我が家の子育て

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だいちゃんの障害(年長)

~幼稚園年長時代~ 


恒例のように、春休みに新しい担任の先生・副担任の先生を紹介していただきました。

2人とも、園バスでは顔を知っているものの、直接、話したことがない先生だったので、どんな先生なのかと、ドキドキしていました。



ただ、副担任の先生と相性が合わなかったのか、なかなかかかわりが持てずそれが、先生方の頭を悩ませていたようです。

1学期の最初は不安もあったのか、ちょうど年少組で、とっしーが入園してきたこともあってか、とっしーと同じことをしたがる…という状態で、担任の先生は、何かみんなでやるたびに、保育中にとっしーのクラスの先生に頼んで、とっしーをつれてきては、とっしーを年長の子と同じことをさせて、だいちゃんに真似をさせる…ということを繰り返していたと思います。

1学期の後半ごろ、うちの市では、教育委員会主催の就学相談会があり、受けることになりました。

当時は、地域の学校で「普通学級」「情緒学級」どちらかに入学させるかとても悩んでいたと思います。

あと問題もありました。

小学校まで片道20分~30分。
途中で国道があり、信号を2つ渡らなければなりません。

車での行動が多く、信号を渡ることをしたことがないだいちゃんは、どうやって学校まで通うのか…

当日は、付き添って通学することを考えていたので、私がいけない時や、下の兄弟が体調が悪いとき、誰が送迎するのか…という問題でした。

それらを相談するために、受けることになり、当時の担任の先生に同席していただき、参加してきました。

GW明けごろから、学校へ見学に行ったり、学校側と話し合いをしたりし始めました。

この年の就学相談会は、とても良い状態だったらしく、県内でとても有名な某大学病院の心理の先生、養護学校の先生、地域の支援コーディネーター、県の教育委員会の担当者、市の教育委員会の担当者など、豪華なメンバーで受けていただけたようです。

一番、興奮していたのは担任のS先生だったと思います…(爆)
「有名な心理の先生に相談にのっていただけるなんて~!!」な~んて大喜びで、就学とまったく関係ない相談までちゃっかりしていました。

んで、私たちの相談も乗っていただき、心理の先生には
「彼なら、おそらく普通学級でも十分やっていけますよ。ただ、これだけ落ち着いていると誤解も多いでしょう。普通学級は結果を求めます。彼のように気分のムラが激しく、日によって出来る日と出来ない日がバラバラであると、昨日は出来たのに、何で今日は出来ないのか!!!やる気があるのか!!などと責められるでしょう。そうなると、2次障害や3次障害へ発展していきかねませんね。だからと言って、今の環境が悪いわけではありませんよ。彼は今の環境が適しています。普通学級の時間を多めにとってもらいなさい。1日1時間だけ情緒学級に休みに行く程度で良いんじゃないかな?」
と言われました。

結果的に「総合的に考えて、情緒学級に籍を置いて、今の環境を出来るだけ維持できることが望ましい」という判定でした。

その後、夕涼み会の練習があり、だいちゃんは和太鼓をすることになっていたのですが、最初はあまりやりたがらなかったものの、初めてとっしーがいなくても練習に参加するようになりました。

そして、本番の日。
加配の先生はそばについていませんでした。

みんな祈るような気持ちだったんじゃないでしょうか。

前園長先生も、だいちゃんを見に来てくれました。

本番は見事に大成功。
担任の先生に「本当に、涙を誘う男ですよ~、だいちゃんは!!!」と泣きながら言われたことを覚えています。


確か、この頃から少しずつ、落ち着いてきて、集団行動も取れるようになり始めたような気がします。

2学期は、運動会・お祭りなどがある上に、就学健診も控えています。
運動会は、年長組が主役のようなもので、ほとんど出番があります。

だいちゃんは、女の子に混じってオープニングでチアガール(…ではなく)チアボーイをやりました。
そりゃあ、ものすご~く目立ってましたが(笑)それもご愛嬌。

この頃には人のこだわりがとっしーではなく、年少から同じクラスのRちゃんでした。
Rちゃんと一緒ならなんだって出来る…。そんな感じでした。

運動会はリレーもあります。
だいちゃんは競争心がないので、全力で走ることをしないため、当然びり…
それでも、担任の先生は
「うちのクラスは、1番になれないかもしれない。でも1番になれないから…っていうのは違うよ。たとえビリでも一生懸命やることが大事です。みんなだってもしかしたら途中で転んだりするかもしれない。でも責めるということはいけないこと。がんばって最後まで走りきることです。」とみんなに言い聞かせてくれていたようです。
誰もだいちゃんを責めるようなことはしませんでした。
練習で3クラス中、2位に初めてはいったときなんか、優勝したかのような喜びようだったそうで…。

本番当日、先生と相談して、本人が出たいものだけを出そうということになりました。
理由として、全部出すということは、自閉っ子にとってとても過酷なものだということでした。
無理強いはしない。最後に「楽しかったね」って言えることが大事だと思ったからです。

ところが、本人は全部、出場しました。
「みんなと一緒にやりたい。最後までがんばりたい」と自分から参加してきました。

竹馬行進のとき、練習を一度もしていないこともあり、竹馬に乗れることも出来ないうえに本人が嫌がっていたものの1つでもあるので、先生は声をかけることもしなかったそうですが、自分から担任の先生を探してきて
「先生、やって」と言ってきたそうです。

運動会のあとは、文化祭。
年少・年中組は、手作り御輿で、「わっしょい」の掛け声とともに行進したり、踊りをしたり…。

年長は、和太鼓をたたくグループと踊りをするグループにわかれます。

だいちゃんは夕涼み会ですでに和太鼓をやっているので、踊りグループになりました。

このときから、完全に加配なしでの参加になりました。
練習以上のできばえだったそうで、みんなの先生が大絶賛でした。
練習も、積極的に最初から参加していたそうです。

10月ごろ、就学検診がありました。

最初、どこに連れて行かれるのかと不安に思ったらしく、ワーワー大騒ぎになったのですが、すぐに落ち着いたらしく、検査もすんなりと受けてきたそうな。

就学健診のとき、簡単なテストをするらしいのですが、学校の先生いわく「2問ほどできないものがありましたが、ほかはパーフェクトでした」とのこと。

冬休みの頃、学校側と再び話し合いをしました。
学校側の考え方と、こちらの考え方が合わず、もめ始めていました。

特に校長先生とは話が合わず、かなりてこずりました。
問題発言まで飛び出す始末で、とうとう、教育委員会が、間に入るという事態にまでなりました。

幼稚園まで巻き込み、担任の先生や入園当時の園長先生が、学校側に出向き、直接話し合いまでしてもらう始末…。

私たちが、学校側に要望していたのは
「籍は特殊学級でも、普通学級の児童との時間を増やしてほしい」
「彼の特徴は、言葉や文面で説明できることができないため、直接見て、理解してほしい」というものでした。

学校側は、なかなかOKしなかったのですが、幼稚園側から出向いたことや、教育委員会が間に入ったこともあってか、3学期に入り、教務主任の先生がまず、幼稚園へ出向き、見てもらいました。

その後、今度は校長先生が自らで向き、園長先生と話し合いをしたうえで、本人の様子をじっくり見てもらいました。


学校側は、ボソッと、園長先生や担任の先生に
「彼なら、普通学級が妥当だろうに、なぜお母さんは、特学を選択したのか、僕にはわかりかねます…」と言ったそうです。

仮入学の日。
配慮の先生は付きませんでした。
仮のクラスに、1人で行ったのですが、大変落ち着いていたとか。

横断歩道の渡り方の練習をしたときも、みんなと一緒にやっていました。

3学期の最後の行事として、生活発表会がありました。
年長は、劇と合奏・合唱をするのですが、だいちゃんのクラスは「西遊記」。
当時、香取くんが主演する「西遊記」を放送しているときで、クラスの子のほとんどが見ていたこともあってか、決まったそうです。

だいちゃんは「猪八戒」の役。
年長になると、1人ずつせりふがあります。

練習では完璧に言えていたそうですが、やはり本番は緊張も合ってか2つぐらいしかいえませんでした。

それでもみんながたくさん拍手をしてくれ、本人もとても喜んだ顔をしていたことを思い出します。

そして、卒園式の日…
練習では、卒園証書をもらう練習で、ドタバタ走ったり、歌も、替え歌を歌ったりしていたらしいのです。

それが本番当日、ほかの保護者のお母さん方も「おぉ~」と思わず声を出してしまうほどのできばえ…
途中で、飽きてきてやらなかったけれど、最高の舞台だったと思います。

春休みにはいり、毎日、学校まで歩いて練習をしました。
雨が降っても、風が強くても、土曜や日曜日でも。
毎日、学校まで歩きました。
横断歩道の練習も何度も確認させました。

外出の時も、信号を見つけると毎回のように
「赤は?」
「とまる!」
「青は?」
「すすむ!」のやり取りをしました。








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