・市川沙央『ハンチバック』は、車椅子を必要とする重度障害を抱えた女性が、自らの存在をめぐる孤独と社会との摩擦を鋭く描き出した芥川賞受賞作だ。障害を持つ身体を生きることは、単なる生存の問題にとどまらず、社会の視線や偏見、制度や仕組みと絶えず衝突することを意味する。その現実を、主人公の切実な語りが突き刺すように描く。
・主人公の志保は、先天性の脊椎の病によって車椅子で生活している。彼女は在宅ワークで細々と生計を立てながら、インターネット上で「弱者」を取り巻く視線や言葉に晒される。支援や制度に守られているはずの存在でありながら、同時に「負担」と見なされる矛盾。その視線の狭間で、志保は生きづらさを募らせる。
・やがて彼女は、自らの身体や日常を文章に綴ることで、社会の中に「声」を持とうとする。だがその過程で、障害者というアイデンティティを商材化するかのような構造や、善意すらも抑圧に変わる現実に直面する。志保の生は、絶望と希望の両方を孕みながら、読者に「生きるとは何か」「社会に属するとはどういうことか」を鋭く問いかける。
核となるテーマ
- 存在そのものが社会と摩擦を生む 障害を抱えた身体は、常に周囲からの「役に立つか立たないか」という評価にさらされる。
- 善意の裏にある抑圧 支援や同情の言葉であっても、それはときに「生き方の規範」を押しつける暴力に変わる。
- 声を持つことの重み 文章を書くことで社会に向けて発信することは、同時に自己を消費させるリスクを伴う。
・『ハンチバック』は、単なる障害文学にとどまらない。そこに描かれるのは「多数派が作る秩序に、少数派がどう存在を許されるか」という普遍的なテーマだ。職場や組織でも、異質な存在はしばしば「配慮の対象」とされながら、その枠組みから外れることを許されない。
・多様性を掲げるだけでは足りない。大切なのは「その人がその人であるままに存在してよい」という前提をどう組織や社会が実装するかだ。効率や成果を重視する場であればあるほど、この前提が揺らぎやすい。
・『ハンチバック』は、社会にとって「役に立つ存在」として測られることの残酷さを、肉声に近い言葉で突きつける。そこに響くのは、障害者だけでなく、あらゆる「周縁」に立たされる者たちの声でもある。人は社会に認められるために生きるのではなく、ただ生きるために存在している。その当たり前の真実を、読者に思い起こさせる作品だ。
・受賞歴:第 169 (2023 年上期 ) 芥川賞受賞作
ハンチバック [ 市川 沙央 ]
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