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・Tommy『シンプリスト生活』は、モノ・情報・人間関係が過剰な現代において、「本当に必要なものだけで生きる」ための実践的思考法とライフデザインを提示する一冊だ。著者TommyはYouTubeチャンネル「ミニマリストTommy」で人気を集めた人物であり、単なる“断捨離”を超えて、シンプルに生きることを通じて人生の軸を再構築する“思考のミニマリズム”を提唱する。本書は、モノを減らすだけではなく、思考・時間・人間関係・お金――あらゆる領域を最適化する「シンプリスト的生き方の設計図」として構成されている。・第1部では「モノとの関係」を切り口に、著者自身が体験した“過剰な所有からの脱却”が描かれる。Tommyはかつて物欲に支配された生活を送り、時間もお金も心もモノに奪われていたと語る。しかし、「使っていないモノは、過去の自分への執着」だと気づいた瞬間、手放す行為が“過去との決別”に変わった。著者はここで、「モノを減らすことは目的ではなく、思考をクリアにするための手段」と定義している。・第2部では「時間と行動のミニマリズム」に焦点を当てる。ToDoリストやスケジュール帳を埋め尽くすことが、生産性の証と信じる人が多い中、Tommyは“やらないことリスト”の重要性を説く。あれもこれも抱え込むマルチタスク型の働き方ではなく、「1日を3つの優先事項に絞る」ことで集中力を最大化する。さらに、SNSやニュースなど、無意識に奪われる“注意資産”の浪費を断ち切るためのデジタル・デトックスの実践法も提示される。・第3部は「人間関係のシンプル化」。人とのつながりが多いほど安心できると信じていた時代から、著者は“薄く広く”の関係性を見直し、“深く信頼できる少数”に絞る決断をする。その結果、自分の言葉や行動の質が高まり、エネルギーの浪費が激減したという。Tommyは、人間関係を「相手を選ぶことではなく、自分を大切にすること」と定義し直し、読者に“関係の整理”を促す。・第4部では「お金と幸福の再定義」が語られる。著者は消費社会の中で“お金=自由を得るための道具”ではなく、“安心を買うための保険”として誤用されている現実を批判する。浪費をやめ、固定費を最小限に抑えることで、収入が増えなくても幸福度は上がるという。「お金で幸せは買えないが、執着を減らすことで幸福は増える」――この逆説が本書の根幹にある。・Tommyが提唱する「シンプリスト」とは、単なる“持たない人”ではなく、“選ぶ人”である。 すなわち、人生におけるあらゆる選択において「何を足すか」より「何を引くか」を意識し、最小の行動で最大の効果を得る生き方を目指す存在だ。著者は、「シンプルに生きること」は現代においてもっとも知的で戦略的な行為だと位置づけている。なぜなら、情報も選択肢も過剰な時代において、“何をしないか”を決めることこそが真の意思決定だからだ。ビジネスパーソンにとって、この考え方は「時間資産」と「集中力資産」の再設計につながる。無駄な会議、惰性の飲み会、形だけの報告書、スマホ通知の氾濫――それらはすべて“情報ノイズ”であり、生産性を奪う隠れた敵だ。Tommyは、それを削ぎ落とし、“静寂の中で本質を考える時間”を取り戻すことを最優先課題とする。・30〜40代のビジネスパーソンにとって「シンプリスト生活」は、キャリアや人生の“第二ステージ”を考える上で重要な問いを投げかける。物質的にも情報的にも飽和したこの時代、差を生むのは“どれだけ持つか”ではなく、“どれだけ削れるか”。・Tommyのメッセージは明快だ。 「引くことで、自分の核が見える」。 シンプルとは、制約ではなく自由の形。モノ・情報・人間関係・お金、そのすべてを選び直す勇気こそが、現代の知的資産である。「より多くを持つ人」ではなく、「より少なく、より深く生きる人」になる――本書は、そのための具体的な設計書であり、思考のリセットボタンである。シンプリスト生活 [ Tommy ]価格:1,518円(税込、送料無料) (2025/10/5時点)楽天で購入
2025.11.14
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・フリーク・ヴァーミューレン『ヤバい経営学 世界のビジネスで行われている不都合な真実』は、世界のビジネスシーンに蔓延する“常識”を痛烈に批判し、経営学の名を借りた誤解と幻想を暴く書である。著者はロンドン・ビジネス・スクール准教授として知られる戦略学者フリーク・ヴァーミューレン。彼が提示するのは、MBAの教科書では教えない、経営の現場で繰り返される“非合理の合理性”であり、読者の思考を根底から揺さぶる構造的な問題提起だ。・本書は、経営学的な分析というより、ビジネス社会の「幻想と現実」を暴く社会学的ドキュメントのような構成をとる。全体は3部構成で、「成功の神話」「評価と報酬の歪み」「組織の愚かさ」という三つのテーマを軸に展開される。・第1部 成功の神話を壊す ヴァーミューレンは冒頭で、ビジネス界における「成功の模倣」という根深い病を指摘する。企業はしばしば“成功企業の手法”を模倣しようとするが、その多くは再現不能である。GEの多角化戦略、トヨタの生産方式、アップルのデザイン経営――これらはそれぞれの文化的・歴史的文脈の上に成立しており、「他社が真似しても同じ成果を生むことはない」と彼は断言する。さらに、「M&Aによる成長」や「株主価値最大化」といった経営の常套句も、実証的にはほとんど成果を上げていないことをデータで示す。市場は短期的には好感するが、長期的な企業価値を損なうケースが大半である。・第2部 人事と報酬の錯覚 次に、著者は「人事評価」と「報酬制度」の構造的な非合理性に切り込む。多くの企業では、成果主義やボーナス制度がモチベーションを高めると信じられているが、心理学的・行動経済学的には逆の結果をもたらすことが多い。金銭的インセンティブは短期的成果を促す一方で、創造性・協調性・長期志向を損なう。さらに、昇進やリーダー選抜の基準も歪んでいる。ヴァーミューレンは「カリスマ型リーダーの誕生メカニズム」を分析し、それがしばしば能力ではなく“自己演出と過剰な自信”によって支えられていることを指摘する。結果として、組織は“有能なリーダー”ではなく、“リーダーっぽい人”を選んでしまう。・第3部 組織はなぜ愚かになるのか 最後のパートでは、「合理的に見える愚行」がいかに組織文化として固定化するかが論じられる。 たとえば、過剰な会議文化、リスク回避のための無限の承認プロセス、目標管理制度の形式化。これらは本来、効率化や透明性を目的として導入されたが、いまや「誰も責任を取らない仕組み」として機能している。ヴァーミューレンはこの現象を「マネジメント・マイオピア(近視眼的経営)」と呼び、企業が“何をすべきか”よりも“どう見られるか”を優先する姿勢に警鐘を鳴らす。・本書の根底に流れるテーマは、「経営とは合理ではなく、社会的儀式である」という認識だ。 企業は成功のために最適解を求めているようでいて、実際には“正しく見えること”を優先して行動している。経営学やMBAの理論が普及するほど、企業行動は均質化し、独自性を失っていく。 ヴァーミューレンは、「成功事例を分析すること自体が、失敗の再生産である」と指摘する。なぜなら、企業は他社の戦略を模倣する際、その文脈や偶然性を理解せず、表層だけをコピーするからだ。さらに、著者は「データ信仰」への懐疑も提示する。KPIやROIといった指標に頼りすぎると、数値に現れない創造的活動が排除され、企業は短期的成果に囚われる。つまり、「見えるものだけをマネジメントする」ことが、長期的に組織を壊していく。・30〜40代のビジネスパーソンにとって、この本は「経営の思考停止を解体するツール」として読む価値がある。自社の会議文化、評価制度、成功体験――そのすべてが“合理的”に見えて、実は惰性の上にあるかもしれない。ヴァーミューレンは、経営における最大のリスクは「間違った確信」であり、最大の資産は「疑う力」だと強調する。・経営学の「教科書的正しさ」ではなく、現場で生きる「実践的懐疑」が求められている。 つまり、真に賢いマネジャーとは、最も多くの問いを立て、最も少なくのルールで動く人間である。本書は、組織の中で“思考停止に抗う勇気”を持つすべてのビジネスパーソンへの挑発的な招待状だ。ヤバい経営学 世界のビジネスで行われている不都合な真実 [ フリーク・ヴァーミューレン ]価格:1,760円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.13
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・野口悠紀雄『戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか』は、日本経済の約70年に及ぶ歩みを総括し、「戦後日本の繁栄と停滞の本質はどこにあったのか」を鋭く問う経済史的分析書である。著者は、東京大学名誉教授であり、『1940年体制』など一連の日本経済論で知られる野口悠紀雄。戦後から令和初期に至るまでのマクロ経済政策、制度設計、そして社会心理の変遷を通して、「日本がいかにして世界の先頭から脱落したのか」を理論的に解き明かす。・本書は、単なる年表的経済史ではない。野口は、各時代の「政策的意思決定」と「構造的欠陥」を軸に、日本経済の成功と失敗を分解していく。全体は、戦後復興期から令和までの五つのフェーズに整理されている。・第1章 戦後復興と高度成長(1945〜1973) 焼け野原から奇跡的な成長を遂げた戦後日本を、野口は「国家主導の資本蓄積モデル」として分析する。財閥解体、GHQ改革、朝鮮戦争特需を背景に、輸出主導型の産業政策が展開された。政府と企業、銀行が三位一体となって資金を回す「間接金融システム」が確立し、これが高度成長の原動力となった。だが、野口は同時に、この構造が「自由な競争を抑え、官僚統制を常態化させた」と批判する。後の停滞の種はすでにこの時期にまかれていた。・第2章 安定成長とバブル形成(1973〜1991) オイルショックを経て、経済成長は成熟局面に入る。野口は、この時期の政策判断の誤りを「低成長を受け入れられなかった日本人の幻想」と呼ぶ。財政・金融の拡張政策が続き、1980年代後半のバブルを生んだ。資産価格の上昇に酔いしれた社会は、実体経済の競争力を見失い、産業構造の転換を怠った。野口はここで、「土地神話」と「終身雇用・年功序列」という“二つの制度的麻酔”が、日本経済を硬直化させたと指摘する。・第3章 バブル崩壊と失われた時代(1991〜2000) 1990年代は、日本経済が最も深く迷走した時代として描かれる。 野口は、政府・日銀の危機対応を厳しく批判し、特に「不良債権処理の遅れ」が経済の再生を妨げたとする。大胆な構造改革を回避し、問題を先送りする“合意の政治”が、デフレと停滞を固定化させた。著者はこの時期を「喪失の時代」ではなく「決断回避の時代」と呼び、戦後の制度疲労が表面化したと見る。・第4章 グローバル化と金融政策の罠(2000〜2012) IT革命とグローバル経済の進展が世界を変える中、日本は再び波に乗り遅れる。 構造改革を掲げた小泉政権の一定の成果を認めつつも、野口は「改革は理念に終わった」と述べる。非正規雇用の拡大、所得格差の拡大、産業の空洞化。これらはすべて、「短期的競争力の強化」を優先した結果であり、持続的成長を支える制度的基盤は築かれなかった。・第5章 アベノミクスと日本経済の現在(2013〜2020年代) 野口はアベノミクスを「マクロ政策の限界を示した実験」と位置づける。金融緩和と財政出動は短期的な景気刺激にはなったが、供給側の構造改革が伴わなかったため、生産性は上がらず、潜在成長率も回復しなかった。人口減少社会の到来に対し、日本は「成長から縮小への設計転換」を果たせていない。野口は、「戦後型成長モデルを延命すること自体が、最大の誤りだった」と結論づける。・本書の中心的テーマは、「戦後日本の制度的遺産が、成功の源泉であると同時に失敗の原因でもあった」という逆説である。官僚主導・大企業中心・終身雇用といった仕組みは、高度成長を支えたが、環境変化に適応できず、21世紀には重荷となった。野口は、戦後日本が「1940年体制」――すなわち統制と集団主義に基づく経済構造――を脱却できなかったことを、日本経済の根本的問題として位置づける。彼の主張は、単なる過去の批判ではない。むしろ、いまの日本社会が抱える「変われない構造」「リスクを取らない組織文化」「成長を恐れる心理」に対する警鐘である。経済政策とは、数字ではなく“価値観の選択”である。野口は、日本が「成長の哲学」を失ったことを最大の敗因として挙げる。・30〜40代のビジネスパーソンにとって、本書が突きつけるのは「構造の惰性を見抜ける思考力を持て」というメッセージだ。日本経済の停滞は、制度や政策の問題であると同時に、個人の意思決定の集合結果でもある。企業も個人も、「過去の成功モデルを更新できない限り、緩やかな衰退を避けられない」と野口は説く。成長戦略とは、イノベーションを起こすことではなく、「前提を疑う力」を持つことだ。戦後経済史を学ぶことは、単なる回顧ではなく、未来の経営判断を磨くための歴史的リテラシーである。野口の問いは依然として重い――私たちはどこで間違え、どこからやり直せるのか。戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか [ 野口悠紀雄 ]価格:1,760円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.12
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・横山和輝『日本史で学ぶ経済学』は、経済学の抽象的な理論を日本の歴史的事例に落とし込み、「経済とは人の営みであり、時代の文脈とともに変化する」という視点を提示する実践的教養書である。著者は、名古屋市立大学大学院で経済学を教える経済史家であり、数百年単位の日本の経済の流れを、理論と制度、思想の三層から読み解く。単なる歴史の回顧ではなく、「なぜその時代にその政策・仕組みが生まれたのか」「そこから現代に何を学べるのか」を体系的に整理している点が特徴だ。・本書は、おおまかに江戸から令和に至る日本経済の変遷を、各時代の「経済的合理性」と「社会的構造」に焦点をあてて分析している。・第1章「江戸の市場経済」では、幕藩体制下にありながらも、藩や町人による実質的な市場メカニズムが成立していたことを明らかにする。米の流通を中心に、信用取引・為替・金融といった近代的仕組みがすでに存在していた。著者は、江戸社会を“統制の中の自由経済”と捉え、現代日本の「官と民のバランス構造」の起源がここにあると指摘する。・第2章「明治の資本主義と国家」では、近代化政策と産業資本主義の導入がテーマ。 政府主導の殖産興業と、財閥による資本形成が並行して進む一方で、「経済の主体は誰か」という問いが浮上する。著者は、国家主導型の経済発展が持つ「成長のスピード」と「脆さ」を対比させ、後の官僚依存体質の源流として分析する。・第3章「昭和の戦時経済と統制」では、戦争とともに急速に官僚制が肥大化し、「統制経済」が完成していく過程を描く。ここでは、「自由市場よりも国家が経済を制御する」という思想が、戦後の経済構造にも連続している点が示唆される。経済学的には、ケインズ主義の影響と、計画経済的な発想の融合が進んだ時代でもある。・第4章「高度経済成長と市場の拡張」では、戦後復興からオイルショックまでを扱う。ここでの中心テーマは、「需要創出」と「労働倫理」。著者は、企業社会の中で人々が“働くこと”を自己実現と重ねていった時代背景を、マクロ経済政策の成功とともに位置づける。一方で、急成長の陰に潜む「消費主義」と「格差の固定化」にも言及し、成長の構造的限界を示している。・第5章「平成の停滞と構造改革」では、バブル崩壊以降の“失われた時代”を、制度疲労という観点から読み解く。著者は、金融システムと企業統治の変化をミクロ経済の視点で分析し、日本的経営の「強みと弱み」がここで同時に露呈したと論じる。小泉改革やアベノミクスの評価にも触れ、成長戦略の欠如よりも、「社会全体のインセンティブ設計の歪み」が本質的問題であると指摘する。・最終章「令和の経済と次のモデル」では、人口減少・地方衰退・技術革新の三重苦の中で、どのような経済デザインが求められるのかを提示する。著者は、経済学を「効率」ではなく「持続と関係性」を再構築するための道具として捉え直すべきだと語る。つまり、成長よりも“豊かさの再定義”が問われているという立場である。・本書の核にあるのは、「経済を歴史から学ぶことでしか、未来の構造をデザインできない」という思想だ。経済理論は抽象的で万能のように見えるが、実際には時代の倫理観・制度・人間観に深く結びついている。江戸の商人、明治の官僚、昭和の労働者、平成のサラリーマン、それぞれの経済的合理性は違っていても、共通しているのは“変化への適応”である。横山は、経済学を「数学的な分析」ではなく「人間の意思決定学」として扱う。したがって本書は、経済学入門でありながら、経営論やリーダーシップ論にも通じる内容を持つ。経済の変化とは、構造の変化ではなく、価値観の変化であるという点で、極めて人文的な視座がある。・30〜40代の読者にとって、この本が与える最大の洞察は、「経済的思考力=歴史的想像力」だということだ。経済を動かすのはデータではなく、人間の集団心理と制度の選択である。 ビジネスにおける“市場分析”や“戦略設計”も、結局は「なぜその時代にその選択が合理的だったのか」を理解することから始まる。日本史を経済学で読むことは、同時に“経営の根”を読み解くことでもある。効率を追う時代は終わりつつあり、今必要なのは「人間と社会の持続可能性を見通す知性」だ。横山の言葉を借りれば――経済とは、数字の学問ではなく、「生き方の歴史」そのものなのである。日本史で学ぶ経済学 [ 横山 和輝 ]価格:1,760円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.11
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・高野登『品格を磨く』は、リッツ・カールトン日本支社の元支社長として“おもてなし”の哲学を体現してきた著者が、「人間としての成熟」をテーマに書き下ろした一冊である。ビジネスの成功や地位ではなく、人としての“あり方”を軸に、真のリーダーシップと信頼を生む「品格」の本質を問う。・本書は、単なるマナー本やエチケット指南書ではない。むしろ、「人間の内側にある“品”をどう育てるか」を、ビジネス現場の経験を通じて解き明かしていく哲学書的構成をとっている。・第1章「品格とは何か」では、品格を“他者への敬意の積み重ね”と定義する。 見た目の上品さや学歴・地位ではなく、「相手を思う想像力」が人の品格を決定するという。 リッツ・カールトンのサービス理念である「一人ひとりを貴族のようにもてなす」という思想も、ここに通底する。著者は、“品格とは人を安心させる力”であり、それは誠実さ・謙虚さ・感性の鍛錬によって磨かれていくと述べる。・第2章「品格を支える思考法」では、“自分中心”の思考をどう超えるかが語られる。品格ある人は、「自分がどう見られるか」ではなく、「相手がどう感じるか」を考える。その根底にあるのは“自我のコントロール”だ。著者は、サービス業での経験から「自分を押し出すことよりも、相手の存在を引き出す方が難しい」と指摘する。これはビジネスリーダーにも通じる本質であり、相手を主役にする思考こそが信頼を生む。・第3章「行動に宿る品格」では、具体的な日常動作や仕事上の振る舞いが扱われる。たとえば、挨拶、姿勢、言葉遣い、表情、沈黙の使い方といった細部に、人格が現れる。著者は「言葉は人格の窓である」とし、何を話すかよりも、どう話すかを重視する。そこに滲む“間の取り方”や“心の余裕”が、品格の質を決めるという。・第4章「品格が組織を変える」では、企業文化への応用が論じられる。リーダーが品格を備えていれば、組織全体に信頼と誇りが浸透する。逆に、リーダーが利己的で短期的な利益に走れば、組織は荒れる。著者は、「品格とは最も強力なマネジメントツール」であると説く。それはルールではなく“空気”として伝わり、行動の基準を自然に形づくる。・最終章「品格を磨く日常習慣」では、具体的な心のトレーニング法が紹介される。 - 「ありがとう」を一日10回、心を込めて言う - 人の話を“遮らずに聴く”練習をする - “誰も見ていない場所”で丁寧に振る舞う こうした地味な積み重ねが、“信頼される人”への道を開く。著者はそれを「静かな修行」と呼ぶ。・高野登が伝えたいのは、ビジネスの成果は“技術”よりも“人格”によって決まるという真理だ。業績を上げるためのスキルやノウハウが溢れる現代において、人が本当に惹かれるのは、“何をしたか”ではなく“どんな人がそれをしたか”である。だからこそ、リーダーや管理職に求められるのは、能力よりも“品格”だ。品格とは、目に見えない信用残高のようなもの。 その残高は、日々の小さな誠実さ、約束の履行、相手の立場への共感によって蓄積される。そして、それが危機の時に人を動かす。・30〜40代の働き盛りの世代にとって、この本が突きつけるのは「成果主義のその先にある、人としての信頼力」という課題だ。早く成果を求めるほど、人は焦り、他者への配慮を削っていく。だが、長期的に見れば、“信頼の厚み”が最も強い競争優位になる。高野は言う。 「品格とは、誰も見ていないところでの自分の姿だ」。 それは数字にも評価にも現れないが、最終的に人生と仕事の質を決定づける。・『品格を磨く』は、ビジネスを超え、仕事を“人間としての修練の場”ととらえるための書。 成果の時代から、信頼の時代へ――その変化を生き抜くための、静かで力強い指南書である。品格を磨く [ 高野 登 ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.10
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・サチン・チャードリー『「運がいい人」になるための小さな習慣』は、ビジネスの世界で結果を出す人に共通する“運を引き寄せる思考と行動”を科学的かつ実践的に解き明かした一冊だ。著者サチン・チャードリーは、インド出身の起業家であり、世界的企業とのビジネス経験を通じて「運とは偶然ではなく、戦略的に生み出せる力」であると主張する。本書の核心は、運を「外的な出来事」ではなく「内的な状態」として再定義する点にある。多くの人が“運がいい”ことをラッキーな出来事と捉えるが、著者はそれを「正しいタイミングで、正しい選択をする準備が整っている状態」と言い換える。つまり、運とは“偶然に見える必然”であり、それを作るのは日々の思考と習慣である。・本書は、運を高めるための「内面」「行動」「関係性」「環境」の4領域から構成される。第一部「内面を整える」では、運を遠ざける最大の要因が“心のノイズ”にあると指摘する。不安・怒り・焦りなどのネガティブな感情が、チャンスを察知する感度を鈍らせる。著者は「朝の感謝リスト」「呼吸と瞑想」「今日できたことを3つ書く」といった“心のリセット習慣”を提案する。これにより、思考が前向きに整い、偶然の好機を見逃さなくなる。・第二部「行動を変える」では、“行動の量ではなく質”が運を左右すると説く。運がいい人は、チャンスを探し回るよりも、“行動を継続できる環境”を設計している。たとえば、「失敗を数えるより、挑戦回数を可視化する」「1日15分、ワクワクする行動に時間を投資する」といった、行動の質を高めるためのミニ習慣が紹介される。ここで重要なのは、運は「準備 × タイミング × 出会い」で決まるという数式的発想だ。・第三部「人間関係をデザインする」では、運の8割は人によってもたらされると断言する。 著者は「出会いを“管理”するのではなく、“育てる”」ことを勧める。運を呼ぶ人脈は、広さではなく“深さ”で決まる。日々の挨拶、リアクション、ちょっとした贈り物といった“好意の微差”が、未来の大きな偶然を生む。また、ネガティブな人間関係を断ち切る勇気も、運を上げるための条件とされる。運の流れはエネルギーの流れであり、関わる人の波長が未来の方向を決める。第四部「環境を整える」では、空間・時間・情報の整理術が語られる。 ・“運のいい職場”とは、意見が自由に言える心理的安全性があり、創造的な余白がある場所だと著者は言う。また、SNSやニュースに過剰に接する現代人は、情報の渋滞で直感が鈍っていると指摘。運をつかむ人は“静かな時間”を意識的に作る。行動と行動の間に余白を置くことで、思考が整理され、決断の質が上がる。・サチン・チャードリーが伝えるのは、“運はスキル”という発想だ。才能や努力だけでは超えられない領域を突破するには、「偶然を味方につける技術」が必要になる。だがそれは非科学的なスピリチュアルではなく、「心理学 × 習慣設計 × コミュニケーション」の複合知として提示されている。彼によれば、運がいい人は「過去に感謝し、今を信じ、未来に好奇心を持つ人」だ。 ・一方で、運が悪い人は「過去を悔い、今を疑い、未来を恐れる人」である。この認知の違いが、同じ出来事をまったく異なる結果に変える。つまり、運とは「出来事の解釈力」そのものであり、思考の方向を変えるだけで流れが変わる。・本書の示す習慣群は、30〜40代のビジネスパーソンにとって“キャリアの運”を戦略的に高める手法とも言える。重要なのは、「努力」や「計画」だけでは不確実性の時代を生き抜けないという現実だ。予測不能な偶然をチャンスに変えるために、自分の内側を整え、行動を習慣化し、人とのつながりを磨く――それが“運をデザインする”という発想である。サチンはこう断言する。 ・「運とは、あなたが“最も自分らしく生きている瞬間”に流れ込むエネルギーだ」。つまり、運は待つものではなく、整えるもの。そして、運を味方につける人は、例外なく“自分を整える習慣”を持っている。『「運がいい人」になるための小さな習慣』は、ビジネススキルや自己啓発の枠を超え、“偶然を戦略化する技術書”として読むに値する一冊である。「運がいい人」になるための小さな習慣 世界の成功者が実践するたった1分のルール [ サチン・チョードリー ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.09
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・美濃部達宏『なぜ、あなたの話はつまらないのか?』は、ビジネスの現場で「話す力」が決定的な差を生むことを、心理学・構成技法・メディア理論の観点から解き明かした一冊だ。著者はテレビの企画・構成作家として数多くの人気番組を手掛けてきた人物。つまり、“人を飽きさせない話のつくり方”を、仕事として磨いてきたプロフェッショナルである。・本書の主題は明快だ――「話がつまらないのは、内容が悪いからではない。構成と伝え方が悪いからだ」。多くの人が「話の中身」を磨こうとするが、聞き手が興味を持つのは“どう語られるか”の方である。美濃部は、話の本質を「情報伝達」ではなく「物語構築」として捉え直す。そこに、凡庸な会話と惹きつける会話の決定的な違いがある。・本書は大きく三部構成で展開される。・第一部「話がつまらない人の共通点」では、著者が見てきた“話下手の典型”を分析する。 共通するのは、話の目的が曖昧で、聞き手を意識していないこと。話が長く、結論が遠く、構成に起伏がない――これは情報を“並べる”だけで、“動かす”力がないからだと指摘する。 著者は、「話はデータベースではなくドラマである」と喝破する。つまり、事実の羅列ではなく、起承転結のある“物語構造”で話を組み立てることが必要だ。・第二部「人を惹きつける話の構成術」では、プロの番組構成術をベースにした「話の設計図」が示される。ここでは、「聞き手の関心のフックを最初の30秒でつかむ」「“意外性”を中盤に配置する」「“余韻”で印象を残す」という三段構成が紹介される。たとえば、会議でのプレゼンでも、冒頭に“意外なデータ”や“個人的な体験”を挟むだけで、聴衆の集中度が一気に変わる。 また、美濃部は“笑い”や“共感”を生む話の型を、「共通体験のズラし」として理論化する。日常の中で誰もが感じている小さな違和感を、ユーモラスに言語化できる人ほど、聞き手を惹きつける。・第三部「伝わる話し方の実践法」では、言葉の使い方・間の取り方・視線・テンポなど、実際の会話における技術的要素が語られる。特に注目すべきは「“情報の削ぎ落とし”の力」だ。話が長い人ほど、自分が何を伝えたいのかを理解していない。逆に、短く、要点だけで相手にイメージを残す話し方ができる人は、ビジネスでも信頼を得やすい。著者は、「良い話とは“余白”を残すもの」と定義する。すべてを説明し尽くさず、相手が自分の中で意味を完成させる余地を与えること。それが記憶に残る話の条件だ。・本書が訴えるのは、「話すことはスキルではなく設計である」という考え方だ。センスや話術の問題ではない。話の構成、順序、テンポ、緩急――それらを“意識的に設計”すれば、誰でも「面白い話」を語れるようになる。美濃部はこのプロセスを「構成のメソッド」と呼び、テレビ制作現場の知恵を一般のコミュニケーションに応用している。また、本書は「話すことは、相手の時間を奪う行為である」という厳しい前提に立っている。だからこそ、聞き手の注意を尊重し、最後まで飽きさせない努力をするべきだと説く。そこに、プロの構成作家としての倫理観がある。・30〜40代のビジネスパーソンにとって、この本は“プレゼン・会議・雑談”すべてに効く構成思考の教科書になる。営業トークでも、上司への報告でも、プロジェクト提案でも、「話の順序と構成」を変えるだけで相手の反応は劇的に変わる。特に著者が強調する「最初の30秒のフック」は、限られた時間で成果を出す現代のビジネス現場において、決定的な武器となる。さらに、本書の視点は“伝える”ではなく“伝わる”にある。どれだけ正しい情報でも、相手が理解し、納得し、行動に移さなければ意味がない。話す力とは、相手の思考と感情を設計する力であり、それはリーダーシップの根幹でもある。・『なぜ、あなたの話はつまらないのか?』は、「話す才能」を解体し、「構成の技術」として再構築する本だ。つまらない話には理由がある。そして、面白い話には法則がある。 この本が示すのは、その「再現可能な話の構造」であり、言葉を戦略として使うすべてのビジネスパーソンへの実践的指南書である。なぜ、あなたの話はつまらないのか? [ 美濃部達宏 ]価格:1,430円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.08
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・平石直之『超ファシリテーション力』は、単なる会議の進行術や話し合いの技術書ではない。著者がテレビ朝日の報道キャスターとして、多くの著名人や専門家と議論を重ねてきた実践知をもとに、“人と組織を動かす対話の技術”を体系化した一冊だ。ファシリテーションを「人の意見を引き出す技術」から一歩進め、「異なる価値観をつなぎ、行動を生み出す力」として再定義している。・本書は、著者が報道番組や討論番組で培った現場経験をベースに、ファシリテーションを「情報を整えるスキル」ではなく「人間関係と意思決定のデザイン」として描く。構成は三部構成になっており、第一部ではファシリテーションの本質を明確化し、第二部で現場での応用法を示し、第三部ではチームや組織全体に展開する方法を論じる。・第一部「ファシリテーションの原点」では、そもそもファシリテーターとは何者かを問う。 著者によれば、優れたファシリテーターとは「自分を消すリーダー」だ。自分の意見を押しつけず、場を整え、参加者一人ひとりが“自分の言葉で話す”空気をつくる存在。ここでは「沈黙を恐れない」「論点を動かさない」「質問で導く」という三つの基本姿勢が示される。・第二部「超ファシリテーションの技術」では、著者が実際に行ってきた生放送や討論番組の舞台裏が描かれる。 政治家、企業経営者、アスリート、研究者──立場も価値観も異なる人々を前に、どうすれば“言葉がぶつかる対話”を建設的に導けるのか。そこに使われるのが「問いのピボット」であり、「感情の翻訳」だ。問いのピボットとは、相手の発言を“評価”ではなく“探求”の軸で捉え直す技術。たとえば「なぜそう思うのか」を問うのではなく、「その背景には何があるのか」を聞く。感情の翻訳とは、相手の語気や沈黙を“感情のシグナル”として読み取り、言葉にして場を整える力だ。・第三部「組織を動かすファシリテーション」では、個人のスキルを超えた“文化としての対話”の重要性が論じられる。企業の会議文化は、多くの場合「報告」「承認」「責任回避」で構成されている。著者はそこに風穴を開ける方法として、「目的の明確化」「共通言語の設計」「合意形成のプロトコル化」を提案する。特に、チームリーダーに求められるのは「決めない勇気」である。すぐに結論を出すのではなく、議論の余白を残すことが、創造的な決断を導く土壌となる。・平石が本書で伝えるのは、「ファシリテーションは“調整”ではなく“創造”である」という思想だ。会議を滞りなく終えることを目的にしてはならない。重要なのは、異なる意見をぶつけ合いながらも、全員が納得できる“新しい論理”を共に編み出すこと。そのためにファシリテーターは、議論の中で“構造を見抜く眼”と“空気を読む耳”を同時に働かせなければならない。・また、著者は「情報を制する者が場を制する」と語る。これはテレビ報道の世界だけでなく、ビジネスの現場にも通じる。論点の流れ、発言のバランス、会話の温度を瞬時に把握し、必要に応じて切り返す。その瞬間的な判断力が、会議やプレゼンの質を決定づける。平石はそれを「ライブ・インテリジェンス」と呼び、訓練によって鍛える方法を紹介している。・30〜40代のビジネスパーソンにとって、『超ファシリテーション力』は「リーダーシップの新しい定義書」といえる。もはや上司が一方的に指示を出し、部下が従う時代ではない。多様な意見をまとめ、最善の方向へ導くためには、対話の力が不可欠だ。特に、リモートワークや分散型チームの拡大により、「声が届きにくい現場」でファシリテーション力の価値は一層高まっている。・本書が強調するのは、“場を支配する”のではなく“流れを支える”力。ファシリテーターはリーダーシップの裏側で機能するインフラのような存在であり、その仕事は「人を動かす」よりも「人が動けるようにする」ことにある。この視点を身につけることで、チームの知的生産性は劇的に変わる。・『超ファシリテーション力』は、単なるスキル本ではない。それは、あらゆる会議・対話・交渉を「共創の場」へと変えるための思考の再訓練書だ。言葉の使い方ひとつで、場の空気は変わり、組織の意思決定も変わる。平石直之が提示するのは、「沈黙すら戦略になる」時代にふさわしい、知的リーダーの新しい姿だ。超ファシリテーション力 [ 平石直之 ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/9/28時点)楽天で購入
2025.11.07
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・井上達彦『ゼロからつくるビジネスモデル』は、既存の成功事例を模倣するのではなく、「新たな価値創造の構造」を自ら設計するための思考法を体系化した一冊だ。著者は早稲田大学商学学術院教授であり、長年にわたり企業のイノベーションやビジネスモデル研究に携わってきた人物。本書は単なる経営書ではなく、「ビジネスを“発明”するための設計書」として位置づけられている。・本書は、「ゼロからビジネスモデルをつくるとは何か」という問いから始まる。著者は、ビジネスモデルを「価値創出の仕組み」であり、「顧客・価値・利益の三者をつなぐ論理構造」と定義する。そして、その構造を生み出す過程を“模倣”ではなく“再構成”と捉える。つまり、既存の要素を単に真似るのではなく、それらを新たな文脈で組み替えることが革新につながるという視点だ。・本書の中心的テーマは、「リコンフィギュレーション(構成の再設計)」である。たとえば、トヨタのカイゼン、アップルのエコシステム、スターバックスの体験設計。これらはいずれも、既存産業の枠組みを分解し、価値の流れを再編することで新しいビジネスを生み出してきた。井上はこうした事例を分析しながら、「発想の出発点は“ゼロ”ではなく、“ゼロベースで見直す”ことにある」と説く。・構成としては、次の3ステップで展開される。1. 既存モデルの構造を理解する — 成功企業の価値連鎖を分解し、どこに“ズレ”や“非効率”があるかを見抜く。2. 構成要素を再配置する — 価値提供、収益構造、パートナーシップなどの要素を組み替え、新しい仕組みを設計する。3. 仮説検証と実装 — 小さな実験を繰り返し、モデルを検証・修正しながら現実のビジネスとして成立させる。このプロセスは、起業家だけでなく、大企業の新規事業担当者にも向けられている。既存の枠内で戦うのではなく、「ルールそのものをつくり変える」ための思考法が求められているからだ。・井上の主張の核心は、「ビジネスモデルは発想ではなく設計である」という点にある。 アイデアを思いつくことは誰にでもできるが、それを市場で機能させるためには“構造化”が必要になる。構造化とは、顧客にどのような価値を届け、その価値をどう収益に転換するかという論理を描くこと。ここに、感覚や偶然ではなく、思考と仮説検証の体系が必要となる。・著者はまた、「ゼロからつくる」とは、完全に何もない状態から創造することではないと指摘する。むしろ重要なのは、既存の常識や前提を“いったん壊す”こと。たとえば、製造業が「モノを売る」という前提を手放し、「利用体験を売る」に切り替えたとき、サブスクリプションという新たなモデルが生まれる。このように、破壊と再構成を繰り返す思考こそが、ゼロからの創造につながる。・30〜40代のビジネスパーソンにとって、この本は「キャリアの次のステージ」を考える指南書でもある。多くの企業では、イノベーションを「新規事業部門」や「特別な才能の領域」として扱うが、井上はそれを否定する。むしろ、あらゆる職種・現場で“構造的思考”を身につけた人材こそが、組織の未来をつくる。たとえば、営業なら「顧客の購買行動の再構成」を、企画なら「価値伝達の新しい構造設計」を、エンジニアなら「技術と顧客体験の接点の再設計」を意識する。それが“ゼロからつくる”という姿勢につながる。・さらに、井上は「模倣の段階から逸脱する勇気」の重要性を説く。多くの日本企業は、ベンチマークや成功事例研究に偏りすぎ、結果として“二番煎じの優秀さ”に留まる。しかし、本書が提示するのは、構造の“再発明”という知的挑戦である。既存市場の中で他者と同じ戦略を磨くのではなく、構造そのものを塗り替えることが、次の成長を生む。・『ゼロからつくるビジネスモデル』は、単なる理論書ではない。それは、固定化された思考を破り、ビジネスの「文法」を書き換えるためのマニュアルだ。成功を模倣する時代は終わり、構造を再設計する時代が始まっている。“ゼロからつくる”とは、何もない場所からではなく、「もう一度、世界を見直す地点」から始まる挑戦である。ゼロからつくるビジネスモデル [ 井上 達彦 ]価格:3,520円(税込、送料無料) (2025/9/7時点)楽天で購入
2025.11.06
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・中川淳一郎『節約する人に貧しい人はいない。』は、消費を美徳とする風潮に対して、あえて「節約こそが人生とビジネスの自由を取り戻す手段である」と訴える実践的エッセイである。著者は元博報堂の広告マンであり、派手な消費社会を内側から見てきた人物だ。その経験を通じて導き出したのは、「稼ぐ力」よりも「使わない力」が人を豊かにする、という逆説的な真実である。・物語は、著者自身の転機から始まる。かつて広告代理店で華やかな生活を送っていた中川は、常に金を使い続ける“消費のループ”に囚われていた。高級レストラン、ブランド服、飲み会、タクシー移動——それらは一見、成功者の証だった。しかし、会社を辞めてフリーになったとき、彼はその生活の脆さに気づく。収入が減っても「支出を減らせば何も困らない」。この体験が、彼に“節約の哲学”を築かせた原点となった。・本書で中川は、「節約」を単なる倹約術やお金の節制ではなく、「生き方の再設計」として位置づける。たとえば「お金を使う=社会的に成功している」という思い込みは、企業が仕掛けるマーケティングの幻想にすぎない。自分の幸福の定義を他人や社会に委ねている限り、いくら稼いでも満たされない。 ・節約とは、他者基準の“見栄の経済”から抜け出し、自分基準の“納得の経済”へ移行する行為なのだ。中川はまた、現代のビジネスパーソンが陥る「浪費型の自己投資」を痛烈に批判する。高額なオンライン講座、ブランドスーツ、最新ガジェットなど、“成長”を名目にした支出の多くが、実際には承認欲求の消費でしかない。彼は言う——「浪費は自分を飾るが、節約は自分を鍛える」。金を使わないことで得られる静けさや時間の余裕が、真の創造力や判断力を取り戻す鍵になる。・中川の節約論の核心は、「節約はマインドの独立」である。経済的自由とは、収入の多さではなく、支出への依存度の低さで決まる。多くの人は「もっと稼がなければ」と考えるが、実際には「もっと使わなければ」という幻想に縛られている。節約によって“足る”を知ることができた人間は、金のために仕事を選ばずに済む。結果的に、より良い仕事を選び、より豊かな人生を築くことができる。・著者はまた、節約を「人間関係の整理」とも結びつける。浪費の多くは人付き合いから生じる。無意味な飲み会、建前の贈答、義理の出費。これらを断ち切ることは、経済的な節約であると同時に、精神的な節約でもある。必要な関係とそうでない関係を見極めることは、ビジネスの効率化にも直結する。・30〜40代の働き盛りにとって、この本のメッセージは鋭い。昇進、住宅ローン、家族の支出、自己投資——あらゆる方向から“お金を使うこと”が当然視される世代だ。しかし中川は、そうした消費構造を支える「社会的圧力」を疑えと促す。節約は、他人の価値観を拒む訓練であり、自分の軸を取り戻す作業だ。・さらに、節約を「戦略」として捉える視点も提示されている。固定費を下げることで、嫌な仕事を断る自由が生まれる。自由な時間が増え、思考の質が上がる。結果的に、よりクリエイティブで長期的な価値を生む働き方へとシフトできる。つまり、節約はビジネススキルであり、キャリア戦略そのものだ。・『節約する人に貧しい人はいない。』は、節約を「守り」ではなく「攻め」の哲学として再定義する一冊である。浪費社会の中で、自分の価値判断を取り戻した者だけが、真に豊かな人生を生きる。節約とは、最も静かで、最も強い“自己投資”である。節約する人に貧しい人はいない。【電子書籍】[ 中川淳一郎 ]価格:678円 (2025/9/7時点)楽天で購入
2025.11.05
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・中野信子『まんがでわかる正義中毒』は、脳科学の視点から「人はなぜ正義に酔うのか」を解き明かす一冊である。原著『正義中毒』をベースに、漫画形式で構成されており、職場やSNSなど、身近な人間関係の中に潜む“正義の暴走”をわかりやすく可視化している。倫理や道徳を説く本ではなく、「正義」という名の感情メカニズムを冷静に観察するための実践的な心理リテラシー書でもある。・主人公は、職場で起きた小さなトラブルをきっかけに「自分は正しいことをしている」と信じて他人を責めてしまう女性。彼女の言動は一見、誠実で公正だが、その裏では“正義を行使する快感”に支配されている。物語は、彼女が周囲との関係を悪化させていく過程を通じて、「正義が人を傷つけるプロセス」を描き出す。・中野はこの現象を「脳の報酬系」によって説明する。正義感を発揮することで、脳内にドーパミンが分泌され、強い快感が生まれる。この“正義の快感”は、依存性を帯びやすく、人はいつの間にか「他人を断罪することで自分の存在を確認する」状態に陥る。SNSでの炎上、社内でのモラハラ、マウント行為——それらはすべて“正義中毒”の一形態だと著者は指摘する。・本書の中盤では、この中毒がいかにビジネス現場を蝕むかが語られる。会議で意見の違う相手を「非論理的」と断罪する。ミスをした部下に「正しい指導」を装って怒鳴る。これらの行為はすべて、「自分が正しい側に立つことによる安心感」を得るための行動に過ぎない。組織の信頼や心理的安全性を損なうのは、能力の低さではなく、正義を振りかざすことによる“関係の破壊”なのだ。・終盤では、中野が「正義中毒」から抜け出すための脳科学的アプローチを提示する。第一に、「正義は相対的である」と認識すること。誰もが異なる価値観をもとに“正しさ”を定義しており、絶対的な正義など存在しない。第二に、「怒りや憤りを感じたときこそ、ドーパミンの作用を疑う」こと。自分の感情が快感に引きずられていないかを一歩引いて観察する。第三に、「共感よりも理解」を意識すること。相手の意見に同意する必要はないが、背景を理解する努力こそが、社会的成熟の証となる。・この本が投げかける最大のメッセージは、「正しさを振りかざす者ほど、組織を壊す」という逆説である。職場での衝突の多くは、“正しいか・間違っているか”の争いではなく、“どちらが正義を独占するか”の競争にすぎない。リーダーに必要なのは、正義を貫く勇気ではなく、正義に溺れない冷静さだ。・特に30〜40代のビジネス層にとって、本書は“正義の副作用”を知るための警鐘となる。経験と地位を積むほど、自分の判断に「根拠ある正しさ」が宿る。しかし、その正しさを他者に強制した瞬間、関係は崩れる。中野は、リーダーシップとは「正義よりも関係性を優先する知性」であると説く。・『まんがでわかる正義中毒』は、道徳書ではなく、現代社会を生き抜くための“脳のマネジメント書”である。まんがでわかる正義中毒 人は、なぜ他人を許せないのか? [ 中野信子 ]価格:1,320円(税込、送料無料) (2025/9/7時点)楽天で購入
2025.11.04
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・加藤洋平『なぜ部下とうまくいかないのか』は、リーダーシップ開発と組織行動学の専門家である著者が、「なぜ優秀な上司ほど、部下との関係に苦しむのか」という根源的な問いに挑んだ一冊である。表面的なマネジメントノウハウを超え、人間の心理構造や関係性の力学を軸に、組織における“対人の難しさ”を構造的に解き明かしている。・本書の出発点は、「部下が思うように動かない」「信頼関係を築けない」というリーダーの普遍的な悩みだ。著者は、これを単なる“コミュニケーション不足”の問題として扱わない。むしろ、上司と部下の間に生じる「無意識の心理的メカニズム」に焦点を当て、そこに潜む“見えない壁”を明らかにしていく。・「人は他者の中で自分を演じる存在である」という前提が提示される。上司という立場に立った瞬間、人は“理想の上司像”を演じようとし、自分の弱さや感情を抑え込む。その結果、部下もまた“理想の部下像”を演じ、両者の関係は本音から遠ざかる。著者は、この「演じ合いの関係性」こそが、組織の不信と摩擦の温床になると指摘する。・「上司の期待」がいかに部下の行動を歪めるかが論じられる。上司は無意識のうちに、部下を“成長させる対象”として扱うが、それがしばしば「支配」と紙一重になる。部下は“評価される自分”を演じ、上司は“導く自分”を維持しようとする。そこに上下関係が固定化し、互いのリアリティが失われていく。著者は、これを「関係の非対称性」と呼び、リーダーがそれを自覚することが、関係改善の第一歩であると説く。・リーダーに求められる“自己理解”の重要性が掘り下げられる。組織における多くの問題は、相手を理解できないことよりも、“自分がなぜそう感じるのか”を理解していないことに起因する。部下との衝突の裏には、上司自身の承認欲求や恐れが潜んでいる。著者は、心理学的な理論をもとに、「自己認識の深化」が人間関係の再構築につながることを示す。・「心理的安全性」という概念を再定義する。単に“発言しやすい環境”ではなく、“関係のリスクを取っても崩れない信頼の基盤”こそが本質だという。そのためにリーダーが取るべき行動は、完璧さを演じることではなく、“自分の未完成さ”を見せることである。脆さを共有できる関係だけが、組織に真の学習と創造性をもたらす。・「人を変えようとしないこと」が最も強力なリーダーシップであると結論づける。人間関係の本質は“支配”ではなく“共鳴”であり、部下を動かすことよりも、“部下とともに変わること”が、成熟したリーダーの姿勢だとする。著者は、リーダーシップとはスキルではなく、“自分という人間のあり方”であると定義して本書を締めくくる。・この本が突きつけるのは、「マネジメントの問題は、相手ではなく自分にある」という不都合な真実だ。上司の“善意”が、部下にとっては“圧力”に変わることもある。リーダーシップとは、人を導く力ではなく、関係を観察し、自分の内側を問い続ける力にほかならない。特に30〜40代のビジネスパーソンにとって、本書は「経験の罠」への警鐘でもある。経験を重ねるほど、人は“正しさ”に固執し、部下の世界を狭めてしまう。加藤は、そこから脱するための道を、“正解を手放す勇気”と“関係性の余白”に見出している。・『なぜ部下とうまくいかないのか』は、マネジメント書の体裁をとりながら、実は人間存在そのものを問う書である。部下との関係に悩むということは、結局、自分という人間とどう向き合うかという問いにほかならない。リーダーとしての成熟とは、部下を動かす技術を磨くことではなく、“関係の中で自分を変える覚悟”を持つことなのだ。なぜ部下とうまくいかないのか 組織も人も変わることができる! [ 加藤洋平 ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/9/7時点)楽天で購入
2025.11.03
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・長倉顕太『本を読む人はうまくいく』は、「なぜ本を読む人が結果を出すのか」という問いに、ビジネス的かつ実践的な視点から切り込んだ一冊である。著者は、編集者として数多くのベストセラーを手がけ、自らも独立後に情報発信と教育ビジネスを展開してきた人物だ。本書では、読書を“知識の収集”ではなく“人生の編集作業”として再定義し、成果につながる読書の本質を明らかにしている。・序章で著者は、「本を読まない人は、他人の人生しか生きられない」と断言する。本を読むとは、他者の思考を借りて、自分の世界を再構築する行為であり、それが「思考の自立」を生む。情報があふれる時代において、真に差がつくのは“どんな本を読むか”よりも、“読んだ後にどう動くか”だという。・第一章では、「本は知識ではなく、視点を買うもの」と述べる。人は自分の経験からしか物事を見られないが、本を読むことで他者の“認知のレンズ”を手に入れることができる。それがビジネスにおける創造力や戦略的思考の源泉になる。著者は、知識の量よりも“思考のフレーム”をいかに多様に持つかが勝負を分けると説く。・第二章では、「読書を行動につなげる技術」に焦点を当てる。多くの人が読書で終わってしまうのは、“アウトプット前提で読んでいない”からだという。著者は「行動読書」という概念を提示する。読む目的を明確に設定し、気づきをメモし、翌日には必ず一つ行動に変える。これを繰り返すことで、読書は“思考を変える儀式”になる。読書とは知的消費ではなく、「未来の自分への投資」であると位置づける。・第三章では、情報過多の時代における「選書眼」を磨く重要性が語られる。SNSやYouTubeのような断片的な情報が支配する現代では、“深く考える力”が奪われている。著者は、だからこそ「時間をかけて読む行為」にこそ意味があると説く。本は長期的な思考を鍛え、情報の文脈を読み解く力を育てる。ビジネスリーダーに必要なのは、知識の断片ではなく“物語を読む力”だという。・第四章では、成功者の共通点として「本による自己編集力」が挙げられる。読書は、他者の成功体験を模倣する手段ではなく、自分自身を“再設計”するためのプロセスである。著者は、自身が出版社時代に出会った経営者や著者たちがいかに読書によって意思決定の質を高めていたかを、実例を交えて描く。特に、松浦弥太郎やホリエモンといった人物を例に、「読書は人生の構造を変える装置」であることを示す。・終章では、読書を“知的孤独の時間”として捉える視点が提示される。人は誰かとつながることで成長するのではなく、孤独に考え抜く時間を通して成熟する。読書とは、外界のノイズを断ち、自分の中に沈潜する行為だ。そこから生まれる洞察こそ、人生とビジネスの質を高める源泉になる。・この本が伝えるのは、読書が「成果を出すための地味な戦略」であるということだ。 知識のインプットが早い人間よりも、読書を通じて“考える習慣”を持つ人間が最終的に結果を残す。速読や要約に頼る読書は、表面的な情報摂取にすぎない。真のリーダーは、本を“深く読む”ことで、思考の階層を上げていく。また、著者は「読書とは自己ブランディングである」とも指摘する。どんな本を選び、どんな言葉を糧にしているかが、その人の“思考のDNA”になる。つまり、読書とは外向きの知識ではなく、内向きの鍛錬なのだ。・『本を読む人はうまくいく』は、単なる読書術ではなく、“知的戦略書”である。 本を読むことは、情報を得ることではなく、自分を再構築すること。読書を習慣にする者だけが、流動的な時代において「自分の軸」を持ち続けることができる。この一冊は、読書という行為を“最も実践的なビジネススキル”へと昇華させている。本を読む人はうまくいく [ 長倉顕太 ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/9/7時点)楽天で購入
2025.11.02
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・香取照幸『教養としての社会保障』は、複雑化し形骸化した「社会保障」という仕組みを、政治でも経済でもなく“教養”として理解するための羅針盤である。著者は厚生労働省で長年制度設計に関わってきた実務家であり、机上の理屈ではなく現場の知をもとに、制度の成り立ちとその本質を解き明かす。社会保障とは単なる“福祉”の話ではなく、「社会の安定と経済の持続を支えるインフラ」だという視点が、全編を貫いている。・序章で著者はまず、「社会保障=お金をばらまく仕組み」という誤解を正す。社会保障とは、個人と社会を“リスク”から守る仕組みであり、老い・病・貧困・失業といった誰もが避けられない不確実性を、社会全体で分かち合う制度だと位置づける。・第一章では、日本の社会保障の起源と発展をたどる。戦後、焼け野原から立ち上がった日本が、欧米の福祉国家モデルを参照しつつ独自の制度を築いてきた過程が描かれる。1950年代の「国民皆保険・皆年金」の実現、そして高度経済成長による制度拡大。しかし、それが「人口増・経済拡大」を前提に設計されていたことが、今の行き詰まりを生んでいると指摘する。・第二章では、現在の日本社会が抱える構造的問題を明確にする。少子高齢化による負担増、非正規雇用の拡大、家族の形の変化。社会保障は、もはや「会社と家族が守ってくれる社会」では機能しない。制度疲労が進むなかで、著者は“リスクの再分配”のあり方を問い直す。年金・医療・介護・子育てといった各分野の制度がどのように連動しているかを、体系的に整理している点が本書の強みだ。・第三章では、社会保障を「経済の仕組み」として捉え直す視点が提示される。社会保障は単なるコストではなく、経済を安定させる“自動安定化装置”でもある。失業給付や医療保険があることで、消費の底が支えられ、企業のリスクも緩和される。つまり、社会保障は「社会的セーフティネット」であると同時に、「経済の土台」でもある。著者はこの点を、「社会保障は国家の信用インフラ」と表現する。・第四章では、財源問題と制度改革の方向性を論じる。消費税をはじめとする税制との連動、給付と負担のバランス、そして「世代間公平」の再構築。著者は、単なる増税や給付削減ではなく、「制度の再設計」が必要だと説く。具体的には、働き方の多様化に対応した“ユニバーサルな保障”への転換、所得再分配機能の強化、そして行政のデジタル化による効率化。・終章では、社会保障を“未来への投資”として捉える重要性を強調する。教育・子育て支援・医療予防といった「前向きな保障」を拡充することで、社会全体の生産性を上げる。福祉をコストではなく「人への投資」として設計し直すことが、成熟社会日本の新たな競争力になるという。・本書は、経済と制度を切り離して考えてきたビジネスパーソンにとって、一つの“視界の再構築”を促す内容だ。社会保障は「国家の仕組み」ではなく、「市場の前提」である。もし制度が脆弱なら、消費も投資も信用も崩れる。逆に、制度がしなやかであれば、個人も企業も挑戦できる。香取は、社会保障を「社会のOS」として描く。アプリ(企業活動や個人のキャリア)は、このOSが安定していて初めて動く。OSが古ければ、いくら努力しても結果は出ない。だからこそ今、日本は“アップデート”のタイミングにある。・『教養としての社会保障』は、福祉論ではなく「制度と経済の接点」を解き明かす教科書だ。リスクをどう分かち合うかという問いは、個人にも企業にも突き刺さる。社会の仕組みを理解することが、最も実践的なビジネス教養であることを、この一冊は静かに示している。教養としての社会保障 [ 香取 照幸 ]価格:1,760円(税込、送料無料) (2025/9/5時点)楽天で購入
2025.11.01
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