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カテゴリ: 興味
目新しい記事ではないが、一部マスコミの恐怖報道(混乱しか招かない利己的報道)については常々不快感を覚えていたところである。

ただ、私の見解や意見も他人が作った医学・生物学誌や論文にもとづくものであり(一部マスゴミの記事よりは信頼がおけるが…)、私の私見が入っていることをまず断っておく。

まず、鳥インフルエンザについては10年以上前から「近い将来、ほぼ確実に発生する」と予言されていた。

ウイルス学が進歩したのはここ数十年のことにすぎない。
学者たちの大きな興味の一つは「なぜインフルエンザウイルスはこうもコロコロと形を変えてしまうのか?」であった。
その原因はウイルスより研究が進んでいた細菌で実証されていた仮説をあてはめることで比較的簡単に解明できた。
すなわち 「別の動物に感染するときに変異が起こる」 というものだ。

ものすごく大ざっぱに説明する。

・同じ動物、例えばヒト→ヒトに感染したときには変異は起こらないかほとんど変化しない。



つまり、 動物からヒトに「カゼがうつった」ときはキケン であるということだ。
さらに、 別の動物からカゼをもらった動物(例えばトリ→ブタ)の持っているウイルスはさらにキケン ということだ。

まとめるとこうなる。

数種類の動物とヒトが共存し頻繁に接触するであって、不衛生な空間は、恐ろしいインフルエンザウイルスを生む可能性が高い

例えば外国の獣医もいないような畜産農家…
(日本の畜産農家にはお抱え獣医がいます)

10年以上前から、強力なインフルエンザ発生が予言されていたと先に書いたが、 新型ウイルスの発生源が中国南部、福建省や広東省のあたりになるだろうことも学者の間では通説であった。

ウソだと思うならどこの大学でもいい、医学部や獣医学部の先生方(微生物学・公衆衛生学)に聞いてみるといい。
ある先生は「まったくそのとおりだ」と言うだろうし、ある先生は「そのような説があったことは否定しない」というであろう。
しかし、「そのような説は無かった」と否定する先生は一人もいないはずである。


1)渡り鳥が他の国から新しいウイルスを運んできてくれる。
2)カモやニワトリにそれらのウイルスが取り込まれる。
3)カモのいる池に水を飲みにきたブタやウシにウイルスが感染する。(変異発生)
4)カモやブタに直接触れて世話をする農家の人々に変異したウイルスが感染。(ヒト感染)

変異といってもヒトには無害な変異もあれば非常に有害な変異もある。

それが1980年代後半ごろから「この先10年ほどの間に…」ということであった。

疑問1.予言はなぜ「10年前」から唱えられてはじめたのか?

1>ウイルス学の発展
詳細は医学誌に譲るが、ウイルス学の発展には顕微鏡の技術の発展が急務であった。電子顕微鏡はウイルス学の発展に大きく寄与した。
2>シミュレーション技術
感染症の発生や広がりを予測するにはシミュレーションが必要だが、それにはコンピューターの発展と普及を待たなければならなかった。
3>香港かぜと中国
1960年台末、香港かぜといわれる世界的インフルエンザ大流行が起こった。
その当時から香港政府は中国から輸入されるトリが原因ではないかと疑っていた。
そして、97年、再びトリからではないかと疑われる致死的なインフルエンザが流行の兆しをみせた。
そのとき香港政府が取った対応は 「中国からのトリ輸入停止」。
この対策は見事に効を奏し、インフルエンザは急速に収束した。
もはや通説となっていた学者達の認識が確信に変わった瞬間であった。


疑問2.現地の農民はなぜ大丈夫なのか?

1>ウイルス慣れ?
農民は常に家畜とウイルスに接触している。
そのたびに、体の中で免疫反応が起き、新しいウイルスに対する抗体が作られる。
抗体は新しいウイルスの形が少ししか違わなければ有効である。
少し変わったウイルス→前のタイプの抗体が有効→その間に新しい抗体が作られる→ウイルス制圧
しかし、大きく形が変わったウイルスに古い抗体は無効である。
つまり、現地の人はウイルス慣れしているが、海外の人にそのウイルスが感染した場合は無防備であるという仮説が成り立つ。
2>実際には多数の人が亡くなっている
とはいえ、どのくらい変異するのか、毒性がどのように変わるのかは一定ではない。
実際には多くの現地民が亡くなっているのが現実であろう。これは最近の新聞報道のとおりである。
しかし、はたして中国南部のインフルエンザ死亡率がどの程度か?他地区と比べて高いのか?
正確な数字は私が調べた限りないか、信頼できる数値(例えばWHOなど第三者機関が調査したもの)ではないかどちらかである。


疑問3.中国政府は対応しないのか?

1>SARS発生時の中国政府対応
誤解があってはいけないので事実だけを言う。
中国はSARS発生の際、情報操作を行い発生を隠蔽しようとしたというジャーナリストや亡命者が多数いる。
中国には言論の自由はない、不適切な言論は政府の判断で制限される。
また、中国政府によるSARS隠蔽工作を内部告発しようとした医学者が「中国政府」を名乗る者に拉致され行方不明になっている。
2>香港への中国政府の抗議
97年、香港政府がインフルエンザ対策として、中国からのトリ類輸入を禁止しようとしたとき、中国政府は猛烈な反対をし圧力をかけてきた。国家としては「アリ」だろう。
香港のインフルエンザは消滅した。
99年、再び香港でインフルエンザ流行のきざしがあり、原因を中国のトリと判断した香港政府が輸入禁止措置を取ろうとしたとき、またも中国は猛烈な抗議を行い輸入を継続するよう強要した。
その理由は 「科学的根拠がない」 とのことであった。


疑問4.日本の対応は? (最大の疑問)

1>日本政府の弱腰外交
これにつきる。
SARS、トリインフルエンが海外から持ち込まれた可能性を認めつつ、輸入禁止措置や渡航制限をなかなかかけない。
相手国の利益を損なうことに慎重なのである。
自国の損失を想定し、断固たる対応は取れないのか?少なくとも現状では取りようがないであろう。
なぜなら
2>感染症対策システムがない
次に、では渡航制限や輸入禁止措置が必要だったとしよう。
誰が?どこのお役所が号令をかけるのか?
常識的に考えれば、厚労省、農水省、外務省が総理に進言し、日本国として制限を発動するということになる。
しかし、 日本には米CDCのような感染症防止や制圧のための機関は存在しない。
感染症法のどこを見てもそのような機関についての文言は無い。
するとどうなるか?
舵取りの座に座らされないよう(責任を取らされないよう)厚労省、農水省、外務省、その他がなすり合いをはじめる。
実際、BSE問題で米国牛の輸入制限が遅れに遅れたのは、そのようななすり合いが起こったからであることは周知。
3>現場(地方)が動けない
政府がリーダーシップを取らず、保健所など地方は動けない。
東京など小国家のような一部の地方自治体以外は、ただ国から「インフルエンザ対策を取れ」とだけ命令されても拠り所となる金も人も法律すら準備されていない。
このような感染症を甘く見ている国はG8で日本国だけである。結核患者が再び増えつつあるのもG8で日本国だけである。
隣の韓国で毎年狂犬病で人が死んでいるのに、著名な医師が新聞に「狂犬病予防接種はムダ」とわざわざ投稿する国である。

結論:弱腰外交とシステム不備がこの国をトリインフルエンザをはじめ、感染症の危機に陥れている。

「自分の身は自分で守る」
これは大原則かもしれないが、社会的弱者は?偏った情報しか知らず無知な人々は?

町役場に抗議の電話をしてもほとんど意味が無い。
保健所や保健センターですら、素人に毛が生えた程度の医学的知識しかない職員がいるだけである。
そこには医師はいないか1人しかいない。
なにせ、地方の保健所には医師はもとより、医師に次ぐ高度医療職である薬剤師・獣医師すら定着しない。
事務職や業務職の給与は一般に民間より高いが、医療専門職の給与は民間より安すぎるからである。
また、保健職員の多数を占める保健師は医師の補助職であるため、主体にはなりえず、高度な知識や能力を得るような医学教育をそもそも受けていない。
実際、法的にも医師や薬剤師のような業務独占権はない。
(保健センターの健康相談は保健師の独占業務ではない。法的には事務職だろうが誰でもよい。)
彼らに期待されるのは住民とのパイプであり、医師のよき補助である。
このように、医師が日本医師会の助力で国に進言するならともかく、無難にお役所勤めをしたい事務職が事実上仕切る地方から国への発言など効果がないし、そもそもやらないだろう。

現実にわれわれ国民が動かすべきはもっと全体的な国のシステムであろう。

だれでもできて、しかも簡単な方法としては、世論を高め、国に伝えるということがある。
ブログを持たなくても感染症に対して問題意識をもち、できればビジョンを持っている議員を選挙で勝たせれば良い。
感染症対策のために選挙に行こう! という結論は「?」な感じがするかもしれないが、国を動かすもっとも有効な手段は選挙なのである。
衆参議院戦で40%を切る投票率が70%になればガラリ国が変わる。
議員も大臣も国民の顔色をしっかり見るようになる。
議員はマニュフェストとして議会で発言する、そうすれば政治が動く。

選挙権は成人であれば誰でも持っている。
一人の投票にたしかにさほど影響力はない。当然だ。1億国民の1人にすぎないのだから。
そうではなくて、国民全体が無力感にあまりにも囚われすぎているということが問題なのである。
職場で学校でスーパーでスポーツクラブで「仕事あるんで期日前投票に行って来たよ」などという簡単なおしゃべりがあれば投票率は確実に動く。
もちろん、どの党や誰に投票したなんて話題は一切必要ない。
投票を当たり前の位置に戻すことで国が健全になるのだから。

「そんなことしてもねぇ…」 と、知った顔で言いたい人には言わせておけばいい。
消極的に政治に意思表示をしない人間は、政治に参加することも議論することも無く、ただ規則や仕組みに縛られるだけの生活を積極的に選んでいるのだから。
インフルエンザの件で言えば、ずさんすぎる感染症防止対策にも、備蓄が足りないワクチンや治療薬にも、高すぎる医療費についても、 いっさい何も申しません。みなさんでお決めになったとおりで結構でございます ・・・と言ってるようなものだ。

「自分の一票なんて」と、消極的に選挙権を放棄することは 「もったいない」というよりは「危険」 なことだと思う。
教育や社会によるスポイル(ダメ化計画)がうまくいったということなのだろうか。
最低限の約束ごとを守れない身勝手な人間はもっとも危険であるが、自分の意見を持てない言えない人間はもっとも利用しやすいのだから、一部のエリートや特権階級、上層部と呼ばれる人間層にとってはこれほどいい世界はない。
これだから弱者と強者の格差は広がる一方なのだろう。

「これからは一太刀いれる、そのくらいの気分で選挙会場に行こう」という人が一人現れてくれればこんな長ったらしい文章を久しぶりに書いた価値があるというものだ。
ふぅ・・・





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最終更新日  2020/05/24 01:22:37 AM
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