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GWはどこも人でいっぱいのようだったのでそれを避けて、今週末に旅にでようと友達に誘われています。友達が、桂浜の海が見たいというので、今回は、高知と愛媛の旅です。友達は福岡から、フェリーで四国にわたります。わたしは、瀬戸大橋で四国にわたります。高知のホテルで落ち合うことにしました。何着ていこうかな?何時ごろ、家を出たらいいのかな?旅の用意をしているときはいつも、わくわくしちゃいます。プレゼントにと、せっせと刺し子も刺しました。お天気が気になるけれど、お互いに、元気がでる旅にしたいな。明日は、ガソリンと洗車を忘れないようにしなきゃ。楽しみ!楽しみ!
2023.05.08
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毎年、この季節になるとアラスカ豆で炊く「豆ごはん」が楽しみです。母の好物でした。私たちのところでは「アラスカ豆」といいます。グリーンピースの一種らしいけれど、グリーンピースの味とは一味ちがいます。ちょっと、お塩を効かせて母を思い出しながら毎年の楽しみです。(主人は豆の嫌いな人だったので一人暮らしになって、気兼ねなく炊いてます(^^♪)母は67でなくなりました。若いころから、病弱で入退院を繰り返していました。父が外国航路の船員でほとんど家にいなかったので母は一人で私と弟を育ててくれました。だから、私たちの目には母はいつも強い人に見えていました。だけど、亡くなる数年前からはずいぶん気弱になり、「おまえたちも、もう、自分たちで生きていける。もう母としての必要はなくなった。行きたいところもやりたいことももう、何もないんだよ。」と、ときどき、さみしそうに言っていました。私も、弟も、まだまだ子育て真っ最中で、それでも、入退院のたび、弟はよく父母の力になっていましたし、私も、週に一度は顔をのぞかせるようにしていたのですが私たちの思っていた母はがらりと変わってしまったのです。そんな母の年齢が、もう目の前に迫ってきました。私の3人の子ども、それぞれに、もう、手もお金もかからなくなりました。(娘の結婚はまだまだ先のようですが・・・ (>_<))子供たちにとっても、「頼りにする母」から「思いやる母」になっているのかもしれません。それぞれの思春期の頃からはちょっと、想像できないことです。ありがたいことです。さて、私自身は、この「母としての第2ステージ」をどう生きていくのか。母ほど、体が弱いわけではなく、母のように、心配する老いていく父がいるわけではなく、時間も年金も、使い方はだれにも気兼ねしなくていいわけだし、母とは違う生き方がしたいです。子供たちにも、「母さんは、好きなことやっていつも楽しそうだな」と、安心していてもらいたいです。私自身も、子どもたちから必要とされなくなった自分をさみしいと思うのではなく、「やれやれ。ラッキー♡」と次に向かっていきたいのです。アラスカご飯を食べながら、久しぶりに母と話をしていました。「戦争を乗り越えてきた母さん、本当に、産み、育ててくれてありがとう。私は新しい時代の自立した母として母さんの分まで楽しく生きてみるからね。・・・・・・応援してね。」
2023.05.07
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甍の波に雲の波重なる波の中空を橘かおるあさかぜに高く泳ぐやこいのぼり♪開ける広きその口に船をも飲まん様見えてゆたかに振るう尾ひれにはものに動ぜぬ姿あり♪百瀬の滝をのぼりなばたちまち龍になりぬべきわが身に似よやおのこごと空に踊るやこいのぼり♪子供たちの未来に続く今は果たして、これでよいのか・・・とときどき、思ってしまうのは私だけでしょうか・・・・・・。
2023.05.05
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