ノーサイド

 「以前、ラグビーをしていたんですよ」というと結構驚かれる。デザインという繊細な仕事とそれが結びつきにくいからだ。でも、ベンチャーで会社を1から立ち上げたり、また独立してタフにやってこれているのも、実はこの時の経験があったからだと思っている。今日は友達のサイトで、その時のことを思い出させることがあったので、ちょっとそのさわりを書き残しておきたいと思う。

 「ノーサイド」ラグビーをあまり知らなくても、この言葉を「聞いたことぐらいはある」という人は多いかもしれない。まさにその言葉の通り「試合が終われば敵も味方もない」という意味だ。つまり同時に「試合終了」であることを示している。
 自分がラグビーを始めたのは高校生の時。まだ入学したばかりのある日の放課後のこと。その日は友達と話していたか何だかで帰る時間が少し遅くなった。すると雨の日にも関わらず中庭で練習を始めた部があった。ご想像の通り「ラグビー部」である。今まで見たこともないその激しい光景にしばし唖然…。でも、まさかその後に自分がその部に入ることになろうとは思ってもみなかった。
 次の日の放課後、少し気になって、また彼らの姿を探したが見付からない。そう思っているところへ「これからラグビー部の練習を見に行く」という人がいた。後で考えても、あの時、彼がいなかったらやはりラグビーなどしていなかっただろう…。「あんなの見たの初めてだったよ、自分も見に行こうかな」そう私が言うと、彼は「ジャージに着替えないと見学できないよ、場所はバス停の先の遊水池」とだけ言って走っていった。初めて会話を交わしたばかりの彼の言葉を鵜呑みにして、私は真新しいジャージに急いで着替え、その遊水池とやらへ急いだ。
 「やってる、やってる」遊水池は、その近辺の住宅地に大雨が降った際に、一時的にその水を溜めるための場所で、四方の斜面がコンクリートで覆われている。「はーい、じゃあボールまわして」集まった1年生に、先輩から声が掛かる。「次は、壁スクラムやってみようか」あれ、見学だけのつもりだったのだけれど…。彼は黙々とそれをこなしている。「やられた!」その時初めて騙されたことに気が付いた。
 しかし、知らないうちにどんどんのめり込んだ。途中で辞めることが嫌いだった自分は、結局3年間ラグビーを続けることになる。練習や試合でたくさんのケガをしたが、その分、たくさんのことも学んだ。技術的なことはもちろん、「ノーサイド」、「One for All, All for One」(一人はみんなのために、みんなは一人のために)。きつい夏合宿や試合でのケガに、何度か辞めることを考えたとき、横を見上げてみれば、同じようにきつそうな顔をしながら、いまにも地面に膝を突き落としそうな仲間が立っていた。それを見ると、自分だけ逃げ出すことなのできず、でもその後には、ちゃんと耐え切れている自分がいる。「ひぃ~、ぜったい無理!」なんて思っていたのに。そんな仲間と一緒に、試合に出れば、勝てば嬉しくて泣き、負けても悔しくて泣いた。卒業でチームがバラバラになってしまう時も泣いた。ラグビーをするやつは実はよく泣く。そんな経験がいまでも自分の大きな支えになってる。


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