DF文書の作成者に連絡して、問題を解決してください。

PR

バックナンバー

2025/11
2025/10
2025/09
2025/08
2025/07
2007/08/21
XML
カテゴリ: 水のメモ
<水族館でイルカをみたいあなたへ
   イルカ施設で一緒に泳ぎたいあなたへ>

イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク  記事より




 イルカはかわいい、賢いから好き!という人は年々増えているようです。
さまざまなシンボルや、企業イメージなどにもイルカの姿が使われています。
丸いおでことほほえんでいるような口元で、親しみやすく、水族館でもなつっこくよってきてくれる彼らにいやされる人がいるというのも分かります。

でも・・・・・・・

 あなたはイルカたちがどこから来たのか知っていますか?イルカが大好きなあなたに、そのことをぜひとも知っていただきたいのです。

 昨日、静岡県の富戸で行われたイルカ猟のようすをお伝えしましょう。

 早朝、沖でバンドウイルカの群が100頭ほど地元の富戸の漁業者たちによって湾に追い込まれました。富戸港の入り口は漁網で封鎖され、イルカたちは仕切りの中で一晩を過ごしました。翌朝8時過ぎから、漁業組合の人と水族館の関係者によるイルカの選別と捕獲作業が始まりました。

 岸壁には大きなクレーンが横付けされ、赤や青の担架がつりおろされて、7,8人のダイバーにとりおさえられて捕獲されたイルカを中に入れると、 再びクレーンがあがります。待ちかまえていたトラックがイルカを運び去ります。そうした作業がえんえんと続きました。そうして、12時過ぎには14頭のイ ルカが捕獲され、作業が終了しました。

 狭い仕切りから、イルカたちが船で追い立てられて、広い仕切りの仲間と合流しました。イルカとともに、赤い水が帯となって流れ出します、濁った白い泡も流れてきました。もがきつかれて、仲間の方に泳ぐ力も残っていないイルカが狭い仕切りの中にとどまってただよっています。 弱って傷ついたイルカたちは、こののち海に帰されて、はたして生き延びることができるのでしょうか?ショックで死んだイルカもいました。

 80頭ほどのイルカが海に戻されましたが、一方で、漁船の網には、解体される3頭のイルカが頭を上にしてじっと動きません。彼らが生きていることは、時折ブシュッと噴気があがることでわかるだけです。

 解体作業は、イルカを愛する人たちからの抗議を受けたからという理由で、関係者以外には公開されなくなりました。以前よりも、短い時間で殺す方法に変えたと言われますが、本当かどうかの確認はできませんでした。いずれにしても、仲間が捕獲されるのを身近に目撃し、仲間が海に戻されるのを知りながら網に閉じこめられ、生きたまま頸椎を切断されるのですから、本当にこれが「人道的」なのかどうかはおわかりでしょう。

 今回の捕獲は、伊豆下田海中水族館や伊豆三津シーパラダイス、しながわ水族館などからの注文で行われたと言うことです。この中には、みなさんがイルカをごらんになった施設も入っているのではないか、と思います。

 こうした人工的な施設で飼育されるイルカたちの多くは、野生での寿命を全うできないでこの世を去ると言われます。多くの水族館ではイルカは消耗品で、イルカ捕獲の注文も次々とつきないわけなのです。

 皆さんが、水族館やイルカ施設でイルカをみたい、一緒に泳ぎたいと考える限り、こうした悲惨な運命に合うイルカは後を絶ちません。

 あなたはそれを望みますか?

 イルカが見たいのであれば、ウォッチングや野生イルカと泳ぐプログラムもあります。その方が本当にほほえんでいるイルカたちを見ることができるはずです。
 富戸では、元イルカ漁師だったIさんがドルフィンウォッチングをしています。





文末の某I氏は「若い頃はイルカを捕まえてカネにし、老いて捕まえられなくなったら見せ物にしてカネにするのか」と非難されたそうである。
I氏は「なにも言えなかった」と述懐しているが、他人の生き方だし、人に迷惑はかけていないのだから、そこまで言わなくても・・と思う。


さて胸に迫るものがある文章である。

が、冷静に読めばこれが クジラ(イルカ)ファシズム

証拠に「イルカを助けろ」とは言うが「マグロやサバを助けろ」とは言わない。
どころか、イルカと同じほ乳類の「アシカやホッキョクグマを助けろ」とすら言わない。

うちはイルカとクジラ専門ですから・・・とでも言うつもりだろうか?

イルカやクジラの知能が高いことは有名だが、ブタやウシも頭はいい。
食肉になるため殺されると分かれば暴れるし、仲間が死ぬところを見ると混乱する。
(そのためと畜場では、仲間が死ぬところを後の動物に見せない構造になっている)


北野武がクジラファシズムについて(たしかTVタックルで)こんなことを言っていた。

「どうもあのクジラ捕るなっての危ない気がするんだよな。
 知能が高いから捕るなって言うんだろ。
 すると知能で動物を差別するんだから、いつか人間の知能差別につながっちゃうと思うんだよ。」


この意見は、クジラファシズム問題の核心を突いている。

某料理マンガで、食材となる動物がかわいそうという子供に、植物が生長するビデオを見せて
「植物に生命を感じないのなら、それはただ想像力の欠陥だ」 と指摘するシーンがあった。

痛い、怖いのは人間に捕食される魚も、ライオンに捕食される鹿も、イルカに生きたまま噛み砕かれる小魚も同じだ。




人間も含め、それはどの生命体とて例外ではない。
理由があって殺し、殺され、自然界を形成しているのは地球誕生以来の真理だ。


その真理に「心情的に同意できない」という考えこそ、自然への無理解に他ならないだろう。

あのグリーンピースをはじめ「 アニマルライツ (動物の権利)」をさも特別なことかのように声高に叫ぶ人たちだ。

動物が自らの種の維持のために、他の動物を殺すのは自然の摂理だ。
ヒトや動物が動物や植物を殺して食べることが最たるものだろう。


ひるがえって、医薬品の動物実験もヒトが生きるために行われているという点で、食と同一視できる。
(もっとも現在の科学レベルで現実的に安全上必要な動物実験のことである)

いったい、貧困国の子供が、どれほどワクチンと薬を待ちながら死んでいっているのか?

蚊が運ぶマラリアに殺される前に、どれほど殺虫剤を欲しがっているのか?

それをアニマルライツという言葉の意味を知らないまま振りかざし「心情的に同意できない」などと言うのなら、薬を使うことはもちろん、あらゆる生き物・・・獣、鳥、魚はおろか 植物も食べることを止めるべきだろう

そのために自然に過度に干渉していいとは言わないが、ヒトはヒトのアニマルライツを最優先にするのが自然の摂理だ。

少なくとも、現状で直接の自然破壊につながってはいない動物実験の反対に精力と資金をつぎこんでいるヒトより、研究室で動物実験をしてでも薬を作っているヒトの方が「自然」であり「アニマルライツ」をよほど正確に理解しているといえる。
(たとえ、それが自己の名誉と企業の利益につながっても…だ)

そもそも、権利(ライツ)にヒトとアニマルという区分を設けていることこそ傲りそのもの。
「人間が自然を守る」というドンキホーテと変わらない愚行。

私たちは、そういう風に「自然」から離すぎた頭になってしまっている。
言い古された言葉だが「人間も自然の一部」という言葉の意味が少しでも分かっていれば「アニマルライツ」などとは、無知を晒すようなもので恥ずかしくて口に出せない。

それが分からない、気持ちは変わらないのは仕方ないにしても、少なくとも動物らしい自然を失った状態だと理解した方がいい。

実際、私も馬刺を食べる時は、美しく人なつっこい馬を思って少し気が引ける。
だが、少なくとも私はこれが「感情」であることを知っているし、これが「理性」ましてや「正義」だとは微塵も思っていない。


刀を鳥に加えて鳥の血に悲しめども
魚に加えて魚の血に悲しまず
声ある者は幸福也

             斎藤緑雨



他の動物に優れるというヒトの英知とやらが、自らの種を守るためというごく自然の摂理に反しては本末転倒だ。

人口爆発の議論も、環境破壊の議論も、すべては自然の摂理を見失った感情論だから破綻する。

欲望のままに自然を壊すのも、一動物にすぎぬヒトが「地球を守ろう」などとそもそも間違った願いを抱くのも、本質的には同じだと言われれば、自然保護、動物保護、環境保護を使命と自認する人々は反発するだろうか?


考え事が大きくなりすぎて、理解が難しくなったら、本質を変えずサイズを小さくするのがいい。


例えば、イルカを捕って食べることはどうか?

例えば、だれもが電車に乗れば水族館に行けて、イルカを見れることはどうか?

例えば、水族館や動物園があることが、自然から隔離された社会の中で、自然に対する心をはぐくむことはどうか?

それらは自然の摂理に反することか?


それが無意味であるか、誰か一人の価値観で決まるものではないことぐらいは少なくとも分かるだろう。



※1 1950~60年代、低コスト・高効果の「奇跡の殺虫薬」 DDT は後進国の蚊を駆逐し、10年以上にわたって少なくとも3000万人ものマラリア死を救った。
(算出法によって異なるが、一億人以上を救ったという説もある)
しかし、DDTは動物実験を含む安全性検証が不十分だったため、十分なデータがないまま発ガン物質、環境汚染物質と疑われ世界中で禁止された。
DDTが生産されなくなった後、高価な殺虫薬が買えない後進国では、蚊の復活と同時にマラリア死が再び急増。
そして今現在も毎年数百万人がマラリアで亡くなっている。一方、その後の研究でDDTの発ガン性は無いか無視できるほど小さいこと、環境への影響も濫用しなければ十分コントロール可能なことが分かった。
DDT禁止から30年以上を経た2006年、ようやくWHOはマラリア対策にDDT使用を公式に認めた。

なお、DDT耐性の蚊も発生しており「DDTより安価で同等の効果と安全性を持つ殺虫薬を造った化学者はノーベル賞確実」「マラリアに悩まされる国々から礼服が埋まるほどの勲章を授けられるだろう」と言われている。

しかし、今「殺虫剤=環境汚染物質」のレッテルのため殺虫剤研究に費用が使えないこと(日本でも大正製薬が2000年に殺虫剤部門を休止)、特に欧米の研究者は動物実験がなかなか行えないことなど、「環境・動物保護原理主義者」の直接・間接の干渉により、殺虫剤研究は遅々として進んでいない。

DDT耐性の蚊が増えたとき、また後進国の人々の生命が脅かされるが、環境・自然保護派の人々はこの点には無関心というより冷酷なようである。





s-ayaueto.jpg

「ドルフィンセラピーを受けてみたい!」
と大のイルカファンを公言する上戸彩
(2007ロッテ販促用限定カレンダーより)








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007/09/02 05:21:49 PM
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: