した。 クーデターの舞台になったのはキエフだが、東部や南部の住民は当然のことながら、クーデター政権を拒否する。ヤヌコビッチが排除される前、一部のヤヌコビッチを支持する住民はキエフへ入るが、ネオ・ナチが跋扈する状況を知ってあきらめ、ロシアに保護を求める。そこでクリミアの住民は2014年3月16日にロシアと統合を問う住民投票を実施した。その結果、80%を超える住民が投票に参加して95%以上が加盟に賛成している。 ドネツクやルガンスクで反クーデターの動きが強まり、クリミアに続く可能性が高まったことからキエフのクーデター政権は右派セクターなどのネオ・ナチを利用して5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺。その3日後に内務省の親衛隊で中核になる「アゾフ大隊」が組織されるが、中心になるのはネオ・ナチの右派セクターだ。そして5月9日にマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を虐殺した。 そうした中、5月11日にドンバスで自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施され、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は助けなかった。戦乱の拡大を嫌ったと言われているが、結果としてその決断が戦乱を拡大させることになる。 アメリカの支配層がウクライナにロシアと友好的な関係を築きそうな政権ができることを許せないのは、彼らの対ロシア戦略と深く関係している。ロシアを征服し、抵抗できないように分割したいのだ。 バンデラは第2次世界大戦当時に活動、ナチスと手を組み、ロシア人やユダヤ人を殺しているが、その根底には北欧神話がある。ネオ・ナチにとってスラブ民族は劣等種であり、除去すべき対象だ。こうした考えに「科学」の衣をまとわせたものが優生学。その思想をドイツのナチスも信仰していた。 優生学の創始者とされているフランシス・ゴールトンは『種の起源』で知られているチャールズ・ダーウィンの従兄弟にあたる。ダーウィンはトーマス・マルサスの『人口論』から影響を受け、「自然淘汰」を主張していた。ちなみに、最近ではダーウィンの仮説に否定的な研究が発表されている。せいぜい進化の一部を説明しているだけだということだ。 当時、この考え方はイギリスの支配階級に広まっていたようだが、その中にはセシル・ローズも含まれていた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に『信仰告白』を書いている。 その中で彼はアングロ・サクソンを最も優秀な人種だと位置づけ、その領土が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するとしている。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877) こうした考えをローズは彼のスポンサーだったナサニエル・ド・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナー、ロバート・ガスコン-セシル、アーチボルド・プリムローズたちへ説明したとされている。その後、プリムローズの甥にあたるアーサー・バルフォアもローズのグループへ入った。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) このグループに入っていたとみられる地理学者のハルフォード・マッキンダーは1904年に「歴史における地理的要件」という論文を発表したが、その中でユーラシア大陸の海岸線を支配して内陸部を締め上げ、ロシアを征服するという長期戦略を示している。この戦略を可能にしたのがスエズ運河の完成だ。その近くにシオニズムの信奉者がイスラエルを建国することになるが、このシオニズムは19世紀にイギリスで誕生した。 その戦略はアメリカへ引き継がれ、今でも生きているようだ。「封じ込め政策」のジョージ・ケナン、「グランド・チェスボード」を書いたズビグネフ・ブレジンスキーもマッキンダーの影響を受けている。 ローズはロスチャイルドの支援を受けて南部アフリカを侵略し、巨万の富を築いた。その遺産を利用して1903年に作られた奨学制度では、奨学生に選ばれると学費を生活費が提供され、オックスフォード大学の大学院で学ぶことができる。 このオックスフォード大学にある学生結社「ブリングドン・クラブ」が現在の好戦的な政策に関係していることは本ブログでも書いた。例えばボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、トニー・ブレアといった後の政治家、そして金融界に君臨しているナット・ロスチャイルド、あるいはポーランドのラデク・シコルスキー元外務大臣などが結社のメンバーだった。 イギリスの支配層がターゲットにしてきたロシアにもこのクラブの出身者はいる。例えば、ロシアを第1次世界戦争へ引き込む上で重要な役割を果たしたフェリックス・ユスポフや第2次世界大戦でアメリカの情報機関OSSに入っていたセルジュ・オボレンスキーなどだ。 ローズ後、この人脈はアルフレッド・ミルナーを中心に活動し、ミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を組織した。この組織は形式上、1919年5月にパリのホテルで開かれたイギリスとアメリカの専門家が集まった会議で創設されとされているが、その会議へイギリスから出席した人はミルナー・グループが大半で、アメリカ側はJPモルガン系の人たち。カーネギー財団もミルナー・グループと緊密な関係にある。 優生学はイギリスからアメリカへ伝わり、イギリス以上に社会へ大きな影響を与えることになる。アメリカにおける支援者の中心はカーネギー財団、ロックフェラー財団、そしてハリマン財閥のマリー・ハリマンで、優生学に基づく法律も作られた。 優生学の信奉者はアングロ・サクソンだけでなく、ドイツ系や北方系の人種が優秀だと主張、スラブ民族や有色人種など劣等な種を「淘汰」するべきだと考える。そうした考えに引き寄せられたひとりがアドルフ・ヒトラーだ。ウクライナのネオ・ナチも北方神話を信奉、その考えを体に入れ墨しているメンバーが少なくない。 これがクーデター後のウクライナでロシア語系住民を「浄化」しようとした背景であり、ウクライナのネオ・ナチがナチス時代のドイツと同じように障害者を虐待するのは必然だ。ネオ・ナチは米英の優生学と深く結びついている。「全体主義」なるタグを持ち出すことは間違いであり、アメリカやイギリスを支配する人びとの本性を隠す行為だと言えるだろう。
2022.12.31
ウクライナ政府によると、12月29日にロシアの航空機や艦船から巡航ミサイルの攻撃を受けた。大統領府長官の顧問を務めるミハイロ・ポドリャクはミサイルの数を120機と主張、バレリー・ザルジニー総司令官はロシアが発射したミサイル69機のうち54機を撃墜したとし、キエフ当局は飛来した16機全てを撃ち落としたとしているが、電力の供給システムは少なからぬダメージを受け、キエフの40%、リビウの90%が電力の供給を受けられない状態になっていると伝えられている。ミサイルを撃ち落としたが、ミサイルによって電力を供給するシステムが破壊されたということのようだ。ウクライナ各地で兵器庫や防空システムなど軍事施設が破壊されているとも報告されている。つまりウクライナ政府の主張には説得力がない。 西側では3月の段階でロシア軍がミサイルを使い果たしたと宣伝しているが、ミサイルは発射され続けている。イランや朝鮮から調達していると主張して整合性を図ろうとしているが、説得力はない。おそらく西側のメディアはジョー・バイデン政権につながる情報源からレクチャーを受けているのだろうが、それが間違っているということだ。バイデン政権がロシアを過小評価、その戦闘力や生産力を見誤ったとも言える。 アメリカには敵を過小評価する傾向がある。欧米支配層と深いつながりがある外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張している。先制攻撃でロシアと中国を破壊できる日は近づいていると彼らは考えていたのだが、これは間違っていた。 この論文が出された翌年の8月、核弾頭W80-1を搭載した6機の巡航ミサイルAGM-129が「間違い」でノースダコタ州にあるマイノット空軍基地からルイジアナ州のバークスデール空軍基地へB-52爆撃機が運ぶという出来事があった。 ソ連や中国を簡単に捻り潰せると考えた理由のひとつはロシアの軍事力や経済力を破壊したことにある。1991年12月にアメリカはソ連を消滅させ、ロシアを従属させることに成功した結果だ。ジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIA人脈がソ連の情報機関KGBの幹部を買収、「ハンマー作戦」を成功させたのだと言われている。 ソ連を解体、残された富を欧米の巨大資本は略奪するが、その際、ソ連政府が保管していた金塊も盗んだ可能性が高い。ソ連消滅の直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)に保管されていた金塊2000トンから3000トンが400トンに減っていたのだ。金塊の盗み出しにはCIAやKGBの幹部やOBが関与していたと言われているが、エドモンド・サフラなる人物の名前も出てくる。サフラはウィリアム・ブラウダーとヘルミテージ・キャピトルを創設したことでも知られている。 ブラウダーはソ連消滅後のロシアで大儲けしたひとりだが、ロシアの裁判所は2013年7月、本人が欠席したまま脱税で懲役9年の判決を言い渡している。2017年10月にロシア当局はブラウダーを国際手配、アメリカ議会は反発し、インターポールはロシアの手配を拒否した。 ロシアの検察当局がアメリカの当局に対して事情聴取を正式に申し入れた中には、2012年1月から14年2月までロシア駐在大使を務め、12年のロシア大統領選挙に対する工作を指揮したマイケル・マクフォール、NSAの職員でブラウダーと親しいトッド・ハイマン、アメリカにおけるブラウダーのハンドラーだとされているアレキサンダー・シュバーツマンが含まれている。そのほか、MI6の「元」オフィサーで「ロシアゲート」の発信源であるクリストファー・スティールからもロシア側は話を聞きたいとしていた。 ところが21世紀に入るとロシアは軍事力と経済力を「ワープ・スピード」で回復させた。ソ連圏の解体で安全保障上脆弱になったが、養わねばならない国がいなくなったことでロシア人の稼ぎをロシア人のためにつかうことができるようになったためだとも言われている。ウクライナでの戦争によって、ロシアの経済力が強いことが証明された。
2022.12.30
ベラルーシで戦略ミサイル・システムの「イスカンダル」と防空システム「S-400」が実戦配備されたと発表された。ベラルーシはウクライナと同様、ロシアへ攻め込んだ際のルートのひとつ。ベラルーシでアメリカ/NATOがクーデターを目論んだのは侵攻作戦の一環だ。そこへロシアがイスカンダルやS-400を提供した。 ウラジミル・プーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)、ヘルソン、ザポリージャをロシアの一部にすると宣言、9月21日には部分的な動員を実施すると発表した。11月25日には早くドンバスを併合していれば市民の犠牲者は少なくて済んだと後悔していると大統領は兵士の母親との会合で語っている。併合はドンバス周辺の住民が願っていたことだ。 ドンバスを含むウクライナの東部や南部はソ連時代にロシアから割譲され地域で、ロシア語を話し、東方正教会の信者が多い。2010年の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチの支持基盤で、70%以上がヤヌコビッチに投票している。 ヤヌコビッチはアメリカへの従属を拒否する立場の人物で、アメリカからは嫌われていた。選挙から間もない2010年7月にバラク・オバマ大統領は国務長官だったヒラリー・クリントン国務長官をキエフへ派遣、ロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めたが、拒否される。そこからオバマ政権のクーデターを決断したと言われている。その計画が動き始めたのは2013年11月、翌年の2月にはネオ・ナチが暴力的なクーデターでヤヌコビッチ政権を倒した。 しかし、東部や南部の住民はクーデターを拒否、キエフでネオ・ナチが跋扈する状況を見てロシアに保護を求める。リミアの住民は2014年3月16日にロシアと統合を問う住民投票を実施、80%を超える住民が投票に参加して95%以上が加盟に賛成している。 ドネツクやルガンスクで反クーデターの動きが強まり、クリミアに続く可能性が高まったことからキエフのクーデター政権は右派セクターなどのネオ・ナチを利用して5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺。その3日後に内務省の親衛隊で中核になる「アゾフ大隊」が組織されるが、中心になるのは右派セクターだ。そして5月9日にマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を虐殺した。 そうした中、5月11日にドンバスで自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施され、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は助けなかった。それをプーチン大統領は反省したわけだ。 クーデターの際、ネオ・ナチのメンバーはチェーン、ナイフ、棍棒を手にしながら石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、中にはピストルやライフルを撃つ者もいた。 西側の要求を受け入れたヤヌコビッチ政権はベルクト(警官隊)に暴力を振るうなと命令したが、ネオ・ナチはベルクトの隊員を拉致し、拷問のうえで殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあった。クーデター後にベルクトは解散させられ、隊員は命を狙われている。 そうしたこともあり、ドンバスの反クーデター軍に合流したベルクトの隊員は少なくなかったと言われている。軍の内部にもネオ・ナチに従属することを拒否する将兵がいて、やはり反クーデター軍へ合流。その結果、クーデター直後は反クーデター軍が優勢だった。 そこで停戦を目的する協議が始まり、合意に達する。それが「ミンスク合意」だ。ドイツとフランスが調停役になり、ウクライナ、ロシア、OSCE(欧州安全保障協力機構)が起草、この3者のほかドネツクとルガンスクの代表が2014年9月、協定書に署名。この合意をキエフ政権が守らないため、2015年2月に新たな合意、いわゆる「ミンスク2」が調印された。 当時からこの「合意」はアメリカ政府の時間稼ぎにすぎないと言われていた。反クーデター軍に対抗できるように戦力を強めようとしているのだというのだ。実際、2005年11月から21年12月までドイツの首相を務めたアンゲラ・メルケルはツァイト誌のインタビューで、「ミンスク合意」はウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語っている。この合意の目的は戦争を終わらせることにでなく、戦争を大きくさせることにあった。 オバマ政権で副大統領を務めたジョー・バイデンが昨年、大統領に就任した。その直後からロシアとの軍事的な緊張を高める言動を続け、軍事的な挑発も繰り返した。2014年から準備してきた戦争を今年3月に始める計画だったと言われているが、ロシア軍に先手を打たれた。 ロシア軍は部分的な動員で集められた兵士のうち約8万人をすでにドンバスへ入れ、約32万人は訓練中だという。すでにドンバス周辺へT-90M戦車、T-72B3M戦車、防空システムS-400を含む兵器を運び込んでいる。地面が凍結する冬に新たな軍事作戦を始めるはずだ。 ウォロディミル・ゼレンスキー政権は兵士を補充するために18歳から60歳の男子が出国することを禁止、動員の対象にしている。NATOに指揮されていると言われているウクライナ軍は「玉砕戦法」を繰り返し、多くの兵士が戦死している。反ロシア発言を繰り返してきた欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長でさえ、演説の中でウクライナの将兵10万人以上が戦死したと11月30日に語っているほど。すでに45歳以上の男子が訓練が不十分な段階で戦場へ駆り出されている。 アメリカ/NATOはウクライナのネオ・ナチを2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練、またポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたともいう。 アメリカ/NATOは戦力を補うため、クーデター直後、内務省内に親衛隊を組織したが、それだけでなくCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部に派遣されて作戦に参加した。ミンスク合意を利用し、2015年からCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めたとも伝えられている。 西側がウクライナへ特殊部隊を入れていることも知られていたが、ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナでの取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加していると伝えていた。 最近ではアメリカ海兵隊の退役大佐、アンドリュー・ミルバーンが率いる軍事会社「モーツァルト・グループ」が話題になっている。動員されたウクライナ兵に基本的な訓練を行なっている会社だが、動員されたウクライナ軍の新兵は訓練が不十分なまま前線へ送り込まれているとしている。 また、ミルバーンはウクライナについて、「滅茶苦茶な人々」によって運営されている「腐敗した、滅茶苦茶な社会」だとし、ウクライナ兵が投降した敵兵を殺し、残虐な行為を行なっていると語っている。
2022.12.29
ウクライナ内務省の親衛隊における中心的な存在だったアゾフ連隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)のイリヤ・サモイレンコが率いるウクライナの代表団が12月15日にイスラエルへ到着した。 アゾフは2014年3月13日、バラク・オバマ米大統領を後ろ盾としるネオ・ナチがビクトル・ヤヌコビッチ政権を暴力的なクーデターで倒し、大統領を追い出した翌月に組織された。その基盤になったのがネオ・ナチの「右派セクター」。「アゾフにはネオ・ナチもいた」という次元の話ではない。 この右派セクターは2013年11月、ドミトロ・ヤロシュやアンドリー・ビレツキーらが「三叉戟」を元にして組織され、クーデターを成功させた後、2014年5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺している。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ヤロシュはネオ・ナチ。最近、親衛隊はタグを変えて誤魔化そうとしているが、中身に変化はない。ヤロシュはネオ・ナチであるだけでなく、NATOの秘密部隊ネットワークに参加していると言われている。つまりCIAやMI6と連携、破壊活動を続けてきた。 親衛隊が組織された理由のひとつは、ウクライナの軍や治安機関にネオ・ナチを拒絶する兵士や隊員が少なくなく、ドンバスの反クーデター軍より戦力が劣っていたことにある。しかも残った者の中にも反ネオ・ナチ派がいる可能性が高い。つまりクーデター政府やオバマ政権は軍を信用しきれなかった。 アゾフを資金面から支えていたイゴール・コロモイスキーはウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストの富豪。シオニストがネオ・ナチを支えていたことになる。これが現実だ。シオニストを「ユダヤ人」と解釈、そのシオニストがナチズムの信奉者と手を組むはずがないという「公式」に囚われると事実を見誤ることになる。 NATOの東への拡大を新たなバルバロッサ作戦だとロシアは見ているはずだが、このナチスの作戦をイギリスやアメリカの支配層はソ連を粉砕することを願いながら傍観していた。そのナチスへシティやウォール街、つまり米英金融資本が資金を提供していたことが今では明確になっている。 そうした役割を果たした金融機関としてブラウン・ブラザース・ハリマンやディロン・リードが有名だが、ブラウン・ブラザース・ハリマンの重役の中にはW・アベレル・ハリマンやプレスコット・ブッシュも含まれていた。ハリマンとブッシュはドイツ企業との手形交換業務を行う名目で「ユニオン・バンキング(UBC)」を設立、ブッシュはその経営を任された。 ブッシュが金融界で出世できた理由のひとつはエール大学でハリマンと同じように「スカル・アンド・ボーンズ」に入会したことのほか、結婚した相手のドロシーが金融界の大物であるジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘だったことが挙げられる。 ドロシーとプレスコットは1921年に結婚、24年にウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任している。ユニオン・バンキングが創設されたのも1924年だ。1931年にブッシュはブラウン・ブラザース・ハリマンの共同経営者になった。この頃、アレン・ダレスは弁護士としてウォール街で仕事を始めている。ちなみに、ブッシュは1895年生まれだが、ダレスは93年生まれで、ふたりは親しくなる。 結局、ナチスはソ連を破壊できない。フランクリン・ルーズベルト米大統領が急死した翌月、1945年5月にドイツが降伏するとチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を攻撃するための作戦を立案するように命令、「アンシンカブル作戦」が提出された。 その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、この作戦は発動していない。参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) この後、アメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃の計画を作成するが、ソ連が核兵器と大陸間弾道ミサイルの分野でアメリカに追いついたことから攻撃を実行できなかった。アメリカの好戦派は最後のチャンスと考えていたのは1963年の後半、つまりジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたころである。
2022.12.28
ロシアの治安機関であるFSB(連邦保安庁)によると、12月25日にウクライナからロシアのブリャンスクへ侵入しようとした4名のチームを銃撃戦の末に殲滅したという。その4名はサブマシンガンやカービン銃で武装、破壊活動に使う予定だったと思われる爆発物を持っていた。 12月5日にはロシア領内へ深く入った場所にあるディアギレボ基地とエンゲルス基地が、また12月26日にもエンゲルス基地がそれぞれUAV(ドローン)で攻撃されたが、いずれもロシア領に潜入した工作員によるものだと言われている。ジャーナリストのジャック・マーフィーによると、CIAはNATO加盟国の情報機関を利用し、ロシアで破壊活動を続けてきた。本ブログでも繰り返し書いてきたように、アメリカとイギリスの情報機関はNATO加盟国全てに秘密部隊を作らせている。 この秘密部隊の背景にはイギリスとアメリカの対ソ連戦略があった。第一次世界大戦の際にイギリスはロシアとドイツを戦わせるため、MI6を使い、障害になっていたグレゴリー・ラスプーチンを暗殺する。 1917年3月の「二月革命」で誕生した臨時革命政府は巨大資本と手を組んでいたこともあり、戦争推進。それを嫌ったドイツは「即時停戦」を主張していたウラジミール・レーニンが率いるボルシェビキに目をつけ、その幹部をロシアへ列車で運ぶ。ドイツの思惑通りボルシェビキ政権は即時停戦を決めるが、アメリカが参戦していたこともあり、ドイツは負けた。 しかし、そうした経緯もあり、ドイツとボルシェビキ政権は友好的な関係を維持するが、ナチスの台頭によって関係が壊れる。ソ連はイギリスと共同でドイツを抑え込もうとするが、失敗。ヨシフ・スターリンは1939年8月にドイツと不可侵条約を結ぶのだが、41年6月にドイツ軍の4分の3隊がソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。西側に4分の1しか残さなかったのはアドルフ・ヒトラーの命令によるが、彼は西から攻められる心配がないことを知っていたと考える人もいる。 1990年代にNATOは東へ、つまりロシアへ向かって拡大し始めた。約束違反だが、アメリカやイギリスの支配者の言うことを信用することが悪い。この段階で「新バルバロッサ作戦」は始まっている。その山場が2010年1月から14年2月にかけてのウクライナにおけるクーデターにほかならない。その「新バルバロッサ作戦」が現在、ロシア軍の反撃で窮地に陥っている。 ところで、ソ連に攻め込んだドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫る。ソ連軍は敗北し、再び立ち上がることはないと10月3日にヒトラーはベルリンで語り、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測している。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) しかし、レニングラードでドイツ軍は激しい抵抗に遭い、モスクワは陥落しない1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月からソ連軍が猛反撃に転じ、翌年の1月に生き残ったドイツの将兵は降伏した。この時点でドイツの敗北は決定的だ。 そこで慌てたのはイギリスのチャーチル政権。すぐアメリカ政府と協議し、1943年7月に米英両国軍はシチリア島上陸作戦を実行する。その作戦の最高司令官はイギリス人のハロルド・アレグザンダーで、その下で戦ったのがジョージ・パットン司令官の第7軍(アメリカ軍)とバーナード・モントゴメリー司令官の第8軍(イギリス軍)だ。この作戦が相手にしていたのはドイツでなくソ連だと言えるだろう。 その年、アメリカのOSSとイギリスの特殊部隊SOEはレジスタンスに対抗させるためにゲリラ戦部隊を組織する。それが「ジェドバラ」だ。大戦中、西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、レジスタンスだけだが、その主体がコミュニストだったことから米英の支配層は敵視していたのだ。後にシャルル・ド・ゴールが命を狙われた一因は彼がレジスタンスに参加していたからだとも言われている。 大戦後にジェドバラは解散するが、人脈は消えない。その人脈はアメリカで破壊工作機関OPCを創設、1951年にはCIAの内部に入り込み、秘密工作部門になる。要人暗殺やクーデターを仕掛けてきたのはこの部門だ。 この人脈はヨーロッパで破壊工作機関のネットワークを組織、NATOが創設されるとその内部に入り込む。そのネットワークの中で最も有名な組織はイタリアのグラディオ。1960年代から80年代にかけ、極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画している。そのメンバーを日本政府が守ったことも知られている。ネットワークを指揮しているのはイギリスのMI6とアメリカのCIAだ。 NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要がある。アメリカ人ジャーナリストのアーサー・ローズ、情報活動に関するイタリアの専門家であるジュゼッペ・デ・ルティース、イタリアでグラディオを調査しているマリオ・コグリトーレなどもこの議定書は存在していると主張している。 この問題を研究しているダニエレ・ガンサーによると、NATOの元情報将校は「右翼過激派を守る」ことが秘密の議定書によって義務づけられていると語っている。コミュニストと戦うために彼らは役に立つという理由からだという。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005) 秘密工作ネットーワークにはウクライナのネオ・ナチを率いているひとりのドミトロ・ヤロシュも含まれていると言われているが、ロシアの内部にも網の目は伸びているだろう。そうした網を構成する工作員が活動を開始したとマーフィーは言っているのだ。 9月26日のノード・ストリーム爆破はイギリス海軍が実行したとロシア政府は主張しているが、10月8日にクリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)が爆破された事件はイギリスのMI6が計画したとも言われている。 10月29日にクリミアのセバストポリにある基地がUAVや無人艦で攻撃されたが、攻撃を実行したのはオチャコフにいるイギリスの専門家から訓練を受けたウクライナ第73海軍特殊作戦センターの隊員だという。
2022.12.27
ウクライナとの国境からロシア領へ約550キロメートル入った場所にあるエンゲルス空軍基地が12月26日午前1時35分頃(モスクワ時間)にUAV(ドローン)で攻撃され、そのUAVは撃墜したものの、整備員3名が死亡したと伝えられている。攻撃にはTu-141へ新しい誘導システムを取り付けたUAVが使われたという。この基地は12月5日にも同じタイプのUAVで攻撃されている。 12月5日の攻撃ではアメリカの国防総省がウクライナに長距離攻撃を許可したとも伝えられていたが、UAVはロシア領内へ侵入したウクライナの工作員が飛ばしたとも言われている。もし国境の外からの攻撃だった場合にはロシア軍の報復攻撃もありえ、そうなれば核戦争になった可能性もあった。 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は12月21日に突如ワシントンDCを訪問、さらなる軍事援助を求めている。議会ではウクラナの兵士が書き込んだという国旗をナンシー・ペロシ下院議長へ手渡し、数人を除く議員から拍手を浴びるという茶番を演じたが、その書き込みの中にはナチスのマークも含まれていた。 アメリカの上下両院の議員から「英雄」と称賛されたゼレンスキーはネオ・ナチの影響下にあり、自国で野党の活動を禁止、自分に批判的なメディアを閉鎖、東方正教会の活動を禁止している大統領だ。思想、言論、信仰の自由を国民から奪った反民主主義的な人物をアメリカの議員は褒め称えたのだ。 ウクライナへの軍事支援を続ければロシアに勝てるという印象を西側の人びとに植え付けようとしたのかもしれないが、アメリカのマーク・ミリー統合参謀本部議長はウクライナ軍がロシア軍に勝利する可能性は小さく、外交的な解決を勧めた。この発言は正しい。ウクライナの軍や内務省の親衛隊は4月の段階で壊滅状態で、アメリカやEUは兵器の供給を強化したようだが、戦況を変えることは不可能だ。 アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターが指摘しているように、ロシア軍と戦わせる相当数の兵士はNATO加盟国で軍事訓練を受けているが、「玉砕戦法」を続けているため、戦死者は増え続けている。11月30日に欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長はウクライナの将校(将兵?)10万人以上が戦死したと語った。これはロシア側の推定とも合致する。ウクライナでは戦場へ45歳以上の男性も送り込まれ、ポーランドやバルト諸国からも戦闘員が来ているようだ。 統合参謀本部は「ウクライナ司令部」を創設するとしているが、すでに戦闘の指揮はNATO軍が行なっているようで、ロシア軍とNATO軍の戦いへ移行しつつあるようだが、ロシア軍が新たな軍事作戦を始める前にNATO軍をウクライナへ入れ、その作戦を阻止したいかもしれない。 しかし、ロシア軍はすでにドンバス周辺へT-90M戦車、T-72B3M戦車、防空システムS-400が大量に運ばれている様子が目撃されているほか、航空母艦も撃沈できる超音速の対艦巡航ミサイル「3M22ツィルコン」が追加発注されているともいう。NATO軍が直接介入することを想定した準備も進められている可能性がある。
2022.12.27
アメリカのマーク・ミリー統合参謀本部議長は先月、ウクライナ軍がロシア軍に勝利する可能性は小さいとして外交的な解決を勧めたが、そのミリー議長に対し、ウクライナ軍を率いるバレリー・ザルジニー総司令官はどのような交渉、合意、あるいは妥協を受け入れないと主張した。これは米英政府の意向に沿うものでもある。 ウォロディミル・ゼレンスキー大統領がザルジニー少将を最高司令官に任命したのは2021年7月。そのザルジニーは同年11月にネオ・ナチのドミトロ・ヤロシュを顧問に据えている。ヤロシュはゼレンスキーが大統領に就任して間もない頃、新大統領が国を裏切ったなら殺すと口にした人物だ。 ヤロシュはドロボビチ教育大学でワシル・イワニシン教授の教えを受けているが、この教授はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに所属していた。KUNを組織したのはOUN-B(ステパン・バンデラ派)の人脈で、その指導者はバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコ。その妻にあたるスラワがKUNを率いていたが、ヤロスラフが1986年に死亡してからOUN-Bの指導者にもなった。スラワは1991年に西ドイツからウクライナへ帰国している。 スワラは2003年に死亡、イワニシンは2007年に死亡する。イワニシンの後継者に選ばれたのがヤロシュ。そのタイミングで彼はNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われているが、2007年5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。ネオ・ナチのスポンサーにはシオニストが含まれ、ジハード主義者はイスラエルを攻撃しない。 ヤロシュも参加した2014年2月のクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領が排除されたが、その翌月に彼が発表した声明の中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者などイスラム系武装集団への支援を表明している。 NATOの秘密部隊を動かしているのはアメリカやイギリスの情報機関で、そのネットワークに含まれるイタリアのグラディオは1960年代から80年代にかけての時期、極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画したことで有名。フランスで1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)もその人脈に属していた。 こうした人脈が存在することは1947年6月にフランスの内務大臣だったエドアル・ドプが指摘している。政府を不安定化するため、右翼の秘密部隊が創設されたというのだ。その年の7月末か8月6日に秘密部隊はクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずになっていたと言われている。 OASは1961年4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデターについて話し合っている。アルジェリアの主要都市を制圧した後でパリを制圧するという計画で、計画の中心には直前まで中央欧州連合軍司令官(CINCENT)を務めていたモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍がいた。 4月22日にクーデターは実行に移されるが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。CIAやアメリカ軍の好戦派は驚愕したようで、結局、クーデターは4日間で崩壊してしまう。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) その後、ド・ゴール大統領はフランスの情報機関SDECEの長官を解任し、第11ショック・パラシュート大隊を解散させ、OASは1962年に休戦を宣言する。 それに対し、ジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐に率いられた一派は1962年8月22日にパリで大統領の暗殺を試みたものの、失敗。暗殺計画に加わった人間は9月にパリで逮捕された。全員に死刑判決が言い渡されたが、実際に処刑されたのはバスチャン-チリー大佐だけだ。暗殺未遂から4年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出した。 その間、1963年11月22日にケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺され、ド・ゴールは1968年5月の「五月革命」で追い詰められて翌年に辞任する。後任大統領のジョルジュ・ポンピドゥーはアメリカとの関係強化を推進、SDECEの局長に親米派のアレクサンドル・ド・マレンシェを据えた。この新局長はポンピドゥーの命令に従い、アメリカとの関係強化に邪魔だと見なされるメンバー815名を解雇。1995年にフランスはNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言、2009年には完全復帰をニコラ・サルコジ政権が決めている。 アメリカのジョー・バイデン政権は誕生直後からロシアのウラジミル・プーチン政権の抗議を無視してNATOをウクライナへ拡大させようとし、ロシア軍は2022年2月24日に巡航ミサイル「カリブル」などでウクライナの軍事基地や生物兵器の研究開発施設を攻撃を始めた。 この時点でウクライナの敗北は見通されていたことからゼレンスキー政権はロシア政府と交渉を始めるが、これを米英政府やウクライナのネオ・ナチは許さない。ロシアと交渉しているチームのひとりだったデニス・キリーエフは3月5日にキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺されている。
2022.12.26
ウォロディミル・ゼレンスキーが突如ワシントンを12月21日に訪問し、軍事援助をさらに供給するよう求めた。議会では兵士の書き込み入り国旗をナンシー・ペロシ下院議長へ手渡し、数人を除く議員から拍手を浴びた。書き込みの中にはナチスのマークも含まれている。そもそもゼレンスキーはウクライナで野党の活動を禁止、自分に批判的なメディアも閉鎖、東方正教会の活動も禁止している反民主主義的な人物だ。 このアメリカ訪問を企画したのはウクライナの大統領府長官を務めているアンドリー・イェルマークだと言われている。この人物は弁護士だが、映画ビジネスにも関わっていた。コメディアンのゼレンスキーと同じ世界にいたわけだ。 ゼレンスキーが出演したコメディ映画「オフィス・ロマンス。我らの時代」が2011年に公開されているが、この年にゼレンスキーとイェルマークは親しくなっている。その翌年にイェルマークはガーネット国際メディア・グループを設立、その後、映画をプロデュースしていた。 イェルマークは外交や安全保障を含む政治に詳しいとは思えず、ゼレンスキーは大統領に就任しても、ワシントン、あるいはハリウッドの指示に基づいて大統領という役を演じているだけのように見える。その間に入っているのがプロデューサーのイェルマークだ。 アメリカにとって2011年は重要な年だった。2009年1月にアメリカ大統領となったバラク・オバマ政権は10年8月に中東や北アフリカにかけての地域で政権転覆工作を始めることに決め、PSD-11を出した。そして始まったのが「アラブの春」であり、手先として使われたのがムスリム同胞団だ。2011年春にはリビアとシリアに対する侵略戦争をオバマ政権は始めた。 ウクライナでは2010年の大統領選挙でアメリカと一線を画す立場のビクトル・ヤヌコビッチが勝利する。このヤヌコビッチを支持していたのが東部や南部。この地域では70%以上の有権者が彼に投票した。 この結果を懸念したアメリカ政府は7月にヒラリー・クリントン国務長官(当時)をキエフへ派遣する。彼女はヤヌコビッチに対し、ロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めたが、西側の植民地になることを望まないヤヌコビッチはこの要求を拒否。そこからバラク・オバマ政権のクーデター計画が始まったと言われている。その計画が指導したのは2013年11月、翌年の2月にネオ・ナチがヤヌコビッチ政権を倒した。 ゼレンスキーは2015年に始まったドラマ「人民への奉仕者」で主役を演じているが、それを放送した「1+1メディア・グループ」の資金源はイゴール・コロモイスキー。2014年2月にヤヌコビッチを排除したクーデターにも深く関与、ウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストの富豪であり、ゼレンスキーを操っていた。クーデターに関与していたということは、オバマ政権とも繋がっていることを示している。 ゼレンスキーがショー・ビジネスの人間だというだけでなく、ウクライナに関する西側有力メディアの「報道」もハリウッド的だ。アメリカは1990年代にユーゴスラビアを先制攻撃、解体したが、そこへ至る過程で広告会社が重要な役割を演じ始めていた。宣伝に人びとを騙すという戦術だ。21世紀に入るとハリウッド的な演出で人びとを操るようになる。 メルキト東方典礼カトリック教会の修道院長を務めていたフィリップ・トルニョル・クロはシリアのホムスで引き起こされた住民虐殺事件を現地で調査、西側の有力メディアによる「報道」が嘘だという結論に達した。「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている」と報告している。これはウクライナでもあてはまる。
2022.12.25
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は12月16日現在、前の週より180名増えて3万2908名に達した。なおVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われている。
2022.12.24
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は12月21日、アメリカの軍用機でポーランドからワシントンへ飛び、ホワイトハウスでジョー・バイデン大統領と会談、議会にも登場し、さらなる軍事支援を求めた。議会では兵士の署名入り国旗をナンシー・ペロシ下院議長へ手渡したが、そこにはナチスのマークが書き込まれていたことも話題だ。 その返礼としてアメリカ国旗がゼレンスキーへ渡されたが、それは13回折り曲げて三角形にしたもの。独立戦争の際にアメリカの兵士が被っていた帽子に因んでいるらしいが、こうした折り方をするのは正式な葬儀の際にだけだという。そうしたこともあり、ゼレンスキーを暗殺してアメリカ軍に直接ロシア軍を攻撃させようとしているのではないかと疑う人もいる。 ゼレンスキー政権はネオ・ナチを中心に編成した内務省の親衛隊にマリウポリを含む東部地域を支配させていた。この地域の住民は2010年の大統領選挙でビクトル・ヤヌコビッチを支持、彼へ投票した比率を見ると、その中心部では90%以上、東部全体や南部では70%以上に達する。 住民から見ると、キエフのクーデター政権が送り込んだ軍や親衛隊は占領軍にすぎないということだが、アメリカ政府に支援されたゼレンスキー政権は今年3月から大規模な民族浄化作戦を始める予定だったとも言われている。その直前、2月24日にロシア軍はドンバスで軍事作戦を始めた。 親衛隊は住宅地に軍事拠点を設置、住民を人質にとって抵抗したが、4月に入る頃には親衛隊が壊滅状態になる。ゼレンスキー政権がロシア政府と話し合う姿勢を見せるとイギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込む。4月9日のことだ。 4月21日にはウクライナ南部のミコライフ州のビタリー・キム知事が「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と発言して国民を脅し、4月30日にはペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。 その一方、ゼレンスキー政権は兵士を補充するために18歳から60歳の男子が出国することを禁止、動員の対象にする。今では45歳以上の男子が訓練が不十分な段階で戦場へ駆り出され、「玉砕攻撃」を強いられている。反ロシア発言を繰り返してきた欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長でさえ、演説の中でウクライナの将兵10万人以上が戦死したと11月30日に語っている。 冬の到来でロシア軍の新たな軍事作戦が間近に迫っていると見られている。投入されようとしているロシア軍の戦力ではウクライナ全域を占領することは不可能だが、占領を考えなければかなり深く攻め込むことが可能だろう。 そこでバイデン政権はNATO軍の部隊をウクライナへ入れたいようだが、NATO内部で反対する国が少なくないようで、現状では難しい。そこでウクライナ軍はロシア軍を装ってポーランドへミサイルを打ち込んでNATO軍を動かそうとしたり、ロシア領内のディアギレボ基地やエンゲルス基地を攻撃してロシア軍の反撃を誘っている。いずれの基地も核戦略に関係している。 攻撃に使われたのは1970年代にソ連で製造された偵察用ドローンTu-141に新しい誘導システムを取り付けて巡航ミサイルに改造したもの。アメリカの衛星に誘導されて攻撃したとされているが、ロシアの国境を超えての攻撃ではなかったようだ。ドローンを飛ばしたのはロシア領内へ侵入した工作員だと見られている。 アメリカ軍やNATO軍を使うことが難しいと考えたのか、リンゼイ・グラハム上院議員はウラジミル・プーチン大統領の排除を訴えている。暗殺かクーデターを望んでいるのだろう。
2022.12.24
厚生労働省が発表している「人口動態統計速報」とデジタル庁が発表している「新型コロナワクチンの接種状況」を見比べると、死亡者数の増加と「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種件数に相関関係があることがわかる。この「ワクチン」は安全性を確認する正規の手順を踏んでいないこともあり、「ワクチン」の接種で死亡者が増えていると疑わなければならず、本来なら実態を詳しく調査、結果を公表しなければならないはずだが、そうしたことは行われていない。 公的な機関が人びとの生命を軽視するのはこれが初めてではない。たとえば水俣病の場合、その原因がチッソの工場から出された有機水銀だと日本政府が認めたのは1968年だが、1950年代には因果関係がわかっていた。 1956年5月にチッソ付属病院の細川一は水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患の発生」について報告、59年10月に動物実験で水俣病の原因は工場廃液だと確信するが、会社側の意向で発表はしていない。細川がこの実験について証言したのは死が間近に迫った1970年だった。 その一方、1959年7月に熊本大学の水俣病研究班は、水銀化合物、特に有機水銀が水俣病の原因物質だろうと正式発表している。この熊本大学の説に反論するためにも細川の実験結果は隠蔽し、嘘を主張したわけだ。 おそらく、細川や熊本大学より早く有機水銀が環境中に放出されている可能性が高いことを知っていたのはチッソのエンジニアである。触媒として使われていた水銀が減少していることは化学反応を見ていれば明らかで、どのように物質が変化しているかを計算していたなら、おおよその見当はついていたはずだ。 実際、チッソの技術部門に所属していた塩出忠次は、合成中に有機水銀化合物ができることを会社側へ1950年に報告していたという。この人物はエンジニアとして当然のことを行い、その結果を報告していたのだが、それを会社の幹部は握りつぶした。エンジニアが内部告発する場合、人生を捨てる覚悟が必要で、通常は告発しない。 化学物質が人体に影響を与える例では「内分泌攪乱物質」、いわゆる環境ホルモンも有名。1996年に出された『奪われし未来』で知られるようになった現象だが、化学業界では遅くとも1970年代の半ばには噂されていた。 この本が書かれた背景には精子の減少がある。出版後に発表された研究によると、1973年から2011年までの間に西側諸国では1ミリリットル当たりの精子数が52%以上減っているという。総数では59%の減少になる。(Shanna H. Swan with Stacey Colino, “Count Down,” Scribner, 2020) しかし、化学物質が生殖機能にダメージを与えるとことは1970年代から現場では知られていた。スワンの本によると、1977年当時、殺虫剤の生産工程に2年以上いると子どもを産めなくなるという噂があったと某化学会社の労働者は語っていたという。(前掲書) 筆者自身、測定限度ぎりぎり、おそらく測定不能なほど微量でも生殖機能にダメージを与える化学物質が次々に見つかっているという話を1970年代後半に聞いた記憶がある。その話をしていた人物は、外でこのことを口にすると就職できなくなるとも学生に警告していた。 本ブログでもすでに書いたことだが、「COVID-19ワクチン」も卵子や精子にダメージを与えるとする研究報告がある。 有機水銀が水俣病の原因だということになると、日本の化学業界は困った状況に陥っていた。水銀を触媒として使った場合と同程度のコストで生産する技術を持っていたのはアメリカの企業で、特許料を支払うと日本の化学業界はアメリカと競うことができないからだ。日本政府が水俣病の原因をチッソの工場から出された有機水銀だと認めた頃、そのアメリカの技術に対抗できる方法を日本企業も獲得したという。 こうした人びとより早く病気に気づいていたのは漁師だと言われている。1942年に水俣市月の浦という漁村で最初の患者が出て、53年から被害が大きくなったようだが、そうしたことを漁師は身を以て知っていたということだ。 「何かおかしい」ことが起こっていると「素人」が感じた段階で当局は調査し、問題があれば何らかの対策を取る必要があるのだが、そうしたことは行われない。強大な私的権力は自分たちの事情を優先し、「専門家」や「権威」を使って隠蔽工作を行う。有力メディアも事実の隠蔽で重要な役割を果たしている。
2022.12.23
厚生労働省は12月20日に今年10月分の「人口動態統計速報」を発表した。この月も死亡者の増加傾向は「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種件数と相関関係がある。「ワクチン」の接種が始まる前に比べるとその傾向はよりわかりやすい。 増加数を見ると、1、2回目に比べて3回目の接種時に大きく増えているが、4回目の増え方はさらに大きく、5回目以降が懸念される。東京理科大学名誉教授の村上康文が行った動物実験では7回から8回で全個体がほぼ死滅するとしている。
2022.12.23
アメリカ軍と韓国軍は12月20日に朝鮮半島上空で合同軍事訓練を実施、アメリカからB-52爆撃機とF-22戦闘機も派遣されている。中国やロシアに対する威嚇のつもりかもしれないが、こうした行為は中国とロシアの連携を強めるだけだ。 中国海軍とロシア海軍は12月21日から1週間の予定で東シナ海で艦隊演習を始めると19日に発表された。アメリカ軍のインド・太平洋海域での軍事戦略や日本の軍事力増強に対応した動きのようだ。その直前に中国軍は空母「遼寧」を含む艦船11隻が宮古海峡や大隈海峡を通過、東シナ海からフィリピン海へ入ったという。 イギリスは19世紀からユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略を維持してきた。インドから太平洋にかけての海域はその一部だ。 その海域を一体として扱うため、アメリカ軍は2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えた。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、そしてインドネシアを両海域をつなぐ場所だとしたものの、インドとインドネシアはアメリカと一線を画している。明確に従属しているのは日本だけだ。 アメリカが太平洋地域における同盟国と考えているのはタイ、フィリピン、韓国、オーストラリア、そして日本だが、タイとフィリピンは微妙で、韓国もアメリカの戦略に従うことを拒否する声が小さくない。台湾ではアメリカに従属する政策を進めている蔡英文総統の民主進歩党が11月26日の地方選挙で大敗している。 日本とオーストラリアは今年1月、軍事演習や軍事作戦を迅速に行うことを目的とする相互アクセス協定(RAA)に署名した。アメリカは日本とオーストラリアを軸に軍事作戦を考えているようだが、その一方でAUKUS(A:オーストラリア、UK:イギリス、US:アメリカ)という軍事同盟を太平洋に作った。そのAUKUSへ日本は近づきたいようだ。ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長はAUKUSについて、中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」であると主張している。 ソ連を追い出し、アメリカを引き入れ、ドイツを抑え込むことが目的で創設されたNATO。その事務総長を現在務めているイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2020年6月8日に宣言した。NATOの活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにする計画を明らかにしたのだ。 アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」の発表したレポートによると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけ。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。 そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力する方針で、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成された。 その計画を先取りする形で自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設し、19年には奄美大島と宮古島に作った。2023年には石垣島でも完成させる予定だという。 日本は軍事拠点を作るだけでなく、高性能兵器の開発にも乗り出している。例えばアメリカと共同で音速の5倍以上で侵入してくるHGV(極超音速滑空体)を迎撃するミサイル技術の研究開発を考えていると報道されている。すでにロシアはHGVを配備、中国は飛行試験段階だ。 今年7月24日には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所で迎撃ミサイルに必要な速度に到達することが可能だとされるエンジンの飛行試験を初めて実施したが、極超音速で飛行するミサイル自体も研究している。 日本の場合はHGVではなくエンジンによって推進力を得る極超音速巡航ミサイル(HCM)の開発を目指しているという。2026年に九州や北海道の島々へ配備したいようだ。 JAXAが開発したLUNAR-AはM-Vを使って打ち上げられ、月を周回する軌道に入った段階で母船から観測器を搭載した2機の「ペネトレーター」と呼ばれる観測装置を投下、地中約2メートル前後の深さまで潜り込ませることになっていた。ペネトレーターには地震計と熱流量計が搭載される予定で、その際にかかる大きな圧力に耐えられる機器を作るために必要な技術があれば小型のバンカー・バスターを製造できると見れていたのだ。そこでこの「探査機」を「MARV(機動式弾頭)」と重ねて見る人は少なくなかった。そのためか、2007年1月にLUNAR-A計画は中止になる。 日本のロケット技術は1990年代に長足の進歩を遂げたが、これはソ連が消滅した直後、秘密裏にSS-20の設計図とミサイルの第3段目の部品を入手し、ミサイルに搭載された複数の弾頭を別々の位置に誘導する技術、つまりMARVを学んだからだと言われている。その当時のロシアは欧米支配層の傀儡だったボリス・エリツィンが君臨していた。 そして現在、日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発し、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにする計画を立てている。地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だとされていた。 その後、日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという話も出てきた。トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。記事では「反撃能力」が強調されているが、このミサイルには言うまでもなく先制攻撃能力がある。 さらに、日本は射程距離が3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画だとも伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。ロシアや中国の軍事施設や工業地帯を先制攻撃で破壊する能力を持つことになるが、「敵基地攻撃能力」は「先制攻撃」の言い換えにすぎない。 こうした方針が打ち出された背景にはアメリカの戦略がある。日本はアメリカの中国やロシアに対する先制攻撃の片棒を担がされる可能性が高まっているのだ。アメリカ軍が日本に軍事基地を作った理由は先制攻撃のためだ。防衛のためではない。
2022.12.22
ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は12月19日、ジョー・バイデン政権の危険で近視眼的な政策により、アメリカとロシアの直接的な衝突を招く可能性が高まっているとアメリカ政府を批判した。 これはアメリカ国務省の報道官を務めているCIAの「元」幹部、ネッド・プライスの声明に対するコメント。アメリカは現実を見ず、安全保障に関する真剣な対話を嫌がり、自分たちの覇権を維持しようとしていると彼女は主張している。 バイデン政権が平和を望んでいるという印象を広めたいのか、プライスはアントニー•ブリンケン国務長官んはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と接触していると語っているが、ザハロワはこれを嘘だと切り捨てている。両者が最後に話したのは7月29日だ。 もっとも、アメリカ政府にとって話し合いは時間稼ぎにすぎない。アンゲラ・メルケル前独首相はツァイト誌のインタビューで、「ミンスク合意」はウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語っているが、これはいつものことだ。アメリカやイギリスの支配層と話し合いで問題を解決できるとは思えない。 ミンスク合意はドンバス(ドネツクとルガンスク)での停戦を目的としてウクライナ、ロシア、OSCE(欧州安全保障協力機構)が起草し、この3者のほかドネツクとルガンスクの代表が2014年9月に署名した協定書に定められている。ドイツとフランスが調停役を演じた。 この合意をキエフ政権が守らなかったことからドイツとフランスの調停で2015年2月に新たな合意、いわゆる「ミンスク2」が調印されたのだが、当時のドイツ首相がこの合意はキエフ政権の軍事力を強化するための時間稼ぎに過ぎなかったと語ったのである。現ドイツ政権を含め、この発言は否定されていない。 ウクライナでの戦闘はバラク・オバマ政権がネオ・ナチを利用して行った2013年11月から14年2月にかけてのクーデターから始まるのだが、そのプロローグは2010年から始まる。 この年の1月から2月にかけて行われた大統領選挙で東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチが勝利、7月にヒラリー・クリントン国務長官(当時)はキエフへ乗り込んでヤヌコビッチに対し、ロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めた。西側の植民地になることを望まないヤヌコビッチはこの要求を拒否。そこからバラク・オバマ政権のクーデター計画が始まったと言われている。そしてオバマ政権は3年かけてクーデターを準備、ヤヌコビッチの排除に成功したわけだ。 このクーデターを現場で指揮していたのがビクトリア・ヌランド国務次官補(当時)。2014年2月上旬、クーデターが山場を迎える直前に彼女は電話でジェオフリー・パイアット米国大使に対し、「次期政権」の閣僚人事について話している。その中でヌランドは混乱を話し合いで解決しようとしていた「EUなんか、クソくらえ」と口にしたのだ。バイデン政権と同様、オバマ政権に「話し合い」という言葉はなかった。いや、アメリカやイギリスの支配層に「話し合い」という言葉はない。最終的には侵略、破壊、殺戮、そして略奪で終わる。そして今、その矛先は東アジアに向けられ、日本が手先として動き始めた。
2022.12.21
アメリカの国立公文書記録管理局は12月15日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する1万3000以上のファイルを公開した。同局が保管している関連文書の97%だというが、CIAが保管している重要文書はマイク・ポンペオ(2017年1月から18年4月までCIA長官、18年4月から21年1月まで国務長官)とジョー・バイデン大統領によって公開が阻止されたという。そもそも最高機密に属す情報は文書になっていない可能性が高く、それに準ずる文書は処分されているか別の「安全な」場所に隠されているはずだ。 国立公文書記録管理局による文書公開は隠蔽工作の一環とも言えるのだが、その事実にFOXニュースのタッカー・カールソンが番組の中で切り込んだ。隠されている重要文書を見ることにできる人物は彼に対し、ケネディ大統領暗殺にCIAは関与したと思うと語ったという。 暗殺にCIAの一部が関与していることは少なからぬ人が信じている。それほど証拠、証言、分析が存在しているのだが、アカデミーや有力メディアはそれを認めようとしない。 ジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺された。 その日の朝、大統領はフォート・ワースのカーズウェル空軍基地からダラスのラブ・フィールドへ移動、そこでパレード用のリンカーン・コンバーティブルに乗り込むが、そのリムジンは防弾仕様でなく、屋根はシークレット・サービスのウィンストン・ローソンの指示で取り外されていた。 また、リムジンのリア・バンパーの左右には人の立てるステップがあり、手摺りもついたが、パレードのときには誰も乗っていない。大統領の指示だったという話もあるが、エージェントだったジェラルド・ベーンは大統領がそうした発言をするのを聞いていないと証言している。元エージェントのロバート・リリーによると、大統領はシークレット・サービスに協力的で警備の方法に口出しすることはなかった。 当初、大統領が乗ったリムジンの両側に警察のオートバイを走らせる予定だったが、21日にシークレット・サービスからオートバイを後ろに下げるように警察は言われている。シークレット・サービスはそれが大統領の希望だと主張しているが、直前のヒューストンでは両脇にオートバイが配置されている。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008) 本来なら、ダラスでは通常より警備を厳しくしなければならない事情があった。ケネディは11月2日にシカゴを訪れる予定にだったが、そのシカゴで大統領を暗殺する計画があるとする警告が警備当局に対して2カ所からもたらされた。ひとつはFBIの情報源から、もうひとつはシカゴ警察のバークレー・モイランド警部補からだ。 FBIが入手した情報によると、パレードの途中で4名のスナイパーが高性能ライフルで大統領を狙うことになっていた。その情報はシークレット・サービスへも伝えられた。FBIにその計画を伝えたのは「リー」と呼ばれる情報源だった。シークレット・サービスのシカゴ支部は容疑者を監視、11月1日に2名を逮捕したが、残りの2名には逃げられてしまった。 ちなみに、ケネディ大統領を暗殺したとされているリー・ハーベイ・オズワルドはFBIの情報提供者だとする情報がある。そのコードネームはS172、またはS179だったという。 モイランド警部補が得た情報は「ケネディ嫌いの男がいる」というもの。10月後半にシカゴのカフェテリアで食事をしていたモイランドは、そこの経営者からケネディ大統領に関して不穏当な話をする常連客がいることを知らされたのだ。そこで警部補はその男が来るのを待ち、トーマス・アーサー・ベイリーだと確認してからシークレット・サービスに連絡している。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008) ベイリーは元海兵隊員で、ジョン・バーチ協会に所属。海兵隊時代にはJTAG(統合技術顧問グループ)のメンバーとして日本にいた。彼が日本で配属されていたのは滋賀県にあったキャンプ大津(現在は陸上自衛隊の大津駐屯地)だとも言われている。ちなみにオズワルドは厚木基地で偵察機U2に関する機密情報に接しうる仕事をしていた。 エージェントがベイリーの自宅を捜索すると、M1ライフル、カービン銃、2800発の銃弾を発見、捜査は警察にバトンタッチされた。警察で担当したのはダニエル・グロスとピーター・シューラ。11月2日午前9時10分(東部時間では10時10分)にベイリーは逮捕され、その5分後にケネディ大統領のシカゴ訪問取りやめが発表された。 そうした情況にあったため、大統領の周辺、例えばウイリアム・フルブライト上院議員たちは大統領に対し、ダラス行きを中止するようにワシントンDCで20日に忠告している。(Anthony Summers, "The Kennedy Conspiracy," Paragon House, 1989) 大統領のパレード、しかも通常より危険な状況にあるということになれば、少なくとも沿道の建物の窓は閉めさせ、開いていれば捜査官を派遣してチェックさせるのが当然だが、そうした状況下で保安官が警備からはずされ、警察の警備体制を緩くさせたりしている。 シークレット・サービスはパレードの当日にコースを変更している。当初、本通りを直進する予定で地元紙もそのように報道していたが、ヒューストン通りを右折、エルム通りとの交差点、オズワルドが働いていた教科書ビルの直前で左折するよう変えられた。 エルム通りへの左折は「ヘアピンカーブ」になっていて、速度をかなり落とさなければならず、狙いやすうえに複数のスナイパーを配置できる。実際、大統領を乗せたリムジンは時速8キロメートルに減速している。 ケネディ大統領は12時半頃に暗殺された。後ろの教科書ビルから撃たれたことになっているが、映像を見ても証言を調べても、致命傷になったであろう銃撃は前方からのものだった可能性がきわめて高い。これは本ブログでも書いてきた。銃撃の直後、ダラス警察のジョー・マーシャル・スミスは「グラッシー・ノール(草で覆われた丘)」へ駆けつけ、硝煙の臭いを嗅いでいる。 ケネディ大統領の暗殺では、さいまざまな「有名人」の名前が挙がっている。そのひとりがハワード・ハント。1972年6月にリチャード・ニクソン大統領陣営のCREEP(大統領再選委員会)に属すメンバーがワシントンDCの民主党全国委員会本部へ侵入、逮捕された。ウォーターゲート事件だが、この事件にハントも関係していた。 ハワード・ハントは2007年に死亡する直前、息子のセイント・ジョン・ハントへ自分がケネディ大統領暗殺に関係していたことを明らかにした。暗殺自体に関係していないが、暗殺の真相が明らかになりそうになった場合、スケープゴートにされることにあったのではないかとCIAの元高官、ビクター・マーチェッティは推測している。 暗殺の翌年に興味深い映画が3作品、公開されている。1月にスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」、2月にはジョン・フランケンハイマーが監督した「5月の7日間」、そして10月になるとシドニー・ルメット監督の「フェイルセイフ」だ。 最初の作品は空軍司令官がソ連への核攻撃を全戦略爆撃機に命令するという筋書きで、2番目は統合参謀本部議長など軍の幹部が大統領を排除するためにクーデターを計画するという内容、3番目ではコンピュータのエラーでソ連を核攻撃してしまうというプロットだった。(Russ Baker, “Family of Secrets”, Bloomsbury, 2009) 「5月の7日間」という小説を書いたのはフレッチャー・ニーベルとチャールズ・ベイリーで、ケネディ大統領もその小説を読み、友人にありえる話だと語っている。その話をニーベルが思いついた切っ掛けはカーティス・ルメイへのインタビューだったという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) ルメイは広島と長崎に原爆を投下し、日本の都市に住む市民を焼夷弾で焼き殺した人物。「博士の異常な愛情」でソ連に対する核攻撃を独断で命じたジャック・リッパー空軍准将もルメイがモデルだと考えられているのだが、この人物はケネディ大統領暗殺の翌年、日本政府から「勲一等旭日章」を授与された。
2022.12.20
日本政府は軍事力増強を打ち出しているが、本ブログで繰り返し書いてきたように、これはアメリカの支配層がソ連消滅の直後から始めた世界制覇プランに従ってのことだ。1995年2月にジョセイフ・ナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した後、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていったのである。 アメリカはNATO軍を使い、1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃して国を解体、さらにアフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどに侵略戦争を仕掛け、破壊してきた。彼らの矛先は現在、ロシアや中国へ向けられている。こうしたアメリカの動きとロシアの対応についてウラジミル・プーチン露大統領は2018年3月にロシア連邦議会で説明した。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、NATOはヨーロッパを支配する仕組みとしてアメリカやイギリスの支配層によって創設された。ソ連軍の侵攻に備えるという目的もゼロとは言わないが、限りなくゼロに近いとは言える。NATOの初代事務総長でウィンストン・チャーチルの側近だったヘイスティング・ライオネル・イスメイはNATOを創設した目的について、ソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけることのあると公言している。 現在、軍事的な緊張が高まっているが、この問題ではアメリカによるABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)からの離脱が大きな節目になったとプーチンは考えている。 この条約は1972年5月に締結されたが、2001年12月にジョージ・W・ブッシュがロシアに対して条約からの離脱を通告、翌年の6月に脱退した。そしてアメリカで創設された組織がミサイル防衛局である。 アメリカはアラスカとカリフォルニアにミサイル防衛システムを設置し、NATOを東へ拡大させることでルーマニアとポーランドにもミサイル防空エリアを新たに作った。その時点で日本や韓国へのミサイル配備が予定されている。 ブッシュ政権の政策はネオコン系シンクタンクPNACが2000年に発表した報告「米国防の再構築」に基づくが、この報告のベースは1992年2月に国防総省の「DPG草案」として作成された世界制覇プラン。国防次官補だったポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれている。 こうしたプランの背後にいた人物が国防総省内のシンクタンクONAのアンドリュー・マーシャル室長。CIA内部でソ連に関する偽情報を発信していた「チームB」と連携し、マーシャルは冷戦時代にソ連脅威論を発信。このチームにはウォルフォウィッツも含まれている。ソ連消滅後、マーシャルは中国の地対地ミサイルなどが東アジアの基地や空母にとって脅威になるとしてミサイル防衛の必要性を強調、中国脅威論を主張していた。 マーシャルの主張を現実化する上で好都合な出来事が2001年9月11日に引き起こされる。ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントン郡にある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。アメリカ国内はファシズム化が進み、国外では侵略戦争が本格化した。 アメリカがABM条約から脱退、それまで禁じられていたミサイルの開発を始めたことを受け、ロシアも新兵器の開発に着手したとプーチンは語った。例えば新型のMIRVミサイル「Sarmat」、低高度で飛行する核エネルギーの推進装置を搭載したステルス・ミサイル、深海を移動するステルス核魚雷、超音速ミサイル、大陸間をマッハ20で滑空するミサイル、レーザー兵器などだ。アメリカは核戦争で生き残れないと宣言したのである。 ロシア製兵器の性能が良いことは2015年9月にシリア政府の要請で軍事介入してから明確になった。アメリカのバラク・オバマ政権は2011年春からリビアやシリアなどへアル・カイダ系武装集団を利用して侵略戦争を開始、その年の10月にムアンマル・アル・カダフィ体制を倒し、カダフィを惨殺した。 その際、NATO軍とアル・カイダ系のLIFGが連携していることが明確にされている。そのダメージを弱めたのがアル・カイダを指揮しているとされていたオサマ・ビン・ラディンを殺害したとするオバマ政権の発表。2011年5月にアメリカの特殊部隊が殺したことになっているが、証拠はない。 その後、アメリカ政府は兵力をシリアへ集中するが、バシャール・アル・アサド政権を倒せない。そこでオバマ大統領は2015年にホワイトハウスを好戦的な布陣に変更した。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへそれぞれ交代したのだ。 アル・カイダ系武装集団を危険視していたデンプシーが退任した5日後、9月30日にロシアはシリア政府の要請で軍事介入、アメリカの手先として活動していたムスリム同胞団やサラフィ主義者の戦闘集団を敗走させた。 現在、NATO軍はウクライナでもロシア軍との戦闘に深く関与している。アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターも指摘しているように、ロシア軍と戦わせる相当数の兵士はNATO加盟国で軍事訓練を受け、またアメリカの統合参謀本部は「ウクライナ司令部」を創設するとしている。 そのほかアメリカ/NATOは兵器を供給衛星写真を含む軍事情報をキエフ軍へ提供、作戦を指揮しているとも言われている。12月5日にはロシア領内、ウクライナとの国境から北東450キロメートルの場所にあるディアギレボ基地と東550キロメートルのエンゲルス基地がドローンに攻撃され、長距離爆撃機2機が軽い損傷を受けたという。いずれの基地とも核戦略に関係している。 ロシアで1970年代に製造された偵察用ドローンTu-141に新しい誘導システムを取り付けて巡航ミサイルに改造、アメリカの衛星に誘導されて攻撃したとされている。ドローンを飛ばしたのはロシア領内へ侵入した工作員だと見られているが、もし国境の外からの攻撃だった場合、ロシア軍の報復核攻撃もありえたと言われている。それだけ欧米の戦争推進派は追い詰められていると言えるだろう。
2022.12.19
岸田文雄政権は12月16日、「国家安全保障戦略(NSS)」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」の軍事関連3文書を閣議決定、2023年度から5年間の軍事費を現行計画の1.5倍以上にあたる43兆円に増額する一方、「敵基地攻撃能力」を保有するとしている。 軍事的な緊張が高まっていることを理由にしているようだが、ウクライナではアメリカのバラク・オバマ政権がクーデターでネオ・ナチ体制を作り上げたことで戦火が広がり、東アジアでは菅直人政権が中国との友好関係を破壊して不安定化している。 1972年9月に調印された日中共同声明から日本と中国の友好関係は築かれるが、その際、田中角栄と周恩来は両国で対立があった尖閣諸島の問題を「棚上げ」することで合意している。この合意で日中両国は日本の実効支配を認め、中国は実力で実効支配の変更を求めないことを決めた。 ところが菅直人政権は2010年6月、尖閣諸島には「解決すべき領有権の問題は存在しない」とする答弁書を閣議決定し、「棚上げ」の合意を潰し、日本と中国の友好関係を壊しにかかったのである。 この決定に基づいて海上保安庁は尖閣諸島周辺の海域における警備基準を日中漁業協定基準から国内法基準に変更、海上保安庁の巡視艦が中国漁船を取り締まり、衝突事件に発展した。海上保安庁は国土交通省の外局だが、その当時の国土交通大臣は前原誠司だ。 閣議決定の4カ月前、アメリカの国務次官補だったカート・キャンベルが来日、前原と会談したと言われている。アメリカ政府の意向(あるいは命令)に従い、中国との関係を破壊したわけで、アメリカ政府の命令でロシアとの関係を壊したEUと似たものがある。 キャンベルは日本が1995年にアメリカの戦争マシーンへ組み込まれる際にも重要な役割を演じている。1991年12月にソ連が消滅、ネオコンなどアメリカの好戦派は自国が「唯一の超大国」になり、他国に気兼ねすることなく単独で行動できる時代になったと考え、世界制覇プランを作成している。 そのプランはネオコンが支配していた国防総省で「DPG草案」として作成された。その当時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官補はポール・ウォルフォウィッツで、いずれもネオコンだ。このプランはウォルフォウィッツを中心に作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれている。 ところが、アメリカの属国であるにもかかわらず、細川護熙政権は国連中心主義を掲げ続けた。そこでこの政権は1994年4月に潰される。この時、マイケル・グリーンとパトリック・クローニンはキャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、1995年2月にナイは「東アジア戦略報告」を発表したのだ。レポートが発表された翌月、帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、國松孝次警察庁長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。 アメリカの戦争マシーンに組み込まれた日本はアメリカの代理戦争を実行するための準備を始め、「敵基地攻撃能力」まで到達したわけである。準備期間に戦争反対の声が高まれば流れを変えられたかもしれないが、大多数の日本人は沈黙していた。
2022.12.18
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は12月9日現在、前の週より194名増えて3万2728名に達した。なおVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われている。
2022.12.17
ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントン・ポスト紙を「言論の自由」を象徴する存在だと信じている人がいた。 しかし、その取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事を書き、その中でCIAが有力メディアへ食い込んでいる実態を明らかにしている。記事が掲載された1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、50年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供、ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) イギリスやドイツを含め、西ヨーロッパの有力メディアもCIAをはじめとする西側情報機関の影響下にあり、プロパガンダ機関と化していることは本ブログでも書いてきた。「日本のマスコミはダメだが欧米のメディアは言論の自由を守っている」などということはない。 アメリカの支配層が言論統制を組織的に行うようになったのは第2次世界大戦の直後から始まった「モッキンバード」だが、1980年代に入ると仕組みが変化する。1960年代の終盤から70年代の前半にかけて統制の間隙を縫って権力層にとって都合の悪い事実が伝えられた。勇気ある内部告発者と気骨あるジャーナリストが存在したからだが、そうした情報の流れを足し切るため、70年代の後半から統制が強まる。 内部告発を犯罪として厳しく取り締まる仕組みが作られ、巨大資本によるメディア支配も強まった。「規制緩和」によってメディアは寡占化が進み、今ではメディアの9割程度を6つのグループが支配している。つまりCOMCAST(NBCなど)、FOXコーポレーション(FOXグループなど)、ウォルト・ディズニー(ABCなど)、VIACOM(MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、CBSだ。日本では電通をはじめとする巨大広告会社によるメディア支配が指摘されているが、情報機関の手は日本のマスコミの内部にも伸びている。 その一方、ロナルド・レーガン大統領は1983年1月にNSDD11へ署名して「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」がスタートした。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊し、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めたのである。「思想戦争」と表現する人もいたが、「イメージ戦争」とも言える。 さらに情報支配の仕組みを変える出来事が1982年9月に引き起こされた。レバノンのパレスチナ難民キャンプ、サブラとシャティーラでイスラエルを後ろ盾とするファランジスト党のメンバーが無防備の難民を虐殺したのだ。数百人、あるいは3000人以上が殺されたと推測されているが、歴史的に親イスラエルだったイギリス労働党の内部でもイスラエルの責任を問う声が高まり、パレスチナ支持にスタンスが変化する。 イスラエルでは1981年6月30日に選挙が予定されていたが、その3カ月前の時点では労働党を中心とする勢力がリクードを大きくリードしていた。そうした中、6月7日にイスラエル軍の戦闘機がイラクのオシラク原子炉を空爆、7月17日にはベイルートにあったPLOのビルに対して大規模な空爆を実施した。 レーガン政権はこの攻撃を黙認していたが、国連のブライアン・アークハート事務次長がイスラエルを説得するようにアメリカ政府へ働きかけ、停戦が実現。イスラエル側ではアリエル・シャロン国防相も準備不足だとして停戦を望んでいた。シャロンはPLOの軍事的/政治的な組織を壊滅してヤセル・アラファトなどの幹部を殺害、イスラエルの傀儡指導部を作り、ヨルダンを不安定化させてフセイン国王の体制を倒すというプランを持っていたという。 シャロンは1982年1月にベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決めている。1月の終わりにはペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開いた。アメリカに送るメッセージについて合意することが目的だった。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないという内容だ。 6月3日に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使、シュロモ・アルゴブの暗殺を試みたが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派。 イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)が、この組織には相当数のイスラエルのエージェントが潜入していて、暗殺の目標を決めたのもそうしたエージェントだったともされている。この事件を口実にしてイスラエルは6月6日にレバノンへ軍事侵攻、1万数千名の市民が殺された。(Alan Hart, “Zionism: Volume Three,” World Focus Publishing, 2005) そして9月にサブラとシャティーラでの虐殺があったのだが、こうしたイスラエルの行為に反発した人は少なくない。反イスラエル感情はイギリスだけでなくヨーロッパ全体に広がり、イスラエルの後ろ盾になっているアメリカへの憎悪にもつながった。 それを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)だ。BAPには有力メディアの編集者や記者が参加、これが情報統制にとって有効に働く。これ以降、メディアは共犯者としての色彩を強めていく。
2022.12.17
ニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、シュピーゲル、ル・モンド、エル・パイスは11月18日、ジョー・バイデン政権に対する公開書簡を発表し、ウィキリークスのジュリアン・アッサンジに対する起訴を取り下げるように呼びかけた。有力メディアによる言論弾圧への批判が強まる中、「ダメージ・コントロール」を行っているつもりかもしれない。 この5メディアは12年前の2010年11月18日にウィキリークスと共同で、アメリカの大使館や領事館から国務省へ送られた通信文を発表している。いわゆる「ケーブルゲート」だ。 その年の4月5日には、アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月に非武装の一団を銃撃して十数名を殺害する場面を公開。犠牲者の中にはロイターの特派員2名が含まれていた。日本のマスコミは無視、ヘリコプターの乗組員の交信内容から「誤射」だとしていた政党機関紙もあった。 その映像を含むイラクでの戦争に関する情報を提供したのはアメリカ軍のブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵。公開から間もなく逮捕された。スウェーデンの検察当局は2010年11月にアッサンジに対する逮捕令状を発行している。 アメリカは「大量破壊兵器」をイラクが保有、今にもアメリカを攻撃しようとしているかのように宣伝、先制攻撃を実行したが、これは作り話だった。戦争を始めるために偽情報を宣伝したひとりが国務長官を勤めていたコリン・パウエル。彼が書いたメモによると、2002年3月28日にイギリスのトニー・ブレア首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っている。 ブレアーが書簡を送った時点でブッシュ・ジュニア政権は戦争を始め用としていたが、大義がなく作戦が無謀だとして統合参謀本部が抵抗、実現できないでいた。そうした中、2002年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成、メディアにリークされた。いわゆる「9月文書」だ。サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載しているが、勿論これは嘘だ。 この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物だということが判明している。別に執筆者がいるとも噂されているが、信頼できるものではなかった。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄する。 イラクに対する侵略戦争が始まって2カ月後の2003年5月29日、BBCのアンドリュー・ギリガン記者はラジオ番組で「9月文書」を取り上げ、これは粉飾されていると語る。サンデー・オン・メール紙で彼はアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 BBCの記者は事実を話したのだが、それをブレア政権は許さない。ギリガンが「45分話」を語った直後、デイビッド・ケリーが情報源だということをブレア政権は突き止める。ケリーは国防省で生物兵器防衛部門の責任者を務める専門家で、イギリスの情報機関から尋問を受けることになった。 ケリーはイラクの大量破壊兵器がないとブレア首相に説明していたのだが、ブレアは偽情報で世論を戦争へと誘導しようとしていた。それに恐怖したケリーはギリガンに事実を伝えたのだ。 ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に変死する。公式発表では手首の傷からの大量出血や鎮痛剤の注入が原因で、自殺だとされているが、手首の傷は小さく、死に至るほど出血したとは考えにくい。 ケリーは古傷のため右手でブリーフケースを持ったりドアを開けたりすることができなかった。右肘に障害があったのだ。ケリーは折りたたみ式のナイフを携帯していたが、右手の問題で刃を研ぐことが困難で、その切れ味は悪かった。(Miles Goslett, “An Inconvenient Death,” Head of Zeus, 2018) 救急救命士のバネッサ・ハントによると、ケリーの左の手首には乾いた血がこびりついているだけで傷は見えなかったという。ハントの同僚であるデイビッド・バートレットはケリーの服についていた血痕のジーンズの膝についていた直径4分の1インチ(6ミリメートル)程度のものだけだったと証言している。(前掲書) しかも手首を切ったとされるナイフから指紋が検出されていない。死体の横には錠剤が入った瓶が転がっていたのだが、その瓶からもケリーの指紋は検出されていない。 また、最初に発見されたときには木によりかかっていたとされているが、救急救命士と救急隊員は仰向けになっていたと証言、ふたりの救急関係者が現場へ到着したとき、ふたりの警官だけでなく「第3の男」がいたとも語っている。 アメリカやイギリスの政府に都合の悪い事実を記者に伝えたケリーは死亡、事実を国民に伝えたBBCの記者はブレア政権から激しく攻撃されて執行役員会会長とBBC会長は辞任に追い込まれた。ギリガンもBBCを離れざるをえなくなる。なお、2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣だったジャック・ストローは認めた。 米英両政府は「大量破壊兵器」の保有という偽情報を流してイラクを攻撃したが、ネオコンは1980年代にイラク攻撃を計画している。イラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を樹立、イランとシリアを分断してそれぞれを破壊するというのだ。 国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツは1991年1月に湾岸戦争の経験からアメリカが軍事力を行使してもソ連軍は出てこないと考えるようになり、ウェズリー・クラーク元NATO欧州連合軍最高司令官によると、ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると1991年に語っていた。(3月、10月) ウォルフォウィッツは2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任すると同時に国防副長官へ就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。クラークによると、それから10日ほど後にドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、イランの3カ国だけでなく、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンも攻撃対象国リストに加えられていた。そして2003年3月にアメリカ主導軍はイラクを先制攻撃する。 ジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、イラクでの戦争では2003年の開戦から06年7月までに約65万人が殺されたとされ(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)、イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。 第2次世界大戦後、アメリカの情報機関はメディアをコントロールするために「モッキンバード」と呼ばれるプロジェクトを始めた。指揮していたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、このふたりとヘルムズはCIAの幹部で、フィリップ・グラハムは第2次世界大戦中にアメリカ陸軍の情報部に所属、中国で国民党を支援する活動に従事、戦後はワシントン・ポスト紙の社主を務めた。ヘルムズの母方の祖父ゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際決済銀行の初代頭取だ。 グラハムはジョン・F・ケネディ大統領の友人だったが、大統領が暗殺される3カ月前に急死、妻のキャサリーンが社主を引き継いだ。そのキャサリーンの下でワシントン・ポスト紙は「ウォーターゲート事件」を暴く。 その取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事を書き、その中でCIAが有力メディアへ食い込んでいる実態を明らかにした。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、50年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。 1970年代の半ば、CIAが有力メディアを情報操作のために使っていることはフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でも明らかにされた。ただ、CIAからの圧力で記者、編集者、発行人、あるいは放送局の重役から事情を聞いていない。巨大資本/情報機関によるメディア支配は1970年代の後半から強まり続けている。 CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらず、例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 ウルフコテによると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。実際、そうした事態になっている。 そうした中、登場したのがウィキリークス。その創設者であるジュリアン・アッサンジは2012年8月からロンドンにあるエクアドル大使館に閉じ込められる形になり、19年4月11日に同大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に入れられた。 一時期、ウィキリークスと有力メディアが手を組んでいるように見えたこともあるが、オバマ政権になってメディアへの締め付けが強まったようで、アッサンジに対する攻撃、つまり言論弾圧に参加するようになった。 イギリスのウェストミンスター治安判事裁判所は4月20日、内部告発を支援する活動を続けてきたウィキリークスのジュリアン・アッサンジをアメリカへ引き渡すように命じ、プリティ・パテル内務大臣は6月17日、ジュリアン・アッサンジのアメリカ移送を認める文書に署名した。 戦争犯罪を含むアメリカ支配層の権力犯罪を明らかにしたことが「スパイ行為」にあたるとして、オーストラリア人のアッサンジを処罰するとアメリカ政府は主張、それをイギリスの裁判所が容認したわけで、アメリカへ引き渡された場合、アッサンジには懲役175年が言い渡される可能性がある。
2022.12.16
アメリカがウクライナへ「パトリオット防空システム」を供給するという話をアメリカのメディアが伝えている。このシステムは亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」と同じように実戦で使えないことが中東での戦闘で判明したアメリカの兵器で、このようなものを供給する意味をいぶかる人は少なくない。 そのトマホークを日本はアメリカから購入する意向だという。アメリカは「在庫処分」したいのかもしれないが、日本が攻撃相手と想定している国、つまり中国がロシア製の防空システムを導入したなら役に立たない。ただ、トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルあることから「脅威」だとは判断され、東アジアの軍事的な緊張を高めることにはなるだろう。 ヘルソンの戦いではドニエプル川西岸にいた住民と部隊をロシア軍は撤退させたが、これは戦力が不十分なためキエフ軍によってダムが破壊された場合の犠牲者を考慮してのことだと言われている。 それに対し、キエフ軍はステップ(大草原)へ訓練ができていない兵士を送り込み、犠牲者が増えている。すでにキエフ政権は戦闘員を補充するため18歳から60歳までの男子が出国することを禁じて動員の対象にしているが、45歳以上の男子が戦場へ駆り出されているという。その訓練が不十分な兵士に「玉砕攻撃」をさせているようだ。欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は11月30日、ウクライナの将兵10万人以上が戦死したと語ったが、概ね正しいと見られている。 ドニエプル川西岸から部隊を撤退させたロシア軍はバフムート(アルチョモフスク)での戦闘に集中、キエフ政権が送り込んだ部隊は壊滅状態になっている。キエフ軍側の死傷者数はロシア軍側の10倍と言われ、キエフの病院ではバフムートから運ばれてくる多くの兵士を治療に手一杯になっていると伝えられている。 しかも、ロシア軍は冬季の攻撃を準備している。ウラジミル・プーチン露大統領は9月21日に部分的な動員を実施すると発表、集められた兵士のうち約8万人はすでにドンバス入りし、そのうち5万人は戦闘に参加しているという。約32万人は訓練中で、地面が凍結したのちに予定されている攻撃に参加するだろう。 ロシア軍はすでにドンバス周辺へT-90M戦車、T-72B3M戦車、防空システムS-400を含む兵器を大量に運び込んでいるのだが、キエフ軍は兵器が枯渇、ウクライナへ兵器を供給していたNATOも在庫がなくなりつつあるようだ。金融が支配するアメリカでは製造業が破壊されたが、その影響が出ていると言えるだろう。 2月24日にロシア軍がドンバス(ドネツクやルガンスク)で軍事作戦を開始した後もキエフ政府軍と戦う主力は現地軍やチェチェン軍で、ロシア軍は多くなかった。ロシア政府は十分な戦力を投入しなかったのだが、政権の内部に「バランスの取れた取り組み」を主張するグループがいた影響のようだ。 しかし、夏場にはクレムリン内部の状況が変化したらしく、部分的動員が発表された後に西部軍管区司令官が交代、10月にはドンバス、ヘルソン、ザポリージャの統合司令官としてセルゲイ・スロビキン大将が据えられた。 プーチン大統領は11月25日、ウクライナでの戦闘に参加している兵士の母親と会談した際、「ドンバス(ドネツクやルガンスク)をもっと早くロシアへ復帰させるべきだった」と語っている。ミンスク合意は間違いだったと認めたわけだ。 アンゲラ・メルケル前ドイツ首相はツァイト誌のインタビューで、ミンスク合意はウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語った。これは当時から指摘されていたことで、アメリカの元政府高官や退役将校も「時間稼ぎにすぎない」と指摘していた。 2010年1月から2月にかけて行われた大統領選挙でビクトル・ヤヌコビッチが当選した直後にバラク・オバマ政権はネオ・ナチによるクーデターを計画。2014年2月にヤヌコビッチは排除された。このクーデターにヤヌコビッチが支持基盤にしていた東部や南部の住民は反発、ドンバスでは戦闘になったのである。ウクライナの東部や南部はソ連時代にロシアからウクライナへ割譲された地域で、ロシア語を話し、ロシア文化の中で生活している住民が多かった。 アメリカ/NATOはネオ・ナチを利用して東部や南部で「民族浄化」を目論んだと見られているが、失敗に終わりそうだ。
2022.12.15
ウクライナの戦乱はイギリスやアメリカの支配者、つまり明治維新から現在に至るまで日本に強い影響力を及ぼしている勢力によって引き起こされた。 彼らの長期戦略が始まったのはアヘン戦争の頃、中期的には1991年12月のソ連消滅、あるいは2001年9月11日の出来事、そして短期的には2013年11月から14年2月にかけてキエフで実行されたネオ・ナチのクーデターだ。クーデター後、ドンバスやクリミアを制圧するために戦力を増強するが、そのための時間稼ぎがミンスク合意だった。 アメリカやイギリスの支配層がウクライナを征服しようとしている理由のベースには19世紀から続く世界制覇戦略がある。ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸を締め上げ、ロシアを征服しようとしているのだが、そのロシアの喉元にナイフを突きつけるためにウクライナを支配する必要がある。 アメリカの支配層内でソ連/ロシアを征服しようという意思が最も強いのはネオコンだろう。そのネオコンは1991年12月にソ連が消滅した直後、世界制覇計画を「DPG(国防計画指針)草案」という形で作成した。 当時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。いずれもネオコンの中核グループに属している。ウォルフォウィッツが草案作成の中心だったことから1992年のDPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ネオコンは手始めに旧ソ連圏への侵略を始めようとするが、ビル・クリントン政権は動かず、動かないクリントン大統領はスキャンダルで攻撃された。クリントン政権が戦争へ舵を切るのは1997年1月に国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代してからである。オルブライトはヒラリー・クリントンと親しく、ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子。師弟とも好戦的である。 ソ連時代からアメリカ政府にはソ連やロシアを強く敵視する人物がいる。例えばポーランド生まれのズビグネフ・ブレジンスキー、チェコスロバキア生まれのマデリーン・オルブライト、父方の祖父母がウクライナからの移民であるビクトリア・ヌランド、父方の祖父がウクライナ出身のアントニー・ブリンケンなどだ。 1998年4月にアメリカ上院はNATOの拡大を承認、99年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。軍事侵略だ。その際、スロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊しただけでなく、中国大使館も爆撃しているが、状況から考えて誤爆ではない。 ネオコンが主導権を握っているとは言えるだろうが、ウォーレンのような人物もいた。つまりネオコンが好き勝手にできる状態だとは言えなかった。その状態を大きく変える出来事が起こるのは2001年9月11日のことである。 その日、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)とバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ大統領は詳しい調査が行われる前にオサマ・ビン・ラディンが率いる「アル・カイダ」の犯行だと断定、ビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃した。 攻撃直後にオサマ・ビン・ラディンは9月11日の攻撃に自分たちは関与していないと主張、9月16日にはカタールのテレビ局、アル・ジャジーラに送った声明の中で、やはり自分たちが実行したのではないとしているが、西側では問題にされなかった。 ブッシュは大統領に就任して以来、ネオコンの戦略通りに中国脅威論を叫んだが、彼の財布とも呼ばれていたエンロンの破綻が不可避という不安も抱えていた。その不安も2001年9月11日に消える。この日、航空機が激突したツインタワーだけでなく、攻撃を受けていない7号館も爆破解体のように崩壊、そこに保管されていた金塊、エンロンや国防総省の使途不明金に関する捜査資料は消えてしまったのだ。 ブッシュは2000年の選挙で大統領に選ばれたのだが、ネオコンに担がれていた。この選挙では正体不明の「選挙監視員」による投票妨害が報告され、バタフライ型投票用紙などが原因になった混乱があった。実際の投票数と出口調査の結果が違うとも指摘された。不正選挙だったと言われているのは、そうした出来事のためだ。 しかし、選挙の前にも疑惑を招く出来事があった。2000年の選挙は共和党のブッシュと民主党のアル・ゴアが争ったが、その前年には出馬を否定していたジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまりJFKの息子が有権者から最も支持されていた。そのケネディ・ジュニアが飛行機事故で死亡したのだ。 もしケネディ・ジュニアが立候補した場合、民主党と共和党以外の候補者が大統領になる可能性もあったが、彼は1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。ケネディが乗っていたパイパー・サラトガが墜落、本人だけでなく妻のキャロラインや義理の姉にあたるローレン・ベッセッテが死亡したのだ。 もし彼が大統領に選ばれたなら、2大政党という事実上の1党独裁体制が揺らぎ、巨大資本にとって不都合な政策が打ち出されたかもしれないが、それ以上に重要だったのはケネディ大統領の暗殺に関する情報が公開されてしまう可能性。これは支配階級にとって悪夢以外の何物でもないはずだ。 本人の操縦技術に問題があったとは考えられず、しかも飛行位置から考えてパイパー機は自動操縦で飛んでいた可能性が高い。この飛行機は緊急時に位置を通報するELTが搭載されていたが、墜落現場の特定までに5日間を要した。時間がかかりすぎている。しかも搭載されていたボイス・レコーダーには何も記録されていないという。 2000年の選挙には政治姿勢がネオコンと正反対のメル・カーナハン元ミズーリ州知事も立候補していたが、その年の10月16日にやはり飛行機事故で死亡している。対立候補はブッシュ政権で司法長官を務めたジョン・アシュクロフトだが、選挙ではカーナハンの妻が当選した。 ミズリー州では1976年の選挙前でも民主党の上院議員候補が飛行機事故で死んでいる。ジェリー・リットンだ。その結果、当選したのが共和党のジョン・ダンフォースだった。 2002年の中間選挙ではミネソタ州選出の上院議員、ポール・ウェルストンがやはり飛行機事故で死んでいる。ウェルストンもブッシュ政権と対立する考え方の人物で、イラク攻撃にも反対した可能性が高い。この当時の民主党には戦争に反対する議員がいた。 ウェルストンの場合、悪天候が原因だったと報道されているが、彼が乗っていた航空機の飛行高度では5マイル(約8キロメートル)先まで見えたと言われ、しかも防氷装置がついていた。 2001年9月11日の出来事で主導権を握ったネオコンは侵略戦争を始めるが、統合参謀本部との対立で正規軍を使った侵略は止め、アル・カイダ系武装集団やネオ・ナチなどを傭兵として使い始めた。ウクライナでのクーデターはその一環だ。バラク・オバマはジョージ・W・ブッシュから本質的には「チェンジ」していない。 歴史的にアメリカやイギリスの私的権力はドイツを潜在的なライバルとして警戒、ロシアとドイツを戦わせて共倒れにしようとしてきたと言えるだろう。 ところがドイツとロシアは天然ガスの取り引きで関係を強めていた。その天然ガスを運ぶパイプラインがウクライナを通過している。ウクライナを支配できれば、ロシアからドイツへの天然ガス輸送をコントロールできるわけだ。 ドイツとロシアはウクライナを迂回するパイプラインも建設した。バルト海経由の「ノード・ストリーム」と「ノード・ストリーム2」だ。このふたつのパイプラインが9月26日に爆破された。 ガスの圧力低下をガスプロムが異常アラームで知った1分後、イギリスの首相だったリズ・トラスはiPhoneでアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官へ「やった」というテキストのメッセージを送っている。トラスは10月25日に突如辞任、10月29日にロシア国防省はノード・ストリームを破壊したのはイギリス海軍だと発表した。 アメリカ、イギリス、NATOなどはウクライナにロシアと戦わせようとしてきた。本ブログでも繰り返し書いているように、そうした西側に操られたキエフ政権は無謀な玉砕攻撃を実行、多くの男性が戦死している。富裕層は国外で優雅な生活を楽しんでいるようだが、庶民は厳しい状況だ。45歳以上の男性が最前線へ送り込まれているということは、それだけ若者が死んでいるということだろう。 ウクライナ軍/親衛隊の敗北が決定的になっていた4月5日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は自分たちが大きなイスラエルになると宣言している。「イスラエルになる」という意味が明確でないが、「ユダヤ人の国」と解釈することもできる。 そうした国を作るためには、パレスチナでそうだったように、ウクライナを「空き地」にする必要があるだろう。豊かな空き地がなければ移住させることができない。 キエフでのクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権が倒された翌月の2014年3月16日、ヨーロッパ系ユダヤ人のアシュケナージは黒海やカスピ海の北側にあったハザールにいた人びとであり、ウクライナへ帰還させるという話があるとする記事がイスラエルの新聞、タイムズ・オブ・イスラエル紙に掲載された。 現在、同紙の編集部はこの記事に反ユダヤ主義者への皮肉だとする注釈をつけているが、記事の中にそうしたことを感じさせる部分は見当たらない。 しかも2014年9月9日にネイチャー誌で発表された論文では、アシュケナージ系ユダヤ人のゲノムを分析、ユダヤ人以外のヨーロッパ人と比較してアシュケナージ系ユダヤ人に固有の遺伝子マーカーを特定、600から800年前にヨーロッパに住んでいた約350名の人びとから別れ、また中世のアシュケナージはヨーロッパ系と中東系が民族的に混じり合っているとしている。この論文をタイムズ・オブ・イスラエル紙は2014年9月10日に紹介している。この研究者によると、アシュケナージ系ユダヤ人の遺伝的類似性は非常に強く、彼らは比較的小さな集団の中で婚姻を繰り返していたようである。これは3月16日の記事と符合する。 アシュケナージが黒海やカスピ海の北側の地域から移動したというだけなら歴史的な知識に過ぎない。この研究を肯定するにしろ、否定するにしろ、政治的、あるいは宗教的に使う人びとによって歪められる。
2022.12.14
ウクライナでの戦闘がコントロール不能になり、NATOとロシアの大規模な戦争へ突入することを恐れているとイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長は語ったという。この人物のロシアを挑発する言動はアメリカやイギリスの好戦派からの指示に基づくと考えられている。今回の発言も米英から言われていの発言だろう。 2月24日にロシア軍がドンバス(ドネツクやルガンスク)で軍事作戦を開始した後もキエフ政府軍と戦う主力は現地軍やチェチェン軍で、ロシア軍は多くない。戦力を比較するとドンバス側ははキエフ側の数分の1だったと言われているが、それでもドンバス側が優勢で、キエフ側の主力だったネオ・ナチの親衛隊は軍事拠点を住宅地に築き、住民を人質にとっていた。 それでも4月に入るとキエフ側の敗北は決定的になり、ウォロディミル・ゼレンスキー政権はロシア政府と話し合いを始める。それを止めるためにイギリスの首相だったボリス・ジョンソンは4月9日にキエフへ乗り込んだ。4月21日にはウクライナ南部のミコライフ州のビタリー・キム知事が「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と国民を脅し、4月30日になるとナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。 キエフ政権は兵士を補充するために18歳から60歳の男子が出国することを禁じて動員の対象にしていたが、すでに45歳以上の男子も戦場へ駆り出されているという。しかも訓練が不十分な段階で前線へ送り出され、「玉砕攻撃」を強いられている。 バフムート(アルチョモフスク)でもキエフ政権軍は壊滅状態。ロシア/ドンバス側で主に戦っている傭兵会社ワーグナー・グループは掃討作戦の段階に入っていると伝えられている。帝国主義陣営のプロパガンダ機関と化しているニューヨーク・タイムズ紙ですらバフムートにおける惨状を伝えている。11月30日には欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は演説の中でウクライナの将兵10万人以上が戦死したと語ったが、概ね正しいと見られている。 ジョンソン英首相は8月24日にもキエフを訪問、ロシアとの和平交渉を進める時間的な余裕はないと釘を刺しているが、これはウクライナの男性を死滅させるに等しい命令だ。 8月20日にモスクワでダーヤ・ドゥギナが殺害され、9月26日にはロシアからドイツへ天然ガスを運んでいた「ノード・ストリーム1」と「ノードストリーム2」が爆破されたが、ロシア国防省はイギリス海軍が実行したと10月29日に発表した。 アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターが指摘しているように、ロシア軍と戦わせる相当数の兵士はNATO加盟国で軍事訓練を受けている。またアメリカの統合参謀本部は「ウクライナ司令部」を創設するとしているが、すでに戦闘の指揮はNATOが行うようになったとも言われている。 それに対し、ロシア政府はドンバス、ヘルソン、ザポリージャをロシアの一部にすると宣言、ウラジミル・プーチン大統領は9月21日に部分的な動員を実施すると発表した。集められた兵士のうち約8万人はすでにドンバス入りし、そのうち5万人は戦闘に参加しているともいう。訓練中の約32万人は地面が凍結してから始めると見られている新たな軍事作戦に参加するはずだ。大規模な戦闘が行われない可能性は小さい。冬の間に実行されるだろう。ロシア軍はすでにドンバス周辺へT-90M戦車、T-72B3M戦車、防空システムS-400を含む兵器を運び込んでいる。 10月8日にはクリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)で爆破事件があり、自動車用道路の桁ふたつが落下、ディーゼル燃料を運んでいた列車7両に引火した。当初、トラックに積まれていた爆発物による自爆テロだと見られていたが、トラックはダミーで、橋に爆弾が仕掛けられていたという情報もある。トラックが通過するタイミングで橋が爆破されたということになるが、その時に列車の電子システムが乗っ取られ、列車を停止させる信号が出たとする証言もある。 爆弾テロを実行したのはウクライナのSBU(ウクライナ保安庁)だとロシア政府は主張しているが、計画したのはイギリスの対外情報機関MI6(SIS)だという情報も流れている。 11月15日にはポーランドのプシェボドフにミサイルが着弾、2名が死亡した。いち早く報じたAPはアメリカの情報機関高官の話として、「ロシアのミサイル」が国境を超えてポーランドへ入り、ふたりを殺したと伝えていた。 ゼレンスキー大統領もロシア軍のミサイルだと主張していたが、着弾直後の現場を撮影した写真がインターネット上に流れ、ミサイルは防空システムS-300用の5V55Kで、射程距離は75キロメートルだということが判明、ロシア軍が発射したミサイルでないことがわかった。この写真がなければ、アメリカ/NATOはロシア軍の攻撃だと主張、ロシア軍とNATO軍が直接軍事衝突する事態になったかもしれない。 アメリカのジョー・バイデン政権やイギリス政府の内部には敗北が決定的なウクライナ軍に替わり、NATO軍をロシア軍との戦闘へ投入しようと目論んでいるグループが存在するのだが、アメリカの統合参謀本部がこうした無謀で大義のないことを嫌がり、NATO内部にもロシアとの直接的な軍事衝突に反対する国があるようだ。マーク・ミリー統合参謀本部議長はウクライナ軍がロシア軍に勝利する可能性は小さく、外交的な解決を勧めている。 そうした中、NATO軍を動かすためにはネオコンがいうところの「新たな真珠湾」が必要だ。ポーランドへ着弾したミサイルを発射したのはウクライナ軍だった可能性が高いが、ジョー・バイデン政権が許可していた疑いがある。 12月5日にはウクライナからロシア領内へ450キロメートル入った場所にあるディアギレボ基地と550キロメートル入ったエンゲルス基地が攻撃され、燃料タンクが破壊されたようだ。長距離爆撃機2機が軽い損傷を受けたという。そのほか100キロメートルほど入った場所にある基地も攻撃された。 ロシアで1970年代に製造された偵察用ドローンTu-141に新しい誘導システムを取り付けて巡航ミサイルに改造、アメリカの衛星に誘導されて攻撃したとされている。ジョー・バイデン政権は否定しているが、この攻撃にアメリカ政府が関与している可能性は小さくない。 ロシアがアメリカやイギリスの挑発に乗らないため、徐々に挑発工作をエスカレートさせている。ロシアがウクライナの国境を超えて攻撃すればNATO軍を動かせると考えているのだろう。この工作を実行しているグループはNATOとロシアを戦争へと導こうとしている。そのグループにストルテンベルグは従属しているとみられている。
2022.12.13
自由民主党の萩生田光一政調会長が12月10日から台湾を訪問、総統府で蔡英文総統と会談、11日には日台関係に関するフォーラムで基調講演した。 蔡総統が率いる民主進歩党は11月26日に実施された地方選挙で大敗している。同党は「ひとつの中国」を否定、「台湾独立」を掲げて経済状況を悪化させているが、そうした政策への批判が反映されたのだろう。ライバルの国民党は中国と友好関係を維持し、経済活動を活発にしようとしている。 蔡総統はアメリカの力を借りて「現状変更」しようと試み、厳しい状況に陥ってしまった。こうした形の「独立」はアメリカの「属国」になることを意味し、アメリカの軍や情報機関の拠点になることを意味する。 そうした方向へ向かう台湾政権を支えることも萩生田の目的だったのだろうが、これは東アジアにおけるアメリカの軍事戦略とも深く結びついている。萩生田は台湾で日本の軍事力を増強するとしている。 萩生田は台湾海峡の平和と安定の維持が「自由で開かれたインド太平洋」の最大の試金石になるとも主張したようだが、これは「アメリカが支配し、アメリカが自由に振る舞えるインド・太平洋」にほかならない。 アメリカやイギリスは19世紀からユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げていくという戦略を維持してきた。これを可能にしたのがスエズ運河の完成であり、イギリスが作り上げたイスラエルやサウジアラビアはその運河を守る役割も担ってきた。 ユーラシア大陸を取り巻く封じ込め帯の西端がイギリスであり、東端が日本。その日本をアジア侵略の拠点、そして戦闘員の供給源にするためにイギリスは明治維新を仕掛けた。この戦略は現在も生きている。 この戦略をまとめた人物がイギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーで、アメリカのジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。 その封じ込め帯のインド洋から太平洋にかけての海域を支配するため、アメリカ軍は2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ変更した。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、そしてインドネシアを両海域をつなぐ場所だとしていたが、インドネシアやインドはアメリカの軍事戦略と距離を置こうとしている。アメリカはフィリピンにも従属するよう圧力をかけているが、思い通りには進んでいないようだ。 そうした中、日本は喜んでアメリカに従属、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようというアメリカ軍の計画に従おうとしているが、アングロ・サクソンの戦略にとって不十分。そこで、イギリス、オーストラリア、そしてアメリカのアングロ・サクソン系3カ国は中国を仮想敵国とする軍事同盟AUKUSAを組織した。 こうしたアメリカの戦略に従って動いている萩生田光一は「世界平和統一家庭連合(統一教会)と緊密な関係にある政治家として知られている。統一教会との関係で岸田文雄政権はマスコミや野党から攻撃されているが、萩生田は党の要職につき、アメリカの対中国戦略に関するメッセンジャーのような役割を果たしている。 統一教会騒動が始まる切っ掛けは安倍晋三の射殺事件。公式発表への疑惑が語られているが、ともかく犯人とされている山上徹也は動機として安倍と統一教会との関係を口にしている。もっともらしい説明だが、自民党と統一教会との「ズブズブの癒着」は以前から批判されていた。そして萩生田に対する甘い対応。事態の流れに違和感を感じる。統一教会騒動が注目を浴びている中、日本はアメリカの代理として中国やロシアと戦争する態勢を整えつつあることを忘れてはならない。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」に発表されてからだ。 1991年12月にソ連が消滅、ネオコンをはじめとするアメリカの一部支配層は自国が「唯一の超大国」になり、独断で行動できると考えるようになった。その当時の国防長官はネオコンのディック・チェイニー長官、国防次官補はポール・ウォルフォウィッツ。そのウォルフォウィッツを中心に「DPG草案」という形で世界制覇プランが1992年2月に作成された。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 それに対し、細川護熙政権は国連中心主義を掲げていた。そこで細川政権は1994年4月に潰される。この時、最初に動いたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンのふたり。カート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触し、ナイは1995年2月にナイ・レポートを発表したのだ。 そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)た。その10日後に警察庁の國松孝次長官が狙撃された。
2022.12.12
アメリカの議会調査局が12月6日に出したレポートによると、アメリカ軍はLRPF(長距離精密火力)を重視、現在の砲撃やミサイルのシステムを改良、新しい長射程砲や超音速兵器の開発するなどして目標を実現しようとしている。(pdf) ウクライナのクーデター体制がドンバス攻撃の主力として使っていたネオ・ナチを主体とする親衛隊が壊滅した今年5月、アメリカの陸軍長官は長距離システムの基地協定についてインド・太平洋地域の国と交渉していると語っていた。 このプランはアメリカ国防総省系シンクタンクの「RANDコーポレーション」が今年出したレポートと合致する。そのレポートによると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているのだ。勿論、ヨーロッパではロシアを同じように包囲しつつある。 アメリカが太平洋地域における同盟国と考えているのはタイ、フィリピン、韓国、オーストラリア、そして日本だが、タイとフィリピンは微妙で、韓国もアメリカの戦略に従うことを拒否する声は小さくない。そこでGBIRMの配備を受け入れる可能性が高い国は日本だということになるとRANDの報告書では分析していた。 しかし、日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力する方針。そのASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成された。その計画を先取りする形で自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設し、19年には奄美大島と宮古島に作った。2023年には石垣島でも完成させる予定だという。 日本は軍事拠点を作るだけでなく、高性能兵器の開発にも乗り出している。例えばアメリカと共同で音速の5倍以上で侵入してくるHGV(極超音速滑空体)を迎撃するミサイル技術の研究開発を考えていると報道されている。すでにロシアはHGVを配備、中国は飛行試験段階だ。 今年7月24日には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所で迎撃ミサイルに必要な速度に到達することが可能だとされるエンジンの飛行試験を初めて実施したが、極超音速で飛行するミサイル自体も研究している。 日本の場合はHGVではなくエンジンによって推進力を得る極超音速巡航ミサイル(HCM)の開発を目指しているという。2026年に九州や北海道の島々へ配備したいようだ。 JAXAが開発したLUNAR-AはM-Vを使って打ち上げられ、月を周回する軌道に入った段階で母船から観測器を搭載した2機の「ペネトレーター」と呼ばれる観測装置を投下、地中約2メートル前後の深さまで潜り込ませることになっていた。ペネトレーターには地震計と熱流量計が搭載される予定で、その際にかかる大きな圧力に耐えられる機器を作るために必要な技術があれば小型のバンカー・バスターを製造できると見れていたのだ。そこでこの「探査機」を「MARV(機動式弾頭)」と重ねて見る人は少なくなかった。そのためか、2007年1月にLUNAR-A計画は中止になる。 日本のロケット技術は1990年代に長足の進歩を遂げたが、これはソ連が消滅した直後、秘密裏にSS-20の設計図とミサイルの第3段目の部品を入手し、ミサイルに搭載された複数の弾頭を別々の位置に誘導する技術、つまりMARVを学んだからだと言われている。その当時のロシアは欧米支配層の傀儡だったボリス・エリツィンが君臨していた。 そして現在、日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発し、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにする計画を立てている。地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だとされていた。 その後、日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという話も出てきた。トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。記事では「反撃能力」が強調されているが、このミサイルには言うまでもなく先制攻撃能力がある。 さらに、日本は射程距離が3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画だとも伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。岸田文雄政権の与党である自由民主党と公明党は「敵基地攻撃能力」を日本が保有することで合意しというが、これは「先制攻撃」の言い換えにすぎない。 こうした方針が打ち出された背景にはアメリカの戦略がある。日本はアメリカの代理として中国やロシアに対する先制攻撃の片棒を担がされる可能性が高まっているのだ。アメリカ軍が日本に軍事基地を作った理由は先制攻撃のためだ。防衛のためではない。
2022.12.12
現在、ウクライナで最も激しい戦闘が展開されている場所はバフムート(アルチョモフスク)。ロシア/ディスタン側で主に戦っているのは傭兵会社ワーグナー・グループだが、キエフのクーデター体制軍は壊滅的状態だという。帝国主義陣営のプロパガンダ機関と化しているニューヨーク・タイムズですら伝えている事実だ。キエフ側の将校も自軍兵士の死体が散乱していると報告している。 ウクライナの東部から南部に広がるステップ(大草原)へ入り込んだキエフ軍はロシア軍のミサイルや航空兵力による攻撃で大きな損害が出ているのだ。不十分な戦力でステップに止まることは危険だと考えてロシア/ドンバス軍は撤退、そこへウクライナ軍が入り、そうした事態を招いたわけである。ウクライナ側は「玉砕戦法」を続けているのだ。 11月30日には欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は演説の中でウクライナの将兵10万人以上が戦死したと語った。その後、発言はインターネット上から消されたようだが、彼女の話は概ね正しいの見られている。それに対し、ロシア/ドンバス側の戦死者はその約1割だ。 ウラジミル・プーチン大統領は9月21日に部分的な動員を実施すると発表、集められた兵士のうち約8万人はすでにドンバス入りし、そのうち5万人は戦闘に参加しているともいう。訓練中の約32万人は地面が凍結してから始めると見られている新たな軍事作戦に参加するはずだ。 ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領はポーランド、リトアニア、ウクライナがベラルーシの過激派に破壊活動や軍事暴動の訓練をしていると批判しているが、そのベラルーシでロシア軍は実弾を使った訓練を行なっているとも伝えられている。 今後、ロシア軍がどのような軍事作戦を展開するのかは不明だが、すでにドンバス周辺にT-90M戦車、T-72B3M戦車、防空システムS-400を含む兵器を運び込んでいる。32万人を一気に投入するのではなく、長期戦になるという想定でいくつかのグループをローテーションで前線に出すという見方もある。
2022.12.12
日本はすでに世界有数の軍事力を保有する国である。その日本がアメリカと共同で音速の5倍以上で侵入してくるHGV(極超音速滑空体)を迎撃するミサイル技術の研究開発を考えていると報道され、話題になっている。すでにロシアはHGVを配備、中国は飛行試験段階だ。 今年7月24日には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所で迎撃ミサイルに必要な速度に到達することが可能だとされるエンジンの飛行試験を初めて実施したが、極超音速で飛行するミサイル自体も研究している。日本の場合はHGVではなくエンジンによって推進力を得る極超音速巡航ミサイル(HCM)の開発を目指しているという。2026年に九州や北海道の島々へ配備したいようだ。 日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発し、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにする計画。地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だとされていた。その後、日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという話も出てきた。トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。記事では「反撃能力」が強調されているが、このミサイルには言うまでもなく先制攻撃能力がある。 さらに、日本は射程距離が3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画だとも伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。岸田文雄政権の与党である自由民主党と公明党は「敵基地攻撃能力」を日本が保有することで合意しというが、これは「先制攻撃」の言い換えにすぎない。こうした方針が打ち出された背景にはアメリカの戦略がある。 アメリカはイギリスの長期戦略を引き継いでいる。ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げていき、最終的にはロシアを占領して世界の覇者になるというものだ。スエズ運河の完成で可能になった戦略だ。本ブログで繰り返し書いてきたように、その戦略に基づいてイギリスは明治維新を仕掛け、サウジアラビアやイスラエルを作り上げた。 ロシアや中国の周辺にミサイルを配備しているのもその戦略に基づいているが、アメリカ国防総省系シンクタンクの「RANDコーポレーション」が今年出したレポートによると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようと計画している。 アメリカが太平洋地域における同盟国と考えているのはタイ、フィリピン、韓国、オーストラリア、そして日本だが、タイとフィリピンは微妙。韓国もアメリカの戦略に従うことを拒否する声は小さくない。 そこでGBIRMの配備を受け入れる可能性が高い国は日本だということになるのだが、日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力する方針のようだ。 そのASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成され、その計画を先取りする形で自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設し、19年には奄美大島と宮古島に作った。2023年には石垣島でも完成させる予定だという。 アメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月にネオ・ナチを利用してウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、同年9月から12月にかけて香港で「佔領行動(雨傘運動)」と呼ばれる反中国運動を仕掛けた。そのひとつの結果としてロシアと中国は接近、今では戦略的同盟関係にある。日本の軍事力増強はこの中露同盟と戦うことが目的で、日本は先制攻撃を目論んでいるというべきだろう。
2022.12.11
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は12月2日現在、前の週より111名増えて3万2534名に達した。なお、VAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われている。 2019年12月31日に中国の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の肺炎患者が見つかった。これは事実である可能性が高く、その病気を引き起こす病原体もあったのだろうが、何が病原体なのかは明確でない。 その不明確な仮想病原体を「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」と国際ウイルス分類委員会が命名したのは2020年2月11日。そしてWHO(世界保健機関)は3月11日にパンデミックを宣言、騒動が始まる。 しかし、この宣言は2009年に「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が出てくる直前にパンデミックの定義が変更されていなければ不可能だった。その変更で「病気の重大さ」、つまり死者数がという条件が削られているのだ。 COVID-19に対する恐怖心を煽るため、2020年4月、WHOやCDCは死亡した患者の症状がCOVID-19によるものだと考えて矛盾しないなら死因をCOVID-19として良いとする通達を出している。 アメリカ上院のスコット・ジャンセン議員は2020年4月8日、FOXニュースの番組で病院は死人が出ると検査をしないまま死亡診断書にCOVID-19と書き込んでいると話していたが、その背後ではそうした通達があったわけだ。COVID-19に感染している患者を治療すると病院が受け取れる金額が多くなり、人工呼吸器をつけるとその額は3倍になったともいう。PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査も感染拡大の演出に使われていたが、それが診断方法として適切でないということはCDCも認めている。 騒動が始まった直後からCOVID-19が死因とされた患者はどの国でも多くが高齢者で、心臓病、高血圧、脳卒中、糖尿病、悪性腫瘍(癌)、肝臓や腎臓の病気を複数抱えている人が大半だった。ヨーロッパでも「感染者者数」や「死亡者数」が水増しされていると指摘されていた。 その一方、接種が本格化した直後から帯状疱疹、⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)、ギラン・バレー症候群による末梢神経の障害が報告されるようになり、日本で「ワクチン」の接種が本格化する前の2021年4月からイスラエルでは十代の若者を含む人びとの間で心筋に炎症を引き起こす事例が見つかる。CDCのACIP(予防接種実施に関する諮問委員会)は6月23日、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンと「穏やかな」心筋炎との間に関連がありそうだと発表した。 そのほか、「ワクチン」の接種が始まる前から「ADE(抗体依存性感染増強)」が問題になっていた。その結果、人間の免疫システムに任せておけば問題のない微生物で深刻な病気になるということだ。これとも関係するが、専門家の間では「ブースター」が危険視されている。 FDAで「ワクチン研究評価室」を室長を務めていたマリオン・グルーバーと生物学的製剤評価研究センターで副センター長を務めてきたフィリップ・クラウスもそうした立場。ふたりも執筆者に名を連ねる報告が9月13日、イギリスの医学誌「ランセット」に掲載された。その中で「COVID-19ワクチン」の追加接種(ブースター)を頻繁に実施することは危険だとしている。グルーバー室長とクラウス副センター長は辞意を表明した。 スペインのパブロ・カンプラ教授は2021年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」があることを電子顕微鏡などで発見したと発表した。8月に日本政府は「モデルナ製ワクチン」の中に磁石へ反応する物質が見つかったと発表、160万本が回収されたと伝えられが、その物質はグラフェンの誘導体だった可能性がある。 パンプラは11月、周波数の分析で酸化グラフェンが「ワクチン」に含まれていることを確認したと発表したが、その論文を読んだドイツの化学者アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく水酸化グラフェンだろうと解説している。 ノアックによると、この物質は厚さが0・1ナノメートルの小さな板のようなもので、彼はカミソリの刃になぞらえていた。「mRNAワクチン」を接種すると、血管の中を小さな「カミソリの刃」が動き回ることになり、臓器や神経などを傷つけるというわけだ。 また、不安定なmRNAを輸送するためにLNP(脂質ナノ粒子)が使われているが、そのLNPは人体に有害な物質。投与されたLNPは肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されている。そこでLNPが卵子に悪い影響を及ぼすのではないかた言われたが、ここにきて精子にもダメージを与えると言われている。しかも遺伝する恐れがあるという。死産が増えているという情報もある。2006年に公開された映画「トゥモロー・ワールド(原題:Children of Men)」は子どもが生まれなくなった世界を描いているが、それが現実になるかもしれない。
2022.12.10
中国の習近平国家主席は12月7日にサウジアラビアのリヤドを訪問した。ペルシャ湾岸6カ国の首脳と会談することが目的だが、8日にはパレスチナのマフムード・アッバス大統領とも会い、パレスチナを支持すると語った。 サウジアラビアはイスラエルと同じようにイギリスが作り上げた国であり、米英にとって地政学的に重要。アメリカのドル体制を支える国でもあるが、ロシアに続いて中国とも関係を深め、BRICSへの参加に興味を示している。 そのサウジアラビアを含むペルシャ湾岸の産油国に対し、習主席は上海石油天然ガス取引所を使い、決済を元で行おうと提案した。また中国とサウジアラビアは自由貿易圏を作る意向のようだ。 イランともサウジアラビアは関係を修復しようとしてきた。両国の交渉を仲介していたのはイラク。2020年1月3日にはイランからサウジアラビアへの返書を携え、コッズ軍の司令官だったガーセム・ソレイマーニーがバグダッド国際空港を訪れるのだが、そこでアメリカ軍はUAV(ドローン)で暗殺した。イスラエルから提供された情報を利用したと言われている。ソレイマーニー暗殺はアメリカやイスラエルにとって中東における和平の流れを断ち切る作戦だったのだろうが、成功したとは言えない。 一方、中国も1970年代からアメリカとの関係は緊密だった。そうした関係は言うまでもなく1972年2月にリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問してから始まる。それ以降、中国は新自由主義を取り入れるが、そのイデオロギーの教祖的な存在であるミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問している。 1984年に鄧小平を後ろ盾とする趙紫陽はホワイトハウスでロナルド・レーガン米大統領と会談、88年に「経済改革」を実施、つまり新自由主義化を推進するが、これは深刻なインフレを招く。社会は不安定化し、胡耀邦や趙紫陽は窮地に陥った。そして1988年には妻を伴って再び中国を訪問、趙紫陽や江沢民と会談している。 新自由主義の推進を望んでいた中国のエリート学生はジーン・シャープの指揮で反政府活動を展開したが、ジョージ・ソロスともつながっていた。そのソロスと緊密な関係にあったショール・アイゼンベルグは第2次世界大戦中の1940年にヨーロッパを脱出、上海経由で40年、あるいは41年に神戸へ上陸している。当時19歳か20歳だ。 その若者を世話したのが山田忠義。渋沢敬三の秘書などを経て1952年に八幡製鉄へ入社している。山田忠義の息子である山田忠孝はグラクソスミスクライン、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団を経て武田薬品に迎えられた。 日本でアイゼンベルグはこうした政財界の大物に世話されたほか、大戦後にはアメリカ第8軍の司令官だったロバート・アイケルバーガーに可愛がられ、ペニシリンの販売で大儲けしたという。 その後、アイゼンベルグは日本から追い出されるが、イスラエルの情報機関モサドの幹部としてさまざまな秘密工作を実行、イスラエルと中国を結びつけたと言われている。そのアイゼンベルグと緊密な関係にあったソロスは新自由主義から離れようとした中国政府を転覆させようとしたわけだ。 それでも中国とイスラエルは結びついていると考えられていたが、ここにきて離れ始めたのかもしれない。
2022.12.10
ドイツの首相を2005年11月から21年12月まで務めたアンゲラ・メルケルはツァイト誌のインタビューでミンスク合意はウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語ったが、これは当時から指摘されていたこと。アメリカの元政府高官や退役将校も「時間稼ぎにすぎない」と指摘していた。交渉に応じたロシア政府を愚かだと言う人も西側にはいた。 この合意とはドンバス(ドネツクとルガンスク)における停戦に関するもので、キエフのクーデター政権、ロシア、OSCEの代表で構成された連絡グループが作成し、この3者のほかドネツクとルガンスクの代表が2014年9月に署名した。これが機能せず2015年2月のバージョンができたが、やはり機能していない。交渉はドイツとフランスが仲介する形になっている。合意内容はこうした協定書に定められていた。 戦闘が始まった直接的な原因は2014年2月にバラク・オバマ政権を後ろ盾とするネオ・ナチがウクライナの東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、オデッサで反クーデター派の住民を虐殺し、ドンバスへ戦車部隊を突入させたところから始まる。オバマ政権がクーデターを実行したのは、それ以外にヤヌコビッチ大統領を排除する手段がないと判断したからだ。 アメリカは2004年から05年にかけてもヤヌコビッチの大統領就任を「オレンジ革命」で阻止されている。これを仕掛けたのはオバマと同じアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権。そして新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えた。 この政権の政策によって国の富は欧米の巨大資本へ流れて行き、その手先になった一握りのウクライナ人が「オリガルヒ」と呼ばれる富豪になり、その一方で大多数の庶民は貧困化。新自由主義の現実を知ったウクライナ人はそこで2010年の1月から2月にかけて行われた大統領選挙でヤヌコビッチを選んだのだ。 そこで7月にヒラリー・クリントン国務長官(当時)がキエフへ乗り込み、ヤヌコビッチに対してロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めたが、拒否された。そしてオバマ政権のクーデター計画が始まるわけだ。 キエフでのクーデターでヤヌコビッチ大統領を排除することには成功したものの、東部や南部の住民だけでなく軍や治安機関の中にもネオ・ナチ体制を拒否するメンバーは多く、ドンバス軍へ合流したと言われている。そこで新兵主体のクーデター軍とベテランの反クーデター軍という構図になり、戦況はドンバス側が有利だった。 そこでアメリカ/NATOは兵器を供給して兵士を訓練するだけでなく内務省にネオ・ナチを主体とする親衛隊を組織、その一方で少年を集めて訓練、同時にナチズムを叩き込んだ。そうした少年はクーデターから8年を経て戦闘員になっているはずだ。そのための時間を稼ぐためのミンスク合意だったとメルケルは確認したのだ。 西側を民主主義体制だと錯覚、その約束を真に受けたミハイル・ゴルバチョフとその西側の手先だったボリス・エリツィンによってソ連は消滅、ロシアは米英巨大資本に征服されたのだが、ウラジミル・プーチン政権の中にもアメリカとつながっている勢力が存在していたようだ。そうした勢力はドンバスの問題でも「バランスの取れた取り組み」を主張し、西側に戦争の準備をする余裕を与えて事態を悪化させた。 ウラジミル・プーチン大統領は9月21日に部分的な動員を実施すると発表、西部軍管区司令官の司令官をロマン・ベルドニコフ中将へ交代、10月にはドンバス、ヘルソン、ザポリージャの統合司令官としてセルゲイ・スロビキン大将をすえたほか、チェチェン軍を率いているラムザン・カディロフは上級大将の称号を与えた。指揮体制を大きく変えたわけだ。 プーチン露大統領は11月25日、ウクライナでの戦闘に参加している兵士の母親と会談した際、「ドンバス(ドネツクやルガンスク)をもっと早くロシアへ復帰させるべきだった」と語っている。ミンスク合意は間違いだったと認めたわけだ。クレムリンの内部で権力バランスが変化した可能性がある。今後、口先でロシア政府を騙すことは難しくなりそうだ。それを見てのメルケル発言だったのかもしれない。
2022.12.09
岸田文雄政権は統一教会(世界基督教統一神霊協会、1997年から世界平和統一家庭連合)の問題で追及されているが、自由民主党と統一教会との関係は昔から知られ、問題視する人もいたのだが、無視されてきただけだ。この問題へ人びとの目が誘導されている間に日本はアメリカの戦争マシーンの一部として戦争の準備を進めている。 第2次世界大戦後、アメリカは買収、恫喝、暗殺、クーデター、軍事侵攻などあらゆる手段を講じて世界征服に向かってきた。途中、ライバルとの平和共存を訴える大統領も現れたが、第1期目の途中で暗殺されている。 そうしたアメリカによる侵略が始まる背景にはイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルが存在していた。1945年4月に反ファシストのフランクリン・ルーズベルトが急死、その翌月にドイツが降伏するが、その直後にチャーチル英首相はソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるようJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) チャーチルは1945年7月に退陣するが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言した。そのチャーチルはFBIの文書によると、1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。(Daniel Bates, “Winston Churchill’s ‘bid to nuke Russia’ to win Cold War - uncovered in secret FBI files,” Daily Mail, 8 November 2014) チャーチル自身はイギリスの貴族を父に、またアメリカの富豪を母に持つ人物。父親のランドルフはジョン・スペンサー-チャーチル公爵の3男で、素行の評判は良くない。カネ使いが荒く、親しくしていたネイサン・ロスチャイルド男爵から多額のカネを借りていたという。ランドルフは1895年に死亡しているが、死因は梅毒。ネイサンは19世紀のイギリスを支配していたグループの中心的な存在で、セシル・ローズのスポンサーだ。 第2次世界大戦中、アメリカとイギリスは核兵器を開発していたが、7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われて成功、7月24日にハリー・トルーマン米大統領は原子爆弾の投下を許可した。そして7月26日にポツダム宣言が発表される。 アメリカ軍は1945年8月6日にウラン型原爆「リトル・ボーイ」を広島へ投下、9日に長崎へプルトニウム型「ファット・マン」が落とされた。これ以降、アメリカは核戦争が軍事戦略の中心に据えられる。 大戦後、1949年4月にアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクによってNATO(北大西洋条約機構)が創設された。 この軍事同盟を組織した目的はソ連の侵略に備えるためだとされているが、当時のソ連には西ヨーロッパへ攻め込む能力はなかった。ドイツとの戦闘でソ連の国民は2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態だったのである。結局、この痛手から立ち直ることはできなかった。NATOはヨーロッパを支配する仕組みとして組織されたと言うべきだろう。 大戦中、レジスタンスに加わっていたシャルル・ド・ゴールも米英の支配層は敵視していた。フランスでは1961年にOAS(秘密軍事機構)が組織された。その背後にはフランスの情報機関SDECE(防諜外国資料局)や第11ショック・パラシュート大隊がいて、その後ろにはイギリスやアメリカの情報機関が存在していた。 OASはその年の4月12日にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデター計画について討議している。会議にはCIAの人間も参加していた。 アルジェリアの主要都市の支配を宣言した後でパリを制圧するという計画で、その中心には直前まで中央欧州連合軍司令官(CINCENT)を務めていたモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍がいて、1961年4月22日にクーデターは実行に移される。 それに対し、アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。クーデターを進めるとCIAとアメリカ軍が衝突する可能性が高まる。結局、クーデターは4日間で崩壊してしまう。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) フランスのクーデターを失敗させたとも言えるケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その葬儀にド・ゴール自身も出席している。帰国したフランス大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) ケネディ大統領が暗殺されてから3年後にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出す。その司令部はベルギーのモンス近郊へ移動した。それほどNATOがフランスにとって危険な存在だとド・ゴールは認識していた。 しかし、ド・ゴールは1968年5月の「五月革命」で追い詰められ、翌年に辞任。後任大統領のジョルジュ・ポンピドゥーはアメリカとの関係強化を推進、SDECEの局長に親米派のアレクサンドル・ド・マレンシェを据えた。この新局長はポンピドゥーの命令に従い、アメリカとの関係強化に邪魔だと見なされるメンバー815名を解雇した。 その一方、アメリカ軍の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画している。1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという記載がある。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約60000万人を殺すという計画を立てる。 1957年に作成された「ドロップショット作戦」は実戦を想定していたようだが、それでは300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊することになっていた。沖縄の軍事基地化はこの作戦と無縁でないだろう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てたが、邪魔者がいた。大統領だったジョン・F・ケネディだ。ケネディは1963年11月22日に暗殺される。 ケネディを暗殺したのはソ連やキューバだという作り話が流れたが、その「偽旗作戦」をFBIがつかんでいたことから先制核攻撃は実現しなかった。そのプランが再び浮上してくるのは21世紀に入り、ロシアが再独立してからだ。 フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカは近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとされている。この雑誌は外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物で、記事には支配層内部の雰囲気が影響する。 その後、ロシア経済が速いスピードで回復、軍事力も復活する。アメリカの統合参謀本部はそれを認識しているようだが、ネオコンはロシアの経済力や軍事力を大したことないと信じている。その結果、彼らは苦境に陥り、核戦争の可能性が高まった。 そうした中、自衛隊は中距離ミサイルや長距離ミサイルで中国やロシアを攻撃する準備、つまり戦争の準備を進めている。本ブログでは繰り返し書いているが、準備が始まるのは1995年。昔から知られている統一教会と政界とのつながりで騒いでいる間に事態は急速に悪化しているのだ。
2022.12.09
ジョン・レノンがニューヨークで殺されたのは1980年12月8日のことだった。今から42年前のことだ。 その当時、アメリカではソ連に対する秘密工作を始動させていた。例えば1979年7月にエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議を開いている。出席したのはアメリカとイスラエルの情報機関に関係した人びと。「テロの原因」をソ連政府の政策、あるいはその陰謀にあるとする宣伝を行い、ソ連に対する攻撃を正当化しようとしていた。 1979年12月にはNATO理事会が83年にパーシング2ミサイル572基をNATO加盟国に配備することを決定、核戦争を懸念する声が世界的に高まり、反戦/反核運動が盛り上がる。そうした動きにレノンが参加する可能性は高かった。 1980年のアメリカ大統領選挙で現職のジミー・カーターを破ったロナルド・レーガンがは1982年にNSDD(国家安全保障決定指令)55を出して一種の戒厳令プロジェクトであるCOGを承認、憲法の機能を停止させる準備を始める。このプロジェクトは2001年9月11日直後に制定された「愛国者法(注)」につながった。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007) パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめ、パキスタンの情報機関ISIの助言により、クルブディン・ヘクマチアルに目を付ける。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) アフガニスタンでの工作を本格化させる前にCIAとISIはベナジル・ブットの父親、ズルフィカル・アリ・ブットの政権を1977年に軍事クーデターで倒し、ブット自身を79年に処刑した。 クーデターを主導した陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハクはノースカロライナ州のフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019) アメリカより早くムスリム同胞団を利用しようと動いていたのはイギリス。1972年から73年にかけてイギリス外務省のジェームズ・クレイグとエジプト駐在英国大使だったリチャード・ビューモントがロビー活動を展開したのだ。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019) 1978年にはアメリカのCIAとイランのSAVAKが大金を持たせたエージェントをアフガニスタンへ派遣、軍隊の中で左派の将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作している。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995) アフガニスタンのモハメド・ダウド大統領はアメリカへ接近するが、1978年4月にクーデターで倒され、モハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命される。ブレジンスキーたちはこのクーデターの背後にソ連がいると宣伝したが、証拠はなく、国務長官だったサイラス・バンスはその主張を冷戦の夢想だとして相手にしなかった。そのタラキ政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993) ブレジンスキーが手先に選んだヘクマチアルの周辺にはサウジアラビアの協力でサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団のメンバーが戦闘員として送り込めれていく。そうした武装勢力の資金源はベトナム戦争の時と同じように麻薬が利用された。 タラキが実権を握って間もない1978年7月にアフガニスタン駐在アメリカ大使へ就任したアドルフ・ダブスはリチャード・ニクソンのデタント政策を擁護していたことで知られ、ブレジンスキーとは対立していた。 そのダブスは1979年2月に拉致され、彼が拘束されていたホテルへ警察とソ連の顧問が突入した時にはすでに殺されていた。ダブスはアフガニスタンでの工作を進めるため、「生贄になった」という見方もあるが、真相は不明だ。ブレジンスキーたちはソ連の責任を主張した。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1979年9月には軍事クーデターでタラキは殺され、ダブスが接触していたハフィズラ・アミンが実権を握る。アミンはクーデター後にアメリカ大使館のスタッフと定期的に会っていたとされているが、その背景にはアメリカとのつながりがあった。 サラフィ主義者やムスリム同胞団を中心とする傭兵がアフガニスタンを制圧した場合、ソ連へその戦闘部隊が侵攻してくることは不可避。それを迎え撃つかアフガンスタンで戦うかの選択を迫られたソ連は後者を選んだ。そして1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻してくる。 そのソ連軍と戦う戦闘員を集め、訓練、兵器を供給する仕組みをブレジンスキーは作る。それが「アル・カイダ(データベース)」であり、戦闘員のリクルートを担当していたのがオサマ・ビン・ラディンだ。 こうした好戦的な政策を推進していたのはジェラルド・フォード政権で台頭したネオコンである。フォードはウォーターゲート事件でニクソンが失脚した後、副大統領から昇格した人物。大統領に就任してからデタント派を粛清している。 一方、ソ連では1982年11月にレオニード・ブレジネフ書記長が死亡、1967年から82年にかけてKGBのトップだったユーリ・アンドロポフが後継者になるのものの、そのアンドロポフは84年2月に腎臓病で死ぬ。その後を継いだコンスタンチン・チェルネンコは1985年3月に心臓病でそれぞれ死亡した。そして登場してくるのがミハイル・ゴルバチョフだ。立て続けにトップが死んだわけだが、当時、情報関係者の間では「暗殺」の噂が流れていた。 ゴルバチョフはニコライ・ブハーリンを「別の選択肢」として研究していたグループのひとり。西側の「民主主義」を信じ、アメリカの支配層を信頼する。アメリカに洗脳されていたとも言えるが、KGBの中枢にはアメリカの意図を理解した上でアメリカに協力するグループが存在していたと言われている。 実権を握ったゴルバチョフはソ連の「改革」に乗り出し、打ち出したのがペレストロイカ(建て直し)だが、これを考え出したのはKGBの頭脳とも言われ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだとされている。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018) このボブコフはKGBの将軍で同僚だったアレクセイ・コンドーロフと同じようにジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIAのネットワークと連携していたとする情報がある。CIA人脈とKGB中枢が手を組み、ソ連を消滅させ、解体して資産を盗んだというのだ。「ハンマー作戦」だ。 このグループに操られていた政治家のひとりがボリス・エリツィン。ソ連消滅後、エリツィン時代のロシアでは国民の資産が不正な手段で一部の人びとに略奪される。略奪によって巨万の富を築いた若者は「オリガルヒ」と呼ばれるようになり、大多数の人びとは貧困化した。オリガルヒをロシア国内で操っていたのがクーデターを実行したKGBの幹部だと言われている。(注)愛国者法:USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001
2022.12.08
日本は射程3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画だと伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。そして岸田文雄政権の与党である自由民主党と公明党は「敵基地攻撃能力」を日本が保有することで合意した。この合意は1995年に始まった準備の結果にすぎず、「奇襲攻撃」や「偽旗作戦」が待っているかもしれない。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」は2019年に出した報告書には地政学的な争いの中でアメリカが行いうる手段として、ウクライナの武装強化、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアとアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張激化などを掲げている。失敗したものもあるが、全て試みられた。 RANDコーポレーションは今年にもレポートを発表、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)による中国包囲を計画しているとしているのだが、インド太平洋地域でそうしたミサイルの配備を容認する国は日本以外にないという。しかも日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。 そこで、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力するという形にすることになり、そのASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成された。その計画を先取りする形で自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設し、19年には奄美大島と宮古島に作った。2023年には石垣島でも完成させる予定だという。 日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにし、地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だとされていたが、アメリカの想定通りに事態が進んでいないためなのか、日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという話が出てきた。 トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルとされている。記事では「反撃能力」が強調されているが、このミサイルには言うまでもなく先制攻撃能力がある。RANDのレポートが作成された時点より事態が切迫しているのかもしれない。 この戦略の基盤にはユーラシア大陸の周辺部を軍事的に支配して内陸部を締め上げるというイギリスが19世紀に作成した長期戦略がある。締め上げる三日月帯の西端はイギリスであり、NATOの東への拡大はロシアに対する圧力の一環だ。その先にはロシアの制服が見通されている。 東端は日本だが、インド洋から西太平洋にかけてはAUKUS、つまりオーストラリア(A)、イギリス(UK)、アメリカ(US)を中心に据えた。そのアングロ・サクソン系3カ国で構成されるAUKUSへ日本は近づこうとしている。 ヨーロッパ諸国は自分たちがギリシャ文明の後継者であるかのように宣伝しているが、ギリシャ文明は地中海文明の一部にすぎない。その文明が栄えていた時代、ヨーロッパの内陸部は未開の地だった。近代ヨーロッパは11世紀から15世紀にかけて中東を軍事侵略(十字軍)で財宝や知識を手に入れ、スペインやポルトガルは15世紀になると世界各地で略奪を開始、1521年にはエルナン・コルテスが武力でアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪う。それ以降、金、銀、エメラルドなどを略奪、先住民を使って鉱山を開発した。そうして手に入れた財宝を海賊に奪わせていたのがイギリス。14世紀から16世紀にかけて起こったルネサンスはそうした略奪と殺戮の上に成り立っている。 インドへの侵略と略奪で大儲けしたイギリスは中国(清)に手を伸ばすが、経済力では太刀打ちできない。そこで中国にアヘンを売りつけ、1840年から42年にかけて「アヘン戦争」を仕掛けた。1856年から60年にかけては「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」だ。この戦争でイギリスが手に入れた香港はその後、秘密工作や麻薬取引の拠点になる。犯罪都市になったとも言える。 こうした戦争でイギリスは勝利したが、征服はできなかった。戦力が足りなかったからだ。そこで目をつけたのが侵略の日本列島であり、そこに住む日本人だ。彼らは長州と薩摩を利用して徳川体制を倒した。これがいわゆる明治維新だ。1867年に「大政奉還」、69年に「王政復古」が各国の公使に通告された。 こうして誕生した明治体制はアメリカやイギリスの影響を強く受け、大陸への軍事侵略を始める。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウやアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちはいずれも日本に大陸を攻撃させたがっていた。廃藩置県の翌年に明治政府が「琉球藩」をでっちあげて琉球を併合したのもそのためだ。 日本は1874年5月に台湾へ軍事侵攻、75年9月に李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功。1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐと、日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も軍隊を出して日清戦争につながる。 日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃して閔妃を含む女性3名を殺害、その際に性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万人の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。つまり日本の背後にはシティが存在していた。 1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北するが、そこで登場してくるのが「棍棒外交」のテディ・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印されて日本の大陸における基盤ができた。 日本にはルーズベルトと親しい人物がいた。金子堅太郎だ。ふたりともハーバード大学で学んでいる。そのふたりを何者かが引き合わせたのだ。 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語った。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつく。日本の韓国併合はアメリカの戦略でもあった。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 1923年に起こった関東大震災の復興資金調達が切っ掛けになって日本はウォール街、特にJPモルガンの影響下に入る。そのJPモルガンが1932年に駐日大使として送り込んできたのがにほかならない。 その年にアメリカでは大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選した。この結果を憂慮したウォール街の大物たちがファシズム体制の樹立を目指してクーデターを計画したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。このクーデターを潰したのが伝説的な軍人であるアメリカ海兵隊のスメドリー・バトラーだ。 ところで、グルーは松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らと親しかったが、その中でも特に緊密だったのは松岡洋右だという。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる人物だ。 1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入、翌年の6月にグルーは離日するが、その直前に商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) 第2次世界大戦の終盤、ドイツが降伏する前月にフランクリン・ルーズベルト大統領は急死、ハリー・トルーマンが副大統領から昇格している。大統領はヘンリー・ウォーレスを副大統領にしたかったのだが、民主党幹部の意向でトルーマンにされていた。 トルーマンの背後には犯罪組織や腐敗した政治マシーンが存在、彼に多額の資金を提供していたひとりがアブラハム・フェインバーグ。裏ではシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えることになる人物だ。リンドン・ジョンソンのスポンサーでもあった。 大戦後、アメリカでは「レッド・パージ」という形で反ファシスト派が弾圧され、日本の進む方向はウォール街を後ろ盾とする「ジャパン・ロビー」が決める。決定事項を実行に移すため、1948年6月にACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたが、その中心にいたのはジョセフ・グルーだ。 大戦の前も後も日本はウォール街に支配されているのだが、日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年2月。国防次官補だったジョセイフ・ナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、日本に進むべき道を示したのだ。 そのレポートは1992年2月に作成されたアメリカの世界制覇プラン、ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいている。これを書いたのはネオコンのポール・ウォルフォウィッツ。1991年12月にソ連が消滅したことでアメリカは他国に気兼ねすることなく行動できるようになったと考えたのだが、細川護煕政権は国連中心主義を維持、1994年4月に倒された。 こうした日本側の姿勢に怒ったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得してナイ国防次官補に接触、そのナイは「東アジア戦略報告」を発表したわけだ。 そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後に警察庁の國松孝次長官は狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。この段階で日本がアメリカの手先として中国と戦争する準備することは決まっていた。それを示したのがナイ・レポートである。
2022.12.08
ロシア領内の空軍基地が12月5日に攻撃された。その基地とはウクライナの北東450キロメートルの場所にあるディアギレボ基地と東550キロメートルのエンゲルス基地。燃料タンクが燃えている映像が流れている。2名が死亡、長距離爆撃機2機が軽い損傷を受けたという。そのほかウクライナとの国境から約100キロメートルの地点にある基地も攻撃されたようだ。いずれもドローンによる攻撃だとされているものの、潜入した工作員による破壊活動だった可能性もある。 その12月5日からEU(欧州連合)やG7(アメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、イタリア、フランス、日本)はロシア産原油の輸入価格の上限を1バレルあたり60ドルに設定した。ウラル原油が52ドルだったことから60ドルにしたという。 ジョー・バイデン政権はロシアの収入を減らそうとしたのだろうが、ロシア政府はそうした上限価格を課す国へ石油や石油製品を輸出することを禁止。EUやG7はロシア産のエネルギー資源を入手できなくなった。 以前からアメリカ政府はロシアの収入源は資源しかないと主張、資源相場を操作することでロシア経済を破壊できると信じていたが、すでにロシアは自前の金融システムを構築、生産能力を高めている。しかも中国という同盟国が存在する。ウクライナでの戦闘を見てもわかるが、低い生産力で苦しんでいるのはアメリカをはじめとする西側だ。 ロシア軍はウクライナの東部から南部に広がるステップ(大草原)が凍結する冬を待ち、新たな軍事作戦を始めると言われている。すでにT-90M戦車や防空システムS-400を含む兵器がドンバス周辺へ運び込まれた。部分的動員で集められた兵士のうち約8万人はすでにドンバス入りし、そのうち5万人は戦闘に参加しているともいう。訓練中の約32万人も新作戦が始まる前には合流するはずだ。 その結果、ロシア/ドンバス軍の戦力はこれまでの2倍以上になるとみられるが、欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長が11月30日に話したように、ウクライナ軍側は「将校(将兵?)」10万人以上が戦死したと見られている。その3倍が負傷している可能性が高く、40万人が戦線から消えたと推測する人が少なくない。すでにキエフ政権は45歳以上の男性を前線へ送り込んでいるようだが、その前線ではウクライナ兵の無数の死体が散乱しているとウクライナ軍の将校が認めている。 こうした戦況が知られるようになってきた。そこで、ウクライナ軍がロシア軍を攻撃しているというイメージを広めるため、ロシア領内の空軍基地を攻撃したのかもしれない。 そうした中、ロシアは極東のコズミノ港から石油をアジア市場へ向けて運び出した。その価格は1バレルあたり79ドルだとされているが、おそらく購入したのは中国であり、ドルで決済しない可能性が高い。ロシアと中国は今後、極東地域の開発を進めるようだ。
2022.12.07
COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動ではふたつの大きな問題がある。ひとつはCOVID-19を引き起こすとされるSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2、いわゆるSARS2)の問題であり、もうひとつは「COVID-19ワクチン」の問題である。 そのSARS2はアメリカ政府の資金を利用して中国で行われた研究によって作られ、それが漏れたとニューヨークを拠点とするNGOの「エコヘルス連合」で副代表を務めていたアンドリュー・ハフは主張、話題になっている。 コロナウイルスを遺伝子操作で病原性を強める研究が行われているとは言われてきた。2002年から03年にかけて南部中国に出現したSARS(重症急性呼吸器症候群、いわゆるSARS1)と同様、SARS2は人工的に作られたというのだ。 例えば、医学雑誌「ランセット」のCOVID-19担当委員長を務めたジェフリー・サックスは今年5月19日、SARS2は人工的に作られたと主張、独立した透明性のある調査を行う必要性を訴えている。6月にはスペインのシンクタンク、GATEセンターで彼はアメリカの研究施設から病原体が漏れ出た可能性を指摘した。また今年10月にもそうした研究のひとつが明らかになっている。ボストン大学の研究者チームが致死率80%というSARS2の変異種を作り上げたというのだ。そうした研究は広く行われているということだろう。 COVID-19騒動が始まったのはWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言した2020年3月11日だと言えるだろうが、現段階でもSARS2が分離できたとする報告は見当たらない。存在が確認されていない「幻の病原体」だと言えるだろう。その幻の病原体をめぐって議論は展開されている。 サックスが言うように、SARS2に関する独立した透明性のある調査を行う必要があるのだが、そうしたことが行われそうにはない。そうした中、アンドリュー・ハフの話が出てきたわけである。 ところで、アンソニー・ファウチが所長を務めるアメリカのNIAID(国立アレルギー感染症研究所)は2014年からコロナウイルスの研究費としエコヘルス連合へ数百万ドルを提供、その一部は「武漢病毒研究所(WIV)」の研究員へ提供されていたと伝えられている。エコヘルス連合はWHOにアドバイスする立場にあり、NIAIDの上部機関であるNIH(国立衛生研究所)からWIVの石正麗へ研究費として370万ドルが提供されていたとも伝えられている。 石正麗を中心とするチームはSARS1に似たコロナウイルスのスパイク・タンパク質が人間などの細胞のACE2(アンジオテンシン変換酵素2)と結びつくメカニズムを研究、石はノースカロライナ大学のラフル・バリックとも協力関係にあった。 石とバリックは2015年11月にSARS1ウイルスのスパイク・タンパク質をコウモリのウイルス(SHC014-CoV)のものと取り替えて新しいウイルスを作り出すことに成功したとも言われている。またコウモリのコロナウイルスを操作してほかの種を攻撃させる方法をバリックは石に教えたともいう。 WIVと同じように注目されている武漢大学動物実験センターはアメリカのデューク大学を関係が深く、両大学は2013年に昆山杜克大学を創設した。デューク大学はアメリカ国防総省の「DARPA(国防高等研究計画局)」と協力関係にあるが、DARPAは2018年からコウモリからヒトへコロナウイルスを伝染させる研究を開始、中国との国境近くに研究施設を建設している。 アメリカはウクライナでも生物兵器の研究開発を行なってきたことも判明している。2013年にウクライナではアメリカ国防総省が生物兵器の研究開発を目的とするレベル3の施設をハリコフ周辺に建設するという話が流れた。このほかドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、研究員は外交特権で守られていたという。 ロシア軍は2月24日からウクライナに対する攻撃を始めたが、その過程でウクライナ側の重要文書の回収、その中にはウクライナで進められてきた生物兵器の研究開発に関する資料も含まれている。ロシア側はイゴール・キリロフ中将を中心に生物兵器の研究開発について調べているようだ。 キリロフが記者会見でウクライナにおける生物兵器の問題について発表した翌日、3月8日にアメリカの上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について語っている。マルコ・ルビオ上院議員の質問を受け、兵器クラスの危険な病原体がロシア軍に押収されるかもしれないと語ったのだ。つまりウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかった。 ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていたことをロシア側は明らかにし、キリロフはその構図をさらに詳しく語っている。 ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党を病原体研究の思想的な支柱としている。その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDC(疾病予防管理センター)を含む政府機関だ。 資金はアメリカの予算からも出ているが、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、クリントン財団、ハンター・バイデンのロズモント・セネカ・パートナーズ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ロックフェラー財団、エコヘルス同盟などもスポンサー。 そのほか、生物兵器の研究開発システムにはアメリカ大使館、国防総省の契約企業であるメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、スカイマウント・メディカル、そしてCH2Mヒルなど、またファイザー、モデルナ、メルク、ギリアドを含む医薬品会社が組み込まれ、ドイツやポーランドも関係。 こうしたシステムは生物兵器の研究開発だけでなく、医薬品メーカーは安全基準を回避して利益率を上げるためにウクライナの研究施設を利用しているともいう。ファイザーやモデルナといった医薬品会社やエコヘルス同盟が関係していることからウクライナの研究所はCOVID-19にも関係しているという疑いもある。 そのCOVID-19の病原体は確認されていない。2019年12月31日に中国の武漢でSARS1に似た症状の肺炎患者が見つかったことは事実の可能性が高く、何らかの病原体が存在したのだろうが、パンデミックを宣言する状態だったとは思えない。SARS1に似た症状の肺炎が流行して多くの人が死んだということはないからだ。武漢で病気を引き起こした何らかの病原体が世界に広まった証拠はない。PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)を利用して作られた幻影が見えるだけだ。 西側の一部支配層は「パンデミック」を宣伝、人びとに恐怖心を植え付けてきた。2010年5月にロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)は「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」なるレポートを発表している。 そのレポートのシナリオは、2012年に新型インフルエンザのパンデミックが起こり、全人口の20%近くが感染、7カ月で800万人が死亡、その多くは健康な若者だとされ、人や物資の国際的な移動が止まり、旅行業のような産業や販売網がダメージを受けるともされている。 その対策としてマスクの着用や公共施設やマーケットの入り口における体温の測定が強制されると想定。管理、監視体制はパンデミックが去った後も続き、支配者だけでなく被支配者である市民も安全と安定を得るために自らの主権やプライバシーを放棄すると推測、全ての市民に生体認証が義務づけられるとも考え、ロックダウンも推奨されている。 このレポートだけでなく、アメリカの一部支配層はパンデミックを想定したさまざまなことを行なってきた。中国における事故で病原体が漏れたとする仮説には疑問がある。疑惑の中心にはアメリカの支配層が存在していることも忘れてはならない。
2022.12.06
アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官は12月2日、ロシアの傭兵会社「ワーグナー・グループ」を「特に懸念される団体」、つまりテロ組織だと宣言した。お得意のタグ攻撃だ。自国の情報機関にテロ部門を持ち、NATOの内部にテロ部隊のネットワークを組織、イスラム系カルトやネオ・ナチを傭兵として使っている「テロ帝国」で外交を取り仕切っている人物がこうしたことを言うのは滑稽だが、それだけ痛い目に合っているのだろう。 そのワーグナー・グループを率いているエフゲニー・プリゴジンはチェチェン人部隊を率いているラムザン・カディロフと同じように、軍事と政治の「釣り合いがとれた取り組み」を批判している。そうした姿勢が中途半端な対応になり、事態を悪化させたということだろう。ハリコフやヘルソンでロシア/ドンバス軍が撤退したのは戦力不足で包囲されることを避けるためだった。ロシア/ドンバス側の戦力はキエフ側の数分の一だったとも言われている。 戦闘を単純な「陣取り合戦」だと考えているらしい西側の有力メディアはロシア軍が敗北したと宣伝していたが、その撤退がトラップでもあることがすぐにわかる。ステップ(大草原)へ入り込んだウクライナ軍はロシア軍のミサイルや航空兵力による攻撃で大きな損害を受け、バフムート(アルチョモフスク)では壊滅的な状況のようだ。欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は11月30日、演説の中でウクライナの将兵10万人以上が戦死したと語っているが、概ね正しいの見られている。ロシア/ドンバス側の戦死者はその約1割だ。 プリゴジンが批判しているひとりは今年7月までロシア国営の宇宙開発会社「ロスコスモス」のCEOを務めていたドミトリー・ロゴージン。この人物はドンバスへしばしば赴き、ワーグナー・グループの戦闘員と会っているとする話が伝えられているが、それをプリゴジンは否定。宣伝に過ぎないというわけだ。そもそもワーグナー・グループの戦闘員は最前線で戦っているのであり、会うことは不可能だとしている。 プーチン大統領は9月21日に部分的な動員を実施すると発表、西部軍管区司令官の司令官をロマン・ベルドニコフ中将へ交代、10月にはドンバス、ヘルソン、ザポリージャの統合司令官としてセルゲイ・スロビキン大将をすえた。またチェチェン軍を率いているラムザン・カディロフは上級大将の称号を与えられている。指揮体制の変更はロシア政府内の西側とつながっている勢力の影響力が低下していることを示しているかもしれない。 ウラジミル・プーチン露大統領は11月25日、ウクライナでの戦闘に参加している兵士の母親と会談した際、「ドンバス(ドネツクやルガンスク)をもっと早くロシアへ復帰させるべきだった」と語っている。そうすれば犠牲者は少なかっただろうということだ。 バラク・オバマ政権はウクライナで2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターを実行、東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した。そのクーデターにドンバスの住民も反発、5月11日に住民投票が実施され、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。 こうした住民の意思をロシア政府は受け入れず、現地の住民とクーデター政権が送り込んだ部隊との間で戦闘が始まるが、ドンバス側にはネオ・ナチ体制を拒否した軍や治安機関のメンバーが合流、戦況は住民側が有利だった。そこで話し合いが始まるのだが、その間にアメリカ/NATOはクーデター体制に軍事的な支援を行い、ネオ・ナチを主体とした親衛隊を内務省内に創設、ドンバスの住民に対する攻撃は続ける。そしてジョー・バイデン政権はNATO加盟という形でウクライナを征服しようとした。その先には軍事力によるドンバスやクリミア制圧があったはずだ。 こうしたことはアメリカの元政府高官や退役将校も「時間稼ぎにすぎない」と指摘していたことで、プーチン政権が中途半端な形で話し合いに応じる姿勢を批判していた。
2022.12.05
EU(欧州連合)やG7(アメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、イタリア、フランス、日本)はロシア産原油の輸入価格に1バレルあたり60ドルの上限を12月5日から設けることで合意したという。アメリカ政府の命令に従うと言うことだろうが、ロシアのアレクサンドル・ノバク副首相はそうした上限価格を課す国へ石油や石油製品を輸出することをロシア政府は禁止すると語った。ロシアは中国やインドへ振り向けるという。60ドルならロシア政府は受け入れると考えた国もあるようだが、読み間違えだったようである。 アメリカの傀儡だったボリス・エリツィンが1991年12月にソ連を消滅させ、ロシアを西側支配層が制圧、食い物にした。ソ連消滅の時点でネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、世界制覇プランを作成する。それが「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃して国を解体し、さらにアフガニスタン、イラク、リビアなどで軍事作戦を実行して破壊した。かつてヨーロッパ諸国を上回る生活水準を誇ったリビアは侵略、破壊、殺戮、略奪で無法国家になっている。現在、その矛先はウクライナ、ロシア、そして中国へも向けられているが、「国際社会」を自称する欧米はロシアの反撃で苦境に陥っている。 アメリカ支配層がまだロシアを属国だと信じていた2004年から05年、ウクライナで東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチが大統領に就任することを阻止するため、ジョージ・W・ブッシュ政権は「オレンジ革命」を仕掛け、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えた。 ユシチェンコの政策によって国の富は欧米の巨大資本へ流れて行き、その手先になった一握りのウクライナ人が「オリガルヒ」と呼ばれる富豪になり、その一方で大多数の庶民は貧困化。そこで2010年の1月から2月にかけて行われた大統領選挙でヤヌコビッチが勝利する。 そこで7月にヒラリー・クリントン国務長官(当時)がキエフへ乗り込み、ヤヌコビッチに対してロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めたが、拒否された。そしてバラク・オバマ政権のクーデター計画が始まる。オバマ政権は2013年11月にクーデターを始動させ、14年2月にヤヌコビッチの排除に成功。その時、クーデターの実行部隊として使ったのがネオ・ナチだ。 ヤヌコビッチの支持基盤でロシア語を話す住民が多い東部や南部ではクーデターが拒否され、クリミアではいち早く住民投票が実施されてロシアと統合の道を選ぶ。ドンバス(ドネツクやルガンスク)の住民は2014年5月11日にドネツクとルガンスクでも住民投票が実施、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。 この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は動かなかった。キエフのクーデター体制は軍の戦車部隊をドンバスへ突入させ、戦闘がはじまるわけだ。この反クーデター軍を潰すためにアメリカ/NATOは軍事支援を続けた。今年2月にロシア軍が軍事作戦を始めたのはその結果だ。 ウクライナの東部から南部に広がるステップ(大草原)が凍結する冬を待ち、ロシア軍は新たな軍事作戦を始めると言われている。すでにT-90M戦車や防空システムS-400を含む兵器がドンバス周辺へ運び込まれた。部分的動員で集められた兵士のうち約8万人はすでにドンバス入りし、そのうち5万人は戦闘に参加しているともいう。訓練中の約32万人も新作戦が始まる前には合流するはずで、ロシア/ドンバス軍の戦力はこれまでの2倍以上になるとみられる。 ハリコフやヘルソンへウォロディミル・ゼレンスキー政権が戦力を集中させた際、ロシア/ドンバス軍は部隊を撤退させたが、これはステップという自然環境を考慮してこのこと。特にヘルソンの場合はドニエプル川の西岸が孤立する可能性があった。ヘルソンの少し上流にあるカホフカ・ダムをキエフ軍はHIMARS(高機動ロケット砲システム)などで砲撃、破壊しようとしていたことも撤退した一因。洪水で被害が出るだけでなく、物資の供給が難しくなり、包囲されることが予想されたからだ。 しかし、新たな作戦が始まれば西岸も制圧、ウクライナとロシアを隔てる非武装地帯をロシア軍は作るとも考えられている。南部ではドニエプル川を渡って100キロメートル以上進み、北部ではドニエプル川までを制圧すると推測する人もいるが、非武装地帯の幅は300キロメートルになるという見方もある。射程距離が300キロメートルの兵器をすでに受け取ったとゼレンスキー政権のオレクシー・レズニコウ国防相が語っているからだ。 アメリカ統合参謀本部のマーク・ミリー議長は11月9日、ウクライナ軍がロシア軍に勝利することはないかもしれないとニューヨークの経済クラブで発言、冬が本格化する前にロシアとの交渉を始めるべきだと主張しているが、これは常識的な見方。欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は11月30日、演説の中でウクライナの将兵10万人以上が戦死したと語っている。これまでジョー・バイデン政権が有力メディアを使い、西側で広めていた幻影が消えかかっている。
2022.12.04
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は11月25日現在、前の週より128名増えて3万2423名に達した。 なお、VAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているが、ロン・ポール米上院議員はCOVID-19騒動を引き起こし、12月にNIAID(国立アレルギー感染症研究所)所長を辞任するアンソニー・ファウチについて、数百万人を殺した疑いがあるとして「逃がさない」と語っている。 その危険な「ワクチン」を製造してきたファイザーの役員は適切な安全に関する手順を無視して「開発」してきたことを自慢しているようだが、日本では5回目の接種が11月に始まっている。3回目や4回目の接種に合わせるように死亡者数が増えたが、動物実験から類推すると5回目はさらに増える可能性がある。
2022.12.03
岸田文雄政権の与党である自由民主党と公明党は「敵基地攻撃能力」を日本が保有することで合意したというが、その合意の出発点は日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれる道を歩み始めた1995年にほかならない。それから27年の準備期間を経てその姿を表しはじめた。 少なくとも現在、アメリカ支配層の戦略に反することを日本の政治家や官僚が行い、マスコミが主張することはできない。日本側の意志であるかのように演出されているが、言うまでもなく、アメリカ支配層の意思に基づいている。「アメリカ信仰」から抜け出せない人はアメリカに「善玉」の存在を求めるが、それは幻影にすぎないのだ。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ソ連が1991年12月に消滅した直後、ネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、他国に気兼ねすることなく行動できるようになったと考える。国連中心主義を維持した細川護煕政権は彼らにとって好ましくない存在で、同政権は1994年4月に倒されてしまう。ネオコンにとって冷戦の終結、つまりライバルの消滅は世界制覇プランを始める合図だった。 しかし、日本には細川政権のほかにもそうしたアメリカのプランに抵抗する人たちがいて抵抗する。それに怒ったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補のジョセイフ・ナイに接触、そのナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、日本に進むべき道を示したわけだ。 そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後に警察庁の國松孝次長官は狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2019年に出した報告書には地政学的な争いの中でアメリカが行いうる手段として、ウクライナの武装強化、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアとアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張激化などが掲げられている。失敗したものもあるが、全て試みられている。 アメリカの長期戦略はイギリスが19世紀に作成したものを引き継いでいる。ユーラシア大陸の周辺を海軍力で支配して内陸部を締め上げていくと言うものだ。スエズ運河の完成でその包囲帯は可能になった。 包囲帯の東端にある日本列島をイギリスは重要な侵略の拠点と考え、日本人を手先の戦力にすることにした。イギリスが「明治維新」を後押ししたのはそのためだろう。 明治体制はイギリスだけでなくアメリカも影響を強く受けた。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウやアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちはいずれも日本に大陸を攻撃するよう焚き付けている。 ルジャンドルはアメリカへ戻る途中に日本へ立ち寄り、デロングと大陸侵略について話し合い、デロングは日本の外務省に対してルジャンドルを顧問として雇うように推薦した。ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その直前、1872年9月に明治政府は「琉球藩」をでっちあげて琉球を併合、74年5月に台湾へ軍事侵攻している。 1875年9月に明治政府は李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。 朝鮮では1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も軍隊を出して日清戦争につながる。 当時、朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃して閔妃を含む女性3名を殺害、その際に性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万人の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。 1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北するが、そこで登場してくるのが「棍棒外交」のテディ・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印されて日本の大陸における基盤ができた。 講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対、覚書は破棄されている。中国への侵略を本格化させるつもりだったアメリカの私的権力はつまずいた。 それに対し、アメリカ側の意向に従って動いていたのが金子堅太郎。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、1890年に金子とルーズベルトは親しくなる。何者かの紹介でふたりはルーズベルトの自宅で会ったのだ。そこから日本のアジア侵略は本格化、中国では膨大な財宝を盗むことになるが、第2次世界大戦後、その財宝はアメリカ支配層の手に渡り、「ナチ・ゴールド」と一体化したと言われている。その後、この財宝はアメリカの力の源泉になるが、その力は衰退してきた。そこで支配システムを作り替える必要に迫られている。それが「リセット」だ。 アメリカはユーラシア大陸の包囲帯も修復しようとしている。そして2021年9月、同じアングロ・サクソン系のオーストラリアやイギリスと「AUKUS」なる新たな軍事同盟を創設したと発表した。ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長はAUKUSについて中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと指摘したが、その通りだろう。 「RANDコーポレーション」が今年出したレポートによると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようと計画しているのだが、インド太平洋地域でそうしたミサイルの配備を容認する国は日本以外にない。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。 そこで、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力するという形にすることになり、そのASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたわけだ。その計画を先取りする形で自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設し、19年には奄美大島と宮古島に作った。2023年には石垣島でも完成させる予定だという。 日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにし、地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だとされていたが、アメリカの想定通りに事態が進んでいないためなのか、日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという。 トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルとされている。記事では「反撃能力」が強調されているが、このミサイルには言うまでもなく先制攻撃能力がある。RANDのレポートが作成された時点より事態が切迫しているのかもしれない。 それにとどまらず、日本は射程3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画だと伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。「島嶼防衛」が目的ではなく、ロシアや中国との戦争を想定しているとしか考えられない。それを国民に納得させるためにもロシア軍や中国軍は弱いというイメージを人びとに植え付けようとしている。 しかし、日本の軍事的な役割はこれにとどまらない。情報機関に詳しいジャーナリストのジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、東京電力福島第1原子力発電所で炉心が溶融する事故が起こった2011年の段階で約70トンの核兵器級プルトニウムを日本は蓄積していたという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”) マンハッタン計画の時代からアメリカで核兵器開発で中心的な役割を果たしてきたのはオーク・リッジ国立研究所やハンフォード・サイト。1950年代にはサバンナ・リバーで重要施設が建設された。オーク・リッジ国立研究所の目と鼻の先で進められたのが1972年にスタートしたCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画だが、77年にジミー・カーターが大統領に就任しすると核政策の変更があり、基礎的な研究計画を除いて中止になる。 しかし1981年にロナルド・レーガン政権が始まると計画は復活、87年までの間に160億ドルが投入されたというが、この計画は挫折し、87に議会はクリンチ・リバーへの予算を打ち切る。 そこで高速増殖炉を推進していた勢力が目をつけたのが日本。トレントによると、この延命策を指揮することになったリチャード・T・ケネディー陸軍大佐はクリンチ・リバー計画の技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにする。 CIAは日本の核武装を懸念していたものの、国務省やエネルギー省はケネディの計画に賛成。アメリカ軍はヨーロッパを主戦場と考えていたこともあり、核武装した日本はアジアにおけるアメリカの軍事負担は軽減されるという認識もあったようだ。そこで、国防総省もプルトニウムや核に関する技術の日本への移転に国防総省も強くは反対しなかったという。 その結果、毎年何十人もの科学者たちが日本からクリンチ・リバー計画の関連施設を訪れ、ハンフォードとサバンナ・リバーの施設へ入ることも許されていた。中でも日本人が最も欲しがった技術はサバンナ・リバーにある高性能プルトニウム分離装置に関するもので、RETFへ送られている。 日本の核武装を警戒しているCIAは動燃を監視するため、プルトニウムの管理システムにトラップドアを仕込んでいた可能性がある。そのシステムのプロト・タイプはINSLAWという民間企業が開発したPROMIS。同社のウイリアム・ハミルトン社長によると、不特定多数の人物を追跡する目的で開発されたのだが、使う人間によっては反体制派狩り、資金の追跡、あるいはプルトニウムの監視にも使える。 ところが、日本の核兵器開発計画に関係していた「もんじゅ」で冷却剤の金属ナトリウムが漏れ出るという事故が1995年12月に発生、2010年5月に再開されるのだが、8月には直径46センチメートルのパイプ状装置を原子炉の内部に落としてしまい、再び運転は休止状態になった。そこで始まるのが「プルサーマル計画」だ。 日本には核兵器を保有して周辺国を脅したいと考える政治家がいた。そのひとりが石原慎太郎だ。2011年3月8日付けのインディペンデント紙に都知事だった石原のインタビュー記事が掲載されているのだが、その中で日本の核兵器保有について語っている。石原によると、外交とは核兵器で相手を脅すことであり、中国、朝鮮、ロシアをを恫喝できると考えていた。(The Independent, March 8, 2011) その記事が掲載された3日後、地震によって福島第1原子力発電所で炉心が溶融する事故が発生した。
2022.12.03
江沢民が11月30日に死亡した。中国共産党の中央委員会総書記を1989年6月から2002年11月まで、国家主席を1993年3月から2003年3月まで、中央軍事委員会首席を1990年3月から2005年3月まで務めた人物で、上海市を地盤としていた。その上海市で党委員会書記に就任したのは1985年11月で、その後ろ盾は汪道涵。その父、汪雨相は中国同盟会の元老だった人物だという。 その上海では今年4月から5月にかけてロックダウンが実施され、人びとの行動は厳しく制限され、中国だけでなく世界の経済に影響を及ぼした。その背景には中国の「ゼロ-COVID」政策があると言われているが、これには奇妙な点がある。 中国の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の肺炎患者が見つかったのは2019年12月31日のこと。中国で伝染病対策の責任者を務めている疾病預防控制中心の高福主任は2020年1月22日に国務院新聞弁公室で記者会見を開き、武漢市内の海鮮市場で売られていた野生動物から人にウイルスが感染したとする見方を示した。 高福は1991年にオックスフォード大学へ留学、94年に博士号を取得し、99年から01年までハーバード大学で研究、その後04年までオックスフォード大学で教えている。つまりアメリカやイギリスと深い関係にある人物で、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)所長を務めてきたアンソニー・ファウチの弟子とも言われている。 COVID-19騒動が始まる直前、2019年10月にニューヨークでコロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーション「イベント201」が実施された。このシュミレーションはジョンズ・ホプキンス健康安全保障センター、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、そしてWEF(世界経済フォーラム)の主催で行われたのだが、それに高福も「プレーヤー」として参加している。 本来なら高福がCOVID-19対策を指揮するはずだが、実際は中国軍の陳薇が責任者に選ばれ、2020年2月から指揮している。彼女は2002年から中国で広まったSARSを沈静化させた人物で、その経験に基づいてインターフェロン・アルファ2bを試したところ今回も有効だった。 この医薬品はリンパ球を刺激して免疫能力を高める働きがあるとされている。吉林省長春にも製造工場があり、中国の国内で供給できた。今回の件で中国の習近平国家主席はキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたと伝えられている。 要するに安全性を確かめていない「ワクチン」を使う必要などなかった。また「感染確認」に利用されているPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が無意味だということを中国政府も知っているはずで、ロックダウン政策を医学的な理由から行なっているとは思えない。 欧米もCOVID-19騒動が始まるとロックダウンを推進している。人の動きを制限し、経済を麻痺させ、社会を破壊する政策を批判する人は少なくなかったが、無視していた。 今年1月にWHO(世界保健機関)は緊急会議をジュネーブで開き、パンデミックなど危機的な状況下では全ての加盟国にWHOが命令できるようにすることを討議。パンデミックの宣言は恣意的にできるわけで、恣意的に各国へロックダウンを命令できるということになる。WHOは西側の私的権力に支配されているわけで、その私的権力が世界各国政府をコントロールできることになるわけだ。ロックダウンが大好きな西側の支配層が中国のロックダウンを批判するのはなぜなのか? アメリカやイギリスの私的権力は自分たちの利権を守り、拡大するためにターゲット国のエリートを買収、恫喝、暗殺、そしてクーデターで体制を倒してきた。クーデターの際、配下のメディアを利用してプロパガンダを展開、政党や労働組合などに抗議活動を行わせて社会を不安定化させる。1980年代以降、そうした工作を行うためにCIAはNGOへの影響力を強め、自らの団体も設立してきた。 米中の国交が正常化したのは1970年代。1972年に選挙を控えていたリチャード・ニクソン大統領は71年7月に中国訪問を発表、72年2月に中国を訪問した。当時のアメリカ政府は泥沼化したベトナム戦争から抜け出そうともがいていたが、そのタイミングで中国の強硬派が台湾を攻撃しようとしているとアメリカ政府は懸念していたほか、アメリカと中国が接近することで中国とソ連との関係を悪化させようともしていただろう。ニクソンが中国を訪問した7カ月後に田中角栄首相が中国を訪れて日中共同声明に調印したが、これはアメリカ支配層の逆鱗に触れる行為だったはずだ。 民主党内では1972年の大統領選挙で党の候補者に選ばれた反戦派のジョージ・マクガバンを落選させる運動が始まる。その中心になったのがヘンリー・ジャクソン上院議員で、同議員の事務所がネオコンの育成機関になっていた。 ニクソンはフィリピンのフェルディナンド・マルコス大統領の協力をえて中国へ資金を提供(Sterling & Peggy Seagrave, "Gold Warriors", Verso, 2003)、中国をレッセフェール流の資本主義路線、いわゆる新自由主義へ誘導していく。日本を含む西側ではこの新自由主義化に「民主化」というタグをつけている。 しかし、中国は金融、通貨発行権、教育、健康など社会基盤を構成する分野をアメリカの私的権力へ渡さなかった。中国が急速に経済発展できた理由はここにあると言われている。逆のことをした日本は衰退してしまう。 新自由主義の教祖的な存在であるミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問、88年には妻を伴って再び中国を訪問、趙紫陽や江沢民と会談する。 その間、1984年に鄧小平を後ろ盾とする趙紫陽はホワイトハウスでロナルド・レーガン米大統領と会談、88年に「経済改革」を実施するが、これは深刻なインフレを招いて社会は不安定化、胡耀邦や趙紫陽は窮地に陥る。それに対してエリート学生は「改革」の継続を求める。 エリート学生は新自由主義で甘い汁が吸える立場にあり、彼らは投機家のジョージ・ソロスともつながっていた。学生の活動を指揮していたと見られているのはジーン・シャープだ。 しかし、学生の要求は認められず、1987年1月に胡耀邦は総書記を辞任、89年4月に死亡した。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれることになる。同じ頃、ソ連でもクーデター計画が進んでいたことは本ブログでも書いた通り。 西側では6月4日に軍隊が学生らに発砲して数百名が殺されたとされているのだが、これを裏付ける証拠はなく、逆に広場での虐殺を否定する証言がある。 例えば、当日に天安門広場での抗議活動を取材していたワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズは問題になった日に広場で誰も死んでいないとしている。広場に派遣された治安部隊は学生が平和的に引き上げることを許していたという。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 学生の指導グループに属していた吾爾開希は学生200名が殺されたと主張しているが、マシューズによると、虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていたことが確認されている。北京ホテルから広場の真ん中で兵士が学生を撃つのを見たと主張するBBCの記者もいたが、記者がいた場所から広場の中心部は見えないことも判明している。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 西側の有力メディアは2017年12月、天安門広場で装甲兵員輸送車の銃撃によって1万人以上の市民が殺されたという話を伝えた。北京駐在のイギリス大使だったアラン・ドナルドが1989年6月5日にロンドンへ送った電信を見たというAFPの話を流したのだ。 しかし、これはドナルド大使自身が目撃したのではなく、「信頼できる情報源」の話の引用。その情報源が誰かは明らかにされていないが、そのほかの虐殺話は学生のリーダーから出ていた。当時、イギリスやアメリカは学生指導者と緊密な関係にあった。ドナルド大使の話も学生指導者から出たことが推測できる。 また、内部告発を支援しているウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館が出した1989年7月12日付けの通信文によると、チリの2等書記官カルロス・ギャロとその妻は広場へ入った兵士が手にしていたのは棍棒だけで、群集への一斉射撃はなかったと話している。銃撃があったのは広場から少し離れた場所だったという。(WikiLeaks, “LATIN AMERICAN DIPLOMAT EYEWITNESS ACCOUNT O JUNE 3-4 EVENTS ON TIANANMEN SQUARE”) イギリスのデイリー・テレグラム紙が2011年6月4日に伝えた記事によると、BBCの北京特派員だったジェームズ・マイルズは2009年に天安門広場で虐殺はなかったと認めている。軍隊が広場へ入ったときに抗議活動の参加者はまだいたが、治安部隊と学生側が話し合った後、広場から立ち去ることが許されたという。マイルズも天安門広場で虐殺はなかったと話している。(The Daily Telegraph, 4 June 2011) アメリカは各国に設置した大使館を工作の拠点に使っているが、天安門事件当時の大使、ジェームズ・リリーはCIAの幹部である。1989年4月に中国駐在大使として赴任した彼は1951年にCIA入りしたと言われているが、1946年に軍隊を離れてエール大学へ入ったときにリクルートされた可能性が高い。それが通常の手順だ。 リリーはジョージ・H・W・ブッシュと親しかったが、このブッシュは退役して帰国した1945年に結婚、そのころにエール大学へ入っている。そこで親しくしていたボート部のコーチだったアレン・ウォルツがCIAのリクルート担当だったことはすでに書いた通り。ブッシュはそのウォルツからCIAへ誘われたと言われているが、父親とアレン・ダレスはウォール街時代からの友人で、子どもの頃からジョージは情報機関入りすることが決められていたかもしれない。 ブッシュはCIA長官になる直前、1974年から75年まで中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務め、1989年1月にアメリカ大統領に就任した。そして信頼しているリリーを大使として中国へ送り込んだということだろう。 天安門広場での抗議活動が沈静化した後、学生の指導者たちはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのはCIAとMI6だ。吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡って独立運動に参加している。 ジョー・バイデン政権が江沢民の死を利用して中国を混乱させ、親米体制へ転換させようとしていたとしても驚かない。
2022.12.02
12月16日午後7時から東京琉球館で「覇権に執着するアメリカの下で人類は存続できるか」というテーマで話しますが、すでに予約が一杯になったそうです。ありがとうございます。 ここにきて日本は戦争準備を急ピッチで進めていますが、その背景にはアメリカ支配層の覇権計画があります。アメリカの支配層が覇権に執着していることを認めたくない人が日本には多いようですが、これは否定できません。第2次世界大戦後にアメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画したことは本ブログでも繰り返し書いてきました。これを理解しなければ沖縄の軍事基地化は理解できません。この計画に立ちはだかったジョン・F・ケネディ大統領は暗殺されました。 アメリカはアングロ・サクソン系国のひとつですが、同じイギリスは世界制覇プランを19世紀に立て、これは現在も生きています。そのプランの中心にいたセシル・ローズは優生学の信奉者で、アングロ・サクソンを最も優秀な人種だと考え、帝国主義的な侵略を正当化していました。 19世紀における最大の経済国は中国(清)であり、その制圧を狙ってアヘン戦争を始めて勝利しますが、占領するだけの戦力はありませんでした。そこで目をつけたのが日本であり、明治維新につながったことも本ブログで繰り返し書いてきました。その明治体制、つまり天皇制官僚システムは現在も生きています。 ここで言う「イギリス」や「アメリカ」は実際のところ「シティ」や「ウォール街」、つまり米英金融資本で、国際機関の幹部や各国のエリートを飴と鞭で支配、コントロールしています。 支配のネットワークはロシアや中国にも及んでいますが、それでもロシアは自立度を高めてきました。アメリカの電子情報機関NSAの機密資料を外部へ持ち出し、内部告発したエドワード・スノーデンは結果としてロシアで生活することになりますが、告発当時、イギリスの元MI5(防諜機関)幹部は、スノーデンをアメリカの情報機関から守れるのはロシアだけだと言っていました。スノーデンは2013年5月に香港でジャーナリストのグレン・グリーンウォルドへその資料を渡したのですが、中国は彼を守りきれないということです。 ウクライナを制圧してロシア征服を実現しようとしていたアメリカ/NATOの好戦派(セシル・ローズ人脈とも言われている)はその計画に失敗し、中国へ矛先を向けつつあるように見えます。日本は1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、対中国戦争(必然的に対ロシア戦争にもなります)の最前線に立たされようとしています。アメリカや日本の軍事戦略を「防衛」や「反撃」という視点から考えることは根本的に間違っているのです。櫻井春彦
2022.12.01
欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は11月30日、演説の中でウクライナの「将校」(将兵?)10万人以上が戦死したと語った。9月後半にロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣はウクライナ兵の戦死者数はロシア兵の10倍にあたる6万1000人以上だと語っている。すでにウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権は45歳以上の男性を戦場へ投入しているともいう。 ライエンの推計は間違っていないだろうが、彼女の発言はすぐに削除された。アメリカのジョー・バイデン政権の逆鱗に触れたと少なからぬ人は考えている。 そのアメリカでは統合参謀本部のマーク・ミリー議長は11月9日、ウクライナ軍がロシア軍に勝利することはないかもしれないとニューヨークの経済クラブで発言、冬が本格化する前にロシアとの交渉を始めるべきだと主張している。その際、10万人のロシア兵が「死傷」したとも語っていた。ミリー議長の発言は対ロシア戦争を推進してきた好戦派、例えばジェイク・サリバン国家安全保障担当大統領補佐官を怒らせたようだが、ライエンに対してはより強く叱責した可能性がある。 アメリカは自分たちが行った、あるいは行っている悪行を敵が行っていると宣伝するのが常套手段だが、「10万」という数字もウクライナの軍人の戦死者数から持ってきたのかもしれない。 しかし、サリバンなどネオコンが怒っても事態は変わらない。現在、ロシア軍はウクライナの東部から南部にかけて広がるステップ(大草原)が凍結するのを待っている。戦闘車両の走行が容易になるからで、そこから新たな軍事作戦が始まると見られている。その前に話し合いを始める方が良いとミリー議長は主張しているのだ。 今年5月にヘンリー・キッシンジャーはスイスのダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会でロシアとウクライナとの特別な関係を指摘、平和を実現するためにドンバスやクリミアを割譲して戦争を終結させるべきだと語っているが、これもウクライナ軍がロシア軍に太刀打ちできないことを理解しているからだろう。それでも戦闘を続けようとすればアメリカ/NATO軍が前面に出てくるしかないが、そうなると全面核戦争になる可能性がある。 新たな軍事作戦の前にロシア軍はミサイルでウクライナの配電施設など戦闘に必要なインフラを破壊している。すでにエネルギーの供給能力が半分に低下し、暖房だけでなく上下水道も機能しなくなった。キエフでは水道の80%が止まっていると言われている。 ステップが凍結した後に始める軍事作戦でロシア軍はロシア領を攻撃できなくなる場所までウクライナ軍を押していくと言われている。南部ではドニエプル川を渡って100キロメートル以上は進み、北部ではドニエプル川までを制圧すると見られている。その上でドンバスとキエフ体制が支配する地域との間に非武装地帯を設置するというわけだ。キエフ体制が攻撃兵器を持つことやネオ・ナチの存在を許さないだろうと言われている。 ネオコンは「新たな真珠湾攻撃」を目論むかもしれないが、西側の動きを見ていると、キッシンジャーやそのパトロンたちの力が強まっているように感じられる。
2022.12.01
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