《櫻井ジャーナル》

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2014.01.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 イギリスのテレグラフ紙を舞台にして、日本と中国、ふたりの駐英大使が中傷合戦を演じて話題になっている。そのふたりとは 劉曉明 林景一 。J. K. ローリングが書いた小説『ハリー・ポッター』に登場する悪役の魔法使い、ヴォルデモートに相手の国を準えたのである。

 こうした中傷合戦の直接的な引き金は昨年12月26日に安倍晋三首相らが靖国神社を参拝したこと。この神社が日本の東アジア侵略を象徴する存在だということは否定しようのない事実であり、だからこそ、10月3日にジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を訪れて献花して事前に警告していたのだ。

 靖国神社は侵略の象徴であり、今でもその侵略戦争を肯定している。こうした神社に参拝したのだ。これを「非戦の誓い」のための参拝と表現することは不可能だ。そうした説得力のない主張を林大使は繰り返している。

 こうした日本の主張が通用しないことはアメリカ政府の反応を見ても明らか。安倍首相らが靖国神社を参拝して間もなく、 アメリカ大使館は「日本の隣国との緊張を悪化させる行動を日本の指導者がとったことにアメリカは失望している」という声明 を出し、続いて 国務省のマリー・ハーフ副報道官 も、日本の指導層による近隣諸国との緊張を高める行為をについて失望を表明している。

 新藤大臣の靖国神社訪問についてハーフ副報道官が「失望」を表明しなかったことを受け、「日米関係の悪化は中国や北朝鮮につけいる隙を与えかねないことから表立った批判は控える見込み」だと報じたマスコミもあるが、 チャック・ヘーゲル国防長官は小野寺五典防衛相と電話で会談、アジアの近隣諸国との関係改善に向けた措置を講ずるように求めたと国防総省は1月4日に発表

 日本政府側の発表では、小野寺防衛相は参拝について「二度と戦争を起こしてはならないという不戦の誓いを示したのが本意だ」と理解を求めたということになっている。それに対するヘーゲル氏の反応はマスコミによって違い、TBSは「コメントしなかった」、毎日新聞が掲載した「共同電」によると「説明は分かった」、NHKは「感謝した」。 毎日新聞の場合、ヘーゲル長官からの「言及はなかった」と当初は書かれていた ようだ。

 そもそも、現在の東アジアにおける緊張を作り上げたのは日本にほかならない。田中角栄政権時代、日本と中国との関係改善を促進するために尖閣諸島/釣魚台列嶼の領有権問題は「棚上げ」にされた(これを否定することは無理だが、その無理を国内で言い合っているのが政治家やマスコミ)のだが、この合意を日本が破壊する。

 2010年9月、諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕したのだ。この海上保安庁は国土交通相の外局で、事件当時の国土交通大臣は前原誠司。事件の直後、外務大臣に就任している。

 漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていた。このことは事件直後に 自民党の河野太郎議員が指摘 している。

 ところが、こうした動きは翌年の3月11日に止まってしまう。東日本の太平洋岸を襲った大地震と東電福島第一原発の事故でそれどころではなくなったのだ。中国との関係を悪化させる動きが再開されるのは2012年4月。 石原慎太郎都知事(当時)が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示した のだ。その後、領土問題は存在しないと称し、中国側の神経を逆なでする行為を日本側は続けてきた。それで「対話を呼びかけている」とはよく言えたものだ。

 劉大使は中国とイギリスが第2次世界大戦で同じ連合国に属していた戦勝国だということを強調している。中国側は「ポツダム宣言」を意識している。日本はポツダム宣言を受け入れて降伏、戦争は終わって戦後が始まったわけだが、日本はポツダム宣言を否定していると言っているわけだ。

 ポツダム宣言の中に次のような記述がある。

「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」



 日本が中国を侵略するまでの経過を振り返ると、琉球処分に行き着く。明治政府を作った勢力は1871年7月に廃藩置県を実施するのだが、10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、そのうち何人かが殺されるという事件が起こった。

 これを利用して台湾を攻めようと考えた明治政府は宮古島を日本領だと主張するため、藩を廃止した後の1872年に琉球王国を制圧して琉球藩を設置、74年に台湾へ軍隊を送り込む。1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、清国の宗主権を否定させ、94年に甲午農民戦争が起こると「邦人保護」を名目にして軍を派遣、日清戦争へとつながる。

 この戦争で勝利した日本は半年後の1895年10月、朝鮮国王高宗の王妃、閔妃を官憲や大陸浪人を使って暗殺、その際に性的な陵辱を加えたと言われている。計画の立案者は漢城公使の三浦梧楼。襲撃現場を多くの朝鮮人、そして宮廷の顧問だったロシア人やアメリカ人が目撃していたのだが、日本の裁判は三浦たちに対し、「証拠不十分」で無罪を言い渡した。のちに三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についている。

 下関で清との講和条約が締結される3カ月前、日本政府は尖閣諸島を日本の領土として編入すると閣議決定しているが、これは対外的に公表されていない。すでに琉球制圧から東アジア侵略は始まり、清との戦争に突入、勝利を確信する中での決定だった。この経緯を考えると、尖閣諸島がカイロ宣言に接触すると見ることも可能。ここを中国大使は突いてきたのだ。





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最終更新日  2014.01.07 23:17:11


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