ウクライナの ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はサウス・チャイナ・モーニング・ポストのインタビューに対し、中国の習近平国家主席と直接会いたいと語った という。その政治経済力を使い、ロシアに「侵略戦争」をやめさせて欲しいというのだが、ウクライナの戦乱はアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチが2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ政権を暴力的に倒したクーデターから始まったのである。
2013年11月にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で抗議集会が始まったのだが、当初は「カーニバル」的で、子ども連れでも参加できるものだった。ところが人がある程度集まったところで雰囲気が変化する。ネオ・ナチが前面に出てくるのだ。
2014年2月上旬にアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット米国大使が電話で会話している音声がインターネット上に流れたが、その中でふたりは「次期政権」の閣僚人事について話している。つまりヤヌコビッチ政権の排除を前提にしている。
しかし、その段階でもEUは話し合いでの解決を目指していた。そこでヌランドは「EUなんかくそくらえ」と口にしたのだ。これを単に「下品だ」で片付けることはできない。話し合いではヤヌコビッチを排除できないので暴力的に排除する必要があるということなのだ。バラク・オバマ政権はクーデターを行っていたのである。
2月18日頃になるとネオ・ナチは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。広場では無差別の狙撃があったが、これを指揮していたのは西側が支援していたグループの幹部でネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだということが後に判明する。2月25日に現地入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は現地を調査、狙撃したのはクーデター派だとEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告している。この報告はその音声がインターネット上に流れて表面化した。
ヤヌコビッチ政権が倒された後、アメリカ/NATOを後ろ盾とするクーデター政権はヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部を制圧にかかるが、クリミアは動きが速く、ロシアの保護下に入った。オデッサでは反クーデター派の市民がネオ・ナチに虐殺されている。そして東部のドンバス(ドネツクとルガンスク)に対する軍事侵攻が始まった。
しかし、ドンバス軍にはクーデターに反対するウクライナ軍の将兵やベルクト(警官隊)が合流したこともあり、クーデター政権が送り込んだ戦闘部隊は勝てない。
そこでネオ・ナチをメンバーとする親衛隊を内務省の中に組織、 バラク・オバマ政権はキエフへCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだ 。 傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦へ参加させた 。 2015年からCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めた ともいう。
そうした軍事作戦によってドンバスでは1万3000人とも1万4000人とも言われる市民が殺され、今年3月にゼレンスキー政権は「民族浄化」を狙った大規模な軍事作戦を計画していた可能性が高い。ロシア語系の住民を一掃しようという計画だ。その計画が動き始めた時にロシア軍がウクライナを攻撃し始めたのである。
ゼレンスキー大統領はドンバスと台湾を重ね合わせ、ロシアと中国との間に隙間風を吹き込もうとしているのかもしれないが、歴史的な背景が全く違う。ゼレンスキー政権はウクライナをクーデターで乗っ取って成立した体制の上に立っている。アメリカが台湾を重要視するのは、中国を「ウクライナ」にするためだ。
そのウクライナのクーデター体制は風前の灯である。配下のネオ・ナチは住民を人質にとって抵抗していたが、住民はロシア軍によって解放され、ネオ・ナチの兵士も投降、自分たちの残虐行為は司令部やキエフ政権の命令で行われたのだと証言し始めている。
ドイツの情報機関BND(連邦情報局)は、ゼレンスキー政権が送り込んだ戦闘部隊は7月いっぱいで抵抗を終えざるをえず、ロシア軍は8月にドンバス全域を制圧できると分析していたが、その見通しはほぼ正しかったようだ。アメリカが供給したHIMARS(高機動ロケット砲システム)、イギリスのM270-MLRS(M270多連装ロケットシステム)など高性能兵器は住民や捕虜になったネオ・ナチ兵を殺害するだけで戦局を変えることはできない。