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岸和田カンカンのユナイテッドシネマに話題の「2012」を早速見に行ってきました。平日は空いていて、自由な席で見れますので気分がイイですね。 2時間半の大作ですが、面白くて眠気を催す暇もありませんでした。これまで結婚してからゆっくり映画など見た事も、仕事と子育てに追われ殆どありませんでしたが、これからもヨメサン孝行も兼ねて時々行きたいと思います。 次は来年1月の「アバター」か? 人生最初の映画は、確か5歳ころに難波の南街劇場で見た「キンクコング対ゴジラ」で、小学生の頃は友達と岸和田東映の「サンタ対ガイラ」等の怪獣シリーズをよく見に行きました。 昔は貝塚にも、水間に水間劇場、貝塚駅周辺に山村座、貝塚劇場がありましたが、今は何もありません。寂しいかぎりです、、、、、。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.24
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先日マイケルジャクソンとインコグニートのDVDを買い、特にマイケルは4日連続見ても飽きないほどハマりました(笑)。 あらためてマイケルのダンスの上手さに惚れ惚れしてしまい(特にあのムーンウォークは床が動いているのかと思うほど早く驚きの一言)、なかなか出来ませんがYOUTUBEでムーンウォークの練習にチョイハマり気味で、これが出来ると応用範囲(?)が広がりそうです(笑)。 インコグニートの未だ健在のメーサの艶っぽいボーカルに参りました。 両DVDとも、ライブのヒット曲メドレーで最後まで気を抜けませんでした。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚
2009.11.24
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今日は親戚の法事の後の食事会をゲートタワービルの53階でしました。 関空を一望できる絶景のレストランでの食事は最高です。 それにしても、食事の2,3時間の間、飛行機が1台も見れなかったのが、関空の悲惨さをよく現わしています。 またりんくうタウンでも、空地がよく目立ち、日頃の生活ではよく解らない事も一目瞭然です。 自分の目線を少し変えると、物事をより客観的に見れる好例です。 父親が早く亡くなり、家の代表として仕事関係、町内、親戚の冠婚葬祭の行事によく出るようになり、色んな立場の人との交流の経験が役に立っています。 自分が喋らざるを得ない立場に追い込まれるというのも、最近は快感になってきています(笑)。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.23
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30年前にウインドサーフィンに数年ハマりましたが、当時「何でウインドばかりしていいのだろうか?」と悩みながら続けていたのですが、今となってはいい思い出ばかりです。 まず、大学に同好会を作った事がいい経験になりました。同好会と言っても、遊びではなくあくまで学連に加盟してレースを競うというのが趣旨でした。 ところが、ウインドサーフィンは未だ新しいスポーツで、遊ぶ感覚で入部してくるのが殆どでしたので、他大学でもそうでしたが、当然部の運営でトラブルが多発しました。それを分裂することなく、上手く終息させるのに苦労しました。 対外的にも、全日本学連に加盟はしましたが、関西学連は未だ出来てませんでしたので、関西の数校と設立し、レース運営に奔走しました。特に資金不足でしたので、スポンサー探しに大手スポーツ店に出向き、資金援助をお願いに行ったことがいい経験になりました。 知名度のないスポーツのスポンサーには誰もなりたくないのを、無理やりなってもらうのですから、当時多分頭を200%回転させ熱心にセールスしたのでしょう?(笑) 学内でも、顧問に教授をお願いする為に、コンパに出席し「太鼓持ち」に徹し場を一生懸命盛り上げました。その時に役立ったのは、子供の頃からだんじり祭りで身につけていた、恥ずかしながら「春歌」の数々です(笑)。芸は身を助けるか? また、学内の同好会全体のキャンプがあり、そこでK-1の角田氏や佐竹氏も所属していた当時の「極真空手同好会」の創設者のK君と知り合い、私が空手をやっていたり、同じ創設者という事で意気投合したのも懐かしく思い出されます。 その後角田氏を学食で時々見かけましたが、当時から凄いオーラを持っていました。何かを成し得る人は、若い頃から人と違うのでしょう。 また当時「ウインドサーフィンはホンマに早いのか?」という疑問が頭から離れず、誰もやっていなかった「ヨットとのレース」にチャレンジしました。ヨット部にレースの企画を話すと、トントン拍子に話が進み、「クラブ対抗(親睦)」にまで話が大きくなりました(笑)。 12月に琵琶湖の真野浜で470級、シーホッパー、ウインドサーファーなど10数艇で、同じルールでやりましたが、1位はさすがに470級で、2,3位はウインドということで、ある程度ウインドの早さが証明されました。(30年間の道具の著しい進化で、今は完全にウインドの方が早いのは言うまでもありません) それにしても、12月の琵琶湖は非常に冷たく、次の週に黒潮流れる和歌山に行った時は、まるで温泉に浸かっているようでした(笑)。 就職活動ではヤマハ発動機とミズノの面接を受けましたが、当時ウインドサーフィンの「特許問題」で業界全体がゴタゴタしていた時期でもあり、「ウインドサーフィンの発売時期を教えてください」とか「ウインドサーフィンの特許紛争が、フランスで敗訴した事をどう思われますか?」と意地悪く質問すると、教官の顔色が一瞬で変わり、一発で落とされましたのも懐かしい思い出です(笑)。 ウインドのレースは、関西では二色の浜、琵琶湖、甲子園浜、和歌山とどこに行っても、学連も一般と同じ海面で、みんな顔馴染で和気あいあいでレースを楽しみました。 ところが、「関東勢」とぶつかる浜名湖で行う中部選手権や全日本選手権にいくと、彼らは闘争心剥き出しで、東西の「レースに賭ける執念の違い」に驚きました。 レース中、当たりそうになると優先艇が非優先艇に対し、「スタボー」と声をかけて進路を譲ってもらうのがルールですが、関東勢の中に「スタボーだぜ!」と叫んでくる輩がいた時は(関西人にとっては「だぜ」がキツク聞こえる)、冷静さを失って、思わず「スタボーじゃあ、おのりゃー!(=スタボーですよ、あなた!)」とヤクザまがいにやり返したのも懐かしい思い出です(笑)。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.20
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子供の頃からも含め、織物時代が一番長かったので(約40年)、いろんな思い出があります。 その中でも一番の辛い思い出は、バブルが弾けて数年経った頃、唯一の取引先の大手商社(4,50年間100%委託加工)から、突然「今後はもう仕事は無い」と青天のヘキレキ宣言された時です。 当時親父が社長として健在でしたが、すでに私が営業と現場を全て仕切っていましたので、だれにも相談出来ずに、「この難局をどう切り抜けるか」だけを1週間死ぬほど考えました。 当時それまでは、取引先が1社で寝装分野(和布団、羽毛布団の側地)の織物で、年中数種類しかない織物を月産20万メートル生産していたという典型的な「少品種大量生産」を長年続けていましたが、それを取引先を増やし、難易度が高いが利益率の良い衣料分野(メンズ、レディス、ユニフォーム)へ進出し、「多品種少量生産」にシステムを転換する事が不可欠という結論に達しました。 方向が決まれば悩んでいる暇が無く、早速商社の紹介で、より川下の紡績や合繊メーカー、浜松の産元に売り込みを掛けました。 幸い容易に受注出来ましたが、全く慣れていなかった小ロットの注文で現場が一時期ひっくり返り、「試織」と称する完全赤字のサンプル作りにも参りました。 自分が営業以外は現場に「張り付く」事によって、比較的短期間で多品種少量生産システムを実現出来た事が、後に大きな自信に繋がりました。 また全くの飛び込み営業で「繊維専門商社」にも売り込みを掛けました。 なかに丸1年間粘り強く何の注文もないまま毎週欠かさず通い詰め、取引に成功した商社もありましたが、その後そこがメインの取引先となり、誰が何と言おうとも信念を貫き通す「しつこさ」もアリかな?と思いました。 この一連の「騒動?」で、例え取引先が長年の大企業と言え、おんぶにだっこの「1社依存の危険性」と危機分散化の重要性を強く感じました。 人を余りあてにせず、あくまで「自己研鑽が商売の基本」というのは余りに当たり前すぎますが、この事は常に頭の片隅にこの「事件」以来置いています。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.19
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先日岸和田カンカンにマイケル・ジャクソンの映画「This is it」を見に行きました。 20世紀最高のエンターテイナーだと再認識をしました。 本格的な「ダンスと歌の融合」という意味において、過去に彼ほど見事に表現した者がいたでしょうか。 また50歳にして、超人的な体力と声をキープしているのには驚かされます。 マドンナもほぼ同じ年齢で、いまだに「頑張っている」YOU TUBE映像を見ると、感動します。 もう10年以上前に、当時通っていたスポーツクラブのヒップホップで、ムーンウォークも少し習ったのですが、あれは難しいすぎます。 出来ればカッコイイし、忘年会のカラオケで歌いながらすれば受けると思います(笑)。 今回も夫婦で行くと、シニア割引の一人1000円でした。二人ともソコソコ(?)感動したので、早速アマゾンにマイケルのDVDを注文しました。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.14
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トランクルーム内の「ロフト」への改造を自分自身でするのに、これまで木を切ったり、ノミでホゾを入れたりをフロアに座り込んでやっていて、腰に負担がかかって長時間作業が出来なかったのですが、最近「ワークベンチ」を買ってからは立ったまま作業をするので、非常に楽になりました。 なぜもっと早く買わなかったのか後悔します。ロフト改造も経験を積み、時間も早くなり、より力学的な工夫も考えて出来る余裕も出来ました。これも織物設計の緻密な計算の経験が役立っているのかも(笑)? 元々日曜大工は子供の頃から大好きで、小学生の頃は「こどもダンジリ」や「犬小屋」をよく作りました。「こどもダンジリ」は枠組みに農業のビニールハウスの支柱を使い、側面をミカン箱の板を使い、コマ(車輪)に織機のチャンジギアを工場から父親の目を盗んで拝借(?)し、無我夢中で作ったものです。 いまロフトを作る時も、全く子供の頃と同じで、寝食を忘れ「一心不乱に」やっているので、家族に笑われています。 日頃トランクルーム内を点検や掃除の為に歩く事が多いのですが、歩く度に、「この辺にコンプレッサー室の排気ダクトがあり、冬になると結露防止のために2階のフロアーに排気を流したなぁ。」とか「この辺に地下ピットがあり、毎月1回下にもぐって、汗まみれになって風綿の掃除と空調フィルターのクリーニングをよくしたなぁ。」とか「この端っこに、15号機があり、タイイングの時、上糸を押さえる時に難儀したなぁ。」などと思いにふけながら、「ホンマ、織屋をやめてよかった。」と幸福感に涙(?)する今日この頃です(笑)。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.11
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先日久しぶりにイオン泉南店にショッピングに行きました。9、10月は公私ともいろんな事が重なり、やっと落ち着いて夫婦2人で出かける事が出来るようになりました。 帰りに今年の夏はウインドで大変お世話になった、イオン前の「マーブルビーチ」にお礼参りに行きました(笑)。 昨年から「サザンピア」という「道の駅」的な施設(レストラン、地元特産品販売)がビーチ内に出来、より利用しやすくなっています。 屋上からの夕暮れシーンが最高です。今年はあと1,2回はウインドしたいのですが、、、。まだ足の痺れが取れません、、。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.07
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思いで次いでにもう一つ印象に残っている話を。建築金物建材メーカーの営業マンだった30年近く前は、まだホームセンターという小売業態が新しく、右肩上がりの業界だった頃、従来のルートでは「金物問屋」を通して、ホームセンターに商品を供給していました。 会社としては総売り上げを伸ばすために、従来の金物ルート以外の販路も探れという事で、「新規開拓」に躍起なっていました。 その先鋒として何も知らない新人の私に過大なプレッシャーが掛けられていましたので、新規開拓の一つとして、金物業界とは違った上場企業の「工具商社」を選び、毎日「夜討ち朝駆け」のセールスを仕掛けていました。 工具商社の方も、従来の工具問屋売りだけでは頭打ちで、ホームセンターという新しい小売り業態への直販を、新たに別の販売部隊を作ってまでして模索している所で、正に双方のニーズがドンピシャだった事も後に幸いしました。 朝一番に行くために、自社の朝礼も辞し(査定がダウンしますが)、夜も裏口から入って熱心にしていたのですが、半年経っても取引に結び付きませんでした。思い悩んだ末「戦法」を変えることにして、自社の社長が書いた書物を持参し、商社の社長にこの本を自ら手渡す事を思いつき、直談判する事にしました。 幸い案外スムーズに社長に会う事が出来、必死にセールストークした結果(上場企業の社長に営業という事で、口から心臓が飛び出しそうでしたが、、、苦笑)、その場で営業部長に指示し、直ぐに取引出来るようになり、工具ルートという新たな販路を開拓する事が出来ました。(自社の社長をダシにしたのが、功を奏した?) この一件で、物品販売の「売る側の見方を変える」重要性を強く感じましたし、業界が違うとここまで違うのかと思うほど、一流工具商社の営業マンの「販売力」には舌を巻きました。 また、一流会社との取引がこれ程大変とは思いませんでしたし、親父の小さな織物工場が一流総合商社と4,50年も100%取引している事実に、驚きと改めて尊敬をしたものでした。 また、その頃東急ハンズの江坂店が関西初出店という事で、自社商品が問屋経由で納入される一方、直接の取引口座を開設して頂き、新商品の開発を共同でする事にしました。これは売る側一辺倒の考え方だけではなく、エンドユーザー(消費者側)のニーズをメーカー側に出来るだけ早く「フィードバック」を目的としたものでした。(今で言うSPA製造小売りの考え方に近い) こうなると毎日の仕事が楽しくて仕方がなかったのを思い出します。毎晩帰宅が10時、11時でしたし、早朝5時には起きて家業の織物業の手伝いをしてから出勤していましたが、何の苦も感じませんでした(家に殆ど居ませんでしたので、唯一子供が全くなつかなかったのが辛かったですが)。まだ20代だったからできたのでしょうね、今はトテモトテモ出来ません(笑)。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2009.11.01
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