徹底的にゴーストアイが足りてない

徹底的にゴーストアイが足りてない

毘沙門天の六月



 時は戦国、群雄割拠の時代に一人の猛将がいた。その剣は瑚月をも切り裂き、その頭脳はいかな策略をも上回る。その戦ぶりは優美にして壮烈、その佇まいは流麗の極み。毘沙門天の加護を受け、屈強な武人を従え越後を治めるその武将。名を“上杉謙信”といった。

「ふむ? じゅぅんぶらいど・・・・・・とな?」
「はい!」
 春日山城天守閣、戦乱の騒々しさもこの優美な空間には無縁だ。洗練された装飾に無駄のない造り、だが一番の要因はこの空間を主、謙信が放つ品格だろう。そんな空間で交わされる会話が、まさか『生涯不犯』を謳う謙信にはご法度の恋愛がらみの話だとは家臣の誰もが思うまい。
「六の月に結ばれた両人は未来永劫幸せになるという、南蛮の言い伝えですよー。本当に素敵ですよねー・・・・・・謙信様も、世間では勇猛な猛将として知られてますけど、本当はこんなに見目麗しい女性なんですから、一つぐらい浮ついた話、あるんじゃないですか?」
「ふむ・・・・・・だがな兼続、私がいくら女だとしても、生涯不犯の誓いに偽りは無い。それに、あったとしても今は武田を打ち倒すことこそ優先、そのような余裕はないよ。むしろ兼続よ、そなたにこそ、色恋沙汰は似合うと思うのだが? 戦場になお愛を掲げるそなただものな」
「え!? いや、あはは・・・・・・」
 兼続と呼ばれた少年の頬が一気に赤く染まる。年の割に幼い容姿の兼続だが、戦場では兜に愛の文字をあしらい、颯爽と馬を駆る武人である。謙信からの信頼も厚く、よくこうして天守閣で話をするのだが・・・・・・武田撃滅の策を話し合う内にこういった流れになってしまった。
「しかし、毘沙門天も恋愛には疎いようであるな? 兼続の周りには良き女性はおるまい?」
「あ、いや・・・・・・そのようなことは・・・・・・」
 もっと頬を染める兼続、こうなると普通の人間ならいろいろと察するものだが、毘沙門天が恋愛に疎いように、その加護を受けた謙信もまたいろいろと疎いようであった。その点では兼続は哀れというほかない。
「そそ、それでは謙信様。自分は武芸の稽古がありますゆえ、これにて失礼いたします!」
「うむ、期待しておるぞ」
「は、はい! えへへ・・・・・・」
 小走りで帰ってゆく兼続、その姿が視界から消えたとき、謙信の表情に一片の憂いが宿った。
「私とて、素敵だとは思うのだが・・・・・・しかし、な」
 ため息と一緒に紡がれた言葉は、この麗人にしては浅はかで、それでいて複雑な響きがあった。

◆◇◆

 後に川中島の戦いと呼ばれる合戦をはじめとして、上杉謙信と武田信玄の因縁は後世に語り継がれている。策の謙信と武の信玄、幾度もしのぎを削りあった双方には友情めいたものすらあったといわれており、信玄の物資不足の折、謙信が越後の塩を送ったというエピソードもある。
「とはいってもよ・・・・・・こんなにもらってもなぁ」
 そうぼやく男の眼前には、富士の山もかくやというほどの山積みの塩があった。先ほどから家臣や百姓がせっせと運んでいるものの、その山はほとんど形を変えていない。
「まぁまぁ信玄様、上杉も正々堂々とした戦を望んでいるのでしょう。その表れだと思えばよいのでは?」
「じゃあお前さん、ここんとこ塩の効いてない飯を食ったか?」
「・・・・・・いえ」
「全く・・・・・・上杉め、俺たちを塩の病で討たんとしてるんじゃねぇだろうな」
 この量の塩、備蓄分を除いて使い切るとしても一年やそこらでは足りるまい。戦場では修羅のごとき信玄も、毎日の食事が塩辛くなるのにはほとほと参っていた。冗談のつもりだった塩での暗殺も、もしかすると本当に上杉の狙いはそれかもしれない。かといって、送り返すのもまた骨になる量だった。
「・・・・・・これだけの量の塩送ってきやがって、向こうの食卓は平気なのかね? どう思うよ?」
「はっはっは、かの上杉がこちらの食卓のために自らの食卓を切り捨てるとは、全く考えられませんなぁ」
「へへっ、それもそうか。となると、これだけの塩を送りつけてもまだ向こうには余裕があるってのか、上杉謙信・・・・・・やっぱ恐ろしいぜ。あーあ、久々に塩の効いてないさっぱりした刺身でも食いてえなぁ・・・・・・」
「信玄様、本日市場にて非常に活きのよい魚があがっておりましたぞ」
「おぉ! 本当か!」
「えぇ、無論すぐに我らが城へ運び入れました、ですが・・・・・・」
「・・・・・・塩焼きかよ。ちくしょう、次の川中島は覚えてろよ、上杉め」

 その夜、春日山城天守閣にて。
「謙信様・・・・・・ここのところ食事の塩気がとてつもなく足りない気がするのですが・・・・・・」
「言うでない兼続。私とて毎夜の晩酌を我慢しておるのだ。酒菜(さかな)の梅干が無いと酒も進まぬ」
「梅干用の塩まで・・・・・・一体どうしたんですかね?」
「あ、いや・・・・・・どうしたの、だろうなぁ・・・はは」
「謙信様? どうかしました?」
「い、いや! なんでもない、なんでもないぞ兼続!」
「顔が赤いですよ? まさか風邪をひかれましたか!? だとすると一大事です! すぐに医者を」
「わーっ! 待て兼続、私は平気だ! 事を大きくするでないーっ!!」
まさか謙信が自らの食卓を切り捨ててまで塩を送ったとは、さすがの信玄も思わなかったであろう。そんなこんなで謙信の塩は今日も武田の食事に使われていくのであった。

◆◇◆

 戦乱の世には、大きな戦だけでなく小さな小競り合い、平たく言うなら一揆も頻発した。農民、商人、僧侶、さまざまな人間が武器を持ち、大名や武将に刃向かい、そして鎮圧されていった。しかし、そうやすやすと静まらなかった一揆もある。後に一向一揆と呼ばれる、浄土真宗本願寺派の信者たちが起こした一揆だ。戦国末期に織田信長が平定するまで、その勢いはとどまるところを知らなかった。
「そんな一揆のために、川中島を去ることになろうとは・・・・・・此度こそは、信玄との決着をつけたいと思っていたのに・・・・・・」
「仕方ありませんよ、一揆とはいえ、かなりの勢力のようですから」
「・・・・・・うむ」
1557年4月、第三次川中島の戦いは両者にらみ合いのまま、越中での一向一揆のため中断を余儀なくされた。今度こそはと息巻いていた上杉軍も、思わぬ撤退に肩を落としている。
「・・・・・・兼続よ」
「はい?」
「今夜は、何人たりともわが前に顔を出さぬよう、家臣たちに伝えておいてくれないか?」
「え? それはどういう」
「すまぬ・・・・・・今宵ばかりは、の」
 沈鬱な謙信の表情を見て何かを感じた兼続は、おずおずと頷くしかなかった。


満月を見て思う、何故自分は女に生まれたのだろうと。生涯不犯を誓い、戦場でいかに勇猛に、かつ冷徹に振舞おうと、心の奥底だけは自分でも偽れない。川中島で剣を振るうよりなお、胸が熱くなる理由に思い至ったとき、誰でもない自分が一番驚いた。
手酌で注ぐ名酒が、今日はなぜかひどく不味い。撤退した時よりもなお苦い念が、心を侵食していた。
ふいに、背後で襖の開く音がする。
「兼続か、今宵は顔を出さぬよう言っておいたはずだがな」
「・・・・・・申し訳ありません、謙信様。しかし・・・」
「ふふ、まあよい。兼続、一献付き合え」
 杯を用意し酒を注ぐ。満たされた液体には美しい月が映りこみ実に雅だったが、それでもそれを良いと思える余裕は、今の謙信にはなかった。
「のぅ、兼続よ」
 謙信が口を開く。発せられる言葉には、いつもの風格と威厳はなかった。代わりに感じられるのは、深く暗い哀愁、奈落よりもなお果て無き哀しみだった。
「前に、南蛮の言い伝え・・・・・・じゅぅんぶらいど、だったか。それについて話したが、どうだ? 何か良い話はあったか?」
「・・・・・・いえ」
「そうか、こんなにも愛らしい容姿だというのに」
「そんなこと! そ、それに謙信様のほうが・・・・・・。自分は、謙信様より美しい女性は見たことがありません・・・・・・」
「嬉しいぞ兼続よ。だがな、私はやはり、色恋沙汰とは無縁なのだ。私に・・・恋なんて無理なんだよ」
「ですが! 謙信様なら」

「無理なのだ!!」

 それは悲痛なまでの叫びだった。
「無理なんだよ兼続、この私が恋焦がれる相手はあの武田信玄だぞ!? ただでさえ生涯不犯を誓っておきながら誰かに恋するなどあってはならないのに、それがあの信玄ではどうしようもないではないか! 今回の川中島とて、内心、信玄に会えると思っただけで心が躍ってしまったのだ! 私は上杉を率いるものとして、そんなことは断じて許されないのに! いかに焦がれようと、いかに想おうと、どう足掻いても無理なのだ!」
 言い終わるのと同時に、涙が滂沱のごとくあふれ出た。思えば謙信にとって自分の心情を他人に打ち明けたのは、今回が初めてだったのだ。抑えようとも抑えきれぬ感情は、武人でも将軍でもない、まぎれも無く一人の女性のものだった。
「私はな、兼続。女に生まれた自分が本当に恨めしいよ。もし男に生まれていたなら、こんな葛藤とは無縁だったであろうに。こんな・・・・・・馬鹿げた憂いなど、宿ることは無かったろうにな・・・・・・」
「そんな! 馬鹿げてなどおりません! 決して、決して馬鹿げてなどおりませんよ謙信様!」
「・・・・・・兼続よ、そなたがいくらそう言ってくれようと・・・いや、もうよい。私はもう眠る。付き合わせてすまなかったな兼続、もう下がってよいぞ」
「・・・・・・はい」
 ゆっくりと立ち上がる兼続、その影に、一粒の雫が落ちる。
「・・・・・・何故、そなたが泣いておるのだ兼続よ」
「あ、いえ。何でも・・・ありませんとも。それでは謙信様、おやすみなさい」
「うん」
 就寝の挨拶を交わすと、兼続はすぐに天守閣を後にした。その背中を見送る瞳には、まだ涙が溜まっていた。


 襖を閉め、涙をぬぐう。家臣として、謙信を想う者として自分に何が出来るのか、それを考えると泣いている場合ではなかった。
「謙信様、この直江兼続にお任せあれ」
 つぶやく唇の横を、また涙が滑り落ちていった。

◆◇◆

「信玄様、信玄様ぁ!」 
ほとほと飽き果てた塩味に辟易していた夕刻、騒がしい家臣の叫びで武田信玄は目を覚ました。
「あー・・・・・・しまった。飯食ってすぐ寝ると体に悪いんだがな、いやはや悪い癖だ。おい! ここにいるぞー!」
「おぉ、こちらでしたか信玄様。はぁー・・・探しましたぞほんとに」
 ぜいぜいと肩で息をしている様子から察するに、先ほどからずっと走り回っていたのだろう。
「はっはっは、すまんな。で? そんなにしてまで俺を探してた理由は?」
「そうです! 信玄様宛てにこのような文が」
 差し出しされた手から文を受け取ると、すぐさまそれを一読する。文章を目で追ううち、信玄の目の色がすぐに変わっていった。
「・・・・・・ふはっ、おいおい本当か?」
「文には、なんと?」
「聞いて驚くなよ、かの謙信から一対一で話があるだと。刀なし鎧なし軍勢なしのお互いだけで会わないか、だとさ」
「な、なんと!」
 家臣の驚きも無理はない。この時代に敵対している武将同士の会合、しかも丸腰でなど普通あり得ないからだ。
「上杉め、見え透いた罠を! 信玄様、ここはこの文を逆手に取り、一気に上杉を討ち滅ぼしましょうぞ!」
「あー、まぁ、それも悪くないんだが」
「・・・・・・まさか、信玄様?」
 困惑する家臣に、信玄はにやりと笑う。
「なかなかどうして、面白そうだ。日付は・・・・・・六の月か」
「ししし信玄様! むざむざその首を差し出すおつもりですか!」
「はっはっは! そこまで馬鹿じゃねえよ。安心しな、真田んとこの猿飛あたり忍衆に、密かに護衛につくよう命令しておくし、なによりあれだけの塩送ってまで戦場で決着つけようとしてるんだ。今更そんな姑息な手を使うような奴じゃないだろ」
「し、しかし」
「大丈夫だっての、この俺を誰だと思ってる。風林火山の武田信玄だぞ。いざって時の逃げ足だって風の如しさ、はっはっは!」
 この時ばかりは家臣も、さすがに笑うしかなかった。

 あれから二ヶ月ほど流れたある日、謙信は兼続から馬の遠乗りをしないかと誘われた。よき日和だったし、最近は戦らしい戦も無いので、少し躊躇はしたがそれに応じた謙信だったが、しかし、それでも一つ気がかりがあった。
「つかの間の平和とはいえ、何の警備もなしとはいささか軽率ではないかと思うぞ兼続?」
「まぁまぁ、忍の者をいくつか後方に配置していますし、大丈夫ですよ、謙信様」
「ふむ・・・・・・」
 いつになく歯切れの悪い兼続の言葉に謙信は少し警戒するが、この兼続が敵に寝返るとは考えたくなかったし、万が一のときはなりふり構わず逃げ帰ればいいだけだ。自らの駆る馬は、武田の騎馬に勝るとも劣らないという自信がある。となると今の謙信が出来ることは、久々の平和な風を堪能することだけだった。
馬を走らせしばらくすると、見晴らしのよい丘に出た。澄んだ風は謙信の髪をなびかせ、草木の香りは謙信を癒すように包み込んだ。
「よい空気だ。なあ兼続よ、そうは思わんか?」
「そうですね、これも謙信様の尽力があってのことでしょう」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれるな。だが、そろそろ真意を聞いておこうかの? 兼続、何故に私をここまで連れてきた? まさかそなたともあろう者が謀反など起こすとは思えないが、それでも将として、聞いておかねばなるまい」
 考えたくはなかった。だからこそ最悪な状況の芽はここで摘んでおこうと思ったのだった。しかし返された言葉は、謙信の予想をはるかに超えていた。
「謙信様、もうじきここに信玄公が来ます。我々と同じように刀なし、鎧なしの軍勢なしで」
「なっ!? 兼続、それはどういう」
「今こそ、その想いを信玄公にぶつけるのです。上杉の将としてでも、毘沙門天の化身としてでもなく、一人の女性である上杉謙信として」
「兼続・・・・・・そなた」
「自分は、ここにて失礼させていただきます。万が一、信玄公が謙信様を討ち取らんとしたときは、一心にお逃げください。その後、自分が信玄公を討ち取り、自刃します」
「自刃など・・・・・・兼続、そなた何故そこまで」
「自分は、謙信様のためならなんでも出来ますよ。謙信様が望むこと、それを全て叶えるのが、この直江兼続の存在理由です」
 笑顔のままで語る兼続に、謙信は何も言えなかった。ここまで自分に尽くしてくれた家臣を疑った自分が腹立たしく思えた。だが将としてそう思うより、人間として湧き上がる感情のほうが大きかった。
「兼続よ、そなたが我が家臣でよかった。本当に・・・・・・ありがとう」
「えへへ・・・・・・謙信様のそのお言葉だけで、自分はこれからも頑張れます! では謙信様、御武運を!」
 馬を操り帰ってゆく兼続の背中を見つめながら、謙信は兼続が家臣であることを本当に誇りに思った。あれほどの人間は、この天下にもそうはおるまい。
「・・・・・・それなのに何故、兼続は色恋とは無縁なのかのう」
 絶望的なまでの鈍さを発揮する謙信だったが、自分のこととなるとすぐに気持ちが切り替わった。そう、もうすぐここには信玄が来るのだ。今まで敵であった以上、雰囲気は剣呑なものになるかもしれないし、何より最初にどう口を開いたものか分からなかった。
「あー、そう・・・・・・まずは今までのことを詫びるというのが、いや待て、何を詫びるというのだ? 戦は別に私怨でやっていたわけではないし・・・別に詫びるようなことでもないし・・・では、最初から率直に想いを、いやだめだ恥ずかしすぎる! そんなこといきなり言えるはずがない! ではどうすれば・・・うぅ、策略であったらすぐに案が浮かぶというのにーっ!」
「さっきからなーにをぶつぶつ一人でやってるんだ?」
「っ!?」
 いきなりの声に驚き振り返ると、そこにはいつも戦場で見る鎧姿とは違う、軽い服装をまとった信玄がいた。向こうが本当に何も武装せず来てくれたことに感激する謙信だったが、いざ声を出そうとしても口が動かない。
「あ、信玄公・・・いや、その」
「ん? 言いたいことがあるなら早く言ったほうがいいぞ。お互い、長く会ってられる立場じゃないだろ」
「そ、そのことなのだが」
「いやー、しかし驚いたね。いきなりこんなところで兵隊なしの話し合いを謙信が持ちかけてくるとも思わなかったし」
「だ、だからそれは・・・その・・・」
「それにな、家臣説き伏せていざここまで来てみれば、いつも冷静沈着な謙信が一人ぶつくさやってるってのも驚いた」
「う、恥ずかしいところを・・・・・・い、いやそれはよいのだ! 今日ここに来てもらったのは」

「でもやっぱ一番は、謙信がこんなに綺麗で可愛らしい女だったってことだな。いやはや、知らなかったぜ」

 甘い口説き文句のあとに、絶望的な一言が聞こえた気がした
「・・・・・・は?」
「だってよ、何度も川中島とかで戦やってあれだけの手腕見せ付けられたら誰だって女だとは思うまい?」
「な、ななな! 思わなかったって、そなた何度も私とつばぜり合ったであろう! 私はお前の顔も声も知っておるぞ!?」
「おぉ、俺も知ってるぞ。えらくまた綺麗な美丈夫だと思ってたが、まさか女だとはなぁー。そりゃ、予想外も予想外。はっはっは!」
 ───謙信の中で、何かが音をたてて切れた。
「そういえば、この前は塩を送ってくれて助かったぜ。だが、あれほどの量は」
「こ・・・・・・この」
「ん?」
「この大うつけものがああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ぶほぁっ!?」
 綺麗にまでに決まった拳は信玄を縦回転させ卒倒させるほどの威力だった。謙信は怒り覚めやらぬまま馬にまたがり、最後に。
「次の、次の川中島では覚えておれ信玄! お前の軍勢をボロボロのギッタギタかつ徹底的の壊滅的に打ち負かしてくれる! 絶対に、絶対に許さんぞぉ! う、う、うわぁーん!」
 日ごろ絶対に言わないような捨て台詞で帰っていったのだった。

そして蹄の音すら聞こえなくなった頃にむくりと起き上がる信玄。
「ぬおぉ・・・・・・いたたた。一体なんだったんだ? つか、呼び出しておいて殴って帰るのかよ、とんでもねぇ・・・・・・」
 ため息で殴られた場所が痛む。だが、その目には別の感情が宿っていた。
「でも、まぁあれだけの美人だったら、側室に誘っても良かったかもなぁ。なんつったっけ? 南蛮の・・・あれだ。じゅぅんぶらいどーっ・・・・・・だったけっか。あーあ、惜しいことしたぜ」
 ・・・・・・どうやら本当に、毘沙門天は恋愛とは程遠いようだった。

その日の夕刻、春日山城にて。
「あ、謙信様。お帰りなさい。どうでした? 結果の程は」
「あのようなやつ・・・あのようなやつーっ! やはり私には恋愛など無縁! じゅぅんぶらいどが何だというのだ! 毘沙門天の名において必ず、必ず彼奴を・・・・・・ぐすん」
 今日が上杉武田双方にとって記念すべき日になると思っていた兼続は、その謙信のなんとも言えない取り乱しぶりに驚いた。
「あ、あのー・・・・・・なにがありましたか? 謙信様」
「なんでもない、なんでもないのだ! うわーんっ!」
 叫びながら城内へ入っていく謙信を何も知らない家臣が驚きの眼差しで見ている中、ひとり兼続だけは、複雑な苦笑いを浮かべていた。

戦乱の初夏は早い、こうして毘沙門天の六月は過ぎ去ろうとしていた。

-Happy End?-




「ははぁ、なるほど。そういうことでしたか」
「ひどいと思わぬか兼続よ。信玄の奴、ずっと私を男だと思っていたとは・・・仕方ないかも知れんが、それでもあの場で言うことはなかろうに・・・・・・ぐすっ」
「まぁまぁ、信玄公以外にも諸大名には本当に男性と思われてる方もいますから。ですが謙信様、たとえあの場でそう言われても、改めて女性として思いを打ち明ければよかったのでは?」
「・・・・・・あ」
「あ、えーと・・・・・・あはは」
「う、う、うわあぁぁぁぁん! この私の大ばかものおおおおおぉぉぉ!!」

-Fin-


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: