わたしは価値を創る

わたしは価値を創る

March 13, 2007
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カテゴリ: 映画の話
■先日テレビで評論家の宮崎哲也が「人の幸せを願うこと自体が胡散臭い」というような内容のことを言っていた。オウム事件に絡めた発言なのだが(彼は仏教徒らしい)仏教には「自分の足元を照らせ」という教えがあるそうで、まずはそれが正しい道ではないかということである。内容に誤解があればスンマセン。

かくいう私も「マーケティングの目的は社会貢献」だという概念に響いてここまで来た人間であるのだが、確かにチープな博愛主義の押し売りが充満する現代に、宮崎氏の発言は説得力があった。

■少し前だがDVDで「シンデレラマン」という映画を観た。実在のボクサー、ジム・ブラドックの伝記を基にした映画である。ブラドックは、ベテランの域になってから急に頭角を現して、ヘビー級王者になったボクサーだと知られる。実はこんな背景があったのかと驚かされた。

ブラドックは負傷して一度引退している。折りしも世界大恐慌の時代。3人の子供を抱えた彼は日雇いの仕事につき、無料食料給付を受ける身となり、ついにはかつてのボクシング関係者に物乞いをするまで落ちぶれてしまう。

ところがひょんなことからボクサーに復帰した彼は、思わぬ実力を見せることになる。

■この映画でテーマとなっているのは、ブラドックの家族に対する強い愛情と責任感である。地下のあばら家に住む彼は、少ない食料を子供に与え、空腹のまま仕事に行く。レストランに招待された時にはステーキをこっそりとポケットに入れ子供に持ち帰る。

勝ち進んだブラドックはチャンピオンに挑戦することになる。しかし相手は恐ろしく強く、既に2人を廃人にしている。厄介を恐れたプロモーターは「死んでも責任は持たんぞ」と言い放つ。

ところがブラドックはこう言うのだ。「あんたらには家族を養うということの大変さが分からんのだろう。おれはやるぞ」

なんとも深い共感と感動を覚えたシーンである。



ところがこの映画で描かれるラモッタは、その天賦の才を持て余し、自分勝手に生きた愚かな男である。引退後は寄る辺もなくなり、落ちぶれていく。(スコセッシはこういう愚かな男たちを好んで描く)

■「シンデレラマン」のジム・ブラドックは、チャンピオンになり、その賞金で事業を起こし、家族を育て上げたとある。この差は何なんだろう。

■自分の欲望のまま生きて破滅する男。家族を養うことを使命とした男。口先で人の幸せを願う人々。。。対比させて意味あることとも思えないが、最近、考えさせられたことであった。






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Last updated  March 13, 2007 10:22:37 PM
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