コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~

第八話 青年インカ(13)

悠久の月

【 第八話 青年インカ(13) 】

コイユールの歩む足元の道は、次第に丸い砂利石に占められていく。

それと共に、夜のしじまの中に、囁くような静やかな流音を奏でる川の気配が近づいてくる。

その川のせせらぎの高まりと共に、彼女の胸の鼓動の高鳴りも、ただならぬ様相になってきた。

まだ周囲にアンドレスの気配が無いことを見て取ると、コイユールは、大きく深呼吸をしてみる。

白い息が、夜の冷気に溶けていった。

体は、先ほどの温泉の効果か、外気の冷たさにもかかわらず、ポカポカと内側から温かい。

かといって、上(のぼ)せてしまうほど湯にいたわけでもないのに、胸の鼓動は、すっかり上せてしまったほどに、激しく打ち続けている。

(私ったら、こんなに緊張して……)

さすがに緊張も極みに達すると逆に緩んでくるものなのか、コイユールは、アンドレスとの再会を前にして、ここまで緊張している自分が何だか可笑しくなって、小さく微笑んだ。

(ふふ…子どもの頃の私が、今の私を見たら、呆れてしまいそうだわ…)

ふっと、そんな思いがよぎると、瞬間、走馬灯のように昔のことが脳裏に甦ってきた。

幼い頃に母から引き継いだ自然療法によって、同じ郷里に住んでいたアンドレスの母親の治療に関わることになった少女時代――スペイン人から課せられた強制労働によって早くに両親を亡くしていた彼女に、母の優しさを示してくれたアンドレスの母親は、とても眩しく、そして、彼女の息子たるアンドレスとも自然に親しくなっていった。

まるで幼馴染みのように、無邪気に、仲睦まじくアンドレスと過ごした、あの懐かしい日々……。

(きっと、アンドレスは、自分自身の身分も立場も幼いながらに知っていたろうに、そのことは何も言わず、村はずれに住む貧しい…ううん、貧しい中でも、ことさら貧しい農民の私に、何の分け隔ても無く、とても自然に接してくれたっけ。

だから、あの頃は、まさか、地元のお金持ちの優しい奥様とその御曹司が、インカ皇帝の血族だなんて、全く、夢にも思っていなかった。

それもそのはず…!

だって、あの土地を治めていらした領主様だったトゥパク・アマル様が、本当はインカ皇帝の末裔だなんてことすら、私は知らなかったのだもの…!!

でも、12歳のあの日、アンドレスの邸宅で、側近の方々と密会するトゥパク・アマル様を見かけた時、ついにアンドレスの身の上を知って――私とは、あまりに、かけ離れた身分の人だったと分かって…それは、とても衝撃で……!!

だけど、その後も、互いの絆は失われなかった――。

インカを思う気持ちが、私たちを結びつけてきたけれど…――あ…だけど、それだけじゃないような……?)

コイユールは、そんなことを思いながら、ふと天空を見上げた。

白く輝く月が、優しい光を注いでいる。

そのまま、傍の大木の陰によって、もう一度、深呼吸をしてみる。

ひんやりとした冷気が体の奥に染みてきて、とても心地よい。

(この先、私たちが、どんなふうになっていくかなんて、分からない。

だけど…!

これほどの戦況の中で、アンドレスの無事な姿が見られて、こうして、また会えるなんて…!!

これ以上、何を望むことがあるかしら?

今、私は、本当に幸せ……!)

コイユールは、今ひとたび胸を熱くしながら、大きく揺れる瞳で月を見つめた。

銀河の下で

次の瞬間、不意に、背後から何者かの腕が、コイユールをふわりと抱き締めた。

「コイユール…!」

「!!」

解放されたかと思った緊張が、再び、全身に走り、コイユールは咄嗟に身を縮めた。

頭が真っ白になって、背後から抱き竦められた姿のまま、微動だにできずにいる。

しかし、どうやら、それはコイユールだけでなく、背後のアンドレスも同様のようだった。

実際、コイユールを抱き締めてはみたものの、その彼自身の腕も、まだ、どこか怖々と遠慮がちで、震えているようでさえある。

アンドレスの胸に触れているコイユールの背には、大きく脈打っている彼の心臓の鼓動が、はっきりと伝わってくる。

その鼓動を感じながら、あたたかな腕の体温に包まれているうちに、彼女の緊張は、心からも、体からも、次第に自然に溶けてほぐれていった。

やがてコイユールは、ゆっくりと背後を振り向いた。

そこには、あれほど会いたかった、愛しく懐かしいアンドレスの姿―――。

アンドレスもまた、微かに頬を染めたまま、込み上げる愛おしさを噛み締めるようにコイユールを見つめている。

「コイユール、会いたかった…!」

アンドレスの逞しい腕は、今度は、正面から、しっかりとコイユールを抱き締めた。

清らかな瞳を揺らしながら、目を見開いていたコイユールも、やがてアンドレスの腕に素直に身をあずけ、至福の表情で、ゆっくりとその瞼を閉じる。

「アンドレス…私も会いたかった……」



そのまま、暫し、優しい時が流れ、アンドレスがポツリと言う。

「コイユール。

髪をほどいているの、はじめて見た…」

「…えっ!」

再び、ぱっと目を見開き、コイユールはドキンと身を竦める。

「とても似合ってる」

「…!!」

言葉を失ったまま赤面しているコイユールの火照った顔の体温をその胸に感じ取りながら、アンドレスは、いっそうの愛おしさから、その身を屈めるようにして、さらにしっかりと腕を相手の体に回して引き寄せた。

「コイユール…本当に…どんなに会いたかったか……!!」

「約束だったもの…アンドレスとの…!

また、必ず生きて会うって……」

「ああ…そうだ!

約束だった…コイユール!!」

そのまま互いに強く抱き合った後、やがて、コイユールの耳元でアンドレスが囁いた。

「コイユール――…あの短剣は?

まだ持ってる?

クスコの陣営で別れる時に、俺が渡した……」

コイユールは、応える代わりに、ゆっくりとアンドレスから離れた。

そして、スカートの陰に隠すように大腿部に結び付けていた短剣を、そっと取り出した。

「!――…持っていてくれたのか!

俺の言った通りに、ちゃんと身に付けて…!」

「ええ」

コイユールは頷くと、大事そうに短剣を胸に抱いた。

「トゥンガスカの本陣戦で、治療場に敵兵が雪崩れ込んできたとき、この短剣が守ってくれたの。

アンドレスが、あの時、私の傍にいてくれたと感じたわ」

噛み締めるように語るコイユールに、しかし、アンドレスは息を詰める。

「そ…そんなことが…?!

じゃ…その剣で……」

「ええ…刺していたの…気付いたら……」

コイユールはやや俯(うつむ)き加減になったまま、何かを押さえ込むように、唇を引き結んだ。

湖畔の月

一方のアンドレスの表情は青ざめ、無意識のうちに口調が激しくなる。

「そんな危ない目にあって…!!

大丈夫だったのか?!

ひどい目に―――」

コイユールは、きっぱりと顔を上げた。

「こうして、ホラ、ここに、この通り元気にしてるじゃない!

戦場だもの、どんなことだって起こるわ。

私も、それを分かって義勇兵に加わっているんだし。

アンドレスだって、だから、こんな立派な短剣を渡してくれたんでしょう?

それに、あの時、ロレンソ様も、助けてくださって……」

「ロレンソが…?!」

コイユールは、ハッキリと頷いた。

「あの時、ロレンソ様が助けに入ってくれて…。

そして……はじめて人を殺して動転していた私に、気をしっかり持てっ!て、アンドレスに生きて会いたいなら、しっかりしろっ!て、言ってくれたの」

「そうか…ロレンソが……!!」

コイユールの言葉に聞き入りながらも、しかし、まだ大きな心配と不安の抜けない複雑な表情をしているアンドレスを、コイユールは真っ直ぐに見上げた。

そして、短剣を胸に持ったまま、今度は、彼女の方から、そっと相手を抱き締める。

月に舞う鳥

「アンドレス……」

「コイユール…!」

「この短剣は、アンドレスの分身だって、言ってくれたでしょう?

この剣は、これからも私が持っていても…?

ううん…持っていたいの!」

「もちろんだ!」

アンドレスも、コイユールを抱き寄せた。

「これからも、戦(いくさ)は続く。

いや、今まで以上に、戦闘は激しく熾烈になるだろう。

戦場以外でも、何が起こるか分からない。

だから、コイユール、あの約束は、まだ、これからも続くんだ。

いいね?

何があっても、必ず生き延びるって、約束したよね?

そして、必ず、また会うって……!!

それは、これからも―――」

「分かってる!

だから、アンドレスも約束を守って、必ず……!」

「ああ…約束する!!

何があろうとも!!」

相手の存在が生きて本当にそこにあることを全身で感じ取るかのように、さらに深く、互いの胸に身を寄せる。

かつて、あのクスコの陣営で、二人の別れを見守っていたのと同じ白いインカの月が、今は、まるで微笑みかけるように、二人の再会を静かに照らし出していた。





それから、だいぶ時が経ってから、やっと、アンドレスはゆっくりとコイユールを腕から離した。

彼の見つめる視線の先に、あの懐かしい、くっきりとした目元を細めて、眩しそうに自分を見上げているコイユールの姿が、映る。

互いが、確かに、そこにいることを、今も本当に奇跡のようにかけがえなく感じながら、二人は、改めて、感動を噛み締めた。

南十字星

ちらりと見上げる月と星の位置からは、もう、すっかり深夜の時刻であることが分かる。

アンドレスの理性は、長旅の疲れも癒えぬはずのコイユールを、もう、いい加減に陣営に帰してあげねば、と思っているのだが、彼の本当の心は、全く、彼女と離れることなど考えられぬ状態である。

そして、コイユールも、戻りたそうな素振りなど微塵も見せず、実際、彼女とて、アンドレスから一刻も離れたくなどなかったのだ。

「もっと川のそばに行ってみようか?」

アンドレスの優しい声に、コイユールは嬉しそうに頷く。

それから、明らかに照れながら、アンドレスは、コイユールの方に自分の片手を差し出した。

「…!」

コイユールは頬を染め、恥ずかしそうに僅かに躊躇(ためら)った後、そっと、その手を取った。

どちらからともなく、笑みが零れる。



二人は手を握り合ったまま、川岸までやってきた。

深夜の静寂の中で、サラサラと奏でる清涼なせせらぎ音が、耳元をくすぐるように流れ込む。

アンドレスは、そっと握っていた手をほどき、その腕をコイユールの華奢な肩に回した。

彼の腕に、コイユールの柔らかい黒髪が優しく触れている。

その時、二人の気配に気付いたのか、水面から二羽の水鳥が羽音高く空に舞い上がった。

アンドレスも、コイユールも、ハッとそちらを振り向く。

繊細な綾をなす水面では、幾重にも広がりゆく水の波紋に月光が反射して、銀色の光が周囲に放たれている。

その幻想的な光景に、暫し、二人は息を詰めて見入った。

銀河の波紋

「なんだか…、妖精でも、出てきそうだわ……」

恍惚と瞳を輝かせながら、感嘆を滲ませてコイユールが言う。

そして、「ね?」と同意を求めるように、彼女は、ふっとアンドレスを見上げた。

水辺の神秘的な月明かりに浮き上がる、彫像のように研ぎ澄まされた美しく精悍な彼の横顔を、すぐ目の前に見上げて、コイユールは息を呑む。

幼い頃から、近しくアンドレスに接してきた彼女にとって、いかにも混血児らしい彼の風貌の美しさは、もちろん認識の範囲内ではあったけれど、むしろ、外見よりも、彼の人となりにこそ、彼女は心を寄せ、慕ってきた。

だが、今、こうして、改めて傍で接し見た時、成長と共にいっそうの輝きを増すアンドレスのその秀麗な風貌に、コイユールは今更のように驚きを禁じえなかった。

一方、アンドレスは川面を見つめたまま、「妖精なら、いる」と、彼女の耳元で囁くように言う。

「え?」

「ここに…」

「え…!!」

不意に肩を引き寄せられ、相手の吐息を感じると、コイユールは急激に頭に血が上って、「あ…あの…っ!」と、相手の腕から滑るように逃れた。

一方、アンドレスは、え…なんでだよ?何故、逃げるのか…――という目でコイユールを見下ろした。

そんなアンドレスの目を誤魔化すように、コイユールは彼の足元の水辺にしゃがみこむ。

それから、自分の懐から、そっと、とても小さなガラス瓶を取り出した。

そして、相手の足元に膝をつくような姿勢のまま、小瓶を手の平に乗せて、ゆっくりと顔を上げる。

「アンドレスに…これを…――」

驚いてアンドレスが見下ろすコイユールの手の平では、ガラスの小瓶が月明りを反射して、キラキラと輝いている。

彼も、いつしか、コイユールの傍らにしゃがんで、光る小瓶に眩しそうに見入った。

花の小瓶 小

小指サイズほどのガラス瓶は透明なオイルで満たされ、その中に、アカシアの実やヒマワリの種など彩り美しい種子類や、桃色に光るインカローズや黄色い鉱石の欠片などが全部で9種類ほど、ぎっりしと詰められている。

9種類のそれぞれが特別な守護の力を持つと信じられており、古来より、日常場面でも、戦場でも、インカの人々にお守りとして愛用されてきたものばかりであった。

「これは……!」

「そう…グランデーロのお守りよ。

9種類のお守りの力を瓶の中で1つに纏(まと)めてあるから、これを持っていれば、槍で刺されても死なないって言い伝えられているほどなの。

だから、きっと、戦場でもアンドレスのことを守ってくれると思って…。

ここに来るまでの旅の途中で、いろんなところに立ち寄ったおかげで、9種類そろったから…」

「コイユールが作ってくれたの?

俺に…俺のために……」

コイユールは微笑んで頷くと、アンドレスに光る小瓶を手渡した。

アンドレスは、恍惚と息を詰めて、吸い込まれるように小瓶を見つめている。

その脇で、一方のコイユールも、照れ臭そうに足元の地面にそっと触れた。

stary sky

そのまま、二人は、どこか放心したように言葉も出ず、暫く川岸にしゃがみこんだままでいた。

やがて大切そうに小瓶を懐にしまうアンドレスの横では、コイユールが、まだ所在無げに水際の土を細い指先でなぞっている。

が、不意に何を思ったか、彼女は手元の土を掘りはじめた。

何をはじめるのか、と、見守るアンドレスの傍らで、コイユールは熱心に土を堀りながら、やがて、半径40~50センチ程の、中央部の凹んだ丸い池のような形を造った。

「コイユール、何?

池?」

いつしか興味をそそられて、アンドレスも身を乗り出す。

「ううん、違うの」

コイユールは、さらに、池状の形の縁に土を積み上げていく。

それから、懐かしそうな目でアンドレスの方を振り向いた。

「ね、アンドレス、覚えてない?

子どもの頃、二人で、ビルカマユ川のほとりで、それぞれに、こんなふうに土を掘って、周りを高くして、それから、水を流して…、どっちの造った方が長持ちするか競争したじゃない」

「え…――ああ!!」

アンドレスも、合点がいったという表情で、懐かしそうな声を上げた。

「そういえば、そんなこと、したっけ!

はは…懐かしいな」

「ね、また、競争してみる?」

悪戯っぽく笑ってみせるコイユールに、「よおしっ!!」と、アンドレスも瞳を輝かせた。

そして、羽織っていたマントを脱ぎ捨て、勢いよく袖をまくる。

それから、二人は、もし他人が見れば、全く、この寒空の深夜に何をしているのかと呆れるほどの真剣さで、夢中で土を掘りはじめた。

水や泥の冷たさなど忘れて、まるで子供にかえったように、相手に負けじとばかりに無心で掘り続ける。

やがて、凹部の周りに土塁のごとくに泥を盛り、完成である。

ほぼ同時に造りあげると、互いに見渡しながら、「さすがに、昔よりは二人とも立派にできてる!」と、妙に感心し合った。

それから、我に返って、アンドレスが可笑しそうに、ぷっと吹き出す。

「…って、俺たち、何やってんだ?」

「ほんと…!」

コイユールも、思わず、クスクスと笑ってしまう。

「だけど、まだ、勝負はついてないぞ!」

「え?」

「水を流そう!!」

少年のような生き生きとした瞳で言い放つアンドレスに、コイユールは、えっ、本当に流すの?と、半ば唖然と、半ば感心したように、目を見開いた。

それから、コイユールは、首を傾(かし)げる。

「でも、困ったわ。

水を汲んでくる入れ物なんて、無いし…」

「確かに…」

アンドレスも腕を組んで、真剣な眼差しになった。

やがて、「よし!!」と、彼が明るい声を上げた。

アンドレスはポンと片方の手の平をもう片方の手の拳で叩くと、「川まで溝を掘って、川の水を流そう!!」と、いかにもいいアイデアだろう、と言わんばかりにコイユールの顔を覗き込む。

そのアンドレスの得意気な様子が可笑しくて、コイユールは、再び、クスッと微笑んだ。

「ほら!

コイユールも、そっち、掘って!!」

「あ…はい!」

アンドレスは、もうすっかり無邪気な少年そのままに、掘り上げた土塁から川の方に向けて、夢中で溝を掘っていく。

他方、コイユールは、そんな彼の様子が微笑ましいのと可笑しいのとで、どうにも込み上げる笑みを懸命に堪(こら)えながら、川に向かって溝を掘り進む。

やがて、川の水際の位置に到達する瀬戸際まで溝を掘り上げると、アンドレスは真剣そのものの顔つきでコイユールを振り向いた。

「それじゃ、コイユール、同時に、水を流そう!!」

コイユールが素早く頷くのを確認すると、アンドレスも頷き返し、二人は一斉に声を上げた。

「それじゃ、せーのっ!!」

月夜の蒼光

次の瞬間、二人の手は、溝の最後の部分、川の水を堰き止めていた土を掘り切った。

同時に、川の水が、一気に、溝へと溢れるように流れ込んだ。

たちまち、水流は、二人の掘り上げた土塁に迫りゆく。

いつしかコイユールも真剣な顔になって、拳を握り締めていた。

彼らの眼下で、川の水は、たちまち土塁の一部を押し流し、中央の凹部に流れ込む。

それでも川から流れ込む水流は止まらず、凹部に溜まった水の水位はみるみる上がり、コイユールが「あっ!」と息を呑んだ瞬間、土塁はあっけなくも無残に決壊してしまった。

「あ…ああ…」と、コイユールは残念そうに肩を落とす。

「あっと言う間ね…。

どっちが先に崩れたかしら。

ね、アンドレス」

問いかけるコイユールの声に、アンドレスの返事はない。

「どっちだった?

ね、アンドレス?」

振り向いたコイユールの目の中に、だが、そこには、先ほどの無邪気さとはガラリと、まるで別人のように雰囲気も風貌も変わったアンドレスの姿があった。

コイユールは、ハッと息を詰める。

今、アンドレスは、完全に厳(いかめ)しい武人の面持ちに戻り、その眼差しは、コイユールには恐ろしいほどに非常に鋭くなっていた。

「そうか…これだ……!」

低い声で呻くように言う彼の横顔には、ありありと恍惚の色が浮かぶ。

まだ事態についていけず、呆然と見上げるコイユールの方を、アンドレスは、やっと振り返った。

「コイユール!!

凄いぞ!!

これだ!!」

「え…?」

「策だよ!!

策を思いついたんだ!!」

興奮したアンドレスの声が、川面に響く。

「え、さく…?」

「策だよ!!

ソラータを落とす策を思いついたんだ!!」

「…え?!」

息を呑むコイユールの肩をガッと激しく鷲掴みすると、アンドレスは興奮と歓喜に震える眼差しで、戸惑う相手の顔を覗き込んだ。

「どうして今まで、気付かなかったのか……!

俺は、包囲した敵の兵糧を絶つか否かに、囚われすぎていたんだ…!

だけど、ここの地形なら、そうだよ…水が使えたんだ!

川を堰き止めて、ソラータに押し流せば、一気に敵を町から叩き出せる!!」

が、すぐに声を低めて呻くように呟いた。

「――だけど、待てよ…?

そんなことをしたら、ソラータで人質にされている住民はどうなる……?」

コイユールは、己の肩を握り締めるアンドレスの指先に、痛いほど力が入ってくるのを感じながら、やや身を引いた姿勢で立ち尽くす。

目の前にいる自分の姿など全く見えなくなってしまった相手に、一抹の寂しさを覚えないわけはない。

だが、それでも、懸命に何かを模索する彼によい答えが出ますようにと、むしろ念じる気持ちで、コイユールは、真っ直ぐにアンドレスを見上げた。

そんな彼女の前で、アンドレスは、足元で決壊している土塁に鋭い視線を走らせた。

「そうだ…決壊……決壊…決壊……――」

そこまで言うと、彼は片手でコイユールを捕えたまま、もう片手で己の額を押さえて瞼を閉じ、再び、じっと考え込んでしまった。

きつく閉じられた瞼が、微かに震えている。





そして、長い沈黙―――。

瞳を揺らしながら、コイユールは黙って、じっと見守り続けた。

それから、どれ位たっただろう。

空は白みはじめ、朝一番の眩い陽光が、川面にキラキラと乱反射している。

湖岸の日の出

やがて、アンドレスは、ゆっくりと目を開けた。

その目元に、強い光を宿して…――!

彼はコイユールに向かって深く頷くと、不意に、相手を掴んでいた腕を引き寄せて、ギュッと彼女を抱き締めた。

「!!」

呆然と瞳を瞬かせているコイユールを腕に抱き締めたまま、アンドレスは精悍な武人の面差しで、もう一度、力強く頷いた。

「コイユール…ありがとう……!!

今度こそ、いけるかもしれない…!

いけるかもしれないぞ……!!」



◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ 第八話 青年インカ(14) をご覧ください。◆◇◆







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