わたしは価値を創る

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December 7, 2016
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カテゴリ: 映画の話




昭和20年8月、広島で起きた巨大な悲劇の周辺で生きた人びとの日常と非日常を描いています。

この映画、観た直後よりも、後になっていろいろな場面を思い出します。

というのは、この映画、ゆったりした話なのに、やたらテンポが速い。ワンカットが短く、モンタージュをみているかのように場面が切り替わります。だから理解や感情がついていけない場面も多々あります。それが、後から思い出されて、「そういえば、あの場面、こういう意味だったのか」と蘇ってくるわけです。

「あとからジワジワくる」「思い出して泣ける」という感想を聞くのは、サブリミナルのような効果があるのかも知れません。

■アニメとしても漫画チックな表現の画ですが、圧倒的なリアリティを持つ映画です。

それは、監督が執念の取材で作り上げた呉や広島の街並み、光景の再現であったり、時代考証の賜物でもありますが、それだけではありません。

戦時の時代を決して大上段から描かず、あるいは暗い悲惨な時代というステレオタイプに描かず、一面的な批判精神で描かず、あくまで庶民の日常目線で描きます。映画の多くが生活の描写に費やされますが、その中で、人々が、ユーモアを忘れず、健気に、したたかに生きていきます。

そこには確かな人々の生活があったと感じさせます。



映画にあって、原作にないもの。その最もなものは、主人公の声を演じたのん(能年玲奈)の存在です。

18歳で名前も知らない人のところに嫁にいった夢見がちでちょっとトロい天然の少女。嫁いびりされても困ったように笑うだけで毎日を楽しく生きていく。それなのに時折見せる内面の激しさや芯の強さ、女の情念などもほとばしらせる。

この主人公のリアリティは、のんの存在なくしてはあり得なかったでしょう。

どうしてものんを起用したかったという監督の慧眼には感服します。

■実に多層に作られた映画です。

戦争という時代の層。

日本人が持つ家や習慣、日常という層。

その中にある個人の想いや情念。

さらには、われわれが心の奥に持つ民話や伝承といった層。

そして人間の状況にかかわらず存在する自然という層。

この映画の奥底にあるのは、日本人が生きてきた生活の記憶であり、庶民としての精神の蓄積です。日本人はこのように生きてきた、このように生活を継承してきた。どんな環境の中でも、たんぽぽの胞子が偶然とまったところに根付くように生活を作ってきた。



素晴らしい映画です。このような作品がこれからも作られることを望みます。


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Last updated  December 7, 2016 09:21:45 AM
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