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日本は今、五郎丸選手の活躍によって、チョッとしたラグビーブームです。このラグビー、堺市にある鳳高校時代に経験しました。実はオーケストラ部に入る前に、2週間ほどラグビー部に在籍していたのです。そしてナント、当時は鳳高校の体育の授業で男子は柔道と共にラグビーが必須だったのです。友人に誘われてラグビー部に入ったものの、最初運動部室棟に入った時に驚きました。まるで豚小屋?のように雑然として汚かったのです(失礼!)・・・「ホンマかいな?これ着るの?」というくらい、もう何日も洗っていなくて、汗と泥にまみれたジャージを着せられ時は、これが旧制中学の伝統か?と変に納得したような自分がいました・・・(笑)。当時流行っていたテレビ青春ドラマシリーズの「青春とはなんだ」「これが青春だ」で、これまでラグビーだったのが「飛び出せ!青春」の村野武範からサッカーに変ってしまい、先輩らが「何でラグビーなくなったんや!」とぼやいていましたねェ・・・「われら青春」の中村雅俊からまたラグビーに戻りましたが・・・ラグビー部の練習や授業でタックルをするのですが、これがナカナカ勇気がいるんですねェ・・・運動場はもちろん芝生ではなく、普通の土です。腰から上を狙えば倒れる事も少ないですが、先輩や先生は「足を狙え!」と叫びます。膝から太ももを狙えば、確実に2人とも倒れますし、場合によってはタックルした方は相手の踵で胸や顔を蹴られます。柔道のヘッドギアを付けてしますが、毎回何処かケガをしたものです。このテレビ青春ドラマシリーズの1960年代の最初の「青春とはなんだ」と「これが青春だ」に準主役として、鳳OBの俳優の故・藤木悠さんが出られていたのも懐かしいです・・・藤木さんはラグビー部ではなく野球部で、戦後の学制改革で旧制鳳中学の野球部員の殆どが泉大津高校(旧制女学校)に移ってしまい、彼らが主体となって甲子園に出場したという話を聞いた事があります・・・また、柔道の授業も厳しかったですねェ・・・もう2回目の授業から、さっそく体重別で座って寝技の乱取り(試合)を始めました。毎回試合を行い、勝敗によって成績が決められ級もくれましたので、みんな必死です・・・よく試合中に、首の絞めあいで気絶(おちる)する者もおりましたが、先生が柔道の達人でしたので活を入れると直ぐに元に戻りました。2年間で殆んどの投げ技と絞め技を学びましたが、やはり体重の重い奴や腕力の強い奴には敵いませんので、小柄な私には接近戦は不利だと悟りました。その経験が、その後相手との間合いをある程度取って戦う空手に向かわせたのかもしれません・・・柔道とラグビーの授業でかなり鍛えられましたが、水泳も厳しかったです。100m泳げなければ卒業できなかったのです。私は水泳はどちらかというと得意でしたので問題はありませんでしたが、泳げない生徒は夏休みに泳げるまで補習、補習でした・・・という事は、鳳OBやOGにはカナヅチがいないという事です。まァ、当時の男子の柔道やラグビーでの厳しい体育の授業が、男が実社会に出た時に絶対必要な「闘争心(イイ意味での)」を養う上での下地を作ったと言えるかも・・・そんな体育の授業が厳しかった半面、他はノビノビと自由でしたねェ・・・私が入学(1972年)する前年まで鳳では「学生運動(学園紛争)」が激しかったようで、校舎のアチコチに落書きを消した跡が沢山見受けられました。当時大学紛争の影響を受けて、全国的にいくつかの高校で高校生がヘルメットを被り、反戦や学生自治会体制の改革を求めたりしてデモをやって暴れたのです・・・そんな社会的現象が地方のだんじり祭にも影響して、中学生だった私達はヘルメットを被ってだんじりを曳いていたのです(ファッション的な意味あいが大きいですが)・・・当時の高校生や大学生がそんな元気があったなんて、信じられますか?ある意味、そんな元気な世代だったから、バブル期に日本経済を引っ張っていったのかも・・・?まァ、高校の学園紛争が完全終結した代償として、生徒側は自由を勝ち取ったのです。大阪の高校で制服がない(自由服)ところが多いのも、そういった事が原因です。鳳は残念ながら自由服になりませんでしたが、その他では自由な雰囲気が渦巻いていました・・・今では信じられない事ですが、まず単車(原付)通学が許可されていたのです。大阪一広い校舎には、自転車置き場と同じように単車置き場があったのです。私も阪和線で通うと4,50分かかったものですから、一時期、当時流行のダックスホンダで13号線を走って20分で通ったものです。もちろん高校生ですから、原付に乗れば次は250CC・・・ナナハンに興味を持つのは自然な事です。デカい単車で通学してくる生徒は、校内に入れませんので、裏門前の店の前に停め、昼休みともなると、バイク談義に花が咲いていました・・・(笑)。当時は大らかな時代で、先生も黙認していたかも・・・?誕生日が早い者には、夏休みに自動車の免許を取って、2学期から車で通学してきて近所の田んぼに駐車している奴もいたようですが、それでも停学や退学という話は聞いた事はありませんでした。遠足も各クラスが自由に決め、自由服で現地集合現地解散です。美術の授業も、教室で油絵を描いている者は少なく、多くは広い校庭のあちらこちらで自由に描いていました。当時あった松林のベンチで瞑想と称して昼寝していると、就業ベルを聞いてから走って教室に戻るのですが、校庭が広すぎるので走るのも必死でした・・・(笑)。校庭が広すぎて、当時何も使っていない?第2グラウンド(今の本校舎辺り?)というのがあったのですが、結局卒業まで一度も行かず仕舞いでした・・・(笑)。美術を専攻した生徒は、1学期に1回各自で美術館巡りが義務づけされていましたが、イヤイヤ行ったとしても、行くと必ず感動するんですねェ・・・これが。感性を磨くという意味で、ホンモノの芸術品を見る重要性を高校生ながら感じたものです。当時はフォークソング全盛で、校舎や校庭のアチコチで昼休みともなるとギターの音が聴かれ、学生集会では最後には必ず「遠い世界に」をみんなで歌っていましたねェ・・・私が所属していたクラシック中心のオーケストラ部を飛び出して音楽愛好同好会なるものを創った先輩が、私の好きなブラスロックのシカゴのコピーをやりだしたり、同級生らがキャロルのコピーをヤッタリして、教室や校庭でドラムをドンドン叩いたりエレキギターをガンガン鳴らしても何も問題がないどころか、声楽の先生が逆に「〇〇君、カッコええわ・・・」と言い出す始末です・・・(笑)。当時ロックをヤッテいる事が、不良っぽく反社会的な時代背景もありましたが、そのリードギターの同級生が今は真面目に弁護士をやっている事を考えれば、何がイイのか悪いのか?・・・青春時代は勉強だけでなく、大いに悩むべしというのが正解だと思うのです・・・鳳高祭も盛大で、体育祭では学年を縦割りにして団をいくつか作って、学年に関係なく楽しんでいましたし、文化祭では喫茶店や劇、3年時には映画を作りました。2年の劇では主役を演じ、3年の映画では音楽担当(BGMの選曲)でした。もちろん、全曲シカゴです・・・(笑)。当時のミキサー担当もシカゴの大ファンで、誰も文句を言いませんでした・・・(笑)。「卒業」という題で、先生や後輩から心配されるほど受験勉強を忘れて、クラスみんなで映画製作や体育祭に没頭したものです・・・(笑)。その甲斐あって、何度も何度も再上映を繰り返すほど人気を博しました。残念ながら、その16ミリテープが何処へ行ったか分りません。もし見つかって、もう一度見れれば多分みんなで笑って大いに泣くでしょう・・・(笑)。そんな、みんなの思い出が詰まった作品だったのです。そのミキサーくん、それがキッカケで、その後某有名テレビ局の本物のミキサーになり、今はそのテレビ局の制作部長です。人生って、ホント分らんモンですねェ・・・まァ、高校時代は自由の裏には責任が伴うのだと学びましたねェ・・・という事で、高校のラグビー部も少ないようで、大阪南部の大和川以南の泉州地区(第4学区)では鳳しかラグビー部が無いようです。泉州でラグビーをやりたければ、鳳しかない訳です。ラグビーブームが、鳳の追い風になるか?新聞のスポーツ欄やスポーツ紙は野球とサッカーの記事ばかりです・・・世の中、チョッと野球とサッカーに片寄りすぎでは?高校の部活でも、運動神経の良い子は野球とサッカーに集中しがちです。もっと分散して、他のスポーツにも目を向けて欲しいものです。そういう意味で、今回五郎丸さんのお蔭で、世の中ラグビーにチョッと関心がいったのは歓迎すべき社会的現象です。ビジネスと同じにしてはいけませんが、やっぱり、「100m走より800m走です」・・・競争の激しい分野より競争の少ない(ニッチ)を狙う方が実りが多い(成功率が高い)と思います。個人的には、世界的に人気がありますが、日本ではマイナーでオリンピックと国体種目でもある空手とウインドサーフィンにもっともっと関心をもって欲しいのですが(空手は2020東京オリンピックからほぼ確実)・・・(笑)。今は少子化で、公立高校でもPRしないとナカナカ生徒も集まりにくいようですし、学区も撤廃され、来年から前期も後期もなくなるようで、私立高校も入り乱れて各高校が淘汰されないように必死のようです。少子化で生徒が減っているのですから、経済の原則から考えれば、パイの奪い合いになるのは当たり前の事ですが・・・そういう意味で、大阪に3校しかない私の在籍していたオーケストラ部と、「泉州唯一」のラグビー部がセールスポイントになるのではないでしょうか・・・高校は社会人になる単なる通過点に過ぎませんが、多感なハイティーンにとって人格形成という意味で最も大事な時期であろうと思います。勉強+アルファがあってこそ、将来有能な社会人となり、充実した人生を送れるのだろうと思います。もう一度高校生に戻るなら、富木駅からの通学路途中にあった三原流の空手道場に通って、高校に空手同好会を創っていたでしょう・・・1年生で創っていれば、2年でブルースリー・ブームでしたので、モテ過ぎて困っていたでしょう・・・(笑)。不動産の事業用不動産の仲介で、塾のオファーも多いですが、どこも進学実績ばかり売り文句にしているのも分りますが、塾の方も高校の中身をもっと知る努力をすべきだと思います。そりゃ、成績順に受験高校を振り分けるだけなら、そんな楽なことはありません。しかし高校受験だけでなく、その子の将来の人生を本当に考えるなら、どこの高校がどんな特徴があるのか?その子の性格に相応しい最適の高校がドンピシャで選べるなら、そんな素晴らしい塾はないでしょう・・・それが少子化で競争が激化している塾業界での、塾の本当の差別化かもしれません・・・
2015.12.26
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ハワイから帰ってきて、溜まりに溜まっていた仕事に忙殺されているところに、高齢の義父が急死しましたので、年末の忘年会をすべてキャンセルするほど忙しない日々を過ごしているところです・・・またまたハワイ・ネタですが、海外に行くと、いつも気になるのが日本車の普及度合いです。自動車は日本の最大の武器で、車の輸出で日本が成り立っていると言っても過言ではありません(現地生産を含めトータルで)。日本車メーカーがこけると、日本がこけるかもしれません・・・でも、「安心してください」・・・(笑)。ハワイでは日本車が半分以上占めていました。バーで知り合ったカナダ人も言ってましたが、同じ日本車でもアメリカ製より日本製の方が故障が少なく人気だと・・・私は何もしていませんが、日本人としての誇りを感じましたし、日本人というだけで他の国の人から尊敬の眼差しで見られているようです・・・出入国に関しても日本人パスポートを持っていれば優遇されましたし、国がしっかりしている事と先人の功績や実績で支えられている事を改めて感じます。日本にいる時はこういった有難みを何も感じませんでしたが、海外に行くとシミジミ感じます・・・日本にいるだけで会社と家の往復だけだと、テレビや新聞等のマスコミや会社の意向(方針)に頭をコントロールされがちになり、どうしても考え方が偏るのは仕方ありませんが、海外に行って「自分の五感」で現地の空気を吸い、見て、現地の人と語り触れ合う、現地のバスに乗って名所へ、現地料理を食べ、現地のスーパーで物を買い・・・そうすれば何か?を感じるはずです。正に、ブルース・リーの名言「Don’t think, feel!(考えるな、感じろ)」です・・・(笑)。社会で役立つ、この五感を使った「感性」とでも言うのでしょうか・・・小中学校では暗記中心で思考力も学びませんでしたが、唯一高校の美術の授業で「君の感じた事を自由に描きなさい・・・(油絵抽象画)」と言われ、教室で描くのではなく大阪一広い校庭の何処でも描いてもよく、1学期に1回美術館に行く事が義務付けられのが感性養成に多少とも役立ったのか・・・?今思えば、外で絵を描くと脳が解放され、美術館で名画を鑑賞すると吸い込まれるように時間が経つのを忘れるようでした・・・まァ、しかし旅とはそれを発見することか・・・それを感じて、日々の生活(人生)に活かす・・・という事か。もう人生の第4コーナーに差し掛かり、こんな事を悟っても遅い感じがしますが・・・出来れば、20代から海外旅行に行っていればと後悔しますが、20代半ばで結婚して後半で24時間工場稼働の織物業の家業を継ぎ、子供も3人立て続けにできたので無理でした・・・しかし、「まだ」59歳、50代なので・・・イケるか?・・・(笑)。59歳と60歳の間には、49歳と50歳の間と同じように、「大きな溝」があります。「もう」60代と思えば何も出来ませんんが、「まだ」50代と思えばまだ何かデキそうな気がします・・・29歳のサラリーマンから家業に転職した時や、49歳で織物業からトランクルームに転業した時も、「まだ20代や!」「まだ40代や!」と思って人生の踏ん切りをつけてきました・・・しかし、ハワイ滞在で大きな問題は食事です。食費が日本の約3倍というのが実感です。そして日本に比べて圧倒的にバライエティが少ない。パッと思い浮かぶのは、肉、ハンバーガー、シュリンプの3つくらいしかありません。ハワイに住むとしても食事で苦労するだろうと・・・ハワイは温暖で素晴らしい環境ですが、年中同じような環境で食事に変化が少なく、日本の四季のような変化がないので、四季折々の旬の食材を利用した料理が存在しないのです。その点、日本の料理は繊細で、何を食べても美味しいし、それが世界中から見直され観光客が増えている一因なのでしょうか・・・よく行っていた現地のライブバーは毎日ミュージシャンが変わり、MCの「どこから来ましたか?」という質問に対し、いつも私は「ジャパーン」と言わずに、敢えて「オッーサカ!(大阪や!)」と答えていました・・・(笑)。アメリカ以外のカナダやヨーロッパやアジアの人達は国名を叫んでいましたが、アメリカと日本だけが州名と都市名を言っていたのです。それほど、日本の東京や大阪はワールドワイドなんだなァと感じる次第です・・・歴史文化や商業的に東京に次ぐ日本の第2の都市である大阪に住んでいる我々は「世界に通用する」という意味で、もっともっと自信を持ってイイと思います。ハワイは日本の初夏のような気温で湿度も少なく、風がいつも吹いていて非常に過ごし易いので、ついつい食べ過ぎてしまいます・・・(笑)。普段朝食抜きの2食ですが、ハワイ滞在時はキッチリ3食を摂っていたため為、体重計に乗れないくらい太ってしまいました・・・(笑)。しかし、帰ってから元の食事に戻すと、1週間で元の体重にほぼ戻りました。人種による体質差もありますが、やはり、ハワイにいると太るはずですし、食生活がメッチャ大事なんですねェ・・・また英語のヒアリングだけでなく、発音も伝わらない場合が多かったですが、海外旅行だけの為にわざわざ英語を勉強する時間もなく、自然体で好きな洋楽の歌をもっと聴いて歌い続けたいと思った旅行でした・・・単なる挨拶だけでなく、普段日本語で考えている事をレベル(内容)を下げずにそのまま喋り、相手の考えている事が分かりこちらの意志が伝われば、旅の楽しみは倍増どころか10倍以上の楽しみに変わりますし、可能性もグンと広がります。私の初級レベル程度の英語なら、日本語で考えている事を中学校の英文法を基本に難しい英文法を無視して、簡単な動詞を駆使してチョッと難しい英単語(名詞)をズラズラ並べるだけで案外通じるものです・・・ただ日本語と同じように、もっと歴史と経済の勉強をした方がオモシロくなるなァ・・・と反省した次第です。まァ、海外旅行で同じお金を払うのに楽しまなくては損です・・・まァ、これからの老後を考えると、日本の暑い夏と寒い冬は老体に堪えますので、「冬はハワイ」で過ごすのはイイに決まっていますが、一般人にはコストが高すぎます。これから普及していく「民泊」とマイレージを上手に利用して、夏に北海道、冬は沖縄もイイですが、それにハワイやオーストラリアやサイパンも加えるなんていうのが理想でしょうねェ・・・という事で、来年の目標も11月に新しい手帳に替えたと同時に8つ決め、何があろうとも、それに向かって努力したいところです・・・毎年目標を決めますが、50%も達成できませんが・・・(笑)。こんなジイサンになっても、目標を決める事に意義あり・・・か?(笑)【オススメの関連記事】これはメチャ便利!ハワイでUber(配車アプリ)利用!【オススメの関連記事】ハワイのトロリーバス(lealea&ピンク)が無料になる裏ワザ【オススメの関連記事】これがハワイ・ロングステイ(1か月)の楽しみ方と節約術
2015.12.23
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2週間もハワイにいてあちこちウロウロしていると、今回も色んな楽しい出会いがありました。近くのちょくちょく行っていた音楽ライブバーで、私よりチョッと年配のカナダ人グループの人達と仲良くなりました。とにかく彼らは明るく、ハワイでのバケーションを徹底的に楽しんでいました・・・中には、ワイキキにコンドミニアムを所有して、4ヶ月も滞在している方もおられましたが、だいたいみなさん毎年1,2ヶ月のロングステイのようでした。しかし、羨ましい限りです。カナダの夏は短く、冬はマイナスが長く続く厳しい環境ですので、ハワイでの滞在を寸分を惜しんで楽しんでいるように見えました。世界を見渡すと、こんなライフスタイルがあるのかと、実際見て聞いて実感するほど、彼らのような「余生」を是非送ってみたいと・・・しかし、まだまだ行っていない外国が多いですし、ハワイでもオアフ島しか行ってませんから、まだ元気なうちにもっとイロンナ国に行きたいと・・・それよりもっともっと稼いで、軍資金を作るのが一般人として先決問題です。と言っても、平均健康寿命70歳ですから、あと10年しかない・・・(焦)。夢を見るのも必要ですが、それより今日一日の仕事の充実に全力を尽くす事です・・・早速、彼らとフェイスブックで繋がりました。マレーシア旅行やプーケット旅行でもそうでしたが、やはりフェイスブックは我々普通の日本人が思っている以上にワールドワイドで、必須のツールなんでしょう・・・来年も同じバーで再会する事を約束して、30分以上かけて全員とハグして泣く泣く別れました・・・こういった外国人観光客で溢れかえる現地のバーへ行くと、いつも「国対抗」になるのです・・・そのクラブバーのMCやバンドが、盛り上げるために各国から「国代表」として客をピックアップして、舞台に引っ張ってくるのです。今回も「日本代表」として引っ張られました。MCが「サムライ!フローム~ジャパーン!」なんて声高らかにマイクで叫ばれると、オッチョコチョイの私はそれにツイツイ乗せられ、国の威信?をかけて、さっそうと舞台へと(と言うか、そこまで言われたら行かざるを得ない状況に)・・・(笑)。急な事ですが、そこは経験で、いつもの「KARATE芸」で乗り切りました・・・(笑)。ウケるんですね、空手が・・・空手の十文字を切り、「アチョ~!」とブルースリーの如く、左前蹴りと右上段回し蹴りの派手な連続キックで・・・もちろん酔っぱらっていますが、一瞬だけマジに戻ります・・・(笑)。大阪人特有のイチビリの性格が、今宵も遺憾なく発揮されたのは言うまでもありません・・・(笑)。またフェイスブック友達の三好一男さんと、軌跡的に同じホテルでお会いしました。ハワイでフェイスブックのアップデートを見ていると、三好さんが同じ日にハワイ(ホノルル)に滞在しているではありませんか?!毎日FBを見ていると、近くの丸亀うどんやお寿司屋さんに行っているではありませんか・・・これは?近くのホテルなんだなァ・・・と思っていると、全く偶然、奇跡的に宿泊しているホテルのコインランドリー階からの帰りの同じエレベーターで、「あッ!?」と私の方が気づき、「三好さんですか?」と声を掛けて、初めて巡り合えたのです・・・長年同じ市内に住んでいても、縁が無ければ一生会う事もありません。それが何十億人も住んでいる海外で会うなんて、奇跡と言わずして何と言うのでしょうか・・・たまたま奇跡的に同じホテルに滞在しても、例え10秒エレベーターに乗るのが早ければ、一生会う事もない訳ですから。縁というのは、ホント不思議なモノですねェ・・・大事にしないと・・・三好さんは知る人ぞ知る、日本だけでなく世界のフルコンタクト空手界では有名人です。現在フルコンタクト空手の新極真会の副代表を務められ、200流派以上が加盟する「全日本フルコンタクト空手道連盟」の理事も務められている方です。30年以上前、極真会の世界大会や全日本大会で数々の入賞経験も豊富で、正に空手界では雲の上のような存在の方だったのです。180センチ、90キロ以上が当たり前の大型化する世界のフルコンタクト空手選手のなかで、東谷巧選手と同様に標準的な日本人体型で世界に伍して頑張っている姿に大和魂を感じ感動したものです・・・(涙)。そんな三好さんですが、実際会うと非常に気さくで、「これが本当に強い男の優しさなんだなァ・・・」と感じましたし、空手界の重鎮で周りから慕われるはずだと直感しました・・・三好さんの「流派を飛び越えて友達になりましょう」には、人間としてのココロの大きさと包容力を感じます。どちらかと言うと一本化された柔道や剣道と違って、流派が乱立してルールも混在している閉ざされた空手界でこんな事、なかなか言えるものではありません。今回ハワイに来られたのは、戦後70周年記念行事「鎮魂と平和の祈りから未来へコンサート」で、日本の空手代表として演武をされるとの事でした。そして、そのコンサートは正に日本軍が真珠湾に攻撃をした日(戦争突入の開戦日)、12月7日だったのです。三好さんにお会いしたのも何かの縁ですし、たまたま偶然にもその日はハワイにまだ滞在していたものですから、行かない理由はありませんでした。行って、三好さんの演武には感動しましたねェ・・・列席した多くの日系人の方もそうだと思いますが、彼の演武にサムライの心を感じました・・・外国に行くと何時もそうなんですが、自分が日本人なんだと強く意識しますし、誇りに思いますねェ・・・ホテルのプールサイドやワイキキビーチでノンビリしている時も、iphoneでいつも聴くのは、山下達郎、ユーミン、サザン、杏里、安全地帯、アンルイス、エグザイル、高中正義、竹内まりや、矢沢永吉、大橋純子、嶋野百恵、八神純子、鈴木雅之、露崎春雨、久保田利伸・・・日本の曲ばっかりです・・・(笑)。またカイルアに行った時、日本人の新婚カップルの優しさに触れました・・・バス停からカイルアビーチまで歩いていたのですが、途中電動自転車に乗っているこのカップルに会いました。ちょっとビーチまでの距離が遠いと思ったので「何処で借りれますか?」と尋ねると、「ツアーですから、僕らもよく分からないです」という返事。仕方なく、トボトボ歩いていると、ワザワザ戻ってきてくれて親切にレンタルサイクル屋さんの場所を調べて教えてくれました・・・(涙)。ホント助かりました・・・ビーチまでジジイの足では遠すぎました。海外でこんな日本人の優しさに触れると、まだまだ日本人は捨てたものではないと感じます・・・ビーチで遊んでサイクル屋さんに戻りしな、またそのカップルに偶然出会いましたので重ねてお礼を言いました。そしてナント次の夜、ヒルトンビレッジの花火大会でまたまた再会したのです・・・ホノルルだけでも95万人もいますから、そこで再会するとは正に奇跡です・・・(驚)。今回の旅行、ホント奇跡ばかり続きます・・・(笑)。これも何かの縁ですし、彼らのこれからの結婚生活が幸せになるように願うばかりです・・・またノースショアに行く路線バスの中で、岡山の熟年カップルに会いました。約1か月のロングステイで海外旅行のベテランのようで、色々ロングステイのノウハウをお聞きして非常に参考になりました・・・これが大事なんですねェ・・・本やネットである程度調べられますが、なかなか実際分りにくい事も多く、本当のノウハウやテクニックは経験者に直接聞くのが一番なのです。そこは、「我以外皆師」というスタンスで謙虚に教えを乞うべし。高飛車でプライドだけ高ければ、誰も教えてくれないどころかソッポを向かれます。ある分野で一流でも、他分野では素人なので、そこは恥を忍んでヤル奴が本当にココロが強いのです・・・という事で、今回も「人生は旅だ!」と感じたハワイでした・・・年を取ってくると、年々感動する事が少なくなります・・・落ち着いたと言えば、それまでですが、それでは人生がオモシロくありません。20代が語る人生とは中身も長さも違い、もう我々熟年にとって人生を語る余裕はなく「残り少ない余生を如何に過ごすか?(健康寿命を如何に伸ばすか?)」に懸かっているのです・・・その為に、今後も旅を続けたいなァ・・・とシミジミ思うのです・・・(涙)。【オススメの関連記事】これはメチャ便利!ハワイでUber(配車アプリ)利用!【オススメの関連記事】ハワイのトロリーバス(lealea&ピンク)が無料になる裏ワザ【オススメの関連記事】これがハワイ・ロングステイ(1か月)の楽しみ方と節約術
2015.12.15
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先日、ハワイへ行ってきました。チョッとした2週間のロングステイです。約20年ぶりのハワイです。ホテルとチケットだけの格安ツアーでしたので航空会社は選べず、残念ながらハワイアン航空でした。ハワイアン航空は何処のアライアンスにも加盟していませんので、私のマイル(スターアライアンスのユナイテッド航空のマイレージプラス)が貯まりません。それどころか、ハワイアン航空は米国本土とハワイ諸島間だけマイルが貯まるシステムで、日本ーハワイ間は積算対象外だったのです。参ったなァ、こりゃ・・・せっかく片道7,8時間も乗るのに、勿体ないなァと・・・そこで、ダメ元でチョッと研究したところ、なんとマイルが貯まる「裏ワザ」を発見しました!日本には就航便の無い(今年2月撤退)イギリスのヴァージンアトランティック航空のマイレージだと、ハワイアン航空のチケットの「予約クラス」によってマイルが貯まる事が分かったのです(今回は帰りの便だけ加算)。というのは、ヴァージンアトランティック航空はユナイテッド航空と同じスターアライアンスのANAと提携しているのです。つまり、ハワイアン → ヴァージンアトランティック → ANA → ユナイテッド というように、迂回してやっとマイルがゲットできたのです(手続きはこれから)。マイレージ(マイルを貯めて無料航空券をゲット)はチョッと複雑です。多くの人は、その複雑さにさじを投げて損をしています。しかし、その複雑さも順序立てて研究すればそれほど難しいことはなく、誰もあまりしないからこそ価値もあり妙味もあるのだと思います。全く、商売ビジネスと同じです・・・そこは、ヤルかヤラナイか?・・・たったそれだけの違いで大きな違いを産むのです・・・前置きはこれくらいにして、今回のハワイ旅行は一言で言うと「サイコー!」でした。改めてハワイの良さを感じ、また行きたいと・・・20年前は小中学生の子供3人連れての家族旅行でしたし、取引先に旅行の件は極秘でしたので(オファーが逃げてしまうので)、旅行中に日本からの転送の国際電話が私の携帯にバンバン掛ってきて、とても旅行気分ではなかったのが正直なところです・・・(笑)。時差が19時間もあり、家族で綺麗な夜景を見に行っている時(日本は昼間のビジネスタイム)に「まいど~、糸の出荷2日遅れるけどイイ?」「もう1円負けてくれへんかな?」なんて電話があると、興醒めもいいとこです・・・(笑)。混乱する頭を切り替えて「そらアカンわ、1日しか待てへんでェ」「無理や、せいぜい50銭やなァ」と、切り返すのです・・・(涙)。夜中の0時過ぎに「運送屋さんに交渉して、何とかなりました」なんて電話に起こされた時は涙が出そうになりました・・・(笑)。私の子供の頃もそうでしたから、そこは、家族には悪いですが、公私が完全に割り切れない、零細企業経営者のツライところです・・・(涙)。今回は子供がいない分、存分に楽しめました。滞在ホテルのあったワイキキはもちろん、ダイヤモンドヘッド、シーライフパーク、カイルア、ノースショア、ホノルル動物園、水族館、フォスター植物園、タイムシェア(リゾートホテル)見学会、パールハーバー、クリスマスパレード、サーフィン、スノーケリング、ポリネシアンダンス、HAKA(民族舞踊)、ホテルのプール&ジャグジー、カフェ「ビーンズコーヒー」、ライブバー・・・オプショナルツアーに参加すると集合時間が早過ぎ、朝食もトイレも忙しないので一切行きませんでした。日本でいる時は基本的に「22時就寝4時起床」の優等生でしたが、ハワイでは特に何も決めずに「0時就寝7時起床」くらいだったでしょうか。朝は自然と目が覚めるのに任せ、ワイキキをブラブラしてカフェでカフェラテとパンかケーキで朝食です。そして、トイレをキチンと済ませてから「今日は、どないしょ?」の行き当たりバッタリです・・・(笑)。時間は充分にありますし、これがロングステイの醍醐味です。普段の仕事が直前まで忙しかったため、下調べも不十分だったこともありますが、事前の本やネットの予習では分からない事の方が多く、またアクシデントも旅の愛嬌ですし醍醐味です・・・今回は地元の路線バス(ザ・バス)を存分に利用してカイルアやノースショアといった遠方に行きましたし、ツアーについていた無料のトロリーバスも上手に利用してワイキキ周辺をウロウロしました。日本で10年に1回くらいしかバスに乗らないのに・・・(笑)。以前のイタリア旅行の時もそうでしたが、本の情報が古い場合が多々あるというのを感じましたねェ・・・2冊は持って行かないと・・・私のような自由旅行の場合は「現地に住んでいる日本人のブログ」の情報も結構役に立つことが多いと感じました。ウインドサーフィンの聖地である「カイルアビーチ」に現地のバスで行った時はカイトボーディングがメインで、たった1人しかウインドサーファーがいなかったのには驚きと共に非常に残念でした・・・というか、ウインドの神様と言われるロビー・ナッシュを始め、殆んどのウインドサーファーはマウイ島に移住したようです。ホノルルのあるオアフ島には、何万人ものサーファーがいるのにウインドサーファーがたった一人という事か???ならば、夏の風の強い日には沢山のウインドサーファーで賑わう大阪の二色浜やマーブルビーチを考えると、まだまだ日本はウインドサーフィン大国か???日本では超マイナーだと思っていたウインドサーフィンは、実はまだまだ根強い人気があったとは・・・ネットやマスコミや他人の噂に惑わされず、実際自分の目で見る事の大事さを痛感する次第です。自分の五感で納得、腑に落ちる・・・これが大事なのです。まァしかし、ホノルルの気候は年間を通じて19℃~31度で、雨季でも降水量も少なく、心地よい風が何時も吹いていて、汗をかく事もなく、正に地上の楽園です・・・今はハワイも冬の雨季ですが、21℃~28℃で、2週間の間雨が降った事は殆んどありませんでした。大阪の夏の35℃を超える蒸し暑さや、冬の0℃近い寒さは、確かに身体に悪いはずです・・・空手の稽古にはエアコンはありませんので、夏は道着を着た途端汗が出ますし、5分も動けば汗が噴き出ますし、真冬は足の指が痺れて感覚がありません・・・(笑)。なんで、年取ってこんな事せなアカンのやと・・・(笑)。何処へ行くのも地元の路線バスを利用しましたが、そりゃ縦横無尽に沢山の路線がオアフ島を走っており、一見何が何だか分らないようですが、メチャクチャ細かい時刻表もありますが、路線バス用のアプリもあり、それをスマホにダウンロードすれば、自分の現在地から一番近いバス停を検索できますし、乗るバスが今どこを走っているのかGPSで位置まで教えてくれるスグレモノです・・・(驚)。とにかく、旅行者にとって便利この上ないです・・・日本から持って行ったガイドブックや地図は、情報が古くてあまり役立ちませんでした。という事で、楽しすぎたハワイ旅行も、とても美味しかった現地料理も、「日本の3倍」の食費だけが頭痛の種でした。そして、ホテルの近くにあった日本のチェーン店「丸亀うどん」があれほど流行っているとは驚きでした。いつ行っても長蛇の行列で、実際に入って食べましたが、日本のそれより堅くてコシがイマイチで高いのに何故か不思議でした・・・滞在中、ハンバーガーやビーフステーキを沢山食べましたが、やはり「日本人には日本食が一番!」と強く感じましたし、何より日本は安くて美味しい(特に大阪は)!この点、日本は大いに自信を持ってイイと思いますし、外人観光客が大阪に大挙して押し寄せるのも納得です。しかし、テロの影響か入国に関して両手の指紋を取られたり事前にESTA(電子渡航認証システム)を申請しなければならなかったり、出国に関して3重の検査があったりして少し厳しさを感じました。これが世界の現状かと・・・また、ハワイの物価高(全米一)のためか、ホームレス(乞食)の多さにビックリしました。日本と違って、ハワイは年中外でも暮らす事が出来るからでしょうか?アル中かヤク中か、チョッと言動や行動がオカシイ人間も多く、目の前でホームレスのアル中のタカリが逮捕されたのはビックリしました・・・しかし、現地人も旅行者も全般的に「アロハ!」「マハロ!」と誰に対しても大きな心でフレンドリーで、見習うべき点かなと反省します・・・路線バスに乗っても、年寄りが乗ってくると、サッと席を譲る光景には日本の古き良き「昭和」を思い出します・・・という事で、旅行前に成約しかけた不動産取引が帰国後流れたのにはチョッと悔いが残りましたが、それ以上の実り多い旅行となりましたのでヨシとしましょう・・・(笑)。【オススメの関連記事】これはメチャ便利!ハワイでUber(配車アプリ)利用!【オススメの関連記事】ハワイのトロリーバス(lealea&ピンク)が無料になる裏ワザ【オススメの関連記事】これがハワイ・ロングステイ(1か月)の楽しみ方と節約術
2015.12.13
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先日、「泉佐野のブルーノート」と言われる(勝手に呼んでいますが)、ライブハウス音楽倉庫(おとらくそうこ)さんへ、日本の超有名ドラマー「村上(ポンタ)秀一」さんのライブを見に行ってきました。村上ポンタさんと言えば、1970年代にフォークソンググループ「赤い鳥」からプロドラマーをスタートして、以来40数年間ドラマーの第一線で活躍されています。主に各アーティストのスタジオドラマーを勤められているようですが、今回は自身のバンド「ポンタボックス」を率いてのジャズ系の演奏でした。スゴイですねェ・・・やっぱり、何でも一流(ホンモノ)を目にする事が大事だと改めて感じました。ドラマーという専門職を深く掘り下げ、更にジャンルによって横にも広げる事によって、自身の仕事を確固たるものにしているところは尊敬に値しますし、是非見習いたいものです。弊社はトランクルームを核に、割と近い業種である地域密着型の不動産仲介業を兼ねる事によってより横にも広げようと努力しています。根底の考え方は同じだと思うのですが・・・更に、9年間のトランクルーム実績で、「楽器保管」が如何に多いかと身をもって感じました。これに、織物時代の工場と機械の防音と防振に苦労した経験とトランクルームオープン当初の「防音室」と私自身の音楽遍歴の3つをミックスして、「リハーサル音楽スタジオ(時間貸し)」経営へのアイデアが閃いたのです・・・更に「本業」のトランクルーム経営から、楽器保管庫の併設というアイデアも派生的に浮かびました。こういったリハスタ経営で、音楽とダンスという新しい客層(ジャンル)を取り込み、トランクルームのみならず不動産仲介業への波及効果を期待して、更に横に広げようと計画しているのです。人間は所詮、自分の頭で考える妄想は無限に広がりますが、実際の行動は経験値の範囲でしか可能性が広がりません。妄想も大事ですが、人生の行方は「若い頃の行動力」に懸かっているのです・・・という事で、会場はもちろん満員御礼でした。今回のステージのセッティングは、ポンタさんドラムセットの真後ろにも観客席がありました。プレーヤーの周囲をお客さんが囲んでいるのです。そして、お客さんが最も見たいと思われるポンタさんのドラミングの様子がかぶりつきで見られるのです・・・(涙)。天才ドラマーの右足のバスドラのペダルを踏む様子や、どのタムタムをどのくらいの頻度で叩いているとか、ヘッドのチューニングの様子や、どのスティックを使っているとか、パワーの出しどころとか・・・よだれの出そうなスペシャルシートです・・・(笑)。ドラムのYOU TUBEでも、上からドラミングの様子を撮影した動画が人気というのは、そう意味だからです。通常の舞台配列だと、ギターやベースは見れますが、ドラムは見れません。ナント、そのスペシャルシートをフェイスブックの友達が取ってくれました。やはり、持つべきものはコネクションですねェ・・・何も知らずに普通に入っていたら、奥の隅っこの席で聴いてオワリです。その差、少なくとも2倍です。そういう意味で、音楽コンサート(ライブ)は大きなホールには行かず(イイ席はファンクラブが独占)、ビルボードライブ大阪など小さいハコに限って、しかも申し込みは初日で取ったイイ席しか行かないようにしています。同じ金を払うのに(チケット代)、遠い席だと楽しみ半減でオモシロくないからです。そう意味で、今回は大満足でした・・・ドラムセットの手で叩くスネアやタムタムやシンバルはだんじりの大太鼓と同じく「水平打面」です(小太鼓は垂直打面)。60代半ばのポンタさんを後ろで拝見していると、ルーズシルエットな上着からでも、異常に発達した「水平打面」太鼓に必要な上腕三頭筋を見て、ナルホドなァと納得しました・・・しかし、そもそも何で私が若い頃にドラムをやっていたのか?勿論、泉州生まれの人間にとって、人生で1番最初のドラムとの出会いは、多分1,2歳から聴くだんじり祭の「大太鼓」です。これは、例えだんじり祭りが嫌いであっても、祭りシーンになるとイヤでもそのお囃子が毎日ほど耳に入ってくるのです。そう、泉州人にとって、だんじりの太鼓は子守唄だったのです・・・(笑)。 私も御多分に漏れず、生まれた翌年には親父に抱かれてだんじり祭を見に行っていますし(写真をみると)、母方の祖父にも4,5歳まで毎年熊取の宮入りで、大屋根の上で祖父に抱かれてイロイロだんじりの講釈を何も分からない私にブツブツ言っていたのを思い出します・・・今年の祭は、すでに未だ1歳にもなっていない孫2人に太鼓の音を聴かせてやりました・・・(笑)。そういう、だんじり祭りの太鼓との出会いが最初にあり、小学生高学年の頃は青年団を差し置いて、もう村の代表として宮入本番で大太鼓を叩いていました。しかし、和太鼓というのは「牛の腹の皮」で出来ており、一度太鼓屋で張れば、最初はポンポンと高めの音が出るのですが、段々皮が緩んできて3~5年目が一番イイ音が出ますが、その後鈍い音に変わり、最後は皮が破れるという運命にあるのです(そして張替え)・・・太鼓屋さんに聞くと、最近の牛は配合剤の餌なので、昔の草を食べていた牛に比べて、腹の皮が薄いようで破れやすいと言っていましたが、正にその通りだと思います。そんな「チューニングの出来ない」和太鼓しか知りませんでしたし、当時の歌謡曲やグループサウンズの曲を聴いても、どうしても「ショボイ」ドラムの音が気になっていたのです・・・それが、ビートルズのリンゴ・スターのドラムを聴いて「オーゥ」となったのです・・・ちょっと、違うなァ・・・と。消音(ミュート)技術が発達したのか、「ビシッ!」「バシッ!」と聴こえるようなカッコいい音に変わったのです。そして決定打は、中学生の頃にテレビで見た(聴いた)「つのだひろ」のドラムです。当時、スペースバンドというロックグループを率いて、ドラムがメインのロックをしていたのです。「これや!」と思いましたねェ。とにかく、音が全然違うのです。テレビで聴いただけでも鳥肌モノでした・・・何が違うのか?海外のドラムメーカー(ラディック、ロジャース)か、チューニングか、叩き方か・・・???これで、いずれ絶対ドラムをしたいと思うようになったのです。堺の鳳高校時代は残念ながら、ロックをするような部活も無かったため、一番好きなシカゴやチェイスといったブラスロックグループの影響で、取りあえずクラシック中心のオーケストラ部に入りトランペットを始めたのです。入って半年後、1年先輩が突然「これからはジャズロックや!」とオケ部を飛び出し、音楽愛好同好会なるものを創部しました。2,3年生は前年まで鳳でも激しかった学生運動の影響で、好きな事をヤッタリ言ったりして、この間まで田舎の中学生だった私にとって戸惑う事ばかりでした・・・そして、ひとつ上の2年生は私の夢であるシカゴのコピーをやり始めました。私以外の中学から経験のある同級生2人のトランぺッターは助っ人として引き抜かれましたが、まだキャリア半年しかない私には声も掛けてくれませんでした。この時の気持ちを何と表現すればいいのでしょうか・・・(涙)。ハイティーンのガラスのようなハートはズタズタになりました・・・皮肉にも、この時のドラマーは私の妹の旦那さん(義弟)の従兄弟さんでした・・・一方、同級生の1年生はキャロルのコピーです。最初からメンバーが決まっているようで、私がドラマーとして入る余地は全くありませんでした。当時は鳳高祭とは別に音楽祭(コンサート)があり、この2バンドが出ると、それまで大人しかった大勢の女子がキャーキャーとんでもなく騒ぎだして、もう大変でした・・・(笑)。声楽家の音楽の先生までが「〇〇クン、カッコええやん!!」と言い出す始末です・・・彼らの後の出番だったオケ部の演奏のやりにくかった事やりにくかった事・・・(笑)。まァ、当時鳳は激しかった学園紛争の反動でホント自由な雰囲気でした・・・この時思ったのは、大阪は南へ行くほど音楽文化が根付いていないなァ・・・という事です。実際、過去40年のミナミとキタのライブハウスを見ても、キタは割と安定して存続していますが、ミナミは入れ代わり立ち代わり潰れてますねェ・・・貝塚三中にはブラスバンドもありませんでしたが、堺の中学にはブラスバンドがあるどころか、上野芝中学や陵南中学は全国的にもトップレベルだったのです。堺はミナミやキタに近いので、LPレコードは簡単に手に入りました。中学時代はシングルレコードをチョロチョロ聴いていただけでしたが、彼らはLPレコードをジャンジャン聴いていたのです・・・フォークギターやクラシックギターが出来るなんて、珍しくもありませんでした。一体、この「差」は?同じ学力で入試に合格しても、都会の中学生には文化的に負けているなァとしみじみ思いましたし、それが3年間劣等感となって私にまとわりついた事が、後になって人生を考える上でプラスとなりましたが・・・そして、悶々とした高校時代が終わって、大学受験に失敗して、更に人生が落ち込んでいったのです・・・(笑)。浪人時代に高校の同級生のフォークデュオにボンゴの助っ人として参加し、大学生になってから空手をやりながら、やっと念願のドラムを始めたのでした・・・まァ、同じ大阪でも、大阪市内や北摂といった北に行くほど音楽文化が根付いているという現実が、泉州とくに「泉南で音楽スタジオが流行るか?」という疑念が完全に拭い去る事が出来ないのですが・・・
2015.12.02
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