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たまたま見つけた木走日記というブログの「自民党の「報道圧力」に在京キー局が沈黙を守る理由(2014-12-01)」という記事が(いろんな意味で)面白い。自民党が報道各社に圧力を加える通達を出したと、ネットメディア「ノーボーダー(代表者は"あの"上杉隆氏)がスクープしたというのだ。[メディア]自民党の「報道圧力」に在京キー局が沈黙を守る理由~その本質部分の問題点を触れようとしない朝日社説 17:03Add Star ネットメディアである「ノーボーダー」が「【衝撃スクープ】安倍政権が在京キー局に報道圧力」と題してスクープしたのは26日でした。 2014年11月26日(水)【ノーボーダー編集部】 【衝撃スクープ】安倍政権が在京キー局に報道圧力 メディアは一切報じず http://no-border.co.jp/archives/29109/ 記事によればノーボーダー編集部は、自民党が萩生田光一筆頭副幹事長と報道局長の連名で在京テレビキー局各社に対して政権に不利な報道をしないよう要請する文書を入手したものであります。 そしてそこには4点について具体的な要望が箇条書きにされていたとのことです。 「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題し、在京テレビキー局各社の編成局長と報道局長に宛てた文書によると、2009年の民主党政権誕生時に偏向報道があったとした上で、以下の4点について要望を出している。 1.出演者の発言回数や時間を公平にする 2.ゲスト出演者の選定についても中立公平を期すこと 3.テーマについても特定の出演者への意見が集中しないよう公正を期すこと 4.街角インタビューなどの映像で偏った意見にならないよう公正を期すこと 記事にも指摘があるとおり、この文書は11月20日付けとなっており、在京キー各局自身は「このような政治的圧力を加えられていながら、少なくとも6日間一切報じてい」ないわけです、現時点でも状況は同じです。記事を読んで可笑しさと哀しさが入り混じった感覚を持ちながら「あ、この人たちとは分かり合えないんだろうなぁ・・・」と思った。自分の顔が曲がっているのに、鏡を批判しても仕方あるまい。在京キー局がまともであったというだけだ。 もし、民主党が政権にあったとき、同じ内容の通達を出していたら、感動して比例区で投票してしまったかもしれないだろう。
2015/04/19
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自民党がテレビ朝日とNHKの幹部から事情を聞いた件を、特に左派メディアが問題視している。が、ツイッターなどを見ると「問題ない。当然」「国民は公共の電波でウソもデタラメも自由に流していいとは考えていない」「結局、安倍政権が気に入らないだけなんでしょう」などと、あっさり左派メディアの魂胆を看破しているようだ。このような声が多いのも、実際にテレ朝やNHKの番組を見て(問題はあるだろうが、リアルタイムではなく動画サイトで)、国民が「これはひどい」「さすがに度を超している」と思ったからだろう。実際、この件を批判する左派メディアもテレビ局側に問題があったことは認めている。「(社説)自民党と放送 「介入」は許されない」番組に確かに問題はあった。だからといって、権力が安易に「介入」と受け取られる行為に踏み込むことは許されない。2015.4.17 朝日新聞デジタル「権力と放送法 統治の具と成す不見識」 政治的に偏ったり、虚偽を放送しないよう、放送局側が自ら律することは当然だが、何が政治的公平か、真実は何かを判断することは難しい。にもかかわらず政治権力を持つ側が自らに批判的な放送内容を「偏っている」と攻撃することは後を絶たない。2015.4.16 東京新聞安倍政権嫌いで有名な朝日新聞や東京新聞の書き方は要するにこうである。「テレビ局側が悪いのは確かだ。だが、安倍政権は報道に口を出すな」「だが」「しかし」は逆説の接続詞である。逆説の接続詞は後段に筆者の強調したいことがくる。すると「テレビ局側が悪いのは確かだ(がそれはどうでもいい)。だが、(私がいいたいのは)安倍政権は報道に口を出すな」という内容であり、要するに朝日新聞や東京新聞は「安倍はだまって批判されろ」といいたいわけだ。左派メディアの何が不健全で人々を「うさんくさい」と思わせるかといえば、この逆説の多用だと思う。その最たるものが、朝日新聞の天声人語で伝統芸能と評される「だが、ちょっと待ってほしい」だろう。「だが、ちょっと待ってほしい」もはやネタ化して、普通の人までSNSやメールに使うネットの流行語だ。朝日新聞社説のワンパターン化は天声人語風メーカーのようなWEBアプリも生んでいる。前段に「確かに悪かった」と物事を多角的に解説した、両論を併記したというアリバイ文章を置いて、後段は常に日本や自民党政権のの批判である。決して「自民党の事情聴取はやりすぎだ。しかし、この件はテレビ局側の問題が大きい」とは書かない。それどころか。「自民党の事情聴取はやりすぎだ。一方、テレビ局側にも問題がある」とすらも書かない。左派メディアの多用する「だが」は、あまりに言い訳がましく、こっけいだ。そのことに自覚がない限り、左派メディアはネタにされつづけ、笑われながら、国民の心から離れてゆくのだろう。自民党が「報道ステーション」について「公平中立な」番組作りを要請した問題や、今回の聴取に対し「政治的圧力が報道を萎縮させる」といった指摘もある。果たしてそうか。この程度の「圧力」で、本当に報道は萎縮するのか。聴取に不当な言動があれば、それを堂々と報じればいい。2015.4.18 産経新聞「主張」同意だ。報道側には「これはまたとない機会だ。聴取されながら、不穏な発言がないかチェックしてやる」ぐらいの強さ、したたかさが欲しい。
2015/04/19
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